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朝食を摂りながら昨夜頭に浮かんだ句を書き留めた。 秋雨や眠れぬままの読書かな 青穹(山田維史) ひと月の残り数えて落葉かな 足とどむ石の階(きざはし)濡れ落葉 急流れ三途の川の濡れ落ち葉 裸木に一葉(ひとは)残して軍機過ぐ* 秋雨や降る音重し無明門【*】我が家のほぼ上空は横田基地への航路となっている。
Nov 27, 2024
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Nov 25, 2024
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午前9時、秋季恒例の市内一斉清掃。40分ほどで終了。「みんなでやると早いわね」と、どこかの夫人の声がしていた。そのとおりだ。いつものことである。 それにしても80歳になる私をつかまえて、「まだお若いです」は無いだろう。私の心身の元気さを評したのかなー? まあ、そう思うことにしよう。ありがとう。 80歳になっても心身が元気で(若く)いられるコツは、努力しないで努力すること。ハハハ。
Nov 24, 2024
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Nov 23, 2024
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急に寒くなった。北海道の一部ではドカ雪で1日の降雪量が60cmを越したとか。つい先日まで夏日だ猛暑だと言っていたように思うが、この冬はどうなることやら。 日本は四季がわりとはっきりしていて、俳句の季語のような文化が育った。しかし季語も時とともに変わって来ている。戦前の「季寄せ」が現在ではあまり役に立たない。五月の季語として「徴兵検査」があった。植物に関する言葉にしても、戦前の「季寄せ」には農事にまつわる言葉がかなり多い。戦前はごく一般の家庭でも行われていたのであろうような畑仕事の言葉が、東京のような都会に住む者には今ではまるで夢のような言葉になってしまった。そんな昔の一般的な季語は情緒はあっても、現代の俳句に使えば現実味がなくなってしまうかもしれない。 尤も近年は、都会を脱出して自然に囲まれた土地へ移住する人もいるようだ。一方で、かつては自然と一体となって豊かな暮らしをしていたであろう村々が、すっかり廃村となってしまったところも決して少なくわないらしい。そのような廃村を巡って撮影した動画の放送もめずらしくない。どのような事情があってか私は知らないが一村の全世帯が、言葉は悪いがまるで夜逃げしたかのように家を捨て、手塩にかけた田畑を捨てている。 このような過疎化は日本だけではないようだ。これは映画の中のことだが、『バウンティフルへの旅』を観ると、老女の昔の故郷が廃墟と化し、鉄道の駅は無くなり、バスも通らなくなった。町の名さへ消滅している。アメリカの観客はこの状況を納得して観ているのだろうから、映画は現実を映し出しているにちがいない。 ところが今日のCNNが、過疎化が進んでいるイタリアの町のちょっとおもしろい過疎化対策を伝えている。 過疎化を脱却する方策として、アメリカ大統領選挙の結果に絶望したアメリカ人にこの街への移住を呼びかけているのである。自国の大統領に失意した人たちに自国を捨てて他国への移住を促している。移民排斥を掲げる政府なら、そこから脱出しておいで。・・・それが公的機関(自治体)の政策であるというのが凄い。空き家がたくさんあるので、そこに移り住んでください、この村の活性化に一役買ってくださいというわけだ。 移住者に提供する家は3種類。① ITを活用してリモート・ワークをする人には無料で提供。つまり別荘のように使用する人たちであろう。② 修復が必要な家屋の販売価格は1ユーロ(約160円)。③ すぐにでも住める家屋は,最大価格10万ユーロ(約1600万円)。・・・すでに移住した人もいるようだが、この紹介サイトには現在、米国などから3万8000件の問い合わせがあるという。 ものは考え様ということか・・・。いや、そうとも言えないかもしれない。日本の場合、もしも政府や政治家に失意したなら、どこへ行けばよいだろう。イタリアのこの村? つまり自国第一主義を政策に掲げる国は、実は自国民さへ住みづらくするのだ。古代世界ならいざ知らず、現代世界は己の一国だけが良ければ幸せだとはならないのである。それが当たり前の道理。この道理をわからない傲慢な「指導者」とやらが・とみに多くなっている。なぜそんな人物を輩出するようになったかを考えることが現代国際社会を考えるうえで根本に置くべき考察かもしれない。 CNN「大統領選で失意の米国人に呼びかけ」
Nov 20, 2024
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明け方近くにバラバラと叩きつけるような雨音で目が覚めた。風も吹いていた。起床する頃には小雨になっていたが、風は相変わらずだ。「このぶんだと落ち葉がすごいな」 風のために隣家の敷地にも吹き込んでいるだろう、迷惑をかけると思い、早々に庭掃除に出た。案の定、濡れ落ち葉が積もっていた。もじどおり裸木になるまで毎朝落ち葉掃きはつづく。しかしこの日課も私にとっては風物詩である。 かさかさと夜のしじまに鳴る落葉 青穹(山田維史) 茶の花やちと寂しげに濡れて咲き
Nov 18, 2024
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一昨日、私はこのブログ日記に、1880年代にパリはセーヌ河岸で発見された若い女性の遺体から作成されたというデスマスク(死面)について触れた。そしてそのデスマスクの複製を私は実際に見たことも述べ、それをもとにしてごく短いエッセイ風な短編小説を雑誌に書いたことも述べた。 その雑誌は1983年のミステリマガジン 9月号(早川書房)であるが、じつは同じ頃、東京創元社版ディクスン・カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』のカヴァー装丁のために「ナポレオンの死面」を描いている。原画はキャンヴァス・ボードに油彩、45.5 X 53.0 cm。ミステリ作家・折原一氏が所蔵してくださっている。 この絵は写実的静物画のスタイルであるが、じつは卓上ベルとパイプだけが実物写生で、他のオブジェは私が想像で画面の中に作りだしたものである。ただし、ナポレオンのデスマスクはそれより20年くらい以前に、実物を見ていた。そのときの写真に拠って絵を描いた。現実に存在しない物品をいかにも存在するかのように描いたのだから、私は心中で、一般に「写実画」と称している絵とはいったいどんな意味があるのだ? と思いながら描いていたのだった。 その絵画スタイルについてはさておき、デスマスクに話をもどすと、私は上記のほかにもうひとつトルストイのデスマスクの実物も見ている。このときはトルストイの手から型抜きした像も見た。 内田百間に夏目漱石のデスマスクを作製する場にいあわせたことを書いたエッセイがある。その記述については上述のミステリマガジンに掲載した拙作掌篇に書いた。私の眼目はデスマスクを作ることの西欧文化と日本文化の比較にあった。私は実物を見たことがないけれども日本の偉人のデスマスクも意外に多いのである。しかしそのデスマスクをまとめてコレクションしているのを私は聞いたことがない。 アメリカのプリンストン大学美術館にはデスマスクのコレクションがある。デスマスクとライフマスクの104点からなるローレン・ハットン・コレクションである。その中にはベートーベン、ゲーテ、トルストイ、リンカーン、クルリッジ、クロムウェル、もっとも古いものでダンテ等々、歴史的有名偉人のデスマスクやライフマスク。また、私自身の仕事の思い出につながるアメリ大統領トマス・ジェファーソンの副大統領アーロン・バー(1756-1836)のデスマスクもある。・・・すばらしいコレクションである。まさに偉人たちの「面魂」を見る思いだ。「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」と古人は言った(「風体抄」藤原俊成)。デスマスクから感じ取れるさまざまな事に、絵描きとしての私の想いは向かう。プリンストン大学デスマスク・コレクション山田維史「ナポレオンの死面」1983年油彩・キャンヴァスボード、45.5cm X 53.0cm折原一氏蔵ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」東京創元社ゴア・ヴィダール「アーロン・バーの英雄的生涯」早川書房 ちなみにこの絵はすべて実物をセッティングして描いた。18世紀型古銃は、銃身に詰め物がされている精巧なモデル・ガン。ある会社社長某氏からお借りした。
Nov 16, 2024
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昨夜、1日の仕事を終えて、シネフィルWOWOWプラスが配信している「ガレージセール・ミステリー : アンティーク探偵ジェニファー〈仮面は語る〉」を観ていた。 始まって10分、貸し倉庫の代金未払い等で放置されている物品の売りたてに、アンティーク探偵ジェニファーと同僚が買い付けに来て、二つの石膏のデスマスクを見つける。その一つ、若い女性の顔。・・・ジェニファーはインターネットで検索する。そのデスマスクは、死亡時に笑顔で発見された身元不明の女性。場所はパリのセーヌ河岸。時代は1880年代。溺死か自殺か不明で、家族の引き合いもなく未解決のまま現在に至っている。・・・ジェニファーが倉庫で目にしたのはそのような因縁のデスマスクであった。 さて、私はここでこのテレヴィ・ドラマの解説をしようとしているのではない。 じつは私は昔、この女性のデスマスクを実際に見ている。このデスマスクは有名で、その複製がパリで一般に売られているのである。いや、私が所持していたのではない。長らくパリで暮らしていた人が日本に帰り、私は招かれてその人の家を訪れた。そしてそのデスマスクを見たのである。そしてそのデスマスクにまつわる知人の話は、アンティーク探偵ジェニファーが調べた事実に一致していた。・・・パリで土産物として売っているのだと、知人は言った。「死人の石膏マスクを土産物にねー」と私は内心に思った。 知人の家で若い女のデスマスクを見て3年ばかり経った1983年、私は一編のエッセイ風な「小話」を〈ちょっとミステリー〉と題してミステリマガジン誌(早川書房)に書いた。このブログの左の” Tadami Yamada's short story" の中に英訳で載せた”Death Mask” がそれである。その短編を書いて40年以上にもなる昨夜、たまたま観たTVドラマで、件の若い女のデスマスクに再会するとは思ってもいなかった。 このデスマスクについてウィキペディアに記事がある。 L'Inconnue de la Seine
Nov 14, 2024
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午前中に主治医のクリニックに行きインフルエンザ予防注射をした。一ヶ月ほど前に予約しておいた。 もう半年もすれば80歳だが、この歳まで寝込むような病気らしい病気もしないで来た。60歳半ばまで自分の身体を気遣わなかった。亡母の看護に明け暮れ、送り出し、その後になって母の主治医のアドヴァイスもあって自分の身体に幾分かの気を使うようになった。母の主治医には引きつづき私の主治医になっていただいた。以後12年間、毎日欠かさず血圧測定を記録し、1日3食の記録もしている。食事記録は、水一杯も記録している。他人から見ればいささかマニアックに映るかもしれないが、1日の時間割に組み込んでしまえば流れ作業のようなもので何と言うこともない。・・・と言うわけで、インフルエンザ予防注射も毎年いまごろの時間割に組み込まれているのである。 クリニックには自転車で行った。帰りに、ついでだとばかりそのまま自転車を走らせ、やや遠出になるが画材店に向かった。油彩画用の油壺を新しく変えよう、と。20歳代から50年以上も使って来た油壺を今更取り替えることもないのだが、80歳を迎えるに気分一新である。 そしてこれから取り掛かる作品に、三人の「朝顔の精」が登場する。下書きはできあがっている。 ところで、自転車を走らせていると、路傍の或る家の庭先、鉄柵にからまって朝顔が咲いているではないか。「えっ! この時季に朝顔?」と、私は驚きながら青色の朝顔を見た。 朝顔は俳句の季語としては八月も末、晩夏の花である。私の感覚ではもっと早く、浴衣や線香花火によく似合うのだが、それはともかく、暦の上では立冬も過ぎてなお活き活きと咲き誇っているのは、やはり驚きである。 私は準備している作品を思い、妙な「因縁」を(無理やり)感じ、「これは幸先いいぞ!」とゆかいになった。
Nov 12, 2024
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蛙は気温が14.5℃ほどに安定していると必ずしも冬眠をしないらしい。 じつは夕方、もう薄暗くなっていたが、ちょっと庭の落ち葉を掃いた。掃き終わって家に入ろうとして、玄関先の配達用品を置くためにしつらえた台を見ると、何やら黒っぽい塊がある。掃きそこなった枯れ落ち葉かと思いながら暗がりに目を近づけた。ヒキガエルだった、手のひらほどの大きさである。「ああ、蛙クンか」と私は声をかけた。 このヒキガエル・・・いや、同じかどうかは判らないが、2.3年前から小庭の隅、どこか物置の床下にでも住み着いているようだ。玄関の扉を半開きにしていたので、灯火をもとめて這い出して来たのかもしれない。 蛙は「帰る」に通じると、昔、亡母が言ったことがある。亡母よりずっと先に亡くなった姉の家へ訪問旅行をし、その帰りに陶製の蛙の小さな置物をいくつかもらって来た。現在でも我が家の居間の飾り棚のガラス扉の陰に鎮座している。どうやら伯母が「蛙は帰るに通じる」と、妹である亡母に言って、その置物をもたせたらしい。 「蛙の恩返し」という昔話があるかどうか・・・。私が小学生の頃、八総鉱山の家で、両側に物置棚がしつらえた家族の通用裏口に、大きなガマガエルが入って来たことがあった。頭から尻まで15cmほどもある大きなカエルだった。私は家の中にいた母に「ガマガエルが来ているよ!」と言った。母は、「しばらく観察してから、外に出してあげなさい」と応えた。そして翌日、通用口の先の草むらから再びその大きなガマガエルが現れた。「また来たの?」私はしばらく見ていた。蛙は喉を震わせていたが、ゆっくり向きを変えて、草むらに帰って行った。私は母に、「きのうの蛙がお礼に来たみたいだよ」と報告した。「良かったわね」と母は言った。 玄関先に訪問したヒキガエルに、そんなことを思い出した。
Nov 11, 2024
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庭の南天の実が色づいた 陽をあびて南天の実の赤きこと 青穹(山田維史)土佐文旦 ところで「麦秋」とは麦を借り入れる初夏のころを言うが、小津安二郎監督の1951年(昭和26年)の作品『麦秋』に「百葉箱」が出てくるシーンが二箇所ある。ヒロイン間宮紀子(原節子)の兄で内科医の間宮康一(笠智衆)が勤務する病院の庭先にそれはあった。小津映画らしい人物のいない百葉箱越しに病院の窓を望む絵である。百葉箱とは、気象観測用の器具・・・寒暖計とか湿度計など精度は精密だが比較的簡便な装置が、四方桟造り、屋根を掛けた白塗りの箱の内部にセットされて、底面が地面より120cmほどの高さに据えられたもの。 その百葉箱だが、現在ではとんと見かけなくなった。昔、昭和30年代ころには学校のどこか片隅に据えられていたものだ。私の記憶をたどると、長野県川上第二小学校の前庭にあった。福島県南会津荒海小学校の前庭、池のそばの花壇の一隅にあった。会津高等学校の中央中庭ではなく北側の中庭に据えられてあった。・・・映画『麦秋』を観て、これまで何度も観ていたが百葉箱に気をとめていなかったことに気づき、突然、私の記憶にある百葉箱の影像が蘇った。・・・まあ、ただそれだけの話。ここからひろがるわけではない。 ついでながら、このブログ日記で私は、3歳ころから6歳ころまで住んでいた北海道羽幌町の思い出のなかで、戦後間もない昭和26年ころまで私の周囲(町)に同年代の子供がいなかったと書いた。映画『麦秋』が公開されたのは昭和26年。ここに間宮康一が友人西脇(宮口精二)と碁を打っているシーンがある。戸外から子供が遊ぶ声が聞こえる。すると友人が「この頃は子供が多くなった」と言う。康一が「今日は家(うち)はたいへんでね、とても居られたもんじゃないんだ」と応じる。間宮家には康一の小学生の息子のところに大勢の子供達が遊びに来ているのである。 このシーンを観ながら、私の幼年時代の記憶と観察が間違いではなかったと思った。男たちは戦地から帰還したばかりか、いまだ帰還も叶わずに外地にいたのであった。NHKラジオ放送は毎日、尋ね人の放送をしていた。
Nov 8, 2024
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アメリカ大統領選挙の結果はいまだ開票中だが、すでに結果が出たという報道もある。いまや世界は二極化しつつあり、それは独裁主義を志向するプーチン氏の狙いどおりに進みつつあることを意味する。独裁者にとって中立的な思想、中立的な国々は必要ない。中立的な思想は独裁者の足元を危険にするからである。アメリカ大統領の結果如何でプーチン氏の思惑は完成するだろう。民主主義は絶体絶命の淵にある。 さて、そんな世界情勢から目をそらすわけではないが、私は映画史をたどるうえで重要なジュルジュ・メリエス(Georges Méliès:1861-1938) のドキュメンタリー映画を観た。"LA MAGIE DE MÉLIÈS - Magicien du cinéma (メリエスの魔法 - 映画の手品師)"である。 メリエスについては、私はこのブログ日記の2014年7月26日に「エリック・サティをめぐる三日間の符合」で少しばかり触れた。また、私の医療クリニックでおこなった美術講義のある回、「遠近法の思想と視線の哲学」においても触れた。 私はメリエスの『月世界旅行』を観ているし、そのほかの映画作品も観ているが、上述のドキュメンタリーの中で、メリエスが1896年5月か6月頃に撮影したカンカン帽をかぶったメリエス自身が写っているフィルム、およびそのシーンの模倣ともいうべきルイ・リュミエールが撮影したフィルムのシーンが、時代精神を反映しているのみならず画家セザンヌの『Card Players (カード遊びをする人たち:1892-1893年作)』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵)の画面構成が直接的に影響していると指摘している(29:13~30:56)。そのメリエスのフィルムはフランス本国では失われたものとおもわれていたが、ロンドンの「国立映画テレヴィアーカイブ」に所蔵されていることが判ったという。 私は、セザンヌの「影響」ということを初めて知った。そしてここで指摘しているフランスの1896年頃の「時代精神」という点に注意した。セザンヌの『カードプレイヤー』をその視点で考えたことがなかった。 "LA MAGIE DE MÉLIÈS - Magicien du cinéma”セザンヌ「カードプレイヤー」メトロポリタン美術館所蔵
Nov 6, 2024
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我が家の小庭のクサボケ(草木瓜)が、ただ一輪咲いている。クサボケは3月頃に開花して、我が家の場合は5月初めころまで咲く。小庭で最も賑やかな花で、たった一本の木なのだが200個くらいの花が咲く。長年楽しんで来たが、こんな秋深くに咲くのは初めてである。「一目惚れ」という花言葉にふさわしく、たった一輪。枝葉はまだ枯れていない。しかしほかに蕾は出ていない。めずらしいことがあるものだ。
Nov 5, 2024
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Nov 4, 2024
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Nov 3, 2024
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Nov 2, 2024
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一日中、なんちなく忙しく雑用に追われていた。 夕食後、ぼんやり休み、それからドキュメンタリー映画を見た。「2016年大統領選アメリカ分断の背景に迫る」という惹句の『アメリカン・カオス(字幕版)』である。『アメリカン・カオス(字幕版)』 映画を見ながらヘミングウェイの掌編小説『The Revolutionist (革命家)』の一節を思い出していた。物語は1919年。ハンガリー人の内気な少年がイタリアから徒歩でスイスに向かおうとしている。少年は世界革命を信じていて、アメリカ人の〈私〉に一言二言話す。 In spite of Hungary, he believed altogether in theworld revolution. "But how is the movement going in Italy?" he asked. "Very badly," I said. " But it will go better," he said. "You have everything here. It is the one country that every one is sure of. It will be the starting point of everything." I did not say anything. ・・・スイス政府は少年を捕らえ、シオンに近い拘置所に入れた、と〈私〉は聞いた。それが最後だった。
Nov 1, 2024
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