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記憶術ってのがある。巷じゃ受験やら競争社会やら他人を出し抜いて勝ち残るための術のひとつとして取り上げられ、本やら雑誌やら特集記事やらのテーマとして繰り返し繰り返し扱われ、もはや手垢だらけを通り越して瓦解寸前であるように思うのだが、それでも皆さんやっきになって記憶する事にしがみつく。しかし思うのだが、記憶できないって事は記憶するに及ばない程度の意味しかないのではないだろうか。つまり、記憶する必要のないものだから記憶しない(できない)のではなかろうと、そういうことである。本質的に本能的に潜在的に自分にとって必要のあるものなら大して努力も尽力も必要なしに簡単に記憶出来るのだが、そうでないものは記憶に留まらぬよう脳が記憶中枢に制動をかけてしまうと私は体験的に推察及び理解をしている。ま、それがあってるか間違ってるかそんなことはどうでもいいのだが、旅を終えて不思議に感ずるのは、記憶に残る人と残らぬ人がいて、その差異が何に所以するのかさっぱりわからぬのである。例えば写真の男性はパキスタンとの国境近くにあるイラン東部の町ザーダンで帽子屋を営んでいて、彼と私が同じ空間にいたのはほんの20分間かそこらのもんで、一緒に飯を食ったわけでもなければ腹を割り己の人生を語り合ったわけでもない。行きがかり的に私の買物につきあってくれ、私が別の店で欲しがった民族衣装の値引き交渉を手伝ってくれたから「記念に一枚どう?」みたいな流れでの撮影。ありがとう。お元気で。ってな実に簡潔で短いお付き合いにすぎなかったのであるが、何故だか彼は私の記憶から消えないのだ。理由は全然わからない。思い当たるふしもない。でも彼は旅の記憶として勝手に深く刻まれ、このあとの私の人生が何十年か何年なのかわからぬが多分彼はずうっと記憶の中に留まり続けるだろう。七ヶ月間に及んだ旅の、その中のほんの20分間の付き合いであったのに。前世がどうとか、運命がどうとかそういう説明は愚劣なので絶対にしないし、よくわからぬ事象を理解解釈説明しようとして不明瞭極まりない前世とか運命という屁理屈を持ち出すのは愚劣であるばかりでなく、ご都合主義的で、まるで後出しジャンケンであるから論外だ。見えないものがあってもいい。不思議なことをひとつ説明や解明したからってそれで人類のありようが変るわけでもないし、記憶術もまた然りである。脳が記憶することを回避拒絶しようとしているものを無理矢理覚えたところでそんなものは己の足を引っ張りこそすれども決して魂の安寧へと導いてくれるわけではない。周りを見渡せばそれはあきらかだろう。己の外から求められるものに必死に応じ、後付の理屈に振り回され、自分で自分の身体に鞭を打った挙句に待ってるものが何であるか皆うすうす解っている筈である。内なる声に耳を傾けないと早晩我々は己に裏切られるぞ。写真を見るたび彼は私にそう耳打ちするのだ。
2008.05.30
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世界はぶっ飛んでいる。旅のあいだ毎日のようにそんなことを口走っていた気がする。写真のように突如、町の中を駱駝の一頭立ての馬車が走ってくる。いやいや。駱駝の馬車とは漢字的におかしいから言うならば駱駝車とするべきか。しかし駱駝車は駱駝車でそんな言葉は一度も聞いたことがなくてイマイチ使う気にならないし、なんと表すべきか悩むところであるし考えたり調べたりするのも面倒なのでここでは駱駝の馬車で行かせていただく。で、駱駝の馬車が雨の通りを駆け抜けるし、乗ったバスがカラシニコフを持った強盗からジャックされるし、一宿一飯の恩を受けたと思いきやバスポートを巻き上げられて金出せと凄まれるし、極貧のオレンジ売りの少年から昼食に招かれるし、あちこちで爆弾だの襲撃だのゲリラ&テロ活動が目の前で起こるし、インド人の本妻とネパール人の愛人が血みどろの死闘を白昼繰り広げるし、切符一枚買うのに駅の窓口で中国人集団や人民解放軍兵士と死闘を繰り広げなければならないし、乗った列車は予告もアナウンスもないままに荒野の真ん中で半日も動かないし、でも笑っちゃうくらい誰も騒がないし、国境を越えるたびに検閲官が賄賂だの物品だの要求してくるし、絵を描いたら皆が喜んでくれるし、毎日毎日飽きもせずハプニングやら事件やら変な連中やら素敵な人やら次々と現れては消えて行くのである。私にとってそれはまさしくぶっ飛んだ世界だった。それまで29年間知らないでいた世界がそこにはあり、理解しがたい事象や人物が蠢いている。でもそれは非現実でも空想世界でもなく見紛うことなき現実、リアルだったから私は驚く。驚愕する。ぶっ飛んだのである。ぶっ飛んだくらいだからそれら全ては記憶の皺に深く刻まれているが、ことさらに強い印象を残したのは夕暮れに聞いたアッザーンの音である。アッザーンとはイスラム教の礼拝の呼びかけをさすが、それはいずれの国でもアラビア語でなされ、韻を踏んだ歌唱の如き男の声である。ある日の夕暮れ時。私は体調思わしくなく宿のベッドで一人横になりながらそれを聞いた。日が傾いた遠く町外れから聞こえてくるアッザーンはゆるやかな反響を帯びてひどく幻想的だった。陶酔するのに時間はそうかからなかった。つかの間、私は今自分が世界の何処にいて何をしているのかを忘れ、ベッドの横に開いた窓から見えるイスラムの町の景色はSF映画さながら。私は知らぬ間に無限の彼方の宇宙を回る見知らぬ星へと来てしまったのではないかとさえ思った。そう。まさしくぶっ飛んだのだ。
2008.05.28
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我々は新しいものが好きである。好きなだけじゃなく大抵は新しいものは善とさえ言い切り誰憚らない。科学。医療。製造業。芸術。音楽。ま、なんでもいいが大抵のカテゴリーでは新しいもの=斬新=素晴らしいみたいな評価となる傾向があるようだ。以前も私はビートルズが良いと思えないと書いたことがあったが、実はマイルス・デイビスも同様で、ジャズ界では確固たる地位を築いているマイルスではあるが、やはり私の音楽的評価はそう高くなかったりする。とは言ってもビバップ、ハードバップを経てモードジャズの地平を切り開くあたりまでは、まさしく天才的だし楽曲も演奏も先駆的であるだけでなく単純に素晴らしくかっこいいし大好きなのであるが、更なる斬新へとフリーブローをやり出したあたりで私の中では一気に終わってしまったミュージシャンなのである。勿論、音楽的に思想的に芸術的に様々な評価があるのは知っている。なにより彼がいなかったら少々ドメスティックな日本のジャズ界は存在しなかっただろうし、私の好きな日野テルや多田誠司も生まれなかったかも知れない。それら多岐に渡る影響や展開や成果を踏まえても尚、後期マイルスのつまらない演奏と楽曲の背景にはクスリで始終ラリってる影響があると断じざるを得ないし、そのような晩年を迎えるに至る過程には『新しいもの』と言う名の強迫観念に駆られ、押し潰されそうになる彼の魂が垣間見えるのだ。それもこれも全部ひっくるめてマイルス・デイビスであるから彼を一人の人間として捉えた場合、伝説的にかっこいい人だと思うし、ラリって行く晩年も含めてその生き様はひどく人間くさくて大好きなのであるが、ともかくも『新しいもの新しいもの』と希求した挙句にキャリア後半で作った音楽がいただけないのは確かである。そんなマイルスに象徴されるように音楽界(クラシックや伝統音楽をのぞく)というところは新しいものを生み出さねばいけない的な強迫観念が幅を利かす業界であるわけだが、そんな業界にあって20年の長きに渡って同じスタイルを貫くバンドがいる。その名をOSAKA MONAURAIL(オーサカー=モノレール)。六十年代のJB's流儀を貫く日本人ファンクバンドだ。1992年に結成以来一つのスタイルにこだわり磨きをかけているところが凄すぎる。サザンオールスターズみたいな桑田ケースケ個人のキャラクターと楽曲だけで売ってるバーソナルバンドは別にして、洋の東西を問わずバンドスタイルの行き着く先はアルバム数枚、十年前後で楽曲的にも活動的にも足並みが乱れて行くものであるが、OSAKA MONAURAIL、さすがにJB's流儀である。二十年近くも延々と一つのスタイルを極めようってあたりに職人気質を見て取るのは私だけか。ま、余計なコメントは要らない。とにかくかっこいいのである。ファンクな方は是非一度聴いてみてほしい。聴けば、新しいものばかりが良いわけじゃないことがきっと解るはずである。
2008.05.27
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情報商材がなんでマルチ以下、マルチ商材以下なのか書くのを忘れていた。マルチはサプリメントにせよ洗剤にせよなんらかの形あるものが手元に残るが、情報商材は何も残らない。あとに残るのはくだらないブログを作らされたりメール書かされたりした徒労感だけである。ま、しかしこの記事を書き上げて思ったのであるが、騙されても、ぼられても、無駄に疲れてもその人が選んだ道であるから警告など発することもないのかなぁと。つまり当人にとって騙されたりぼられたりするのも又人生の一スタイルなのだから。斯く言う私だって他人から騙されたり、ぼられたりしてきて生きてきたわけで、それら嫌な思い、良い思い、すべて含めて人生であれば騙されるのぼられるのもまた精一杯面白がって頂きたい。ってことで『面白がれよ!』と、そういう警告にしておきたい。
2008.05.26
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マルチもネズミ講も自己啓発セミナーも新興宗教も、それに嵌って多額の資産現金をぼったくれられる方々の気持ちや精神状態が私には理解できないのだが、一万歩ぐらい譲れば実は多少は解して解せないこともない。『良いよ』『最高だよ』『あなたは美しいよ』『ほら、生まれ変わったよ』『人類を救おうよ』なんて感じの文言を耳元で日々ささやかれ続けて誰しも悪い気はしないのだろうし、何より最後に『これから儲かりまっせ。人生ウハウハだすっ!』とかダメ押しされたら気持ちも財布も緩んじゃうんだろうなと。しかしである。巷に散見する情報商材ってのにまんまと乗っかる連中の気持ちと精神状態はあまりにも貧しすぎて理解不能である。情報商材のセールスってのは前戯も美辞麗句もなしに最初っから『儲かりまっせ』でくるわけだし、導入部から変なのにその変にまんまと乗っかる連中も相当病んでると思って間違いないのではなかろうか。ま、騙されるほうばかりを非難批判するつもりもないが、情報商材を売らんとする連中の手口の殆どはあまりにチープで間抜けでどうしようもないものであるし、手口以前に精神構造的にチープであるから今更この場で何を言われても堪えも考えもしないだろう。で、あればこそ情報商材なんぞを買って何万円も何十万円もぼったくれる側に警告しておきたいのである。騙される奴がいるからチープな連中が幅を利かすのであり、誰も騙されなくなればチーペストな連中は消え行くか、手口をもう少しましなものにするしかないわけで、さすれば巷のアホリエイト(失礼。アフェリエイト)なブログも、ミクシーあたりで一生懸命セールス掛けられることも少しは減り、良好なIT環境が整うであろうや。ってほど単純にもいかないのは一々承知であるが、ともかく、これから情報商材に手を出さんと煩悶とされてる方なんかは、情報商材の愚にどうぞ早く気づいて欲しい。なんだかおかしいなと思ったらやっぱりおかしい話なのである。この人の説明ってちょっと意味不明だなと感じたらやっぱりその人自身も意味不明な人なのである。マルチも同様だが情報商材なんかで人生あがり調子になんかまずもってならない。そりゃ何千人かに一人ぐらい儲かる奴もいるだろうし、更に率は低くも何万人かに一人はそれで外車買える奴もいるのだろうが、あたながその何万人に一人になれるつもりでいるならば、そのアイディアはほぼ間違いなく間違っている。それでも尚、情報商材を買って儲けてやろうなんて道へ突き進むなら情報商材業界を活性化させ、より多くの被害者が生まれることになるのであるが、ま、正義感なんぞをここで振りかざす気もないし、被害者がどれだけ増えようとも私の知ったことではない。ただ私はブログやらメッセージやらあちこちで散見する情報商材系の導入が目障りでしょうがないのである。この腐れ業界には是非早いところぽしゃって欲しいわけだが、やっぱりこれからも情報商材とか買って珍妙で変で半端なブログとか作る奴が後を絶たないんだろうなぁ。こういうのをウザイと呼ぶに相応しい。
2008.05.26
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琴線に触れる触れないの差はそれぞれにあろうが、見てるだけで楽しくなる顔ってのきっと皆にあるんです。私にとってのそれはこんな人。中近東で出逢ったコーヒーショップの男達。立ってるだけでなんだか面白い。三人の間の空気感なのか。表情か。それとも…よくわからないが、私は軒下に並んだ彼らの顔がすっかり気に入って写真におさめたのである。で、私はまた元気に旅を続ける。
2008.05.24
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写真はインドのとある小さな村の、村に一軒しかないというゲストハウスのおやじである。ゲストハウスなんつっても30人ぐらい泊まれるクソでかいドミトリー(大部屋)が一つあるだけの労務者用の宿だ。で、部屋に通され、荷物を置き、フロムジャパン、サンキュー♪なんて知ってる限りの英単語を並べつつ一枚撮らせて頂いたのがこれなのであるが、シャッターを押した時点で私はおやじの言動も経歴もわかっちゃいないのは勿論であり、唯一わかるのは顔と体型ぐらいなもんである。顔を一瞥して私はこのおやじに好感を持ち、おそらくは信用に足る人物であろうと類推し、カメラを取り出した。私は人物を撮る場合、老若男女の別を問わず基本的に何がしかの好感を得た人しか撮らない。荷物をぎりぎり最低限にするために手持ちのフィルムが少なかったから被写体の選定も絞らざるを得なかっただけのことであるが、叶うものなら私だって下種野郎とか稀代の悪人面とか破廉恥野郎なんかもたくさん撮ってみたかった…。残念であるが貧しいとは、つまりそういうことだ。何につけ選択肢がひどく少ないのである。だからいつも綱渡りだ。保険をかけたり、予備をもったり、転ばぬ先の杖をついたりできないのが貧乏ということであり、預貯金を100万も持って旅するのは貧乏旅行などとは呼ばない。呼んじゃいけない。言葉として意味がおかしいから。私は旅行中に何人ものその手の旅行者に出会ったが、彼らはいつも自分のやってることを『貧乏旅行』などと称するのである。しかしである。旅するに多額の預貯金(余剰)を持ってる人が一泊一ドル以下の安宿に泊まるのは貧乏ではなく、正味『けちくさ旅行』だろう。ま、けち臭いのが悪いとも思わないし保険や余剰や予備を持っていたい気持ちは解らないではないが、己(の旅)を表現する言葉が間違っているのは確かであるから指摘しておきたい。けちくさと言うのを自覚無自覚を問わずに回避し、貧乏と呼称するのは話のすり替えであり粉飾である。って具合に話は確信犯的に暗示気味に脱線したので元に戻すと、我思うに、人を観るに顔さえあれば充分なのである。旅の当初は碌な英会話もできなかったし、他者にものを伝える手段が一方通行的なゼスチャーに頼り切っていたので、他者の人物性を判断するのは主にその顔に拠ってだった。イケメンだとか美人だとかそれほど単純な話でなく、不細工であろうと一見強面であろうとそいつが信用に足るか足らないか。嘘や芝居が上手な手合いか否か。キチガイや阿呆じゃないか。それを判断する材料が顔なのだ。旅行中、顔だけで多くの場合に事足りたし、致命傷や重傷を負うほどにそう大きく外れたこともなかったのであるが、『顔を見る』というそんな基本中の基本をいつの間にか忘れるほどに言葉が自由になったり、相手の話になまじ耳を傾けたり、相手の経歴を知ったりすると邪念が入る。つまり騙されたり、大きな見当違いをやらかしたりする。人を騙す主犯格は言葉である。共犯は衣裳服装だの持ち物だの芝居がかった表情や立ち居振る舞いだのと色々といて主犯の騙しを脇からサポートするわけだが、とりわけ”経歴”は厄介極まりない共犯者である。これに人は左右され易い。経歴(出自、学歴、職歴など)を知り、そこに勝手な思い込みを重ねるからだ。『良い出逢い』だとか『素晴らしい友達ができた』と思い込みたいが為にである。こんな家柄の方だから変な人のわけはない。きっといい人にちがいない。間違いない。出ている学校も素晴らしいし、勤めている会社も大手だもの、とても誠実で実直で、愛に溢れて、夢や希望を語り、前向きに生きている人に違いない。きっとそう!ぜったいそう!大袈裟に言うとそんな具合である。昨今、己を粉飾するに適したアイテム小道具パーツが巷に溢れ、誰も彼もが華美華麗を安直なまでに装うようになったわけだが、観るに、そのぶん顔をおろそかにしている方々が少なくない。顔をちゃんと見ればその人が見えてくる。愛や義にあふれた言動や体裁のいい経歴や芝居がかった笑顔はチラ見ぐらいにしておいて、よくよく相手の顔を見ようではないか。そこに邪が見えるか誠が見えるか。言動や経歴に目を奪われれば誠は見えない。邪が誠に見えるばかりである。
2008.05.22
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ファーストネームはファブリス。フランス人。私の旅の相棒である。インドはシッキム州ルンテックで出逢い、ニューデリーで偶然に再会し、そこから二人で西進。日々起こる様々なアクシデントを乗り越えて欧州を目指した仲間だ。イラン西部でバスジャックに遭った時にはファブリスのこめかみあたりの髪の毛は一晩のうちに白髪になったし、臆病になる彼の尻を叩いて進んだこともあった。逆に私が体調を酷く崩した時には何度も助けてもらった。ファブリスがいなかったら私はきっとパキスタンの宿でオカマを掘られ、路頭に迷い、今頃こうして石垣島でのほほんとブログなんぞ書いていなかっただろう。相棒に感謝である。彼も今頃は四十を回り、フランス女の固い尻に敷かれているんだろうか。がんばれファブリス。そのうち逢いに行くから。
2008.05.21
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旅をしても同じ土地に行っても同じかたと逢っても人それぞれ言うことが違う。感想、感銘、感慨、評価など人それぞれに温度差がかなりあるのである。当たり前っちゃあ当たり前だと思う。なんで感慨や感想が異なるって、やはりそれは受け手の資質才能能力如何によるからだろう。とてもイージーに言うと、バカが見た世界はバカげたものだし、正義感に溢れた方が見る世界の現状は許せないものだし、甘やかされて育った人にとって放浪は過酷としか思えないのである。長く旅をしてるとしばしばあることだが、ある旅行者からもたらされた旅の情報(感慨感想等)が、いざ自分の目で見たり体感してみるとまるで異なる感慨や感想を覚えたりするのは、つまりそういう事なのだろう。ま、それは何も旅に限ったことでなく、日々の暮らしの中でも同様のケースはしばしばお目に掛る。例えばマルチ商法系の勧誘に容易くも乗せられてしまう金欲旺盛な方々にとって、組織上部にいるなんとかビューターだのクラウンなんとかみたいな奇妙な役職名を戴いた詐欺師まがいはとても才能溢れる素敵で有能な人物に思えて仕方ないのだろうが、マルチ商法で痛い目をみた方々にしてみれば連中はあくまで詐欺師の親玉であるわけだ。で、これに男女の別を考慮すれば更に旅は別物となる。一般的に語られるところによれば『男は立ち小便が何処でもできるが女はそうもいかない』とか『男は一人で夜道を歩けるが女は貞操の危機があるのでそうもいかない』みたいな話となるし、それはそれで否定もしないが、それを以って男の旅は自由と浪漫に溢れた雄雄しいもので、女の旅は制約の多い面倒な旅になるのかと言えば全然そんなことはないのである。言葉的には少々おかしいが私見としては女の旅のほうが雄雄しかったりして、野郎の旅は意外に女々しい。旅の最中の野郎はよくほざく。シーツも替えない宿だからやめたほうがいいだの、どこそこの宿では碌に英語も通じないだの、どこそこのマーケットはぼったくりばかりだのと言った不平不満の類や、見て回る経路や順番をきっちり決め、段取りして回り、情報収集して回り、最後に「ああ、いい旅だった。思い描いた旅が出来ました。じゃんじゃん」みたいな予定調和に持って行きたがるのは大抵は野郎だ。男なのだ。で、女の旅は大胆だったりする。目の前に立つ人をインスピレーションで判断し、機を見るのに敏で、状況に応じてそれまで立てていた予定なんぞ簡単に変更放棄するし、見知らぬ人や土地にずかずかと入り込んで行く。それに何より女という性は世間(旅)を渡りやすいようだ。写真は私がドイツはシュツットガルト郊外を走るアウトバーンのパーキングエリアでヒッチハイクをしているところであるが、車の残像を見ても明かなように一向に車は停まってくれなかった。むしろ殆どの車は私の前を加速して通り過ぎて行くのである。大変せつない事であるが、仕方ないっちゃあ仕方ないと思うのである。だって、全身黒尽くめの長髪の薄汚れた東洋人がアウトバーンでヒッチハイクなんかしてたら誰しもアクセルを踏み込みたくなるだろう。『げっ、何者こいつ?無視無視』みたいにして。で、これは早朝七時ぐらいの景色なのであるが、それから延々と二時間近くヒッチしても一台も停まってくれない。だいたい何でアウトバーンでヒッチハイクなんかせにゃいかんのかって、前日に乗せてくれた車に此処で捨てられたからである。「悪いが目的地が違うんで、此処までな。じゃ、がんばって!」なんか言い残されて。だから前日の夕暮れ時も三時間ほど徒労のヒッチハイク行為をしたのだが、やっぱり一台も停まってくれずに翌朝を迎えたわけであるから都合五時間もつかまらないと徒労感を越えて絶望感さえ芽生え始める。絶望が芽生えるってのもよくわからない表現であるが、とにかく、もうダメなんじゃないか。俺の旅はここで終わるのだろうか。なんて気にもなってくるのである。ぐだぐだとそんなことを考え始めた頃、私の前方(つまり車がやってくる方向)50mほどのところに白人女性が一人現れ、バックパックを足元に置くとヒッチハイク姿勢に入った。きっと私同様の身の上なのだろうと思った。見れば何やら肢体すらりとして可愛げな女性である。『ハハハ。あのね、きみね、知らないかも知れないがアウトバーンのヒッチハイクは苦労するのだよ。なんだったらこちらへ来て同病相哀れむと洒落こみませんか♪』などと彼女への気遣いの一つも向けんとした時、一台の車が走ってきた。無論、彼女は当然のようにヒッチハイクを掛ける。見れば車はするすると減速し、彼女の前でぴたりと停まると運転席の窓を開けて何やら交渉。十秒ほどで交渉は成立し、彼女は後部席にバックパックを仕舞い込み、御本人が助手席に座ると車は発進、私の前で又も加速して行ったのである。私が唖然となったのは言うまでもないが、つまるところ、彼女はヒッチハイクの苦労を知らないのである。五時間もアウトバーンのパーキングエリアから動けないという制約を受けることなく旅が出来るのである!なんとも羨ましいかぎりではないか。出来ることなら私も来世は女に生まれて旅がしてみたい。
2008.05.20
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生まれた時はこんなに小さい手だったのに今は私とそう変らない。その手と手をつないで、とは言わぬが今日からこの子と一緒に北海道へ帰るのである。一年前に死んだ親父の法事があるのだ。これで喪が明ける。この間、公私共に歯車が狂ったし、闇のうちに投げ出され手探りに伸ばした手が狂った歯車に巻き込まれそうになって随分と心身を病んだ気がするがここらで一区切りだ。で、当ブログも一週間のお休みである。楽天ブログが携帯からアップできるのかどうか知らぬが機能的に出来たところで私は携帯からブログをアップできるほどマメな人間ではないし、帰省の間ぐらいはせめてPCの前に座らずにいたい。どうせ帰省から戻れば新手のデザインを起こさんと独りPCの前で苦悶する日々が始まるのだ。当ブログも日々100人前後の方が見に来てくれるので一応休載のご挨拶である。では皆さん又来週!
2008.05.13
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普段見るともなしに見ていた少年達の草野球。いやぁ、もはや本土の都心あたりじゃ小学生が三々五々空き地や公園の片隅なんかで集まって草野球に興じる姿なんぞお目にかかれぬだろうが、石垣島あたりじゃまだまだ健在なのだよ。やっぱイイよ石垣島。なんかずうっと思っていたのであるが、先日、よくよく子供らの動向を伺うになにやら事情が違う。やってることは間違いなく三角ベースだったりするのであるが、まずチーム編成がおかしい。小学生が低学年から高学年まで八人とか十人集まって2チームに分かれるわけだが、私が少年期を過ごした札幌あたりの慣例に倣えば「三角ベースするもの、この指とまれ」の号令にワラワラと群がる近所のガキどもをチームを分けをするに当たって当事者全員が気を揉み、気を配るのは両チームのパワーバランスである。通例、年長の者が心を砕き若輩の低学年各位の体格差や能力差、経験値や将来性までを考慮して両チーム間の力の均衡を目指すのである。要はゲームとして面白くなることに主眼を置くわけだ。一方、石垣島に見る三角ベースの2チームに力の均衡はない。片方が小学二年生チーム。対戦相手は四年生チームだったりする。言うまでもなくこの年齢層の一年二年の差は大きく、二年生と四年生の能力差は歴然としている。結果も試合をやるまでもなく明かで2イニング目に30対0のワンサイドゲームなんかになるわけだが、これが延々と1時間2時間と続けられるのだ。二年生チームは何十分間も守備が続き、攻撃は約二分間で終わる。完全にサンドバッグ状態である。で、体力差能力差だけでもワンサイドなのに、そこに加えて年長者側が自分たちに都合のいいルール運用をするから低学年はひたすらに守り、打たれ、堪え続ける。つまり草野球なんてレベルでも遊戯の範疇でもなく、あえて言えば修練。修養。修身。ってことになるのだろう。ひらたく言えば『しごき』である。先輩が後輩に対してその力の差をまざまざと見せ付けることで上下関係をより堅牢なものするのだ。だからか四十になっても五十になっても幾つになってもシマンチュの皆さん、一向先輩どもに頭があがらない。多分、皆それぞれに追憶のサンドバッグ記憶が刷り込まれている筈である。
2008.05.10
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私は欧州を旅行中、縁あってフランス中部のヴザイvouzaillesという小さな農村に住む老農夫の家に居候先を求めた。写真の彼女は老農夫の孫娘サラ。年齢は八歳。彼女はわけあって祖父の家で暮らしていて、私が居候を決め込んだ数週間、サラは碌に言葉の通じぬ私を仲間に引き込もうと言うのか至極積極的に接してきたのである。学校からの帰宅後は勿論、休日ともなると彼女は私から離れようとせず、テニスだピンポンだバレーボールだバックギャモンだフランス語教室だと終日付き合わされるから旅の疲れも癒えぬ居候生活当初は少々苦笑ものだったが、そうして長いこと共に過ごしているうちに言葉はたいして通じずともサラの心の隙間が見え始める。サラはひどい泣き虫だった。転んだりぶつかったりでは泣かないが、精神的にあまりに脆弱で、兄弟からからかわれては泣き、仲間外れにされては泣き、おきてきぼりを食らっては泣き、誤解されては泣く。その泣き方も大粒の涙を流して号泣するとかではなく、深い悲しみを背負った悲運の少女が堪え切れなくなって不覚の落涙をするように嗚咽を押し殺し、両手で顔を覆って延々としくしくとやるのである。そう。彼女の心は常に不安で満たされていた。私と何時間遊ぼうとも、思いつくままに遊びを変えようとも、誰から優しげな気遣いを受けようとも彼女がその胸のうちに抱え込んだ真っ黒な不安は霧消することなく未来永劫そこに居座り続ける。サラはその黒き不安に背中を押され、仲間を求め友達を求めゲームを求める続けるし、その希求の行動を中断させられたり制止されたりすると、もう堪えられなくなって涙がとめどなくも流れ続けた。戸籍上のサラの父親は私が同所に滞在中、隣町で猟銃をぶっ放し傷害騒ぎを起こして警察に逮捕され、サラの母は時折発症する鬱病が事件以来ひどくなりほとんど部屋に引きこもった。だからと言って旅して流れて行くだけの異邦人の私に何ができるわけでもなく、私は私の時間が許す限りサラと一緒に遊ぶのが精々だった。しばらくして私は同所をあとにしたわけだが、サラには恵まれているものも沢山あって彼女のこれからを特に不安視するには至らなかったのである。例えば写真の鶏小屋もそのうちの一つ。ここには十羽前後の鶏が放し飼いにしてあってサラは毎日産みたての卵を食べられるのだ。家の前には私と各種スポーツに興じた広い庭がある。庭の周囲にはエスカルゴが繁殖していてそれも食べ放題だ。庭から出れば見渡す限りのひまわり畑に小麦畑。地平線の彼方までどこまでも黄色い花と黄金色の穂が連なっている。だから何処が真ん中なんてわからぬが畑の真ん中に踏み入れば穂を渡る風の音と土を踏みしめる自分の足音しか聞こえてこない。そんな素晴らしき地に彼女は住み暮らしているのである。悪い事ばかりが続くとは思えないではないか。サラも今や年頃となってさぞかし美しくなっている筈である。もし会いに行っても私のことなど当の昔に忘れているかも知れないが、どうせなら八歳のサラより二十代のサラと遊びたかった。なとど思うは私が歳をとったせいだろうか(笑)。
2008.05.10
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本稿のタイトルはフランス語であり、我が旅の合言葉である。英語に直せばI'm crazy.邦語なら「俺はイカレてるぜ」ってとこだろうか。旅の前からイカレてたのか否かは自己申告しないが、私が旅半ばにてfouな方向へと顔がすっかり向いてしまったのは間違いない。ってことはつまり、旅に出る以前は色々と身の周りにある規範モラル良識慣習なんかを頑なに守っていたのだ。おかしな事をやっちゃいけない。良識ある社会人でならなきゃいけない。結婚して家と子供を持たなきゃいけない。稼ぎのいい定職につかなきゃいけない。夢や希望を持って前向きに生きなきゃいけない。ってな感じで、それらをすべて全うしていたとは言わぬし、どんなにそこから外れたことをしていようと胸のうちには常に「○○○をしなきゃいけない」と強迫観念めいたものがあって、それが手枷足枷となって心身の自由を奪ってきたわけであるが、旅のさなか私はフランスはパリにて相当にイカレた連中と出逢い、そこで枷の鎖は断ち切られた。写真の男性はジョン・フォンソワ。右はその彼女のキャリーヌであるが、例えばこの二人と話していても生活ぶりを見ていても彼らの心中胸中のいずこにも「○○○しなきゃいけない」って思考様式を探し出せなかった。彼らの発想はmustではなく常にwantなのだ。他人や多数派のやり方に左右されず、気持ちと心と身体に忠実にして自分のスタイルown style、自分のやり方own wayで社会に対してのアプローチを為していた。当時、これが私にとって非常に斬新だった。全体主義のリズムが社会を通底している我が国では未だに誤解している若い人が多いし、当時わたし自身もイマイチ解ってなかったのであるが個人主義とは、つまりそういうことである。決して社会性を無視して自分勝手に好きなことを言ったりやったりしてOKという主義主張ではなくして、自分なり自分ゆえのアプローチを以って社会に対して働きかけ関わっていくとの意であり姿勢であり、私はジョン・フォンソワを始めとするイカレた連中に多大なる影響を受け、彼がいつも口癖のように言う「Je suis fou.」が旅の合言葉になってしまったし、この旅を経て始めて自分なりのやり方やスタイルを自覚も出来たのである。斯くもイカレた連中との出逢いによる楽しい旅を経た現在。狂った連中が我が国にも大勢いることに私は愕然としている。だが連中は自分のスタイルなどではなくして単に狂人である。抑圧され、規制され、鎖につながれて心を病んだ者たちであり、その数があまりに多いので私は彼らのことを「普通の人」と呼んだりしているが、その普通の狂人のなかにも格づけの上下があるようで、より重く激しく狂った奴ほど社会的に上位者だったりして、まったくもって暮らしづらい国であるなと昨今切に感ずる次第である。自分が狂っていることを自覚している人とは楽しく遊べるが、自覚してない狂人は怖くて恐くてまともに話もできない。
2008.05.08
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宿のロビーに掛けてあった絵。何ら説明を要しない絵であると思うが、画材がよくわからない不思議な絵である。オイルペイントにしては盛り上がりすぎているし、発色も顔料や染料みたいにはっきりと明瞭なものではなく、まるで自然の素材をそのまま透明絵具に混ぜ込んででもいるかのように少しぼんやりとして柔らかだ。それに楽隊の背景にあるように木の板に直接絵具を乗せている。背景に色をつけず、そのまま木の肌を見せているのは何故だかよくわからないが、おそらく作者はそのままに木の肌を見せたかったのだろう。描きかたはどうあれ楽隊が道を行くなんて胸躍る光景ではないか。絵から察するに楽隊が行くのはド田舎の一本道である。ステレオも大画面液晶テレビもホームシアターも此処にはないだろう。そこに楽隊が現れたのだから堪らない。興奮ものである。ガキどもは裸足で外へ飛び出して鍋やら釜やら叩いて群がるし、邑の働き手である青年たちは畑仕事を放って駆けつけて、嫁どもは家事も育児も忘れんと太鼓が刻むビートに身を任せ、爺さまも婆さまも血管が切れそうになるくらい血圧が上昇する。なかには感激興奮叫喚のままに失禁→失神→昇天と至福感に包まれた最期を遂げる高齢者だっているだろう。俺も大きくなったら楽隊に入るって宣言して学校なんか行かなくなるガキも出るし、興奮した青年は鍬を捨てて楽器を手にとり、嫁は旦那以外の子供を産むかもしれない。ほら、なんて素敵な楽隊だろう。彼らは癒しなんか知らない。聞けば誰もが身も心も躍りだす、そんな楽隊だ。昔はいざ知らず、今の日本の何処にも楽隊が来ない。テレビは分裂病増幅装置でしかないし、ステレオもDVDもホームシアターも規律され制御され抑圧された音しか出してくれない。音や映像に限ったことではない。日常も文化も政治も、この国にあるのはどこまでも抑圧ばかりだ。狭い島国の見渡す限りの大地に抑圧が広がっている。それでもいつか、私は水平線の彼方から楽隊が現れるのではないかと期待しているのである。
2008.05.06
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陸路大陸を回る場合、私の理想としては全行程を徒歩で全うしたいのであるが、それをやるとなると時間は相当かかるし、時間や期間が長くなれば当然のこと費用や経費も相当なものになり、なけなしの二十万円を握りしめて旅立った私にはインポッシブルな話であるし、仮に時間も金もあったところで所構わずのんびり歩いてたりすると拉致監禁強盗傷害等の犯罪に巻き込まれたり、下手すりゃ命まで取られる危険に満ち満ちた場所や空間や地域や街道が諸外国には腐るほどあるわけであるからそれら諸条件を勘案考慮した結果、大抵は乗り物を使っての移動となるのである。と読点も碌にないままに長ったらしく書くまでもないが、要するに旅にバスは欠かせない。バスなしの旅など考えられないのである。個人旅行だろと団体グループでのパッケージツアーだろうとバスに乗らずに済む旅はない。ま、三泊四日とかの個人旅行で滞在中の全移動をタクシーしか使わなかったという場合もあるだろうが、それは旅と言うよりはむしろ『見学』とか『出張』などに類するのでここでは言及しない。旅行中の移動手段にバスは常であるが、殊に隣国への国境へ向う道はたいていバスに乗っていた。そんなバスにはいつも数十名の者が同乗していたが、隣国へ抜けようなんて連中は皆それぞれにmustな理由があるらしく、どこのバスでも必ず何名かは国境の入国審査や国境前後の検問あたりでひと悶着を起こして脱落していった。ヴィザがなかったり、所持金がなかったり、荷物検査で引っ掛かったりして入国要件を満たさないわけであるが、ついさっきまで車内で談笑していた者たちがポリスやアーミーに引っ立てられていく姿を見るのは決して気安くない。そんなときはどうしようもなく重く嫌な気分になるが、そんなことばかりあるわけでもない。写真はパキスタン西部の町にあるバスターミナルである。写しきれていないが町外れのターミナルには数十台の極彩色のバスが居並び、とても壮観な絵づらだったわけであるが、そのうちの一台に乗って私はイラン国境を目指したのである。午後遅くに出発したバスは日没を迎えて砂漠のど真ん中に突如停車し、私以外の数十名の乗客らは静かに整然と外へ降り始めるから私は呆気にとられた。誰かが何をアナウンスしたわけでもなく、誘導するでもないのに皆なにかに導かれたようまっすぐに歩き出すからだ。そうして彼らが向う先を見通せばそこに石列があって砂漠が四角に小さく囲まれていた。外へ出た者達は皆そこへ整列し、祈りを捧げ始めた。彼らが跪く先にあるのは勿論メッカである。私も外へ出た。砂漠の真ん中で大地の神様に一言断ってから立小便をし、彼らのほうを振り返ると祈りはまだ続いていて、祈りの景色の端には極彩色のバスが一台停まっていて、その周りには乾ききった大地と青い闇色絵具を溶かした夜空が広がっていた。旅はなんて素敵な絵を見せてくれるんだろうと私は思ったのである。
2008.05.04
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論争好き。戦争好き。ムスリムとキリシタン、一神教の両者に共通する性向である。ま、そう言い切られると両者の関係者各位大いに異論も反論もあるだろうが、私ばかりでなく世の中にはそう感じておられる諸兄も多いので一面の真実と言うことでご理解ご了承ご承服いただければ幸いである。写真の青年、イランはイスファハン在住のムスリムの青年である。笑顔がとても素敵な好男子であり、日本に数年間住んでいた経歴のおかげか日本語もなかなか上手なのであるが、欧州人のカトリック教徒を目の前にすると人格が入れ替わったかのように論争を仕掛けたりする。ただ仕掛けるだけでなく、カトリックのキリシタンが噛み付いてくる限り彼もまた論争相手の首根っこに噛み付いて離そうとしない粘り腰の持ち主だ。公園の片隅にあるベンチの上で燻ぶり始めた両者の文化と宗教をごちゃ混ぜにした論争は五分と経たぬうちに大炎上し、両者座ってなどいられなくなって共に仁王立ちと為り、口角泡を飛ばしたディベート合戦の様相を呈したのである。ムスリムでもキリシタンでもない私はオブザーバーを決め込んだが、まもなく我々は公園に集まり始めたムスリムの群れに囲まれたぐらいにして辺りは騒然となり異様な空気が立ち込める。キリシタンの欧州人は一名。ムスリムは少なく見積もっても百名はいる。おそらくもっと。ま、つまり多勢に無勢であり、その無勢のキリシタンは私の連れであるから多勢のムスリム側から見れば私も無勢キリシタンの同胞と看做されるのは避けられないだろうし、そうこうするうちに警官数名が現れ、群集と小突きあいなど始めていよいよ辺りには険悪な空気が流れ始めたのである。その時点で論争が始まって1時間以上が経過していたし、いい加減にしてくれよ。十字軍じゃねぇんだからムスリムの真っ只中を強行突破しようなんか考えるなよ。それじゃ神風だろ。ハラキリだろ。万歳特攻なんか俺は嫌だからな。わかってんだろうな。みたいな事をキリシタンの彼に言い含め、その場から立ち去ろうと画策したのであるが、喧嘩する二匹の犬はなかなか離れようとせず、ややしばらくしてから我々はやっとその論争広場から無事逃げ出す事に成功したのであるが、両者離れても共に捨て台詞の応酬を始めたりするから気の弱い私などは心労極まりペルシアの地にて行き倒れるのではないかと危惧し杞憂し今にも泣きそうだった。ま、両者の論争好き、戦争好きはことほど左様に一面の真実なのである。
2008.05.02
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