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今年一年、みなさま大変お世話になりました。いつもいつも暖かい目でみつめ、大きな心で包んできてくれた、家族、親友、友達、ブログ読者様、そして最愛の人・・・ありがとう。
2006.12.31
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昨夜は、ライブ終演がまさかの22:00過ぎだったので、市電も終わってしまい、タクシーでホテルに戻った。腹ペコだったけど、開いていたのはチェーン店の居酒屋さんだった・・・。味は安心ラインなので、そこで乾杯(と言ってものんはウーロン茶)。ごはんものと、おかずをたくさん頼んで、ガンガン食べてしまった。ホテルに戻ると24時過ぎてた。順番にお風呂に入り、のんが寝たのは3:00頃だった。寝る前に窓の外を見たら、雪がちらついていた。朝は8:30過ぎに起きた。外は、予想以上に雪が積もっていた。9:00過ぎに朝食バイキングのレストランに向かった。昨夜、遅かったのに、そんなことは感じさせないくらいしっかりたっぷり朝食を摂った。部屋に戻り、片づけをし、11:00のチェックアウトに合わせて、出た。外は、寒かった。歩いて観光した。慣れない雪道、まして坂の多い函館の町をおぼつかない足元で歩いた。雪の函館を見ようと、ロープウェイに乗りに、坂道を歩いた。途中、一度転んだ(笑)。ちょうど、ロープウェイに乗って、展望台に着いたときに吹雪のようになった。前回、観光で2月に函館に訪れたときも地元の方が40年振りと言った大雪に見舞われた(気温-9℃を経験)んだけど、その時も吹雪の函館山だった・・・笑。帰りはお天気になって、助かった。もうすぐ閉館してしまうのだけど『GLAYミュージアム』というのが『北島三郎記念館』と同じ建物内にあって、入館料の要らないグッズ売り場だけ見てきた(入館料¥1700だったかな?)。ランチには、再度、ハセガワストアで「やきとり弁当」を食べてきた。今回は、ガッツリ「大」を食べてきた。明治館と西波止場市場(だったかな?)でおみやげを買った。SNAFFLE'Sの「チーズスフレ」は絶品。たくさん試食させてもらってしまいました。賞味期限が短いので、帰る日の今日買いに来ました。売り切れ必至のこの商品、ダーリンにはショコラを、自分用にはチーズスフレを、2個ずつお土産に買いました(@¥130)。ベイエリアを後にし、帰りにオルゴール館に立ち寄って、ホテルに戻った。預けていた荷物を受け取り、空港行きのシャトルバスに乗り込んだ。(¥300)ぎゅうぎゅうの満員だった行きとは違い、帰りはすいていた。あっという間に空港に到着。ニュースも新聞も見ていなかったので、空港の運行状況で初めて大変な事態を知った。名古屋空港からの便が何時間も遅れているようで、当然折り返し便も遅れていた。幸い、羽田便は通常運行だった。早めに機内預かりの荷物を預け、チェックインし、ついでにマイレージも登録しておいた。格安ツアー故、帰りの便は最終便。搭乗までまだ時間がたっぷりあった。お土産やさんをグルグル見て、もう買うものも(お金も)なかったのんは、ソファに座ってた。小腹が減ったので、ラーメン屋さんで『トラピストバター入り味噌ラーメン』を食べた。(¥850)おいしかった。普段、バターとかマーガリンってほとんど食べない(トーストもつけないことの方が多い)のだけど、上質なバターっておいしいんだ~って思った。さすがにやることもなくなって、搭乗口に入った。手荷物とボディチェックのとき、靴の金具で引っかかってしまった。そのとき、テロリストごっこをしてしばしなごんだ。搭乗時間が来た。19:40 函館発 JAL1170便は、無事に出発。うとうとしてたら、機内ドリンクサービス。のんの定番は、JALでもANAでもコンソメスープとジュースか冷たいお茶の2杯。1時間ちょっとの旅なのに、あつかましい客かしら?でも、スープはおいしいからはずせないし、お茶はお口直し。これからも、私は最低2杯はサーブしてもらいます。少し遅れて羽田に到着。ダーリンに電話したら、予定では仕事で出かけてしまってすれ違いで逢えないはずが、「家にいるから、ノンブレーキでぶっ飛ばして帰っておいで」と言われてしまった。民間パーキングで車を無事受け取り、2泊3日の料金¥4800を支払い、友達を家の近くまで送った。そして、のんは慣れた道をぶっ飛ばして帰った。疲れたけど、笑顔で「ただいま~」とダーリンに飛びついた。ダーリンの「おかえり」は私の大好物。
2006.12.29
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本日は、GLAYライブツアー『Re-Birth』の最終日です。GLAYのふるさと、函館はファンは一度は訪れたい場所です。そして、函館でのライブは一度は参加したいものです。ファンになって約10年、何十回もライブには参加してきたけど、函館でのライブは今回が初めての参加です。チケットが当選したときは、逆に「うそだ・・・」と信じられなかったくらい。今までも、参加しようと思えば方法はいくらでもあった(オークションを探すとかさ)。だけどさ、なんでも「時期」ってのがあるよね。どんなに切望しても、頑張っても、時が熟しないと得られないことってあるんだよね。私とダーリンの結婚とか、懐妊とかもそうだろうしね。大好きなことには変わりないけど、ファンである自分をいたわることができるようになった「今」が、函館ライブに参加できる「そのとき」だったんだろうな~って。今回、会場限定、数量限定のツアーグッズがあった。HISASHIくんのグッズで、是非ほしいな~と思っていた。ツアー途中から、抽選方式になった。抽選が12:00で、その少し前から並ぶスタイルになったので、早朝6時とかに会場に並びに行くようなことはなくなったけど、それもそれで楽しかったかもしれないな~(寒い中並ぶのは辛いけどネ)。ホテルの朝食を済ませ、身支度をして、10:30過ぎに会場を目指して市電に乗った。一日乗車券(¥600)を購入し、市電を活用。11:00過ぎに会場である『函館市民会館』に到着。すでに、100人弱くらいの人が並んでいた。最後尾に並んだ。天気はいいけど、底冷えする感じで、足元が寒かった。12:00を少し回ると抽選の説明があり、スタートした。しばらくして順番が回ってきたけど、見事玉砕・・・。聞いた話では各会場100個限定だったそうで、残念だったけど「ほしい!」という熱意がきっと102位くらいだったんだと思う。何かを手にしたいとき、遠慮とか躊躇っていらないんだな~って思う。「絶対ほしいんだ!」ってストレートな思いが強いほどきっと、叶うんだと思う。私は、「はずれても、・・・まあいいか」と心の片隅に持っていたから、はずれちゃったのかもね。でも、ちょっとしたワクワク感、楽しかった。公演までは、まだ時間があったので、会場を後にした。ベイエリアに出向き、西波止場のお土産やさんを覗いたり、ぶらぶら歩いた。GLAYファンにはもうおなじみの『ハセガワストアのやきとり弁当』をイートインした。函館(北海道全域かな?)で「やきとり」と言うと、「豚肉」だそうで、ご飯の上にのりが敷いてあり、その上にやきとり状の串に刺さった豚肉とねぎが載っているのです。塩と塩ダレとタレがあって、タレ好きな私はタレ味で堪能。おいしかったです。このお弁当も、私は、今回が食べ収めかな~。これからは鶏肉のやきとり弁当を楽しみますかね。一旦、ホテルに戻り、一休みして、17:00過ぎくらいにライブ会場を目指すべく、ホテルから近い市電の乗り場「魚市場通り」に向かった。とおりに出ると、異様な雰囲気とともに、衝撃的な光景が眼前に現れた。なんと、市電とトラックが接触し、市電があわや横転寸前になっていたのだ。たくさんのパトカーと地元TV局のカメラらしき姿が見られた。救急車はなく、後でわかったことだけど、怪我人はなかったそうだ。そんな事故を目の当たりにしながらも、旅の目的でもあるライブに間に合わないかもしれない!と焦った。函館駅の方へ小走りで歩いた。市電が完全に麻痺してたら・・・とドキドキしたけど、手前の駅で折りかえし運行をしていた。無事に乗り込むことができ、開場時間の18:00を少し過ぎたところで到着。18:30の開演に間に合うよう、皆走った。ほとんど押すことなく開演してきたので、皆慌ててた。後ろから数えたほうが早い席だったんだけど、緩やかなスロープの会場で、しかも座席が真ん中だったので、TERU(Vo.)の真正面だった。ステージも全体がよく見渡せた。上着を脱ぎ、タオルやお水のペットボトルをスタンバイし、ワクワクドキドキしていた。この瞬間は、何度となくコンサートに参加してるけど、初めてのその頃となんら変わらない。会場が暗転し、オープニングが始まった。大きな歓声も心地いい。会場全体がスマイルでいっぱいになる。この瞬間が大好き。白い緞帳にメンバーのシルエットが現れる・・・歓声がひときわ大きくなる。もちろん、私も叫んでる(笑)。たくさんの想いとメッセージを込めた『LAYRA』で始まるこのライブ・・・・のんは、涙でいっぱいだった。泣き虫なのんだから、いつもすぐ泣いてしまうんだけど、函館で聞く曲たちは、何度も何度もライブで聴いた、定番曲でさえも違って聞こえた。地元函館でしか見せない、GLAYのやわらかい笑顔、地元訛り、子供の頃のエピソード・・・TVや雑誌などメディアで知る彼らの魅力のルーツを垣間見ることができたような気がした。GLAYのことを大好きな理由が、ここにはたくさん詰まっている。ラストコールが寂しくて、アンコールが消えなかった。ファンの思いに答えたくて、何度も出てきてくれた。今回のツアーの最終日を迎えられたことの深い意味をよく知っているファンの一人として、ラストもまた涙でいっぱいだった。そして、また新しい一歩を歩き出す勇気をもらって、確認しあって会場を後にした。黙って、行かせてくれるダーリンへ感謝。だけど、ライブで聴く曲のすべてが、私にとってはダーリンとのすべてに重なるからこそ、涙が出るのかもしれない。ひとは愛情だけでは生きていけない・・・だけれども、生きていくことはあいすること、あいされることだって教えてくれた。私がいまここにいきていることのすべてが、ここにある。遠く離れたところで待っていてくれるダーリンの暖かさを、北の大地でもリアルに感じている。新しい年を迎え、これからまたたくさんのたくさんの険しい道が待っている。スマイルが消えそうになったとき、今日のライブの記憶がエネルギーとなってくれると思う。
2006.12.28
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前夜は、したくと片付けにおわれ、一睡もできなかった。途中、某駅近くで待っている友達と合流するため、渋滞を懸念してかなり早めに出発した。以前、長崎旅行の時に利用した民間パーキングを事前に予約しておき、年末にしては(多分)最安値で2泊3日マイカーを預けた。旅行も、格安ツアーを利用してて、チケットは団体用カウンターで当日受け取り。のんは、このパターンは初めてだったので、ドキドキだったけど、あっけなく往復のチケットはもらえた。13:00 羽田発 JAL1165便で、函館へ出発。東京は、台風一過のフェーン現象(だっけ?)の影響か、18度とかいう春の陽気だったけど、さすがに北海道、飛行機が函館上空に来たら、空気も冷たくなってた。少しだけ遅れたけど、ほぼ定刻に函館空港に到着。小春日和(っていうんだっけ?)の東京から来たものにとっては函館の空気は冷たくて、寒く感じた。それでも、天気はとてもよかった。シャトルバス(¥300)にのり、宿泊先の『函館国際ホテル』にGO。およそ3年振りの函館駅はものすごくきれいにリニューアルされていて、バスから興奮してしまった。無事に、ホテルにチェックインを済ませた。荷物を解き、一息ついた。夜景を見ようと、ロープウェイで函館山に登りたかったんだけど、乗り場まで坂道をえっちらおっちら登っていったら・・・前日の悪天候の影響からか営業していなかった。夕飯はしっかり食べたいね、ということで、『金森ホール』に向かった。アルコールはほとんどNGののんは、甘口のビール(ジョッキのほう)を半分だけ。山盛りのジンギスカンとじゃがバター(バターはトラピストバター)を堪能しました。お腹が満腹だったけど、夜道をのんびり歩いたので、消化がよかったヨ。ホテル暮らしが大好きなのん、楽しんでいます。
2006.12.27
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今日は、父の65歳の誕生日。家族が誰一人欠けることなく、この日を迎えられると言うことは本当に幸せであり、感謝です。仕事の人、部活の人、恋人と過ごしてる人・・・など、家族全員が一同に集まって何かしてあげることは出来なかったのだけど、皆が健やかであること、うれしく思います。お父さん、これからも元気でいてください。私とダーリンは、一緒に過ごすことが出来ました。仕事で忙しかった為、ここ数日はまた別行動が続いたりしてたけど、私の思いは届いたようで、ダーリンは沢山の洗濯物と一緒に昨夜帰宅しました。昨夜、帰宅が遅かった私は疲れてしまって、ずっと布団でゴロゴロしてました。ダーリンもそれに合わせてゴロゴロ。元来、ゴロゴロしてるのが嫌いなダーリンは、しびれを切らして起きてTVを見てました。ダーリン、お昼は味噌ラーメン作って食べてました(私はボンヤリしてて食べなかった)。クリスマスなのになんとも色気のない二人・・・。それでも、二人でいっしょに過ごせるということは、やっぱり何よりも変えがたいです。「寝正月」ならぬ、「寝クリスマス」って感じで、ゴロゴロダラダラ、ラブラブと過ごしました。喧嘩もせず、穏やかな時間を過ごせたことは、神様からのプレゼントかもしれないね。19時過ぎに上の弟Hくんからメールが来てました。タイトル『いるんだよ☆(サンタの絵文字)』本文『玄関の外みて』そのメールに気づいたのが19:50過ぎ・・・「えええ~?」と慌てて玄関の外に出た。庭から門まで走ってみたけど、いるわけないか・・・と玄関に戻った。家の中に入ろうと思ったら・・・玄関の柱のところに、包みがひとつ。私はHくんのメールを、うちに(用があって)来てくれたのに、私が気づかなかったのだと思っていたけど、違ったみたい。多分、彼女と一緒にいたのだと思うのだけど、時間を作ってサンタになって届けてくれたのだと思う。Hくん、ありがとうお父さんに何もしてあげてないのが、心残りだけど、緩やかな時間の経過に、なんとも幸せな気分です。
2006.12.24
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かかりつけ(という言い方でいいのか?)のJ病院に行って来ました。先日のCT検査の結果を踏まえての診察(循環器内科)と、ピルが終わったので、相談を兼ねて婦人科も診察。循環器内科は(おそらく主治医となった)S先生の予約診療で、婦人科は主治医のK先生が予約診療の日なんだけど、OKだったら診察してもらう。ダーリンに付き添ってもらい、車で出発。出発が遅かったのと、ラッシュにぶつかってしまい、予約時間の10:30に遅刻しそうになった。高速をぶっ飛ばしてもらった(と言っても大渋滞で飛ばせず・・・)けど、5分前についたら、前の時間帯の患者さんがまだ全然終わってなくて結局1時間以上待たされた。婦人科の方は、金曜午前はK先生は予約以外は受けないということだったんだけど、看護師さんが聞いてくださり、時間が取れたらということでお願いした。だのに・・・タッチの差でダメだった。でも、同じ婦人科で腹腔鏡を担当なさっているK先生(男性)が診察してくださると言うことで、お願いした。退院後直ぐの頃に一度診察を受けたことがあったかもしれないのだけど、もしかしたら初めてかもしれないK先生はとても物腰がソフトで優しく、話しやすい先生だった。ピルを継続することに不安と迷いがあったのんは、そこらへんを循環器内科の件とあわせて先生に相談し、結果、もうしばらく継続することになった。子宮内膜症、腺筋症の私には有効な治療法だということを丁寧にあらためて説明していただき、決めた。婦人科の診察が終わり、循環器内科に戻り、順番を待った。ほどなく、私の番が来た。こっちはダーリンも一緒に診察室に入ってもらった。S先生は、「お待たせしました」とおっしゃった後、CTのフィルムをじっくりと見た。私は、そのフィルムに釘付けになった。腰椎椎間板ヘルニアや婦人科がらみで、腰部のCTは何度か経験があるので例の人体の断面図の写真は見たことがあったのだけど、もう一つ、びっくりしたのは、心臓そのものがはっきりわかる写真の方。生物の授業とかで見るような、人体解剖図の臓器の写真の白黒版みたいなので、絵のようにも感じました。傍らでダーリンが「毛が生えてる」とボソッと言ったので吹き出してしまった。心臓から出ている無数の血管がまるで、芽が出て根っこが伸びたジャガイモのようにも見えた。なんか、緊張がほぐれた。この瞬間だけでも、ダーリンに同席してもらってよかったとおもった。S先生は、一通り見ると、カルテに目を通し、他の検査の結果なども見ながら、「どうしますか?年明けにでもさっそくカテーテル検査しに来ますか?」とおっしゃりました。戸惑いながら、「先生、カテーテル検査はしないということは無理ですか?実は、不安があります。」と伝えた。そして「逆に、カテーテルで(穴を塞ぐ)手術をすることは可能ですか?」ともたずねました。S先生はいやな顔一つせず、話を聞いてくださいました。けれど、「カテーテルでの手術はできないね、まだこの方法は確実じゃないから、他ではやっているところ(他の医療機関)もあるけど、こちらではできないよ。」とおっしゃりました。ネットなどで、色々検索し調べ、まだ充実した方法ではないこと(取り入れている医療機関に問題があるということではありません)、患者さんのタイプや患部によっては適用されないことはわかっていたので、「やっぱりそうか~」という程度の感想だったので、それはまあいいやと思いました。そして、「シャント(血液が間違った方向へ流れ込んでいる量)が多いから、手術はした方がいいけど、すぐに手術をしなくてはいけない状態ではないから、もう少し様子をみようか?」「3月頃に診察して、夏ごろまた超音波見てみようか?もし、それまでに自然妊娠したら、その時はしっかり管理すればいいのだから。大丈夫、多くの人は無事に妊娠継続、出産できてるから、(リスクが)90~95%とかそういうわけではないのだからね。」前回、考えられるすべての私の事情(妊娠が容易ではないこと、海外滞在の可能性があることなど)を伝え、手術の時期を先生のアドバイスのもと、早めに手術を受けてしまうと言う選択を選んでおいた。妊娠を希望しなければ手術は必要ない・・・ということもないみたいだし、結局は『いつするか』が変わるだけだし。だけれど、手術自体に対する心の準備は少しずつ出来てきたけど、経済的な問題もそうだし、ダーリンの帰国の予定、準備もあり、手術の時にダーリンが不在の可能性があり、それがハッキリしているなら(家族が近くに居るから)まだいいのだけど、ハッキリしてない時期に入院、手術となることに、とてもとても大きな不安があって、そのことが、最近鬱々とさせてる理由の大半を占めていた。嫌なこととか決めたことを先延ばしするのが嫌いな性格なので、手術は(妊娠のこともあるけど)早く終わらせてしまいたいという思いもあった。S先生は『今すぐ手術をしないといけないような重篤な状態ではない』ということから、「患者であるのんが迷っているうちは、手術はすべきではない、経過観察していきましょう」という判断をしてくださった。心雑音、不整脈、血圧なども大丈夫みたい。病院で医師に計られるといつも高めになってしまう(と言っても110/70くらいだけど。元が超低血圧で上が90以下のことが多い)。咳が続いてて、S先生は「肺への負担」を考えたのか、心配してくださった。風邪が抜けない・・・と話したら、大事にしなさいねと言われた。風邪引きやすいというのがこのASDの特徴の一つだから、ある程度は仕方ないかもしれないけど、出来る限りの予防はこれからも怠らないようにしようと思う。『肺高血圧症』という怖い状態にならないようにもしたい(心房中隔欠損症の場合は少ないそうです)。穴の大きさは(CTを見る限り)10mmくらいだそうだ。33年間、そこから酸素が沢山入った、これから全身に流れる血液の一部が、肺にそのまま戻ってしまっていた。『空回りする性格』は心臓に由来してるのかしら・・・笑。3月に再度、診察を受け、その時に再度手術の時期を決めると思う。もしかしたら、夏頃に手術を受けるかもしれない。焦って決めなくてよかった。手術の時期に対し、自分に選択権があるという状態で済んでいるということも、とってもラッキーだと思う。今回、ずっと続く出血を憂慮し、中容量ピルも検討されたのだけど、結局、低容量ピルでいくことにし、4シート分の処方箋を書いてもらった。それを続けたとして合計半年の服用になる。子宮内膜症、腺筋症の治療効果も実感できる頃かもしれない。そして、それらを飲み終わる頃がちょうど次の循環器内科の診察になる。その後、冷静に(必要あれば)手術を迎えることが出来たとしたら・・・それが一番いいことだと思う。ダーリンがそばに居てくれても、いなくても、強い絆を実感できて、家族、友達に支えられて、またひとつ大きな山(丘くらいかな?)を乗り越えられると思う。すべてがいつもいいタイミングに運んでくれるように、動いている。私の小さな小さな気持ちが勝手に空回りして、気負って、焦って、急いでも、思うようにことは運ばず、いつも振り返ると「あ~このタイミングがベストだったんだな~」と強く実感することが出来る。出来てきた。これって本当に、お蔭様だな~って思う。「神様しか知らない」ということなんだろうな。勝手に複雑に心を硬くして、不安を助長してたけど、心をゆったりとすることが出来た。これもダーリンマジックなのかな~?心配していた両親に電話で報告した。帰りに、幕張のコストコに寄った。父が行ってみたいとずっと言っていたので、待ち合わせて、合流した。先に到着した私たちは、お目当てのディナーロールと桜卵、ダーリンの希望でメニセズのパン(ミニ)をゲット。一会員につき、同伴者は2名までなので、タッチ交代でダーリンは荷物と車で待機し、後から到着した両親と私(会員)は店内に。某自動車メーカーのレースメカニック兼テストドライバーをしていた父は、クルマ好きなダーリンと同様、工具売り場で目を子供のように輝かせていた。セットボックスを買うか迷って、母は買っちゃえば?とそそのかしてたけど、私が「いつでもこの値段で買えるから、あわてないでいいよ」と言って、次回に。ダーリンを待たせてるからと、足早に1Fの食品フロアを回った。母が狙っていたらしい「握り寿司」を2パックゲット。その他、牛肉、カマンベールチーズ、桜卵、ディナーロールなどなど、ゲット。父が、ケーキ売り場で、サッカーのデザインのケーキを発見し、私に話してきた。「Sくん(末の弟)にどうかな?あと、オレ。」そう、今月12/23は末弟のSくんの、翌12/24は父の誕生日なのだ。家族大好きなパパ様は、(おそらく)初めて見たアメリカンスタイルのケーキにいたく感激したみたいで、一目で気に入り、「これを頼もう」と興奮気味だった。48時間前迄に予約注文すると案内が書かれてて、22日にとりに行けばいいよな?とか、もうワクワクソワソワしてた。とりあえず、今日は注文はしなかったんだけど、私が取りに行くことになるのかな?キュートな父がますます好きになりました。会計を済ませ、涼しい(というか寒がりには寒いくらい)の店内で、トイレに行きたかったのんは、トイレに直行。出てきたら、父がソフトクリームを食べてた(笑)。母が「食べたい」と言ってたので、多分さそわれて買ったのだろう。母も私を追いかけてトイレに行ったらしく、一人ソフトクリームを食べる父は子供のようだった。母は、「アメリカンスクールの味」と言って、小学生時代の娘に戻ってしまうのだ。母は、公立の小学校だったけど、直ぐ近くにアメリカンスクールがあったらしく、バザーとかオープンスクールなどの交流の場で食べた、当時の日本にはまだあまり普及してなかったであろう濃厚なバニラのソフトクリームの味は、一瞬にしてタイムスリップさせてくれるようです。そんな、かわいい両親も、私の身体をとてもとても心配していて、医師との会話のすべてを伝えたら、ホッとしてくれた。私の目の前では決して見せないのだけど、父は母の前では心配で、不機嫌になってしまうそうだ。私の前では、いつもニコニコしてるので、信じられないけど、家族を一番に思い、大事にしてきてくれた父らしいなとも思います。それぞれのクルマに戻り、バイバイした。途中、クルマが隣り合わせになって、窓越しに手を振ると父も母もビッグスマイルを返してくれる。もちろん、その時そばにはダーリンもいる。父のクルマを発見するのはいつもダーリンが先だから。私は本当に恵まれていると感謝の気持ちでいっぱいです。
2006.12.15
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義兄の仕事の関係で、知人がイランに行ってて、帰ってきた。ダーリンがお土産のおすそ分けを貰って帰ってきた。イランに行ったことある方、イラン人のパートナーがいらっしゃる方にはおなじみのアイテムかも?上段から生クリーム(ホイップクリーム?)、パニール(クリームチーズの「キリ」に似てるよ)、イラン焼き菓子「クルチェ」(月餅に似てるかな?結構濃厚で私は得意じゃないの・・・)。パニールはイランで手作りのものを食べたことある人は、市販のものは物足りないかもしれないくらいおいしいそうです。ダーリンの帰りが遅かったので、ひとりでビーフカレー作って食べました。今日は成功。ジャガイモゴロゴロ入ってます
2006.12.14
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私は、今まで転職(と言えるほどでもないかもしれないけど)を何度も経験してきた。自身の都合によるもの、解雇、会社の閉鎖による退職、それから派遣契約の終了など。もともと、短期、単発の仕事もたくさんしたし、ダブルワークも経験している。正社員、アルバイト、派遣社員、契約社員、雇用形態も様々経験した。勤続○年なんて聞くと、偉いな~凄いな~って思う。いとこでナースをしている子がいるのだけど、彼女は看護学部を卒業して、付属の大学病院に就職し、何度か真剣に退職(転院とか)を考えたそうだけど、結局続けている。私の2歳下だから、丸10年になるのかな?中堅ナースですね。職業柄、転々としてたら仕事にならないだろうし、職場環境に恵まれた部分もあったかもしれないけど、やっぱり、彼女の頑張りはたいしたもんだと思う。私の場合、最長で4年かな?店長代理として頑張ってたけど、不景気の波に負けたとでも言いましょうか、時短による給与削減など、継続困難になって辞めたから、可能だったら続けていたかった。六本木のお店で仕事してたときも、詐欺師のような社長に1年以上給料支払遅延、未払数か月分、ボーナス不払などの末、突然の店舗閉鎖で、失職。これは辛かった。生活のために、同僚ととにかく生き延びる努力をできる限り工夫して頑張ってたけど、ボロボロにされた。それでも、閉鎖されるまで辞めなかったのは、その仕事が好きだったから。その後、ダーリンと出会ってから就職した会社では、過去に書いたけど、女性ばかりの職場で、その頃まだハッキリと病名を診断されていなかったこともあったのと、『女性の敵は女性』という言葉どおりの体験を痛いほど味わったりしたけど、結局、親身になってくれてるような振りをしていた統括部長に裏切られて解雇された・・・。その後の派遣の仕事は、いい仕事を紹介してもらったりしても、結局自身の体調の問題で、継続できなかったり、不本意な結果ばかりだった。辞めたくないなという私の思いと、どうにか続けてほしいと過剰なほどに色々考えてくださった派遣先の方々の暖かい配慮と、それらを必死で繋ぎ合せようとしてくれた担当営業の努力が、私の弱さで叶わなかったり・・・。私が、図々しく居座ると言えば居られたかもしれなかったけど、派遣社員という立場上、心苦しくて契約を打ち切ってもらったものもあった。とにかく、私は一つのことを継続して頑張ることが苦手なようだ(いや、そうだろう)。世の中の、頑張ってる方にしたら、なんて生ぬるい、わがままで甘えた野郎なんだとお叱りもうけるかもしれない。今までも、そんな自分の不甲斐なさに、ダーリンに泣きながら、胸の内を聞いてもらったことも何度もあった。その度に、ダーリンが「お前の価値が下がるわけじゃない。身体が悪いのだから仕方ないじゃないか」と言ってくれる。両親も、とりわけ母もそう言ってくれる。雇用側もボランティアやおあそびでやっているのではないのだから、例え病気を理由にしていても、欠勤することは解雇の条件に相当するのはわかっている。現に、ハンディキャップがあったり、難病を抱えながらも仕事をしっかりこなしてる方は沢山いらっしゃる。きっと、私だけが、甘いのだろう。ダーリンに先日も、泣きながら訴えた。「もう、仕事できない・・・私はどこにも行くことなんてできない」ダーリンがギュッと抱きしめてくれた。「俺の会社があるじゃないか。もう、外で働かなくていい」私が、グダグダになりながら仕事してるのを一番間近で見てきた。元気なとき、仕事を任されたとき、けっこう無理しちゃう、頑張ってしまうことも知っている。手抜きを器用にできるような性格じゃないこともよく知っている。私は、私の責任の下、支払うものがある。小遣いも自分の稼ぎから捻出したい。彼の自営業の規模を拡大する準備中の今、まだ、彼の会社から私の分までお給料を貰う準備は整っていない。今現在も、事務的なことのサポートはしているけど、ささやかなものだ。私は、仕事、学業において、まっとう出来ないで来てしまったという言わばトラウマのようなものがある。大学を中退していることもそうだし、仕事も転職が多いことを恥ずかしいと感じている部分もある。一つのことをコツコツと継続していくという力、強さ・・・私の一番ほしいものかもしれない。ダーリンが言った。「俺がいるじゃん」ふと振り返れば、ダーリンと出会い、手をつないで6年目を迎えていた。来年の6月が来れば、丸6年になる。結婚こそしてないけど、ずっと一緒にいる努力をそういえば続けてきた。結婚していないからこそ、一緒にいることを、愛しているということを、慈しむということを、一瞬たりとも当たり前と思わず、お互いが『努力して』しっかり手をつないできた。そうだ、私は株式会社ダーリンの一員となって、5年半という時間を越えてきたんだ・・・。私にとってみたらそれは、何百、何千件のデータを処理することより、何万、何十万という売上を生むことより、貴く、意味があるのかもしれない。私にしかできないこと。少し前まで、日本では結婚を『永久就職』なんて言ったりしたけど、そういう言い方も悪くないかもしれない。家族という企業の共同経営者・・・。マネーゲームなんかより、もっともっと複雑で困難なリスクに直面することも山ほどあるだろうけど、この人となら越えられる。ダーリンが私を選んでくれたように、私もダーリンと出逢い、その出逢いに運命を感じた。私は社会人としての適性は低いかもしれない。けれど、私を必要としてくれる場所があることに、もっと自信と誇りを持とうと思う。私を評価してくれる存在に恥じぬよう。株式会社ダーリンでは、のんは超エリート社員です(笑)。
2006.12.07
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☆鼻歌を歌う☆口笛を吹く☆周りに届く声量でおしゃべりをし続ける☆うろちょろうろちょろ動き回る☆そこにいない人の悪口をいい続ける☆一部のスタッフの容姿に関することをからかい、それをいい続けるこれ、何だと思いますか?昨今、世間で騒がれてる『学校でのいじめ』や『学級崩壊』についてではありません。私の勤務先の実態です。女性スタッフの一部の人間がこれを勤務時間中し続けています。繁忙期と閑散期との仕事量の差が極端にあるこの職場で、時期を問わず、朝始業時間とともに始まり、退社時間までず~っと同じ調子でいるのです。さらに、加えると★自分が担当している仕事だけが重要かつ、大変で、(この職場のメインである)データ入力業務を、軽視している(入力なんておしゃべりしながらできる仕事と明言)★管理職の女性が、同調しておしゃべりしっぱなしである★業務とは無関係の私事を理由にけんかをはじめ、当然その間業務の手は止まっている★仕事を選り好みする(指示をされるごとに「え~やだ」が口癖)スタッフの存在★指導力(のセンス)のなさを棚に上げ、他人のミスを大袈裟につるし上げる★スタッフ間の仕事量の極端な差を軽視★データ入力業務(PCオペレータ業務)に与えられるべき『目を休める小休憩』に対する配慮の完全な欠落★喫煙者にのみ与えられているとしか考えられない休憩時間★通常業務時間の怠慢がなければ発生しないであろう残業を見越して日中仕事をしている★残業代を稼ぐために残っているだけなのに、大変ぶっている今まで、黙ってきたけど、私はこんなひどい職場は初めてです。面接のとき「少しにぎやか過ぎるかもしれません、何かあったら言ってください」と派遣会社の担当に言われました。担当者、日本語間違っています。「にぎやか」というレベルではないし、職場で、成人した社会人がすべき行動ではありません。ですが、この職場唯一、一般企業と同等かある意味それ以上に厳しい点があります。『勤怠』です。「うちは、忙しいから休むときは替わりを立ててください」とか、欠勤は認めません。といった厳しい姿勢を最初に言われました。ある程度は、社会人として常識、最低限のルールかもしれません。私は、行きだしてすぐのころにマイコプラズマ肺炎騒動で欠勤しました。それについてもずいぶん絞られました。でも、それは当然のことだと真摯に受け止めました。体調が落ち着いているときはちゃんと出社しましたし、出社しているときはものすごく集中して少しでも多く、誰よりも少しでも多く頑張ろうという姿勢で努力してきました。依然として日常生活を蝕むほどの月経困難症状との闘いもあり、それを理由に欠勤してしまうこともありました。私が、『社会人としての常識を欠く人間』なのだろうと思います。でも、あらゆる不調を抱えてなお頑張ろうと思える職場環境だったら、どうだっただろうか?私が欠勤している日は、『我慢すれば何とかなる』状態ではないのは事実だし、『こんな職場行きたくない』とズル休みした日は一切ない。私も生活があるから、元気よく毎日出勤して、たくさんお給料をもらいたいと思っているから。派遣会社にも何度も話した。でも結局、彼女たちに辞められては困るので、黙認状態。安定して出社している人は、何をしても許されるのでしょう。実は私はその管理職の方と同じ時給で働いている。募集をしても思うような人材が集まらなかったそうだ。それで、思い切って時給を上げたそう。私はそれ以前の求人情報を知らないので、私が見つけたときの時給だったこと、別途交通費を支給してくれることで応募した。だから、その仕事を見つけるまでその派遣会社の名前すら知らなかった。同じ職場のスタッフの一人があるとき話してくれた。能力のあるスタッフは、現状に辟易してみな辞めて行ってるんだよ・・・と。ある人は、喧嘩になって、それで辞めていったと。確かに、その人のことなんだろうな・・・という内容の悪口を言うことがたまにあるから。その場にいない人、去っていった人、自分たちの気に入らない人たちは皆、「仕事ができないだめな人」扱いになる。私の場合は違うだろう。病欠とはいえ、仕事を休む人なのだから、私が悪いのだろう。私が休むせいで、皆が迷惑している。仕事が大変になっている。そう言われました。私は結構有名企業でお仕事させていただく機会が何度もありました。某化粧品会社は、会社の規模もかなり大きく、私のいたセクションはお客様と(電話でだけど)直接かかわる仕事だったし、常にタイムリミットとの戦いで、私語なんてありえないし、トイレに立つのだってタイミングを計らないとならなかった。他にも、完全に物理的に無理を通しているといった状況下で仕事をこなしてきた経験もあるので、今の職場の『もう限界の大変な状態』というのが、私にはどうしても生ぬるいとしか思えない。私から言わせれば、黙ってまじめにしごとすれば十分可能な処理件数だし、仕事内容だと思える。ハッキリ言えば、能力の低いスタッフが幅をきかしてリーダーぶってるから、立ち行かないだけ。一部の、派遣経験豊富な処理スキルの高いスタッフにおんぶにだっこになっているのに、それでもまだそれを認めず、あくまで大変な思いをしているのは一部の仲良しグループのスタッフさんだと思い込んでいる。私は、この職場を辞めます。仕事内容は簡単だし、雇用条件も悪くなかったので、続けられるだけ続けたかった。私自身の事情もあるので、仕方ないけど、続けられる環境への改善努力をしてくれない派遣会社とも縁を切りたい。そこにきて、都合のいいことを言ってきた派遣会社。労働基準監督署でもどこでも行くから、覚悟しててください。自分のことは棚に上げて、好きなことばかり言ってるけど、明らかに損益を生んでいる『膿み』を大事にするんだから、私にしたら共犯。私の体調を悪化させるストレスを増徴したことへの償いはさせるから。心の中のものを出してしまおう。私まで『膿み』になってしまう・・・。天に吐いたつばは自分に返ってくると言うけど、これからの自分をしっかりとしていくこと、その派遣会社へ確実にプラスになるという提案として、言いたいことを置いて来た。それを、「要求ばかりのおんな」としか汲み取れないなら、来年当たりその会社、ないかもね。ふふふ。
2006.12.06
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今日は、予定休で、J病院へ行ってきた。昨夜、いつもの月経痛の一番ひどい強いレベルの腹痛に襲われ、ボルタレン錠と、安定剤の残り1錠を一緒にのみ、「早く効いて~」と祈るような思いで、だけど、激しく襲ってくる痛みにのた打ち回り、それをダーリンがなだめ、おなかをなでてくれ、呼吸が乱れないよう、「シーシー」とまるで、子供をなだめるように、抱きしめてくれていた。それでも、痛みはなかなか和らいでくれず、ジタバタとバタ足するように体を揺らしていました。随分経って、薬がやっと効いてくれ、眠りについた。赤ん坊のがましだというくらいオイオイ泣いてしまったので、目がバンバンに腫れていた。今朝はどうしても仕事で都合が合わないダーリンの代わりに、仕事が休みの父と母が迎えに来てくれ、車で病院まで連れて行ってくれたのでした。昨夜の痛みがうそのように、今朝は痛みはほとんどなかった。お昼からは絶食になるので、コンビニでピザまんを買って食べながら行った。病院に着き、駐車場代がかかるので、別の場所で両親には時間を潰してもらう事にした。(J病院様~もう少し駐車場代安くしてください・・・)婦人科外来の受付をし、婦人科へ。「あれ?」やけに空いていると思ったら、案の定、私の主治医でもあるK先生、学会で休診でした・・・。チェックしておけばよかった~と思ったけど、昨夜の激痛もあるので他の先生でもいいから、と代診のM先生の診察を受けることにした。幸か不幸か、いつもではありえない待ち時間で順番が来た。私は特に女医にこだわらないので、イケメン(笑)のM先生にお願いしたのだけど、それはあたりだと思った。経験が浅いのかもしれないけど、私の分厚いカルテを熱心に読み、私の状況をキチンと聞いてくれた。(これはいつも超多忙なK先生も同じ、手抜きなし、患者の気持ち重視なのはJ病院の方針かな?)内診を受け、あらためて話をした。低容量ピルを開始して約2ヶ月(2シート目の途中)、7日間の休薬期間(月経日を調整するために休薬期間を置かずにピルを飲む方法もある)を取って、2シート目をスタートしているので、のんはその休薬期間に月経が(激痛とともに)キチンと来ていた。それなのに、1シート目の時には「食欲増進」以外なかった、いろんな症状が出てきたのでした。まず、不正出血。おりものシートではちょっと不安かな?って位の出血が続き、月経痛の軽い感じの腹痛、腰痛、めまいなど、(のんにとっての)通常の月経時に起きる不快症状があった。そして、腹痛は強くなり、平行して風邪を引いていたので、そのとき処方されていたアセトアミノフェンで我慢していたけど、それでは追いつかない位の腹痛と腰痛になっていた。それとともに経血量も増えて行った。それは鮮血ではなく、月経時に見られる、色のどす黒い、時々血塊の混じったものだった。それが10日以上も続いているのだから、さすがにこたえた。M先生は、これらの事情を踏まえつつ、エコーの写真を見て、「卵巣破裂」とか、「子宮穿孔」などの異常からの出血ではないようだ、との見解。おそらく、ピルの影響で『月経が来てしまった』のだろう・・・とのこと。1週間もあけずに次の月経が来てしまったことなんてないので、まさかとは思っていたけど、ホルモンのいたずら(ピルの影響)で、月経が来ただけなら、痛みにも出血にも対応のしようがあるので、ホッとした。めんどうだし、痛みが消えるわけじゃないけど、安心できた。M先生は、「腺筋症のあるあたなの場合、ピルを止めても激痛があるだけだから、今は少しつらいかもしれないけど、もう少し続けさせてください。必ず今までより楽になると思うから」とおっしゃいました。おそらく、主治医のK先生も同じ診断をなさるのではないかな?と思いました。子宮を全摘出するか、閉経するまで、続く痛み。いかに日常生活を快適に過ごせるかが、治療の焦点。医師たちにとって、取ってしまえば治る病気、塞いでしまえば治る傷、などと違う慢性疼痛疾患というものは、とってももどかしいものだと思う。まして、子宮内膜症、腺筋症などは、よほどの異常事態でないかぎり命にかかわる病気ではないのだから。それでも、医師やナースたちは誠意を持って対応してくれ、痛みに苦しむ患者をいたわって下さる。その思いに救われてる気がする。あっという間に終わった婦人科の診察。午後からは胸部のCT検査があるので、その受付も済ませておいた。予約票兼説明書に、○○受付に出してください・・・と書いてあったので行ってみた。「予約時間より早く行ってもらえる場合もあるので、行ってみてください」と、検査室を案内された。B1階にある検査部受付に行ったら、「心臓の検査は、投薬とかあるから早くなることはないよ」と言われ、時間になったらまた来るよう案内された。絶食なので、昼食やティータイムを取るわけにも行かないので、売店で雑誌を買って、広い1階待合所のソファで時間を潰した。一度、母に電話をしたら、巣鴨にいると言っていた。刺抜き地蔵は物凄い人出で、名物の塩豆大福も買えなかったそう(買ってきて~って頼んだのだけど、残念)。昨夜から心配し通しのダーリンからも電話が入っていた。一度電話し、とりあえず婦人科のほうは終わったと伝え、検査があると言うと「終わったらまた電話して」と言った。心配ばっかりかけて申し訳ない・・・。15:30からの検査で、1時間前に来てくださいとの指示だったので、14:00頃、再度検査部の受付に行ってみた。検査票を渡され、案内された。検査技師の方が、血圧と脈をはかる。血圧を下げ、脈を落ち着かせる薬が必要かを医師に確認しに戻り、「要投薬」ということで、お水と薬を持ってきた。(ちなみに、お薬は前回の診察時に処方され、今日持参した)しばらくして、再度血圧測定し、OKが出て、順番を待った。名前を呼ばれ、検査着に着替えるよう指示される。順番が来て、上半身裸に検査着を着た状態ののんは、検査台に乗せられる。造影剤を使うので、医師に右手に注射針を刺された。(点滴のようなもの)CT撮影は今までに何度か経験しているのだけど、造影剤をしようして、更に心臓の撮影と言うのは初めてだったのでドキドキした。途中、ニトロのスプレーを口にシュッとされた。医師の言うとおり、少し頭痛が起きた。あと、造影剤を使っての撮影となり、造影剤が血管を通して体内に入ってきた。医師の説明通り、体がカーッと熱くなった。特に、陰部って言ったらいいのかな?股のあたりがあったかくなった(月経が来てる状態だから余計かな?)。無事に検査が終わり、注射針を抜かれ、止血バンドをされ、着替えて外で待つよう言われた。緊張もあってか、動悸がしてしまい、過呼吸の不安がよぎってしまった。深く呼吸ができなくてちょっとブルーになってしまったけど、かわいい看護師さんが対応してくれ、じきに落ち着いた。造影剤を使用しての検査なので、その後の注意事項などの説明を受け、検査部を後にした。会計を待っていると、母がちょうど現れた。自動精算機もあるJ病院、私の受付番号が案内板に表示され、会計OKになったので、試しに機会のほうで金額を照会してみた。すると、わ~大変だ~。お財布の全財産を合わせても足りない金額だった。あわてて、母のところに駆け寄り、小銭入れしか持ってなかった母の小銭もかき集め、奇跡的に残金15円で、お金が足りた。会計を済ませ、ホッとして母のところへ。入り口のスターバックスでキャラメルマキアートのグランデとシュガードーナツをゲット。ちなみに、支払いは「スターバックスカード(プリペイド)」で支払い。助かった~。車で待つ父の元へ。会社には一応、早く終わったら繁忙期なので出社すると話していたんだけど、17時を回ってたのでお休みということになった。(はじめから休みだと思ってたそうだ・・・あっそう、気にして損した。)ダーリンにも終わったと報告。帰り道、仕事のことのフラストレーションを母に聞いてもらった。基本的には仕事は家に持ち込みたくないタイプなのだけど、ちょっと現状が・・・。心配しながらも、黙って運転してくれた父に感謝。帰り、父がお寿司でも食べに行くか・・・と言ってくれたけど、寿司がNGのダーリンが待っているので、あきらめ、自宅に送ってもらった。途中、心配する妹からも電話が入った。仕事が終わったからと電話くれたのでした。一日の経緯を伝えた。家に帰ると、ダーリンが心配そうな顔で待っていた。それでも、昨夜とはうって変わって、元気そうだったことには安心したようだった。金欠の二人、夕食はどうしようか?となり、ストックの鶏肉と野菜でカレーライスを作った。ルーを入れる段階でちょっとタイミングが遅れてしまい、ジャガイモが溶けてしまった。ジャガイモ大好きなのんとしては、ショック!ゴロゴロおじゃがが好きなのに~。トロトロのカレーになってしまった。味は、OKだけどね。なんだか、いつもどこかが痛くて、どこかが悪くて、病院に通って、婦人科だ~内科だ~循環器内科だ~と病院ツアーで、おばあちゃんになってしまった気分。おばあちゃんなら、年齢もあるから仕方ないけど、まだまだ若いのに情けない・・・そういう気持ちにどうしてもなってしまう。具合が悪いことを主張することが『悪』のような、具合が悪くても隠していないといけないような風潮。我慢することが美徳の日本は、私のような人間は、生きづらい。健康であることが当たり前ではないと言うことを、何度も実感させられる日々です・・・。
2006.12.05
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今朝は、心臓のあたり(心臓が悪いという感じはなかったけど)が痛かった。寒かったので、冷えてて痛いのかな?なんて思ってた。風邪も引いてたし、おとなしくしてようと、布団に包まってゴロゴロして、ウトウトしてた。なんどか、呼吸が苦しくて、左の肺が押しつぶされるような感覚に襲われて、目が覚めた。ウトウトすると、苦しい・・・の繰り返しがあった。ずっと寝てるのもかえって不健康だしな、と体を起こしてTVをぼんやり観ていた。流産などを繰り返した末に無事出産したご夫婦などが取り上げられてる番組を観て、泣いたりしたけど、穏やかにすごしてた。ダーリンが、仕事を済ませ帰宅した午後、遅いランチを取った。家にろくなものがなかったのと、ダーリンの希望で、ダーリンは塩ラーメン、私はもやし入り味噌ラーメンを作った(ダーリンが作ってくれた)。なんかフラフラするな~と思ったけど、ゴロゴロしてたからだろうな、と気にせず。出来上がったラーメンを食べだしたら・・・息が苦しくて麺が吸えない・・・。コントのワンシーンかのように、一すすりするたび、息切れでハアハアしてしまう。身体に力が入らない。それでも食欲は普通にあるので、随分時間がかかったけど、完食。スープを飲んだその後・・・両手が冷たく痺れ、息が浅く、まるで犬のようにハアハアとなってしまい、倒れこんでしまった。「過呼吸かも?」苦しくなる一方で、心臓との関連性とか、今飲んでいる薬もあるので気になり、とりあえずJ病院の循環器内科の当直の先生と電話で話した。私のカルテを見ているわけではないようだった。私の訴えを聞き、丁寧に対応してくれた。「おそらく過喚起症候群(過呼吸)でしょう。ペーパーバッグを知っていますか?」と説明してくれました。程度のいい紙袋がなく、また、うまくできない。なんどか、呼気を吸う努力をしたが、呼吸が浅くて苦しい、チアノーゼ状態になってしまった指先はつめが紫になってしまった。あまりに不安になり、たまたま立ち上げてたPCで、市役所のHPを見る。休日当番医を探す。偶然、何度もお世話になってる行き付けの内科医院が当番医で、受付時間が17:00迄。時計を見れば、16:44。切れ切れの呼吸の中、電話をする。事情を話し、ダーリンに車で運んでもらった。ますます呼吸が苦しくて、文字通り『肩で息をする』状態だった。休日の当番医の内科医院は風邪症状のひとでいっぱいだった。名前を呼ばれ、ナースに症状を話す。優しいナースに正しいペーパーバッグの仕方を教わり、一緒に呼吸を整えた。楽になったけど、一進一退で、苦しくなったり。奥にある処置室に通してもらい、横にならせてもらった。ナースコールのボタンも用意してくれ、まだ随分待つからと言われて、横になって待っていた。途中、ウトウトできたりもしたけど、苦しくて目が覚めた。しばらくして呼ばれ、診察となった。血中酸素濃度も十分あり、医師は大丈夫でしょうと。ただ、「初めてじゃないでしょ?」と軽くあしらわれた感じがあった瞬間、ムッと来たけど、実際、神経質なタイプの、女性に多いというこの症状、医師も珍しいことじゃないよと言いたかったのだろう。ただ、私は「過換気症候群」は初めてです。先生、長い付き合いなのに・・・。夜になると起こりやすいということで、安定剤を2錠、処方された。今飲んでいる薬を全部話し、大丈夫と言うことで処方箋をもらった。医師の対応より、ナースの温かさの方が大きかった(M先生ゴメンネ~)。ずっと待っててくれたダーリンに感謝。たまたま外出してて、すぐ駆けつけられなくて心配してくれてた母にも報告をした。ありがとう。夜は、何事もなく過ごせたけど、ぐったりしてしまった。なんか、自分がすごく情けない気分になってしまって、心底、落ち込んでしまった・・・。友人や知人に、過呼吸を繰り返してた時期があった繊細な子がいたから、どうなるとかよく理解しているつもりだったけど、後ろめたいような、この気持ちをもしその子がいつも感じていたとしたら・・・それも辛い話だな・・・。どこも悪くなくても陥ってしまう、だからか、仮病で騒いでいるようで、そんなことないし、誰もそんなふうには思わないって言ってくれるだろうけど、この鬱々とした気分は、どうしてだろう。自分の弱さ・・・そう思ってしまうこと自体が、弱さなのかもしれない。
2006.12.03
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