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Le vendredi, 30 juin 2006 朝、旅行に出かけるSさんとその友人D君を見送ってから、部屋であれこれ作業をする。午後、退寮の日時を事務所に告げ、語学学校に行き、B1の証明書をもらう。 その後、Cさん所にお邪魔して、お茶をする。S君とも合流。カフェにて、17時からのドイツ対アルゼンチンを見るためだ。J氏も遅れて参加。 ただ、ピニョン氏は、18時半にモンペリエで大変お世話になったマダムMとランデヴーがあったので、試合途中で退散。この時点で、0対1と勝っていたのだが・・・。最終的に、PK戦までもつれ込み、アルゼンチン敗退。とほほ。 夕食は、マダムMと一緒にちょっとしたレストランで食べる。 マダムと別れた後、S君亭に押しかけ、試合結果を聞く。J君も来ていた。そこで、イタリア対ウクライナの試合を最後まで見る。 その後、帰宅。
2006年06月30日
Le jeudi, 29 juin 2006 朝、SさんとD君がカルカッソンヌに出かけるのを見送る。今日はモンペリエに居残りである。D君から洗濯物を預かり、寮の洗濯機で洗濯をする。 11時過ぎに、買い物に出る。パリでは、ソルドが始まったらしいが、モンペリエは7月5日だそうだ。午後、オクシタニィの傍のサントル・コメルシアルに出かけて、初めて知った。道理でどこも片付けまがいのことをしていると思った・・・。アホですな。 夕方17時半ごろ、SさんとD君が洗濯物を回収に来る。彼女たちは、19時半からSさんの前のホスト・ファミリーのところで夕食の予定。ピニョン氏は、昨晩、S君から20時に遊びにおいでと言われていたのだが、妙に疲れていたので、夕食後に寝ていた。 22時にコメディに行き、明日スイスに帰る、学校の友人と飲みに行く。SさんとD君も合流予定。しかし、待てど暮らせど誰も来ない。あら?仕方が無いので、トラムの停留所のベンチで座って待つ。結局、22時半ぐらいまで待っていた。 そのあと、ピニョン氏が行った事の無い、ちょっとおしゃれなバーに行き、スイス人のバスの時間まで飲む。 0時前に解散。
2006年06月29日
Le marcredi, 28 juin 2006 今日は、友人Sさんとその友人D君の3人で、朝9時45分の列車に乗ってニームへ行く。若干の遅れがあったものの、ポン・デュ・ガール行きの11時のバスに間に合う。 水道橋を見て、友人たちが川に膝まで使っているのをぼんやり眺めていた。 昼食を取った後、友人たちがトイレに行き、それを食堂で待つ。すると、60代と思しき日本人の男性が、話しかけてきた。1ヶ月間、南仏を旅しているのだそうだ。 おじさんと話をするというか、話に付き合ったというか、そんな感じでいたら、Sさんが迎えに来た?ピニョン氏は、彼らを待っていたはずなのだが・・・。 D君とSさんがお土産を買ったあと、バス停へ。14時45分のバスに乗りたかったのだが、バス停を間違えたらしく、ニーム行きのバスを逃す。そもそも、正しい?バス停の案内板を見たら、アレス⇔アヴィニヨン行きになっていたので、こちらではないと判断したのだが、実際は、そうではなかった。フランス人はお構い無しだったらしい。 結局、一緒にバスを待っていたアメリカ人青年と一緒に、16時55分のバスに何とか乗って、ニームに戻る。腹に据えかねていたらしいSさんは、「ニームなんてどこにも書いてないじゃない!」と運転手に食って掛かっていた。とほほ。円形闘技場にD君を連れて行きたかったのだが、19時の日本人食事会に間に合わないと判断。18時13分の列車でモンペリエに戻る。 その列車で、偶然、フランス人の友人S君とばったり出会い、モンペリエに戻るまで話をした。 19時過ぎにアンティゴンのイタリア料理店で、総勢9名、あとでJ氏が登場したので、10人で思い思いのものを食べた。ぴにょん氏はカルパッチョを頂く。 22時過ぎに場所をサントル・ヴィルに戻し、カフェで何故かアイスクリームを食べる。あとからS君がやってきた。しかし、暑い・・・。 各人が一人二人と抜けていき、0時に最終的に解散。
2006年06月28日
Le mardi, 27 juin 2006 昼食の後、買い物をして、Cさんと会う。ちょっとした会合か? ブラジル対ガーナ戦を見たあと、Sさんとイギリスから来た友人の3人で夕食を取った後、スペイン対フランスをカフェに見に行く。 食事の関係で、後半から見に行ったが、既に1対1!おう、1点目を見逃した! カフェは、すでに一杯で、立ち見。よって只見となった。 一進一退の展開。後半も半ばが過ぎ、延長を考え始めていたころ、ジダンからのフリーキックをヴィエラが頭で押し込み、逆転!!ロスタイムには、ジダンがゴール前に持ち込み、鋭い切り返しでカシーリャスを逆を突くシュート!ダメ押しの3点目! そこ等中でフランス人は大騒ぎ。まるで優勝したみたいだ。変な奴らめ・・・。 疲れたので、一杯飲んでから、お別れ。明日は、Sさんの友人を連れて、ニームに行ってくる予定。
2006年06月27日
Le dimanche, 25 juin 2006 14時にコメディで、Aさんとお茶をする。まぁ、いろんな話をしたね。 16時前に、映画に行くAさんと別れ、小腹が空いていたので、サンドウィッチを勝って部屋に戻る。しかし暑いぞ・・・。 17時からイングランド対エクアドルの試合を見る。まぁまぁの試合。 さて、夕食をどうしようかと思っていたら、J氏から電話。20時50分頃に行く約束をする。J氏亭でポルトガル対オランダの試合を見る。ある意味、面白かった。カードが乱れ飛ぶすごい試合。退場者が両チーム2人ずつの4人も出たので、スペースがあるある。確かに10人のフットボールと言うのは面白いのかもしれない。 結果、1対0でオランダが敗退。残念だ。
2006年06月25日
Le samedi, 24 juin 2006 夕方17時からのワールド・カップ決勝トーナメント第一戦ドイツ対スウェーデンを、カフェに見に行く。ドイツを優勝候補に推しているSさんと行く。 いつものカフェに行くと、Cさんと、以前ポリゴンヌで会ったTさんの2人に会う。折角なので、同席させていただいた。Tさんは、ポール・ヴァレリーで言語学を勉強されている方。 試合は、ドイツが2対0で勝った。スウェーデンは退場者を出してしまい、いいところ無く敗退。残念である。 夜は、部屋でアルゼンチン対メキシコ。前半にお互い1点をとり、後半は一進一退の攻防。延長に突入した。延長前半にアルゼンチンが貴重な一点をたたき出し、そのまま2対1で勝利。この結果、次はドイツと当たる事になった。 決勝リーグに入り、どの試合も目が話せない!
2006年06月24日
Le vendredi, 23 juin 2006 今日は、語学学校最後の日。気分は、とっくにヴァカンスだった。てへへ。 先生をお別れして、友人たちともお別れの挨拶をする。 午後、学校から連絡があり、B1に受かっていたとの事。ほっとする。
2006年06月23日
Le jeudi, 22 juin 2006 再び試験。今日は、B2を受けた。恐ろしく難しい。明日のDALFのC1を受けるスイス人たちでさえ、難しかったと言っていたのだ。一緒に受けたSさんと、午後の口答試験をすっとばして帰ろうか?と昼食の間中、話をしていた。 口頭試験もボロボロ・・・。与えられた主題が良くわからず、困惑。あたたた。 ヘロヘロしながら帰る。 夜は、カフェに出かけ、日本対ブラジル戦を、S君、Cさん、J氏、J君、Sさん、その他、S君の友達数人を交えて見る。まぁ、前半は良くやったと思うので、良いのではないかな?
2006年06月22日
Le mercredi, 21 juin 2006 今日は、朝から久々にポール・ヴァレリーに出かけ、フランス語検定試験のDELFのB1を受検した。Sさんと一緒に学校まで行く。指定された教室の前で待っていたら、学校のスイス人たち3人もやってきた。 10時から試験開始のはずだったが、説明、試験用紙の配布等、ずるずるとずれ込み、12時過ぎまで受験した。午後は、14時から順次、個別の口答試験があるが、16時半からだったので、一度サントル・ヴィルに戻り、昼食を取って、学校でのんびりしていた。15時過ぎに学校を出て、再度、ポール・ヴァレリーに行き、順番を待つ。 口答試験をやった後、17時からだったSさんを待ち、帰る。 夜は、フェット・ドゥ・ラ・ミュージック(La f?te de la musique)。ピニョン氏は、ワールド・カップの試合を見てから、Sさんに合流。すると、S君やCさん、KさんとS氏、J君と一緒だった。あちこち見て回り、1時ぐらいにSさんを送っていく。何せ、次の日もテストなんでね。とほほ。
2006年06月21日
Le dimanche, 18 juin 2006 今日は、3戦すべて見た。日本対クロアチア、ブラジル対オーストラリア、フランス対韓国。S君宅で、周りの迷惑顧みずわいわいやっていた。Cさん、Sさん、J氏と観戦。S君は、時々、パソコンからはこちらを眺めていた。
2006年06月18日
Le samedi, 17 juin 2006 クラスのスイス人が、就職を決めた。よって、クラスの日本人Sさんの部屋でちょっとしたお祝いをすることにした。フットボール好きな彼に、ワールド・カップがらみでプレゼントでもするか?とスイスのリストバンドなんかを探してみたが、無い。よって、ジュール・リメ杯のキーホルダーにした。かなり受けた。 祝われるほうがワインを持ってきて、Sさんがちょっとしたつまみを出してくれた。1時間半ぐらいの時間だったけど、非常に楽しい時間だった。
2006年06月17日
Le jeudi, 15 juin 2006 フランス人S君ととカフェで観戦。話をしながらなので、話半分の試合の視聴半分で、中途半端。 何故か途中でJ氏登場。スウェーデン人たちと試合を見ると言っていたはずなのだが。どうも寝坊してしまったらしい。後半開始後、やっと友人のスウェーデン人に合流しに行った。 試合は、終始緊迫感をはらんで、面白かった。パラグアイのキーパーがいい。 終了間際、今大会は、終盤の得点が多いね、なんて話をしていたら、本当にそうなった。スウェーデンが終了間際に決勝点をたたき出し、勝ちを収めた。 その後、フランス人と飲みながら、話をしていたら、J氏から電話。再度、合流。 23時半ごろに、お開き。
2006年06月15日
Le lundi, 12 juin 2006 今の語学学校には、スイス人が沢山いる。 13日は、フランス対スイスの試合日。カフェに行き、スイス人たちと試合を見ることにした。ピニョン氏とSさんは日本人なのに、フランス代表、それもジダンを来て観戦。あれこれ言い合いをしながらみたので、楽しかった。 そのあと、部屋に戻り、ブラジル対クロアチアを半分?ほとんど寝ながら見た。
2006年06月12日
Le dimanche, 11 juin 2006 お昼過ぎに、友人から電話。部屋を決めてきたそうだ。良かった。家主もいい人だったらしいが、良くしゃべる人だったそうだ。ふむ。 友人がモンペリエに戻ってきてから、話を聞く。その途中で、フランス人S君からメール。17時半にカフェへ行く。J氏も来ていた。 19時過ぎに解散。友人は日曜日と言うこともあり、夕食の食材が買えないので、ピニョン氏の所で夕食を取って帰る。
2006年06月11日
Le samedi, 10 juin 2006 朝、11時ぐらいまでホテルにいた後、チェック・アウト。荷物を預かって貰い、まずは駅に向かう。友人のチケットの列車を変更してもらうためだ。変更は無事に終了。暑いので、冷房の効いた向かいのサントル・コメルシアルに避難する。 ぶらぶらとお店を回り、昼食を取り、またぶらぶら回る。 17時過ぎにホテルに戻り、荷物を回収。18時過ぎの列車でモンペリエに戻る。友人は、さらに時間をつぶした後に、Mさんの所に向かうことになっていた。 モンペリエ、暑すぎる。さっさと部屋に戻り、一休みしてから、買い物。 今大会、初の試合を観戦。アルゼンチン対コートジボアール。好ゲーム。
2006年06月10日
Le vendredi, 9 juin 2006 部屋探し2日目。朝、昨日めぼしいと思ったところに電話する。繋がらない。そのあと、少し条件を落としてみて、ここもいいかな?と思ったところにもアタックしようということになり、午前中、その場所をいくつか見てまわる。一件目は、なかなかいい感じだったので、電話してみるが繋がらない。 そのあと、もう一件見に行くが、橋の袂で、大きな道が前にある建物だった。おまけに、橋の袂が工事中だった。ここは、却下。 遅めの昼食を取り、18時のランデヴーまで、サントル・コメルシアルで時間をつぶす。友人は、服を一枚買った。 18時少し前に、最寄り駅に着く。18時ごろ、友人のMさんが合流。そのあと、仲介者のフランス人H氏とそのアシスタントの日本人女性Yさんと会う。 部屋に伺い、その部屋の広さと窓からの眺めの良さに感動する。家具付ということもあり、即決。7月10日に入居を決める。あとは、それからと言う事で。 駅の方に戻り、みんなでカフェに行き、暑かったこともあり、泡の出るジュースを・・・。 丁度、ワールド・カップの初戦が行われていて、カフェの中は、大興奮状態だった。 友人の携帯に、今日電話したところから連絡が入り、既に入居者が決まっているとの事。もう一件のところに再度電話したら、今度は出たそうで、日曜日の10時過ぎにランデヴーを取ることになったという。明日、モンペリエに戻る予定だったが、ピニョン氏だけ戻ることになった。友人は、Mさんの所に泊めてもらえることになった。 Mさんの弟、K君、Mさんの友人なども加わり、夕食に行くことになった。リヨンに来て、初めてのちょっとした夕食。大通りから一本入った道に、そのお店があり、なかなか美味しかった。 23時過ぎに解散。ホテルに戻る。 友人は、疲れていたと見え、シャワーも浴びずにダウン。
2006年06月09日
Le jeudi, 8 juin 2006 9時過ぎの列車でリヨンに向かう。今回は、部屋探しの旅。当初は、学生寮にしようかと思っていたのだが、どうも契約に必要な保証人にお願いする項目が多すぎて、結局パスすることになったのだ。 今回の部屋探しは、10月から通う学校で、登録料20ユーロを支払い、住宅のリストをもらうことにしていた。今回も、前回同様、友人と2人で探すことにしていた。一人より二人の方が心強いしね。ピニョン氏は、J氏の友人で、ピニョン氏も、今年の頭にお世話になったMさんからの紹介で、一部屋見れることになっていた。格安の料金で保証人無し、CAFの申請も出来る、で、広いと来たもんだ。 リヨンに着くと、Mさんに連絡を取る。ランデヴーの確認である。その時点で、まだいつになるか分からないとのこと。お昼をしている時に、Mさんから連絡が入り、明日の18時に部屋の最寄り駅ということになった。 ホテルに着き、まだチェックインできなかったので、荷物を預けて学校に向かう。住宅案内の部屋を探したが、見つからず。入り口の案内で場所を確認する。部屋に行くと、14時からとなっていた。傍の棚にあった学校案内やら何やらを見て少し休憩する。すると、部屋から一人の女性が出てきて、ここが開くのを待っているのか?と聞かれ、そうだと答えると、14時に来てねと言われる。勿論、分かっていたので、また後でと言って分かれる。 昼食を取り、14時少し前に行く。すでに案内所は開いていたので、恐る恐る入る。時間前からフランス人が働くと思えなかったので、恐る恐る・・・。しかし、すごく親切な人で、すぐに対応してくれた。登録用紙に必要事項を記入して、20ユーロを払う。ピニョン氏の名前を見ていたマドモワゼルは、「あ、この名前みたことがあるわ!昨日、メールを送ったけど、見た?」と言われる。そう、先日、どのような部屋を探しているのか尋ねるメールが来ていたのだ。だが、今日、ここに伺う予定にしていたので、特に返事をしなかったのだ。 ストゥディオとシャンブル、コロカシオンのリストをもらい、あとは、条件の合いそうな場所に直接連絡を取るように言われる。 そのあと、語学学校の受付に回り、友人が授業を半期延長することにしていたので、その登録をする。ここもすごく親切な対応。どこかの語学学校とは雲泥の差だ。 登録が終わり、カフェで一息つこうと言うことになり、カフェに向かう。この頃、既に15時半ぐらいだったか?それから、リストとにらめっこ。なかなかこれといった物件を見つけられない。18時過ぎまでチェックして、最終的に残ったものが、3件ぐらいだった・・・。たまたまどれも物件の住所が近くにあったので、よっていくことにする。1件目は、道路沿いで、且つ、日当たりが悪い。2件目は、なかなかいい感じの場所。3件目は、場所的にも、まずまずのところか? 買い物をして、ホテルに戻り、チェック・イン。シャワーを浴びた後、のんびり夕食。やはり大都市だけあって、結構歩くのだなと思った。
2006年06月08日
Le mercredi, 7 juin 2006 夜19時から、3回目か?の日本人食事会。今回は、インド料理。 総勢9名。J氏、来ず・・・。 時間が早かったこともあり、食事の後、Mさん、Cさん、Sさんの3人とカフェで飲む。 明日から3日間、再びリヨンである。
2006年06月07日
Le lundi, 5 juin 2006 何故か今日はお休み。フランス国内でも、休みにするかどうか議論されているらしいのだが、街のほとんどのお店が休み。休みかどうか?なんて考える前に、フランス人なら休むだろう・・・。 よって、のんびり過ごす。
2006年06月05日
Le dimanche, 4 juin 2006 午後に、Sさんとピシンヌ・オリンピック(プール)に行く。50メートル・プールで水深3メートルの競技用プール。久々に行く。 1時間ぐらい泳いだかな?結構疲れた。 夜は、20時からS君宅で、プチット・フェット。まぁ、いつものメンバーに、フランス人が何人か加わった感じ。楽しかった。
2006年06月04日
Le samedi, 3 juin 2006 15時半ごろ、友人Cさんから電話。「内気な女の子が、ピニョンと話がしたいんだって」とのこと。しかし、聞こえてくるのは、友人たちの笑い声と風の音だけ。S君の友達のJ君の娘、Eちゃんが「ピニョンは来ないの?」と言ったから、電話してきたのだそうだ。ちょっと用事をしていたので、16時半ぐらいに行けると言う。コメディでお茶をしている彼らに合流することにした。 16時半ごろに電話すると、Cさんの部屋に移動したとのこと。Eちゃんが、「日本に行きたい」と言ったのだ。Cさんによると、靴を脱が無ければならないCさん亭は、日本なんだそうだ。 Cさん宅にお邪魔すると、Eちゃんが恥ずかしそうにしていた。一緒に行ったSさん共々、Eちゃんと遊ぶ。合間合間にS君とあれこれ話をする。 20時前に、買い物に行かなくてはならなかったので、お暇。
2006年06月03日
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