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日本書紀は天武天皇即位の正当化と、その出自を隠蔽するために書かれたものだと思っています。平安時代以降、天武系から天智系に皇位が戻り、天武系の天皇が「天皇家の菩提寺に祀られない」という扱いを受けながらもなお、日本書紀が「日本の正史」であり続けたのはなぜか?それは藤原不比等の、と言うより、藤原氏の意志が大きく反映されているからだと思うのです。天武天皇と同様、藤原氏が実権を握る「正当性」も、日本書紀の中に盛り込まれているのです。もちろんこれは、お気楽古代史ファンの、想像の域を出るものではありませんが。一方「古事記」はどうか。古事記を読んでいて感じるのは、いかにも日本的な「和」の精神です。天照大神を皇祖神とする氏族が、さらに高位の神々意志として日本を治める構図。それは決して「征服」ではなく、大祓詞にあるように「豊葦原の水穂の国を 安国と平けく知食めせ」(とよあしはらのみずほのくにをやすくにとたいらけくしろしめせ)つまり、天皇家は「日本を安らかな国として、平らかに治める」よう(神から)依頼されたとしているのです。そして「天つ神」たちは、「国つ神」たちを頭から支配するのではなく、和合し、協力関係を結びながら「治めて」行ったのではないでしょうか。そして古事記の神話の中には、いろんな氏族に伝わる「伝承」が盛り込まれ、八百万の神々の中には、いろんな氏族の祖神が含まれた物語になっているのではないかと思うのです。そういった意味では、「高天の原」も「日向」「高千穂」も、どこにでもあり得るような気がします。確かにいろんな奇説・珍説もあるようです・笑。こういった「曖昧」もいいのですが、対馬海流圏・・・気になりますねぇ~
2006.03.31
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天の蒼は 海原の碧 神のみが知る 遙か彼方にて 天と海とは ひとつになる 天から降る雨は 海よりの恵み 全ては 神の御業なり実質的な神話は、伊耶那岐命と伊耶那美命からはじまります。いきなりベタな話になりますが、この二柱の神の名前の「ナギ」「ナミ」からは、海を連想します。静の「凪」が男で、動の「波」が女。我家と同じです。オノコロ島にお降りになった伊耶那岐命と伊耶那美命が、天の御柱を立てて作った御殿で最初に行うのが「国生み」です。伊耶那美命「私のからだはよく出来ていますが、足らない所があります♀」伊耶那岐命「わしの身体もよく出来ているが、余った所がある…♂」 わしの余った所を、おまえの足らない所に差し入れて国を生もう」 回りくどい表現をせずに申し上げますと、「えっち」をして「国生み」をしたわけです。日本で初めての「えっち」です。しかし現代で上記のような会話は、イザというときのクドキ文句には使えそうにありませんね。伊耶那岐命と伊耶那美命が何回イタシたかは不明ですが、多くの国々(島々)が生まれました。淡道之穗之狹別嶋(淡路島)伊豫之二名嶋 (四国=愛比賣・讃岐・粟・土佐) 隱伎之三子嶋 別名:天之忍許呂別(隠岐)筑紫嶋 (九州=筑紫・豊・肥・熊曽)伊岐嶋 別名:天比登都柱(壱岐)津嶋 別名:天之狹手依比賣(対馬)佐度嶋 大倭豐秋津嶋 別名:天御虚空豐秋津根別(本州または大和) 以上大八島国 吉備兒嶋 別名:建日方別(岡山・児島半島)小豆嶋 別名:大野手比賣(小豆島)大嶋 別名:大多麻流別(山口・屋代島)女嶋 別名:天一根(大分・姫島)知訶嶋 別名:天之忍男(五島列島)兩兒嶋 別名:天兩屋(男女群島)※現在地の比定には諸説ありますこうして生まれた国を見ていて、気がついたことがふたつあります。ひとつは、別名をもつ国(島)ともたない国があること。そしてもうひとつは…
2006.03.26
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古事記を初めて読んだ頃、不思議に思った素朴な疑問。「古代の人々(神々)は、地理がわかっていたのだろうか・・・」「国生み神話」で、日本中の島々に関する記述があるのは当然として。古事記の登場人物(神)たちは、日本中を広範囲にわたって、しかもいとも簡単に移動していますね。ま、これは7~8世紀に創作された神話なので、当時の知識でスケールのデカイ「神々の業」を表したのでしょう。「隋書・倭国伝」によると、古代の倭人は「里数を知らず、ただ計るに日を以てす」とのこと。それでも神々は、九州から出雲や吉備、大和、三重、諏訪(長野)などを「あっ」という間に移動します。しかし縄文時代の遺跡からは、日本各地の「クニ」間の交流の証拠が出土しています。古代人を侮ってはいけませんね。ところで、紀元前7世紀に誕生したことになっている神武天皇。古事記に書かれている「神武の東征」は、弥生時代のことのような気がするのですが、ちょいと気になることがあります。天つ神の子孫である神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、すなわち神武天皇は「どこに行けば、天下を治めることが出来るだろうか」と相談して、東に向かうことになります。いわゆる「神武の東征」の始まりです。この部分の現代語訳は、概ね次のように訳されています。 日向(ひむか)を発って、筑紫に向かった。豊国の宇沙(宇佐=大分)に着いたとき…。 「細かいことにはいちいちこだわらない」というお気軽な古代史ファンである私ですが、さすがにこの部分には戸惑いを覚えるのです。高天の原から邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨したのが、筑紫の日向にある高千穂の峰。ここにきて「筑紫」は、日向から安芸(広島)・吉備(岡山)に向かう通過点となっています。「神武の東征」の部分では、天孫降臨の地「筑紫の日向」の、筑紫と日向が別の場所のように書かれているのです。ただし神武の「ツクシ」は「筑紫」ではなく、「竺紫」という字になっているようです。筑紫=筑紫島。つまり「筑紫の日向」は「九州の日向」という意味であり、「竺紫」が福岡周辺のことなのでしょうか。手元にある資料では、そんな「使い分け」がされていました。ただし別の本やネットでは、全て「筑紫」や、全て「竺紫」の表記がされているものもありました。いやいや、やっぱり「筑紫の日向」は「アノ辺り」のはず・・・。伊耶那岐神の禊(みそぎ)の場面から、「オノコロ島」「筑紫の日向」や「高天の原」の話題を書くつもりでしたが、そこまで到達出来ませんでした。おやすみなさい。
2006.03.23
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日本、世界一 日本、世界一 日本、世界一
2006.03.21
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古事記は、天地創造から始まります。初めて「天と地」が分かれて、天である「高天の原」に現れた神は「造化三神(ぞうかのさんしん)」と呼ばれる神々。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かむすびのかみ)。「造化三神」は、続いて現れた二柱の神と合わせて「別天の神(ことあまつのかみ)」と記されています。その後に現れた「神代七代」神々のうちの二柱の神、伊耶那岐神とその妻である伊耶那美神によって日本の国々(島々)や、多くの神々が生み出されて行くのです。その後の展開は、九州に降臨した「天つ神」が、日本古来の「国つ神」を支配して行く構図になっています。古事記のヒーローの一人大国主命も、天つ神の子孫に「国譲り」することになります。異色なのは、大国主命と兄弟の契りを交わして「国造り」をした少彦名神(すくなひこなのかみ)です。この神は神産巣日神(前出)の指の間から生まれた神であり、高天の原の神とも言えます。少彦名神は小さな神で、ガガイモの葉っぱの舟に乗って出雲にやって来ました。「大国主命が名を問うも答えようとしかった」と書かれていますが、これは少彦名神が外国人であることを表しているような気がします。ただし少彦名神は国造り半ばで、さっさと「黄泉の国」に行ったと書かれています。その後の歴史として書かれた神武の東征も、ヒーロー日本武尊の話も、神功皇后の遠征も、架空の作り話だとする説があります。古事記を「文学作品」的に読むならば、それでもよいのです。しかし私は、それらの神話は「根も葉もある作り話」ではないかと想像しています。それにしても藤原不比等の時代に、なぜこのような「神話」を編纂する必要があったのか。日本古来の民族・氏族が7,8世紀の支配者になっていたとすれば、このような「神話」は必要なかったのではないかと思うのです。
2006.03.18
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この2年近く、神社巡りが趣味になりました。一部では「神社マニア」と呼ばれています。子供の頃から神社・仏閣が好きでした。やがて古代史好きになり、聖徳太子を研究し始めました。インターネットを始めて、たくさんの人たちと歴史を語り合いました。最近では、フォックスさんやほぎさんの影響で、日本古来の神々と神話を、私が学んで来た古代史と重ね合わせて楽しんでいます。今、素盞嗚さんが古代史の観点から「高天原」について楽天日記に書かれています。どういう展開になるか、興味津々です。日本の古代史の記録として、「古事記」と「日本書紀」があることは誰でもご存じだと思います。しかし、ほぼ同時代に「古事記」と「日本書紀」が編纂された理由は何なのでしょうか。神社と神話、そして古事記について、素盞嗚さんの「高天原」に合わせて私なりの空想を語ってみようと思います。本当は、私が思う「古事記の本質」について書くつもりでしたが酔っぱらってしまいました。で、ぼちぼちと行こうと思います。
2006.03.16
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慌ただしい東京出張から戻ってまいりました。日曜の午後東京入りして、新宿へ。都庁が目的だったわけではないのですが、上ってしまいました。45階からの眺めはすばらしかったのですが、写真1枚だけ撮ってすぐに下りました。めちゃくちゃ焦っていたのです。新宿に来た理由はこれです。新宿プロムナード・ギャラリーで行われている、ほぎさんの個展。実はここにたどり着くまでに、迷いに迷ってしまったのです。で、仕方なくわかりやすい都庁に先に行き、そこから見えた十二社熊野神社に参拝。新宿プロムナード・ギャラリーを見つけた時は、なんと新宿駅に着いてから2時間近くたっていました。関西では鼻がきく私ですが、東京ではオロオロしっぱなし。この後、明治神宮に行きました。疲れました。
2006.03.13
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先日「みつえしろ」というタイトルで、内宮(伊勢神宮)・別宮の倭姫宮をご紹介しました。はじめから(天皇家の)皇祖神・天照大神を祀った神社が、伊勢に建てられたわけではありません。天照大神は半世紀もの間各地を転々と移動した末に、現在の伊勢の地に祀られることになったのです。そのきっかけとなった記録が、日本書紀に見られます。日本書紀の記述をまとめると、次のようになります。祟神天皇の御代、疫病が流行し、国民の半数が死ぬほどであった。そこで天照大神と大国御魂神(おおくにみたまのかみ)の二神を、天皇の宮内にお祀りした。しかしその二神の勢いを畏れ(二神の仲が悪かったとの説も)、再び宮外に祀ることになった。天照大神は豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に、大国御魂神は渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に託して祀った。続いて日本書紀には次のような内容の記述があります。大物主神を敬い祀れば国はよく治まるとのご神託があった。しかしその後も変化はなかった。祟神天皇の御代の災いは大物主神の祟りであることがわかり、大物主神の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主とした。そこで初めて疫病はおさまり、国は鎮まった。また、上記の大国御魂神を祀った渟名城入姫命は「髪が抜け痩せこけて」神を祀ることが出来なかったと書かれてあります。大国御魂神はその後、長尾市という人を祭主にしています。天照大神のことは後述するとして、日本書紀の上記のような記述は何を意味しているのでしょうか。大物主神がはじめ鎮まらなかったことや、渟名城入姫命が大国御魂神を祀ることが出来なかったことに、私は注目しています。神道は元々、先祖崇拝から発展したものとも言われています。大国御魂神については諸説あるのですが、本居宣長などによれば「大和」という地の神であると言われます。大物主神も、大国御魂神も、天皇家の人物では祭主として務まらなかったということではないでしょうか。こういった宗教的な記述の裏に、当時の氏族間の権力抗争が垣間見えるような気がするのです。九州からの日の神、出雲系の神、そして大和の地主神。そしてそれらを祖神とする、天皇家と有力氏族たちの勢力バランス。大物主神は三輪山に、そして大国御魂神は大和神社(おおやまとじんじゃ・天理市)に祀られました。天照大神は前述のように、豊鍬入姫命が御杖代(みつえしろ)となって宮中を出ました。はじめ大和の笠縫邑(かさぬいむら=現在の桧原神社と伝えられています・桜井市)に祀られた天照大神は、その後は丹後、吉備、淡海、尾張、伊賀などの地を巡幸します。老齢のため、御杖代の役目は倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれます。皇祖神を祀る神社が、なぜ伊勢なのか。ずっと疑問に思っていました。なぜ皇祖神である天照大神が巡幸の旅にでることになり、伊勢の地に鎮座することになったのか。「元伊勢」という伝承が残る地を訪ねながら、その謎について考えてみたいと思います。
2006.03.04
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私はどちらかと言えば早口ですが、早口言葉は苦手です。「バス ガス爆発」という早口言葉がありますが、よく考えたらあり得ない話でした。しかし今は環境のことを考えて、大阪では「ハイブリッド バス」や画像のように、「天然ガス バス」が走っています。あり得ない話ではなくなったようです。しかも「天然ガスバス ガス爆発」となるので、早口言葉も、より高度になっています。しかし、万が一「天然ガスバス ガス爆発」が起きたら、ニュースを読むアナウンサーはたいへんでしょうね。 * * *続いて、大阪市で起きた「天然ガスバス ガス爆発」に関するニュースです。今日、夕方5時頃大阪市ぶさい区尾輪来町で「天然ガスバスのガス爆発」がありました。買い物帰りの乗客の「生麦生米生卵」や「青巻紙赤巻紙黄巻紙」が散乱し一時あたりは騒然としました。大阪のおばちゃんたち野次馬が大勢集まり、屋台まで出たという話です。そんな中、「瓜売が瓜売りて来て瓜売れず売り売り帰る瓜売の声」が悲しく響いていたそうです。では、現在の事故現場のようすを中継でお伝えします。現地のレポーターを呼んでみましょう。「大阪・毎朝放送の じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ…ニュースの途中ですが 一旦CMにいきます」
2006.03.03
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間違えました。花の東京でした。東京には3回しか行ったことがありません。最後に行ったのは10年以上前です。東京方面の方々には申し訳ありませんが、東京に行きたいと思ったことがありません。肌に合わないのです。東京の人は、「マクド」のことを「マック」と呼ぶそうじゃないですか。私には恥ずかしくて言えません。よんどころない事情により、3月11日以降に東京に行きたいと思っていました。しかし、いろいろと忙しく時間がとれそうにありませんでした。ところが本日、東京出張を打診されました。私がいる会社は全国に拠点があり、人も人材もウジャウジャいるので出張なんぞめったにありません。おまけに、体質的に「西と東」に別れています。東京出張なんぞ、奇跡に近いものがあります。あまりプライベートな時間はとれませんが、新宿で「絵」を見る時間くらいはありそうです。ここでもお世話になっているほぎさんの絵の展示会「内なる聖地~日本の神々 地水火風~」が、3月11日から1ヶ月間、新宿プロムナードギャラリー(都庁そば地下道・JR新宿南口から徒歩12分)で開催されます。行きますゾぉ~。いい流れです。記念写真もいっぱい撮るぞぉ~。
2006.03.01
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