仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2026.07.09
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カテゴリ: 宮城

川崎町内にはいくつもの山城の跡が残され、どれもが桁外れのスケールだ。兵どもが駆け巡った往時に思いを馳せて、歴史探訪に出かけよう。
(別冊りらく川崎町探訪編2025(2025年5月)から、当ジャーナルにて編集)


1.上楯(かみたて)城跡

東西400m、南北600mの大型の連郭式山城跡。連郭式とは、本丸、二の丸、三の丸を直列した形式。最高所に本丸、西に二の丸、南に三の丸のほか、曲輪、馬場跡からなる。比高70m、北側は断崖で、東南面は数段のそれぞれ平場。

1545年(天文14)頃に築城。城主支倉常正は1200石の中級武将。1571年(元亀2)米沢の伊達藩士山口常成の子に生まれた常長は、7歳で伯父支倉時政の養子に。養祖父常正の築いた上楯城で青年期まで過ごした。

上楯城跡までは、圓福寺の駐車場から登るほか、山頂付近に駐車場。


本丸は広く、西に土塁が築かれ、空堀がぐるりと囲む。中央は鬱蒼と杉木立。明治以降は本丸は畑として利用されたが、持ち主が杉を植林して現在の杉の回廊のような光景に。本丸の北東側は二重の空堀で、ここに通じる虎口は二段のコの字の土塁が築かれている。同様に横堀が巡る二の丸も一部に土塁。三の丸はやや荒れているが、東側に横堀がみられ、南は堀切で遮断されている。

攻め入る敵をイメージすると武者震いがする臨場感だ。



圓長山圓福寺(えんぷくじ)。開創は平安後期で、明治初期に真言宗智山派の直末寺として現在地に中興開山した。塑像の延命地蔵菩薩が本尊。身の丈3尺、平安時代の作と伝える。脇仏にマリア観音像が置かれ、仏像に模していることから隠れキリシタン由来とされる。

常長は藩主政宗の命でイスパニアにわたり、帰国後は支倉の地に安住し52年の生涯を閉じたといわれる。圓福寺の本堂裏手の斜面には常長の墓とされる宝篋印塔が残る。ほかにも、錨印の付いた墓跡も3基あり、同行した人物の墓と考えられている。五輪塔は苔むして文字が風化で磨滅し解読ができない。

なお、常長の没年は、圓福寺の碑には51歳とあるが、大郷町メモリアルパークの碑は84歳、さらには常長の墓とされる場所は岩手県を含めあちこちに点在する。

3.前川城跡(川崎城、川崎要害)

川崎小学校の小さな丘(館山)が、かつて砂金氏の居城前川城の跡。砂金氏11代砂金右兵衛常房(実常)が1608年(慶長13)から2年ほど費やして築城。1702年(元禄15)まで居城。砂金氏途絶後は、最上境、笹谷街道沿いの要衝として、一門川崎伊達氏を配した。仙台藩の要害は支城の役割を果たし、21城のひとつがここである。要害は、城だけでなく必ず町場や宿駅などの城下町を持った。

現在城山公園となっている場所が本丸、川崎小学校が二の丸だった。周辺の町割りもほぼ当時のままである。いまの川崎町の名は、川崎城(要害)に由来する。なお、庁内には、前川城とは別に前川本城(もとしろ)がある(後出)が、川崎要害の前身の意味で、中ノ内城がそう呼ばれるようになったもの。

4.小野城跡(牛ケ館)

小野城跡のてっぺんからは、釜房湖、国営みちのく杜の湖畔公園、蔵王連峰までを一望できる。この巨大な山城は、天正年間、笹平山に小野雅楽之允(うたのじょう)が築城。1576年(天正4)、伊達輝宗と相馬盛胤の間の丸森での戦いに、近郷の砂金、支倉両氏とともに参戦。1588年(同16)の政宗の大崎攻めでは支倉氏とともに出陣。

東西250m、南北180m、東郭と西郭に二分され、それぞれが曲輪群と土塁、空堀などをもち、東の南側には大手、北中央付近に搦め手の虎口があった。南山腹に二の丸。主郭の西から北にかけて土塁がめぐり、北下には空堀から続く通路が搦め手虎口まで続く。

小野城跡にある熊野神社隣には、疱瘡神である若木(おさなぎ)神社がひっそりと佇む。

5.前川本城(もとしろ)(中ノ内城跡)



前九年の役(1056-)の際に、安部貞任が4千の精鋭で川崎柵によって戦い、その柵が地名から中ノ内城と呼ばれた。天正年間1573年頃、砂金氏8代常久が築城。1609年頃、11代常房が前川城に移転するまで居城した。居城期間は36年と短く、廃城後は本城と呼ばれ、周辺の地名にもなった。

200mの中世連郭式山城で、本丸、二の丸と大規模な土塁、空堀があり、馬出曲輪も備える。1500石ほどの砂金氏の動員人数より曲輪が広すぎるため、関ヶ原のころに上杉対策で最上への増援を考え外曲輪を増設したのではないかと考えられている。

6.知ってタメになる用語一覧(当ジャーナル編集長メモ:これは気が利いたコーナーです。りらく編集者に敬意を)

土塁  土を高く土手状に盛った防壁
曲輪(くるわ)/郭(かく、くるわ)  生活上軍事上の理由で平坦化された土地
虎口(こぐち)  曲輪の出入り口
枡形(ますがた)  土塁や石塁で方形に囲んだ虎口。防御を重視した出入り口で、塁線の内側に設置する内枡形、外側に設置する外枡形がある
空堀  水堀(濠)に対して水のない堀。現存する堀は、廃城以降堀底に土が堆積して浅く見える
要害  地形が険しく、守りやすく攻めにくい所
搦め手  城の裏
横堀  曲輪を取り巻くように、等高線に沿って作られた堀
堀切  敵の侵入を防ぐために尾根を垂直に切り取って作られる空間。曲輪同士の区切りや城の境を示す目的で造られることもあった





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最終更新日  2026.07.09 21:10:25 コメントを書く
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