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僕の所属する制作会社は今年で10周年を迎えるということで、イベントをするにあたって、今まで制作した番組、仕事をしたタレントを過去の資料からを書き出す作業が行なわれました。どの番組を見ても懐かしく、自分の携わった番組に至っては、様々な思い出が蘇ります。何日も徹夜し、口論しながら制作した番組。視聴率がよく表彰された番組・・・・燃えて、全精力をつぎ込んで作った番組を思い出すと、胸が切なくなるほどです。自分の作った番組を振り返って思います。これは単なる、思い出というセンチメンタルなものではなく、すべてが今につながっているものなんだと・・・あのときあの番組を作っていなかったら、今の自分の立場はないかもしれない、あのときあの人との出会いがなければもしかすると、自分はこの場所にいないかもしれない。すべての出会い、苦しみ、楽しみが今を作っているのです。忘れたい思い出も、人に自慢できるものも・・・・いつも、過去の作品を振り返ると、そのときに自分を支えてくれていた異性の顔が浮かびます。不安な気持ちを熱く抱きしめてくれた年上の女性、勇気を与えてくれた10歳以上も年下の女性、心から愛情を表現してくれ、くじけそうな僕に自信をくれた同年代の女性・・・肌をあわせることで僕の感性を高めてくれた、情緒の豊かな女性。誰一人欠けても、今の僕はまた違った存在になっているはずです。もう会う事はなかったとしても、その経験が僕を作っていると考えれば、自分自身が生きている限りその歴史は決して消える事はないのです。一夜の肌のぬくもりが人間の人生を180度変える事はよくあること、結婚だけが影響を与え合う関係ではありません。そのときに付き合っていた女性の何気ない一言が、企画となり、番組となり、10万人の視聴者に向けての作品になった事もありました。よく別れたら過去のこと、忘れるべき事といいますが、僕はその瞬間はすべて今につながっていることとしか考えられません。打算的に生まれた男女関係は、その利益がなくなれば消えててしまうかも知れませんが、感性で惹き合った男女気持ちは、たとえ何年の月日が経ったとしても、消える事は無いように思えます。自分と関わりあった女性が、今僕のことを忘れて、他の男性と幸せな時間を過ごしているとしても、それを妬む気持ちはありません。僕と関わりあった歴史を持った女性が幸せになっていると言う事を喜ばしく思えてこそ、今の自分が充実している証であり、誇りであるといってもいいように思えるからです。これからの自分の歴史にどんな人物が登場するのか・・・明日出会う人が重要人物かもしれない・・・そう思うと毎日が楽しくなってきます。会社に歴史があるように、世界に歴史があるように、人それぞれがもつ歴史・・・・苦しくても、哀しくても、切なくても・・・すべては墓場に持っていく自分の財産なんですよね。
May 31, 2004
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久しぶりに大学時代の友人と飲む事になった。メンバーは男3人女性2人。ほとんどが所帯持ち、残りはバツイチといった構成だ。会話は昔話から始まったが、最終的にはやはり恋愛話に発展した。これはいつものパターンだ30代も後半になれば、内容は学生時代のものとは全く違ったものとなる。恋愛のゴールを結婚と考えていた頃と違い、今の内容は、もっと深いモノだった。若い頃のほうが、男女の意見は全く違っていたのだが、30代後半の恋愛論は男女の違いではなくなっていた。おそらく全員が異性を理解し始めたのか、本音を語り出したかは定かではないが、男性の話に女性がうなずくようになった。学生時代なら、「私は付き合っている人としか絶対エッチは出来ない」といっていた女性も、抱かれたいと思う感覚になるかならないかがポイントだと言うようになった。考えが変ってきたのか、本音を言うようになったのかそれはわからない。そんな中でこんなテーマトークになった。「究極の恋愛とは・・・」様々な意見が出たが取り上げてみると、規制のある恋、永遠に結ばれない恋、形の無い恋、といったようなものだった。誰からも添い遂げる事という言葉は出なかった。パートナーシップ、家族愛と恋心は相反するところにあると言う事は一度結婚を経験したものならだれでもが思うようである。学生時代ならだれもそんなことは想像もしなかった事だがおそらくそれが現実なのかも知れない。結婚を前提としてしまった時点でそこには必ず打算が生まれてしまうのということは哀しいが否定は出来ない。結婚するまでは何とか打算抜きでゴールインできたとしても、親族との付き合い、子育て、経済、様々な損得にからんだものが、恋には適さない状況を作り出す事になってしまう。人生こんなモノ、恋愛は結婚した時点で卒業と思い、あとは家族愛というものを自分の全てに思えたら、トラブルも少ないだろうが、男性も女性も、性を捨てきれない人がほとんどである。恋、性、は打算が無ければないほど美しいものなのかも知れない。いわば、男女間の中の周りに起こりえる損得を含んだ関係の中から会いたい、抱き合いたい、一緒にいたい、といった成分だけを抽出した形、その恋のエッセンスこそが究極と言えるような気もする。学生時代の友人達は、みんな年齢よりは若く見える、まだまだあきらめていないメンバーばかりだ。だからこそ気が合ってたまに会うのだと思う。不倫をする事を肯定するのではなく、なれあいのあきらめ中年になることを否定したいというのが最期の結論になった。世間から見れば不良中年の集まりだが、おっさん、おばはんにはなっていないことは自慢できる。自分の生活を破綻させないぎりぎりのところで男、女でいることは譲れないというポリシーを持っている仲間から、脱落しないようにいい年のとり方を常に考えなくてはと・・・彼らと会うたびに僕はそう思う。
May 30, 2004
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今日も編集に一日を使いました。編集と言う作業で実際に起こった出来事を、人に見せるためのものに作りこんでいきます。今、担当している温泉番組で言えば、2泊3日で撮影した事を、10分のもの2本にまとめます、きれいな部分はより綺麗に、それなりの部分も素敵に見えるように、ディレクターの腕の見せ所です・・・・・編集前の撮影したテープは、10分の長さのVTRでおよそ30分テープにして5本~6本、1時間半から2時間のものを10分にまとめ上げるのです。ほとんどが見せない部分・・・・スタジオ収録の番組も、30分番組を2時間以上かけて収録しますほとんどは放送されない部分なのです。オンエア-のする部分としない部分、選び出す基準として、一番に挙げられるのは、一般大衆が見たいであろうという客観的視線です。自分がどれを見せたいかではありません。放送、オンエア-にはいくつもの制約があり、自分の本音は後回し・・・・・たてまえが常に、一般視聴者に公開されます。実際、何事においても人前に公開されるものは番組と同じように、たくさんある事実の中のほんの少しだけなのかもしれません。常識と言う制約の中で、公開するものしないもの、表に出すもの裏に隠すものがありますが、裏に隠されている事も真実だと言う事は否定できません。よく、女性と話をすると、「男は浮気するけど、女はほんの数パーセント以外、セックスするときは本気よ・・」という言葉を聞きますが、それはオンエア-用、実は、男も女も基本は同じ、性欲もあれば浮気心もある・・・しかし常識では女性は性欲を前面に出すといやらしいとされ男は基本スケベなものという枠あるため、コメントは必ずそのように加工されます。会社の中で言えば、僕たちは完全週休2日という建前になっています。しかしそんなに休みをとって会社に認められる人間はいませんし、仕事も間違いなくパンクします。管理職は、「休みはきちんととれ」といいいますが、状況をわかっていないはずはありません。その裏には、「労働基準局の目があるから勤務表は休んだ事にしろ」と言う言葉があります。オンエア-上、我々は、法律にそった勤務体系で健全に働いているのです。北朝鮮問題も、放送されていない様々なしがらみが必ずありますが表に出ているのは、小泉総理の記者会見に過ぎません。表と裏、社会にも個人にも必ず存在するにもかかわらず、全ては表に出ているものが正しいとされ、裏はアンタッチャブルなものとして封印されます。オンエア-される部分はほんの氷山の一角なのに・・・結婚しているのに他の人と愛し合う、社内でみんなに隠れて肉体関係を持つ、一見、真面目な男性が毎日のように風俗に通う、OLをやりながら内緒で風俗でアルバイトをする、オンエア-されない様々な事実、これも真実・・・・みんな嘘をついているといえばそれまでですが、全ては一般の表に出すための編集作業なような気もします。ワイドショーの不倫に文句を言っている人に不倫願望が全くないかと言えばそれは疑問です。スタジオでいくら放送禁止用語を使っても編集し、放送しなければ何の問題もないのと同じで、いくら欲望のままに生きていても、うまく人に見せる用の番組に仕上げれば誰からもお咎めを受ける事もありません。常識という規整枠の中に縛られた、一般社会という名のテレビの中で、人に見られる用の自分と言う番組を構成、編集し表現するのが人間、裏があっても本当は当たり前なんですよね。
May 28, 2004
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テレビ業界用語に「レインコート」という言葉があります。プロデューサーがディレクターに「おい!この日曜日のロケのレインコートは大丈夫か?天気予報は傘マークだぞ」という使い方をします。これは当然、スタッフが着るレインコートの話ではありません。野外での収録、ロケの時に前もって考える雨対策、ほとんどの場合は没となる、ピンチヒッターのような予備企画のことを「レインコート」と呼ぶのです。特にこのシーズンに、レインコート無しで、雨が降ってからあわてるディレクターは使えないと判断されても仕方ありません、少しばかりの手間とお金がかかってでもこの保険はかけておかなくてはいけないのです。レインコートを考えていると、それが時には本ネタよりも面白いと思えることもあります。でもそれはあくまで雨が降ったときの予備に過ぎないのです。よく、雨を憂鬱な心理状態に比喩して表現する人が居ます。確かに雨は行動範囲も狭まり、企画の選択肢も少なくななるので何事もうまくいかない人生においての状況に似ているかもしれませんが、そこにもレインコートがあると考えれば、その状況でしか日の目をみない面白い企画が試せるいい機会であると言えるのかも知れません。ブルーな時にしか出ない発想、何をやってもうまくいかない時期だからこそ、見えてくる人の優しさ、人に対しての思いやり・・・・ロケ当日の無情の雨をレインコートでうまくしのいだディレクターは一回り大きくなります。次に雨が降ってもなんとかなるという自信につながるからです。雨だから何も出来ないという人も居れば、そこで雨でしか出来ないことをしようと思う人もいます。雨が降ったらどうしようとネガティブになる人も居れば、雨の日こそ腕の見せ所と思う人も居ます。当然、晴れているほうが、気分はいいにきまっています。だからこそ雨の日には発想の転換が必要となるのです。これからの季節は雨が多くなります。普通に立てた晴れ用の企画が没になると思うよりも、雨の日でしか日の目を見ない、レインコートの出番が多くなると考えて、雨を楽しめるようになりたいものです・・・・
May 20, 2004
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テレビの番組を作るという仕事を14年もやっていると、視聴者としてどの番組を見てもそれが真実をありのままに描いたものなどひとつもないことがわかってくる。ドキュメンタリーであってもそのディレクターのフィルターを通して描かれている以上、実際に現場に居合わせてその対象を自分の目で見るものとは全く違うものになっているはずである。生番組なら隠し事は出来ないはず、というのは全くの逆で、生番組こそ我々スタッフはタレントに台本に忠実になるようにとお願いする。番組終了後には、「番組ではああ言ったけど、本音は違うよな」などという話が飛び交う。「やらせ」という問題がいつも忘れた頃に表ざたになるが、「演出」と「やらせ」の境界線はきわめて微妙だ、本当にあったことをそのまま伝えるなら、ディレクターという仕事は成立しない。もっと言えば、どんな素材でも良くも悪くも演出しだいでどうにでもなる。どんな番組でも疑い出せばきりがない。そんな中でテレビを楽しく見るコツは、フィクションであるとかノンフィクションであるとか真実だとか作り物だとという発想を無くし、それを見て自分が楽しいか否かだけを考えることのように思う。これは人間が生きて行く中でのすべてのことにつながっているようにも思える。本当はいい人だけど、自分にとってストレスばかり与える悪い面しか見えない人は付き合うに値しない人であり、逆に影で舌を出していようと付き合っていれば楽しくてづっと一緒にいたいと思う人は自分にとってはいい人と判断するべきでなのかも知れない恋愛で言えば、彼氏が3人いる小悪魔的な女性でも3人ともが満足していればいい女であり、一人の男性にに尽くす女性でも、その一人がうっとおしいと思っていれば、いい女とはいえないはずである。真実よりも大切なことはもしかすると、演出によってどう人に対して良い印象を与えるかではないかとも思う。浮気を好き勝手にして、家庭で完璧な妻を演じる女性と、家で夫の帰りをずっと待っているけれども、夫のあらを探してわめき散らす妻、いったいどちらが必要とされている妻なのだろうか・・・・・嘘のつけない面白くない男と、作り話ばかりの面白い男、前者は誠実で後者はいい加減、しかし評価は間違いなく後者に軍配が上がるはずである。そういう人間はいずれボロがでる・・と思いたいところだが現実はそうではなく、演出上手な人間はボロも出にくい。ただ間違いないことは、テレビの演出でもいえることとして、根本に人を楽しませようとか、人を喜ばせようと言う気持ちがない人間にはいいフィクションは作れないということである。人を喜ばすためにつく嘘は自分を納得させるための真実よりも値打ちがあるということなのかもしれない。自分を納得させるために人に嘘をつくという行為はあってはならないが、嘘もつき方しだいでは人を幸せにする。明日からも僕はテレビというメディアで大衆が幸せになれるような嘘をつき続ける。そして人に対していい印象を与えるように、自分自身を演出し続けるに違いない。真実の僕は、ひがみっぽく、嫉妬深くて、短気で、独占欲が強く、あまりにもわがままだから・・・・
May 19, 2004
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春から夏へと季節が変わるとき、僕は毎年一定の期間、生活のリズムを変える事にしています。といっても規則正しい生活に戻せるわけはなく、ごく一般的に言うと酒を断つという行為を実行するだけです。お酒を飲まない人にとってはなんだそんなことかと思うようなことですが酒飲みの人間にとっては一大事です。酒飲みが酒を断つ理由の多くは肝臓のことを考えてのことですが僕の場合は少し違います。健康のためといえばそうなのですが、僕の場合は、アルコールよりもお酒を飲む習慣そのものを変えることが第一の目的となるのです。一年に一度、50日ほど僕には心をチューンナップする時期が必要になります。どうしてもその時間を作るためには、飲酒の時間を省くのが一番適当であり、ついでに体のためにもなるならそれに越したことはないという理由から6年前からそうすることに決めているのです。10年ほど前から、僕はある病気に悩まされていました。自律神経失調症・・・・・誰もがあまり口にしようとはしませんが、我々の業界はこういった類の持病を持っている人が意外と多いのです。感動や笑いを生み出そうとするあまり、僕達は必要以上にテンションを上げ、その状態を長時間持続させることも必要となります。また編集では同じ映像を繰り消し繰り返し何度も見るといった現実とは違う状況に自分を置くことがあります。人は時間の流れのなかでこそ精神状態はフラットに保てるものであり、時間を巻き戻したり、実際に体験した時間の流れを入れ替えたりするという作業を繰り返すと、頭の中は知らず知らずのうちに混乱してしまうのです。そこに徹夜が加わると神経そのものに大きな負担を与えることになります。実際、うつ病になる人もいれば、ADへの虐待というゆがんだ形で出る人もいます。その症状の出方は人によってそれぞれ違います。全員がそうなるわけではなく大半がそれに耐えうる神経を身に付けるかうまくコントロールする術を自分なりに見つけ出し、病にならずにすんでいますが、何人かは職業病としてこの病と闘いながら毎日を過ごしているのです。タレントで休業し、しばらく画面から姿を消す人はこういった理由であることが多いのも事実です。10年前から4年ほど僕の場合は自律神経失調症という形でそれが表に出ました。表に出たといっても、この病気ほど自分以外の人間に理解してもらいにくい病気はないのです。急に冬の寒い日に汗をびっしょりかいたり、急に息苦しくなったり、動悸が激しくなり死ぬのではないかという恐怖に襲われたり、夜に何度も金縛りにあったり・・・・でも病院で検査するとどこも悪くない・・・挙句の果てには、仮病扱いされたり・・・、神経科から心療内科、脳外科まで色んな病院で見てもらったのですが、自律神経失調症という診断を下されるだけで、これといって治療法があるわけでもありませんでした。悩んだ末に僕はある手段にたどり着いたのです。それが6年前から始めた心のチューンナップです。。どれぐらいの期間が必要なのかはいまだにはっきりとはしませんが、一人になり音楽を聴いたり、いいにおいをかいだり、瞑想をしたりする時間を持つ期間を設けています。この手法はたまたま自分に合ったのか、それからというもの一度も自律神経失調症の症状は出てはいません。一年を通じてそれが出来ればいいのかもしれませんがが、僕達の企画、アイデア、笑いのセンスは雑踏の中で生まれることが多いので、酒を飲み人と馬鹿なことを言って楽しむ時間をなくしてしまうことはそれはそれで問題なのです。。というより、それはもう僕自身ではなくなってしまいます。この期間を利用して昨年は筋力作りも行いました。今年も子供の日からお酒は呑んでいません。その時間はヒーリングに使っています。50日後には新しい服も買い、髪型も変えて心機一転また新鮮で柔軟になった心で仕事にも遊びにも全力を尽くすつもりです。普通はお酒を飲むことで人は癒されたり、ストレス解消をするものなのに・・・きっと僕のそもそもの生活と意識の持ち方がに問題があるのかもしれませんね・・・・
May 10, 2004
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休暇を利用して両親の移住先である岡山県の小さな島へ一泊した僕は、その帰りに、母から一冊の文集を手渡された、「引越しの時に押入れの奥からこんなもんが出てきてん」全く記憶の中からは消えていたものだったが、確かに僕が高校の頃に所属していたクラス、3年3組という記述、懐かしい担任の名前と、クラスメイトの名前が書かれているところをみるとこの中どこかには僕が20年前に書いた文章が載っているに違いなかった。かばんのチャックのついているポケットにその文集を突っ込み、僕は現実の世界である大阪へと向かった。岡山駅から新幹線でおよそ45分で新大阪駅に着く。その間を利用して僕は、全く記憶にない、20年前の自分の書いた文章を読むことにした。僕の将来・・・・どうやら文集のタイトルからみると、内容は高校三年の若者達がそれぞれの夢を綴ったもののようだった・・・なぜか胸が高鳴った、それは懐かしいものを振り返る時に起こる切ない感情とは少し違うような気がした。今、人生のほぼ半分をすでに生きてしまった僕にとって、18才のときの自分の夢というものは、場合のよっては自分の人生そのものが成功だったか失敗だったかを判定する材料にもなりかねない・・・・おそらく僕のことなので、無邪気な夢などを綴っているはずはない、きっと今の僕にメッセージを送るようなひねくれた文章を書いているに違いない。あきらかに胸の鼓動はそんな不安と緊張からくるものだった。若い頃の自分の挑戦を受けるべく、38歳の僕はおそるおそるそのページを開いた・・・~僕の将来~~夢というとおそらくたいていの高校生なら、まずは職業を示すだろうが、僕にとっての夢は職業ではない~思った通り、ひねくれた理屈っぽい18歳の僕が書きそうな意味ありげな書き出しでその文章は始まっていた。~職業はなんだってかまわない、ただ胸を張ってこれが僕の仕事だと言えればそれでいい。きっと家庭ではいい旦那や、いい父親ではないかもしれない~文章の途中で記憶はよみがえってきた。確かにこんなことを考えていたような気がする。自分の20年を振り返ると大まかにはその頃の夢はかなえているし、家庭でいい旦那でもいい父親でもないというかなわなくてもいいことまでその通りになってしまっている。その後の文章には具体的なライフスタイルについてが書かれていた。~一日の終わりはバーボン、お気に入りのレコードを聞きながら眠りにつく、愛車は時代遅れのフォルクスワーゲン、こだわりのインテリアに囲まれ、デザイナーズブランドの服装だけは譲れない~このあたりは全くもって実現は出来ていない。一日の終わりは芋焼酎、深夜番組を見ながら、眠りについているし、愛車は、8年前のトヨタRAV4だ服装はといえばリーバイスのジーンズにユニクロのTシャツにアメリカ村で見繕った6700円のジャケットを着て今、新幹線に乗っている。18歳の僕からの挑戦状の最後はこう締めくくられていた。~僕の将来はかっこよくありたい。それは僕なりの価値観の中でそうであればいいのであって、世間がそれをどう思おうが関係ない。ただ世間は普通ではないライフスタイルをきっと批判するだろう。その時に流されて自分を人に合わせていなければ僕の夢はかなったといっていいだろう。後悔しない道を僕は歩きたい~かなりひねくれた18歳の文章に苦笑いしながら、あやういところで何度も、夢にくじけそうになっていた自分が居たことを実感した。38歳の僕として、細かいライフスタイルに関しては違ってはいたものの根本的な部分ではまだ、なんとか面目は保つことは出来ていたようだ。社内アナウンスが新神戸への到着をつげた。いつの間にか降り出していた雨が港町の風景をより鮮やかに浮き立たせているように見えた。学生時代を過ごした神戸の町が僕を途中下車へと誘った。20年前の自分に出会って気づいたことは、今が成功でも失敗でもなく、まだ自分は夢の途中に居るということだった・・・震災後、神戸の街は学生時代とはすっかり変わっていて僕の知っているそこではなかったが、現実の世界に帰るまでのクッションとしての役割はしっかりと果たしてくれた。僕の将来はかっこよくありたい、それは自分の価値観の中でそうであればそれでいい・・・・20年変わっていない気持ちがあったこと、ただそれだけがとてもうれしかった僕は、雨の神戸の町を歩きながらその言葉を何度も噛み締めた。
May 9, 2004
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出張で近くに行った機会を利用して、両親の移住先である岡山県の小さな島、白石島に一泊することにした。2年の月日を経てすっかりと田舎のおじいちゃんになった親父の案内で僕は本当の田舎の風景を堪能していた。「まあ、自慢の畑だけは見ていってくれ」親父は、軽トラックの荷台に僕を乗せ、舗装されていない山へ続く道を走り出した。2分ほど走った海の見える高台にその畑はあった。土と肥料の混ざったにおいは不思議なことに都会生まれの都会育ちの僕に懐かしさを感じさせた・・・「これ・・ジャガイモの花やね」一度、ジャガイモ畑の取材をしたことのある僕は、知っている限りの知識で親父に話しかけた。「そう、あと一ヶ月くらいで、芋が取れる、もう少しや」うれしそうに語る親父がそこにいた・・・長靴と作業着が夕日に照らされた田舎の畑の風景に溶け込み僕の心に何かを伝えようとしていた。ジャガイモ畑の一段上ではイチゴが栽培されていた。親父は赤く実ったイチゴを一粒もぎ取り腰につけていたペットボトルの水で洗い僕に差し出した・・・・「むちゃくちゃ甘い!こんなん久しぶりに食べたわ」そういう僕に親父は満足げにこう答えた「去年は失敗やった・・・やっとええもんが出来るようになったんやで」失敗談を笑顔で話す親父は、やはり現役教師の頃の彼とはまったくの別人に思えた。別の畑からとった小さなたまねぎを3つだけ積んで軽トラックはおふくろの待つ家へと向かった・・・夕食に出たたまねぎは、オーブンで丸ごと焼かれただけのものだったが今まで食べたどのたまねぎより甘くてやわらかかった。久しぶりの親子の団欒は静かなものだった。どの季節にどんな作物が収穫できるのか、島の人がよそ者の自分達に対してどれだけ親切にしてくれたか、村の祭りに地元の人はどれだけ力を注ぐのか・・・・そんな話を一通り僕に話した親父は、9時になると早々と床に就いた。親父とおふくろと僕の三人で語り合った時間はほんの短い時間だったが、それで充分だった。何一つ僕の近況について尋ねることはなっかた両親だったが、それが何を意味しているのかは痛いほどわかった。会話の中で親父は何度も「終の棲家」という言葉を口にした人はそれぞれ人生の中で自分なりの花を咲かせる。その花は人に感動を与え、人を和ませ、癒し、楽しませる。花を咲かせるために、たくさん傷つき、人を傷つけてきたこともあったに違いない。どんなに大きな花も、華やかな花も間違いなく枯れていく時が来る。季節の終わりを感じた時、人は自分の一番美しい枯れ方を考え、終の棲家を探し始める・・・・そしてそこにたどり着かないと、人は本当に生きるべき人の形に気づかないものなのかもしれない。
May 5, 2004
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「息子のお前には、財産を残せないが理解してくれ、ボケたり体を壊さず、できるだけ面倒をかけずに最期を迎えるために考えた末の結論だ・・・・」その言葉を残し、両親は大阪の実家を二束三文の金額で売り払い、岡山県笠岡諸島の小さな島、白石島に移住した。2002年の春のことだ、今週、出張で近くに行く事になったので、急に思い立った僕はそのあとに休暇をとり、島を訪れる事にした。二年ぶりの親子の再会・・・便りがないのは元気な証拠と思いながらもかなりの心配はあった。都会の人間が田舎の生活に嫌気をさしていないか、島民に受け入れられずに寂しい思いをしているのではないか・・・頑固者の親父の事なので、例え辛い思いをしていたとしても、今さら、自分の選択が間違っていたとは言わないはず。我慢の生活を送っているのではないか・・・・笠岡のフェリー乗り場から、白石島行きは1日に4便しか出ていない、僕は14時40分発のフェリーに間に合うように、その港に着いた。おそらく、この休みを利用して里帰りをするであろう家族連れが二三組、フェリーを待っていた。無邪気に走り回る子供たちは田舎の港の風景にはよく似合う。フェリーに乗り込み、出発の時刻を確認するために、携帯電話を見た、14時35分の文字のヨコのアンテナ表示は圏外を示していた。この圏外の表示は不思議と時間の流れの速さを変えてくれるものだ、不安にはなるものの、その気持ちも数分で消え、安堵感が訪れる。少しうとうとしていた僕は汽笛で目を覚ました。船内のアナウンスが到着を告げ、45分ほどの短い船旅が終った。船から下りると、突堤だけの船着場が僕を迎えた・・・先ほどフェリー乗り場で見かけた家族を年老い夫婦が出迎えていた「おじいちゃん」と言う声とともに走りよる幼い子供・・・・その暖かい風景の向こう側には、以前より一回り小さくなった親父の姿があった。「今日は俺だけやねん」という第一声に、精一杯の笑顔を僕に投げかけながら何も言わずに親父は軽トラックのドアを開けた。「まだ時間あるから、島を見てから家に行こうか」長靴に畑仕事用のグレーの作業着を着た、親父はすっかりと田舎のおじいちゃんになっていた。親父は、7年前まで高校教師をしていた。あくまで生徒とのふれあいにこだわり、教頭になるための試験を受けず定年の日まで教壇に立っていた。毎年、卒業式の日には焼酎を飲みながら生徒の話をうれしそうに語っていた親父は、世間から見れば教師馬鹿の、不器用な男だ。そんな教師職人を生きてきた頑固者には全く理解できないであろう業界にあえて僕は進んだ。昔ながらの、子供の人生は親が決めると言うような考え方の親父にすれば僕はかなりの道楽息子であったに違いない。軽トラックの中から島の小さな学校、海水浴場、神社などを案内された。いやによそよそしいぎこちない言葉には、昔には考えられなかった僕への遠慮が感じられた。何より驚いたのは、道ですれ違う人たち一人一人に深々と頭を下げ、挨拶をする親父の姿だった。大阪にいたときは町内でも「先生」ではなく「○○さん」と呼ばれただけで機嫌が悪くなっていた親父からは想像も出来ないことだ。島を一通り回っても30分もかからない小さな島の観光は終わり退職金と大阪の家を売って建てたと言う家に案内された。大きなロッジ風の広い庭付きの家がそこにあった、お世辞にも立派な家とは言えないが、敷地の広さはたいしたものだ。車のエンジン音に気付いて、おふくろが玄関に出てきた。「いらっしゃい」その笑顔を見て、ここの生活が両親にとってストレスとなっていないということは言葉を聞くまでもなくわかった。沈む夕日にきらきらと反射する海面、そこに小さな漁船がシルエットとなりゆっくりと通過する。潮の香りを胸いっぱいに吸い込むと、連絡船の到着を知らせる汽笛が心地よく耳に届く。こんなゆっくりとした時間を過ごしたのは何年ぶりだろうか・・・都会育ちの僕にとって、観光地ではない田舎に来ると言う事は、全く新しい感動だった。遠くから親父の声がした。今から、晩御飯に使う野菜を畑に取りに行くから、一緒にこないかとの誘いだった。 つづく・・・・
May 4, 2004
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今僕は、温泉旅館を紹介する番組を担当しています。超豪華な旅館から、昔ながらのひなびた田舎までさまざまな旅館をインターネットや雑誌からピックアップし、電話取材をかけながら実際にテレビで撮影し放送する旅館を選び出す作業から仕事は始まります。最終的に判断する基準はなんといってもそこにあるバリューいわゆる「値打ち」というものです。これは旅館に限らず、料理店などテレビで取材をするに当たっては大事な判断基準です。高級だからテレビで取材すればみんなが興味を持つかといえばそうではありません。安くても値打ちがあれば人は興味を持ちます。むしろ、値段が高いものにそれ相応の値打ちをつけるほうが困難だともいえます。一泊十万円の旅館を取材するなら、一般大衆が「そりゃあ、それくらいはするだろうな」と思わせなければ、一瞬にして興味はうせるものです。創業400年も値打ちなら、昨年オープンしたばかりの新しいところもそれはそれで値打ちです。600千坪の敷地が値打ちなら、日本で一番高地に位置するというバリューもあります。女将が元ミス日本・・・そんな値打ちも興味を惹く物になるかもしれません。そこで食事に出る野菜はすべて自家栽培というのも魅力の一つでしょう。こういった取材を続けていると、色んなもののバリューについって考えさせられることがよくあります。自分の人間として、男としてのバリュー・・・結局、人は何かに興味を持ったり、近づいたり、する時には必ずそこに値打ちを感じるからこそそうするのではないかとも思えます。それは打算ではなく、本能的なものなのかも知れません。個性があってもそれが魅力的でなければそれは単なる変わり者・・・バリューには値しません。10万円払っても泊まりたい旅館があるように、自分の人生をかけてもつくしたい異性の相手がいるとすれば、それはその人にそれだけの値打ちを感じるからこそそうしたくなるのです。安くて簡単に泊まれるというのが値打ちの旅館があるように、気楽に付き合えるセックスフレンド、飲み友達もそこにバリューを感じるからこそそういう関係が成立するのだと思います。不倫というリスクを払ってでも付き合いたい異性関係・・値打ちがないことには成り立ちません。不思議なもので高級旅館が値段を下げれば予約が殺到するかといえばそうではないようです。当然、値段を落とすことによって質が落ち、その旅館が持つ値打ちがなくなってしまうそうなのです。高級には高級の、激安には激安、それぞれの値打ちがあってこそ魅力となるのです。恋愛もそうです。それぞれの支払う代償に見合った値打ちがあってこそいい恋愛だといえるのだと思います。自分自身、人間として自分のグレードに見合ったバリューを守り、興味を待ってもらえるような、流行る旅館のような人生を送りたと・・・つくづくそう思います。
May 1, 2004
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