おしゃれ手紙

2018.03.12
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カテゴリ: 八百八橋散歩
肥後橋:歴史・文化
江戸時代、 肥後橋の北詰の中之島に肥後藩の蔵屋敷があり、このあたりは肥後島町と呼ばれた。
明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には肥後殿橋とあり、古くはこう呼ばれたこともあったらしい。
肥後藩の蔵屋敷は元禄時代になって

中之島西部の越中橋北詰へ移転したが、橋名と町名はそのまま残った。
肥後・渡辺橋の通りは、明治7年にすでに造られていた大阪駅へのメインストリートであったため、早く鉄橋化されたものと思われる。

1885年(明治18年)の淀川大洪水で流失し、1888年(明治21年)に渡辺橋と対になる現在の位置に架け替えられ、鉄橋となった。

大正15年に第一次都市計画事業によって完成した橋は、中央部がスパン27.0mの鋼アーチよりなり、両側に橋台兼用のコンクリートアーチがあった。
意匠の様式はスパニッシュルネッサンス式と呼ばれ、河川上の橋脚の位置に豪華な飾塔を立て、非常に華やかで、かつ重厚な作りの橋であった。
 この橋も戦後になって四ツ橋線の地下鉄3号線を通す工事に伴って架け替えられた。
 円盤状の支柱をもつユニークな高欄をもっていたが、平成6年に橋面と高欄部の改装が行われ、より華やかなデザインのものになった。



2003年(平成5年)に橋面と高欄部の改修が行われたが、その際、
1966年に架けられた当時の親柱が橋の南詰東側に保存された。

 肥後橋の南東詰め側に■ 「あさが来た」
のモデルになった女性、広岡朝子に関係のある

「大同生命保険の大阪本社ビル」がある。


現在の大同生命保険の大阪本社ビルは、ヴォーリズ設計の旧本社ビルを建て替えて誕生した。
大同生命の本社は昭和47年に吹田市江坂町に移転したが、本社ビルの完成にあわせて平成5年、再びここ土佐堀の地に戻ってきた。

このビルを特徴付けている下層部の扇型の広がり。
ヴォーリズの流れをくむ一粒社ヴォーリズ建築事務所と日建設計の設計。

けったいな姿をしたビルヂング「大同生命大阪本社ビル」。


肥後橋や大同生命は、今は埋め立てられた「西横堀川」のそばだったので、当時としては立地条件のよいところだったのだろう。


■土佐堀川に架かる橋■
天神橋
難波橋
栴檀木橋(せんだんのきばし)
淀屋橋(よどやばし) ■ - 御堂筋(国道25号)の橋
錦橋(にしきばし) ■ - 歩行者専用の橋
肥後橋(ひごばし) - 四つ橋筋の橋
築前橋(ちくぜんばし)
常安橋(じょうあんばし) - なにわ筋の橋
越中橋(えっちゅうばし) - 歩行者専用の橋

湊橋(みなとばし) - 新なにわ筋の橋
端建蔵橋(はたてくらばし)
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Last updated  2018.03.12 11:47:57
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