星とカワセミ好きのブログ

2018.03.18
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カテゴリ: 国内旅行(九州)
軍艦島(端島)に上陸しました。
2001年に三菱マテリアル株式会社から長崎市に島の所有が移り、今は市が許可した見学通路しか通ることができません。
軍艦島は1974年1月15日に閉山し、同年4月20日に全ての住民が島から離れました。身の回りのものしか持ち出すことができず、部屋にある生活用品、家電製品はそのまま置いて行かざるを得なかったそうです。部屋には当時の物が置いたままになっています。
坑内での事故に巻き込まれないよう、家族はいつも心配していたそうです。隣の家の音や声も良く聞こえ、トイレで出した物が下水管を通ってアパートの下まで落ちるのですが、その音も筒抜けだったそうです。プライベートはあまりないものの、共同生活をしている分、人間関係はとても強かったという話を聞きました。
今後、見学コースが拡張される可能性もあり、その時はまた行きたいと思います。


↑ 船が軍艦島のドルフィン桟橋に接岸し、皆が島に上陸した。

↑護岸の石積みは、「天川(あまかわ)の護岸」と呼ばれ、石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を使った石積みになっている。 

↑ 赤いレンガの建物は、総合事務所跡。

↑ 事務所跡の中には、共同浴場があった。炭鉱作業者は真っ黒になった体を、海水の風呂で綺麗にし、最後は別に造られた真水の風呂に入って出たとの事。



↑ 第二竪坑桟橋跡。ほとんど建物が崩壊しているが、ここには巨大な鉄の櫓(やぐら)が建っており、巨大な滑車が設置され、巻き付けたワイヤーロープで作業員を載せたケージが昇降していた。

↑ 石炭の採掘がされていた頃は、24時間操業で島全体が不夜城の状態だったので、燈台は無かった。閉山後に島に光が無くなったので、船舶航行用に燈台が設置された。

↑ 会議室、鍛治工場。

↑ 見学ルートが決まっており、島の南東部分だけが認められている。

↑ 左は仕上工場跡。その横は1916年(大正5年)に建てられた30号棟。

↑ 30号棟は鉱員住宅で、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパート。

↑ 植物が生えている。

↑ 劣化が激しい。

↑ 台風の影響が大きく、窓も壊れたまま。

↑ 右は30号棟、真ん中は26号棟、左は31号棟。

↑ 天川の石積み。





↑ 奥は端島小中学校。左は65号棟。

↑ 学校の窓。

↑ 1958年(昭和33年)にできたこの小中学校は、5階と7階が中学校、6階は講堂、図書館、音楽室。4階から下は小学校。1970年(昭和45年)には体育館や給食施設も新設された。給食を運ぶエレベーターもあった。
右側にある連続した支柱枠は、石炭を貯炭場に運ぶためのベルトコンベアーの支柱。

↑ 端島小中学校を東側から撮影。



↑ アパートの階段。

↑ 各棟を結ぶ渡り廊下が沢山造られており、一階まで下りなくても良い。

端島神社の鳥居と祠。

↑ 土地が無いので、9階建てのアパートの屋上に幼稚園が造られた。ウォータースライダー付の滑り台がある。最盛期は200人近い幼稚園児がいたとの事。

↑ 人が住まなくなり、植物が生きている。





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最終更新日  2018.03.19 06:55:14
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