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フランスにつづきイギリスのスターマー首相が「イスラエルがガザの悲惨な状況を終わらせるために実質的な措置」をとらなければパレスチナ国家を承認すると表明した。さらにカナダのカーニー首相はアナンド外相とともに共に記者会見に臨み「第80回国連総会でパレスチナ国家を承認する」と表明した。 いずれも、イスラエルがガザの悲惨な状況を終わらせる「実質的な措置」をとることを要求している。口先だけで国際社会をまるめこんできた政策に対し、明確に「NO!」を突きつけたのだと言えよう。この先が注目される。BBC 「スターマー英首相、パレスチナ国家承認を表明」CNN 「カナダ、9月にパレスチナ国家承認意向」
Jul 31, 2025
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片蔭に足早に入る配送者 青穹(山田維史) 蟻はこぶ蚯蚓(みみず)干涸らび酷暑かな 炎天下なお暑くする軍用機 カムチャッカ半島沖でM8.8の地震。北海道ならびに太平洋東海岸沿い広範囲に津波警報。CNN 「イスラエル人権団体 自国の行為を初めてジェノサイドと断定 ガザの惨状に戦慄」 これは「言論の自由」を謳うイスラエルであるが、自国の軍事的行動については国民に隠蔽していることを意味するだろう。軍国主義とは、そういうことだ。
Jul 30, 2025
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今年も我が家の小庭で蝉がうまれたようだ。抜け殻がふたつ落ちていた。どこをどう飛び回って、再び小庭のいずれかの樹木根元の土中に産卵するのか。私はその経緯をついぞ見たことがない。しかし、毎年、いつのまにか生まれ出て、殻を脱ぎ捨ててわずか10日ばかりの命を恋に生きる。あの滝つ瀬となって鳴。激しく恋の相手を求める日々。そして生命連環。思うだにすばらしい自然の理だ。 古き殻脱ぎ捨てて蝉いまいずこ 青穹(山田維史) 炎天下ふりしきるかな蝉のこえ 空蝉やわが恋の日々遠くなり
Jul 29, 2025
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今朝、血圧管理帳が13冊目を終了した。毎日記録し続けて1年にちょうど1冊なので、明日から14年目に入る。 血圧管理帳の記録と並行して2012年7月12日以来、食事記録も取ってきたので、こちらもすでに14年目に入っていた。 食事記録は、1日3食および間食と飲料すべてを13年間まったく遺漏なく記録してきた。たとえばサイクリングの途中で自動販売機から缶コーヒーなどをを買った場合、その缶に目安として表記されているカロリーも書いた。レストランでの食事も、個人個人にメニュー(御品書き)が添えられている場合はそれを持ち帰り、そうでない場合はメニューを記憶しておいた。オードブルからメインディッシュ、デザートまで、・・・私自身が16歳の一人暮らし以来日常的に料理してきた経験から、レストランのメニューもその食材などを記憶できるからだが・・・帰宅してから思い出して書いてきた。 食事の記録、料理の記録をしている人はおおぜいいると思うが、水一杯までを記録しているのは珍しいかもしれない。こんな記録を取り始めたのは、亡母の自宅看護中、当初から主治医の訪問医療を受診していたのだが、ある日のこと、治療の様子をそばで見守る私の顔を見た主治医が、「ちょっとお兄さんのヴァイタル・チェックをしましょう」と、その場で血圧や血糖値をチェックしてくださった。そして、「病気寸前の状態です。すぐに病院に行き、詳しく調べてもらってください」とおっしゃった。 亡母の在宅医療が4年を過ぎるころだった。その間、私は種々の管につながれた母のそばを離れることができず、母の液体流動食は鼻から挿入したチューブで一回に2時間かけて注入しなければならず、また、初期には鼻に挿入したチューブを無意識に引き抜いたり、また2時間かける注入時にむせて大量に嘔吐することもあり、そのようなときは肺に入らないように急いで私は汚物の海になったベッドに駆け上り「お母ちゃん、ごめん!」と言い様、母を逆さまに吊るし上げた。すべてを吐き出させてから私の立膝に仰向けに寝かせ、片手で主治医にすぐに来てくれるよう電話した。・・・そんな日常のため、私は自分の部屋で寝ることもできず、4年間、母の医療ベッドのわきの床にごろ寝していたのである。もちろん外出もできず、一週間に一度だけ、弟に母を看てもらってその間に買い物に出た。・・・こんな状況が何年つづくか分からなかった。食べなければ私の体が保たないと思い食べた。運動することなど思いもよらなかった。 ・・・しかし、私は母の看護を誰かほかの人に託そうとはまったく思わなかった。そして、・・・これは私が息子だからであるが、あわれな母の姿をできるかぎり他人に見せたくなかった。ほとんど口をきけなくなってしまった母だったが、死ぬ前に私の顔を見て、「にいちゃんと一緒に暮らせて楽しかった」と言った。 余計な話を長々と書いたが、そんなわけで私は血圧管理帳と食事記録を取りはじめたのである。病院を受診してのち、しばらくの間、処方薬を服用していたが、私は自己管理を徹底して自力で「病気寸前」の状態を脱出した。私はめんどうくさいと思うことがないので、そんな性格が幸いしたかもしれない。 先日、80歳になったのだが、さて、今後どうなることか・・・
Jul 27, 2025
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フランスのマクロン大統領がパレスチナ国家承認を表明した。フランスがパレスチナ国家を承認するであろうという情報は以前からあったが、G7国家として初めてのマクロン大統領のSNSでの表明は国際的に大きな驚きを与えたようだ。イスラエルは即座に反発した。アメリカ合衆国のトランプ大統領も「何の価値もない」と一蹴し、自身はスコットランドへゴルフ旅行に行き、まあ、私に言わせれば「遊び呆けて」いる。CNN分析 マクロン大統領の必死さCNN ガザの子どもたちは天国に行きたがっている「食べ物があるから」CNN 栄養失調の乳児、母親の腕の中で死亡 CNNが飢餓のためにやせ細り骨の浮き出た子どもの写真を掲載している。イスラエル国防相は、ガザに飢餓など存在しないと演説した。これにはネタニヤフ首相もさすがに慌てたようで、この国防相の演説内容は政府の方針ではない、まったく個人的な見解である、と言い繕った。しかし、パレスチナ自治区ガザの子どもたちが飢えに苦しみ、骨と皮ばかりになって死んでいる事実を否定もしないが肯定もしない。 それはそうだろう、数々の写真報や動画を添えた人権問題を監視する国際的機関の報道が出回っているのだから、ここで国防相の演説に絡めて否定肯定すれば、火に油を注ぐようなものだ。子どもたちを死に追い込んでいることなどには口を閉ざす。ただひとえに「テロ組織ハマス殲滅」・・・これが、トランプ大統領のような人格をまるめこむには一番良いのだ。 なぜパレスチナが、ハマスが、イスラエルに抵抗するのか・・・その根本に存在する事態を、私は政治思想(資本主義や共産主義や社会主義など)や宗教を抜きにして主張するのだが、・・・すなわち彼らを「ゲットー」におしこめているからだろう。そのことはパレスチナ自治区と言い条、そこへの出入りに関してイスラエル国民は自由に出入りできるが、パレスチナ人に対しては厳重な規制をかけて出ることができないことでも明らかである。目に見える部分でかくのごときなのだ。まるでイスラエル政府がパレスチナ人に対する生権与奪を握って支配しているかのようだ。 マクロン大統領のパレスチナ国家承認の意思(思想)を、私は正しいと思う。その思想は「反ユダヤ」では無い。人間が等しく生きる権利、その自由のためであろう。
Jul 26, 2025
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山田維史 「人智の関係」 2019年 キャンヴァスに油彩、21枚の鏡*この作品は観客が絵の中の鏡に映ることで完成します。
Jul 25, 2025
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ハマス殲滅を旗印に、反・反ユダヤ主義を盾に(私はネタニヤフ首相の隠れ蓑と言うが)、ガザ攻撃はつづき、さらにガザへの援助物資はイスラエル軍によって極端に制限され、ガザは飢餓地獄と化している。 朝日新聞の伝えるところ、「パレスチナ自治区ガザの保健省は22日、食糧不足による飢餓などのため、過去24時間に15人が死亡したと発表した」そして、「ロイター通信は22日、過去24時間で死亡した15人のうち1人は生後6週間の乳児で、」「家族は、粉ミルクが手に入らなかったと語ったという。」さらに記事はつづけて「ガザ保健省によると、2023年10月のガザでの戦闘開始以降、飢餓などで101人が死亡し、うち80人を子どもが占める。」CNN ガザ住民と共に飢えて力尽きる医師や記者 イスラエルによるこのパレスチナ・ガザ飢餓状態の創出は、イスラエルの巧妙な戦略だと私は思う。というのはいかなる兵器にもよらず、また兵士の直接殺害行為によらず、将来の「禍根」となるであろう「子ども」を死に至らしめることができるからだ。これに対して国際社会は、直接的戦闘行為と見なすことができず、ただ人道主義を期待し、喚起をうながすだけだからである。国際社会のあちらこちらで起こっている純粋に人道主義の観点からの抗議行動に対しては、イスラエル政府は即座にその抗議行動を「反ユダヤ主義」とレッテルを貼り、当該国政府に対して厳重取り締まりを要請している。当該国の政府は、第二次世界大戦時の状況に鑑みての政治的判断(指導者の思惑)から自国内の抗議行動を規制せざるをえない。 パレスチナ人が救われることのない状況を国際的に創り出す・・・それが現・イスラエル政府の狙いではないか? と、私は思う。 私は、反ユダヤ主義ではない。また、あらゆる宗教から「自由」である。個人的な話になるが、私はユダヤ系のビジネスマンと或る展覧会の契約書を交わしたことがある。このような国際的なビジネスは、個人的な性質のものであろうと、為替変動等を含めて相互どちらかに損失が発生することがある。しかし私たちの場合、契約内容を訂正することなくきっちり締結項目が実行された。ビジネスにおける損失発生は、契約締結以前に予測されていなければならないのだ。こうした経験があり、私は「契約の人ユダヤ人」を信頼している。 私は、ガザの飢餓の報道に接するたびに、飢えて骨と皮だけの黒ずんだ赤ん坊や子どもたちの顔を思い浮かべながら、「あなたは昨日何を食べましたか、ネタニヤフさん?」と問いかけるのである。
Jul 24, 2025
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先日、選挙の投票のため山を下って行くと、麓で蝉が鳴いていた。私がこの夏に聞く初めての蝉鳴だった。 私の家の周囲はいつも喧しく蝉が鳴くのだが、今年はまったく聞こえて来ない。小庭の樹木にも空蝉がぶらさがっていたりするので、我が家の庭で蝉が生まれていたわけだ。それなのに今年はまったく鳴き声がしない。さして気にもとめていなかったが、山の麓で鳴いているのを聞いて、あらためて「おやっ?」と我が家の周囲を思ったのだった。 それが、今日の午前中、まだ昼前だったが近くで蝉が鳴いた。「おお、鳴いたか!」と私は、やっていた手仕事の手をとめて瞬時聞き入った。きっと数日後には、毎日、滝のように蝉の鳴き声がこだますことだろう。 初蝉や手仕事の手をとめるほど 青穹(山田維史)
Jul 22, 2025
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ちょっと気の利いたイヴェント会場や公共施設で、夏の盛りにミスト(人工的な霧)を発生する設備を見かける。奈良公園の鹿たちがそんなミストで涼をとる姿が観光客を喜ばせてもいる。 ところで、私はふと思い出した。昔、「撒水車」が街路に水を撒いていた。タンクローリーのような自動車が大型の如雨露のような装置から水を撒く。暑気払いだけではなく、道路清掃でもあったように私は記憶している。その撒水車、いつのころからか見かけなくなった。現在でも存在するのだろうか? 打ち水や水道局に遠慮しつ 青穹(山田維史) 打ち水や蟻の渡りを避けておき
Jul 21, 2025
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参議院議員選挙の投票に行く。有象無象。 向日葵の影を濃くして八十路坂 青穹(山田維史)
Jul 20, 2025
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夢の話など書くまいと思っているが、その夢の話である。 夢の中で、私はお祖母様に私が書いたものをお見せしようと思った。毛筆手書きのそれは和綴本にして桐箱にしまっていたはずだ。桐箱を開けると、思ったとおり一冊の和綴本があった。ぱらぱらとページをめくってみると、私が書いたものではない。あれっ、どうしたのだろう? 私は当惑した。・・・そして、私は夢を見ていたのだと気付いた(実はこの気付いたこと自体が夢)。なんだ夢か、と思いながら、どうしてこんな夢を見たのだろうと、夢の中での私の行動を反芻するように思い返し、もう一度、お祖母様にお見せしようと桐箱の蓋を開ける映像を頭のなかに描いた。・・・そこで目覚めた(これは事実)。 私はどうやら夢の中で夢を見ているという、つまり「入れ子」状の夢を見ていたわけだ。おもしろいことだ。
Jul 18, 2025
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80年前、1945年7月16日、世界最初の核爆弾の実験がアメリカ合衆国のネバダ州の平原で行われた。その実験結果をふまえて22日後に広島に原子爆弾が投下され、その3日後に長崎に投下された。正確な即死者数は現在なお不明であるが、1945年末までに広島・長崎合わせて死者約21万4千人。その後、原爆症等により被爆者は現在まで毎年亡くなられている。8年前に私が広島原爆犠牲者に捧げる作品をニューヨークのアート・フェアで発表した時点で、広島市の原爆犠牲者名簿には25万人が記載されていた。 人間は「戦争」を放棄する思想も理論も、信仰すらも確立できないでいる。のみならず核兵器、そして火器を超える電子兵器の開発は、日夜の進歩である。戦争を放棄しない限り当然であろうが、その進歩は殺人と破壊を嬉々として楽しんでいるかのようだ。 世界最初の核爆弾の実験は、私がこの世に生を承けてちょうどきっちり2ヶ月後だった。いまや人類は80億人。その1/8,000,000,000のまったく個人的な歴史が、おろかな人間の歴史から切り離しようもなく重なって80年。 第二次世界大戦以後の国際法に基づく法秩序はここに来てほぼ完全に崩壊した。国連は機能しない機関となった。暴力主義国家がやりたい放題の世界情勢を創出することに成功しつつあり、それはまちがいなく成功したと見てよい。1945年5月14日、戦争の魔手をのがれて私は生まれた (生後6ヶ月の私)核兵器廃絶人類の敵にならないために
Jul 16, 2025
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大雨があがって薄曇りの光のなかの庭の柿 7月15日 撮影 柿落ちて甍にころがる一夜かな 青穹(山田維史) この句は、学生時代の或る夏、宿泊させてもらいお世話になった寺院での思い出。小説家の故花輪莞爾氏が「いいね」と言ってくださったことも思い出す。雨に打たれながら咲いているミズヒキ。か弱そうでいてじつに強い野草である。7月15日 撮影
Jul 15, 2025
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一昨日の大雨のためであろう連日の暑気が払われて、昨日は朝方は肌寒いほどだった。昼間も冷房しないで過ごせた。しかし今日はまた猛烈な暑さのぶり返しである。 というわけで家の中にとじこもっているが、五月以降、過去に書いた小論文を英訳して過ごし、すでに13篇を別ブログに掲載した。 昨日も「霧に対する感性の考察」を訳し終えて掲載した。日本語の原文は17年前にこのブログに掲載したのだが、いまだにお読みくださる方がいらして、筆者として嬉しい。 英訳するに当たり、じつは掲載までに試行錯誤がつづいた。というのは、和歌や俳句に詠まれた「霧」を論じているので、それをどのように英訳すればよいか迷ったのである。元の和歌や俳句はほんの短い詩句である。そこに日本語特有の隠喩がひそんでいたり、日本文化におけるコンセンス(一々説明しなくても理解している見解の一致)に作者の主張を託しているなど、短い詩句を逐語的に英訳しても伝えるべきことが伝わらない。この問題は私ごときにおいそれと解決できることではない。かと言って、まるっきり英詩につくりなおしてしまう能力も私にはない。 ・・・まあ、そんなこんなで、投げ出してしまう気にもなれず、不出来を承知で掲載した。ご興味がおありならお読みくださるなら幸いである。Blogger英文「霧に対する感性の考察」
Jul 13, 2025
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今日7月12日は、作曲家・芥川也寸志氏の生誕100年にあたる。1925年のお生まれということは、私とはちょうど20歳違い。私が13歳のときに、指揮者としてマチネーのコンサート終演後、たったおひとりで楽屋で休憩されていた先生にお目にかかったとき、芥川也寸志氏は33歳だったということか・・・。私が所持していた手帳にサインしてくださり、私の手をとって、「夜のコンサートにもいらっしゃい」とおっしゃった。私はもちろん夜も行き、ベートーベンの「田園」を聴き、ふたたび楽屋を訪問したのだった。 私が25歳過ぎから約30年間住んでいたところは、じつは芥川也寸志家の比較的近く、歩いても10分ほどだったが、先生にお目にかかることはなかった。しかし、13歳の中学生のときに頂戴したサインは、大切に現在も持っている。お亡くなりになってもう36年になる。いや、今日は生誕100年を私は心の中でお祝いしましょう。 下の画像は、私が13歳のときに頂戴した芥川也寸志氏のサイン。
Jul 12, 2025
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或る小駅の改札口上方に燕の巣がある。私が知っていた限りではその近くの建物二棟にそれぞれ燕の巣があり、ちょうど今頃には古燕が黄色い小さな口をあけて母鳥が餌を運んでくるのを待っていた。しかしもう10年以上前に、その建物は二棟とも解体されて新しい建物が建築された。むろん燕の巣は失われた。それいらい、私が燕の巣をみかけることがなかったのだが、上述の駅舎にあることを知ったのである。 ところが、・・・ところがである、赤ちゃんツバメが一羽、巣から落ちた。落ちたまま地面に横たわっている。誰もたすけようとはしない。・・・いや、それが違うのだ。たすけよう、巣にもどしてやろう、と誰もが思っているのだが、それを止められるのだ。「鳥獣保護法」によって、触ってはならないと警告されるのである。 ???・・・ヘンだとおもいませんかね、その警告とやらは。生きるかもしれない赤ちゃんツバメを、「鳥獣保護法」でみすみす見殺しにしている。母ツバメが落ちた赤ちゃんをどうやって巣にもどせるかね。 いくら良い法律をつくっても、その運用がまちがうと、救えるものも見殺しにする結果となる。教条主義・・・融通のきかない公式主義は日常をみじめなものにする。そうじゃないかな?
Jul 11, 2025
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猛暑がつづく。我の所は昼前に34℃になった。水を吸う鉢植えの紫陽花に毎日たっぷりの潅水をする。花はすでに終わっている。 「暑い暑い」と言っていてもしかたがないので、ほぼ終日、自作のエッセイを英語に翻訳している。四日かかった「日本人の裸体像」を今日しあげた。19年前にこのブログに書いたものだが、手直しをし、図版を付した。実のところ、やや粗雑な書き方になり我ながら完成したとは言い難い。しかし、考察の筋道は一応できたと思っている。このエッセイは、裸体像を考察しているため、この楽天ブログには規制があって図版を掲載できない。以下でお読みくださるなら幸いである。山田維史の青空日記・遊卵画廊
Jul 9, 2025
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東京都心の気温が35℃を記録し、今年初めての猛暑日となった。我が市は都心からはずれ、しかも終日の曇り空、それでも正午から午後3時頃までは33.5℃。この暑さは早朝すでに午前3時過ぎには26℃を超えはじめていた。 ヨーロッパ、あるいはインドでは40℃を越したそうだから、冷房装置が極端に少ない同地では死人が出ているというニュースも、さもありなんと想像する。一方、中国では巨大な雹が降る嵐。 ・・・世界中の至る所で異常気象がつづく。しかしアメリカ合衆国の大統領は、地球上の二酸化炭素排出に関する観測データを長年にわたって研究をしてきた機関に対し、その研究をやめるように指示し、経済支援を廃止する通告をした。この大統領の考えは、アメリカ国内生産を振興してゆくためには二酸化炭素排出規制は邪魔だ、というわけである。・・・じつに不思議な考えをする人だ。政治家として「いま、この時」をしか考えないなら、政治家とはなんとつまらない人間だろう。アメリカ合衆国・アズ・ナンバーワンが、この地球人類にとって何ほどの意味があろうか? いまや人間は、我一人のことではなく、我が一国のことではなく、人間と生きとし生きるものが乗っている地球のことを考えなければならないはずだ。子供っぽい意見と言うなかれ。たしかに地球人類の命運の先は見えない。しかし、月や火星への移住計画より地球の命運を考えることの方がずっと現実的であろう。80億人が月や火星にこぞって移住できるわけではあるまい。宇宙史を研究することはいい。しかしその研究のそもそもは地球史の究明のはず。この地球という星になぜ生命が誕生したかを究明することなのではないか。 今日は七夕である。私の町の上空は雲におおわれ、織姫も彦星も見えない。しかし織姫星(ベガ)も彦星(アルタイ)も、笹竹に掛けた短冊に書いた子供たちの願いは夢として、汚れつつある地球のはるか果てを巡っている。山田維史 「卵状の気配採り」1979年、紙に水彩山田維史 「哀しみの街 ー ミケランジェロの”蹲る少年”に拠る」 2013年、キャンヴァスに油彩
Jul 7, 2025
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小太鼓を打つよに落ちる青小柿 青穹(山田維史) 酷暑こそ鬼の居ぬまか草しげる たなばたや宇宙(そら)の果てなる物語 明日ありと思えば恋の星合わせ 雷鳴や爆撃音やこの地球
Jul 6, 2025
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長嶋茂雄氏が亡くなって1ヶ月が過ぎた。亡くなられたのは先月6月3日である。 この1ヶ月間、私はこのブログ日記を休筆していたので長嶋茂雄氏のご逝去について書いていない。改めて思い返せば、じつは長嶋氏が現役選手を引退したあの有名なセレモニーのTV中継を、私は講談社の編集室で観ていたのである。 1974年10月14日。その日、私は、たぶん、進行中だったドラゴンブックスの3冊目になる「悪魔全書」のための、描き終わったイラストレーション原稿を編集部に持参した。いや、「悪魔全書」のための全29点の原稿が完成したのは、私の記録によれば10月22日であるから、14日にはまだすべてを描き終えていなかったことになる。 できあがった原稿はいつもは編集部のH氏が自宅に取りにきてくださっていたので、私が編集室に行ったのは10月23日から取り掛かる次の一冊「生き残り術入門」の打ち合わせのためだったかもしれない。・・・ともかくも、その頃の私は自宅に缶詰状態で、36時間休みなく仕事し、食事は握り飯をかたわらに置いて食い、睡魔で筆がおぼつかなるとそのままバタリと倒れて2時間ほど前後不覚で眠り、目覚めてまた描くという状態だった。「悪魔全書」はまだシリーズの3冊目だったので、そんな状態でも割合平気だった。29歳、若かった!・・・まあ、そのうち顔色は土気色の死人のようになり、足元はふわふわと雲の上にいるかのようになるのだが・・・ というわけで、1974年10月14日、私はたまさかの外出で講談社に行っていたのだ。そして思いがけなく長嶋茂雄氏の引退セレモニーをTV中継で観たのである。編集者たちも全員がTVを注視していた。「わが巨人軍は永久に不滅です!」と長嶋茂雄氏は声を張り上げた。 ・・・そんなことを思い出していた。
Jul 4, 2025
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山田維史 「りんご」 2016年 キャンヴァスに油彩Tadami Yamada "An Apple" 2016、Oil on canvas
Jul 2, 2025
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山田維史 「東の羊 西の羊」2014年 キャンヴァスに貼った印画紙に油彩Tadami Yamada "East Sheep, West Sheep" 2014Oil on photographic paper mounted on canvas
Jul 2, 2025
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山田維史 「補陀落山に登る」2014年 ボードに貼ったキャンヴァスに油彩、金箔、銀箔Tadami Yamada "Ascend The Sacred Mount Potalak" 2014; Oil, Gold leaf and Silver leaf on Boaed with Canvasこの作品は亡母の追善を心づもりして描いた。
Jul 1, 2025
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