星とカワセミ好きのブログ

2023.05.24
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カテゴリ: 河合奈保子さん
奈保子さんですが、1981年10月5日、NHKホールの小ゼリから転落し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されました。退院後に休養し、1981年11月30日に「夜のヒットスタジオ」でTV番組復帰されました。

1981年12月13日、「秀樹の弟・妹コンテスト」が東京・九段会館で行われ、河合奈保子さんはゲスト審査員として出場されました。コンサートは石川秀美さんが優勝しました。

秀樹の弟・妹コンテストの後、午後6時から、河合奈保子さんの復帰後初のステージが始まりました。
「奈保子しんぶん Vol.6 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」に、ステージの詳細が記事になっているので、一部を紹介します。

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復帰後初のステージということに、オーディションの熱気が加わり、奈保子はいつになく緊張気味。
「まだ無理が出来ないので、マキシムさんたちに助けてもらいながらがんばります」
そう言い残しステージに飛び出して行った。

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ショッキングピンクのサロペットという、私服で登場だ。ステージ中央にセットされたイスに腰かけ、ノートを開く奈保子。入院中にせつせつと綴っていた日記を読みながら、その想いを歌にたくしていくという設定だ。

「10月10日晴れ。今まで泣いてばかりいたけど、たくさんの方から激励のお手紙をいただいて、本当にうれしかった。でもTVを見るのはやっぱりつらい。まるで別世界のように感じてしまう・・・。早く元気になって歌いたい・・・」
「奈保子のまわりには家族のみんながいる。わざわざ仕事を休んで、おとうさんまで来てくれている・・・。悪いな・・・って思う。おばあちゃんが『お嫁さんに行けなくなっちゃうんじゃないかと思ったよ・・・」なんて言った。バカだな・・・おばあちゃんたら・・・。奈保子はまだ・・・18・・・なのに・・・」
声を震わせて「秋桜」を歌う。奈保子が泣いている・・・。奈保子のケガはみんなが心配した・・・。でもいちばん、この世の中でいちばん心配したのは、奈保子の家族他ならないのだ。家族を思って一生懸命「秋桜」を歌った奈保子・・・。

「10月30日、今日は待ちに待ったお好み焼きとタコ焼きを、おかあさんが持ってきてくれた。おいしい・・・」
奈保子の大好きなイルカの「あの頃の僕は」そして「あの素晴らしい愛をもう一度」「心もよう」が続く。スポットはただ一点。奈保子だけにあたり、しっとりとやさしい。時折スポットを見上げる奈保子。眩しいばかりの照明も、この日は太陽よりも輝かしく奈保子に映ったことだろう。

「11月24日、うれしい知らせ・・・。奈保子が紅白歌合戦で歌うことが決まった」
それまで水を打ったような静けさだった会場が大歓声。
「ケガをした日、神様は奈保子に翼をくれたのかもしれません。だってこんなに早く良くなったんだもの」そう、そしてその翼は天使の翼よりきれいなものなんだ。
「翼をください」では会場全体の大合唱となった。感激で声もとぎれがちな奈保子を、みんなで盛り上げて1部は終了した。

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ヒット曲メドレー。
イスに座りっぱなしの1部とはうって変わって、2部はまっ白なステージ衣装でいつもの奈保子のステージだ。デビュー曲から「ラブレター」まで、汗と涙で顔をくしゃくしゃにして歌ってくれた奈保子。今日は奈保子の体を考えてアンコールはなし。しかし奈保子はとめるスタッフを振りきってステージに登場してくれた。
「ごめんね。奈保子あんまり長い間立ってられないんです。みんなとお別れするのつらいけど、また会えるもんね!カナリーコンサートで会えるもんね!そのときもっともっと歌うからね!」
奈保子に見送られて会場を出てゆくファンの人たち。「バイバイ!」なんて、まるで友達にさよならするみたいに手を振ってくれた奈保子・

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1981年12月13日の記事より。
















↓ 1981年12月13日、秀樹の弟・妹コンテストで石川秀美さんが優勝。
西城秀樹さん、石川秀美さん、河合奈保子さん。





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最終更新日  2023.05.30 06:01:42
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