おしゃれ手紙

2017.11.21
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カテゴリ: お出かけ

2017.11.18
2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された■奈良県宇陀松山地区■宇陀にある「慶恩寺」の鐘と紅葉。
この鐘は東大寺に関係ある銘鐘として戦争中の金属の供出も免れたという。

奈良は製薬会社の創業者を多く輩出している。
薬種業・近江屋(現武田薬品工業)を創業した近江屋長兵衛が河合町出身であるほか、
信天堂山田安民薬房(現ロート製薬)の山田安民
中将湯本舗津村順天堂(現ツムラ)の津村重舎
命の母本舗笹岡省三薬房(現笹岡薬品)の笹岡省三の3人が宇陀市出身だ。

これは江戸時代、大和が薬業で栄えていたことと関連する。

★■ 宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」(旧細川家住宅)

薬の館はその繁栄をしのぶ資料館で、宇陀松山で薬問屋を営んでいた旧細川家の江戸末期の建物を活用した施設だ。
細川家は藤沢商店(現アステラス製薬)を大阪で創業した藤沢友吉の母方の里。

江戸初期に宇陀松山藩が廃藩になってから、宇陀松山は薬商人の街として栄えた。
その心意気を伝える遺物が 薬の館の屋根上にある銅製看板
主力商品である腹薬「天寿丸」などを宣伝する高さ2・7メートルの看板には 唐破風(からはふ)付きの屋根 もあり、立派な造りだ。
「江戸時代、宇陀松山には53軒も薬問屋がありました」。

(▲他の薬屋)看板にローマ字が入ったもの。
カタカナで 「ウルエス」とあるが、「空」を分解すると「ウルエ」 になる。

★■ 森野旧薬園 ■という薬草園。
「森野旧薬園」のはじまりは、江戸時代中期。
当時の森野家当主・森野通貞によって開園された。
現在も「森野旧薬園」では、250種類以上の薬草木を見ることができる。

宇陀市の薬の歴史は古く、日本書紀には飛鳥時代、 薬用に鹿を狩る「薬猟(くすりがり)」
薬狩りとは ■、 野草摘みのことでもあり、
また鹿狩りというのも、そもそもは鹿の角が薬として珍重されていたことから始まった薬狩りのひとつだったそうです


薬関係の多い宇陀に、古くからの医院があった。
この医院の先祖は、かつて緒方洪庵の「適塾」で学んだ人。


▲元芝居小屋「喜楽座」、芝居小屋や映画館として使われた建物。
(シャッター部分)

▲レトロな郵便局。

桶が看板の「いせ弥」。

創業、慶応弐年の「いせ弥」さんでお土産に奈良漬けを買った。

「いせ弥」は元酒屋だったので、表には杉玉が!
もろぶた
店内では麹を古い箱に入れて売られていた。
「この箱の名前はなんと言いますか?」と私。
「『こうじぶた』です。」と店の女性。
麹をいれる蓋だから「こうじぶた」。
訛って「こーじゅーた」という地方もある。
子どもの頃は「もろぶた」といっていたので私は今も「もろぶた」。
「もろみぶた」が語源。

宇陀松山(うだまつやま)
宇陀松山は、戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏の本拠地・秋山城(宇陀松山城)の城下町としてはじまった。
豊臣支配の後、徳川の支配になった。
その時、 徳川の元の名前、「松平」の一字をとって「松山」にした。

ちなみに、滋賀県長浜も秀吉が「信長」の一字を使い「長浜」とした。

忖度か!!

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Last updated  2017.11.22 19:11:38
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