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シマンチュはゴーヤチャンプルが好きである。例えば本土出身者である私らが何がしかの好物に掛ける情熱なんぞ足元に及ばないほど彼らはゴーヤチャンプルが好きだ。大好きだ。いや。もはやそれは『好き』とか言うレベルの話ではなくて、シマンチュは自律神経系の働きによって空気を肺臓に吸い込むのと同じレベルでゴーヤチャンプルを召し上がるのである。つまり『好き』とか『美味しい』とか『何処のチャンプルが一番!』とかじゃなくして、登山家風情が目の前に山があるから山に登るのと同じ神経回路がシマンチュをチャンプルへと駆り立てるのである。はっきり言えばゴーヤチャンプルなしでは生きられないと言い切っても差し支えない。ま、人によってはそれがゴーヤチャンプルじゃなくして、ソーメンチャンプルだったり豆腐チャンプルだったりはするが、要はそういうことである。No Chample No Life.つまりそういう次第なのであるが、そんなゴーヤチャンプルよりもシマンチュが好きで好きで堪らないもの、愛してやまないものが実はあるのである。シモネタである。そんなアホな。と思われる向きもあるやも知れぬが本当である。誰と誰が姦りやがったとか、誰々は実はホモセクシャルであるとか、あれは中学のとき誰の女で、高校では一個上の先輩と二個上の先輩と二股かけたのがばれて、先輩本人じゃなくて先輩の父親からボコボコにされて、あの時たぶん父親にも姦られた筈で、高校中退して働き出すとすぐに勤務先の社長の愛人になって、まもなく一人目の子供産んだけどあれは社長の子供か先輩の父親の子供か判らない、みたいな話が三度の飯よりも好きである。きっと放っておけば終日そんなネタで盛り上がっている筈であるが、残念ながら人口五万に満たぬ島の中では尽きぬほどにその手のシモネタがあるわけでもない。だから同じネタを繰り返し持ち出して、同じ切り口で批評し、同じところで笑うのである。それゆえにシマンチュ、特に婦女子はシモネタを仕入れるのに日々血眼である。どこぞに二人きりで居てはいけない男女がいないか。亭主の居ない家に間男が上がり込んでは居ないか。同級生の旦那が助手席に乗せていた見知らぬ女は誰か。あの女はきっとナイチャーの筈。間違いない!よ~し、喋り捲ってやる~!!と言うわけで二日ほどお時間をいただれば誰と誰が姦淫を働いたなんて話は島じゅうで知らない人が居ないってくらいに広く知れ渡り、以後二年間~三年間ほどはリピート激しく巷間にのぼり、五年も経った頃には誰も覚えていないネタとなるのである。それくらい島は平和だ。めでたしめでたし。
2008.09.25
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石垣島やその周辺の離島。時間にでたらめな土地柄だなんて巷じゃ言われていて、シマンチュ・ナイチャーを問わずそれに異を唱えるものは皆無である。じゃ、時間にだけ特化して出鱈目かというと勿論そんなわけはなくて、時間に出鱈目であるとそれに付随して様々なことが出鱈目になるのである。例えば会合酒席に集まる時間が出鱈目だと集合時間から一時間が過ぎても半分にも満たないメンバーしか揃っていないってのが普通の状態であり、その半揃いのメンバーがどうするかと言うと、腹も減ってるし既に遅れが出ている会の進行を円滑にするために勝手ながら酒肴一式をオーダーしてしまう。例えば10名が揃うとして、半揃いの3名が10名分のオーダーをかける。然るに3名でぜんぜん食い切れないほどの料理が半時間ほどでテーブルにずらり並ぶわけであるが、更に1時間たってもメンバーが一向に増える気配がなかったりする。あれぇ?どうなってるわけ?みんな何してるばぁ。おっそい(遅い)だろ、いくらなんでも。ってことで当夜集まる筈のメンバーに片端から電話してみるに残りの7名全員が「いやぁゴメンだけど、今日は都合悪いさ。どうしても親戚のオジーのところ行かんといけんさ。急に電話してきて、急に来いとか言うからよ。ホントまいるさ。あのオジー、いっつもそうだからよ。まいるさオレも。だから今日はオレのぶんまでみんなで一杯飲んで。じゃ、そういうわけだから」みたいな言い訳がましいことを平然と、一方的に、問答無用に言い募ったあげく本当に来なかったりするのである。って事は10名分の酒肴一式を3名で食える筈もなく、揚げられて2時間、衣がだらしなく垂れ下がった山盛りの天ぷらや刺身盛合わせや唐揚げや各種チャンプル類を眼前にして半揃いのメンバーはやる気もなく酒を飲み、屁をこき、そうしてだらだらと居酒屋をあとにするのである。で、勿論ただで居酒屋をあとに出来るはずもなくて、お会計はしっかり10名分の料理と酒代である。ま、一人頭7180円ってところだろうか。居酒屋なのに1人七千円以上も取られて無性にむかつくし、やり場のない怒りがこみ上げるし、腹の虫が収まらないのは当然であり、来る筈だったのに来なかった七名のメンバーにちゃんと割り勘かけようぜ。払ってもらわんといかんだろ。な、そうだろ。そうだそうだ割り勘だ割り勘だと二万円あまりの支払いを被った三名で意気投合するも実際に酒席に居なかった連中から酒代を徴収できるはずもなく、泣き寝入りは必至である。当夜話し合われるはずだった議題は言うまでもなく手付かずのままに保留、次回持ち越しだ。話し合うべき議題があったのに何一つ決められないし、無駄金まで払わされた挙句に帰りのタクシーでゲロを吐いてタクシーの運ちゃんにしこたま怒られ、珍しく早めに帰宅したのに妻は間男を自宅に引き込んで浮気中だったみたいな出鱈目な展開って、島らしいよなぁ。好きだな、こういうの。でも、こんな出鱈目な展開も島じゃまだまだ序の口である。
2008.09.19
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八重山に観光客が戻ってきた。いつもの夏とそう変わらない密度で観光客がぞろぞろと、がやがやと、へらへらと往来を我がもの顔でほっつき歩き、そのうえ徒党を組んでいるからなんだか威圧的だったりする。たいていは三名から六名ぐらいのあいだであるが、中には八名以上の団体がぞろりぞろりと参勤交代の行列よろしく島の細い路地を練り歩き、話題の飲食店へと闖入してゆくのである。例えば何処とは言わない。言わないがだいたい決まっている。店の前の駐車場を見れば「わ」ナンバーばかりが停まっている。店内に入りきれなくて、都心部の駅前のラーメン屋よろしく店の外に列を成して待っているの場合だってある。店に入ると水着まがいのいでたちの男女で席は埋め尽くされ、彼らはひどく暑いのか疲れているのか、それともただ単に怠惰なだけなのか妙にだらだらとした調子でテーブルやカウンターの上にだらしなく突っ伏したり寝転んだりしてなんだかすっかり脱力モードである。ま、観光地だから観光客が脱力モードであるのは仕方ないが、一方店員のほうを見てみるに客の脱力モードとは打って変わってこちらはぴりぴりモードだ。こっちが余計なことなんざ一言でも喋った日にゃ足元にコップかトレーでも叩きつけられそうな勢いだ。成り行きお愛想のひとつもない。顔見知りだからと挨拶しても『なに!なんなの!あいさつくれてんじゃねぇよ。こちとらぁ、めっちゃ忙しいんだよ。見てわかんねぇのかよ。へらへら笑い掛けてくんじゃねぇぞ、こらぁt!!』みたいなもんである。これ、男性ならまだしもスルーするのであるが、女性にやられるととても気分が悪い。ま、そうは言っても向こうも客商売であるからストレートに斯くの如き乱暴狼藉を言葉にするわけではない。うわべはあくまで冷静な調子だ。「あら、どうも。いらっしゃいませ。はいメニューです』ぐらいのもんであるが、目が最悪なのだ。つまり目つき。もはや客商売のそれではない。観光客なんか金づるぐらいにしか思っていない目だ。『けっ、てめぇらピヨピヨピヨピヨいつまでもくっちゃべってねぇで早く帰んな!食い終わった奴はさっさと次の連中と交代だよ!いつまでも席に座られてちゃ、こっちの商売あがったりだよ。さあさあさあさあ帰った帰った』ってなもんである。忙しいくらいでなければ商売にならないだろう。それを承知で商売を始めたはずである。好き好んで観光客を客層に狙った筈である。店のつくりも、メニュー構成もそのようになっている。なのに、その嫌悪が混ざったまなざしを観光客に向けるのは反則ではないのか。それもかなり汚い手口の反則だと私は思うし、ただひたすら自動的にイラッシャイマセとアリガトウゴザイマシタの台詞をリピートするばかりの飲食店従業員型ロボットを置くのは本土都心部だけにして欲しく思うのである。もうちょっとマシな商売しませんか。ね、本土から来た商売上手の皆さん。
2008.09.14
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サザンオールスターズ風に言えば『牛も啼く夜』。はたまた一句いかば『牛啼かば夜が更けゆく石垣島』あえて前衛調にチャレンジするなら『牛が啼く夜。いや!牛は啼いているのではない。泣いているのだ。おいおいと泣いている。オレを食うなと泣いている。どうか食わないで欲しいと懇願の声を張り上げる。夜が明ければ絶たれる命を惜しんでいる。嗚呼うしよ。食われる牛よ。どうかオレの胃袋では啼いてくれるな』ま、へたくそはともかく、島も市街地から外れると牛が一杯いるのであるが、こいつら時々夜が更けると声を張り上げ啼き通したりする。牛飼いでもないし、調べたこともないのでなんで啼くのか知らないが、とにかく一晩中ずうっと啼いていたりするのである。でも全然啼かない夜だってある。だから意味がよくわからない。一度、その理由を解明せんと漆黒の闇の中を突き進み、すぐ間近でそれを聞いたのであるが、それはそれはたいそう悲痛なる叫びだった。こちらの耳も内臓も震わせる野太くも搾り出すが如き声なのだ。それはまるで蛇かスッポンにでも腹あたりを喰らいつかれ、振り払うにも振り払えず、スッポンだからいつまでも喰らいつきやがって断続的に襲ってくる激痛に堪えかねてグェエエゴギャゲゲグオオオとでもやってるようにも私の耳には聞こえたから、こんな闇の中で不用意にも牛さんに近づき過ぎ、こっちが正体不明の動物に喰らい付かれては堪らんと慌てて逃げ帰ったことがあった。あれはやっぱり猫みたいに繁殖の声なんだろうか。猫もふけるとたいそう悲痛な感じの声を出す。牛ももしそうだとしたら、やりたい気持ちとは斯くも悲哀に満ち、痛みにも近い表現を伴うものなのだろうか。本来は。などと更けゆく島の夜につらつらと考えたのである。
2008.09.07
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南国という地域柄なのか島には昼夜を問わない徘徊者をしばしば見掛けたりする。ま、徘徊といってもこちらが勝手にそう見ているだけで、もしかしたら御本人には一本の路地を何度も行ったり来たり、行きつ戻りつ、立ち止まっては又数歩進んで又立ち止まったりする並々ならぬなんらかの事情があるのかも知れないが、ご本人の心のうちはどうあれ他人にそうとは知れぬ行動を徘徊と呼ぶことに差し障りはないものと思うので話を進めよう。で、これ年齢年代的には結構まんべんなく分布しており、下は中学生くらいから上は八十に余る方々である。更に南国石垣島であるから昼暑く、夜は毎晩熱帯夜。夏は言うまでもなく暑く、冬の最低気温だって15度を下回ることは数回程度であるから徘徊しようと言う者にとってこの島は最適最良サイコーの環境だ。365日、24時間、思い立ったらいつだってサンダル履きでぺたぺたと徘徊出来るのである。ま、台風時の徘徊はちょっと難しくて、風速60m下での徘徊は命懸けとなるからあまりやる者はいない。って言うか、さすがに居ないと思うのであるが、どうなんだろう?こちらが雨戸を閉め切った家屋内で台風をやり過ごしているから気付かぬだけで実は徘徊する方々は台風なんぞものともせずに実践徘徊を遂行している剛の者もいるのかも知れないし、石垣島ではそういう人が居てもなんら不思議でないことは確かである。そういう島なのである。想像力の貧弱な本土の方々には及びつかぬ世界(島)であることは私が保証する。で、今も私がこれを書いている窓の外を徘徊している女性がいる。私と同年代か、少し若いくらいだと察するのであるが、黒いサンバイザーを目深に被っているので実際のところはよくわらない。彼女、10m進んではターンし、10m戻っては又再びターンし、12m行ったところで立ち止まって往来を左右に見回す。もしかして誰かと待ち合わせ?とか思っていると再びこちら戻ってきて今度は7mでターンする。で又15mほど進んでそこで立ち止まって左右を見渡してまたまた引き返してくるのであるが今度は一気に20mほど戻ったところで機敏な動作で何度目かのターンを決める。読んでいる人には彼女がどんな軌跡で動いているか判別不能だろうが、書いている私にもよくわからなくなってきているからここらで終わりである。また来週。
2008.09.06
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イバラーには会社社長またはオーナー、もしくは資産家やその子弟であるところの所謂イイとこのボンボンやお嬢ちゃんみたいな人たちが圧倒的に多いわけであるが、そんな彼らにして実は従業員と使用人の区別がついていなかったりする。例えばどのように区別がついていないかというとイバラーは会社が休日であろうと従業員が有給休暇中であろうと急の業務に呼び出すぐらいは序の口で、休日や夜中につまんないことで携帯電話に掛けて来たりメールを寄こしたりするがそれも序二段ぐらいで、イバラー本人の家屋の模様替えや引越し、庭の清掃や水まき、自宅の台風対策、自家用車のワックスがけ(またはその手配)、不在時の飼育ペットや昆虫のお世話(または預かり飼育)、飲酒時もしくは疲労時の運転代行など多岐にわたる労苦を強要するわけだが、このような業務と私事の区別のなさをイバラーさんたちは「その分、ちゃんと賃金払ってるんだから別にいいだろ。問題ないだろ」と強弁するのである。ま、庭の掃除やろうとカブトムシを預かろうとそれなりの賃金が発生しているなら理屈の上では問題はないのかも知れない。ま、ないとしよう。でもどうだろう。例えば営業で雇っている人間に自宅の庭掃除をさせることの意味をイバラーはちゃんと考えているのだろうか。ま、はっきり言えば考えていない。そんな意味は考えない。それこそがイバラー的態度である。イバラー的態度でなくして私の如き市井的観点から見れば経理で雇っている者に昆虫の飼育を預けたり、ワックスがけさせるのはこれはもう従業員ではなくしてそれはもう使用人以外のなにものでもない。自宅邸宅にて個人的に雇っている使用人に庭掃除をさせようとワックスをかけさせようとペットの餌やりを頼もうとそれは使用人らの立派な仕事となり得るだろうが、会社で雇っている者にはあくまで「公」としての業務があり、公の部分での責任は発生するしが庭掃除や昆虫の代行飼育で責任を負わせるのはお門違いってもんである。社長会長オーナーの「私」たる部分と区別をつけられず「うちはアットホームな職場だから」みたいな言い訳をするのが常套手段のようだが、雇用関係の上に成り立っている関係をアットホームとは恥ずかし過ぎて口が裂けても言うべきではないだろう。しかし、ま、そこんところの区別がつかない(またはつけたくない)のが又イバラーのイバラーたる所以なのだろう。彼らの頭ん中には人間は二種類しかいなくて、それはイバラーと使用人の二種類である。イバラーはイバラー同士でしか遊ばず、あとは皆使用人だ。人間、なにがしかの財力権力を持つと金儲け以外の脳みそを使わなくなる、使えなくなるとの証をイバラーは立ててくれる。是非、反面教師としたいものである。
2008.09.03
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ソウルミュージックに耳も心も奪われてからこの夏で二十年になるのである。まだたった二十年なんてヒヨっ子じゃないか。甘ちゃんだ。あまりに恥ずかしくて数字なんて出したくなかったのだが、もう出してしまったものは仕方ない。ま、それでもソウル歴20年なんてお話しにもならないのは間違いない。たかが二十年でソウル音楽の何がわかると言うのか。そう。何もわかったもんじゃない。入門編もいいところだ。ま、ともあれ20年前の23歳の時分に東京は六本木TEMPSで衝撃的に出会ったのがIsley Brothersであり、Marvin Gayeであり、Bobby Womack,Otis Redding,Aretha Franklin であり、で勿論ジェームスブラウンである。私は80年代に彼らの音楽と出逢っているわけで、70年代にピークを迎えていた彼らの一番濃いところはリアルタイムで知らないのが実に口惜しい。しかしながら日本で70年代にピークを迎えていたピンクレディなどの歌謡曲にも安易に流れていないのが消極的自負でもあったりする。だって同級生どもは男も女もこぞってそれらに流れていたのである。それらって、つまりピンクレディだキャンディーズだヒロミ郷だマッチだトシちゃんなんかのB級タレントさんたちである。彼らをB級と呼ぶになんら語弊はないものと思うが、一応格付けラインについて言及しておくと、いくら売れていても流行っていても電波芸者(テレビタレント)として決定的弱点があるのはやはりB級タレントといわざるを得ない。決定的弱点って勿論歌が下手だということである。歌が下手だから結局バラエティ番組なんかに出てはひたすら騒ぎ立てたり、コメンテーターみたいなことをやるか、ドサ回りで地方のせこいホテルでディナーショーなんかで20分歌って1時間喋ってお茶を濁すか、それでも駄目だと『あの人は今』に出るしかなくなるのである。だが、これが歌える奴だとそう簡単には消えたりはしない。歌というぶっとい背骨が一本通っていればウンコみたいな番組でパラノイアみたいに騒ぎ立てずとも済むのである。地方のホテルでディナーショーをやっても最低1時間は真っ当に歌って地方紙のコラムで絶賛されたぐらいにして歌手の面目躍如ともなるのである。でも同級生たちの大半はと言えば、まともに歌も歌えない歌手まがいに無防備にも入れあげたりしているから、小学生の当時から私は同級生たちをなんて恥ずかしい連中なんだ。こんなアホどもと同級生とは我が人生の汚点である。これから長い人生を生きていかねばならぬがこいつらと同級生だったとは口が裂けても明かすまいと心に決めていたのであるが、今ここでカミングアウトしてしまったのでやっぱり私は恥じ入るばかりである。嗚呼すっかりテーマが見えなくなってのでここでやめておこう。
2008.09.02
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