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いいかんじである。ダイドーの缶コーヒーのCM。だがこいつを語る前に、最近の“低温度広告”について述べる必要がある。はじめて、低温度広告で気に留めたのは、家庭教師のトライだ。思いきり露出がアンダー。プリントも淡い色で極端にいうと、ダブルトーンみたい。登場する子供は家庭教師をめんどくさがっているが、一方の学生家庭教師のほうも熱血ではなくて、“低温”だ。そのふたりにもほのかに、じつはリレーションシップが機能しているといった内容。こんなに画面が暗くていいのかなあ、と思った。プレゼンテーションはこういったかんじだろう。『いまのこの景気の悪い状況を子供なりに感じてます。親はもっと感じているから教育にお金をかけるのは大変だが、だからこそ、中学・高校でいい学校に入れば、多少の保険にはなる。このCMは世相に反映してるのがミソですよ。』広告関係者はトライのCMを不景気におけるひとつの効果的な手法かもしれないって、思ったのだな。公文式のCMも、トライの低温度の影響を大きく受けている。子供たちがとてもアンダー露出で、「なにを勉強したらいいんですか?」とか、「どうして勉強するのですか?」等、自問自答か、はたまた、我々に問いかけているのか、という具合に語りかけている。BGの音楽の単調なリフがまた映像をダブルトーンなものにしている。公文にすれば、勉強の理由がわかるというわけか。狙いはわかりやすく(?)、スポンサーを説得しやすい企画趣意である。でもさ、なんかあざといのだな。このCMは子供に公文式に入会させるトリガーにはならないんじゃないか、と思いました。じっさいはわからんが。これも暗い世相を反映した広告。も、ひとついきますか。積水ハウスだったかな。家庭教師のトライのごとくアンダーなお部屋に会社の部下が訪ねてくる。愛らしいフィアンセが一緒だ。上司への報告と表敬を兼ねた訪問だな。どうやら、このカップルは新居は親の財布で援助してもらって、新築するようだ。女の「ええ。」という一語には、虚栄や甘えや自尊心や、「少なくともそのくらいしてくれなきゃ結婚に応じないわよ、この彼じゃ」くらいのしたたかさを感じる。あの「ええ。」は重たいぞ。プランナーの意図はヒジョーにわかるぞ。あれ、やりたかったよね。部下が帰った後で、夫は台所に立っている妻の傍らでお皿を洗おうとするのだ。「どうしたんですか?」と妻は不審げにいって見せるが、夫が己の甲斐性のなさと妻をふがいなく思う気持ちからそのような行為になったのは、ジュウジュウ承知だ。結婚生活20年以上の、お互いに知り尽くした間だ。未だに借家であることに企業戦士の夫も形無しなのだ。そこでCMは終わる。そこから、先はお宅で考えよ。といったところだ。うーん、悲しいぞ、こんな広告。戦略もいじましいぞ。でも世相がそうだから、って代理店はクライアントに主張する。ほかにも、低温度広告はいくつかあるが、おぎーのが評価するのが、ダイドーのCMだ。コンクリートの浪打際に、清志郎と黒木瞳が一定の距離をおいて会話をする。『おもいあがった、やーつは~、』と歌う清志郎。黒木は「おじょうずですね」とか「へんな歌。」とどこか醒めた、そして一定の距離を保ちながら、テレ屋の清志郎に言葉を投げかける。あの世界は低温だけれど、気分がよい。海もテトラポットやグレーの色の海で、観光地の海じゃない。特に価値のない海だが、そこに、バンドマンも主婦もやってくる。鉛色の海を見たくなるココロ模様というのがあって、そのあたりは、ふたりで共通なのである。で、「いいかんじである。」状況が生まれることもあるわけだ。缶コーヒーといえば「BOSS」というなかにあって、この切り口で生き残ろうとするダイドーの姿勢は、正しいと思う。
2002年06月30日
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健康ランドは個が剥き出しになる空間だ。平日の宵の口は会社帰りのサラリーマンが家路につく前に一風呂浴びにやってくる。ほとんどが一人でやってくるので、会話というのはなく、各々が内省的になって個人を露にして過ごす。いろいろな輩がいるが、困った男。それは、水風呂で、傍若無人なふるまいをする奴だ。現在の私にとって水風呂はとても慎重にことを進めようとするメニューだ。足を一本いっぽん、そろりと水に漬けて、しばらく冷たさに慣れたあと、じわりじわりと腰を下ろして下半身を浴槽につけていくのである。乳首のあたりに水面がさしかかってきた頃に、おもむろに背後から、ザンブと勢いよく水につかり、私の前へでて、顔をバシャバシャと洗ったかと思えば、ボチャンと全身をプールに入るがごとく漬かる。はねた水がデリケートな私の心臓を刺激するのだぞ。もし、心臓マヒでも起こしたらどうするんだ!たいていこいつらは、やや陽に焼けてがっちりした体格で、首に金のネックレスをしたような奴なんよな。もう、私の行はここで中断。興ざめした気分で、サウナからやり直しだ。水風呂に潜るのはやめてくれ。そんで、手で水を顔にすくって、ブハー!とやらんでくれ。そんな水に漬かりたくないよ。
2002年06月27日
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コメントしたくなったのでコメントします。フラメンコさんの最近の快調な日記を楽しませてもらっております。その…、四ヶ月前の日記は、ハラハラしながらも、それでもクリックせずにはいられずに、毎日拝読しておりました。更新されない日があると、「もしや…」という気がよぎり、一方ではウェッブ上の人の日記をいちいち気をもんでもどうなるわけでもないじゃん。気にするなよ、とも自分に言いきかせておりました。そのフラさんが、受診や投薬を止めたとたんにめきめき回復されて、日記の内容も変化がありました。4月下旬の生フラメンコさんとの対面では、とても、フツーで、少し前にオーバードウズをしていたとは、とてもとても思えませんでした。それで、私は私で鬱病と戦っておりまして、私自身もこの四ヶ月でだいぶよくなりました。じつは、まだ自律神経の失調によるつらさはあるのですが、それでも、まあ社会復帰しているわけですから、上々です。なにがいいたいのか、いまひとつはっきりしませんが、ウェブ日記が私の病気を治すことに少しは役だっていたのかなあ、と思うわけです。さらにいうと、これはフラさんに限らず、月子さんやいずみちんやコマジュン氏、若い方ではせいちゃんや、めたも。さん等(まだまだ何名もいらっしゃいます)との日記繋がりなカンケイ性が私を支えてくれたのではないかと、照れながらも言いたくなったのでございます。今日の20:00に私はフィットネスクラブにおりました。この状況は少し前の私ではとても考えられないことで、ようやくじぶんのカラダも回復しつつあるのだとぼんやり考えていた時に、「そういやフラメンコさんて元気だよな」と思い出したのでございます。この日記で他の日記の書き手さんについての感慨を書き連ねるのは、少々恥ずかしいし、読み手によからぬ解釈をされるのは、まずフラメンコさんに迷惑だからやめようかとも思いましたが、まあ、素直な感想で、ネガティブな文面ではないので、ま、いっか、とじぶんで判断しました。
2002年06月26日
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寝しなになんだか、このまま眠りにつくのが空しくて。マスで解決する問題ではなかったのだ。接触欲です。クルマを飛ばして近隣の韓国エステに直行。ソープは24時までだし、待合室でぼんやりテレビ観ながら順番を待つよりも、早く接触して、満足した気分で、早く就寝したい。そんなときは、韓国エステ。半年ぶりのその店は名前も経営者も変わっていた。このての店はころころ店名が変わる。姫も変わる。つうことで、指名もせずフリーで入店。60分15k。高い。けど、アカスリつきだしと思って、ま、いいか、と思った。姫は30代、痩せておっぱいは大きいが、ほそく垂れていた。姫は、お仕事的対応な部分が多くて、ガックシ。もっと、お客をうまく騙してくれ。最近の、韓国や中国のエステは技術が低下傾向にある。ろくに研修もしていないコが多い。やはり韓国エステ嬢は、以前、ホントのエステ経験者がいいです。ソウルのロッテホテルや新羅ホテルで働いていたようなプロフェッショナルマッサージ師が、風俗エステへ流れるといった傾向が2年ほど前には結構みられたのだが、彼女らは一巡して、ほとんどがお国へ帰ったようだ。本来のマッサージ技術を重要視する、韓国エステファンとすれば、じつに悲しい。それから、もひとついうと、ほんらいマッサージ嬢は、ココロもとても優しいコが多かった。結婚しようかとマジメに考えたことありますよ。あんなにもみがうまくてスウィートなカミさんがいたらなあ。当然、天井には棒を設置して、足の裏で背中を押してもらいたい。でも、もう、そんないいコはいなくなってしまった。借金を払い終わって、今ごろは赤いTシャツを着てサッカーを応援しているのだろう、みなさん。もう、いかないぞ、韓国エステ。ソープもいかん。風俗は絶つ。
2002年06月25日
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かくして、虐待事例は闇の中に葬り去られる。/保健所も、女性センターも、手が出せないワケ。保健所に連絡をしようか、やめようか、と迷う。あのお婆さん、虐待されているのだ、たぶん。軽度の痴呆はあるかもしれないが、痴呆と言うよりも精神の疾患だ。それも、精神的な虐待を受けたゆえのPTSDなのだ。ケアマネージャーの訪問ですら恐れている。電話をかけても切ってしまう。食事や排泄といった、基本的な援助ですら危うい。どうしようかな。あの家は、佇まいからしてへんだ。蔦が異常に壁をつたって、家全体を覆ってしまっている。錆びた門扉を空けると、腹を空かした犬が濁った目をむいて吼えまくる。かばんを差し出して避けながら玄関へと向かうのだ。ブザーの音も、ピンポン!ではなくて、ブーッ!、と『太陽にほえろ!』で聞きこみするボロアパートみたいな。中に入ると臭いがする。なんと表現したらいのか、人間のあらゆる体液を布に擦り付けて4,5年寝かせました、という臭い。どこから漂うのか、わからない。土壁から臭うわけないなあ。「ごめんください。入りますよ、**さん。」廊下の向こうからジャラジャラをくぐって婆さんの娘が出てきた。とろっとした顔して。アポイントはさっき、電話でとったじゃないですか。よろしいとおっしゃるので訪問したのですよ。ケアマネは継続的にご利用者さまを訪問して、モニタリングをしなきゃならないのですよ。現在ケアプランは立っていませんが、是非、きちんとしたケア計画を立てたい。どうしてって、お母さんは重介護を必要とする方ですよ。それなのに、計画的にサービスが入っていないなんて…。娘さんはいきなり、「今日、お風呂に入れてください」とか突然電話をされますが、ヘルパーステーションは芸者の置き屋みたいにヘルパーが待機しているわけではないのですよ。毎回、毎回、同じことを言わせないでください。それよりも、ご本人に会わせて下さいね。どうも。**さん、久しぶりです。私は介護の計画を立てるものですよ。市役所の人間ではないです。ところで、お顔のアザはどうしたのですか?ぶつけたの?痛そうですね。え?私のことが怖いですか。そんなにぶるぶると小刻みに身体を震わせて。娘さん、どうしてヘルパーがお家に入るのをいやがるのですか。ご主人が好まない。ご主人は今日はお仕事ですね。できることなら、ご主人にもお会いしたいなあ。『もしもし、先ほどはどうも。お母さんはご主人に毎日酷いことを言われつづけているようですね。これは虐待ですよ。コトバによる虐待です。ご主人はあなたにも酷いことをしているでしょう。でしょう?もっと、はっきり返事をしてくれませんか。あなたはよろしくても、私はお母さんのケアマネージャーとしてこの事例を知ったがゆえ、何かしらの手を打つ必要があります。一番いいのは、娘と母の双方が虐待されていることを認めて、保健所なり、女性センターなりに駆け込むことです。ご本人が訴えないと、行政は動きません。いまはDV法といって、刑法で処罰されるようになったのですよ。奥さんが訴えれば、女性センターが保護してくれます。どうして、そんなはっきりしないいいかたなのかな。なんか、むかむかしてきましたぞ。いつもいつもあなたの受け答えははっきりしない。もう、腹が立ってくるのですよ。問題を解決しようとこっちは懸命なのに。』“ブーッ!”先ほどは失礼しました。電話では失礼なことをいってしまって。夜分に訪ねてすいません。え?ご主人はお帰りですか。ちょっと、奥さん、そんな下着姿で。シュミーズ姿で。え?なんですか、その手錠は。こちらにお入りなさいって。ご主人が背後で仁王立ちになられて。どうも、**さんのケアマネです。(ぺコリ)。ご主人はヘルパーが介入することがお好きでないと。うん、そう、そう、そういえば、私はご主人にはいいたいことがあったんです。**さんの顔のアザは、どうしてできたのですか?奥さんの身体もアザだらけじゃないか。これは、酷い。よーし、この際言わせてもらいますよ。奥さんは、確かに少々ゆるい方でいらっしゃる。知的障害とは言わないまでも、社会的に適応するぎりぎりの理解力の中で生活していらっしゃる。私もいらつくこと、ありますよ。それから、お母さんもいつも怯えている。土壇場でいつもサービスをキャンセルされる。その原因は婿のあなたにあるんじゃないのですか!なんか、いらいらしてきたぞ。ちょっと、奥さん、なんで、ニヤニヤ笑っているんですか。あなたは、あなたは、いま、嬉しいのですか?あなたはぶたれて嬉しいのですか?え?ご主人、その棒は布団タタキじゃないですか。それで、奥さんを叩けって。あんたも、ウスノロ女を相手にしていらつくだろうって。こうですか?これで、奥さんのお尻を叩くのですか?エイ!畜生。どうしていつもへらへらして、はっきりと応えないんだよ。エイ!なんか気持ちがスッキリしてきましたよ、ご主人。おいおい、なんで、いつもそうしてニヤついているんだよ。エイ!障子の向こうで婆さんが見てるよ。いつもこんな感じなの?娘さんはこうして、はいつくばって。スパンキングをされているのか。ビッチン、バッチンとご主人の叩きには力があるなあ。布団タタキがもうささくれ立っちゃって、これじゃもう布団は叩けませんよ。奥さんはじっとこちらを見据えている。奥さん、奥さん、その目は、その眼光は、恍惚なのですか。(了)2002/06/23 22:53:34今日もダラダラゆるい日記で失敬!/PCにはどーでもいいソフトがメモリーを食っていると思う、いつまでもビギナー。コンピュータって、もっと簡単にならないのかな。壊れたPCをオークションで掴まされた私はじぶんなりに直そうとトライしたわけだが、セーフモードで動かすところまではどうにかなったが、その先がすすまない。MS-DOSの黒い画面をいじったわけだが、これはある程度コンピュータの知識や経験が必要だ。覚えりゃいいんだろうが、短気な人や、うつ病の人にはとてもじゃないがストレスがたまる一方だ。オヤジのために、メビウスのモバイルノートを今度はソフマップの中古で12万円で買った。2001年発売の製品ですよ。こいつは239MBもあって(増設されている)、小さいくせに機能はスゴいぞ。それで、シャープのさまざまなソフトがバンドルされているのだが、これがまたたくさんあってゲップがでる。PC初心者のためを思って作られたようなソフトの数数なのだが、なぜか、疲れるのだ。向き合うと。そのソフトをどうやって、他のデバイスと繋げるのか、とか、メジャーなソフトでいうと、何に値するかとか、そもそもこのソフトは必要なのか?とか、わからんよ。マカフィーのウィルスソフトはネットに繋いで、ユーザー登録をしないと機能しないのだが、なんかめんどうだ。(これはしょうがない、やるしかない)。MSNメッセンジャーでネットしていれば安全だよな。そうやって考えていくと、じっさいに使用するソフトは限られているよな。今だって、下書きをワードパッドで書いているが、これで十分。なのにアクセサリなんてところに入っていると初心者はつかわないよな。ワードやエクセルはついてないのだが、どうでもいい通信カラオケをするソフトがついていたりする。シャープさんはホントに初心者がなじむことを考えてこのPCを売ってるのかな?いや、いい機械ですよ。デバイスは豊富でスマートメディアとSDとふたつついてるし、USBが3つあるし、もちろんPCスロットカードもひとつある。たぶん、このPCの機械としての凄さを堪能できる人はある程度PCを使い込んだ人だろうな。おまえも覚えろよ、といわれれば、はい、そうですかと、言うしかないが、なんか、優しさがほしいのよ。その優しさはマックにはあるんだよな。iBookには、それを感じるのだな。でもデバイスの数やメモリも大きさなどスペックの点で、ウィンドウズマシンに負けるのだよな。マックのOSⅩは、触ってみたくなるのだな、初心者が。あのグーイをプラグラムすれば、結構のメモリを使うのでしょうが、初心者にとっては、触っているとワクワクするところがあるので、構わないのだ。世の中がマックの世ではなく、ウィンドウズの世であることは、まちがってはいないだろうか?マックは壊れやすいというのは、今でもそうなのだろうか。以前、初めて買ったパフォーマはよく、爆弾マークがでてきてびびりました。でも、使いこなすことはできなかったが、クリックする感じがよかったな。ウィンドウズには、なにかが足りないな。デジタルデバイドといってPCに対応できずに会社からポイされるサラリーマンがきっと何万人もいて社会問題といってよいのだろうが、私はどうにかこうにか、PCと仕事では向き合っていられる。でもエクセルがろくに使えない。使う機会がないからだが。この歳になると覚える時間を割くのがめんどい。まずいぞ、日記書くだけのオフは。と、強迫観念。トイレいってきて思った。もう、「ウィンドウズくわしいぞ!友達」を作るしかないな。そんで、デジタル写真を取り込んだり、音楽をスマートメディアに入れるいうことを一緒に、教えてもらいながらするしかないな。他力本願だが、ゆるせよ、PCユーザーよ。仕事以外で神経を使いたくないの。2002/06/23 2:06:44
2002年06月23日
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泣いてしまったんだよね、またしても。『ひとつだけ』を聴いているうちにジーンとね。感情失禁。最近、泣きすぎる。ちょっとしたことで失禁してしまう。気持ちを歌に預けてしまうのだ。アマゾンから今日届いたCD。.購入したきっかけは、ビューティフルソングスのコンサートだった。アンコールでこの曲をやったの。最後に、奥田民生さんも宮沢さんもバックの豪華メンバーさんもみんなで『ひとつだけ』を歌ったのだ。そのときにはじめて聴いて、泣きそうだったが、一緒に観ていた知人の手前、泣けなかった。我慢した。でも、ウチならはばかる事もない。離れているときでも わたしのこと忘れないでほしいの ねぇおねがい悲しい気分の時も わたしのことすぐに呼び出してほしいの ねぇおねがいサビの部分が繰り返し、繰り返し、バンドメンバーみんなで歌った、あのコンサート会場の一体感はよかったなあ。それにしても、女の子の気持ちを歌っているのに、この私の琴線に触れてしまうのはどうしたわけだ。この歌を要約すれば「欲しいものはたくさんあるけれど、とても大切なことは一番大切なことは、、あなたに、わたしのことを忘れないでほしいこと、ひとつだけです。」ってこれだけのことなんだよな。日頃、好奇心の旺盛な私はインターネットなどで、さまざまな人たちの欲望を垣間見ている。それは興味深いし、影響されることも多い。ビックリすることもしばしばある。ネット上では、人々のココロの影をたやすく覗くことができる。ヘンタイな人や憂鬱な人や電波な人の屈託ない気持ちに日常的に触れていて、そうそうなことでは慌てないつもりでいるのに、ディフェンスの裏をかかれるようなカウンター攻撃なのである。もしかすると、青年期の私には届かない歌詞なのかもしれないとも思う。中年を迎えて女の子の気持ちを理解するとはどういうことだ。矢野顕子さんのこのベストアルバムはほかにもいい曲が満載で、もう、じんじんしっぱなしなのだ。ユニコーンの『すばらしい日々』のカバーも秀逸です。またしても奥田の話になるが、すごい歌詞だな。すばらしい日々だ 力溢れ すべてを捨てて僕は生きてる君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける天才だなあ。「君は僕を忘れるから…」ってところは唸る。これぞ男のラブソングだ。今までニッポンのポピュラーミュージックをなおざりにしていた。矢野顕子は歴史に残る人だ。坂本さんばかりに目をやっていた私はなぜか反省する。『ラーメンたべたい』もいい。ビューティフルソングスのなかで奥田民生がアコギでシャウトしてたが、じつはあれは、奥田の曲だと思っていた。ライナーノーツを読むと、すごい人たちと競演してるのね。バット・メセニーとの競演も、いかった。『いいこ いいこ』。『ひとつだけ』を聴きながら私は誰のことを思ってるのかな。マリエルに全部ひらがなのメールを打っているじぶんに酔っているのかな。インドネシアダンサー、リナの「高知まで来て!」というラブコールに酔ってるのかな。なんだ、ナルシスなじぶんに酔っているだけかあ?いやいや、そんなことだけではなくて、若い女性が抱く共通の気持ちに共鳴しているの。ソープ嬢も、ヘルス嬢も、女子高生も、そして、あなたも、きっと、そうでしょう?ようやく最近になってわかってきたんだなあ。遅かったがなあ。だから、いろんな人に優しくなれるようになったのだな。おじいさんになっても、この曲を聴いていたいな、そんなじぶんでいたいな。
2002年06月20日
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さむいぞ、今夜は。だのに屋上ビアガーデンにいるのだ。マリエルがバドワイザーカーニバルに行きたいという、たっての希望でやってきたのだ。今日は自律神経の失調が酷くて日中は寝ていた、アタマがずっとボーっとしている。つらい気分。断続的にケータイに電話が来るのでその度に起こされる。つらいんだよ。下肢の衰えもひどくてね、ふらつくの。ホントは散歩からリハビリをはじめて、2週間後にはフィットネスクラブに復帰したいのだが全然すすまない。ラジオ体操すら満足にできない今の自分を考えると落ち込むが、この悪循環な気もちを断ち切らないとな。例によって奥田民夫のドライブミュージックをダラダラと流しながら、待ち合わせへと向かう。マリエルは2週間ぶりだが、すっきり痩せてきて、この前パルコで買ってあげたミニシックスティーズというブランドの服をかわいく着こなしていた。うんうん、垢抜けてきた。本人も洋服をおしゃれなものにチェンジして気分もチェンジしたって。ドンキホーテではもう服は買うなよ。ユニクロも基本は×。磨けば光るってことに彼女自身が気づいて、自信がでたらしい。「ナンパサレタ」って少し自慢ゲにいう。街を歩いていても若い男の子からの視線をたくさん感じるのだそうだ。うんうん、いいこと。そうやって女はさらに魅力を増すのだな。しかし、2歳の子供連れに声をかける輩がいるのか。フィリピ-ナだからどうにかなると思っているのかな。「30分、壱万円」と提示した男がいたそうな。マリエル曰く、スゴイオトコマエ。なのにどうしてそんなことをするのか、と。彼女はいないのか、と。ニッポンのセックス事情がまだまだ、わかっていないようだ。屋上ビアガーデンはついさっきまでシトシトと降っていた雨のせいで、ひんやりと冷えていた。お客さんもまばらだ。バドガールもみなさんウィンドブレーカーを羽織っていてコスチュームの魅力も半減。しかし、マリエルさんは、ニホンのガールズをチェックするのがお好きなようで、私にもどのコがかわいいかって尋ねてくる。ええとねえ。どのコもハタチくらいでスレンダーなので、よろしいとは思うのですが、じぶんのイメージとしてのバドガールはもうちょっとグラマラスなんだよな。ちょい太めのコがむりしりピチピチのコスチュームを着てるようなのを期待していたのだが、そんな劣情をさそうような女のコは企業イメージに合わないのだろう。マリエルさんは、ニホンのそんないまどきの女のコを高く評価しておりまして、「みんなセクシー。」って楽しんでる。お客がまばらなビアガーデンじゃバドガール見てても、いまひとつだな。だって、ネズミ色のくたびれたスーツを着たサラリーマンのグループがほとんどいないんだもん、つまんないよ、そんなビアガーデン。スケベっぽい視線で女を追う姿があってこそのニッポンのビアガーデン。20:30か。デンマーク×イングランド戦のキックオフだ。こんな時間にテレビモニターもない店に人は集まらないよ。モニターはないけれど、ステージはあって、結構太めのアメリカンガールが歌い出したぞ。紺のカーディガンの下に赤いカットソーを着てジーンズを履いた彼女は、ジミ-なイデタチだが、おっきなパイオツで、いいぞいいぞ。歌声はバエズみたいに透き通った声でカントリーアンドウエスタンを歌う。もうひとり、男がベースギターを持ちながらキーボードを操り、打ち込みのテープを操作したりと、ひとりバックサウンドをやっていてこれもなかなかだ。ライブって工夫次第で小人数でも、けっこうなことができることがわかった。これはいい勉強です。21:00からマリエルさんは、お仕事なのでライブはそうそうに観切ってOUT。去りがたい思いで店を出た。生バンドがお好きなマリエルさんに、次回は六本木のクラブに連れていってあげようと思いました、おわり。
2002年06月16日
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この日記は「日記才人」では医師・看護婦のカテゴリーに入っていることもあってリンクを張らせていただきました。その道のプロにも、この話を読んでいただけたらな、と思いまして。看護婦さんの対応はとてもよかったですね。こんなときに、これまでの経験がモノをいいます。医療や福祉に従事するものは、どんな場面でも落ち着いていなきゃならないのですよ。毅然としたナースの態度はおかあさんを安心させたと思います。頭の出血って、一見すると派手にみえますがそうたいしたことない場合が多いです。もしも赤ちゃんがぐったりと土色の顔して目を閉じていたら看護婦さんのリアクションも違っていたかも。それでも、慌てた振る舞いは禁物ですね。老人ホームで宿直をしていたある晩に、若い男のスタッフが泣きそうな顔で私を起こしにきました。あるおばあさんの脈がないと。3時間前のオムツ交換のときにはなんでもなかったと。この人は鼻くうで栄養をとっていたのですが、どうもなにかの拍子に流動食が胃から逆流して窒息したようでした。たまにあることなんです。とにかく、若いスタッフにいったことは、「ゆっくり搬送しようよ」ということでした。隣接した病院にストレッチャ-で運ぶのですが、「慌てて落っことしたらいけない、もう呼吸停止で心停止の状態だから」。当直のドクターに落ち着いて申し送りをして、死亡診断書を書いてもらおうぜ。家族には俺が連絡するから、とこんなことをいいました。若いスタッフは半泣きでうなずいて、搬送しました。当直医は20代の若い医師でした。申し訳ないけれど、当ったのは運が悪いと思ってちょうだいといった思い。先生は必死に、蘇生術をしてました。こんなときに、緊張をほぐす先が見つからなくて、ナースや介護職の人を怒鳴ったりする先生もいますけど、最悪ですね、そんな先生。もう大丈夫だ、きみのせいじゃない、と若いスタッフに声をかけて、私は朝の仕事時間まで3時間ほど寝ました。あのあとちゃんと眠ってしまう私は今とちがってタフだったな。若い彼は、分刻みで仕事がありますから、くよくよもしてられずに、仕事をしていた様です。おばあさんの容態に話を戻すと、若い当直医は、なんとおばあさんを蘇生させました。いや、生き帰ったとはよくいったもんだ。でも、脳死状態になり2週間ほどで亡くなりました。家族が心の準備をするには充分な時間で、施設も病院も責任を問われることもなく、無難に済みました。よくある話だと思います。※仕事だと冷静沈着なのに、プライベートだとてんでダメな私なのであります。
2002年06月14日
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ラーメンを食べるときはココロは無心だ。秋葉原のラーメン屋でカウンターに座りしょうゆ味の東京ラーメンと向き合う。大きな海苔が2枚、どんぶりに貼りつくようにのせられ、覗きこむようにどんぶりの真上から湯気を見下ろせば、あっというまに眼鏡が曇る。スープは必ず完全に沸騰したものを使う。ラーメン屋の基本だが、出来てない店も結構あるものだ。一口すすったあと、ちょっぴり物足りなさを感じて、摩り下ろされたニンニクを匙に一杯すくってスープに入れた。すると、隣の男が私の動きを真似るかのようにニンニクをすくっている。ちらりと横に目をやれば、スキンヘッドでがっちりと太ったアイルランドサポーターであった。彼も私と同様に無言でラーメンと対峙している。彼と私の間には隣り合って座禅を組むような連帯感があった。きっと、試合の合間のつかのまの休息なのであろう。せっかく東京に来たんだからアキハバラでニッポンのDVでも購入しようと思ったのか。プレステのソフトのチェックでもしにきたのか。いずれにせよ、ラーメンをすする刹那に敵も味方もない。店を出てから電気街を歩けば、確かに注意すればサポーターらしい外国人の姿にときどき出会う。ふだんのアキバにいる外国人は一見して観光客にみえる者が多いが、サポーターは、あまり金を持っているようには見えない。なかにはボストンバッグを持って歩いている若者もいる。みなさん、ウィンドウショッピングに徹しているようだ。きっと、各国のサポーター同士すれ違っているのだろうが、とくに張り詰めた空気は起きず、ディスプレーのケータイ電話のバリエーションの多さにただ驚いて、日本の文化をそれぞれに体感しているのだろう。私はなぜに秋葉原にいるのかというと、ネットオークションでつかまされた壊れたゲートウェイを直すべく、さまよっていたのである。しかしながら、ソフマップといえども日本から撤退したメーカーの修理は受けられないのであった。いっそ、騙して中古ショップに売ってしまおうかとも思ったが、買い取りの際にバレるので止めた。よーし、ウィンドウズの勉強してなんとか動かして見せるぞ。コンピュータ本の専門店でトラブルシューティングの本を購入。勉強したる。他にもビジネス系の雑誌も購入。リーマンの今をチェックだ。今日こそ、メキシコ人がクルマで営業しているタコスを食べてみようかとも思ったがやめといた。夕食が食べられなくなるから。今度にしよ。連れづれなるままに散歩していると店頭の大きなテレビモニターにはサッカー見物の野郎どもが集まっている。外国人がやはり多い。イランなどのモスリムが多かった。ああ、サウジアラビアよ。今日は職場を早退して神経科に受診しに秋葉原までやってきた。ウチに帰ったらイタリア×メキシコ戦を観ないといけないし、こうして日記を書かねばならんし、PCと格闘しなければならんし、雑誌も読まなければならない。他にも、公共料金の解約や、古本の整理や、新しいアパートの物色など、プライベートも仕事でいっぱいだ。掃除でいつもつまづくのだな。テレビ観るともうやる気がない。ワールドカップ期間中は無理だな、こりゃ。アキバから家までのクルマの帰り道の時間が惜しい。ホントは読書がしたいのだ。しかたないから中古CD屋で奥田民夫を1枚買った。ドライブをテーマにしたアルバムだ。こいつをクルマに載せて聴きながら夕暮れの渋滞した道を行く。いいアルバムだった。ピッタリのアルバム。これで、渋滞ものりきることが出来た。今もサッカーを観ながら書いている。相変わらず、加茂周という元日本代表監督は、底の浅いコメントしてる。なんか感じ悪い。声のせいか。解説は、フジに出てくるベンゲル監督が秀逸ね。佇まいが違うのね。よし、『ビジネススタンダード』でも読むか。「脱力主義でいこう!」ガンバらないプラス効果、ほう。達人達の仕事術、○やめる○捨てる○負ける○やらない○いいかげん、ほうほう。今夜はこれ読んで寝ましょ。
2002年06月13日
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ネットのニュース欄に『ナンシー関さん死去』って出てるぞ、オフクロ。「うん、あたしゃナンシー関って男だと思って読んでたよ」ナンシーっていえば女だろ!。でもナンシーは全然、ナンシーではなかったな。1日16時間もテレビを観ていた時期があるって、タモリ倶楽部で10年以上前にいってた。そのときテレビでナンシーを見たけれど、巨漢だった、分厚い眼鏡で。棟方志功(字、忘れた)以来の天才少女と青森では言われていたらしいよ。消しゴム版画ってところが、いかったね。ナンシーはもともと版画で似顔絵を描くのが得意だけれど、テレビ番組批評としてのナンシー関のほうが有名ね。ナンシーの視点は、女性にしては珍しいくらいに意地悪で的を得ていた。オフクロが週刊文春のコラムを読んで、男と間違えるのもわかる気する。泉麻人に近い、でも彼女のほうが毒が効いている。ナンシーはデブで引きこもってテレビを観ながら消しゴム版画を彫りつつ雑文を書く毎日で、それが彼女のすべてといってもよいだろう。ネットな人なんだよな、インターネットのない時代から。だから、もし彼女が今18歳だったら、ネットで例の調子で文章を書いていただろうし似顔絵もつけていただろう。ってことは、『侍魂』みたいな人気サイトになっていたのは、間違いないし、じっさい『ボン研究所』は現在サーバーがパンクしている。面白いページだったなあ、あれは。インターネットの世となって、プチナンシーがどっと、発生してきた。なんでも「日記才人」でアクセス数が多いカテゴリーにナンシーのような芸能モノが挙げられるということだ。じぶんの例でいえば、日木流奈クンネタのときはGoogleから結構アクセスがありました。彼女もルナクンネタでも、切りこみよかった。なんで、ナンシーが面白かった言うと、科学的検証とか、マーケティングがどうとか、そんなことはまったくアタマになくて、直観を大事にしていたところではないだろうか。「…どうでもいいことだが。」ってことわって、ホント誹謗・中傷に近い表現をこの一言でどうでもよくしちゃうところがナンシーならではだった。どうでもいいことだが。39歳ってじぶんとさして変わらない。ご冥福をお祈り申し上げます。
2002年06月12日
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J-フォンのCMで使われているこの曲はいいぞ。何がいいって、元気になるぞ。今日もなんとか仕事を終えてふらりとレコ屋にいって購入したマキシシングル。理想の男を歌い上げたというコピーに惹かれて買いました。憂鬱な気持ちも開放されてくる。だって、歌詞がいいんだもん。闇を切り裂け 拳で切り裂けそれは誠 強い男心無にして 光を背にしてそれが誠 すごい男汗をふいて涙ふいて ここまで来たんだぜ!!夢がないとそれがないと やってられないぜ!!魂の男 野に咲く花になる作詞:奥田民夫36歳でこの詩ですよ。「夢がないとやってられないぜ!!」って、そこの生ビール飲んでるオジさん、聞いてる?われわれと同世代っすよ。そりゃ世の中は不景気だし暗い世相には違いない。けど。拳で切り裂け、ですよ。それでもって、誠のすごい男は野に咲く花になっちゃうんですよ、人知れず。妻や子供や飲み屋のおねえちゃんや、煙草屋の婆さんや、会社の女の子や、口うるさいお袋のために、心を無にして、魂の男は人知れず、野に咲く花ですよ。泣きたくもなるよね、俺たち、新橋の居酒屋で管巻いているわれわれも。カミさんにすっかり管理されちゃってても、夢をもたないと、やってられないよ、ねえ、旦那。2番もいいよ、この先はCDを買ってじっくり聞きましょう、損はしないから。シングルの2曲目はなぜかプレスリーの「監獄ロック」ですよ、オジさん。それもGSブームのときの訳詞らしい日本語ですよ。いかさまヘンリー いうことにゃ今こそ逃げるに よいチャンス何言ってやんでー おら嫌だかんごくもまんざら 悪くねえ訳詞:音羽たかしやけくそな歌ですよ。やきとり食べながら部長の悪口いいつつも、いっそ辞めないかっていわれちゃうとそんなに悪い会社でもないんだよって、思うのだよな。釈然としない自分を感じながらも、長いものには巻かれろ、です。だって会社を辞めたところでお花畑にいけるとは限らないのだ。そっちのほうが稀なのだ。「けつまくってやります。」なんて発泡酒飲みながらいきまいたって、次の日にタイムカードをカチャンと押したら、また日常に戻るわけよ、理にかなわない不条理な毎日に。でも飲み屋で大声あげて、ハタチの美江ちゃんのお尻に触ったからまた1週間辛抱するわけさ。これが日常さ。3曲目はサトウハチロウの歌詞ですよ、「悲しくてやりきれない」、加藤和彦の作曲です。もうこの曲の歌詞は美しくて悲しくて泣いちゃうから、省略。どこかで聞いたことのある名曲です。ほぼアコギ一本で歌い上げております。監獄ロックで無理に強がっても、結局、「このもえたぎる苦しさは明日も続くのか」という詩を最後に幕を閉じるのです。いやーシングルとはいえ、民夫はやってくれるよ。普段は釣りばかりしているようだが、スタジオ入るとちょいちょいとこれだもの、すごい男です。
2002年06月10日
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あれは今から10年前、広告制作会社の先輩であるSクンはワールドカップ予選の決勝となるべくイラク戦をカタールのドーハまで観に行った。生粋のサッカーファンなのである。結果はみなさんご存知の様に後々まで「ドーハの悲劇」と語り継がれる歴史的な敗北に立ち会ってしまったわけだ。そのとき、Sクンと私はそれぞれ別の会社で働いていて、疎遠となっていた。しかし、その後友人より伝え聞くところでは「イタリアにいく。」というではないか。彼は無け無しの50万円を持ってイタリアに語学留学と称して旅立ってしまった。ローマの空港で持ち金を盗られて、あえなく帰国するという情けない事件もあったらしいが、その後も、彼はセリエAをこの目でチェックするべくイタリアへいったであろうことは推測できる。10年間、音信がない。R社の制作スタッフはみんなどうしているのだろう。アドレスをなくしたのがいけない。R社で一緒に働いていた同僚にノンフィクションライターの金丸知好君がいた。彼には何冊かの書物があって『廃墟からのワールドカップ』という本に、Sクンと金丸君とのやりとりが面白く書かれている。イタリアにいったSクンの話もその本で知ったのである。文章がデタラメだが、何がいいたいのかというと、Sクンも金丸君も今日のベルギー戦を観ていたはずだということだ。それで、ふたりは電話か、あるいは会っているか、もしくはネットなどで熱く語っているはずなのである。私も仲間に入りたいのである。10年音信不通で、金丸の本をせっかく買ったのにメールアドレスのひとつも載ってないので、連絡がとれない。彼の名前で検索すれば、ピースボートなどでの彼のようすをウェッブで見つけることもできて、お元気であることは確認できるのだが、そこまで。つうことで、タイトルに彼の名前まで出してしまった。SクンはSクンのままにした。誰か、この日記を目にしてくれないかなあ。ところで、今日のベルギー戦は、主審がベルギーよりだったように思う。ファウルのとり方が日本にからい。今日は勝っていた試合ではないだろうか。それとも私の日本への身贔屓がそう思わせるのか。
2002年06月04日
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『お金で買えない価値がある。買えるものは、マスターカードで。』最近の日記はエロネタがありません。そうそうネタが続きませんよ。日記書くためにエロをするという本末転倒になってしまうので。エロ好きの皆様は私の気まぐれをお待ちくださいませ。それで、ときどき天野祐吉おやじのように広告批評をしようかと思いまして。いい気なもんです、批評って。いいたいこと言えるもん。で、マスターカードが第1回目なのです。この一連の「…、プライスレス」という着地は以前より気に入っておりました。ニッサンの「モノより思い出」はちょっとそのまんまで、モノより思い出といってモノを売るんかいな、って突っ込まれそうですが、マスターカードの表現は品がよろしょうございます。ワールドカップの公式カードなんですか、それで、今回の、いろいろな人達が制服だのエプロンだのを交換する編、ができたのでしょうがジーンときましたね。音楽が、イッツアワンダフルワールドをサポーターが合唱しているという音で、効き目あります。あとは、試合後のサッカー選手よろしく、身につけているものを交換するという図があって、ワールドカップの熱狂はプライスレスっていうナレーション。よい出来です、気に入っております。これ。
2002年06月02日
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靖国神社にオフィシャルな参拝する。今日は、親族のおつきあいで、半分運転手として靖国神社へいってきた。これはとても政治的なことなんだろうか。靖国へ参拝しましょうという、小さなコミュニティを叔父がやっていて、なぜかその叔父が私が来てくれるとうれしいなんて、ハガキに書いたりするので、これを機会にちょっと、いわゆる靖国問題を考えてみるか!という気持ちで参加してみた。半年くらい前にA級戦犯について論争したからかな。7人が神社に集合。私を除くと平均年齢は70歳くらいか。前歴が、旧日本海軍将校だったり、防衛庁の官僚だったりとなかなかのメンバー。参拝後の昼食時に皆さんの経歴がなんとなくわかったのだが、なぜ私がその場にいたのか、皆さんにはわかりにくかったかもしれない。本日は晴天なり。一行は二列縦隊で「海ゆかば、」を歌いながら…なんてことはなくて、まあ改まったカンジでそろそろと第一鳥居、第二鳥居と歩いて行く。普通はお賽銭のあるガラガラの前で参拝するのだろうが、一行は右に曲がって本殿と呼ぶのか、神社の建物の中へ入っていく。下駄箱で履物を脱いで靴下で、待合の場所へ。ここで、宮司がくるのを待つ。皆さん、厳粛な気持ちが次第に増してきたよう。天井の高い待合は100席くらいあり、団体向けに対応している。しばらくして宮司が来て、いよいよ靖国神社のオフィシャルな参拝の時がきた。我々を待ち受けている廊下は、小泉首相が歩いていった、あの廊下だ。なかなか風合いがある中庭があって美術として考えてもまあまあだ。まず、手を洗う。神社にある柄杓が置いてあるあれだ。私はさっき、トイレで手を洗ったから省略。右手を曲がると、お払いをするコーナーがあり、一同はこうべを垂れて宮司にお払いしてもらう。そしていよいよ、本殿へ。宮司より参拝のし方の説明がある。ニ礼ニ拍手してまた一礼だ。畳に一同正座をする。私は右足首を捻挫していたため、おかしな格好に。正面にはご神体がありました。鏡です。参拝のあと、一行は宮司に続いて粛々と退場。その際に巫女さんからお神酒をもらう。おじぎをしていただいた。毎年、終戦記念日が近づくと論争される靖国神社の参拝。オフィシャルな参拝をした感想は、まあ、神社に参拝したなあという感慨。宮司は参拝時に英霊に向けて黙祷するように指示した。戦没者への鎮魂の儀式。そして、これは靖国教という宗教法人の儀式だなという認識。私が参拝しようがしまいが、誰も関知しないが、公人となると難しいな、解釈が。どこかの教会でミサを受けるのと基本は同じことだろうな。参拝を終えて、待合室を出ようとした時に、私の目を捉えて離さない献品があった。それはよくあるガラスに入った日本人形が20体ほど。どれも花嫁衣裳だ。これは、お嫁さんを娶らずに戦死した兵士を不憫に思い、遺族が献上したものであった。ここで、突然涙がこみあげる。今も書きながら涙をおさえることができない。女性を知らずに、いやそんな表現はいけないか、平平凡凡な暮らしを知らずに藻くずと消えた若者が不憫でならなかった。2002/06/01 18:54:45RE:RE:わたしの鬱症状とは・・リンクを貼ってしまいました。理由はうまくいえないけれど、とても正直で、それで、ご自身に素直に向き合っている姿勢に共鳴したからだと、思います。それから、投薬も似ていたのでシンパシーを感じたかも。誰かの日記にリンクを貼ったトピックにまた誰かがリンクを貼るという行動が、ウェブ日記の面白いところじゃないかと思いまして。「鬱病友の会」も悪くないな、と思ったりして。2002/06/01 17:08:39
2002年06月01日
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