仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2026.08.14
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(僧徳一に関する記述の前後を含めて、当ジャーナルで適宜要約と編集させていただいた)。

■本郷和人『宗教の日本史』扶桑社、2024年

1 仏教伝来の経緯

仏教が日本に伝来したのは欽明天皇の時代だが、宗教に対する抵抗や対立はなく、ごく平穏に受け入れられたと言えるだろう。

神道は自然崇拝的な要素が強かったが、経典や協議が整っている仏教は、日本人にとって初めてであう本格的な宗教として、新しい魅力があった。また、仏教周辺の美術や音楽という文化的要素も人々の心を惹きつけただろう。

聖徳太子の時代を経て奈良時代には、仏教は国家宗教としての地位を確実にする。その背景には、白村江の戦いで大敗を喫し、半島での権益を放棄し国力低下の危機に直面した日本が、国を守る手段として仏教による鎮護国家をめざしたことがある。

奈良に伝えられたのは、南都六宗(三論宗、成実宗、 法相宗 (ほっそうしゅう)、俱舎宗、華厳宗、律宗)で、特に力を持ったのが華厳宗(東大寺)と法相宗(薬師寺)であった。これらの教義は現在の宗教とは異なり、非常に難解であり、理解するには高度な学問と修業が求められた。厳しい道を経て、僧侶になるための得度ができるのは、国によって少数に制限されていた。



2 京都への遷都と仏教改革

道教事件のように奈良の僧侶が力を強める中、危機感を抱いた桓武天皇は、平安京に遷都する。
(おだずま注;奈良仏教と距離を置くための遷都という定説に対して、本郷氏は疑問が残るとしておられる。)

この時期、仏教界でも大きな変革が起きた。ともに唐で学んだ 最澄 (天台宗)と 空海 (真言宗)が、国家を鎮護する南都六宗に対して行なった仏教改革である。

空海は圧倒的な語学力と知識により、中国で真言宗の師匠から跡継ぎに指名されるほどの待遇を受けた。最澄は天台宗を学んだが、当時の中国ではやや古いものとされていた。最澄が学んだのは 顕教 (けんぎょう)、空海は 密教 と、内容が違っていた。

顕教とは、文字や言葉で書かれた仏典に基づき修行者が教えを積み重ねて解脱するもので、悟りに至るまで時間と鍛錬を要する。一方、密教は、人間の理性では到達できない秘密の教えのことで、仏の力を得て悟りを開く道である。仏の神秘的な力を借りて即身成仏する、との考え方である。

短期間で悟りに至る密教は貴族に歓迎された。最澄は危機感を抱き、年下の空海に弟子入りするが、最澄が必死に経典を借り出そうとしたため軋轢が生じたが、この2人の対立が、のちの仏教界の二大流派の誕生のきっかけとなった。

台密 (たいみつ)、真言宗の密教である 東密 と呼ばれるようになった。中世仏教の枠組みは、顕密体制(黒田俊雄)と呼ばれるが、天台宗には密教が含まれている。

3 三一権実論争と徳一

最澄や空海の当時の仏教思想で注目されるのは、 三一権実 (さんいちごんじつ)論争である。最澄が、会津の僧 徳一

徳一は、法相宗の僧で、悟りに至る道に、声聞乗(しょうもんじょう)、縁覚(えんがく)乗、菩薩乗の3つの境地があると主張。対して最澄は、この3つは方便で、最終的には一つの悟りに達すると主張した。

すなわち、3つの悟りと1つの悟りのいずれが真の教えか、の議論であった。権は仮の教え、実は真の教えの意である。

この論争は仏教界で重要な思想的対立を生みだした。論争には多くのトピックがあるが、中でも、「人は仏になれるのか」。

最澄の教えは、草木国土悉皆成仏の考えに基づき、人間に限らず無機質で自我を持たない草木も仏になれる。この思想はのちに天台本覚論に発展し、日本の仏教思想の中心的な考えとなる。最澄の教えは、すべての人間が悟りを開き教えを説く存在になれることになるが、徳一はこれに反対し、人間は、仏とは異なる阿羅漢(あらかん)という存在までしか到達できない。仏教の教えを説けるのは釈迦ただ一人であり、阿羅漢にまでしかなれない人間が教えを他者に説くことはできない、したがって修業は一人でするものではなく共に高め合いながら修行するべきものであると主張した。

この違いは、大乗と小乗仏教の違いに近いものがある。小乗仏教は、三蔵法師がインドから持ち帰った思想で、個人の解脱をめざす修行体系。一方、最澄が説いた天台宗は大乗仏教であり、すべての人が仏となり、ともに悟りの道を歩むとする考え方である。

3 徳一の存在

両者のやり取りは非常に感情的で激しいものだったが、それだけ徳一が、仏教に対する深い理解を示し、最澄に影響力を持っていたと言える。法相宗は南都六宗の一つでかなり学問的な仏教であるが、当時の会津に、最澄と対等に議論できるほどの学識をもった高僧が活動していた事実には驚かされる。

4 (以下、当ジャーナル)ゆかりの施設

福島県磐梯町のサイトに、高僧徳一ゆかりの慧日寺資料館がある。
■ 磐梯山慧日寺資料館・史跡慧日寺跡

慧日寺跡は、昭和45年に仏教文化発祥の地として国史跡に指定。徳一廟の保存に続き、新たな遺構も発見されている。昭和62年に、磐梯山慧日寺資料館が開館した。





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最終更新日  2026.08.17 09:00:03
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