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安倍晋三首相が、自分の政治行動をナチスになぞらえて批判されることに不快を表わし、その喩えを「度が過ぎる」と言っている。
ところで、私は 『政治演劇史』(白水社)を
「(1927年頃のドイツに)弥漫しはじめていたのはファシズムというより、むしろ愚鈍さであった。ヒットラーの言うことを本気にとらなかったか、ヒットラーを操縦できると考えたか、または彼の約束にころりと参って馳せ参じた市民、小市民、秩序好きの女たちの、あの愚鈍さがもしなかったら、ヒットラーはあれほど危険にはならなかったろう。」(前掲書第24章、蔵原惟治訳)
この指摘は、いま、日本国民に突きつけられた言葉であると、私は考える。
先頃亡くなった野坂昭如氏の最後の著書『絶筆』(新潮社)の広告が新聞に掲載されていた。そこに惹句として引用された氏の言葉。-----「戦争は気がついた時にはすでに始まっているものだ。こんなお上を選んだのは国民である。病も政治も同じ、危ないと自覚した時はすでに手遅れ。この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。」
野坂氏の指摘も、日本国民よ愚鈍さから目覚よ、ということだろう。愚鈍が弥漫するところの民主主義は、大破局ですべてが崩壊するまで突き進んでゆくものだ。つまり、愚鈍な国民によって「民主的に」法的な手続きはきっちり踏んで、非民主的な社会へと逆転させる、ということだ。
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