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今日で、手術から丸1年を迎える事が出来ました。同じ悩みを持つ人の、ささやかながらも力になれれば・・・との思いも込めて始めたこのブログ。ここまで来れたのも、沢山の友達のおかげ。体調については、摘出した病巣と癒着をはがした後は経過も良く、初めから痛みは残ると告知されていたので、現状は想定範囲内ではあるけど、なんとか過ごしてます。無理はしないという姿勢を貫いてることで、多方面にはご迷惑をかけてるけど、甘えながら社会人の端くれとしてもなんとか。彼との関係も、少しずつ進展しています。何もかもがお蔭様。でも、幸せに甘んじることなく、貪欲に更なる躍進を心に決めているのです。ベイビについても、もうそこまで来ていると信じて、まずは自分を愛すること、自分の身体を心を解放することから学んでいこうと思います。沢山の友達の、家族の、恋人の愛情に包まれて、新生ハイパーのんちゃんは更にハイパーに元気でいきたいと思います。
2006.03.29
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今朝は、激しい頭痛とめまいで起き上がれなかった。それでも、主治医に相談したくて、お昼少し前に出かけた。ガソリンを入れようと、いつものセルフSSに寄ると、彼がタイヤを見た。左リアタイヤに釘が・・・。私は、悪質ないたずらかといきり立ったけど、彼は「これは違うだろう」と冷静だった(笑)。セルフのスタンドだけど、オイル交換とかメンテナンスをしている店で、良心的な価格設定でタイヤのパンク修理も対応してたので、その場で頼んだ。体調はあまり良くなく、彼に細かいことと支払を頼み、私は近くのコンビニでランチを買ってきた。3月末だと、日中もバイパスは混んでる。道路工事をしてて、車線規制がされてるICの側道は大渋滞。もう、前の車に吸い込まれそうな気分だった。それでも、かなりワイルドなドライビングの私は、スイスイすり抜け走行した。運転しながら、食べ物を少しつまんだら、気分も少しよくなった。彼も、お客さんを待たせているので、首都高も使って都内へ。彼と別れて、銀行に寄って用を済ませ、病院へ。受付時間ギリギリになってしまった。待ち時間に関しては覚悟してたので、待っている間、買ったお弁当を食べ、郵便局に行き、コンビニでお茶を買い、待合ロビーへ。長椅子はいっぱいだった。空いたところに腰かけ、スケジュール帳にメモしたり、時間を潰した。受付番号からいくと、ラスト3人の一人だった。順番が回って来た時は、18時だった。先生、看護師さんお疲れ様です・・・と言った気分だった。主治医に、生理が遅れているとまで話したら、確実にぱーっと笑顔になった。でも、話には続きがあったので、先生も「あら・・・」といった顔になった。でも、その瞬間の顔が本当に自然に出た笑顔だったので、担当患者のことを本当に親身に思ってくださってるんだなと、嬉しかった。先生も、一握の可能性を期待してくださったのだけど、今回はどうもだめだった方向で話は進んだ。『基礎体温』をさぼっていたことを叱られた。内診を受け、生理が直ぐにも来る可能性が薄いみたいで、今回ホルモン投与を受けることにした。注射か、ピルか。一発やってくれと、注射にした。看護師さんに、おしりに筋肉注射をブスリとされた。予告どおり、痛かった。しかも、後からも注射跡がイタイのだ・・・すっかり遅くなってしまった。病院にいた私は携帯をOFFにしてたので、彼と母がやり取りしてたみたいで、母は病院にかかってる私に、一瞬期待したそうだ。私によこしたメールの文末に「がっかり」と書いてきたので、「わたしが一番ショックだよ」と返信しておいた。身内というのは時として、一番の敵となる。デリカシーとかが、欠けるんだよね。まあ、母親としては本人も懐妊だったらどんなに嬉しかったかと思えばの言葉だろうからしかたないのだけど。注射の副作用だろうか?フラフラになってしまった。車の助手席で、身体を支えているのが精一杯だった。それでも、1時間半ほどの帰り道、徐々に回復し、用があったので実家により、妹のMちゃんと3人で焼肉やさんに行った。わたしが食べたかったんだけど、名目は『Mちゃんの大学卒業祝い』だった。だけど多分、彼は「のんを励ますために」だったと思う。妹も、残念だったねと言ってくれたけど、「わ~赤ちゃんできたらどうしよ~ワクワクするね~」と無邪気に楽しみにしてくれた。彼女の天真爛漫さは時として、私の心を癒してくれる。彼女も子宮内膜症で苦しみ、投薬治療を経験しているのと、私の手術前後に立ち会ってくれたので、全てを知ってる。よき理解者。ガツガツ食べて(笑)、オシャベリして、楽しい時間を持ててうれしかった。数千円のお食事だけど、彼女が喜んでくれた以上に、私が救われた。少しずつ、心のほつれを繋いで行こうと思う。心配してくれた友達みんな、ありがとう。
2006.03.27
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昨日の一件の後、彼が私をずっと心配しているのが、数メートル離れてても感じるほどだった。ご飯も作らず寝てた。気が向いて、ストックのパンをトーストし、彼にはトマト入り卵焼き、私はナチュラルヨーグルトに蜂蜜で食べた。彼は、私がニコニコしていると、ホッとしてくれる。私は体調に直ぐ出るということを、熟知してるので、彼は無理をさせない。甘やかしてくれてるのだ。昨夜は、スカパーの映画を観て、そのまま寝てしまった。一昨日の夜、高ぶって眠れなかった私を彼もまたほとんど眠れず気付いていたそうだ。彼は、戦争経験者なので、ちょっとした物音にも目が覚める。そう、身体が覚えてしまっているようだ。だから、今日は彼も昼寝してた。私がお昼頃まで寝てたので、彼は途中コンビニにでかけてたみたいだけど、あとはわからない・・・。楽天ブックスで買った、NANA15巻が届いた。それをリビングで寝転がりながら読んでいた。そばにピッタリくっついて彼がTVを観ていた。私の精神状態が不安定な時は、彼は私にピッタリくっついていることが多い。私がフラフラどこかへ行ってしまわないよう、くっついているのだろう。彼の安らかなオーラが私に注ぎ込まれる感じで、少し充電できた。楽しみにしてたNANAも気を紛らわしてくれた。夕方、ラーメンをゆでた。彼には鶏肉入り醤油ラーメン、私はもやしのごま油炒めのせ味噌ラーメン。沢山買ってあったオレンジも食べた。しばらくして、冷凍してたパリジャンとイギリスパンをトーストしてナチュラルヨーグルトと蜂蜜で食べた。美味しいと感じるから、大丈夫。心にぽっかり穴が開いている様な喪失感はまだあるけど、失望もしてない。ただ、生理が未だ持ってこないのは不安なので、明日は主治医の所に泣きつこうと思う。私は、彼には生理のことも細かく教えている。女性の身体のことについての知識は一般の日本人男性並みかそれ以下だったので、私はしっかり覚えてもらおうと、教えた。そうすることで、私を理解してもらいたかったから。だから彼は、私の治療~入院~手術~経過観察・・・といった道のりを一緒に歩いて来てくれたと思ってる。彼は、わがままだし、家のことなんて言ってもやらないけど、深い優しさがある。「男は女を守る」としっかり教えられてきた彼だから、私の精神的な弱さも含めて守ることは当然だと思っているようだ。私は、気も強ければ、我も強いので、並みの優しい男じゃ足りないと思う。彼は辛抱強い・・・笑。よ~く似てる人がいた。私の父だ。
2006.03.26
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私が、このブログを立ち上げた一番のきっかけはご承知の通り、「持病の治療の記録」だった。情報が増えたのはここ数年のはなし。婦人科で苦しんでても、同じ女性が敵になることは多く、認知度も理解度もはっきり言ってまだ低い。我慢してる人も多ければ、理解のない女性が多いのも事実。生理痛に鎮痛薬をつかうことを「悪」という、1次元昔の情報を信じてる人も残念ながら多いのだ。婦人科疾患というのは、一部を除き命に係わらないくせに、ものすごい苦痛を強いられる。個人差も大きく、例えばポリープや筋腫がお腹を圧迫するほど大きく育ってても痛みを全く感じない人もいる。卵巣嚢胞も、破裂するまで気付かない人もいる。私の場合、フリーページにも残しているように、病巣の大きさから言ったら、ひよっこみたいなもんで、もっともっと大変な状況の方は五万といる。それでも、痛みの出方や感じ方というのは病巣のサイズとは無関係で、私の場合は『複数の子宮筋腫と両側卵巣チョコレート嚢胞、癒着を伴う子宮内膜症、子宮腺筋症』と、フルコースだった。おかげで、皮肉にも周期ピッタリやってくる生理に、術後の今も毎月苦しめられる。ほぼ毎月寝込む。PMSに始まり、お腹を大きなスプーンでえぐり取られるような痛み、ヘルニアのような腰痛。腰かけていても、横になってても止まないめまい。「つわり」だったらどんなに嬉しいかと思うような吐き気。幸いにも、「痛み」に関しては、ありふれた鎮痛薬を乱用しなくても効く。過去の業務経験から薬の知識があるので、乱用してもしなくても効果が変わらないことを知ってるので、無理はしない。量を増やさないと効かないしつこい痛みと闘ってる人もいるから、それはそれで胸が痛む。子宮内膜症と子宮腺筋症のため、子宮全摘出か、閉経まで痛みとは共存になる覚悟なんだけど、主治医も言うように、子宮の中が手術と同様に一度きれいにクリアされる「妊娠・出産」も言い方は変だけど効果的な治療の手段でもある。私は、妊娠を望んでいるのを告知してるので、主治医もあえて言葉を選ばずに「妊娠すれば、確実に良くなるから」とストレートに励ましてくれる。決してセクハラとか心無い発言なわけではないのだ。だから、前回検診を受けた時も、「あまりに辛かったら、6ヶ月投薬治療をしてみますか?」とも言われた。私は焦っていた。もし、私が25歳前・・・もしくは30歳前だったら、それも考えたかもしれない。けれども、今32歳。一日も早く妊娠したいのだ。医学が進歩した昨今、40歳位の初産でも大丈夫とは言え、リスクがあることは確実だし、子供が20歳の時、自分が60歳・・・と人生設計を考えた時、やっぱり結婚も、出産も適齢期ってある程度はあるよな~って思うからだ。経済的なものも確保しておかないと、高齢出産は自分の子供への負担も増えかねないからな・・・って考えてる。とは言いつつも、40歳で授かっても、私はきっと天国に昇るような気分になれると思うけど。なんで、こんなことを改めて書いているかというと、コレだけの持病をかかえつつも、私は生理が不順になったことがなかった。治療で止めた時以外は、ほぼ予定通りに生理が来ている。3~5日のズレは起きることはあっても、大幅な変動は無く来た。それが、今日で最終月経開始から38日になる。普通に考えたら、「妊娠かも?」と思う。私も類に漏れず、ドキドキした。けれど、直感と言うのか、ベイビからのテレパシーというのか、私自身、「懐妊の予感」がしていなかった。可能性に期待して、がっかりするのが嫌だから、無意識にセーブしてたのかもしれない。それでも、妊娠検査薬を買って、調べた。私は生理が28日周期(25~30周期)なので、30日をカウントした時点でもう、そわそわした。結果は「陰性」。もしかしたら、早すぎてホルモンが少ないのかもしれない・・・一握の可能性を信じ、激しい頭痛が起きても、薬を控えてた。2回用を買ったので、数日後再トライ。結果は「陰性」。それでも、諦め切れなかった。(自分にしては)軽い生理痛のような腹痛とだるさ、眠気もあったので「妊娠初期」の兆候かなと期待が高まった。そして、昨日、クリアブルーでチェックした。クリアブルーは医者が使うのと同じ試薬らしい。本当に極々わずかだけど、薄っすらとラインらしきものが出た。彼にも見てもらった。ネットでも色々情報を探してみた。日数的に間違ってない時期に検査しても陰性の場合、何らかの異常がある場合があるので、早めに受診を・・・と書いてあった。地元でわりと評判のいい産婦人科に行ってみた。全ての私の情報を伝えた。超音波で見たら・・・お腹の中には何も見えなかった。尿検査したら・・・やはり陰性だった。「まだ、筋腫の手術したばかりでしょ?焦ること無いよ」「今はわからない時期だから、あと2週間したらまた来て」支払を済ませ、帰りの車で涙が溢れて仕方なかった。カルテのない医者に見てもらったこと事態、ミスだと後悔した。排卵の時期も聞けばよかった。あと2週間、もしその間生理が来なかったら?私は2ヶ月も無月経状態ということになるけど、それって大丈夫なの?¥6000も取られて、切ない思いになるだけだった。「妊娠してないよ」その言葉は、私には「妊娠できない」と聞こえてしまった。運転しながら、自宅までの10分ほどの間、大粒の涙は止まらなかった。女の直感って当たるもので、そうだろうなと覚悟はしてたけど、通常こんなに生理が来なかったことは無いので、セーブしていたと言っても、隠し切れない期待があったのだとわかった。彼の顔は見たくなかった。なんとなく、疲れてしまった。彼がいるから彼の子を欲しいと思うのだから、一人になれば、そんな思いに苦しめられることも無い・・・彼と別れたいとも思った。2階の寝室に帰宅して直行した私に、おかしいと直ぐにわかった彼が来た。悲しくて、泣いた。別れたいと言っても、子供なんか欲しくないと言っても、彼は「僕は別れたくない。のんちゃんの子供が欲しい」と言う。昨日、あまり眠れなかった。「少し寝なさい」と言われ、一人ベッドで眠った。おばあちゃんの魂が、ベイビとバトンタッチして来てくれたかもという期待と願いは、叶わなかった。彼は、あと少しだから、もう少し頑張ろうと彼なりの精一杯の言葉で励ましてくれた。不妊治療で何年も頑張ってる人にしたら、こんなことの繰り返しだと、弱い私は笑われてしまうかもしれない。疲れた心は、どこに持って行けばいいのだろう。
2006.03.25
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今日はイランの元旦。日本に長い彼は、特にハフトスィーンのお支度もせず、普通の休日となりました。結婚したら、ママンにならって、7個のSのものをセンス良く飾りたいと思います。来年が楽しみです(鬼が笑う?)。引越ししてきて、2ヶ月が過ぎたというのに、2階の部屋は荷物がまだ片付いてない(お恥ずかしい)。生活で頻繁に使うものはリビングに持ってきてしまっていて、長いこと狭いマンションでの生活に慣れてしまった彼などは、部屋ごとに別ける習慣がなくて、脱いだものも平気でリビングにポロリ。大きな子供がいるみたいで、手がかかるけど、キッチンも何もかも私の好きなようにさせてもらってるのでいいかな~。無印良品のパイン材の棚の小さい方はキッチンで使ってるんだけど、大きい方は組み立ててもいなかった(パーツがばらばらになったまま)。私の個室(私の物置き場)は、引越しで運び込んだまま・・・。今日、やっと重過ぎる腰を上げて、棚を組み立てた。彼のことも言えないよね。天気がよかったので、お布団を干した。バルコニースペースがあるのも嬉しいね。つい毎日のクセで、洗濯物は部屋干ししてしまったけど、外に干せばよかった・・・。仕事を終えた妹のMちゃんがうちに寄って、お茶飲んで、おやつ食べて、おしゃべりして行ってくれた。先日の母とのやり取りを心配して彼を交えて話した。母への気持ちはあまり変わらないが、妹と楽しく話が出来てうれしかった。Mちゃんが仕事と両立させながら在籍していたT大学(東大ではない)の通信過程を今年、卒業となった。大変な中、頑張りぬいた。そして、晴れて23日に卒業式を迎える。通学過程と合同の卒業式が日本武道館で行われるらしい。その時、着物と袴で出席するため、着付けをしてもらうために着物の小物類を借りにも来たのだ。私も多少着付けはできるけど、袴はやったことないのと、人に着せてあげられるほどの腕はないので、今回は妹の職場で仲良くしてもらっている方にお願いしたそうだ。私は、身体的理由から大学を中退したので、妹の卒業が自分のことのようにうれしい。何か、お祝いをしてあげたいな。物も、いいんだけど、一緒に旅行にでも行きたいな。しっかり稼がないとナ~。
2006.03.21
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昨日の疲れで起き上がれなかった。ふらふらって言葉が大げさじゃなかった。お天気のせいもあるのか、体調はどん底に落ちていく過程といったところだった。出勤するつもりだったんだけど、無理だった。リビングでもずっと横になってた。母からの電話とメールでことは始まった。彼について、色んなことを言われた。話の本髄は別だったのに、母の悪い癖で、なんでもくっつけて話をするので、それはあらゆるシーンでトラブルの引き金となり、私たち娘は何度となくそれで衝突した。年齢とともに、私たち娘サイドは荒れることもなくなるのと反比例して母は加齢とともにわからずやになって、話の混濁が多くなった。私にとって、許せないキーワードというのがいくつかあって、今回それを踏みにじられた。頭にきて、泣き叫んで電話を切って、それっきり電話にも出なかった。メールに書き連ねられた言葉にも返信しなかった。私は彼とも別れると言い、全てから自分を遮断したくなった。彼は話の一部に自分も我慢できない言葉があり、彼も明日出て行くと静かに言った。しばらくして、私の心の氷を彼が解かしてくれた。彼が世界中の人を敵に回しても、のんは味方でいると約束したことを守り通せそうだ。塞ぎこんでいた私の話を彼に聞いてもらい、彼はどの言葉にストレスを感じたかを聞いた。「ママは、なんで俺をファミリーに紹介したくないの?」やっぱり・・・。彼には言葉の通りにしか伝わっていない。会話した中でなら理解できる日本語も、他人がどういう心境か図りきれない状況で発した言葉は外国人の彼には時として、そのままの形でしか理解できない。ことの真髄を説明した。もし、母が面白くなかったとしても、私は生きてる人たちは眼中になく、祖母に逢いに行ったのだ。それに、父も彼の弔問を快諾してくれた。彼は私の婚約者だから、彼が望んでくれたから、祖母の葬儀に参列して欲しかった。私の意地でもあった。誰にも邪魔されたくない、仏様が私の味方になってくれる・・・そんな気がしたから。お通夜の席の彼は立派だった。日本の佛式の葬儀参列は初めてではないけど、日本人でさえしきたりとか慣れないことなのに、私の「もし嫌じゃなかったら、ご焼香してあげて」との言葉に、最初親族として一緒にしてもらおうかと思ったけど、結局、参列者の一番ラストに見よう見まねで焼香をしてくれた。キチンと喪服(黒いスーツ)姿でネクタイもきっちり締め、挨拶もきちんとし、父の面子を保ってくれた。情と義理に深い国の人だから、まだ入籍もしてないけど5年も連れ添ってる私の祖母の葬儀に当然のように参列してくれた。そんな優しい彼にわかりもしないことをグダグダ言った母には幻滅した。実際は、彼に何か問題があるわけではない。それなのに・・・。もう少しの辛抱なんだよ。もう、明るい未来はそこにあるじゃない。母の一挙手一投足にまどわされてはいけない。私たちは祖母への孝行のためにも幸せになる義務がある。雨は、恵みの元。曇りは・・・心を休める時。嵐は、全てを洗い流してくれる。明日はきっと快晴。大自然に感謝して、ネガティブな思いは洗い流してしまおう。
2006.03.16
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昨夜というか、AM1:30頃帰宅し、祭壇と遺影をデジカメで撮ったものをLサイズのフォト用紙にプリントアウトした。一応、父のきょうだい9人分×3枚。こんなのいらないって言われてもいいけど、きっと年配の人たちは喜んでくれるかなって、用意した。リビングの長座布団とベッドから持ってきた毛布をかけて寝た。彼も隣で寝てしまった。仕事で待ち合わせているため、5時起き。ほんの数時間の睡眠になってしまった。起こされても、ふらふらだった。目を覚ますため、シャワーを浴びて、支度をした。喪服に着替え、予定を少し遅れて6時30分頃出発。運転は彼に任せた。のんは、爆睡だった。ダーリンごめんね。彼の義兄の会社の前で彼とはバイバイ。眠くて、運転できるか不安だったけど、10:30迄に親族は集合と昨日言ってたので、間に合わせようと頑張ってみた。首都高から東北自動車道へ。ナイショだけど、初めて160km/時出した・・・。館林ICで降りてからの渋滞には参った。バイパスを辛抱して目的地まで頑張った。予定時間を少しオーバーして到着。妹2人と母は先に着いていた。告別式には間に合った。昨日は間違えてお客さんの席に座っていたのだけど、今日は間違わずに親族席にかけた。告別式も滞りなく進んだ。祖母の遺言状と言うのか、「おわかれの手紙」が進行役の方によって読まれた。生前、母からの手紙の返信で何度か祖母の手紙は読んだことあるけど、それを思い出させる手紙、そして、生前多趣味だった祖母の特技の一つに歌があったのだけど、その代表作も何作か読まれた。寂しい夜を歌った歌では、皆が涙した。祖母は、9人もの子供を生んだけれども、根っからのお嬢様で、純粋で勤勉で、いい意味で生活臭さのない女性だった。沢山の子供にかこまれながらも、それぞれに乳母がいたような環境だったから、今で言うマダムだったのかもしれない。それでも、家計の足しにとずっと仕事もしてたみたい。以前、遊びに行ったとき「お腹すいただろう?ラーメンの出前とってあげるから食べなさい」と広い家を走って出前の手配をしてくれたことがあった。父と私と妹だったかな?3人前頼んでくれたのを憶えてる。私が中学生の頃だと思うから、もう祖母は80歳近い歳だったのだと、振り返って思ったけど、本当にエネルギッシュでパワフルな人だった。年寄り臭さや貧乏臭さがなく、キレイ好きで、97歳の夏にあった時も、美容クリームをつけてた。恋もしてた。決して多いとは言えない祖母とのやり取りも、思い返せば尽きなくて、涙は溢れた。最後のお別れとなり、棺にお花を納めた。肌が本当にきれいで、お花がよく似合った。娘達(叔母・伯母)がしきりに祖母に語りかけてた。いよいよ棺にふたをするとなると、皆の涙は一層溢れ、悲しみの瞬間だった。98歳の大往生だから、明るく見送ってあげようという思いはあっても、やはり98年分の祖母とのそれぞれの思い出があるのだから、別れは寂しいもの。私よりももっとふれあいが多かったいとこのM君なんかはすごく泣いていた。私は群馬県には住んだことがないので、必然的に近くに住む孫たちより疎遠になってしまう。しかも、母方の祖父母との交流の方がどうしても多くなってしまってたので数回に1度の割合で祖母に逢いに行ってた。もっともっと逢いに行ってたらよかったって、思った。でも、晩年私も大人になって、仕事人間だった父も定年を迎え、離れて暮らす祖母との距離がグッと近くなった気がした。そういうものなのかもしれない。孝行はし足りないものなのかもしれない。出棺となり、火葬場へ移動。いよいよお別れとなる。私は、火葬場は初めてじゃないけど、華やかに飾られる葬儀場と比べ、火葬場は寂しげで、好きじゃない。でも、もしかしたら肉体を離れ、いよいよ天国に向かう瞬間と考えたら、ものすごく神聖な場所とも思える。祖母の棺が荼毘にふされる。お別れの瞬間。お水を絶やさないようにと、順番にコップのお水替えを皆でする。そして、待つ間、食事が振舞われた。供養のために、楽しく食事をする。昨日は緊張する彼と弟と一緒だったので(私はたらふく食べたけど)味気ない感じだったけど、今日は妹達と一緒だったので美味しくいただいた。折り詰め弁当は味も美味しく、食べることに糸目をつけない我が一族のポリシーを感じた。叔父が隣に座り、私と同い年のいとこのS君が正面にかけた。彼とは同い年だったこともあり、群馬に帰省するたびに幼い頃はよく一緒に遊んでもらった。男の子だけど、やさしくていい子だった。面影があって、変わってないな~と思った。少し太ったけど、それも貫禄。まあ、私は誰からも「のんちゃんは本当に変わってないね~」と言われる(今回も言われた)。たまには「きれいになったね」とか言ってくれよ。昔からかわいかったと言うことで、自己完結。祖母がお骨となって帰ってきた。お骨を納めるセレモニーが行われた。妹と骨を拾った。祖母は、ほぼ老衰で、癌などの重病を長く患っていたわけではなかったので、お骨が真っ白できれいに沢山残っていた。骨太なおっかさんだったんだな~ってお骨からも感じられた。9人きょうだいの6番目だけど次男なので、遺骨を運ぶ大役を父は仰せつかった。長年、「ヨソモノ状態」で次男なのに肩身が狭かったと拗ねてた母が心底喜んでいた。母は長女なのにお嫁に出たので、次男(しかも6番目)の嫁の立場というのは窮屈だったのかもしれない。ちなみに、私も5人きょうだいの長女なので、窮屈なのは苦手。そこがアメリカの伯母さんとの大いなる共通点。遺骨を運ぶ父がなんか嬉しそうで、アメリカの伯母同様離れて暮らしていた(マザコンの)父が最期の最期に一番近くで母親を抱くことが出来たような気がして、父の心に副えた気がした。葬儀場に戻り、お開きとなった。本家に戻り、お線香を上げる。祭壇のお花は花束にして持たせてくれた。私は沢山貰ってきた。葬儀場から本家に行く途中、妹達の車が迷うというアクシデントがあったんだけど、無事に到着し、お線香をあげ、帰路に。母が喪服を着替えるために、母の祖父母、叔母家族の家へ。今日もパジちゃんが元気に迎えてくれた。夕食をご馳走になって、彼が仕事が終わったと電話をよこしたので、のんと武蔵境に帰る妹のCちゃんは一足先に出発した。ガソリンがカラカラになってしまったので、館林IC近くで給油し、IC入り口近くで一般道で千葉へ帰る妹の車と遭遇。笑顔でバイバイし、のんは東北自動車道をぶっ飛ばした。彼のいるところ付近の両国で降りようと思ったら、その名前の出口がなくて、過ぎてしまった。焦って、宝町で降りた。やっとの思いで、彼と合流。そして、その足で武蔵境に。妹を送り届け、いざ千葉へ。睡魔に襲われ、やばかった。京葉道路の鬼高Pでドライバー交代。ダーリンの運転で帰宅。もう、くたくたでへとへとだった。無事に葬儀に参列できたことにホッとした。PMSの影響か、ものすごく神経とがっていたんだけど、祖母のおかげか穏やかに過ごせた。おばあちゃん、天国でもおばあちゃんらしく元気におじいちゃんと仲良くしてくださいね。
2006.03.15
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祖母の訃報を受け、父が一足先に群馬へ帰省。母と妹2人は抜けられない先約の用を済ませ、期末試験中の下の弟と合流予定。私は、ダーリンと私用の車を受け取る予定を変更せず、車検を取るために、カーディラーで自賠責保険25か月分を支払い、仮ナンバーを市役所に取りに行った。学校勤務の上の弟が半休を取って、私たちと合流して出発。喪服姿の私と彼、そして弟。私の運転で、東京経由でまず車を受け取りに越谷へ。弟の車だったボコボコのブルーバードが今日で車検切れのため、このタイミングで車を新しくしたのだけど、偶然おばあちゃんのお通夜になってしまった。でもよかった、駆けつける手段が無くなってしまってたら・・・そう考えると、いくら彼が仕事で車を売っているとは言えオーナーになる私が金欠で、悩んでいたところ、ラッキーな話が次々とやってきてくれた。仮ナンバーだけど、おばあちゃんの葬儀に恥ずかしくない素敵な車で行くことが出来た。3月の決算期、首都圏の道はどこも渋滞。国道122号線から東北自動車道を経て、群馬県O市へ。もう、慣れに慣れた道なので、無事に到着。喪服姿の父がいた。伯父と伯母、叔父、叔母が皆揃ってた。祭壇の祖母の遺影を見ても、なぜかTVドラマのワンシーンのような気がした。祖母の生家も、嫁ぎ先である家も地元では割と大きい家なので、98歳の祖母の通夜に多くの弔問客が訪れた。おそらくは、祖母の子供達(おじ・おば)の関係者だと思うけど。明らかに『ガイジン』の彼を連れた私に好奇の目はこんな時にも注がれる。私はそういうのが平気だった。父方の家系は割りと顔立ちが濃いので純粋な日本人っぽくはないから(笑)、私にしたら「大した違いはないよ」って。通夜はあっという間に終わってしまった。運転用の色付き眼鏡しかうっかり持ってこなかったので、「サングラスのガイジン連れたねえちゃん」になってしまった。それでも、祭壇の祖母の顔を見たくて、眼鏡をかけ、見つめた。への字の口元は祖母譲りなのかな・・・。普段はスマイルで口角が上がってる(意識してます)けど、泣いたり怒ったりすると途端にへの字の口になるのんちゃん。小さな頃から変わりません・・・。ダーリンも写真の祖母を見つめ、「いいところに行ったんだから、大丈夫だよ」と涙を流す私を励ましてくれました。天国からなら、各地にいる子、孫にかんたんに逢いにいけるよね。略式初七日も済ませ、精進落としっていうのかな?通夜振舞の食事を皆で頂いた。待ってましたと、まずアメリカから来ている伯母が私に話しかけてきた。実は、前回私がまだお嫁に行ってないと両親と話していたことを気にかけて縁談を持って来てくれていたらしい。私はその話を聞いていたので、覚悟はしていた。でも、そのお相手のアメリカ人が割と収入もよくて安定した将来を期待できるとしても、神様が私にご縁を下さったのはダーリンなので、お断りするつもりだった。もったいなかったかもしれないけど。私は、彼が私の父と同様、伯母が日本人男性からは期待できなかった「レディファーストの精神」を持った男だから、伯母と同じく外国の男性に目が行ったのだよねと笑った。伯母が娘の頃より、日本人の男も随分ジェントルマンになったと思うよ。少なくとも、私の父と弟たち、そして私の幼馴染の男の子達はみな、女性をたてて、優しくて強くていい男だもの。だから、祖母に一目逢ってもらいたかった。貴方の息子によく似た、遠い国で生まれた彼と出会いました。私を父と同じかそれ以上に大事にしてくれます。おばあちゃんになんの孝行も出来てないけど、幸せになるから、心配しないで・・・・そう伝えたかった。宴席もお開きになり、遠方から来ている父と、同じく千葉県U市から来ている伯母と群馬県の他市から来ている伯母の3人は、祖母のご遺体と添い寝して、お線香の火を守るため、葬儀場の宿泊施設に泊まる事になった。そこで、おばあちゃんのお顔を見させてもらった。死に化粧をきれいに施してもらい、生前もきれいにしていた祖母の肌は、シミのほとんどない、そっと触れたら目を覚ましてくれそうなきれいな、本当にきれいなお顔だった。98歳とは言われないとわからないくらい、若いその顔に大往生でも、名残惜しいと思わせる存在感。人の一生は亡くなった時に決まるとも言うけど、祖母の存在の大きさを改めて実感した。明日、卒業式(教え子の)の弟と、どうしても抜けられない仕事の彼のため、のんは一度帰る。隣のO町に母の祖父母と叔母家族が住んでいる。一休みも兼ねて、彼と祖父母の対面の機会をもらった。祖父は風邪でダウンしていたけど、起きて来てくれた。ナースのイトコのMちゃんが偶然帰省してた。彼女とも、久しぶりで会えて嬉しかった。半年くらい前から、ペットセラピー効果も兼ねた、新しい家族が増えていた。ポメラニアンのパジちゃん。彼女は9ヶ月。色んなトラブルを彼女が救ってくれたようで、まさに天使だった。美人で、家族の寵愛を一手に引き受けてる彼女はなんとも愛嬌のある、かわいい存在だった。通夜の疲れと緊張で、出されたコーヒーもなかなか手をつけず、大好きなはずのイチゴも手を出せなかった。隣でパクパク食べてたのんは後でみんなに悪魔と言われていた。ある事情で、私は祖父母にも叔母家族にも遭いづらい気持ちがあった。だけれども、パジちゃんの存在がそれを紛らわせてくれた。祖父母も、日本語が堪能な彼に安心して、何度か話しかけてくれた。彼とのいきさつや近況は手紙で知らせてたので、後は顔を見るだけってところだったから、想像してた姿とのギャップがどうだったのかな?って思った。でも、生活範囲が一番狭い祖母が、抵抗なくにこやかに過ごしてくれたのでうれしかった。千葉の家にどうしても帰らなくてはならないので、名残惜しいけど、お別れした。そして、国道122号線~16号線を経由して、千葉へ。帰りもずっと私の運転。慣れた道だからよかったけど、かなり眠くなってしまい、居眠り運転一歩手前だった。振り返って、父方の祖母には間に合わなかったけど、母方の祖父母にも、こんな形だけど、父方の親戚ファミリー皆にも彼を紹介できた。おばあちゃんの粋な計らいに思えてならない。おばあちゃん、ありがとう。また明日逢いに行くね。
2006.03.14
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愛するおばあちゃんが、本日22時に永眠しました。夏に逢った時はあんなに元気で、私を沢山励ましてくれた自慢のおばあちゃん。先日、肺に水が溜まってしまい、危篤状態だった。意識が回復し、しばらく小康状態だった。98歳のお誕生日を3/8に迎えたばかり。アメリカからお見舞いで来日してた長女である伯母のアメリカ帰国が15日の予定だった。再び訪れるにはお金がかかるからと、思ったのだろうか?口下手で、出不精な息子(私の父)が一人で逢いに行ったことでホッとしたのかな?ホワイトディに20年も先に天国に行ったおじいちゃんが迎えに来てくれたのかな?お嬢様育ちで向学心を失わず、働き者で明るいおばあちゃん。おしゃれで、年寄り染みたことは嫌いなハイカラなおばあちゃん。私に、結婚して旦那さんに大事にしてもらうのが一番の幸せだよ、と明るく諭してくれた。20人もいる孫達をおばあちゃんはきっとしっかり覚えてる。そんな人だ。ダーリンを連れて、おばあちゃんに逢いに行くと約束してたのに、逢いにいけなかった。悔やんでも悔やみきれない・・・。本当は、行くはずだった。彼が風邪気味だったのと、いきなり行ったら他の人もびっくりするかもしれないと、時期をずらそうと決めたのだった。天国からは群馬の病院よりよく私たちを見られるね。きっと、見ていてくれる。いままでよりずっと、もっと。孫として、なにもババ孝行できなかったことを許してください。安らかに眠ってください。おばあちゃん、いままでありがとうございました。
2006.03.13
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予定を2時間ほどオーバーしてのスタート。彼の仕事に同行。仕事と言っても、今日はほぼプライベート。お客様のところに挨拶に行き、その足で私の車を買うために、知人のところへ。今日は、私が一日ドライバー。長時間の運転には慣れてるし、好きだけど、最近は助手席でスヤスヤ(乗り物酔いする私は自分の運転以外は短時間でも眠る習慣がある)ってことが多かったので、疲れた。200キロのドライビングだった。御茶ノ水駅で、妹と合流し、実家へ。ブックオフで、NANAのコミックを買った。これだけ流行ってるのに、読んだ事がなかった。好きなミュージシャンも絶賛してた。実は、作者の「矢沢あい」さんのことはかなり昔から好きで、いつかは読もうかな~と思ってて今になった。1、2、7.8、9、10巻とお店にあった全てを買ったんだけど、虫食い状態。だけど、1巻を読み始めてすぐ、はまった。社会現象になるだけのことはあるな~って思った。私はパンクは聴かないけど、ファッションとしては好きだったし、10代は恋に生きてきたし、さすがにミュージシャンとの恋愛はないけど、はまりにはまったよ。抜けてるところも早く読みたくて・・・眠れない。私は読書虫で、2歳で字が読めるようになってすぐから絵本ではない本を読んでいた。(本当に)速読法は知らないけど、読むのは早いほうだと思う。自室に篭って、コミック、週刊誌、百科事典、図鑑、広辞苑、文庫本、ハードカバーなんでも読んだ。なんでもって言うと語弊があるかも。少女小説とかいわゆる同人誌みたいな世界が嫌いで、○バルトとかは手をつけてないんだよね。大学時代は、学校とバイトの合間のちょっとの通学・通勤時間を使って、毎日文庫本を1冊買って読んでた。ちょっとエッチな内容のものもアリだった。表紙の色がきれいなの(パステル調のとか)を表紙買いして読んでたこともあった。そのころの虫が疼き出したのかもね。私は、自分の鼓動以外物音が全くしないような時間が、定期的に必要で、だから時々はこんなにも愛してるダーリンの存在が疎ましく思うこともある。それは、ダーリンにはなんの責任も非もない、私の持病のようなもの。読書はそれを可能にしてくれる。楽しい漫画でもOKなのだ。だけど、NANAって泣けちゃってさ、のめり込むね~。私は流行に触手するタイミングの速さにこだわりはないので、今の自分に旬な物がベストなのだ。嫌いなはずはないもの・・・なので、いつかは訪れる瞬間だったのかもしれないけど、期待を裏切らないでくれたNANAの魅力に、大満足。ベストセラーはそれなりに裏打ちされる実力があるってものなのだね。続きが楽しみだな。悲しい思い出なんだけど、それだけを楽しみに20歳過ぎても別マを購読してた・・・『いたずらなKISS』というアニメにもなった漫画があったんだけど(知ってる人は多いと思う)、作者の「多田かおる」さんの急逝で、作品が途中で終わってしまった。残念に思っているファンは少なくないと思うけど、今まで触発され影響を受けたアーティスト(画家、音楽家、役者、漫画家、作家などなど)が、志半ばで旅立ってしまうということは、できればこの先もなるべくあってほしくない。自分が、旅立ちを許される年齢になった頃、肉体が淘汰される頃まで、贅沢の限りを尽くしたい。あらゆるジャンルでいい作品が生まれ続けてくれることを楽しみにしてる。NANAの世界に浸り、そんなことを感じたのでした。
2006.03.11
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疲れ果てて、朝が遅かった。それでも、午前中に出発。今日は少し寒い。彼とちょっとしたことで言い合いになる。経済的なこともあるんだけど、色々お互いが頑張っても報われないことでストレスに押しつぶされそうになってる。今が辛抱の時。超えられない苦難はないと、どんな時も一緒にいる。私の職場には迷惑をかけてしまってる。社会人として失格なのはわかってる。勤務先の業績が足踏み状態なため、私の仕事は今までのキャリア、スキルから行くと持て余して必至。私は時給契約なので、出勤しなければ苦しいのは私。会社側も、体調のことを本当~に大きな懐で受け入れてくれ、わがままを聞いてくれてる。そして、私のパートナーが外国人であるが故、普通の日本人成人なら一人で済ませられる事務手続きなどに同行し、そのために仕事を休むこともある。生意気ながら、一応は勤務先の自分の仕事は頭に入ってるのでスケジュールを考えつつ、体調を見ながら動かせてもらってる。それでも、まかせっきりにしてくれてる他の社員さんからしたら、どうなってるか心配だろう。手の届くところに全てのファイルを置き、他の方が探さなくてもいいようにはしている。でも、日本で働く以上、たとえ仕事がなくて座ってるだけだとしても出勤しなくてはならないのが常識。私は、そう考えると常識のない社会不適応者って言うのかな、反省せざるを得ない。人様に雇われてる以上、出勤するのは当然であり、何かのクリエーターなら納品をもって報酬を得られるけど、そういう立場でもない。実の振り先を考えなくては・・・。4月・・・春をめどに考えている。彼がイランに帰るとき、私も一度行くつもり。したい仕事の基盤つくりもあるので、ゴロゴロ寝てばかりもいられない。だけど、絶対に無理はしない。数年前に決めたことだから。それで、非難されたり、解雇されても受け入れなくてはいけない。とりあえずは、与えられた機会を精一杯がんばる。今の会社の社長には心から感謝してる。もう少しの間、お世話にならせてください。
2006.03.07
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午前中、確定申告をした。自宅でオンライン手続きをしたのに、うまくいかず、プリントアウトもできなかった。だけど、医療控除は各ページ印刷し、計算も済ませておいた。今年は仕事も1箇所だけだったので、1枚の源泉徴収票だけだから楽。少し並んでたけど、PCが空いたのですぐにとりかかり、必要事項を入力し、印刷し、印鑑を押し、提出。賞味15分。沢山の熟年申告者をごぼう抜き(笑)して、車に戻った。最寄の警察署に運転免許の住所変更をしに行ったんだけど、写真が必要(県外からの転入の場合は必要)で、しかもそこにはスピード写真のマシンもなく、頭に来たので書類だけ貰って帰った。そして、都内に某所用のため彼と2人出かけた。運転は、私。平日昼間の道路は結構渋滞していて、時間がかかった。到着してからもいろいろ待たされたり、時間がかかった。精神的に疲れてしまった。遅い昼食をガストで取った。彼もストレスでピリピリしてたので、カプチーノがドリンクバーにあった時は助かった~と思った。コーヒーが切れると、ダメな彼。お腹も満たされ、少しイライラが引いた。それでも、全てが終了しないまま一日が過ぎた。帰り、津田沼のイオンで買いもの。階段の踊り場のはめごろしのガラス窓につけるブラインドを買った。洋服やさんで、春物のカットソーを3枚買った。(彼に色を選んでもらった)食料品を買い、無性に食べたくなったアイスクレープをサーティーワンで買った。バナナカスタードチョコチップ(だったと思う)。注文してから焼いて作ってくれるので、サクサクでアイスも美味しくて大満足だった。帰り道は彼に運転してもらって、のんはクレープにパクついてた。明日も忙しい予定。あ~、仕事で忙しいならありがたいんだけど、1円にもならない。私のお仕事もお休み貰って動いてるから、マイナスだよ~。早くスッキリしたい。
2006.03.06
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HAPPYBIRTHDAYMySweetHeart愛する彼の誕生日。一緒に迎えるのは5回目。これからもずっと一緒に祝えるよう、お互い健やかで穏やかでありたい。そして、彼を産んでくれたママンに「ありがとう」。
2006.03.05
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長女の私には、名前入りのお雛様がある。実家のクローゼットに収納されているんだけど、今年も出してない。段飾りなので、どうしても億劫になってしまう。片付けるのが遅れると、婚期も遅れると言うが、出さないと更に悪影響が・・・なんて気がする(笑)。そういうことでなくても、お人形さんたちを出してあげないのは本当にかわいそうだね。来年はしっかり飾ろうと思います。あと家は、旧暦に飾ったりします。4月頃なので、本当にいい陽気でかえって楽しかった記憶があります。およそ30年前の、のんと『希雛』。お飾りを取って、いたずらしてます。このあと、叱られました。
2006.03.03
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彼がずっと風邪気味で、のんも怪しげだったのと、寝不足で17時まで寝続けてしまった・・・。多分、前日のあの眠気・・・血圧がまた異常に低かったのかも(測定不能経験者)←言い訳。彼に、起こされた。死んだと思ったみたい。彼も、仕事に行かなかったみたい。起きても、ガウンをはおってボーっとしてた。腹ペコのダーリンにご飯作れと言われ、迷った揚句、アダスポロウを私が逆にリクエスト。作り方は、いたって簡単なんだけど、前に一人で作ってみたら、すごいことになってしまってショックだったので、彼に一緒に作ってもらった。イラン米だったので、きれいに出来た。私のために、塩と油は普通のより少なめだと思う。ダリヤショップで買ったツナ缶をおかずにディナー。2合炊いたご飯は、3杯おかわりしたダーリンのおかげで、なくなってしまった。よかった。そういえば、ポイントをキャッシュバックしてくれるサイトからまた入金があって、イーバンクの口座残高が¥5000を超えた。うれしいね~。
2006.03.02
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2/28の夕食。アメ横で3柵で¥1,000でゲットしたトロ。のんはお刺身で、手巻き寿司~。彼には鶏を焼きました。 一日中眠くて、仕事もさしてやることもなかった。天気も悪いから、余計ぼんやりしてしまった。友達のコリアンビューティが、無事にVIZAの更新を済ませたとの知らせを聞き、嬉しかった。ダーリンの国は・・・手続きが早く済むといいんだけど。早くパスポート届いてくれ~。最近、会社に来るヤクルトおばさん(おねえさん)から、週に3回ジョアとヤクルトを買っている。不妊についてのサイトで、乳酸菌もいいと書いてあったから余計意識してる。もちろん、味も好きだけど。昔、母がパートでヤクルトおばさんをやったけど、ハードな割りにお金がそうでもなかったことと、待ってる私たちがどんどん飲んじゃうから(笑)・・・とすぐに辞めてしまった。もう、25年くらい前の話になるんだな~。帰りの車中でもいつの間にか熟睡してしまった。夕食は、私の希望でサイゼリヤに行ってもらった。彼は、恒例の「若鶏のディアボラ風」とフォッカチオ3枚。のんは「イタリアンハンバーグ」とライス。2人でシェア用に、ぺペロンチーノ(私が食べたかった)と小エビのカクテルサラダをオーダー。ドリンクバーも楽しんだ。満腹になって、帰宅。夜型人間ののんは、『確定申告』がまだ済んでいないので、オンラインで申告書を作成した。去年は収入が少なかった・・・。そして、手術などもあったので医療控除の資料も作成した。一回、全部入力し終わって、フォーマットの選択ミスに気がついて、やり直し。久しぶりにデータエントリーをした気分だった。すっかり遅くなってしまった。早く、税務署に行かなくては。今年は還付金が受け取れるな・・・。これからは、沢山税金払えるようにならないとな~。頑張ろうぜ、ダーリン。
2006.03.01
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