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きょうは日曜日だが午前中に2時間、町内自治会と私民生委員ならびにボランティアで見守りをしてくれている気にかけネットワークのメムバーとが一体となって防災推進協議会を立ち上げる会議に出席した。
東日本大震災や中越大雪害や熊本地震における共助の教訓を活かして、まさに危険地帯を有し、しかも退避路確保が非常にむずかしい山の斜面にひろがる400世帯の住人を、どのように災害から守り、かつ、いざとなったときにどのように救助すべきかを話し合い、具体的な共助策を講じようという主旨である。日曜日ながら市役所職員にも出席してもらった。町内住民の考えと行政策をすりあわせする必要があった。
とにかく恒久的な協議会設立であったが、この第1回会議ですでにいくつもの問題点が洗い出されたかもしれない。
私、民生委員の目から見ると、この町の防災は、さまざまな事柄がリンクしていると思える。すなわち、危険地帯住人の日常的な注意喚起のみならず、高齢者問題、障害者、独居者、乳幼児の安全、そしてなかなか災害と結びつけて考えられていないが日常的なショッピング難民問題。
つまり近くにまったく商店が無いという実体である。山の斜面の全世帯のかかえている問題ながら、特に高齢独居者や障害独居者、また認知症傾向にある人たちにとっては切実な問題である。しかし、行政の各種問題に取り組んでいる担当部署は、かならずしもすべての問題を共有しているわけではなく、特にショッピング難民問題は地域開発事業に関わるはずだが、そこからどうやらスッポリ抜け落ちているようだ。
現代の若い働き盛りの人達にとっては、かならずしも自宅近辺でショッピングをしなくてもよいのである。車で繁華なショッピングモールや流行のショップに行くからである。つまり働き盛りの若い行政担当者にはショッピング難民は考えにおよばないのかもしれない。あるいは勘ぐれば、議会議員たちにとっては、商店がまったく存在しない地域に商店を呼び込んで商店街をつくろうという開発計画は、とうてい任期内で済むことではないので、立案する意志はないにちがいない。
ではショッピングがなぜ防災にリンクしてくるか?
まず、ずっと奥底に、ショッピング難民は認知症傾向を誘発しやすいのではないか、という私の観察がある。
人間生活の大きな楽しみであるお金を使う、お金を数えるということが、どれだけ脳を活性させているかということだ。ショッピングのために「出歩く」ということも重要な点だ。それは散歩とは違う、必然性のともなう歩きだからである。
行政は一生懸命に高齢者問題や認知症対策に取り組んでいる。それは人間的な問題に対する「優しい行政」には違いない。が、根本的には福祉に税金がかかりすぎるので、それを軽減するためには「なるまえに対策を講じておこう」というのが本音である。
とするなら、ショッピング難民対策も高齢者問題や認知症対策の一環として考えられてもいいはずだが、さきほども述べたように地域開発となると別な問題がからんできて、誰もあえて手を出そうとはしない。
さて、それが災害時にどのような事態になるかを想像すると、言うまでもないが、彼らは食糧や日用品の備蓄にことかいているという状況が露呈することだろう。事実、きょうの会議の最中に、ある方がふともらしていたのは、「買い物をするところがないので、障害をもった高齢者には備蓄がない」と。もしかするとその人自身の悩みをもらしたのかもしれないが、一般化できる現実の「観察」である。
じつは政府の政策で、介護保険制度における介護度1~2の人、すなわち誰かに補助してもらえば歩ける人は、介護保険によって介護用具の使用を申請できなくなる。「自助努力」と政府は言うが、今までは介護用具、たとえば車椅子だとか歩行補助具などを1割自己負担で使用できたので念入りな介助者がなくてもあるていど生活できた。しかし今後は、これらの介護用具を家計と相談して使用できずに常時介助者が必要となると、じつは家庭内における介助者の負担は並大抵でなく増加する。それは目に見えている。政府はそれを知っていながら、知らないふりをして、言葉で帳尻をあわせようというのだ。
こうしてしゅったいする問題も、当然の事ながら災害時の退避勧告や避難そのものに大きく関わってくるであろう。
私は、きょう、言った。「万事がうまくおさまる社会システムをつくることは不可能だと思います。私たちの生活状況は千差万別だからどこかに過不足はでてくるのです。しかし、こことここがぶつかるから、考えるのをやめて切り捨てるのではなく、やわらかい気持で事態に当たるようにしてはいかがでしょうか」と。
だが、できるはずのことは、やらなければならないだろう。
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