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見えたぞ! スーパーブルームーン(スーパームーン+皆既月食)! 我家のベランダのちょうど真上、22時18分ころに皆既月食。 見上げること30分余。首が痛くなった。次のスーパーブルームーンは19年後だそうだから、もし私がまだ生きていれば91歳か92歳。まあ、今生の見納めのつもりで朱殷(しゅあん;血の古くなって黒ずんだ色)の満月を見上げていた。 風呂から上がったばかりで、湯冷めしないように完全防備。ぶくぶくに着込んで、マフラーを首に巻き、マスクまでして---。暗がりにたたずむ老人の姿を人が見たら何と思ったか。さいわい近所の誰も皆既月食には関心がなさそうで、どの家もただ黒々とした影で静まり返っていた。
Jan 31, 2018
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2作品を同時に制作しているが、進行具合は好調だ。明日から早くも2月だけれど、半ば頃には2作共に完成するかもしれない。 ところで就寝前に中谷宇吉郎博士の随筆選集を読んでいることは過日書いた。その一編に、1922年にノーベル化学・物理学賞を受賞したイギリスのフランシス・ウィリアム・アストン博士が日蝕観測のイギリス研究者一行とともに来日した際のエピソードがある。その詳細は措いておくが、中谷博士が帯同して列車で観測地である北海道へ行ったときのこと。中谷博士は次のように書いていられる。 《---アストン博士の日常の態度としては、こういう観測の際よりも、むしろ平生の方が私には興味が感ぜられた。一寸見るといかにも頑固な気むずかしい爺さんである。(略)弁当の時間などになってよびに行くと、片隅でじっと何処を見るともなく見入っている。そして一寸手まねきをすると黙ってやって来て弁当を喰うのであった。ビールだけは大変好きで、車中の弁当の時にもビールを二、三杯のむと急に機嫌がよくなって、足拍子をとりながら何かわからぬ歌を口ずさむこともあった。要するに放ってさえ置けばそれで御機嫌がよかったのである。(以下略)》 私は読みながら11年余の以前、40数年ぶりに会津若松を訪ね、中学時代の体育教師・故清水先生のお宅で奥様の手料理で昼食を頂戴したときのことを思い出した。その前日、私は先生が創立者の一人であり、高校生になっていた私も先生に引っ張られて同人になっていた劇団の50周年記念公演とパーティーに出席したのだったが、その日の楽屋での昼食弁当のときに私がいなかったことについて、奥様が先生を軽く叱ったのだ。 「どうして、ヤマダさんもご一緒させてあげなかったのですか!」 すると先生は、こう言われた。 「ヤマダくんは、放っておいたほうがいいんだ。一人で好きなようにさせておいたほうが、いいんだ」 60歳の私は、笑いをかみ殺して先生夫妻のやりとりを聞きながら箸を使っていた。ああ、そうか、先生は中学生の私を、そして劇団員としての高校生の私を、そのように見ていられたのか、と。 「このひとは、押し入れの中にもぐりこんでいるような人なんだ---」 ハハハ、先生、それは全然お見立て違いでした。私はたしかに一人でしたが、実は山野を駆け巡って植物を探し、蝶を採集し、友達をつくって遊んでいる暇がなかったのです。それは両親以外、誰一人知らない私の日常だったのです。でも、先生が私を放っておけばいいんだとお考えになっていたのは、大正解でした。今更ながらありがたいことでした。 私は毛頭アストン博士のひそみに寄ることさえ想いもしないが、中谷博士のように自然観察の専門家は人間観察もまた的確だと思ったのである。 こんなことを書いたのは、学校教師による児童生徒へのヤクザな暴力行為が頻発していることを、もはや「憂い」などと甘っちょろいことは言っている場合ではなさそうだからだ。 給食を食べ残したからといって嘔吐するまで無理矢理食べさせたり、宿題を忘れたからと言って胸ぐらを掴んで壁に押し付けて骨を折ったり。給食を食べ残したり宿題をわすれることが、人生の重大事だろうか。くだらない。頭が悪いにもほどがある。あるいはまた、衣服の着替えを隠し撮りしたり、猥褻行為をしたり、----どうしてこのような犯罪傾向がある人間や、おとなの皮をかぶっただけの未成熟な精神の人間が教職に就けるのだろう。 しかも毎日のように同様の事件が報道されているにもかかわらず、暴力教師たちはまるでそんな報道知らぬ存ぜぬとばかりだ。いったいどういう日常生活をして、教師などと言っているのか。「人の振り見て我が振り直せ」とか「他山の石」とか、そんな処世訓は通用しない方外の人か。 しかも、私は不思議に思うのだが、このような行為は、大人に対するよりも子供に対する方が後々に重大な影響となって現れよう。それにもかかわらず、訓告処分とか、停職処分とかですませている。なぜだろう? これらの暴力行為(行き過ぎた教育などとは決して言うまい。その言い方には暴力教師さえ擁護して事を大きくしまいとする欺瞞がほの見える。子供一人の犠牲など、どうにでも抑え込める、という卑劣な意識だ。)は、子供の健全な人生の進み行きを阻害するかもしれない、それゆえに「大犯罪」と言うべきだろう。他人の子供を預かり、「人」を大切に大切に育てあげるに絶対的に必要な自分自身の人間性教育が欠如している者が、教師になどなるな、と私は言おう。職業とするにはその責任の重さに考えるだに恐ろしくなるような職業、それが教員ではないか。それゆえに教員資格には、人格選別・精神分析があってしかるべきではないか。----これに対する反対意見にはこう言っておこう。宇宙飛行士は誰でもなれるわけではない。彼らは人間としてのもっとも厳格な心身の選別がおこなわれている。それは、なぜだと思うか、と。
Jan 31, 2018
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Jan 30, 2018
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とにかく次から次へと描かなれればならない。きょうも終日制作。ただいま18時30分。夕食をすませたばかりだが、これからもう少し9時まで執筆する。新作を2作平行して描いている。1点目は昨日のつづきで午後3時頃までやり、すぐに2作目の2回目の塗りにとりかかり、いまからやるのもそのつづき。では、始めよう----
Jan 29, 2018
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午前中から執筆を始め、午後4時まで制作。新作前半の山場をほぼ越えた。以後、ミニアチュール(極小細密画)制作で練習しておいた描写に入るが、さて作品として成立するかどうか----。我ながら心もとない。腕ずくで着地にもっていくことになるかもしれない。
Jan 28, 2018
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Jan 27, 2018
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今朝、給湯栓を開いたが水が出なかった。冷水栓を開いてみると、ちゃんと水が出た。ガスコンロを点火してみると、こちらも火がついた。浴室の三つの給湯栓を開くと、いずれも水が出ない。----給湯用ガスバーナーに接続している水道が凍結していたのだ。 二本の水道管のうち給湯用水道管は地表近くに埋設してあり、冷水用水道管はそれより深く埋設されているわけである。 地中埋設の深さによって、水温に差があることは、同じ水道管の水が、夏、出し始めは温(ぬる)いが、やがて感じられるほどに冷たくなる。ところが、秋深くなると、出し始めは冷たく感じたのが、やがて少しばかり温く感じるようになる。つまり出始めの水は地表付近で管の中に溜っているので外気温の高低の影響を受けている。そしてやがて出て来る地中深くからの水は、比較的一定した水温なのだけれども出始めの水温と比べられる感覚的寒暖の差になっているわけである。 一昨日、東京都心の気温はマイナス4℃、東京都府中市ではマイナス8℃を記録したと報じられた。日比谷公園の鶴の噴水から氷柱が下がっている写真が掲載されていた。私は昨夜、合唱練習場に自転車で出かけたが、途中、何度も降りて歩いた。道路が凍結していたからだ。日陰の道は雪がとけないまま歩き固められて、5cmもの厚い氷道になっていた。 まさか水道水が凍結するとも思わずに、このところ就寝前に読んでいる本は、雪の研究家・中谷宇吉郎博士の随筆選集全3巻。A5判、1巻平均425頁、7ポイント(10級)活字2段組なので、かなりの分量だ。 もちろん雪の結晶について書いていられる。しかし私がことのほかおもしろく読んでいるのは、中谷氏の師である寺田寅彦(吉村冬彦)が、寺田の師であった夏目漱石について語った記録である。中谷も寺田も自然観察を専門とする物理学者だけに、夏目漱石の人物像が彷彿と顕つ。漱石がどんなふうに小説をつくっていったかも見えてきて、ちょっとびっくりする。現代では通用しないかも知れないな、などと私は苦笑する。おもしろい。
Jan 26, 2018
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手がけていた小品が完成。ただし発表計画変更のため、いまのところお蔵入りである。 夕方から日野市民生委員合唱団「かしの木」の今年初練習。3月19日の杉並公会堂コンサートに向けて、3回の練習のうちの1回。 楽譜は手から離して臨んだが、完璧に入っていたわけではない。練習で間違い、追いつめられれば入ってくる。もちろん音楽創りも。そして本番で完璧に! きょうは先生がいやに張り切っていた。私たちは煽られっぱなし。私はあいかわらず先生に茶々を入れて、こちら側の気持がトーン・ダウンしないように、頼まれもしない道化役。先生がいよいよ明確に、私たちに芸術的な指示をして高みに引っ張りあげようとするのが、私は嬉しい。それこそ私の望むところ。スズメの学校は願い下げ。そんなことに私の時間を浪費したくはないのだから。
Jan 25, 2018
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あれッ、そうだったのかい? と、自分のうかつさに気づいたのは、千代田区の三崎町と猿楽町がかつての町名である「神田三崎町」と「神田猿楽町」に戻すというので、私は「三崎町」と「猿楽町」が正式町名だったとは知らなかったのだ。てっきり三崎町といえば神田、猿楽町といえば神田なので簡略化した通称だと思っていた。というのも、私がかけだしのイラストレーターだったころ、「神田三崎町」にも「神田猿楽町」にも仕事を依頼して来る出版社があり、しばしば訪れる町であった。当時は神田三崎町であり、神田猿楽町が正式な町名だったはず。たしかに、今回の旧町名に復すという報道で、神田三崎町は1967年に三崎町に改称し、神田猿楽町は1969年に猿楽町に改称したと解説している。 おそらくその1960年代以降だろうと思うが、やたらと町名弄りが行われるようになった。東京のみならず地方においてもその傾向があったのではあるまいか。 私は、1968年に郵便番号制度が始まったことと、1980年代半ば以降5,6年間のいわゆるバブル景気による不動産取引に関する住民感情、すなわち地名印象(イメージ)の問題がからんでいたのではないかと推測する。 この両者はじつは文化破壊を引き起こしたといえなくもない。どこに行っても、やれ「光」だ「豊」だ「朝日(旭、朝陽、向陽、曙、日の出)」だ、「栄」「緑(若葉、青葉)」「桜町、桜ヶ丘、桜木、桜堤」「中央」「新町」、果ては「昭和」と来る。まるでチホウ的状況。「地方」ではない、「痴呆」だ。 私は、こと地名に関しては保守的だ。昔からの地名には、地政学的、地理学的、歴史的に非常に重要な問題が刻み付けられている。地面がどのように開発され、あるいは地形の変形をもたらされようとも、地名が残っていればその地がどのような変遷を経て今現在に至っているかが判るはずだ。それは人智の進み行きを示しているであろうし、あるいは人智の到らなさを示しているかもしれない。昔の地名は文化財なのである。 このたび千代田区(この区名も新しいのであるが)の三崎町と猿楽町が旧に復したのは如何なる理由か、私は詳しいことは知らない。この件についての賛否があるようだが、否定の理屈はおそらく地名印象の問題、すなわち不動産売買関連の問題(さしあたりの個人的な金の問題)であろう。地名文化財問題の発生する気遣いはなさそうである。
Jan 24, 2018
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例の500億円で落札されたレオナルド・ダ・ヴィンチの『サルバドール・ムンディ』は、昨年11月に開館したルーブル美術館の海外支所であるアラブ首長国連邦のルーブル・アブダビ美術館の所蔵となった。落札者は同国の王子のひとりといわれている。 すでに衆知のとおり、『サルバドール・ムンディ』は、イングランド王にしてスコットランド王、またアイルランド王であったチャールズ1世(1600-1649、在位1625-1649)がレオナルドに依頼して描かせ、その所蔵となっていた。履歴が明らかなレオナルド作品ということで知られていた(私は蛮勇をふるって言うが、モチーフの点からレオナルドの作品とは思っていない)。 さらに、チャールズ1世は極上の絵画のコレクターであった。数多くの巨匠たちの作品が王のコレクションとなった。 と、実はこれは前置きである。なんと、レオナルドに引き続いてそのチャールズ1世旧蔵のティツィアーノの『聖マルガリータ』が、2月1日、ニューヨークのサザビーズでオークションに出品されるという。CNN が報じた。 この絵画の来歴もおもしろい。CNN は、こんなふうに書いている。 すなわち、チャールズ1世が処刑(いわゆるピューリタン革命で王党派と議会派が対立し、クロムウエルの活躍で王は囚われ、裁判にかけられた:山田註)された後に、王の借金の清算がおこなわれた。共和制政府は王室の配管工だったジョン・エンブリーには借金の一部しか支払えず、残りは王の絵画コレクションのなかから24点を選ばせた。その中の1点がティツィアーノの『聖マルガリータ』だった。当時の金額を現在に換算すると約250万円だったそうである。 さて、サザビーズの予想落札価格は。2億2000万円から3億3000万円。----まあ、そのくらいはするでしょうね。もっといきそうだなー。誰の手に落ちるのか。また、アラブ首長国連邦かしら。彼らにしては、はした金だろうから。 ----日本? ほしいなー、ティツィアーノ。日本の公・国立美術館は近代以前のヨーロッパ美術品はさしたるものを所蔵していない。対外的には恥ずかしくなるほど貧弱そのもの。たしかに確たる本物の巨匠作品は、すでに収まるところに収まってはいる。しかし、こうして何十年かに一度ひょっこり市場に出て来ることもある。くだらないものに、なけなしの金使ってさ。貯金してヨーロッパ絵画の礎となった本物の古典、人智の至宝を収集しろってんだ。2億か3億だったら買えるんじゃないの? 闘えよ、サザビーズで!
Jan 23, 2018
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豪雪地帯の人には申し訳ないが、東京は「大雪」である。夕方5時に玄関から通りまでの雪掻きをした。その時点で15cm弱。駐車場の車はすっぽり雪に埋もれてしまった。車はもう出せない。 通りを行くヴァンが坂をゆっくり下って行くが、前輪がツーっと滑っている。「滑っていますよ、ご注意してください!」と声をかけると、「後輪にチェーンをしています!」と。 「ああ、そうですね」と私は言ったが、この雪では四輪にチェーンを履かせなければ危ないだろう。車がソリのように坂を滑っているのは運転の制御不能ということ。後輪のチェーンは利いていないのだ。 掻いたそばから、雪は積もり、1時間半ほど後に再び見ると、もう5cmを越す勢いだった。 明日予定していた外出仕事が、キャンセルになったと電話が入った。願ってもない「朗報」である。 「♫ 雪は降る あなたは来ない〜 雪は降る ボクも行かない〜」 そんな天候に関係なく作品制作はつづく。少しずつ少しずつ、一筆また一筆というぐあいに。----昨日、夜中に目を醒まし、思い浮かんだ画業に関するプランを、できるかできないか、様々な方面から検討すること1時間ばかり。夢想だか妄想だかわからない状態で頭が冴えて寝付けなくなってしまった。画業の未来的なプランに思い悩んで眠れないなどとはもう長いことなかったことで、「若くはないのに---」と、暗闇に目をこらしながら一人苦笑した。実行に移すには時間がないな、とも思いながら。
Jan 22, 2018
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東京は明日は雪になりそうだ。都心は積雪10cmが予想されている。我家のあたりは昼頃に湿った雪、もしくは霙、どうやら午前0時までつづきそうだ。雪に弱い東京の交通機関は、混乱をまぬがれないかもしれない。 ----我家は閉じこもっても大丈夫なように日頃から準備はしてあるけれども、どのみち私はこのところ仕事場に籠って作品制作がつづいている。 描き始めていながらニューヨークへ出品しないことにした小品1点は、その後も描きつづけ、次の日曜日までには完成するだろう。それと平行して出品作も制作している。まだまだ何とも言えない状態だ。 ところで---- 昨年の秋も深まったころから、我家の小庭や門から玄関までの短いアプローチの敷石道に、直径15ミリほどの黒っぽい砲弾型の種の殻が、無数に散らばるようになった。掃いても掃いても翌日には散らばっている。十個二十個なんてものじゃない。何百何千と数え切れないほどだ。 何の種だろうと手に取って、我家の種々の庭木を見るのだが、当てはまる木がない。我家以外の周囲にもそれらしい樹木はない。背伸びして垣根越しに隣家の庭を覗いてみるのだが、落葉一枚ない綺麗なものだ。我家の小庭にだけまるで吹きだまりのように、その種は毎日毎日、掃いても掃いても、落ちているのである。 あるいは、と思うのは、早朝、誰も知らないあいだに、鳥たちがどこかから餌としての種をくわえてきて、庭木の枝にとまってゆっくり啄んでいるのではないかということ。たしかに柿が赤くなるころにはそれを食べに鳥がやってくるらしい。「らしい」とは、妙な言い方だが、我ら人間はそれを見たことがないのだ。枝に止まって柿を啄み、半分ばかり食べたところで残りの半分は地上に落下してしまう。朝、半分の熟柿があちらこちらに落ちていて、掃除に手こずっていたからだ。そして、柿が終わったと思ったら、この種であった。 それならそれで良いのだ。ゆっくりお食べ、と思うけれども、しかしこの大量の種をいったいどこから運んで来るのだろう。まさかリスのように口にたくさん頬張って飛んでくるのではあるまい。が、ひとつぶひとつぶ銜えてやってくるのだとしたら、何回往復し、どれだけの数の鳥が来ているのだろう。しかも家の者は誰も見たことがないなんて----羽音無く、鳴声さへ無く、そんなことがあるだろうか。それにもうひとつ、何百何千のその種は、すべて殻だけだ。中身が残っているものは皆無だ。鳥がこんなに上手に食べるものだろうか。これも不思議なことである。
Jan 21, 2018
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作品執筆は午後3時で切り上げ。その後は音楽を聴いて過ごした。 カルロス・クライバー指揮を集中的に聴く。モーツァルト交響曲36番「リンツ」、ベートーベン交響曲4番、5番、7番、そしてブラームス交響曲2番、4番。以上の演奏はすべてウィーン・フィル。 途中、中休みのつもりでポリーニのピアノ演奏でショパンを聴いたが、いつ聴いてもショパンはつまらない。演奏家がいけないのかしら? 私の好みではないということだな---。ショパンはピアノ曲だけしか書いていないと言ってよかろうし、現代のピアニストにとっては商売上なくてはならないだろう。まあ、私はショパン・プログラムのコンサートには行かないのだ。 カルロス・クライバーの指揮に耳をそばだてるのは、流麗なフレーズの造り方、細部の緻密さだ。演奏家たちも見事に応えている。きょう聴いた中ではモーツァルトのリンツと、ブラームスの2番を堪能した。 演奏家について英語で「interpreter」という言い方をすることがある。普通には「解釈者」とか「通訳」ということだが、作曲家と聴き手との仲立ちをする者としての演奏家、---作曲家の意図や思想を如何に解釈して聴き手に受け渡すか、という意味で「interpreter」なのである。 これは重要なことだ。本や事務的な文章を「誤読」することがあるように、作曲者の書いた楽譜を誤読することだってあるだろう。あるいは「読み取れない」ということだって。引き合いに出しては気の毒だが、アマチュア演奏家はほとんどの人が「読み取れない」でいるのである。いやいや遅ればせの言い方だが、聴き手にだって「修練」が要求されているのだ。それは己の人生の深浅と言い換えてもよかろう。 ----私は自分のことを言っている。私が「あのとき」に聴き取った音楽と、今このときに聴いた音楽は、やはり違うのだ。そのことに気づくのである。
Jan 20, 2018
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医療クリニックで開催してきた美術講義の第5回目を、私の現在の作品制作がすべて完了したあとの4月中旬に行うことにした。まだ日にちを決定していないが、きょう一応の打ち合わせをすませた。主題は前回に告知してある。その話を受講者も楽しみにしているようだ。 あいかわらず終日、制作。 執筆しながら、ふと、ホームドクターである私の主治医は一向に病気にならない私に会っていて、医者としておもしろくないのじゃないかしら? と、ヘンなことを思った。 私が絵画技法上の理化学的なことを話題にすると、俄然身をのりだすように目が輝くのは、医者はやっぱり理科系の人間だ、と、これもヘンな観察を私はしている。分子結合の状態を手振り身振りで話しはじめるのだからおもしろい。 塗りの乾燥が遅く、少しいらいらする。しかし、その間に新たな着想も得ている。その着想をダミーを作って実験もできるので、それなりの利点もある。 1時頃、ちょっと指で触ってみると、まだベトついた。ところがそれから4時間ばかり経って、もう一度触れてみるとベトつかなくなっていた。「ヘーっ!」と意外な感じがするほどで、じつはここにも理学的な問題がある。つまり石油系溶剤を含む絵具の分子構造と気温(室内環境)との相互作用が、ある点までくると一気に乾燥が進むのである。それまでは24時間以上もベタベタ状態だったのに、たちまち指で触ってもベトつかないサラリとした表面状態(指触乾燥という)に変化するのだ。もちろん完全硬化ではないのだが(完全硬化は絵具によっては数ヶ月かかるものがある)、次の作業に進めるのだ(媒材によっては進めない)。 いつかそんな絵画技法の理化学面を講義してみようか---- そういえば主治医も以前、油彩の科学(化学)について聞きたいと言ってらした。
Jan 19, 2018
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一日中、制作。ニューヨーク展のための入れ替え作品の1作、異質の支持体を結合する作業を始め、その下塗りの2回目をやる。この下塗りは通常より厚く重ね塗りをするつもりだ。その後、もっとも困難な作業がある。ここで失敗すると、まったく取り返しがつかない。主要部分の長い期間かかった、そしてそれだけが私が「作品」と主張するところなのだが、すべて無に帰してしまう。---慎重に作業しなければ。 その2回目の塗りを終わったところで、他の描きかけの作品に移る。それも乾燥待ちの状態までやり、ニューヨーク展のためのまったく新しい作品にとりかかった。その下絵を写し、第1回の塗りをほどこした。これも乾燥待ち。 さらにミニアチュール(5×6cmの油彩細密画)のための支持体を作る。厚さ1cmの板(蒲鉾板をカット)に礬水(ドオサ)を塗って脂(ヤニ)止めをしてから、キャンヴァスをボンドで張ったものだ。そこに下地塗りをして乾燥させる。数日後にすっかり乾いたら絵を描き始めるのである。----なぜこんなミニアチュールなど描くかといえば、遊びではあるのだが、ニューヨーク用に描き始めた新作のなかに小さな小さな物をたくさん描写する構想なので、その練習を兼ねているのである。 と、ここまでで本日の制作は終了。----------------------------------- お知らせ きたる3月19日(月)、民生委員創立100周年記念コンサートが杉並公会堂で開催されます。 東京都の市区町村には約10,000人の民生委員がいて福祉活動をしていますが、各区や市部は独自に合唱団を結成して、広報活動やチャリティー・コンサートに出演しています。このたびの100周年記念コンサートには20の合唱団が出演します。 入場は無料。会場は午前10時30分。開演11時〜午後4時。どうぞお出かけください。 後日、さらに詳しくお知らせいたします。
Jan 18, 2018
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午前中、制作。乾燥をまつしかなくなったので、午後、地域のお年寄りのサロンに行き、元気そうなことを確認。 筋力強化体操をするというので、見学ついでに参加することに。指導員の到着が遅れるらしく、みな手持ち無沙汰のようなので歌をうたった。その後、体操に参加。 3時間ばかり話をしたり聴いたりしながら過ごした。きょうは阪神大震災から23年目。犠牲者への哀悼と、私はさらに通電火災について注意をうながした。 今後私のスケジュールは多忙になるので、しばらくは様子を伺えない。----じつは、サロンに来られる人は元気なのだ。来られない高齢者が民生委員としては問題。閉じこもるにはそれなりの理由や理屈があるのだけれど、一旦閉じこもりが始まると、心身に不調を来すのも早い。私が見たところ、それは目に見えてという早さで衰えていく。----しかし、おそらく他の民生委員もそうであろうが、民生委員には民生委員活動の限度がある。そこが私にはひどく悩ましい。 4時半過ぎに帰宅。すぐに絵具の乾燥具合を調べるが、4,5時間くらいの間ではどうにもならない。仕方ないので以後は読書。
Jan 17, 2018
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昨夜、午前3時ころにトイレに起きて、そのとき「あっ!」と、ひらめいた。ニューヨーク展のための作品を入れ替えしたい意向を画商に伝えたが、さらに2点入れ替えると---これは今から新たに制作しなければならないが----私の思想を方向性をもったものとして見せられる! そうだ、これが、今、私のやりたいことなんだ! 新たに描かなければならない2作品は、すでに頭の中に構想があるじゃないか! 再びベッドにもぐりこんで、気がつくと無意識のうちに「ウー、ウー」と唸っていた。まるで病熱にうなされているような低い声を出していた。エネルギーが身体のなかで噴出しているのだ。のみならず、終戦前夜、3ヶ月前に誕生した私が、死ぬ前になんとかしなければならないはずの、その小さな小さなきっかけに辿り着いたことを、あの死者たちが注視しているような目の圧力を受けていたのだ。 きょう、さっそく新しいキャンヴァスを用意し、下塗りをした。乾燥を待つ数日間に、結局出品しないことにした今手がけている作品の執筆をすることに。
Jan 16, 2018
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朝,画商の担当者から電話で元気な声で年初めの挨拶を頂戴した。 私はちょっと重要な話をした。ニューヨーク展のために準備中の作品を、他の作品に入れ替えることを考えている、と。 今、発表の時期を逃したくない作品だ。性質の異なる二つの支持体を一体化したいのだが、その処理技術が難しい。それを思案中だ。一か八かでやって、成功したら、その作品を送りたい、と。 担当者は黙って聴いて、意見を言わなかったが、「まだ時間がありますから---」と言った。「そうですね、まだ時間がある。とにかく、そんなことを考えています。どうなるか判りませんが、宜しく」「いずれにしろ、新作を楽しみにしています」 そうだ、進むためには、胸にしまっておいても何にもならない。口に出して言ってしまうことだ。そうして自分自身をワナに掛けなければ---!
Jan 15, 2018
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あした一月十五日は小正月。小豆正月とも言う。小豆粥を食す習いだからである。じつは我家ではその前日となる今日、小豆粥ならぬ「善哉しるこ」を作って小正月を祝した。いや、そんなおおげさなことではない、昼食として食っただけである。しかし小正月に小豆を食すのは、昔からの我家の節季行事。 母が亡くなった年、すなわち亡くなる2ヶ月前の小正月にも「善哉しるこ」で祝っている。まさか2ヶ月後に余命尽きるとも思わずに。 そのときの拙句がある。 1月13日 風無くにまたひとつ落つ冬椿 青穹 冬草の靡くがままに古籠(ふるご)かな ことばなき老母の肩に毛布掛く 1月14日 小豆漬くいよいよ白き寒の水 春遠し訪問医師の厚着かな 1月15日 善哉の餅の甘さや小正月 居眠りの身もちゞみけり小正月 日溜まりの僅かばかりが猫の宿 じんじんと手足解けゆき立つ湯の香 月無くばいとど侘しき冬桜
Jan 14, 2018
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若い人には判らないだろう感覚、私自身も若かった時分には考えもしなかったこと。幸田露伴が次のようなことを言っていたのを思い出し、あらためて書き留めておこうと本を繰った。 「人間というものは、いくら長生きしても、二十五までの方を長く感じるものだ。そういうことをいった人があるが,確かに二十五からあとの方が短い。この言葉は誰がいったのか随分探してみたが判らなかった。(略)わたしなど実に風車の如く一年くらいすぎてしまう。今年は七十だからまた六十台とかわった感慨があろうというものさ。」幸田露伴 昭和十一年二月「どうも年をとるとけちくさくなるよ。のんだりくったりしたんでは、金が消えてしまうから、本を買っておけば、ものが残っている。二十円のものは安くなっても、十円くらいにはなるだろう、などと思うのだ。」昭和十二年一月 以上は小林勇著『蝸牛庵訪問記』より。 下の言葉には昭和12年当時の露伴の家庭の事情、娘の文子さん(後の筆名を文)の結婚生活問題がからんでいるのだが、それについては面倒だから書かないでおく。 ついでながら、私の読書歴の中学1年生のころに、その幸田文さんの『流れる』や『おとうと』や『番茶菓子』がある。私は自分の乏しい小遣銭ではなかなか本がたくさん買えなかったので、上記の幸田文著作は中学校の図書館から館外貸出を利用して読んだのだった。会津若松第三中学校である。 現在の全国の中学校図書室にはこのような本が所蔵されているのだろうか? 『流れる』などは芸者置屋の話なので、マセた本だ。 私が当時、小遣銭で買った本に、スタンダールの『赤と黒』があった。主人公ジュリアン・ソレルの生き方、心理に、12歳の私は胸を抉られるような衝撃を受けたものだ。さらに社会の階級問題、その格差による文化状況の違い---等々を気づかされた。私の読書は、ゾラや、モーパッサンや、バルザックに向かって行ったのだった。 -----ははは、露伴のように、本を買っておけば、ものが残るとは考えもしなかったけれど。ただし、飲んだり食ったりしたんでは、金が消えてしまう、というのはその通り。だから私は、大学生時代は親から金の仕送りがあるとすぐに本を買い、食うのにこまって、近所のパン屋でサンドウィッチをつくった後のパンの耳を買って食べていた。母が心配して大きな箱詰めのリンゴを送ってきた。いまのように段ボールではなく、木箱である。私はその木箱を押し入れに置き、御飯代わりにリンゴを食っていた。ノイローゼ(神経衰弱)と重なっている頃だ。はははは。--------------------------- 話題をガラリと変える。 大学入試センター試験があった。 地理Bの問題に、ムーミンの出身地に関する出題があったようだ。ムーミンを知らなければ解けない、と当惑する生徒もいたようだし、知らなくとも推理によって解ける、と言う学校関係者もいるようだ。 私の意見は、「出題者のクソ頭」ということだ。 ムーミンを知っているか否かは、「学び」とはまったく関係がない。その種の問題はクイズの問題と同じだ。クイズは学問的知識とは無関係。学問的な試験問題の解答は、「仮定」や「推理」と切り離すのが本質だ(ただし数学の試験問題においては「仮定」と「推理」を問うている)。 だいいち、解答をいくつかの例示から選択させるような問題そのことが、すでに「知識」を問うという試験の本質にもとること。あてずっぽうにマルやバツをつけたって、たまたま当たることだってある。本当には何にも知らずにたまたま当たって、「当たった当たった」と喜ぶのも愚かなら、その人間を合格とする方もバカっぽい。クイズと大学試験問題が同じになっては、大学にバカばっかり---ということにだって。 しかも地理Bのこの問題についてだけの私の感想だが、まるで小学生の中学受験用問題みたいだ。いくらなんでも程度が低過ぎはしないか?
Jan 13, 2018
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朝、隣家の夫人が垣根越しに「きょうは冷えますねー」と挨拶してきた。たしかに冷える。9時の気温が1℃だった。 沖縄の南方で雹が降ったそうだ。JR信越線は積雪のため身動きがとれなくなり、乗客は列車内に15時間も閉込められたと言う。ついついアガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件』を私は思い出した。昔、同書の講談社インターナショナル刊の英語版カヴァー絵を描いているからでもある。ヴェニス・シンプロン・オリエント急行が豪雪のなかで身動きできなくなり、それが「密室」を構成するというのがミソ。アガサ・クリスティーが実際に経験したことから発想した舞台設定である。 今朝の寒さから話がずれて来た。 この気温が影響して油絵の具の乾燥が鈍くなっている。制作が遅々として、乾いた部分に筆をいれては1日2日寝かせるしまつ。テレピン由のような揮発性のオイルを添加すると、どうしても画肌が弱くなる。塗りの過程が進むとテレピンの添加を止めた方が無難なのである。 というわけで、気長に乾燥を待ちながらも、気持の奥底には忙しなさもある。新しい作品の粗描きをキャンヴァスに移したり、遊びでミニアチュール(5cm×6cmほどの油彩細密画)を描いてみたり----。
Jan 12, 2018
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まるで世界の政治的社会情勢の移し絵のように、世界のあちらこちらから異常とも言える気象情報が伝わってくる。温暖な気候で知られるフロリダが非常な寒波で、イグアナが凍って樹上から相次いで落下し、ワニが氷にとじこめられて鼻だけ氷上に出して冬眠状態になっているそうだ。オーストラリアでは40℃を越す猛暑のため稀少動物であるオオコウモリが死に、3,000体もの死骸の山となっているという。アフリカのサハラ砂漠では雪が積もったそうだ。 われわれの処ではどうだろう。富士山近辺で菜の花が盛りとばかりに咲いているようだが、このまま春には向かうまい。きょうも時おり冷たい風が吹いていた。 それにしても、いまや世界は愚かで幼稚な政治家とその阿諛者・同調者たちによって、人智が艱難辛苦して不完全ながらも築いてきた世界が壊されかけているが、しかし気骨ある俳優もいるもんだなー! ロバート・デ・ニーロさん、メリル・ストリープさん、トム・ハンクスさん----彼らは、何に対して何のために闘わなければならないかを本当にご存知なんだ! 壊されてしまったが最後、人間が人間らしく生きられるように再び世界を築きあげ、世界の和平を最も重要なコンセンサス(共通概念)とするためには、数百年を要するだろうことをご存知なんだ!
Jan 11, 2018
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もう一月も十日だ。時の流れ、時間の過ぎ行く早さだけが気になる。 早朝、まだ薄暗いうちに猫達に起こされて、そのまま30分ばかり考え事をしていた。画家としての今年のスケジュールの方向性についてだ。車輪が泥濘にはまって空回りしているように思えてならない。私自身の意志とちがう道に進みつつあるのか、否、進みもせずにエネルギーを浪費しているのか。そのあたりが、自分一人ではこじあけられない扉もあるわけだから、テコ入れが難しい。昨年あたりから一つの思案があり、その周辺を自分で調べてはいるのだが、なかなか全体をデザインできないでいる。今朝ベッドの中で目をつむったまま考えていたのは、そのデザインについてで、やはり早急に実効に移したほうが良いかもしれない。私の人生はすでに終末期に入ってきているのだから、ここでグズグズしていて何になるんだ。---そういう内心の声を聴いていた。 きょうも作品制作で一日が暮れる。少しずつカタチが現れてきているが、またぞろいままで発表したことが無いイメージ創りをしているので、まだ、まあ、何とも言えんなー
Jan 10, 2018
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昨夜就寝後、消灯し、睡魔が降りて来るほんのちょっとの隙に、「あっ、書き忘れていた!」と思ったのは、昨年のクリニックでの第三回・第四回の美術講義「遠近法の思想と視線の哲学」の原稿のこと。パスカルが16歳のときに発表した数学論文『円錐曲線試論』について言及しなかったことに気がついたのだ。少年パスカルが影響を受けたデザルクについては言及したのだが、パスカルはデザルクの方法論をさらに発展させているのである。これは一言なりとも述べておく必要があった。 それで今朝起きがけに、まだパジャマを着たまま机に向い、旧原稿に筆を入れた。聴講した方々には後の祭り、申し訳なかった。とにかくルイ14世登場前後のフランスにおける「投射幾何学」をめぐる知的環境に、少年時代のかのパスカルが頭を出していたのである。 ついでに述べれば、パスカルの最初の論文は、11歳(!)のときに発表した『音響論』である。食事中の皿にナイフが落ちた音から、音響についての研究を始めたと言われている。 さて、こうして一日がはじまり、あいかわらず作品制作のため仕事場にとじこもっている。執筆しながら新しい構想が2,3出てきて、すぐにもそっちに取りかかりたい気持もあり、ヘンに落ち着かない。
Jan 9, 2018
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東京はしばらくぶりの雨。 成人の日だそうだ。 私にとっては半世紀以上昔のことだが、ああそうだったと、思い出したことがある。 一昨日書いたばかりだが、当時私はいわゆるノイローゼ(神経衰弱)というやつで、苦しい学生時代をおくっていた。中野に住んでいた。成人式に出席するどころではなかったのだが、後日、中野区から祝の品として写真用アルバムが送られてきた。とても使えるような代物ではなかったので、私はページを一枚一枚切り取って、さらに葉書ほどの大きさに切り、メモ用紙として机上に積んだ。 じつはそのことが、法学部の学生だった私を数年後にイラストレーター(絵描き)の道に進ませることになった。そのときは無論まったく考えもしなかったのだが。 私は、幻覚まで見るようになっていて、それを打ち消そうとしたわけではないが、頭に浮かんで来るイメージを、アルバムを解体してつくったメモ用紙に描いたのである。描くというより、暗くした部屋の中に閉じこもっていたので手慰みのようなものだった。イタズラ描きと言ってもいいぐらいだ。描いては机の上に積んでいた。 ----どのぐらい経ってからだろう。ずっとつづけていたわけでもなかったから、2,3年後かもしれない。ある日、何気なく描き溜ったメモ用紙を見ていて、ふと、「ヘタクソな絵だけど、いままでに美術の本の中にみたことがない絵だ。そして、ボクの何かと直結している!」 そのときから私は、絵画技術修得へ向かったのである。 法律家の道を捨てることを父に話すと、「自分の人生なんだから、自分のやりたいことをやればいい」 「30歳までになんとかならなければ、止めるよ」 「好きなようにしたらいい。お父さんの人生じゃないからねえ」 まさか、成人式の中野区からのくだらないプレゼントが、私を絵描きにしたなんて! いやー、考えてみれば、本当にそうなんだ。 さらに言うなら、そのメモ用紙に絵らしきものを描いていたことが役立ったのか、私は自力で精神不安の危機から完全に脱却した。もののみごとに強靭な精神力を獲得したのだった。
Jan 8, 2018
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朝食は七草粥。といっても七草がそろわず、七種(くさ)の野菜。米を少なめに、みじん切りにした野菜をたっぷり、動物性タンパク質を考え干しエビ、牛そぼろ、卵を加えて中華粥にした。まあ、名目だけの七草の行事である。 昔の私の一月七日の句から--- 星うすく天の井深し寒の入り 青穹 寒灯や魂あくがれて影ひとつ とんとんと七草叩く春隣 松納め少し惜しみつ界ひらく ひと枝に祈りかくるや鳥總松(とぶさまつ)
Jan 7, 2018
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星野仙一氏が亡くなられた。享年70。 私は、国内野球については不案内と言ってもよいぐらいほとんど知らない。昔、ある出版社の編集者が、私を是非とも球場に連れて行って一緒に観戦したい、と言っていた。某チームの熱心なファンらしかったが、私が関心を示さないので業を煮やしたのかもしれない。 それはともかく、じつは星野仙一氏のお名前は、私は大学生時代から知っていた。明治大学の星野仙一選手、法政大学の田淵幸一選手。このお二人が大学1年生のときに、私は法政大学の3年生だったからである。山本浩二選手も法政大学1年で、田淵選手の大学野球チームメイトであったはずだが、山本選手にはまことに申し訳ないが、氏が活躍し頭角をあらわすのは私が卒業した後のことだ。 野球に関心がなかったばかりか、当時の私は不眠症とかなりの精神不安定に悩み、昼の光のなかに出られず、日暮れてから学校に行っていたので、六大学野球の応援にも参加したことがなかった。それでも、学内を憂鬱げにのろのろ歩いていると、どこからともなく田淵幸一選手のお名前や星野仙一選手のお名前が耳に入ってくるのだった。下級生の1年生がすでにスターとして世間の耳目をあつめているのに、ボクは何をやっているんだ。明るくて冗談好きのボクはどうしたんだ。心臓は奇妙に鼓動するし、雨戸を閉め切った部屋のなかに恐れたように蹲っている。取り憑かれたように原稿用紙に物を書けば、脳梗塞をおこしたか半身が麻痺するしまつ。 ----こうして星野氏と田淵氏のお名前は、私の苦しかった学生時代に直結しているのである。いまとなっては、それも懐かしい。 星野仙一氏のご冥福をお祈りします。---------------------------------------------- ところで昨夜1時頃、何の前触れもなくいきなりドカン!と地震があった。私はしばらく読書して眠りに就いたばかりで、「すわ、大地震か?」と身構えた。が、それきり身体に感じられる余震もなく静まり返ってしまった。猫達も騒ぎもしないので、大丈夫だろうと思って、いつのまにか寝入ってしまった。 今日の新聞報道によれば、千葉県北西部、また伊豆半島東方沖をそれぞれ震源とするマグニチュード4以上の地震が、ほぼ重なるように起ったようだ。 ----これは、どういうことだろう? 日本海溝のいわゆる三重会合点を形成しつつオホーツクプレートの下にもぐりこんだ太平洋プレートは、さらにその先でフィリッピンプレートにもぐりこんでいるわけだが、この地球力学のメカニズムが、今回如実に働いたのかしら? ともあれ、どこにも被害はなかったようだ。 (じつは、我家の門から玄関への短いアプローチの中程を横切り、家の北側面をとおって浴室の三分の一程のあたりから一段下の隣の敷地につづくあたりに、断層があるのではないかと疑っている。それが「立川断層」の一部であるかどうかは不明だ。が、まもなく7年が経つが東日本大震災の後で、私は気づいたのだ。)
Jan 6, 2018
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CNNがおもしろい写真を紹介している。一月一日「太陽の前を横切る宇宙ステーション」 撮影者はアリゾナ大学スカイセンターのアラン・ストラウス所長。氏は教育学が専門で、自称アマチュア天文家だそうだ。狙いに狙った結果の、NASAも撮影できなかった写真。というのも、太陽に対して国際宇宙ステーション(ISS)はフットボール競技場くらい、しかも時速2万8000キロ、太陽を横切る時間はおよそ1秒、地上からの観測は難しいのだそうだ。ストラウス氏は、ヴィデオ撮影してから、画像を一点一点つないで構成したという。CNNは、「太陽の縫い目のようだ」と表現している。言い得て妙。まったくそんな風に見える。 CNN
Jan 5, 2018
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正月三ヶ日が明け、早、四日目も過ぎようとしている。 私は正月であろうと何であろうと、自分のペースをあまり変えない。意識的にペースを保っているわけでもなく、自然のままのペースが作品づくりのペースと一致しているのだ。作品づくりは、----それしかやることがないから、それをやっている。 外に出ればかなり社交的だが、出る用事がなければいつまででも家に閉じこもっている。人に会うのは好き。しかし観光のようなことはまったく関心が無い。亡母や弟たちにしょっちゅう言われたものだ。「何処かへ旅行してきたら? 新しいテーマに出会えるのじゃないの? 取材に行って来たら?」 -----おあいにくさま。「NO!」 私の作品のイメージは、そんなことで生まれてきているのではないのだから。----まあね、理解してもらおうとは全然思ったことはないが、家族というものが一番理解しない人たちなんだ。 さて、そんなわけで、いつものペースで作品制作である。こころが渇いて渇いて、砂漠の砂に足をとられるように世界の情勢によろめきながら、イメージをキャンヴァスに写し取っている----
Jan 4, 2018
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亡父母の墓参り。 温かい陽気だけれど、風が強い。立ち寄った花屋の爺さんが、気を利かして花丈を詰めてくれながら、そのことを言う。「ええ、ほんとに---」と応える私に、「これを、おひとつどうぞ」と飴の袋をくれた。初売りのお年玉か。つるりと禿げた丸顔が福々しい。いかにも正月らしい顔だ。 その町のあちこちに霊園ができている。山を切崩しての新墓地は、一昨年より昨年、そしておそらく昨年よりは今年、さらに開発的に拡大していくのだろう。 千年後、二千年後、あるいは一万年後の人たちは、この墓地だらけの土地を何と見るだろう。 私はふと、古代エジプトの「死者の都」、また中世紀前後のイスラム教徒の墓群がひろがるカイロ近傍の「死者の町」を想った。尤も、現代日本では火葬なので、土葬時代のような遺跡から多数の遺骨が発見されるということはないだろう。 亡父母よ、我が祖先たちよ、そして近々に私自身もであるが、我らは共に虚空の塵となろうではないか。原子に還ろうではないか。 帰りの車窓に、河原で凧揚げしているのを見た。四張り、五張り、悠々と空に舞っていた。風の強さが幸いの「凧揚げ日和」である。
Jan 3, 2018
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1月2日の今夜はスーパー・ムーン。良く晴れた空にすばらしい月だ!
Jan 2, 2018
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1月2日、描き初め。新作の基礎的な塗りをやる。この作品は小さいながら完成までに時間がかかるかもしれない。何を描いているかということではなく、どのように塗りの構造を創っているかということを見せたい。 この作品を1月末までに完成して、すぐに次の作品にとりかかるが、構想はすでにできている。しかし、4月のニューヨークへは出さない。まず試作品を10号(53×45.5cm)くらいで作る。納得できたら。もっと大きな作品に作りなおすつもりだ。どこで発表するかは未定。
Jan 2, 2018
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Jan 1, 2018
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