パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

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2007.07.19
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カテゴリ: 一枚の名画
昔、田舎の家に「家の光」という月刊誌がありまして、

小学校6年生のときに、ゴッホの「自画像」か「スモモ畑」の
絵があって、その斬新な、絵の具を叩きつけるような
表現に幼いながら感動し、自分の持っていた水彩の絵の具を、そのまま
指でべたべたと塗りつけて、描きました。先生にほめられて自信を持ちました。
あの時の、人生に対する、チャレンジというか、冒険心と言うか、
自分の主張をしながら人生を創造するんだという感覚が、
青春の第一ページだったような気がします。


初期のころの絵をご紹介したいと思います。

機織職人
1884年 「職工」 ヌエネン時代
暗い部屋で一日中、織物をしている当時の人々の生活を描いています。

ゴッホは後期印象派の代表的画家といわれます。現在は高い評価を得ていますが、
生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけ。それでも生活していけたのは
弟テオドール(通称テオ)の援助があったからだそうです。

彼は、1853年3月30日にオランダ南部のズンデルトに生まれました。祖父、父共に敬虔な
牧師でした。彼には兄がいたのですが、数週間で死に、両親は、ヴィンセントに、その兄の面影を求め、この幼い時のゆがみが彼の人格形成に大きな影響を及ぼしたようです。彼は性格が激しく、家族を含め、他者との接触が苦手で、一人で過ごす時が多かったようです。

1869年から美術商の伯父の手伝いをしたが、失恋により美術商への熱意を失い退職。
それから、牧師を目指し貧しい人々の為に、自らも貧民のような生活をしながら献身的
に奉仕。しかし、あまりにみすぼらしい有様に、1879年に伝道師の仮免許を剥奪され、


1880年、26歳のときに、に画家となる事を決心し、ブリュッセルでデッサンの勉強を
始めました。1881年に実家に戻り、自宅に画室を作り、画家となりました。

後にゴーギャンと南フランスのアルルで共同生活をすることになりますが不和となり、
ゴーギャンに「自画像の耳の形がおかしい」と言われ、自らの左の耳朶を切り取り、
女友達に送り付ける等奇行が目立ち、自らサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院に入院。

死亡。37歳という短い生涯でした。
短い生涯の間に、彼は800点の油彩画を残しました。

靴
「靴」1886年 パリにて

「悲しみ」
「悲しみ」1882年
同棲していた女性クリスティーヌ(愛称シーン)がモデルと言われています。彼女はゴッホにあった時にすでに妊娠していたそうです。心優しい彼は娼婦のシーンを幸福にすることを使命と思いましたが、なしえませんでした。

自画像
1888年アルル時代の自画像。

ゴッホの生涯は、激情と悲惨と優しさと病気とがまじりあった劇的な生涯でした。
牧師として歩んでいいる自分には複雑に感じるところが多々あります。





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Last updated  2008.11.05 01:04:22
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