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起業して3年もたつと厄介な問題がおきてくる私は個人事業主で10年ほどじっくりとしてから企業になったので「起業3年」「企業3年」の危機というものは感じなっかったが「3年目の浮気」ではないが「いろいろな方向に広がる可能性が見えてくる」のでチャンスの波が結構やってきて心地良いのであるが枝葉で見えてくるものは「オンリーワン」になれないものが多い私がしっているかぎり女性の起業家で成功している人は「自分独自の何か」をもっている人が多いこれが軸になり決断も早いし洞察力にも長けている発明なら最高だがそこまでいかなくても「自分にしかできない」と自分に信じ込ませ前に進む「錯覚の力」を継続できるような強い意志のある「軸物」を持つことが多分「大事」
2009.05.31
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世の中には「誰かが必要にしている」けれど「大きい市場ではできない」ものが山ほどある簡あ単に出来そうだが「作られていいないもの」がある自分が「あっつたらいいな」と思うものは他の何人かも「あったらいいな」と思うものであるその「何人」を探し出すのは、そう簡単なことではないが自分の身近に情報を流してみると「そんなもん」「こんなもの」と小馬鹿にする声の中に「ちょっといいかも」「うん、あったらいいかも」という声が必ず少数隠れているその人たちの様子をよく観察してみよう多分、わずかだが、自分に似たところがあるはずだその「わずか」の情報に「色」「素材」「プライス」「使い方」など自分の市場開発に必要な条件を織り込み話をしてみるとすくない人数でもある程度分析に役立つ情報が得られる今はネットがあるので検索をかければ、自分の進出しようとする市場の既存情報が得られる情報は自分の近くに情報は自分の視点にこれは「もしも」事業が軌道にのって大手の渦に巻き込まれるようなヒット作品になることがあってもこの視点をわすれないかぎり「大手」とは常に違う「開発」を継続することができるはずだもし、この「開発ができない」時がきたらそこで、すべては「終幕」なのだから
2009.05.31
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今日の午後の2時間は実に有意義だった一年後この人と仕事ができれば、と思う。最近思いがけない方向に仕事が動くことが継続していて「いやだなぁ~」と思っていたでも、これを上手にのりこえなくてなくては一皮むけないんだ、と自分を説得していた全部「すかっ」としましたもう大丈夫だある一定のところまでくると「迷う」ことがありますいい意味でも悪い意味でも「欲」しかも意外に気がつかないうちに「取り込まれていたりする」ものですそのまま進むのもいいかもしれないですそういうタイプの人もたくさんいると思います私は「立ち止まる」「軌道修正する」です自分の身の丈をいつも確認して進むのが「わたしらしい」からでも、それ、時々、周囲をイラつかせるようです
2009.05.29
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今私は大手4社とお付き合いをしているが、この企業の総計は230億くらいになる私たちの業界が特別に取引がゆるいということはないと思うので、営業をせずにどうしてこういう形になったのか、は未だに私自身が不思議なのだがただ、契約についてはかなり慎重にする大体大手は支払いスパンが長いので、これを「短期条件」特別扱いにしてもらうことだけは頑張ることにしている「主婦が起業する」には「支払いを必ずしてもらう」ことと「スパンを短くする」ことを心がけないと、いくら、いいものをもっていても、厳しいことになる書類の読み方は面倒でも、最初にきちんと覚えることが必要かもしれない契約に踊ると、あとで、とんでもない落とし穴があることも!!
2009.05.28
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「既存の流行にのらない」人形服の市場が特殊とはいっても「ディーラー」と呼ばれる人たちは1000人以上います国内50000人市場で1000人のディーラーというのは、実は販売競争激化市場です服の作り手は圧倒的に女性が多くいわゆる「ドールドレス」というファッション系の分野には主婦がたくさんいますイベントともなると続々とそういう主婦が会場にブースを構えますその中で私が企業として経営を成立させ存続させることができたのは大手の企業と契約関係にあるから、というよりも「制服・コスチューム」に「特化」したからでしょう「基本的な制服・コスチューム」を安定した品質と価格で供給する、ことに特化しました私は「デザイナーではなくプランナーだ」とうちのデザインを受け持つ人間に言いきかせています実は制服は細かい技術の高さが要求されるわりに、価格は高いものではありませんまた素材の変化や色柄の変化があまりないので淡々とした作業ですだから多くの作り手はあきてしまうのですしかしお客様側は「飽きない」のです必ずひとつは手元におきたくなるセーラー服・ブレザー服・体操着・白衣・ナース服・スクール水着この6種類でも全体の市場を考えると非常に大きな数になりますこの特化していることが大手メーカさんへの「看板」になりますついつい「時流」や「人気情報」に気持ちが流れやすいのが商売の常ですが「人気のある市場」を「後追い」するような「人」は「起業にはむかない」と私は思いますもちろん人に共鳴していただかなくては売れませんが地味でもどこかで、だれかが、常に、必要にしている「いつも後回しにされている必要なもの」こういう「ニッチ」な市場で「利便性のあるもの」を探し出すことしか成功の道はないと思いますこれは商品だけではありません技術やアイデアでも同じだと思いますそしてその発見が「ひとりよがり」ではなく本当に「成長の才能のある発見」であることをコンテストで確認したり無料でもいいので口コミでテストしたりそういう努力で裏付けをとる期間が必要ですローマは一日にしてならず、です自給「800円」とか自給「数千円」とか簡単に考えてはいけませんまず「自分自身の才能が金銭的評価を受ける価値があるかどうか」「頂戴する金額と等価交換もしくは付加価値をつけて相手の満足に値するか」主婦が「家庭経営」つまり「家事や育児」というかなりの重労働をこなして、さらに「仕事をもちたい」と思うなら、の覚悟です「ニッチ」はそう簡単にはみつかりません
2009.05.28
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今でこそ常時60人以上、マックスで100人ほどの在宅技術者をまとめることができるようになったが、「マニュファクチュリエ」を考え付くきっかけは、起業4年目の手痛い経験のたまものだ仕事が順調にのび、企業さんからお仕事を依頼されるようになったころ、どうしても技術者の拡大を図る必要に迫られて、数人の人と組むことになった最初からなんとなく空中分解するような不安を抱えて、それでも、とにかく目の前の依頼仕事をこなさなくてはならない、と、組織をして、仕事をこなしていた企業仕事は自分なり信頼のおけるメンバー構成にしたと、いうのは、安定はしているが利益のすくない仕事で、これを引き受けてくれる人は、私の「仕事への情熱」に賛同してくれる人しか難しかった(このメンバーは今でも10人全員のこり、私を支える技術スタッフである)自宅ショップは数量も少なくてもかまわないし、納期があるわけでもないここの仕事を5人のメンバー構成でまわしたのだが、このリーダーをしていた人が1年後にこの5人と顧客をつれて独立することになるま、簡単にいえば「市場を取られる」というわけだ「昼ランチ」を通じて話しはかたまったらしい独立して3ヶ月でそのメンバーは空中分解してしまうのだが。あとでそのうちの一人がいろいろな話をしてきたがあまりのあることないことにあきれてしまうほど、、、ま、その人そのものもどこまで本当かわかりませんが「昼ランチ」が嫌いな私は「昼ランチ」にあなどられたわけですね「手つくり子供服」を削除して「人形服」に仕事をしぼりこむきっかけでしたさすがに、80%以上の顧客をもっていかれたときは腹たちましたがどこかでそういうことがあるだろう、とおもっていたせいか、自分の間抜けさにおかしくもありました私の人間性の問題といえばそうかもしれないので、仲間と起業されるかたへの警告にもなりませんが、もし、女性同士で起業するなら、よほど、お互いを補完できる関係で、しかも、かなり男性的な距離感を持てるものどおしでないと辛いかもしれないです今でもそうですが事業をしていると誤解をうけても話してはいけない問題にぶつかることがあります他所でびっくりするような噂話になっているケースもありますかなり神経が図太くても事実はまったく違っていてもどこにどう説明のもちようもないことがあると、へこみますでも、へこんではいけませんそのへこみが「火のない噂を作られた事実の大火事」にしてしまうから主婦の場合は近所から厳しい目を向けられることがありますでも、「起業」するなら「経営者」になるなら、それも試練です「起業」から「企業」になって、今その当時のことを思うとき、自分はとてつもなく間抜けていたけれど、その経験が早い時期であったこと、と今の「人形服」にしぼり込むことができたことと「情報交換と友達関係の違い」を組織には組み込まねばならない、ことを経験できて良かった、と思うのですね今も残るスタッフのひとりがこんなことを言いました「あの時は裏切られて悔しいって思ったでしょう?でも、笑ってたよね。あのとき、あなたは経営者になるんだ、と思った」私は本当に裏切られたのだろうか、、、この経験は「本物だけを見極めるため」の「経験」だったのではないだろうかでも、正直、今だから、いいます!!「馬鹿野郎!!」笑。
2009.05.27
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技術の不足は道具で補う、といわんばかりにミシンを3台購入してしまった(ここまでは自分の貯金だしね)しかし、特にデザインセンスがあるわけでもなく普通に品物を作っても面白いものができるわけではない実は子供を生んで15キロ増えた体重のおかげで私のたんすにはきることのできない山のような独身時代の服の山ブランド服とはいえフリマやリサイクルショップではたかがしれているしかもピンクハウスやラルフローレンの可愛い系の服などプリントにくせがあるから売りにくいのですで、リメイクをはじめました型紙をあててボタンなどのあきの部分はできるだけ生かして失敗しても、売れなくても、娘のものを作るつもりなら、ぜんぜん怖くない端材料でおそろいのエプロンや小物をつくるこれがとにかく楽しいのだ2週間に一度のフリーマーケットにだすためにとにかく、ひたすら、作るところが、これ、うけました「面白い服や小物を作る」でうけ顧客がついたたんすの中の在庫がなくなるころにはミシンの代金がでたばかりかみかんの箱3個分の布や材料をてにいれていたお金がないからはじめられない、ということはない、と自信がついたのはこの頃からだ
2009.05.26
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18歳の娘は時間があると私の仕事を手伝ってくれる家事もかなりの部分分担してくれる学校のことや友達のことやファッションのことやオタクはなしをしながら娘と仕事をしている時間は至福で、この15年以上結構頑張った自分への何よりの報酬だと思う針やミシンを使う仕事なので娘が小さいころはとても気を使ったしかし一度も彼女がそういうもので事件をおこしたことはないそれは彼女がそういうものに興味をもったときに彼女をひざの上にのせて時々は私自身の手に針をさしてでも危険を教えたまた時々はきったパーツを彼女があちこちにしてしまうことがあったがそういうときはパズルを探すように根気よく一緒にパーツを元に差し戻したアイロンに興味をもったときにも長い時間布にアイロンをあてて焦がすことでやけどの怖さを教えた仕事場が家の中にある以上小さい子のもたらす煩雑は当然のことでこれに関して子供がなんらかのトラブルの原因でも声を荒げるというのは私には考えられなかったと、いうのは、彼女も、仕事をしている間は母親を自分のほうにむけておくことはできないわけで、それは小さい子にとって、「子供の時間」の大事な部分を母親が他のことに目をむけているにほかならないからだ私は自分がかぎっ子だったので実は結構子供のころ風邪とかで一人家にいるのが寂しいと思っていた私の母親は編み物の先生をしていたので土日をのぞくと夕方まで家にいない小学校の低学年ですでに「おかまでご飯をたき味噌汁をつくりぬかみそをかきまぜる」そんな子供だったそのせいか、とにかく、仕事はしても、子供の近くにいる形を義務教育終了まではとるそう決めていた「働く母親」を子供にきちんと理解してもらうのは「お金」ではだめどういう方法が正しいかはわからない私はとにかく彼女が遊びたいときには彼女を優先することにした外遊びや小さいビニールプールや絵本など大好きなのでよく遊んだ、、、そのあとは2時間はお昼ねをするその間に仕事を。3歳をすぎて幼稚園にいくようになるとともだちが遊びにこないときはひとり遊びを私の近くでするようになった私のミシンのしまう音がしはじめると「お仕事おわった?」とひざにまとわりつく(「かわいい!!」)すこしでも早く終わるようにと布をしまうことまで覚えるようになるいつかは外での販売や事業所などを持つこともあるかもしれない、と夢みていたのでそんなことを小さい娘にわかるかどうかもわからないのに話してみることもあったそんなとき彼女はいつも「お店やさん、一緒にいてもいい?」ときいた彼女の小さな胸の大きな我慢に申し訳なさといとおしさがこみ上げる「ありがとうね。お仕事してもいい?」「うん、いいよ。お仕事してるおかぁさん、大好き」この数ヶ月本当に忙しく新しいことの連続でとてもこなしきれない、とおもった時期があるでも、家に戻ると18歳になった娘が小さいころと同じように「自分の大事な仕事だけやればいいじゃない。おかぁさんなら大丈夫だよ」と肩をたたいてくれる多分、家事や育児でも同じだと思う家事や育児は「家庭経営」だと思う
2009.05.24
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「理解」までいかなくても「折り合い」はつけましょう私が一番きついとかんじたのは娘が2歳の終わりでした「働く母」を娘に理解させるために娘との日常にはいろいろ工夫をしていたので「おかぁさんのお仕事の時間」のあり方を娘は小さいながらきちんと理解していましたそういう意味では今でもとても協力的ですしかしデパート出展の1週間は10時から6時までで通勤前後に1時間。お昼ねも必要な時期です最初の一日はデパート近くの保育園にあずけましたがお迎えにいったときに娘の「涙を我慢する顔」に「自分が情けなくなり」翌日からはデパートについていけるベビーシッターさんをおねがいしましたたまたまこのかたがとても理解のある人で私の変わりに2時間程度店で接客もしてくれたので娘のお昼ねもさせてやることができました確かに売り上げからシッターさんの金額をひくと交通費とお昼代くらいしかでない日もありましたがデパートからもどり食事をして娘を寝かせてから売り上げの計算をして翌日におぎなう売れた商品の手配をして寝るのは1時まわりますが多分創業期というのはこれが普通だと思いますこれで学んだことですが「母親が起業するには子供にもその覚悟を教育する必要がある」(愛情教育)「外に販売を求めると経費がかかる」(販路拡大)「売り上げと経費のバランスの見方」この当時はニットの子供服と子供のキャラクターエプロンと手つくりのニットのパンツ(おばちゃんサイズ)の販売をしていたのですが子供服500円~800円エプロン1000円パンツ350円毎週日曜日のフリーマーケットには開店前から人の山ができて2時間程度で5万円強くらいの売り上げがありましたこれをたまたま見たデパートのかたが出展の声をかけてくださいましたデパートへの出展は次の自宅玄関先ショップへのつながりになるのですが、それはまた、とデパート出展のときにはそれまで毎晩の追加商品制作には「適当」でしたがデパートで棚を空にしておくとフロアー担当さんから叱られるので計画的に売れ筋を追加する段取りと「完売」という時間稼ぎで販促をすることを知りました実はうちの娘は私のつくるものをきていたのでデパートにいるときは彼女がマネキンさんでした実物があることで安心してお客様が購入できたようですおばちゃんパンツは口コミでひろがりました結果、このデパートでの1週間の売り上げはいつもの倍ちかくありワゴンひとつのツボ効率でフロアートップをいただきましたこの結果ちかくの手つくりをするグループに声をかけていただき他の場所で開催する手つくり店に娘同伴で参加とか売り上げから3割で代理で店をみていただくとかそういう実地訓練に移行することになりました売り上げに対する利益はまだまだ情けなく起業したい、という思いにいたるでもなくただただ「自分のつくるものを喜んでくださるお客様がいる」ことへの喜びと感謝と期待にこたえい、という勘違いの向上心と、、、そんなものが「元気」の源でしかない時代でしたでも、この頑張りのやる気と娘のいじらしい協力がその時点では「反対」の私の実家の両親(今は父だけですが、一番の応援者です)「趣味程度」と思っていた「主人」が「ホンキモード」になりその展開は「自宅ショップ」への道になりますこの期間に1年半くらいでしょうか「理解する」ことを求めるのは簡単ではないですが「折り合いをつける」努力は大事だと、このときに初めて思いましたと、いうのは、私は「自分の考えたことはすぐに、どうしても、実行に移したい」人間です「わがまま」なのですだから「折り合う」という言葉がそれまでの自分にはなかったきがしますしかし子供との毎日のなかで「かわいい」というすべてが「自分の妥協」と思う部分さえも「納得」に変えていくことに気がつきそれでも「仕事をしたい」自分をまげることができない事実のなかで前向きな葛藤がはじまりました
2009.05.24
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発明品などを除く商品販売の場合ですが。「プレゼントしていつもすごく喜ばれるから、販売もできる」「ただ」と「お金をはらう」では異なります手間をかけてもその手間分の評価を受けることができるかどうか、これも、大事ですお仕事掲示板に申し込むかたで「7万~10万くらいはほしい」とか「自給900円くらいはほしい」とかいうかたがいます私はこういう場合この金額を入手するための目安をご説明します親切心からではありません中途半端な気持ちでは在宅の仕事は勤まらず、うちの大事な仕事をお任せする人になるので在宅は通勤時間がないことや家の中でやる分外勤でかかかる手間がないのですから外勤パートの3割減の自給がとれたら最高だとおもってください(始めのころは3割程度でも仕方ありません)よく「時間がかかること」を強調する人がいますがそれはマイナスの印象を与えます「段取りの悪さ」の強調になるからです私は子供がうまれてすぐの頃、近所の内職のまとめをしてた人にたのまれて「フェルトのマスコット」を作る仕事をしました子供のねているときにやるのですがすごくたのしかったです確か100個で100円くらいでしたがどれだけ綺麗に早くつくれるか、と自分で目の前に時計をおいて自分と競争しました1週間と頼まれれば2日でしあげ、次の仕事をもらうお金よりも仕事が変化するのがとにかく楽しかった1年半やりましたそのかたがお引越ししたあと内職センターから直接のまれたのですが車も運転できないのでその場所にいくことができないし、で内職をやめましたでも、その一年半で「働くこと」が「自分の実績」という手ごたえを感じて「やはり仕事をしたい」と強く思いました多分今在宅を中心に縫製の事業部を組み立てるという考えの基盤ですそういうわけで在宅就労の意識に大しては他よりもやや厳しい定義をもっています横道にそれました手つくりの商品で起業を希望される場合「作品」と「商品」は購入側の受け取方が違いますこのあたりで「自分の制作したもの」をどこまで客観的に評価できるか、は大切です。
2009.05.23
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起業~企業への15年目に突入:「主婦」の「起業」について考えてみることにした。これから「起業」してみたい、とか「お店」をもちたい、とかそういうかたにお役にたてば幸いである。「なぜ、起業したのか」普通免許なし特別な資格なしエクセルなど使えない子供が小さく病弱とても不便な山の上に住んでいた「家庭の仕事以外の自分の仕事場がほしかった」好きなことは「社会経済政治の本を読むこと」・布に触ること・ビジネスプランを夢見ることしかし、わずかな貯金しか資金はなし人と協調できないわけではないが、自分の尊敬できない人に話を合わせることができない、という典型的自己主張型の性格毎日規則正しく時間を守って働く当たり前のことが実行できそうにない「責任感と忍耐力と実行力だけはかなり強い」自分のやろう、と決めたことは時間に関係なく最後までやり遂げる熱意がある以上から「起業」して「経営」をする以外「方法がない」と結論したからだ。
2009.05.23
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お仕事掲示板「マニュファクチュリエ」を始めて2年目に入るが、登録人数が急激に増えたアップする仕事は瞬く間に完売状態になる安定した上級リピーターも増え北海道から沖縄まで「仕事」を宅配する納期も十分に取るので大体は問題ないのだが納期ぎりぎりで延長を申し出る人の多くが「子供の体調が悪い」というのが、私にはとても残念に思えるのだ言い訳でそういっているとか、そういうことではない。そういう不慮の問題が起こることは想定のうえで仕事の段取りはつけているので不測の事態に考慮するのは当然だと思っているがその時点でどの程度できているのか、もしくは、しあがり分までで納期納品を依頼するとほとんどできていないケースが、、、、つまりその時点で「言い訳」になっているのが「子供の不測の事態」なのだこれは、駄目、です。「子供」をそういう風に「自分の段取りのできない言い訳にしてはいけない」です。私も子供が2才のときに起業した在宅就労出身なので、これだけははっきりといいたい。「仕事のできない言い訳に子供をもちだすような母親は在宅でも在宅でなくても仕事しないほうがいい」です。本当に「子供の不測の事態」でもなんとか頑張る母親仕事人がたくさんいます。そういう人たちの迷惑になるのです。子供にいいませんか?「責任をもちなさい」「言い訳はやめなさい」「さっさとやりなさい」「約束を守りなさい」「頑張りなさい」それは子供にあてはまるだけではありません。「仕事をしてお金を手にする」とは厳しいことなのです。甘えてはいけません。
2009.05.20
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うちには「事務職」のスペシャリストの40代の女性がいる。彼女はとにかく「果敢」に仕事に向かう、女戦士のようだ。彼女が働かなくてはならない理由は「仕事をしていること」が自然だから、なのだと思う。主婦であり、母親であり、仕事をする女性であるには、大変な時期もあったようで、派遣を長いあいだ経験し、いろいろなスキルをみにつけたようだ。このところ忙しくて、彼女と仕事の打ち合わせ以外で話をする時間がなかったが土曜日の今日は久しぶりに午前中で仕事をきりあげられたので土曜日の当番出社の彼女と10分くらい雑談をしていた。内容は、私のこの話から、、、「運転免許もないし、エクセルのスキルもないし、私はさぁ、自分で今の事業をおこさなかったら、今ごろどこにも勤め先なんかなかったかもな~と思うときがあるのよね。」彼女が「今回の治療のときも仕事がなかったらがんばれなかった、と思う」(インターフェロンをうけたのですが)二人で「仕事のない人生なんてかんがえられないよねぇ。」よく男性が「仕事が命」なんていいますが女性もそういうことあるのですよね。このところ本当に忙しくて、ほとんど休みなしですが以前より生きることが楽になった気がします。
2009.05.09
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連休はイベントをはさんで2泊3日で東京に。ビジネスホテルを利用するのだがネット申し込みは連休でもびっくりするほど安い。さて今回二つのチェーン店を利用した。全く正反対のホテルマンに出会った。ひとりは「表情ひとつかえない冷静でクール」ひとりは「非常に笑顔や言葉に感情のある」ところが、このどちらもがとても気持ちのいいものだった。正しい教育をうけ自分の職業や仕事に責任と自信を持つ人間の「仕事」とはこういうものか!!勉強になる2日間だった。
2009.05.06
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忌野清志郎時代がひとつ閉じた名前どおりのかっこいい男最後まで大人であり、最後まで大人げない「人間」そのもの「時代」そのものだった「とんがる」という言葉の意味を正しく伝道できるロックンローラー「優しさ」と「ルール」の人だった「癌」を治すのは無理だよな、、と彼の病気のことを知ったときに多くの清志郎ファンは感じていたのではないだろうか彼は「癌」ときちんと向き合うだろうが最後は「音楽」と「うたうこと」を優先するだろうから彼は自分よりも「人」を大事にするからそれは、彼が「時代」の使命をうけてそこに存在することを自覚していたから悲しくて、胸がつぶれそうだ、、、でも、私もしばらくしたら同じ場所いいくのだから人はいつか同じ場所にいくのだから
2009.05.04
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