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一月もはや過ぎんとし豆を煎る 青穹 春待つと言いつつ脛の寒さかな いのちとは何ぞ何ぞと春を待つ
Jan 31, 2012
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この世こそ良きと思へよ枯茨(かれいばら) 青穹 子殺しの親も別れや白き息 冬ざれやただ月のみは明々し(あかあかし) 恨まずは人と生まれし冬野哉
Jan 30, 2012
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背戸口の山木傾(なだ)れる虎落笛(もがりぶえ) 青穹 寒風や家を揺すりて十重廿重(とえはたえ)
Jan 29, 2012
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雪まろげ侘助花弁(はなびら)まじりおり 青穹 三日月や凍れる空の船出かな 病みぬれば雪のち曇り軍機過ぐ 厳寒や生さぬ子の目に毒を注す【註】「雪まろげ」とは、雪だるまのこと。
Jan 27, 2012
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このブログ「山田維史の遊卵画廊/青空日記」を始めて、今日でちょうど2,400日である。ここ2,3年、老母の在宅医療の看護のためになかなか時間がとれず、きちっとしたものが書けない。 せめてもと、一昨年は俳句を1,000句つくったが、昨年はわずか77句に終った。 現代俳句のような如何にも作り込んだものは好まない。むしろ古典的に蕪村を、近代なら虚子を好む。そういう嗜好は嗜好として、私自身はありふれた日常を凡庸にうたいあげてみたい。できることなら、「一見凡庸」に。・・・そう思いながら、日記がわりに俳句を詠んでブログに書き込んでいる。創作エネルギーの一種の捌け口である。 老母の医療を通して、人間の身体の仕組み、生理的な精密な構造、ひいては脳神経や精神の状態、意識や無意識、人間的であることと動物的・生物的であることのさまざな表徴を見て来た。現に、見ている。あるいは感じている。 正月6日以来、体調を崩し、病床に寝付いて3年半維持して来た命を、これを限りと危ぶむところにあった。しかし、20日目の今日、もしかすると危険を脱するかもしれない、と考えられるところまで来た。 今朝、手の甲から点滴していたのを、首からの高カロリー輸液の点滴に換えた。ストレス性の急性胃潰瘍出血もどうやら止まり、運動が極端に低下していた腸動も回復しつつあり、腎機能もダメージを受ける寸前で常態にもどった。誤嚥による肺炎(右肺に雑音があった)が、医師も驚くほど回復し雑音が消えた。 ・・・何か一カ所崩れると、たちまち連鎖反応のようにあちこちが駄目になってゆく。それが90歳を超えた老人の身体状況だと言ってもよいかもしれない。そして、人間の臓器が、ひとつとして機能が完全に独立していはしない、という証左でもあろう。 母が、もちなおすのではないかと、家族も医師もひそかに期待していたのは、そんな状況にあっても手の力が驚くほど強かったからだ。「おっそろしく力が強いなぁ」と、血圧を計ったり血中酸素濃度を計測したり、点滴用の針を取り付けたりするたびに、医師は言ったものだ。今朝も、首の静脈に点滴針を取り付けるときに、私がアシストしながら母の両腕をガッシリと押さえつけていたのだった。「普通なら、こんなに力はでないものです。すごい力ですねー」 今、老母は静かに眠っている。そのあいだに、この2,400日目の青空日記を書いているのである。
Jan 26, 2012
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ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロス氏が24日、交通事故により亡くなった。享年76。最も惜しい映画作家を失ってしまった。 1975年に完成し、世界に衝撃を与えた「旅芸人の記録」は、私にとっても忘れられない作品である。日本公開は1979年の酷暑の頃だったと記憶するが、岩波ホールはつめかけた映画ファンで長蛇の列となった。しかもこの作品、上映時間が約4時間。熱烈映画ファン、もしくはよほどの知的暇人でもないかぎり、おいそれと映画館に足を運べない。・・・そう、タカをくくった人は、蜿蜒と並んだ人の数にキモをつぶしたことだろう。かくいう私も、まさにタカをくくった一人だった。 「旅芸人の記録」は、1939年の晩秋から1952年晩秋まで、古い芝居をもって地方をめぐりあるく旅芸人一家を通して波乱にみちたギリシャ現代史を描く。いや、そうではない。旅芸人一家の悲哀、その崩壊と再生へのほのかな希望さへもの喪失が、ギリシャの歴史的事件の深い霧の中に疲労感をともなって回想され、その個人的回想が個人を超えてギリシャ現代史そのものとして立ち現われる。つまり、1939年はまさに第二次世界戦争が勃発する前夜であり、1952年はギリシャの戦後民主主義が早々と崩壊し、右翼独裁政権が出発した年である。 物語は、1952年晩秋に始まり1939年晩秋で終わる。だが、この演出のマジックは、その悠揚迫らぬ堂々とした画面作りとともに、私の心を一気に掴んでしまった。 そして、驚嘆したのは、そのカメラワーク。 アンゲロプロス監督の長回しは以後の作品においても有名になったが、じつは単なる長回しではない。たとえばカメラが360度一回転して元の場所にもどってくるあいだに、なんと歴史的な時間が過ぎ去り変化しているのだ。これを群衆劇として澱みなくやるのだから、演じている数百人は下るまいと想われる役者もたいしたものなら、むろん監督の統率力・演出力に驚かずにはいられない。その撮影現場に立ち会いたかったと、映画創造に関心をもつ映画ファンなら、誰しもが思ったにちがいない。 こんなワンショットは、映画界広し、映画作家五万といようとも、おそらく前代未聞。ワンショットでどうやって撮ったのだろうと目を見張る作品はある。たとえば、ジャン・ピエール・メルビル監督作品「リスボン特急」(1972年)。遥か上空から特急列車をとらえているカメラが、そのまま下降してゆき、ひとつの車窓にアップでぴたりと焦点をあわせる。その技術は70年代当時、謎のように驚異であった。・・・しかし、そのワンショット・カメラワークは、歴史の変遷をとらえているわけではない。 映像にたずさわる人なら、あるいは私のように一瞬を切り取る画像を製作する者なら、きっと手の一振りのうちに悠久の時間の流れをとらえられないものか、と夢想してはいないだろうか。「旅芸人の記録」は、そんな夢想をする創造家の胸をしめつける映画作品だった。 アンゲロプロス監督は、以後、「狩人たち」(1977)、「アレクサンダー大王」(1980)、「シテール島への船出」(1984)、「蜂の旅人」(1986)、「霧の中の風景」(1988)、「こうのとり、たちずさんで」(1991)、「ユリシーズの瞳」(1995)、「永遠と一日」(1998)等々を発表。いずれも独自の視点、美しい繊細な映像の、すばらしい映画である。 テオ・アンゲロプロス監督の逝去を悼みます。日本初公開からちょうど10年後の1989年に、東宝系で再上映されたときのパンフレット
Jan 25, 2012
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早朝、街の其処此処から雪掻きの音がしていた。 私も門から玄関までのアプローチの20cmほどに積もったのを掻き、するとすぐに看護師が来訪。車でなしに、リュックサックを背負って徒歩で。ありがたいことだ。 我が家の車は、駐車場ですっかり雪に埋もれている。とりあえずそのままにしておいたが、間もなく、どうしても外出しなければならなくなり、しかたがないので自転車を使うことにした。 ところが坂の町にある我が家である。家を出て、軽快に坂をくだっていったまでは良かった。近所の商店主が立ち話をしているのに挨拶をし、・・・おっとっとっと、車輪が霙と氷がまじったような轍のぬかるみにはまり、みような方向にズルリと滑り、あっというまに私の身体は空中に放り出された。右膝を道路のコンクリートにぶっつけ、そのまま半回転して背中で滑って2mばかり。 さいわい車も来ず、私はすぐに起き上がった。右膝に擦り傷ができたらしい他は、何ともない。商店主たちが驚いた顔で坂の上から見ていた。 ・・・というわけで、以後、雪でぬかるんでいる所は自転車を押して歩き、「や~ると思えば、どこま~で~やるさ」と脳天気に歌い、道路のまんなかを点検しながら歩いていた警察官を「すみませ~ん、通してくださ~い」と言って押しのけ、互いに顔を見合わせて笑い、・・・どうやら急ぎの用事をすませたのだったが・・・ みなさん、くれぐれもご注意、ご注意!
Jan 24, 2012
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東京は、昨日から断続的に降りつずいていた雨が、とうとう夜に入って雪になった。22時を過ぎ、ベランダにはすでに10cmほどが積もっている。明朝、看護師が来訪することになっているので、雪掻きをしなければなるまい。 現在、老母の体調がおもわしくない。もう5日間、連日、医師や看護師を迎えている。 そういう老母を置いて家を明けることができないので、今日は雪になることを予測して昼のうちに、医療に使用する品物などを含む一週間分の買い物をしてきた。薬局から処方薬も配達してもらった。・・・そうした一応の準備をしたところで、膝にのっかってきた猫を抱きながら、就寝前のひととき、窓から雪をながめているのである。 しんしんと雪明りして夜の窓 青穹 猫ぬくみ命ひとつの雪見かな 雪の華舞っては消ゆる硝子窓
Jan 23, 2012
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大寒の雨は遠橋を濡らしけり 青穹 大寒のそぼふる雨や障子貼る
Jan 22, 2012
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あえて寸評は申すまい。地獄の釜焚きがどういう奴らで、どこにひそんでいるかを知れば、日本という国がどんな国かということが自ずと知れよう。毎日新聞の注目すべき仕事のひとつ。毎日新聞「原発推進:11大学に104億円 国と企業が提供」2012年1月22日 9時49分
Jan 22, 2012
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昨日の四つの句を二句ずつひとつにして英語俳句にしてみた。苦肉の策である(句二句の作?)。せめてもと、英語詩らしく韻を踏んだ。 The first snowfall of the year ---- crimson of winter camellias' here and there ---- it's nothing but disappearing fleetingly The first snowfall of the year It continues to fall on a hills-town Not to open umbrella I dare
Jan 21, 2012
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東京は初雪である。 朝、最初の訪問者に玄関扉を開けると、往診の医者にちらりほらと雪が降りかかっていた。つづいて訪れた看護師も降りかかる雪のなか。しかし、初雪は、頭や肩に触れるか触れないうちに消えていった。 34,5日も湿り気なしの乾燥した日がつづいていた。埃をすっかり洗われた冴えた空気に、物皆の形態があざやかである。 初雪やあわあわと消ゆるばかりなり 青穹 初雪や侘助の紅ところどころ 初雪が降りつづくなり坂の町 初雪やわざと傘をば畳みけり
Jan 20, 2012
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このたび私の作品購入ご希望の方の便宜のために、あらたに日本美術倶楽部(大阪・株式会社エデルが運営)に、Webギャラリー「山田維史アートギャラリー」を開設しました。 なお、展示作品以外の作品についても、日本美術倶楽部(株式会社エデル、あるいは宝塚市栄町1-6 花のみち2番館2F ギャラリーエデル)におたずねくだされば幸いです。今後、「山田維史アートギャラリー」情報をおりにふれてお知らせいたします。 どうぞよろしくお願いいたします。 山田維史
Jan 19, 2012
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水道が凍って今朝の立ち話 青穹 いっそ侘び水道管が凍っている
Jan 18, 2012
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今朝の東京・多摩方面の気温はかなり低かったようで、我が家の庭の散水用水道栓が凍結した。老母の訪問入浴に使用する水道栓も凍結し、急遽、別の栓を使った。水道の凍結は、少なくとも我が家では20年以上経験していなかった。「しばれるね~」である。 とはいえ東京の水道の凍結など、いま現に豪雪にみまわれている地方の人たちからすると、片腹痛いであろう。私も豪雪地帯に住んでいたことがあるので、除雪の苦労は察しがつく。 幼少の頃、北海道の羽幌に住んでいた。屋根にとどく積雪に玄関口が埋もれ、家の中からトンネルを掘って通路をつくったことを憶えている。現在では多くの都市部の主要街路には融雪設備があり、ラッセルも頻繁におこなわれるので、周辺の山なす雪の谷間に舗装路がむきだしになっているのを見ると、かえって意外の感がある。 しかし今朝のTV番組で、青森の年間除雪費が20億3千万円だと言っていたが、これが絶対必要経費であるだけになんとも溜め息がでる。 古今の雪を詠んだ名句を2,3。 雪折も聞えて暗き夜なりけり 与謝蕪村(1716-1783) ながながと川一筋や雪の原 野澤凡兆(生年未詳ー1741) たたずめば猶ふるゆきの夜路かな 高井几董(1741-1789) これがまあつひの栖か雪五尺 小林一茶(1763-1827) いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規(1867-1902) いずれも何ら解説のいらない叙景句なのだが、その景色が鑑賞者の目にありありと具体的に浮かんでくるばかりか、叙景を超えて心象に転じてゆくところに俳味が顕(た)つ。 子規の句は、自身が病床にあるのである。
Jan 18, 2012
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善哉の餅の甘さや小正月 青穹 居眠りの身もちゞみけり小正月 日溜まりの僅かばかりが猫の宿 じんじんと手足解けゆき湯の匂 月無くばいとど侘しき冬桜
Jan 15, 2012
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明日15日は「小豆粥(別称、15日粥」の日。我が家では粥ではなく善哉餅(汁粉)にする。それで今日は小豆を水にひたし、一昼夜漬けおく。 春遠し訪問医師の厚着かな 青穹
Jan 14, 2012
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風無くにまたひとつ落つ冬椿 青穹 ことばなき老母の肩に毛布掛く
Jan 13, 2012
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Today, January seven, it finished the New Year's gate decoration of pines Needles' points the daylight remains In the shade, blind alley a narrow line of water is frozen Spring's still far from here
Jan 11, 2012
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昨日の句から2句を英語にしてみた。 Having proper pride and volition Being not defeated of the tsunami disaster The coming-of-age ceremony-----Full dresses! 震災に負けぬ意気地の晴着かな For the surly coming tomorrow Today, to rise young people at twenty congratulate on threshold of life 明日ありと立ちて若人門出なり
Jan 10, 2012
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モーツァルトの二十五番聴く初薬師 青穹 施無印が虚空に浮かぶ薬師堂 露地日かげ水の一筋凍りけり 冴えわたり北天にただ星ひとつ 成人と問えば酒なり遊士一丁 震災に負けぬ意気地の晴着かな 明日ありと立ちて若人門出なり
Jan 9, 2012
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忙しくて時間がないので、ブログも俳句でお茶を濁している。 以下に掲載する今日のような句は、いずれも英語のHAIKUには作りにくい。日本古来の文化的風習に根ざしているからで、その意味を解説しなければ、外国人には直接には理解がとどかないだろう。17の単語で作る私の方法だと、なおさらである。 しかし、私の本心としては、わざわざヘタな英語でHAIKUを詠もうと思っている以上、日本独自の風習こそ注釈抜きで詠んでみたいのである。私はこれまで60句以上のHAIKUを公表してきた。そして、日本古来の風習はともかく、すくなくとも、風景や天然自然に自己の心情や思想を託しても、つまり日本人の自己表現方法である象徴的あるいは隠喩的な間接的な表現でも、さまざまな国の読者の感性に訴えることができる、ということがわかった。 画家としての私は、日本的な風習に根ざす画材を自作から極力排除してきた。それは意識している部分もあるが、必ずしも意識的ではなくただ私の感性と「反りが合わない」という部分もある。たとえば私の感性には湿潤なところがあまりない。風景より人間が好きだ。だから、観光などという時間の過ごし方に興味がない。「物見遊山」という日本語があるが、私の日常からずいぶんかけ離れた言葉だ。66歳の今日まで「花見」すらしたことがない。 私が俳句でやろうと試みているのは、それとは対極にある事象による表現である。人に言わせれば私の俳句はやはり「画家の目」だそうだが、それはそれで甘受するとしても、絵のなかで扱わなかった題材を「言葉」で表そうとしてはいる。 といっても、私のそれは、多忙のなかでわずかな言葉で表現するための5・7・5でしかない。松尾芭蕉の生涯の作句数はおよそ1,000句である。1,000句にすぎないと言ってもよいだろう。私は芭蕉の句はあまり好きではないが、それでも、鋭く磨きあげていることは十分理解している。そういう作句態度を理想としよう。だが、いまの私は日常のよしなしごとをツイッターで連発しているようなものだ。形がだらしないのが嫌だから、ツイッターではなしに、俳句という定型詩にしている。それだけのこと。 さあ、それでは今日の句を。 七草を八百屋(スーパー)で揃える現代(いま)女房 青穹 春遠し七草粥の湯気立ちて 松過ぎて去年(こぞ)に変らぬ今年哉
Jan 8, 2012
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注連の齒朶ちりちり縮む寒の入 青穹 枯れ庭の赤き千両めでたしや 帰京した子らが集える手毬歌
Jan 5, 2012
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溜込んだ本を読みつぐ三ヶ日 青穹 東京の閑かに暮るゝ三ヶ日 散る椿掃きよせ御用始かな
Jan 4, 2012
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箱根駅伝は東洋大学の圧倒的な勝利だった。2位の駒澤大学との差がおよそ10分、大会記録を三つも塗り替える壮挙。 まず、総合で10時間51分36秒は、前回の早稲田大学がマークした10時間59分51秒を8分15秒も短縮した。 往路は5時間25分45秒,復路は5時間26分51秒、いずれも記録を更新した。復路の記録は、2002年に駒澤大学がもつ5時間28分47秒を10大会ぶりに塗り替えた。ほかに六つの区間賞、そのうち5区(柏原竜二選手)と7区(設楽悠太選手)は区間新記録である。 東洋大の5区走者、いわゆる「山登り」は、今年も柏原さん。 私は、彼が1年生の時の山登りから観戦してきた。その彼も4年生で、今回が最後の箱根駅伝。・・・柏原さんの凄いところは、この4年間4回の山登りで、昨年を除き、いずれも区間記録を更新してきたこと(昨年も区間賞は受賞している)。つまりは、自分の打ち立てた記録をつぎつぎと塗り替えてきたことだ。「箱根の山は天下の嶮」と歌われたあの山道を、猛烈なスピードで駆け上がるのだから言葉がない。 私は、かつて、ワールド・レベルのマラソンランナーのスピードを実感してみようと、距離と時間を計りながら自転車で多摩川沿いのサイクリング・ロードをひた走ってみた。そして、選手たちがとんでもない早さで走っているのだということがわかった。 テレビの解説で瀬古さんが、「集中して走っていると、沿道の観衆や景色が目にはいらないことがある」と言ってらした。 どんな視界のなかを走っているのだろうと、視覚人間・・・画家である私は、昨日今日、興味をもってTVのなかの孤独な一人旅、あるいはデッド・ヒートを見ていた。
Jan 3, 2012
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昨日の俳句をHAIKUにしてみた。 To god I will pray for the land and also the sea The year's the first day 地に祈り海祈らまし御元日 Ah no only figure, where the morning sun begins to shine into The first day of the year 人影の一つだになく初明り The cause of the disaster So full of conceit, everybody exorcise it The last year, this year 慢心の災い祓う去年ことし
Jan 2, 2012
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地に祈り海祈らまし御元日 青穹 慢心の災い祓う去年ことし 地が震え魂また消ゆる初鴉 人影の一つだになく初明り パソコンの傍に供える鏡餅
Jan 1, 2012
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