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「求む、エロティックで解放的なミュージシャン」という広告のもとに結成されたシルヴァーヘッドは、70年代グラム・ロック・ムーヴメントの中で売り出されたバンドだった。ヴォーカルのマイケル・デ・バレスはフランス公爵を父に持つ男で、もともとは演劇を志向していたという。'67年の映画『いつも心に太陽を』ではチョイ役で出演していたりもする。ミュージカルに出演していた彼は、作曲家アンドリュー・ロイド・ウェッバーの紹介で、EMI傘下のパープル・レコードと契約する。そこは文字通りディープ・パープルが設立したレーベルだった。そして上記の広告をうってメンバーをかき集めたデバレスは、シルヴァー・ヘッドとしてデビューする。'72年のことだった。妖艶な"グラム・ロック・バンド"として売り出された彼らは当時、本国イギリスよりも日本で人気が高かったらしい。1stアルバム『Silverhead』には「恐るべきシルヴァーヘッド」なんて邦題をつけられていた(笑が、R&Bをベースにした楽曲、ツイン・ギターによるストレートなロック・サウンドは、むしろローリング・ストーンズやエアロスミスに近い。ほぼ同期であるニューヨーク・ドールズと比較されることも多く、"西のドールズ、東のシルヴァーヘッド"と言われることもあったようだ。「Hello New York」は、2ndアルバム『16 And Saveged』('73年、上ジャケット)のオープニングを飾るナンバーである。作者はマイケル本人。シングル・カットされて小ヒットも記録した、彼らの代表作だ。ストレートでいてクールな香りのするビートは、どこか挑発的。のっけから炸裂するマイケルの猥雑な歌声にゾクゾクする。そのエネルギッシュなシャウトはスティーヴ・マリオットにも迫るものだ。ギターの音はハード&ガレージでこれまた刺激的。T・レックスを粗雑にしたようなリフが、なんだか耳に残る。ベース・ラインもさりげなくキャッチーですな。サックスを吹いているのは、元キング・クリムゾンにして後にフォリナーを結成するイアン・マクドナルドだ。そういえばこの人、T・レックスの「Get It On」でも演奏していましたね^^シンプル&ワイルド、毒々しくてB級っぽさもただようこの曲は、70年代ロックの名作のひとつだと思うのですがどうでしょう?古臭さもあるにはあるが、ここにつまったエネルギーはそんなものを軽く吹き飛ばしている。お若いロック・ファンにもぜひぜひ、な一曲ですこの後シルバーヘッドは'74年に来日もするが、その直後にあっさり解散。残されたライヴ・アルバム('75年)は日本でのみの発売だった。その他にも、ブートまがいのライヴ・アルバムが日本で数枚発売されているというのも興味深い。マイケル・デ・バレスはその後、元イエスのトニー・ケイと一緒にDETECTIVEを結成。Led Zeppelinのスワン・レーベルから発売された作品は、マニアックなファンから高い評価を得ている。また、'85年にはPower Stationにヴォーカリストとして加入。ロバート・パーマーの後釜として参加したマイケルは、同年LIve Aidのステージにも立ち、それまでのファンを驚かせた。近年は役者として活動中のようだ。アルバム『16 And Saveged』は、シブくてカッコいいR&RがつまったB級風味の名盤。興味のある方は御一聴のほどを。つーコトでここをクリックだ。Hello New York!
2008.07.31
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"Retrofest 2008"出演者の中で、もうひとり気になった人を取り上げてみる。ハワード・ジョーンズだ。"エレポップ"の代表選手として、80年代の数年間に人気を博したあの人である。アルバム『かくれんぼ』と聞いて、「なつかし~」と頬をゆるませる方もいるだろう。自分の場合、ハワード・ジョーンズといえば思い出すのが高校の時の同級生だ。洋楽にはまるで興味のないヤツだったが、顔のつくりといい、逆立てたヘアー・スタイルといい、どっからどうみても"ハワード・ジョーンズ"な男がいたなぁ。当初は「現役で東大に受かる」とか言っていたが、最終的には一浪して駒沢大学に行ったというアイツだ。大仲、元気か~?'55年生まれ、イギリスはサザンプトン出身であるハワードは、'83年にシングル「New Song」でデビュー。それまでプログレやパンクなどをやっていたという彼は、デビュー時にはすでに28歳になっていたという遅咲き型である。彼の作る親しみやすいメロディとお手軽エレポップ・サウンドは時代の波にのり、1stアルバム『Human's Lib(かくれんぼ)』からは先述の「New Song」をはじめとして、「What Is Love」、「Pearl In The Shell」、「Hide And Seek」などが次々とイギリスでヒットする。シンセをひとりで演奏するハワードと、パントマイムのダンサー(これもひとり)だけで繰り広げられるというステージも話題を呼んだ。'85年発表の2nd『Dream Into Action』はアメリカでも好セールスを記録し、そこからは「Things Can Only Get Better」(全米5位、全英6位)、「Life In One Day」(米19位、英14位)というヒットも生まれている。「No One Is To Blame(悲しき願い)」は、その2ndアルバムに収められていた曲である。オリジナルは、ハワードの歌とキーボードを中心とした非常にシンプルなサウンドだったが、それにリミックスを施してシングル発売されることとなった。プロデュースをまかされたのはフィル・コリンズである。イントロのチャカポコしたビートからしてフィル色全開。そこにオルゴールのようなシンセが重なるとこなどは、なかなかにシミる。メロディはやさしくて切ない。ハワードのジェントルな歌声、やわらかなピアノにも好感が持てる。そして、ツー・コーラス目からはフィルのタイトなドラムとコーラスがおもいっきり重なり、"With Phil Collins"状態に(笑この辺は好みが分かれる所だろうが、個人的には"許せる範囲"のプロデュースだし、シングル用に加工するならこれで正解だと思う。このシングル・バージョンは、ビルボードで最高4位を記録し、ハワードにとってアメリカでの最大のヒット曲となった。また、米Radio&Record誌では1位を記録したため、同誌を基準とした「ベストヒットUSA」では"This Week's No.1"(←小林克也の声)としてこの曲が紹介されていた。当時それを見ていた僕は、「おお!ハワード1位になりやがった!」と驚いたことを覚えている。が、彼の全盛期はここまでだった。その後に出したシングル「You Know I Love You」はなかなかの佳曲だったが、a~haの「Take On Me」そっくりのPVが災いしたのか(笑)、思ったほどの成績は残せなかった(米17位、英43位)。アリフ・マーディンがプロデュースした3rd『One To One』(上ジャケット)もアメリカでのセールスは惨敗。同時に、本国イギリスでの人気にも陰りが見えはじめていた。'89年に出した4th『Cross That Line』からは「Everlasting Love」(全米12位)というヒットも生まれているものの、その頃にはすでに"過去の人"という印象になってしまっていた。そして'93年に出したベスト盤を最後にハワードはメジャー契約を失ってしまい、そのまま現在にいたる(以降の作品は自主レーベルから)。私論を言うなら、この人の本質は"エレポップ"である以上に"優れたシンガーソングライター"だと思う。だが、その部分を強調しようとした3rd以降、それと反比例するように人気が低迷していったのは皮肉だった。ハワード・ジョーンズというと、ピコピコしたシンセが愛らしい1stが代表作というイメージがあり、それはそれで間違ってないと思う。だが、「No One Is To Blame」のシングル・バージョンが入っている3rd『One To One』も捨てがたい一枚だし、4th『Cross That Line』もスルメ的味わいを持った名盤としてオススメしたいところだ。もちろん1stかベスト盤から入るのが無難だけどね。近年CMでつかわれた「New Song」なんかは若い人も知ってるだろうし。とりあえず、「No One Is To Blame」はホロリとくる名曲。つーコトでここをクリックだ。大仲ぁ、元気か~?
2008.07.30
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"Retrofest 2008"まであと一ヶ月となりましたね(8月30、31日)。このブログの読者で、行かれる方はいるのかな?Retrofestとは、英国で開催されるフェスティバル形式のイベントで、80年代に活躍したアーティストが集うのが特徴となっている。今年の主演者はバングルス、ボーイ・ジョージ、ポール・ヤング、キム・ワイルド、 10cc、ハワード・ジョーンズ、ミッジ・ユーロ、ニック・カーショウ……などなど。その中にまじって、オリジナル・メンバーで再結成されたカジャ・グーグーやブロウ・モンキーズなんて名前があったりする。ほっほう懐かしく、そして微妙にソソられますなぁ。特に後者。ブロウ・モンキーズは、Dr.ロバートことブルース・ロバート・ハワードを中心に結成されたブリティッシュ・ポップ・グループである。デビューは'84年。音楽的にはいわゆる"ブルー・アイド・ソウル"に分類されるもので、黒人音楽の影響をあらわにしたオシャレなポップ・ソングは、同時期に活躍していたスタイル・カウンシルと並べて語られることが多かったようだ。この当時は、彼らの他にもWham! カルチャー・クラブ、スパンダー・バレエ、シンプリー・レッドなど、黒人音楽をベースにしたポップ・グループが多く存在していた。その中でも、デヴィッド・ボウイ似のルックスを持つDr.ロバートは、ブラック系のレコードを三万枚所有するコレクターだそうで、そのキザったらしい雰囲気とは裏腹(?)にソウル、R&Bへのこだわりは並々ならぬものがあったとみえる。「Digging Your Scene」は彼らの2nd『Animal Magic』に収録のナンバーで、'86年に全米14位、全英12位を記録。ブロウ・モンキーズといったらコレを思い浮かべる……というかコレしか知らないという人も少なくないだろう。実際、本国イギリスはともかく、アメリカにおけるTOP40ヒットはこれだけ。その昔、洋楽デビューしたばかりだった当時の自分は、アルバム『Animal Magic』をレンタ&テープ・コピーして、この曲ばかりを聴いていた覚えがある。浅はかなビルボード至上主義だったあの頃が懐かしいなぁ弾むようなギター・カッティングではじまるこの曲。ロバートの黒人音楽に対する憧憬をダンサブルに昇華した仕上がりで、華やかに舞うストリングス、いかがわしい音色のホーンが強烈な印象を残す。何より耳をとらえるのはそのメロディ・ラインか。特に、女性コーラスが賑やかに「べぇえいべい!」とキメる部分などは無駄にキャッチーで、思わず一緒に歌いたくなってしまう。ロバートのヌメヌメした歌声、全篇にただよう下世話な雰囲気もタマりませんです。"あだ花"と紙一重のインパクトも魅力的な、ミドル'80sの名曲のひとつだと思う。その後も彼らは、よりダンサブルな「it dosent have to be that way」、メロウな「Out With Her」、そしてハウスに接近した「Wait」などの佳曲を発表。当時の英国首相だったサッチャーを(作品を通して)攻撃したり、カーティス・メイフィールドとの共演シングルを作るなど、アグレッシヴな創作姿勢を見せていくが、80年代の終わりとともに解散してしまう。Dr.ロバートはその後ソロとして活動。が、ソロ作までフォローする気になれなかった僕は、時々思い出したようにブロウ・モンキーズのアルバムを引っ張り出すだけだった。時は流れて2008年。「そういえばブロウ・モンキーズの人って、今ナニやってんだろう?」などと思っていた矢先に飛び込んできたのが、バンド再結成と"Retrofest 2008"の報なのでした同時期の80'sアーティストに比べるとどうも忘れ去られている感も強いが、彼らの音楽は本物だったと思う。今度のフェスティバルでも「Digging Your Scene」で盛り上がるんだろうなぁ(´ー`)つーコトで、ここをクリックしてブロウ・モンキーズの魅力を再確認しよう。いえーい、べぇえいべい!
2008.07.29
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「ビートルズのアルバムで、いちばん聴いた回数が少ないものは?」と聞かれたら、大抵の人は『Yellow Submarine』と答えるのではないだろうか。いや、ワタシのことなんですがねビートルズのアニメ・キャラクターを主人公とした同名映画のサウンド・トラック('69年)である。全米2位、全英4位と、現役活動中のオリジナル・アルバムでは唯一英米ともに1位にならなかった作品でもある。もっとも、制作過程やその内容(新曲は四つしかない)からして、事実上の企画アルバム以外なにものでもない事は明白。そのため、本盤をビートルズの正式なディスコグラフィーから外して考える向きもある、あるいは存在自体が忘れられている事も少なくないようだでは、このアルバムに提供された四曲のオリジナルがどれも聴くに値しないかというとそうでもない。特にジョン作である「Hey Bulldog」は、企画ものとして片付けられるには惜しい一曲。個人的には、後期ビートルズの代表作のひとつに入れたい隠れた名曲だ。レコーディングは'68年の2月11日。もともと映画のために作られた曲ではなく、「Lady Madonna」のプロモ・フィルムを撮影するために押さえてあったスタジオで即興的に録音されたものらしい。曲作り、演奏、ミックス・ダウンまで一日で終えてしまっている。その際、ジョージ・マーティン(プロデューサー)がいった言葉は「いいのが録れたら言ってくれ」だったという。それでこんな佳曲ができあがるのだから、FAB4おそるべし、である。曲はジョンの弾くピアノから始まる。シブくてリズミカル。そこにギターとベースがユニゾンで重なり強い印象を残す。ハードロック的感触を持ったこのリフが曲のキモだ。リンゴのタイトなドラムがまたカッコいいのです。ほどよい中庸さを持ったメロディもイカす。サビのコード進行はBm→Bm+5→Bm6→Bm7というさりげなく凝った作りで、ジョンの硬派なヴォーカルと絡まることによりメロディアスさと緊張感を出している。この時期の彼ならでは、といった曲作り。ポールと仲良く(?)ハモるAメロ部分もいいなぁ。間奏のギターは高音と低音のパートに分かれているが、低音のリードはおそらくジョンによるものだろう。荒っぽくネバネバした音色、フレージングはガレージ・バンドにも通じる味があり、曲に合っている。ヘタウマ風ながらジョンのフィーリングが光る、クセモノ的な演奏ですね(ポールの演奏という説もあるんだけどw)ちなみに、タイトルでもある「ブルドッグ」という歌詞は当初は存在しなかったとのこと。セッション中、ポールがふざけてやった犬の鳴き真似をジョンが気に入り、そのまま曲に取り入れたというのだ。ん~確かに即興だにも関わらず、哲学的な響きもある歌詞も含め、全体としては鋭い仕上がりになったと思う。それだけに、エンディングでの犬の鳴き真似はちょっとおちゃらけ過ぎなカンジがして個人的には残念。ジョンにしてみれば、やはり"お遊び"で録った曲だったのだろうか。そんな位置づけながらも、この曲のファンは少なくないらしく、アリス・クーパーやエルヴィス・コステロをはじめとして多くの人に歌われている。その昔放映されたジョンのトリビュート番組ではシンディ・ローパーがこの曲を歌っており、「ほえ~」などと思った記憶もある。'06年に出た企画アルバム『Love』では、リフの部分が「Lady Madonna」の曲中にサンプリングされた。なお映画『Yellow Submarine』では、四つ首ブルドッグの登場にあわせてこの曲が流れるのだが、当時の検閲にひっかかったのか、そのシーンだけカットされて上映されたのは有名なハナシ。ただし、英国オリジナル公開版ではそのシーンも含まれており、'99年のリニューアル版ではめでたく収録されることとなり現在にいたる。可愛らしくもちょいシュールなそのブルちゃん(色もブルーw)を見て、「ははあ、なるほど」と少しだけ納得したワタシでした。「Hey Bulldog」を聴くにはここをクリック!わう~、わんわん
2008.07.27
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'78年2月、アルバム『はらいそ』の録音中だった細野晴臣は、高橋幸宏と坂本龍一を自宅に招き、当時、自分が考えていた音楽コンセプトについて話す。それは「マーティン・ディニーの『Firecracker』をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」というものだった。高橋と坂本はそれに賛同し、その場でグループ結成の話が持ち上がる。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の誕生である。ヒントとなったのはクラフトワークとジョルジオ・モロダーだ。音楽的視野が広く先見性にも長けていた細野は、反復するリズムの向こうに"新時代の到来"を感じとっていたのだろう。強者(つわもの)ミュージシャン三人によってYMOは結成された。だが、デビュー当初の彼らに注目していた人はごくわずかだったという。強者といっても、当時の三人は一般的知名度が高いわけではなかったし、彼らのやろうとしている事は海のものとも山のものともつかないように思えたからだ。'78年の9月に発売された『ニュー・ミュージック・マガジン』には、「機械が歌う明日(?)の歌、現代都会人の音楽を模索するイエロー・マジック・オーケストラ」という記事が掲載されている。その記事を書いた北中正和氏は、原稿を提出する前に何度か取材を行っているが、"YMOの音楽をどう評価していいか分からないまま記事をまとめてしまった"と言っている。のちにオリコン20位まで上がる1stアルバム(ただし米国盤)も、発売当初はほとんど売れなかった。細野が頭の中で描いていたヴィジョンは、当時の日本ではそれほど進んでいたわけだ。また、自身もYMOを一種の"実験的ユニット"と考えていたようで、固定メンバーで活動をするとは思っていなかったようだ。当初のグループ名は「細野晴臣 イエロー・マジック・オーケストラ」だった。ジャケットにもメンバーの顔は写っていない。また、初期の構想では横尾忠則もメンバーのひとりに入っていたという(入れてどうするつもりだったんだろう?)。グループ名をそのままタイトルに冠した『Yellow Magic Orchestra』は、YMOの1stアルバムだ。発表は'78年の11月。最初からワールド・ワイドな活動を念頭においていたこともあり、アルバムは海外でも発売されることとなった。ちなみに、レコード会社は当初この作品をフュージョン系の音楽として売り出そうとしていたらしい。米盤ジャケット(上写真)のデザインを手掛けたのは、ウェザー・リポートの『Heavy Weather』でも知られるルー・ピーチだ。テレビ・ゲームのSEから始まるこのアルバムは、"テクノ・ポップ"という言葉がふさわしい内容となっている。もっとも、当時そのような概念はほとんど浸透していなかった。日本で"テクノ・ポップ"という言葉を最初に使ったのは、音楽ライターの阿部譲だという(シンコー・ミュージック発刊『Techno Pop』より)。言葉が世に出たのは'78年の8月。クラフトワークの音楽を紹介する際に使った表現だった。YMOの音楽はクラフトワークの影響を強く受けたものだったが、さらにディスコ的なキャッチーさと躍動感を強調した所が新しかった。コンピューター演奏による無機質感を前面に出す一方で、メロディや従来的なコード感覚も大切にしていた(特に初期)。それはまさに"テクノ・ポップ"であり、彼らの音楽が多くの人に受け入れられた最大の要因だと自分は考える。また、機械を駆使した演奏ながら、同時に人間的なぬくもりも感じられるのも見逃せない。それは、メンバーである三人がもともと肉体的なプレイヤーとしても一流だったということに起因するものだ。細野作品であり、アルバムの最後を飾る「Mad Pierrot」は、自分がもっとも好きなYMOの曲のひとつだ。同アルバムでよく知られているのは、マーティン・ディニーの「Firecracker」、坂本作曲による「東風」、高橋作曲の「中国女」あたりだろうが、本曲もクオリティ面では劣っていない。タイトルはゴダールの映画からとられた(『東風』『中国女』もそう)。この曲が生まれてから、もう30年がたつ。軽くてピコピコしたサウンドはいかにも"テクノポリス・トーキョー"だが、それでも古びた感じはあまりしない。全体にみなぎるスピード感と、耳をとらえるメロディのせいだろう。坂本によるピアノの音色も実に気持ちいい。荒削りな部分は若干あるものの、基本的なサウンド・スタイルや音楽的焦点はこの時点で既に確立されている。キッチュでカラフル、そしてポップ。三人の天才がぶつかりあうスリル、"新しい音楽"が生まれる瞬間の輝きが、東洋風のキャッチーな旋律と合わさって鮮やかに記録されている。細野がかねてから提唱していた"イエロー・マジック"とは、このことだったのだろうか。ここにつまった勢いと華々しさは、次作での大ブレイクを予告しているかのようでもある。たたみかけるような疾走感は、のちの名曲「Rydeen」と一本の線でつながっている。'79年8月、YMOは初の海外公演(チューブスの前座)を行い、大絶賛を浴びた。同年9月には2ndアルバム『Solid State Survivor』を発表。ポール・マッカートニーやマイケル・ジャクソンをはじめとして、彼らの音楽が世界のミュージシャンに刺激を与えたことはご存知のとおり。細野が思い描き、坂本、高橋ら(松武秀樹も)と共に具現化した"トーキョー発の電子音"は、日本が誇るべき音楽遺産のひとつだと思う。「Mad Pierrot」を聴くにはここをクリック!
2008.07.26
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ダニー・ハサウェイ'73年の作品にして最後のオリジナル・アルバムでもある『Extension Of A Man』(上ジャケット)は、ソウル史に残る名盤として知られる一枚だ。だが、僕がアルバムの1曲目にあたる「I Love The Lord; He Heard My Cry, Pts. 1 & 2」を初めて聴いた時には「…………何コレ?」と思ってしまった。45人編成のオーケストラによる、クラシックそのものといっていい演奏(しかもインスト)が延々と続くのだ。おいおい、これのどこがソウルの名盤やねん、と。しかし、二曲目の「Someday We'll All Be Free」へとつながる瞬間のスリルを体感した時、なんとなく納得してしまった。うーむ、1曲目はかなり壮大なイントロだったのかと。当時のソウル・ミュージックとしてはかなり斬新な発想。大学時代にクラシックを学んだというダニーらしいアイデアですね。'45年シカゴ生まれのダニーは、有名なゴスペル・シンガーだったという祖母を持ち、子供の頃から音楽に親しんで育った。そんな彼がアーティストとして世に出るのは'70年(もともとは裏方だった)。『新しきソウルの光と道』なるアルバムをひっさげてデビューした彼は、大型新人として紹介されたという。彼の音楽性は文字通り"ニュー・ソウル"と呼ばれ、同時期のマーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドと共に大きな注目を集めた。'72年のライヴ・アルバム『Live』は、名盤ガイドブックの常連として広く知られているだろう。同年発表のロバータ・フラックとのデュエット・アルバムはポップ・チャートでも大ヒットを記録した。そして、先述のアルバム『Extension Of A Man』である。「愛と自由を求めて」という邦題のついたこの作品は、ダニーにとって三枚目のオリジナル・アルバムだ。プロデュースを手掛けたのは名匠アリフ・マーディン。アレンジ面ではダニー自身も大きく関わっているようだ。「I Know It's You」はアルバムの十曲目(オリジナル盤では最後)にあたる、スケールの大きなソウル・バラードである。作者は、マーヴィン・ゲイの「I Want You」でも知られるリオン・ウェアだ。ここでは楽曲のよさもさることながら、ゴスペル、ジャズ、クラシックという音楽要素をダニー流に昇華した入魂の仕上がりとなっている。ジャジーで繊細なピアノ、甘くはかない響きを持ったストリングス、そして濃密にしてエモーショナルなダニーの歌声が胸を打つ。特に、女性コーラスと共に盛り上がるサビ部分は圧巻。なんと哀しくて美しい音楽か。黒人音楽にウトい自分でも聴くたびに体がふるえる思いだ。だが、これほど素晴らしい作品を作りながらも、ダニーは以降、創作活動をストップしてしまう。これはソウル史における大きな損失だった。その五年後にあたる'78年、ふたたびロバータ・フラックとデュエットした「The Closer I Get To You(愛は面影の中に)」が全米2位のヒットを記録する。ようやくアーティストとして復帰したと思われたダニーだったが、なんとその矢先となる'79年1月、彼はニューヨークで飛び降り自殺してしまう。33年という短い生涯だった。音楽的行き詰まりか、プライベートの悩みか。晩年の彼は、いつ自殺してもおかしくない状態に見えたという。愛と自由を求めたダニーという人は繊細でマジメすぎたんだろうな。。。フマジメな凡人のワタシは、彼の音楽を聴くたびにそう思うのでした。アルバム『Extension Of A Man』は他にも素晴らしい曲がぎゅう詰めの一枚。先述の『Live』と並んで必聴の名盤です。くわしくはここを参照してくださいな。つーコトで「I Know It's You」を聴くにはここをクリック!
2008.07.25
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前回はエドガー・ウィンターだったから、本日はリック・デリンジャーでいってみる。ソングライター、ギタリスト、そしてプロデューサーという多彩な顔を持つアメリカン・ロックの才人にして、僕が大好きなアーティストのひとりである。'47年、オハイオ州生まれのである彼のキャリアは60年代にさかのぼる。9歳でギターをはじめたという彼は、弟や近所の仲間と組んだバンド、マッコイズのメンバーとしてデビュー。'65年に発表したシングル「Hang On Sloopy」が全米1位に輝いた時、リックはまだ17歳だった。だが、マッコイズの人気は長続きせず、60年代の終わりとともに消滅する。70年代に入るとリックは、「100万ドルのブルース・ギタリスト」であるジョニー・ウィンターや、その弟であるエドガー・ウィンターのプロデューサーおよびバンド・メンバーとして活躍。ギタリスト/プロデューサーとしてふたたび脚光を浴びることとなる。スティーリー・ダンのセッションに参加するほか、プロレスラーであるハルク・ホーガンのテーマ曲を作ったり、アル・ヤンコビックをプロデュースしてデビューさせるなど、その活動は多岐にわたる。スティーリー・ダンのヒット曲「Rikki Don't Lose My Number(リキの電話番号)」('74年、全米4位)のリキとは、リックの事だという説も(真偽は不明)。また、アル・ヤンコビックの「Eat It」(マイケル・ジャクソンの『Beat It』のパロディ)でリックはギターも弾いているのだが、その元ネタ曲でソロを弾いていたエディ・ヴァン・ヘイレンはリックのファンでもあり、そのPVを見てドン引きしたというハナシも残っている。また、彼自身もアーティストとして数々の名盤を残しており、'73年のソロ・デビュー作『All American Boy』、自らのバンドをバックに録音した『Derringer』、トッド・ラングレンをプロデューサーに迎えた『Guitars And Women』などはいずれも必聴だ。「Rock and Roll Hoochie Koo」は名盤『All American Boy』のオープニング・ナンバーにして、彼の代名詞ともいえる一曲だ。プロデュースはリック自身とビル・シムジク。シングルとして発売もされて、'74年に全米23位を記録している。もともとはジョニー・ウィンターに提供された曲('70年のアルバム『Johnny Winter And』に収録)で、リックのバージョンはセルフ・カバーということになるのだが、有名なのは後から世に出たこちらの方だろう。日本では、うじきつよし率いる"子供ばんど"がカバーしており、爆笑問題の太田もこの曲のファンだというハナシを聞いたことがある(※)。ダイナミックで切れ味するどいギター・リフは、一聴して耳にこびりつくインパクトを持つ。パンチのきいたリックの歌声、体を揺さぶられるファンキーなグルーヴ、コンパクトで計算された曲作りも実にカッコいい。また、ハード・ドライヴィンな演奏ながら、同時に、クールにコントロールされた雰囲気を漂わせているのもポイントか。ホットでいて無用にアツくならない絶妙なバランス感覚は、彼のプロデューサーとしての資質からくるものだろう。間奏のギターもソツなく弾いてるし。う~ん、プロの仕事やねぇ。ギタリストとしてもさることながら、この人のツボをおさえたポップ感覚が僕は大好きだ。上のジャケット写真からは分かりにくいが、女顔の美青年(下の写真は'75年のもの)でもある彼は、天から二物も三物も与えられたお方なのである。日本での人気はイマイチのようだが、アメリカン・ロックのステキな職人さんであるこの人の音楽はもっと聴かれてもいいと思う。 リックは現在でも元気に活動中まずはこの代表曲から聴いてみようぜ!ここをクリック。ポム・スフレのメインHPではリック・デリンジャーの名盤『All American derringer』について取り上げています。※ 聴いたのはジョニー・ウィンターのバージョンらしい。
2008.07.24
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「100万ドルのギタリスト」といったらジョニー・ウィンターだが、ワシなんかはむしろ、ポップ感覚の強い弟の方が好きだ。エドガー・ウィンター。アメリカはテキサス出身のアルビノ・キーボーディストである。'46年生まれのエドガーは十代の頃から兄のバックで演奏しており、70年代に入ると自身のグループを率いて活動するようになる。ブルース&ロッキン一筋な兄に対して、弟のエドガーはポップでバリエーションのある音楽を展開していく。バンド名こそ自らの名を冠したものだったが、決して彼のワンマン・バンドではなく、そのメンバーにはロニー・モントローズやダン・ハートマンなどがいた。プロデューサーにリック・デリンジャーを迎えて作った'72年のアルバム『They Only Come Out at Night』(※)は、各人の力量が遺憾なく発揮された傑作で、ここからは「Frankenstein」という全米ナンバーワン・ヒットも生まれている。『Shock Treatment(恐怖のショック療法)』はその勢いを受けて作られた、'74年のアルバムである。プロデュースは前作に引き続きリック・デリンジャー。ここではロニー・モントローズに代わって、ギタリストとして正式加入もしている。ここに至ってバンドは、エドガー、ダン、そしてリックという歌って曲が書ける人間を三人かかえたことになる。また、前作はポップであると同時にアメリカン・ロックらしいワイルドネスと泥臭さを持っていたのだが、本作はよりキッチュでギラギラした感覚が強調されており、そういう意味ではむしろイギリス発のグラム・ロックに近い。ジャケットに映るメンバー達のファッション(化粧もしている)はそれを象徴するものだ。このアルバムは発売当時、日本でも非常に評価が高かったらしく、クイーンも傑作2nd『Queen II』と並んで音楽雑誌で取り上げられていたという。自分も"過去の名盤"集めを始めたころ、ガイドブックに載っていた本作に興味を惹かれたのだが、当時はまだ日本盤CDが出ていなかった。ネットもなかった時代に、輸入盤を求めてCD屋巡りをしたあの頃が懐かしいです^^(結局通販で手に入れた)。で、ようやく手にした本盤を聴いた時は、予想以上の内容にぶっとんだ。キャッチーでヘンテコなリフの応酬、全編に配されたポップなメロディ。「駄曲なし」という言葉がぴったりなクオリティには、タイトル通りショックを受けましたね。その中でも特に自分が好きなのは「Maybe Some Day You'll Call My Name」という曲だ。ダン・ハートマン作のミドル・テンポのバラードで、ヴォーカルもダンがとっている。メロウで分かりやすいメロディが印象を残す曲で、聴いた瞬間、歌えるようになってしまったことを思い出す。ダンの歌声も、美男子とは言えないお顔に似合わぬ流麗さ(笑リック・デリンジャーはバッキングに徹した上でいいプレイを聴かせる。そして間奏では、エドガーの弾くクラヴィネットが華麗に跳ねまわる。きらびやかなその音色はまるで宝石のようだ。「Hoo Hoo Hoo... I Love You~♪」という部分で聴けるファルセット・ボイスにもグッとくるなぁ。エドガーの演奏、リックのプロデュース能力、そして後にソロとしても活躍するダンのポップ・センスが見事に溶け合った名トラックです。この曲に限らず、アルバムの半数以上の曲はダン・ハートマンの作、リード・ヴォーカルとなっている。そういう意味ではエドガーというより"ダン・ハートマン・グループ"といった方がしっくりくるのだが(笑)、フロントマン級の才能が火花を散らすでもなく自然なバランスで同居しているところがこのグループの魅力だ。エドガーはもとより、彼の名を冠したこの"バンド"が僕は大好きですつーコトで「Maybe Some Day You'll Call My Name」を聴くにはここをクリック!気に入ったらアルバムも買おうぜアルビノ万歳!\(´ー`)ノ※ ポム・スフレのメインHPではエドガー・ウィンター・グループの名盤『They Only Come Out at Night』について取り上げています。
2008.07.23
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作った人の名前は知らない。でも曲は知ってる。アーティストの名前は忘れ去られても、音楽は残る。↑こういうケースは世の中にいくつもあるが、ヴァン・マッコイという人はその典型だろう。今や高校野球の応援歌としておなじみの「アフリカン・シンフォニー」、そして70年代ポップスのクラシックとして今も聴き継がれている名曲「The Hustle」を作った才人である。1940年、ワシントン生まれのヴァンは、四歳の頃からピアノを習い、幼くして作曲もしていた。音楽をやめていた時期もあるものの、'50年代にはドゥーワップのいくつかのグループに参加し、レコードを吹き込んだりもしている。60年代に入ってからは裏方としての活動を始め、グラディス・ナイト&ピップス、アレサ・フランクリン、スタイリスティックスといった人達に曲を提供したり、プロデュースを手掛けるなどした。ちなみに、ディスコ・ソウルのスタンダードにして、現在もテレビのCMなどで使われている名曲「Can't Give You Anything(愛がすべて)」もヴァンのアレンジによる作品だ。その一方で、70年代には裏方業と並行しながら、ヴァン自身もアーティストとして活動を始める。「The Hustle」はヴァン・マッコイ&ソウル・シティ・シンフォニー名義でリリースしたインストゥルメンタル曲で、1975年に全米1位を記録した、彼にとって生涯の名曲である。もっとも、彼はこの曲がヒットするとは全く思っていなかったらしい。「The Hustle」はアルバム『Disco Baby』を作る際、いちばん最後に録音された曲だった。当時、ニューヨークのディスコでは"ハッスル"という新しいダンスが流行っていた。ヴァンはそれをアダムス・アップルというナイトクラブのDJから教えてもらった。その後、アルバム『Disco Baby』を仕上げる段階になって、音楽パートナーであるチャールス・キップスから「ハッスルものを何か一曲作れ」と強く進言されたという。ヴァンはスタジオの余り時間を使って、文字通りの曲「The Hustle」を作ったのだった。シンプルで親しみやすいメロディ、お気楽でリズミカルな演奏は楽しいのひと言特にメイン・リフを奏でるピッコロの音色はホンワカした響きに満ちており、日頃のイヤなことを忘れさせてくれる。それだけではない。軽快なリズム・ギター、まろやかなストリングス、華を添えるホーン・セクション、そして「ドゥザ、ハッスル!」という合いの手のような掛け声など、ひとつひとつが耳に残る。同じフレーズを能天気に繰り返す構成も素晴らしい。いつまでも聴いていたいと思わされる"ポップスの魔法"がここにはある。こういう単純明快な魅力を持った曲って、今は少ないんだよなぁ。そう思いません?「The Hustle」は'75年の夏にビルボードのポップ・チャートとソウル・チャートの両方でNo.1を獲得。全世界で1000万枚を売り上げ、グラミーでは最優秀ポップ・インストゥルメンタル部門を受賞。世界中でディスコ・ブームを巻き起こすきっかけとなると共に、後世に残る一曲となった。本来はクラシックが好きで、ディスコの型にはめられる事を嫌ったヴァンは、その後もディスコ系のプロデュースをする一方で、テレビ映画のサウンド・トラックなどを手掛けたりもしている。だが彼は1979年、39歳の若さで急死してしまう。原因は心臓発作だった。世間ではほとんど"一発屋"扱いされているであろうヴァンの豊かな才能を知っている友人達は、その早すぎる死を惜しんだ。現在"お得盤仕様"で発売されている彼のベスト盤には、「The Hustle」以外にも色褪せないメロディを持った曲がいっぱいに詰まっている。つーコトで「The Hustle」を聴くにはここをクリック。わーい、ハッスルハッスル!\(´ー`)ノ
2008.07.22
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「Yesterday」を作曲したポール・マッカートニーは「Tomorrow」という曲も作っている。↑有名なのかそうでないのかよく分からない、ロック・トリビアのひとつである。"明日への希望"を歌ったこの曲は、Wingsとしてのデビューアルバムである『Wild Life』('71年)に収録された、ポールの隠れた名品だ。出だしのコード進行が「Yesterday」と同じ、ということもファンの間ではよく知られているだろう。「昨日」と「明日」の出だしが同じというシャレっ気。それでいて(一般的な意味における)両曲の知名度は天と地ほどの差がある、というのがまたイイのですね「Yesterday」がストリングスを取り入れた美しいバラードだったのに対して、「Tomorrow」は軽快なポップ・チューンというのも対照的だ。同時に、ただ明るいだけでなく、演奏にはほのかな哀愁も漂っている。曲はポールの弾くピアノで始まるのだが、きざむような音色と鍵盤を叩くような弾き方が日本のバンド、チューリップを思い起こさせる(って、逆かw)。アルバムが三日間で録音された、というエピソードを証明するようなラフな仕上がりで、素人耳にも「これ、リハーサル・テイク?」と言いたくなるようなサウンド、演奏となっている。だが、それがまた魅力となっている所が、あばたもエクボならぬポール・マジックだ。マッカートニー節全開のメロディ、よれよれな彼のヴォーカルとそれをやさしく包みこむリンダ(とデニー・レイン)のコーラスという組み合わせは、何とも温かな気持ちにさせてくれる。曲調的にはビートルズのホワイト・アルバムに入っていてもおかしくないのだが、ここには後期ビートルズにはなかった解放感がある。そしてそれは当時のポールがもっとも欲していたものではないだろうか。歌詞は、不遇時代のピカソにインスピレーションを受けて書かれたものだという。もっとも、歌い出しの「baby, don't let me down tomorrow」というフレーズからして、曲がジョンに向けられたものであることは明白。ポールは、ケンカ別れした相方に向かって暗に「仲直りしようぜ」と呼びかけているのだろう。また、「明日は晴れるといいね」「手を取り合い、悲しみを捨てて」という一節は、誤解や曲解の果てに当時メディアから集中砲火を浴びていた彼の心の叫びだったのかもしれない。だが、曲の荒っぽい仕上がりが災いして、ポールはますます叩かれることとなった。アルバムも全米10位、全英11位と、当時の基準としては商業的失敗に終わり、「ポール・マッカートニーはもう終わりだ」とまで囁かれたという。アーティストというのは、多かれ少なかれ孤独だ。ポールも例外ではないと思う。クリエイターゆえの苦しみ、理解されないことの辛さ。ただ、彼は苦悩をおもてに出すタイプではないし、ソロ以降顕著になる"おセンチで甘い作風"が能天気なイメージに拍車をかけた部分もあったのだろう。人は、彼の"悩める天才"の部分に気づきにくいのだ。そういう意味でポールは長島茂雄と同じタイプであると共に、ジョン・レノンとは対照的だったと思う。ポールの義父であるリー・イーストマン(リンダの父)はこの曲のファンだったらしく、ポールは「もういっぺん録音したらどうかね。君はこの曲を放棄してしまったけど、作り直すだけの価値はあるよ」と常々言われていたという。なるほど、うなづける話だ。それでも僕は、曲自体はもちろん、このバージョンが大好きだ。完成度が高いと言えばウソになる。だが、デモテープ・レベルの演奏とすき間だらけの音作りからにじみ出る"何か"は、今も風化していないように思う。ポール自らが「マニア向け」と呼ぶこの曲は、のちに70年代ポップ・アイドルとして知られるデヴィッド・キャシディーがカバー。2001年に発売された二枚組ベスト・アルバム『Wingspan』にも、"ポールお気に入りの曲"としてディスク2に収録された。「Tomorrow」を聴くにはここをクリック!あした天気になぁ~れっ
2008.07.20
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今年で五十の齢(よわい)を迎え、先日は新作『22 Dreams』を発表したポール・ウェラー。彼のキャリアは、大別して三つに分けられる。90年代以降のソロ、スタイル・カウンシル、そしてThe Jamだ。どの時期のウェラーにも違った良さがあるが、あえて言うなら「ジャムが一番いい」という人も少なくないだろう。実際ジャムの曲は、今聴いても単純に「カッコいい!」と言いたくなるものが多い。ワタシなんかも「Eton Rifles」や「Going Underground」を聴いてひとりでヘッド・バンキングしたものです。ハイッ!にも関わらず、ウェラー兄貴のソロ・ライヴでジャムの曲が演奏される割合はあまり多くない。ソロの曲だけでも充分なステージが出来るという自負からだろうか。あるいは、今の自分の立ち位置(年齢?)からしてジャムの曲は似つかわしくない、ということだろうか。それはソレでごもっともなのだが、あれだけ名曲があるのにもったいないねとも思う。そんな中で「Town Called Malice」は兄貴のライヴ・レパートリーとして演奏され続けている、数少ないジャムの曲のひとつだ。邦題「悪意という名の街」。'82年のラスト・アルバム『The Gift』(上ジャケット)に収録。同年の1月に先行シングルとしてリリースされ、全英1位を記録した後期の代表作である。作詞、作曲はもちろんウェラー。よく知られているように、この曲はシュープリームスの「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」のリズム・パターンが下敷きとなっている。お約束だと分かっていても、イントロを聴いて腰がムズムズしてしまうのは僕だけではなかろう。ちなみに、同じ'82年にはフィル・コリンズがずばり「You Can't Hurry Love」をカバーしてヒットさせていたり(全米10位、全英1位)、さらにはホール&オーツの「Maneater」(過去ログ参照)がヒットするなど、このリズム・パターンがちょっとしたブーム(?)となっている。この時期のジャムはよく「スタカンの予行演習」みたいな言い方をされ、多様化するウェラーの音楽性にリズム隊がついていけてないという指摘もされる。だが、この曲での力強い演奏を聴くと、とてもそんなコトを言う気になれない。オルガンで味付けはされているものの、パンク的な荒々しさを残したこの躍動感はまぎれもなくジャムだ。特にリック・バックラーのタイトなドラミングは素晴らしい。ウェラー兄貴の歌唱もアグレッシヴだ。それでいて初期のような硬さがとれて聴きやすくなっている。反面、メロディの輪郭が思いのほかボヤけており、楽曲自体は若干弱い印象があるのが難点か。が、それも演奏の勢いで帳消しにされているし、「ぱっぱっぱらっぱ~」というスキャットには胸おどるキャッチーさがある。ブルース・フォクストンによるベース・ラインもごきげん 彼のコーラスも含め、ジャムならではの名ポップ・ソングに仕上がっていると思う。ジャムは一般的に"パンク"のカテゴリーに入れられることが多く、当時から"ロンドン五大パンク・バンド"のひとつに入れられていた。だがそれは、ウェラーの世に出るタイミングがその時のムーヴメントと重なっていただけであって、彼の才能はパンクにとどまるものではなかった。「Town Called Malice」発表当時の「14歳の頃からモータウンをやっていた、そこに戻ったんだ」という発言はそれを裏付けるものだ。後期のライヴではカーティス・メイフィールドの「Move On Up」をカバーしている。彼の行き着く先がスタイル・カウンシルというのも当然だったのだろう。かく言う自分も昔はビート信仰みたいなものがあったため、ジャムといったら1stから4thあたりまでの曲をよく聴いており、後期の作品はスルー気味だった。だが、歳を重ねるにしたがってこの時期の曲が好きになってきている。アルバム『Gift』は若干チグハクな部分も見られるものの、充分いい出来だと思うし、「もうちょっとこの三人でやってもよかったんじゃないの~?」なんてことも思ってしまうが、それを言うのは野暮というもの。ここでやめておいたからこそ、ジャムは美しい伝説となったのでしょう。直球パンク・バンドから出発し、紆余曲折を経て自分流のソウル・ミュージックを作り上げたウェラー兄貴。「Town Called Malice」は、彼の過去と現在を結ぶ忘れがたい一曲だ。今年のサマーソニックでも、コレを演奏してくれるのかな?つーコトで「Town Called Malice」を聴くにはここをクリック!ぱっぱっぱらっぱ~♪
2008.07.19
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1967年11月、新作アルバムのレコーディング中だったThe Byrdsからデビッド・クロスビーが脱退する。正確に言うなら解雇である。クロスビーと一緒にバンドをやることが無理だと判断したロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンが、22000ドルの退職金(?)を差し出してクビを言い渡したのだという。それは、自分のやりたいこととバンドの方向性が噛み合わなかったクロスビーにとっても望むところだったに違いない。シャレなのかあてつけなのか、完成したアルバム『The Notorious Byrd Brothers』のジャケットには、本来いるべきクロスビーの代わりに馬が写っていたw(上写真の右側に注目)「Goin' Back」はデヴィッド・クロスビーがグループを離れる原因のひとつとなった曲である。フォーク・ロック・バンドとして成功を収め、サイケデリック時代の中で次の方向性を模索していたバーズは五作目のアルバムとなる『The Notorious Byrd Brothers』で今までとは違うアプローチを取ろうとする。選曲の傾向も変わってきた。それまではボブ・ディランの作品をカバー曲として取り上げていたのだが、ここでは代わってキャロル・キング=ジェリー・ゴフィンの作品を二曲取り上げている。「Goin' Back」はそのうちのひとつで、クロスビーが「ポップ過ぎる」といってレコーディングに参加しなかったという。彼抜きで録音された「Goin' Back」は、アルバムに先駆けた'67年10月にシングル発売された。ソフトなヴォーカルにポップな楽曲、サイケとフォーク・ロックが程よく混ざり合ったドリーミーな演奏がまどろむような気分にさせてくれる。特に「ラララ…」という優しいハーモニーが広がるスキャット部分は、聴くたびに心が癒される。ほとんどソフト・ロックと言ってもいい仕上がりを見せているこの曲は、彼らの作品の中でもベストのひとつに挙げられるものだ。だが、チャート的には最高89位(米ビルボード誌)と、それまでのバーズのシングルとしては最低の成績を記録してしまう。それまでとは違うサウンドを当時の世間が受け入れられなかったのか。ある意味クロスビーは正しかったということになるのだが、「Goin' Back」の素晴らしさはむしろ次世代の(特にポップス系の)ファンに理解されることとなる。良い楽曲と的確なアレンジ、常に新しい音楽を追求しようとする彼らの姿勢が生んだ傑作と言いたい。なお、プロデュースを手掛けているゲイリー・アッシャーは、同時期にサジタリアスというグループも手掛けており、そのアルバム『Present Tense』はソフト・ロックの名盤として名高い一枚である。「Goin' Back」を気にいられた方は、そちらを聴いてみることもオススメしたい。つーコトで「Goin' Back」を聴くにはここをクリック!lalalala...lalalalalala...バーズに関する過去ログはこちら。※ ポム・スフレのメインHPではバーズの名盤『The Notorious Byrd Brothers』(名うてのバード兄弟)について取り上げています。
2008.07.18
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フレーミング・リップスというバンドは特別好きなワケでもないが、この曲は別格だ。「Race For The Prize」。'99年のアルバム『Soft Bulletin』の冒頭を飾るリリカルなナンバーで、このバンドの代名詞といえる名曲である。その年に出会った曲の中では、個人的ベスト5に入る一曲でもある。フレイミング・リップスはウェイン・コイン(ギター、ヴォーカル)とマイケル・アイヴァンス(ベース)を中心に1983年米はオクラホマにて結成。1984年に自ら立ち上げたレーベルからEPでデビューしている。80年代はインディを通して活動し、4枚のアルバムを発表。'92年にワーナーと契約し、メジャー・デビューを果たす。自分が初めて聴いたリップスの曲は、'93年のシングル「She Don't Use Jerry」である。簡単に言うと、「ポップ寄りのヘタウマ系ガレージ・バンドだな」という印象だった。時代が時代だっただけにオルタナ/グランジの香りもあった。アルバム『Transmissions from the Satellite Heart』('93年)も評価が高く、自分も「悪くない」とは思ったが、だからといってさほど興味をひかれるほどでもなく、リップスのことはそれっきり忘れていた。自分がリップスと再会することになるのは、それから六年後だ。先述のアルバム『Soft Bulletin』がそれだ。メジャーからの5枚目、インディ時代から数えて通算9枚目のオリジナル・アルバムである。当時レッチリやベック、ジャミロクワイなどの新譜を聴いていた自分は、リップスについては「ふーん、まだ頑張ってるんだ」くらいにしか思わなかったのだが、そのアルバムはやたらと評判になっているので聴いてみることにした。で、アルバムの冒頭を飾る「Race For The Prize」である。相変わらずの、ゆるゆる系オルタナ・ロックなのかな、と思ったらみごとに違った。カウントする声に続いて流れてくるのは、硬質で力強いドラムと、あふれ出るようなストリングスだった。聴いた瞬間、「おお!」と思いましたね。こいつら化けやがったな、と。この曲の印象を一言で表すなら、それは「美しい」である。メロディがよく出来ている。もちろんそれもある。が、ソフトでクネクネしたシンセ・ストリングスと、ヘタウマをひきずったガレージ・サウンドの組み合わせは白昼夢のようだ。そこにウェイン・コインの頼りない歌声が重なった時、なんともストレンジで愛おしいリップス・ワールドが完成する。それでいて全体の印象はスケール感があり、とてもキャッチーなのだ。無垢でキラキラとしていて、どこか哀しい響き。「ポップ・シンフォニー」と呼んでもいい趣はビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』に通じるものがある……かも。胸を揺さぶられる、極上のリップス・ナンバーです。アルバムには他にも「A Spoonful Weighs A Ton」、「Gash」、「Feeling Yourself Disintegrate」など、哀しくて美しい佳曲がてんこ盛り。試聴をしてみて気に入ったら、聴いてみそ。リップスはもちろん今でも元気に活動中さつーコトで「Race For Prize」を聴くにはここをクリック。ええ曲や~
2008.07.17
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昨年('07年)発表されたイーグルスの再結成アルバムにも、しっかりと参加していたジョー・ウォルシュ。といっても、この人はバンドのオリジナル・メンバーではない。加えて、参加したオリジナル・アルバムも先述の再結成盤のほかには、例の『Hotel California』と『The Long Run』という後期二枚だけである。そんなコトもあって、かつての自分はジョー・ウォルシュのことを「イーグルスに参加したおかげで有名になれたんでしょ? よかったね、プッ」とか思っていたのだが、全然そうじゃなかったこの人ってイーグルスよりも先にデビューしていて、評価もしっかりと固まった実力者だったんですね。あ~ハズカシ。。。ジェイムス・ギャングは、そんなウォルシュにとってキャリアの第一歩となったハードロック・トリオである。結成は'66年、出身はアメリカのオハイオ州。ジョーがバンドに加わったのは'68年で、メンバーが三人となった(多い時には五人いた)'69年にデビューしている。プロデューサーは、のちにイーグルスも手掛けるビル・シムジクだった。1stアルバムを発表した後、ベーシストがデイル・ピーターズに交代し、黄金のトリオ編成ができあがる。'70年に発表された2nd『Rides Again』は、ハードロック、ファンク、アコースティックの要素を絶妙にブレンドした傑作で、この時点でジョーがアメリカン・ロックにおける重要人物のひとりであることが示されていた。ここからは、現在も残る名曲のひとつ「Funk#49」も生まれている。'71年には文字通りのサード・アルバム『Thirds』(上ジャケット)を発表。「Walk Away」はそこからのシングル・ナンバーで、チャート的にはたいした成績を残せなかった(全米51位)ものの、70年代初期のハード・ロックとしては最良の一曲となっている。イントロから、ジョーのギターが豪快に鳴り響く。ギブソン・レスポールによるぶっとい音色。コード主体のギターワーク、リズムをガシガシと刻む弾きっぷりがカッコいい。ピート・タウンゼンドやジミー・ペイジが惚れたというのもよく分かるグレイトなプレイだ。ジョーのワイルドな声、迷いのない歌いっぷりにも胸がすく。明快でアッパーな響きを持つメロディも、いかにもアメリカン・ロック的だ。そして、シンプルにしてダイナミックな演奏はトリオ編成ならではのもの。ベースとドラムの力量もかなりのもので、骨太なグルーヴや重量感など、クリームやBB&Aにも劣らない最高のアンサンブルとなっている。どれをとっても文句なし。威勢のいいバンド名にふさわしい、アメリカン・ハードロックの名演です。ジョー・ウォルシュはこの後、ライヴ盤を一枚発表してバンドを脱退。ソロ活動(バーンストームを含む)を経て、イーグルスに加入する。残されたメンバーはその後、ドミニク・トロイアーノやトミー・ボーリンをギタリストに迎えてジェイムス・ギャングを存続させていった。トミー・ボーリン在籍時のアルバム『Bang』も聴き逃せない佳作だ。バンドは'77年に一度解散したものの、90年代後半からはジョーを含む黄金期のメンバーでリユニオンし、ライヴ活動を行っている。イーグルスの再結成にも参加したりと、忙しい人ですねジョーさん…(^o^)つーコトで「Walk Away」を聴くにはここをクリック。映像は「Beat Club」から。大音量で聴こうぜ!
2008.07.16
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クラフトワークというグループを形容するときによく使われる表現は"テクノ・ポップの父"である。若い人向けに言うなら「Perfumeのおじいちゃん」といったトコロか?そしてそのイメージは、出世作にして全米第5位を記録した名曲「Autobahn」('74年)や、代表作とされるアルバム『Trans Europe Express』('77年)あたりから来ているものだろう。もっとも、反復するシンセのリズムをポップ・ソングとして初めて使ったのは彼らではない(※)し、全盛期である70年代にはむしろ「ジャーマン・プログレ」と呼ばれることが多かったらしい(というか当時は『テクノ・ポップ』という言葉がなかった)。が、クラフトワークがいなければデヴィッド・ボウイの名盤『Low』や『Heroes』は生まれなかったし、YMOが存在したかどうかも定かではない。ヒップホップへの間接的な影響なんかも考えると、やはり彼らにはそのような栄誉ある称号(?)が贈られてしかるべきだと思う。反面、新しいものを作ったイノベイター、あるいは時代の先端を走ってきた者は、時代に追いつかれた時を境にして輝きを失っていく事が少なくない。クラフトワークは悲しいかなその一例だったように思う。'78年に発表された『The Man Machine』(上ジャケット)は、傑作の一枚であると共に彼らが"時代"に追いつかれる瞬間を記録した作品である。本作の邦題は「人間解体」。ロシア構成主義風のジャケット・デザイン、自分達をロボットに見立てたイメージ戦略、そして無機質さを強調した音楽性は当時「文明社会への警鐘」とかなんとか言われたらしい(笑モミアゲを落としたヘア・スタイル、赤で統一したファッションはまんまYMOに影響を与えた。ちなみに、自分が持っているCD盤のレビューを書いているのは"メタル・ゴッド"こと伊藤政則だ。ほげーそのオープニングを飾る「The Robots」はアルバムを象徴するナンバーであり、クラフトワークの代表作とされる一曲である。ジャーマン・プログレの名残を残したイントロには一瞬、緊張感が漂う。が、メインとなるそのサウンドは、現在の耳で聴くと見事に古臭い(笑だが、"古臭い"ということと"音楽として魅力がない"ということは必ずしもイコールにはならない。あまりにもベタなロボット・ヴォイス、ピコピコしたテクノ・ビートは、チープながらアナログ的な温かみを感じる。シンプルで音の薄いプロダクションは、現在のテクノとは似て非なるものだ(つーか似てない)。メロディは単純で同じフレーズを淡々と繰り返すだけだが、気がつくと一緒に口ずさんでいたりもする。言ってみればポップなのだ。それもある意味能天気な。それでいてジャーマン・ロック特有の冷たさを持っている所がミソですね。サンダーバードみたいな雰囲気を持ったPVにも萌えです。う~ん、れとろふゅ-ちゃー(←棒読みこのアルバムの同年にはYMOがデビュー。'77年にデビューしたウルトラヴォックスは、傑作3rdアルバム『Systems Of Romance』を発表。さらにはディーヴォ、OMD、ヒューマン・リーグなどの台頭もあり、テクノは次世代の者へとバトンが渡されることとなった。一方、クラフトワークの方は、サウンドに軽快さを増した傑作『Computer World』を'81年に発表する。当時のメディアからは酷評されたという作品で、クラフトワークの代表作として挙げるには個人的に違和感が残るものの、今の若いテクノ・ファンが聴くならむしろこちらがオススメだろう。が、5年のインターバルを置いて発表した『Electric Cafe』('86年)は、悪い作品ではなかったものの、その時は"時代に置き去りにされた"という感が強かった。以後は10年以上も作品の発表がなく(既発表曲のリミックスはあった)、そのまま「過去の偉人」として消えていくかと思われたクラフトワークだったが、20世紀の終わりに万博のテーマ曲、その名も「EXPO 2000」を発表。開き直りとも伝統芸ともとれるサウンド、楽曲には誰もが拍手を送った(良くも悪くもだが)。そして'03年には17年ぶりとなる新作アルバム『ツール・ド・フランス』をリリース。「偉大なるマンネリ」にほんの少しの現代風味をまぶした内容には思わず「頑張れー」と言いたくなりました'05年にはライヴ・アルバムもリリースし、「現役」をアピールする元祖テクノ親父たち。温故知新も含め、まずは70年代の作品から聴いてみよう!つーコトで「The Robots」を聴くにはここをクリック。We Are The Robots...※ シーケンス・リズムを初めてポップ・ロックに活用したのはThe Whoだと思われる。
2008.07.15
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ポール作の素朴で美しいアコースティック・バラードである。演奏時間はわずか1分45秒。インド滞在中に書かれた曲らしく、'64年の「I'll Follow The Sun」を発展させたような作風となっている。ホワイト・アルバムは"小粒な名曲"の宝庫であり、ポールの作品で有名なものといったら「Blackbird」になるのだろうが、本作も決してヒケをとらないチャーミングな一曲だ。ジョンとリンゴが録音に参加しているものの(ジョージは不参加)、プロデュース的な部分も含めてほとんどはポールひとりで仕上げており、そうした意味では彼のソロに近い。のちの愛妻リンダに捧げた最初のラヴ・ソング、という内容がよけいそんな印象を強くしている。非常にシンプルな演奏ながら完成までに67テイクを経ているという、なかなかの労作でもある。あざとさのない美メロ、マイルドで淡々とした歌唱がとても味わい深い。アコースティック・ギターの演奏もポール本人によるもの。やわらかな響きを持ったコード・カッティング、オブリガートのフレーズひとつとっても彼の素晴らしいセンスが堪能できる。ポール、ギターうまいです(ビートルズの中でのハナシね笑)。ちなみに、The Carsのヒット曲「My Best Friend Girl」('78年)には、「I Will」のギター・フレーズによく似たリフが出てくるのが面白い(偶然だろうけど)。そして、なんといっても最高なのはそのベース音だ。これは彼の"口"から発せられている音(つまりマウス・ベース)で、洒落っ気と人間最古の楽器である「声」の魅力を感じさせてくれるアイデアである。かといって、それが特別な効果をあげているとも思えない(笑)のだが、まあこういう発想がポールらしいというコトでジョンによる軽めのパーカッションも個人的にはツボ。ポンポコした音色がお気楽さを強調していてナゴみますね。後半から出てくるハーモニーは、ポールの多重録音ヴォーカルによるもの。エンディングでの、ちょっぴりもの悲しいスキャットにホロリ。「もうワン・フレーズ聴きたい」と思わせる所であっさり終わるという作りもウマいなぁ。「Yesterday」や「Hey Jude」などは確かに名曲だが、むしろこういう"ひと筆書き"風な作品にこそ彼の天才性が表れていると思う。何度聴いても飽きない味わいを持ったこの曲は、まさにポールの裏名曲と呼ぶにふさわしい。近年のライヴでも歌ってくれているのは嬉しいかぎりだ。なおホワイト・アルバムには、ジョンのアコースティックな名曲『Julia』も入っているのだが、ディスク一枚目の最後にその二曲が肩を寄せ合うように並べられているという構成がなんとも泣かせてくれる。また、『Beatles Anthology』のTVドキュメンタリーでは、ポール、ジョージ、リンゴの三人が一緒にインタビューを受けるパートがあり、その中でジョージが「I Will」をウクレレで演奏し、ポールと一緒に歌うという忘れがたい場面もあった。「I Will」を聴くにはここをクリック!Who knows how long I've loved you...
2008.07.13
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"偉大なるロックンロール詐欺"直訳すると、そういうコトだ。素晴らしい表現である。破壊力あるR&Rと"やらせ"たっぷりのプロモーションでムーヴメントを作り出し、そしてあっという間に消えたこのバンドにぴったりではないか。そうともさ。ロックなんてそもそも高尚なものでもなんでもないし、僕らが信じているものの大半はデッチ上げであり幻想なのだ。音楽はもちろん、セックス・ピストルズの言動やエピソードについては、あらためてここで触れるまでもないだろう。彼らの音楽は本物だったが、それだけで売れるほど世間は簡単じゃない。ピストルズの仕掛人であり、かつてニューヨーク・ドールズのマネージャーも務めていたマルコム・マクラーレンはそれを分かっていたし、流行は"作られるもの"であることも知っていた。マルコムの二枚舌と巧妙な戦略は、バンドの個性や当時の世間的(あるいは音楽的)状況と有機的に結びつく。結果、ピストルズはセンセーションを巻き起こし、そして頂点に達した所で自爆した。アルバム『Never Mind The Bollocks』が日本で発売されたのは'78年の1月だ。だがその時には、ジョニー・ロットン(Vo)の脱退によりバンドの実質的な生命は既に尽きていたのである。にも関わらず、商魂たくましいマルコムはさらにピストルズを利用しようとする。'79年、ジュリアン・テンプルを監督とした映画『The Great Rock'n Roll Swindle』が公開された。マルコムを語り手とした「ピストルズのドキュメンタリー」とされる内容で、後にマユツバ(全てではないが)であることが判明するまでもなく、インチキ臭さが全篇に漂うバカバカしくておかしい作品となっていた。「The Great Rock'n Roll Swindle」はそのタイトル曲だ。同名のサウンドトラック・アルバムに収録。クレジットはスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、そしてジュリアン・テンプルとなっている。歌詞はともかく楽曲面で中心となっているのはおそらくスティーヴだろう。「Anarchy In The UK」、「God Save The Queen」といった有名曲を作ったのはグレン・マトロック('77年2月に脱退)だったが、スティーヴのポップ・センスもなかなかのもの。そのことがよく分かる一曲だ。反面、演奏こそスティーヴ、ポール、シド・ヴィシャス(※)の三人が担当しているものの、ヴォーカルは、テキトーに集められたガキ共に代わるがわるとらせるというフザケたものでもある。映画では「誰でもピストルズになれる」というフレーズのもと、オープニングで小気味よく流れていた。曲はスティーヴのギターを軸として、ストレートに演奏される。ジョニー・ロットンのいないピストルズ。当然ここには緊張感もオーラもない。ヴォーカルも、テンポール・チューダー他そこらへんのガキ共に歌わせただけあって、本来ならとても聴けたものではないのだが、コミック・ソングだと思えばこれもアリだし、このいい加減ぶりが楽しさを醸し出していることも事実だ。何よりメロディは親しみやすいし、演奏にも躍動感がある。特にタイトル・フレーズを連呼するラスト部分はキャッチーさと賑やかさにあふれており、思わず一緒になって歌いたくなってしまう。曲自体はいいと思うだけに、企画モノとして片付けられてしまったのが残念。しかし、このアホらしさもまたピストルズだ。'79年10月にはシングル発売もされ、全英21位まで上がる中ヒットとなった。'94年に発刊された『ロック・オルタネイティヴ』という本の中で、ライターのひとりである北中正和氏は「往年のパンク・バンドの再結成が相次いでいるが、ピストルズだけはそんな事をしないでほしい」と書かれている。おそらく多くの人が同じことを思っていただろう。だが、彼らはそれをやってしまった。1996年、ピストルズはオリジナル・メンバーで再結成し、"集金ツアー"と釘打って来日までしてしまった。彼らは"伝説"であり続けることよりも、「ジジイになって帰ってくる」ことを選んだのだった。新曲は作らず、言い訳めいたことやキレイゴトを一切言わない姿勢もいさぎよかった。ロックの歴史をひっくり返し、多くの人間に幻想を抱かせ、そしてそれを自らブチ壊したセックス・ピストルズ。まさに偉大なるロックンロールの詐欺師。そういえばジョニー・ロットンが脱退前日のステージで、観客に向かって最後に言った言葉は「アーハハハハ、ダマされた気分はどうだい?」だった。んでもって、死にかけたロックを蘇生させた張本人のひとりにも関わらず、脱退時のコメントは「ロックは死んだ」だったっけか。メンバーの歳が五十を過ぎた2007年、ピストルズは二度目の再結成を果たす。そして今年の八月には「サマーソニック・フェスティバル」の参加バンドとして、彼らはふたたび日本の地を踏む。もう「勝手にしやがれ」ですな。アーハハハハステージの幕開けにはぜひ「Great Rock'n'Roll Swindle」を演奏してほしいと思うワタシでした(ありえないだろうけど)。つーコトで「The Great Rock'n Roll Swindle」を聴くにはここをクリック。クソジジィ共に乾杯!※ シドは実際には演奏してない可能性もある
2008.07.12
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三年くらい前だったか。車かなんかのCMでドノヴァンの「Sunshine Superman」が流れていた時には「おろ?」と思ったものだ。なぜ今ドノヴァン?などと思いつつも、曲と映像がマッチしたCMには妙に感心したりもした。あれでドノヴァンに興味を持った人って、どのくらいいたのだろうか?↓つーコトで本題。スコットランド生まれのシンガーソングライター、ドノヴァン・フィリップス・レイッチのキャリアは「イギリスのボブ・ディラン」と呼ばれるところから始まった。'46年生まれの彼は、'65年に「Catch The Wind」でデビュー。同曲はイギリスで4位、アメリカでも23位を記録するヒットとなる。ヴォーカルや演奏スタイルはもちろん、デニムの帽子をかぶり首からハーモニカをぶらさげるその姿まで、当時のドノヴァンは確かにボブ・ディランそのものだった(この時期、ボブ・ディランの映画『Don't Look Back』にも出演)。だが、彼の本領は「ディラン・フォロワー」のレッテルを自らはがす事で発揮されることとなる。先述の曲「Sunshine Superman」がそれだ。プロデューサー、ミッキー・モストと組んだこの曲は、メルヘン的な世界観、フォーク+サイケ+無国籍リズムが一体となったユニークなポップ・ソングで、'66年に全米1位、全英2位を記録。名実共にドノヴァンの代表作と言える一曲となった。なおこの曲でギターを弾いているのは、スタジオ・ミュージシャン時代のジミー・ペイジである。その後もドノヴァンは、「Mellow Yellow」、「There Is A Mountain」、「The Hurdy Gardy Man」などのヒットを連発。'68年にはビートルズのインド旅行に同行してジョンにギター奏法を教えるなど、60年代音楽を語るに際して欠かせない人物のひとりとなった。ステージいっぱいに花を飾り、おとぎ話のような歌を歌った彼の姿勢は、ラブ&ピースなその時代にぴったりなものであり、「現実逃避者」と批判されることもあった。70年代に入ってからは商業的成功と無縁になったというハナシも、彼のキャラや音楽性を考えれば頷けるものだ(ただし今も現役であり、一部での人気は根強い)。そんなドノヴァンの歌で自分が一番好きなのは「Catch The Wind」である。ただし、ヒットを記録した'65年のバージョンではない。'69年発表のベスト盤『Greatest Hits』(上写真)をリリースする際に改めてレコーディングされたリメイク・バージョンの方だ。オリジナルはボブ・ディラン風の弾き語りだったが、ここではバンドを従えての演奏であり、歌い方も変わっている。ゆったりとしたコード・ストローク、やわらかで丸みのあるピアノ、包みこむようなコーラスが何とも安らかな気持ちにさせてくれる。ポップで落ち着きのあるメロディも、じんわりと胸にしみこんでくる。そして、優しくてどこか浮遊感をたたえたドノヴァンの歌声はとても魅力的。「風をつかまえる」なんてファンタスティックなフレーズを持つこの曲は、聴いているとそのままメルヘンの世界へ行ってしまいそうな気にもなる素敵なドノヴァン・ソングです(歌詞の内容自体は、メルヘンとは微妙に違うわけだが)。なお、アメリカで高いセールスを記録した『Greatest Hits』は選曲も的確で、ドノヴァン入門編に最適な一枚と言える。だが、'99年に発売されたリマスターCDは曲数は増えたものの、「Catch The Wind」と「Colours」の再録バージョンが'65年のオリジナル・バージョンに差し替えられてしまったのが残念。結果、再録バージョンを手軽に聴けるコンピものは現在は見当たらないのが現状だ。ゆえに、曲数は若干少ないものの『Donovan's Greatst Hits』を購入するなら旧規格のCDの方をオススメしたい(入手困難?)。でもそれだと、ジェフ・ベック・グループと共演した名曲「Barabajagal (Love Is Hot)」が聴けないんだよなぁ。。。とりあえず「Catch The Wind」を聴くにはここをクリック。 もちろん再録バージョンの方。ベスト盤が気に入ったらオリジナル・アルバムも聴いてみようぜ!
2008.07.11
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70年代も明けたころ、それまで五年間音楽活動を停止していたジョン・レノンは新作アルバムのレコーディング(=Double Fantasy)を開始する。B-'52sは、そのきっかけのひとつとなったグループらしい。彼らのデビュー曲「Rock Lobster」('79年)での女性ヴォーカルの声は、オノ・ヨーコそっくりだ。それを聴いたジョンは、ヨーコに向かって「世間は君の音楽を受け入れる準備ができたようだ」と言ったという。もっとも、自分がその逸話を知ったのは90年代に入ってからのことで、80年代の終わりにB-52'sの「Roam」や「Deadbeat Club」を聴いた時には単純に「いい曲だなぁ」と思ったものだった。B-52'sの結成は'76年。ケイトとシンディという女性ヴォーカルふたりと男性ヴォーカルひとりをフロントに据えた編成で、バンド名は女性メンバーの髪形の俗称からつけられたという。奇抜なファッション、50~60年代音楽をエキセントリックに再構築したサウンドが特徴の彼らは、いわゆる"ニューウェイヴ"のカテゴリーに分類された。'79年のデビュー以降、本国アメリカよりもイギリスの方で人気が高く、商業的には中堅クラスながらも順調にアルバムを発表していく。自分が初めて聴いたB-52'sのアルバムは、5枚目(ミニ・アルバムを入れると6枚目)にあたる『Cosmic Thing』(上ジャケット)だった。'89年発表。メンバーの急死(リッキー・ウィルソン)を経て制作された作品である。プロデューサーにナイル・ロジャースやドン・ウォズを迎えたこのアルバムは、全米4位、全英8位とグループにとって最大のヒット作となった。彼ら本来のキテレツな味わいを微妙に残した上で"フツーに良質なポップ・ソングでまとめた"感じの内容となっており、チャートでトップ3に入るシングルも二曲生まれた。「Roam」はそのひとつ('90年、全米3位)で、自分がもっとも好きなB-52'sの曲である。ハッピー&キッチュな響きに満ちたイントロからして、もうタマりません。リヴァーブを効かせたギター・サウンドと軽快なビートに乗っかって、ケイトとシンディが陽気にチャーミングに歌う。メロディは分かりやすく、サビの部分などは思わず一緒に口ずさんでしまうくらいのポップ度の高さ。後ろで鳴る手拍子も能天気でヒジョーによろしい。ビデオ・クリップが輪をかけて楽しいこの曲は、まさしくB-52's印のポップ・ソング。シンプルでトボけた味わいも素敵じゃありませんか。パーティーな気分になりたい時、あるいはイヤなことを忘れたい時に最適な一曲ですこの後、グループからシンディが脱退するも'98年に復帰。日本での人気はイマイチながら、向こうではアリーナ・クラスのライヴ・バンドだという。今年の三月には16年振りのオリジナル・アルバム『Funplex』を発表して、健在ぶりを示すB-52'sなのでした。"生涯ダンスバンド"を自認する彼らの姿勢が大好きなワタシです。つーコトで「Roam」のPVはここをクリック!なぜか日本の特撮ヒーローが出てきます(分かるかな~?)。
2008.07.10
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70年代前半の日本といったら、ロックに関しては"黎明期"であり、まだまだ英米を追いかけている状態だったというのが一般的な見方だろう。そんな中にも「すげぇ!当時の日本にもこんなヤツらがいたんか!」と思わされるバンドはいくつもある。外道は間違いなくそのひとつだ。エムというグループで活動していた加納秀人(Vo,G)が、青木正行(b)、中野良一(dr)と共に結成したトリオ編成のバンドである。90年代に少年マガジンで連載されていた『疾風伝説 特攻の拓(ぶっこみのたく)』には、「鳴神秀人」という加納をモデルにしたキャラクターが登場しており、その鳴神が率いていた暴走族の名前がまんま"外道"だったりする。彼らのデビューは'73年。バンド名は、加納が警官から「この外道!」と叫ばれたことから命名されたという。シンプルで破天荒な音楽性を持つ彼らには暴走族のファンが多く、コンサートには何百台というバイクが集まったりもしたとか。グラム・ロックの和風版といった感じのステージ衣装も異彩を放っていた。町田市警察署の隣で市民音楽祭に出演し、実行委員会からの猛クレームをよそに「おまわりさん楽しいですかー?」と挑発的なMCをしたという伝説もある。バンドの姿勢と音楽スタイルゆえか、アルバムはライヴ盤が多く、'74年の1stアルバム『外道』(上ジャケット)からしていきなりライヴ録音だった。「香り」はその冒頭を飾る、必殺の一曲である。イントロから飛び出すギター・リフでもう即死。爆撃機のようなサウンドはMC5やストゥージズにも迫るものだ。続けて、青木&中野のリズム隊がエンジン全開でブッ飛ばす。その重量感とドライヴ感はハンパない。加納のヴォーカルはなかなかにヘナっており、「まじめに歌っとのんか」とも一瞬思うが、これがまたラウドな演奏にハマっている。「外道は己が姿」「猿真似乞食」などの言葉も飛び出す、挑発的でナンセンスな歌詞も最高。なんという破壊力。理屈抜きとはまさにこの事。35年前の音楽とは信じられないカッコよさだ。ピストルズもラモーンズもいなかった時代に発表されたこの曲は、"早すぎたパンク・ロック"と呼ぶにふさわしい。文字通りの危険な香り。それでいてポップ。今の時代にも充分すぎるほど通じるインパクトを持った怒涛のR&Rナンバーです。HR/HM系やラウド・ロックのファンにもオススメだぁ外道は、1stアルバムを発表した二年後の1976年に突然解散してしまうが、その後も何度か再結成し、21世紀に入ってもライヴを行っている。現在のところは活動停止中のようだ。つーコトで「香り」を聴くにはここをクリック。大音量で聴きやがれ!世界1位だぞーっ。ポム・スフレのメインHPでは外道の1stアルバム『外道』について取り上げています。
2008.07.09
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"オーストラリアのバンド"と言われて自分が真っ先に思い浮かべるのはAC/DCでもINXSでもなければ、エア・サプライでもない。Men At Workである。若い人が知らないであろう事はもちろん、ヘタをすると80's好きにも一発屋くらいにしか思われていないあのバンドだ。当時は「ポリスのパクリ」とかなんとか言われたらしいが、素朴で親しみやすいポップ・ソングの数々は結構好きでした。あ~ナツカシスコリン・ヘイ(Vo)を中心とするメン・アット・ワークは、大学の同級生達で結成されたバンドだった。ホテルのパブを演奏場としていた彼らがデビューするのは1981年のこと。翌'82年には、1stアルバム『Business As Usual』(上ジャケット)が英米でも発売され、シングル「Who Can It Be Now?(ノックは夜中に)」がいきなり全米1位を記録する。当時のアメリカでは先述のバンドの他にも、リック・スプリングフィールド、リトル・リバー・バンド、ミッドナイト・オイルなども活躍しており、"オージー・ロック"がちょっとしたブームになっていたようだ。ちなみにオーストラリアといえば、同時期の日本ではエリマキトカゲが流行っていたような。。。(うろ覚え「Down Under」はアルバムからの2ndシングルとして発売されたポップ・レゲエ風ナンバーである。'83年初頭、「Who Can It Be Now?」に続いて全米1位を記録。三週間トップを守ったあと、いったんTOTOの「Africa」にその座を譲ったが、翌週また1位に返り咲き、計四週間のNo.1を記録した。イントロの、缶カラを叩くような音からしてとても印象的。ユーモラスで人懐っこい響きを持ったメロディ、ひょうひょうとしたコリンの歌声が独特の魅力を放つポップ・ソングだ。音作りはいたってシンプルで、乾いた感触のカッティング・ギターもさることながら、グレッグ・ハムの吹くホンワカしたフルートの音色が何とも耳に残る。ウィットに富んでいながら、どこか哀愁のある曲調も個人的には惹かれるものがある。曲の内容は、旅行に出たオーストラリア人の話を歌ったもの。歌詞は訛りの強いオーストラリア英語で歌われており、英米人にも翻訳が必要なんだそうだ。"Down Under"とはずばりオーストラリアのことで、国を卑下した言い方らしい。地球儀的に見て下の方(南半球)にあるという意味も含んでいるとか。自国を礼賛するような歌が多い中、こうしたシニカルな感覚を隠そうとしないアーティストはなかなかに貴重だ。この曲のPVは歌詞を忠実に再現しているらしく、コミカルで人を喰ったような映像は覚えておられる方も多いだろう。(うまく説明はできないが)アメリカでもイギリスでもない、"オージー・バンド"の個性が彼らにはあったと思う。ちなみに、国際ヨットレースとして知られるアメリカス・カップ1983年大会の時には、「Down Under」がオーストラリアの非公式テーマソングとして使われたりもした。その年にはなんとオーストラリアが初の優勝を果たし、大きな話題になったという。二曲のNo.1ヒットを出したアルバム『Business As Usual』は英米ともに1位を記録。特にアメリカでは15週間トップを独走するという大ヒット作となった。'82年度のグラミーでは新人賞まで獲得し、メン・アット・ワークはセンセーショナルな存在となる。間をおかずして発表した傑作2nd『Cargo』('83年)も当然ながらヒットを記録する。だが、メンバーの脱退にともなってバンドは勢いを失い、商業的に惨敗した3rd『Two Hearts』('85年)を最後にメン・アット・ワークはあっさりと解散してしまった。なお、'96年にはコリンとグレッグ・ハムが中心となって再結成され、ライヴ・アルバムがリリースされている。片山まさゆきのマンガ『ぎゅわんぶらあ自己中心派』にも出てきたこのバンドは、やはり80年代という時代でこそ輝いた存在だったのだろうか。実は何気にライヴ・エイド('85年)にも出演していたりするのだが、DVDではカットされていたのが残念。今ではオリジナル・アルバムもベスト盤もCDは廉価盤クラス。中古屋ではウン百円単位で売っていますので興味のある方はどうぞ~。つーコトで『Down Under』のPVはここをクリック!嗚呼、80's……
2008.07.08
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「革命」と名付けられたこの曲は、シングル「Hey Jude」のB面として発売されたシャッフル・ビートのロック・ナンバーだ。作者はジョン。B面ながら全米チャートでは12位を記録。名曲には違いないが甘ったるさも感じられるA面より「こっちの方がいい」と判断した人も少なからずいたのかもしれない。オリジナル・アルバムには収録されず、当時はアメリカ仕様の編集盤『Hey Jude』に入れられていた。現在では『Past Masters Vol.2』や、いわゆる"青盤"などで手軽に聴ける。曲が書かれたのは例のインド旅行中だったそうで、帰国後ホワイト・アルバムのセッションを通して断続的に録音されている。元々ジョンは、ホワイト・アルバムに収録された「Revolution 1」ヴァージョンの方をシングル発売しようと思っていたらしい。だが、メンバー達の反対にあったため、よりハードにアップテンポにしたバージョンを録音してリリースすることとなった。この選択は正解だったと思う。しょっぱなから雷のごとく鳴り響くファズ・ギター(あるいはオーバードライヴ)にまず圧倒される。これを弾いているのはジョンだ。時は1968年。クリームやジミヘンはいたけど、Led Zeppelinはまだデビューしていなかった。"ハードロック"なる音楽概念がまだ存在していなかった時代である。当時、このラフ&ノイジーなサウンドにぶっとんだ人も多かったのでは?ディストーションとは似て非なる濁った音色がたまらんです。続けてリンゴが「ドン」と重々しい一発をかます。さらに続く「ア~~~!」というジョンのクレイジーなシャウトにもゾクゾクさせられる。曲はこのヘヴィなトーンを軸に、シンプルかつ豪快につき進んでいく。演奏全体にひとつのウネリがあり、他の三人を強力にドライヴさせていくジョンの存在感がすごい。ブレイク部分でのハンド・クラッピングまでもがいちいちキマっている。ビートルズはつくづくハードなロック・バンドだ。ここでのジョンのヴォーカルはダブル・トラック。ラウドな音に囲まれながら、熱くなりすぎない歌唱がカッコいい。元曲(Revolution 1)にあった「シュビドゥワ」というコーラスを削ったのもタイトな印象につながっている。ジョンは短いギターソロの後ろで、エロさのない喘ぎ声を出しています^^なめらかにローリングするピアノを聴かせるのは、名セッション・プレイヤー、ニッキー・ホプキンズ。ビリー・プレストン同様、ビートルズとストーンズの両方のセッションに参加した経歴を持つ、数少ないミュージシャンのひとりだ。繊細で流麗なタッチの演奏を特徴とするこの人だが、ここでは曲調に合わせてかいくぶんワイルドなプレイを聴かせている。それでも音色に気品と優しさが感じられるのはさすが。ちなみにニッキーは、のちのジョンの名曲「Jealous Guy」でもピアノを弾いている。「革命」をキーワードとした歌詞は、当時ゾッコンだったオノ・ヨーコの影響と"反抗の季節"だったこの時代に後押しされたものだろう。もっとも、単純に拳を振り上げて「革命だ革命だ!」などとわめき立てるものではなく、そうしたムーヴメントを斜めにとらえているようなシニカルさがジョンらしい。音楽で世の中が変わるはずもないこと、"革命"なるものが起こった所で結局は何も変わらないことをジョンは自覚していたのだろうか。そのわりには、のちに本腰を入れた平和運動が"理想主義"の域を出てなかったりと、この人はホントに複雑だ。結局いちばん革新的だったのは、ラウドな響きが現在でも充分通用する音楽そのものだった、というのが何とも皮肉ですな。なおこの曲は、スタジオ・ライヴ形式によるビデオ・クリップも作られている。そこでの演奏はレコードとは若干の違いも見られ、冒頭のシャウトをポールが担当したり、「Revolution 1」のようなシュビドゥバ・コーラスが加えられたりもしている。曲中で聴こえるハウリング・ノイズが生々しさとガレージっぽさを強調してましたなぁ。つーコトで「Revolution」を聴くにはここをクリック!先述のビデオ・クリップの映像と合わせたものです。
2008.07.06
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ディープ・パープルの曲といったら、大抵の人がまず思い浮かべるのが「Highway star」であり「Smoke On The Water」だろう。あるいは「Speed King」が最高という人もいるかもしれない。言い換えれば、ディープ・パープル=イアン・ギランがボーカルだった第二期であり、"様式的ハードロック・バンド"というイメージを持っている人が多いということだ。その一方で、デヴィッド・カバーデイル(Vo)やグレン・ヒューズ(b,Vo)を迎えた、いわゆる第三期のメンツで作られたアルバム『Burn』も、第二期の作品群と並んで有名な一枚だ(ジャケット含むw)。さらに言うなら、このアルバムの人気を決定づけているのは、オープニング・ナンバーでありタイトル曲でもある「Burn」だろう。確かに、鉄壁の完成度と燃えるような疾走感を持ったその曲は"パープルの代表作"と呼ぶにふさわしい。だが、それはあくまで「Highway Star」の様式を踏襲したものだ(だからこそ人気があるのだろうが)。第三期パープルの音楽的面白さは、むしろ他の曲に顕著だと言えるだろう。その面白さとは、リッチー・ブラックモアのハードロック魂とデヴィッド&グレンのふたりが持ち込んだ黒人音楽指向の組み合わせである。そこで自分が推したいのが、アルバム5曲目にあたる「You Fool No One」だ。メンバー全員の共作とされている(※)曲であり、それまでのパープルにはなかったファンキーさが強い印象を残すナンバーだ。イントロでのつぶやき声(?)が示すようにジャムっぽい曲でもあり、ハイレベルな演奏の中に漂うどこかリラックスした空気が微笑ましかったりもする。イントロからしてもうノリノリ(←死語)で、その躍動感あふれるリズムはパープルというよりサンタナに近い。ジャズあがりのドラマー、イアン・ペイスの職人的技巧と感性が遺憾なく発揮されている。カウベルとスネアの音色がもうたまんね~歌い出しから分厚いコーラスが聴けるのもパープルとしては珍しい。のちにホワイトスネイクを結成するデヴィッド・カヴァーデイル、元トラピーズにして「ポール・マッカートニー以来の歌えるベーシスト」(By リッチー)であるグレン・ヒューズ、という二人のヴォーカリストの存在を前面に押し出した、胸おどるハーモニーだ。腰のすわったデヴィッドのヴォーカル、"ヒステリックなスティーヴィー・ワンダー"といったグレン歌声の対比も聴きどころ。そしてリッチーのギターである。リッチーは黒人音楽があまり好きではないらしく、自分の色が薄められていくことに不満を持っていたらしいが、ここでは存在感のある良い演奏を聴かせてくれる。特に間奏部分は、彼らしい個性を保ちつつも黒っぽい楽曲にピタリとはまったソロが聴ける。激しさやテクニックよりも一音一音のフレージングを重視したプレイは、タイトル曲のソロとはまた違ったカッコよさだ。要所要所で飛び出す、バネが伸びるようなチョーキングも最高っす。バッキングに徹しているものの、ジョン・ロードのオルガンも熱いアツい。まさしく「ファンキー・ハードロック」。音楽観の違う者同士が微妙なバランスで渡りあっていた、第三期パープルならではの名演だ。パープルのカッコよさはハードロックだけじゃないですぜつーコトで「You Fool No One」を聴くにはここをクリック。"カリフォルニア・ジャム"での演奏はもっとスゴいぞ~。※ 当時はグレン・ヒューズの名は契約問題によりクレジットされなかった。* ポム・スフレのメインHPではディープ・パープルの名盤『Burn』について取り上げています。
2008.07.05
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The Musicという若手グループの新譜を聴きましたやたらと話題になっていると思ったら、彼ら今年のフジ・ロックにも出演するのね。行かれる方は、今頃このアルバムを聴いて予習してるんだろうなぁ。。。The Musicは'02年にデビューした、イギリスはリーズ出身の四人組だ。当時のメンバーはまだ十代。その若さも注目されたのか、メディアからは"鳴り物入り"状態で取り上げられていた。当時の流行にあやかって「ガレージ・ロック」と見なされる向きもあった。いい新人に出会いたい、というより「若い人の音楽も聴かなくちゃ」とある意味必死だった自分(笑)は、話題となっていた彼らの1stを「ふーん」などと思いながらを聴いたりしたものだ。彼らの音楽性を簡潔に表すなら「ハードロック寄りのダンス・ミュージック」といったところか。「ヴォーカルの声がロバート・プラントに似ている」というコメントを見て「そう言われりゃそうかも」なんて思った記憶もある。が、まあ確かにノリはいいし曲もキライではないのだが、これといった新鮮味はなかったし、新人特有の「若さで押し切っている」感はどうも払えなかったりで、ジジイである自分の耳には特に残るものでもなかった。そして「これからどうなるのかねぇ」などと思いつつも彼らへの関心はそのまま薄れてしまい、2ndアルバム『Welcome To The North』はノーチェックだった。で、最近知って驚いたのだが、2ndアルバムを発表した後、彼らってメジャー・レーベルから首を切られてたんですってね。それなりにセールスも上げていたみたいなのに何で?「彗星のごとく」登場したはずの彼らでもコレなんだから、コワイなあこの世界それからしばらくは鬱状態だったらしい(そりゃそうだな)The Musicですが、晴れて先日、新しいレーベルと契約し、新作を発表できることになったのでした。よかったね、パチパチそんなワケで、「Strength In Numbers」である。同名の新作3rdアルバムから先行シングルとして切られた、アップテンポのナンバーだ。1stの頃に比べると「勢いで勝負」みたいな部分は後退している。サウンドにこれといったオリジナリティもない。が、曲の作りや演奏はしっかりしてきた印象があり、ヴォーカルの声にも貫禄が出てきた(ロバート・プラントっぽさは消えてる)ような気がする。メロディはそれなりに耳をとらえるし、荒々しいギターとトランス感の効いたビートは悪くない。明るいサウンドとは言えないが、不思議な高揚感とポップさがある。この路線、個人的には歓迎したい。ダンス向けの曲調だし、音の感触はハード。それでいてサビの部分は歌いやすい。ある意味フジ・ロックに最適な一曲ですな(ライヴの時は盛り上がるんだろうなあ)。アルバムは、三曲目にあたる「Drugs」もなかなかの佳曲。個人的感想を言うなら、最近の若手ではいい感じの一枚かも。フジ・ロックに行く方はもちろん、ニューウェイヴ好きの方なども聴いてみてはいかが?ジャケットに日本の街を使っている所もポイント高いぞ!(笑つーコトで「Strength In Numbers」を聴くにはここをクリック。大音量で聴くと気持ちいいぞ!
2008.07.04
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「Back Stabbers」は、ソウル・ファンと70年代ヒット・ポップスのファンの両方に知られている名曲のひとつだろう。「裏切り者のテーマ」という邦題もインパクトを残すこの曲は、黒人コーラス・グループO'Jays(オージェイズ)のヒット曲にして、フィラデルフィア・ソウルを代表する一曲だ。フィラデルフィア・ソウルとは、70年代前半に一世を風靡したフィラデルフィア産のソウル・ミュージックのことである(そのまんまですね^^)。プロデューサーにしてソングライター・チームであるケニー・ギャンブルとレオン・ハフが、その仕掛人だった。黒人音楽をより聴きやすくした甘美なサウンドとポップなメロディが音楽的特徴と言えようか。オージェイズは50年代から活動していた黒人コーラス・グループで、60年代にはいくつかのレーベルを転々としながら「Lipstick Traces」などの小ヒットを出したこともあった。多い時には五人いたという彼らだが、ギャンブルとハフの設立したレーベルと契約した時には、エディ・リバート、ウォルター・ウィリアムス、ウィリアム・パウエルの三人組になっていた。「Back Stabbers」は、その新レーベル"フィラデルフィア・インターナショナル・レコード"からの第一弾シングルである。プロデュースはケニー・ギャンブルとレオン・ハフ。'72年の夏にリリースされたこの曲は、同年の9月末にビルボード・ポップ・チャートの3位まで上がるヒットとなった(ソウル・チャートでは1位)。下世話で高揚感のあるストリングスにのせて、エディとウォルターがコクのある歌唱を聴かせる。ゴスペルで鍛えたそのヴォーカルはあくまで黒く、楽曲もR&Bを基盤としている。だが、全体の印象はとても親しみやすい。白人マーケットも視野に入れた、キャッチーで洗練された曲作りのせいだろう。特に「わっていどぅ!」というキメの一節は、黒人音楽に興味のない人でもクセになりそう。艶かしい裏声コーラス、MFSBによる流麗で引き締まった演奏も聴きどころ。ここで作られたサウンドは、後のディスコへとつながっていく。ヴォーカル、演奏ともに"プロの仕事"と呼ぶにふさわしいこの曲は、ポップ・ソウルとしても歌謡曲としても聴けるダサくて熱い名作ですさらに、この曲を収録を収録した同名アルバムからは、名曲「Love Train」(ここを参照)が全米1位を記録。その後もオージェイズは70年代を通して数々のヒットを出し、スピナーズやスタイリスティックスなどと並ぶフィラデルフィア・ソウルの象徴的存在となった。'77年にはウィリアム・パウエルが癌で死去するも、グループは長きに渡って活動を続け、2005年にはロックの殿堂入りを果たすまでに至っている。アルバム『Back Stabbars』(上ジャケット)は聴き手を選ばぬソウルの名盤。この中の「992 Arguments」は、ホール&オーツもカバーしていたっけなあ(´ー`)つーコトで「Back Stabbers(裏切り者のテーマ)」を聴くにはここをクリック。Soul Trainからの映像なんだぜ。わっていどぅ!
2008.07.03
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"たられば"で物を考えるのがくだらないという事は分かっている。だが、それでも未だに「もしも、ジミヘンがあの時あの若さで死なずに、今も現役で活動していたら?」などと思うことがたま~にある。クラプトンのように今も第一線で活躍していただろうか?21世紀に入ってからも「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の1位('03年、米ローリング・ストーン誌)に選ばれていただろうか?晩年(?)にはファンク・ロック路線を指向していたジミ・ヘンドリックス。もし今も生きていたなら、ひょっとすると今年の9月あたりにスライと一緒に来日していたかもしれない(笑)…なんていうタワゴトはともかくとして、彼の残した曲や演奏が今聴いても単純にカッコいいなぁと思う事は事実だ。「Rock Me Baby」は自分が好きなジミヘン・ナンバーのひとつだ。B・B・キングがオリジナルであるこの曲は、モンタレー・ポップ・フェスティバルで演奏されたもので、同フェスでジミと同じステージにあがったオーティス・レディングやアニマルズ、ジェファーソン・エアプレインもこの曲をカバーしている。ただし、ここでのジミのバージョンは、歌詞はともかく曲自体は彼のオリジナル要素が強く、後の『Band Of Gypsys』や『Hendrix In The West』(←名盤※)などのライヴ・アルバムでは「Lover Man」とタイトルを変えた(歌詞も変えた)オリジナル・ソングとして収録されている。ここで使っているギターは'65年製、黒のストラトである。ハードで鋭いリフがカッコいい。「ガッガッガッ」というその音色は脳髄を切り刻むかのようだ。疾走感あるリズム隊の上で、ジミのギターがワイルドに唸る。間奏でのプレイは実にエモーショナルで、メタリックな音色の向こうに彼の情念が見える。危険な香りと同時に、どこかエロティックで甘い響きを持っている所がジミたる所以だ。少しではあるが「歯弾き」という視覚的サービスも披露してくれます。クールにきめたヴォーカルも、上手いかどうかは別にしていい感じだ。最後の爆発音のようなサウンドは後のハード・ロックへとつながっていく。演奏する喜びと「皆のド肝を抜いてやろう」という気迫が、音の塊となった名演だと思う。嬉しそうなジミの顔とそれを見守る観客達の反応も印象的だ。ステージを見つめるジャニス・ジョプリンの表情が微笑ましいなぁ。この後、「さあ理想を現実に」と言ってジミはギターに火をつける。その瞬間、ロックの歴史が変わった。だが、「Rock Me Baby」で使っていた黒のストラトはここでは燃やされていない。最後でファイアーしたサイケ・ペイントのギターは、「Wild Thing」の演奏のみで使われた見せもの用だった。四年間の活動期間の中で、ジミがギターに火をつけたのは公式上3回だけである。右利き用のギターを逆さまに持って演奏した男、ジミ・ヘンドリックス。ウッドストックでは、閑散とした会場(ほとんどの客は帰ってしまっていた)で「アメリカ国歌」をノイジーに奏でたジミ・ヘンドリックス。生前最後の公演となったワイト島ライヴでは、「もうたくさんだ」とばかりにギターを投げ捨ててステージを降りた男、ジミ・ヘンドリックス。ひょっとすると彼は、"二十七年間だけ"という約束のもと、神の国からギターを持ってこの世に遊びに来ただけの子供だったのかもしれない。「Rock Me Baby」を聴くにはここをクリック!※ポム・スフレのメインHPではジミ・ヘンドリックスの名盤『In The West』について取り上げています。
2008.07.02
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フランク・ザッパ?名前は聞いたことあるんだけど、音楽はよく知らない…つーか聴いたコトない↑こういう方って多いのではないだろうか?変態、難解……そんな印象が強くて近寄りがたい。興味はあるけど、アルバムが多すぎてどこから入っていいか分からない。そんなアナタにオススメしたいのが『Hot Rats』というアルバムである。'69年発表。それまでのバンドだったマザーズ・オブ・インベンションに代わって、各方面の一流ミュージシャンとセッションした作品である(ノー・クレジットながらロールウェル・ジョージも参加)。ジャズ・ロックっぽいインストを中心とした内容となっており、『Over-night Sensastion』('73年)、『One Size Fits All』('75年)と並んで、ザッパとしてはもっとも分かりやすい一枚だ。また、ザッパというと"有名なアンダーグラウンド"のイメージがあるけど、このアルバムって実は全英1位を記録しているのね^^「Son of Mr. Green Genes」は、アルバムの三曲目にあたる大作インスト・ナンバーだ。巧みな構成、親しみやすいメロディ、全体を包む解放的な雰囲気がなんとも印象的。楽器の数はそれほど多くないが演奏にスケール感があり、スリリングで楽しい一大音絵巻となっている。元マザーズからはイアン・アンダーウッドが参加し、キーボードに管楽器にと八面六臂の大活躍。カラフルでプログレッシヴな音作りが光る。もちろん、ザッパ本人による鋭いギターも聴き逃せない。先の文には「ジャズ・ロックっぽい」と書いたが、ここにあるのはどんなジャンルにもカテゴライズされない"フランク・ザッパ・ミュージック"だ。それでいて聴きやすい。40年前の演奏なのに古臭さのカケラもない。なんとエキセントリックで美しい音楽だろうか。ロック、プログレ、ジャズなどの、あらゆるファンに聴いてほしい名曲である。アルバムは他にも、名曲「Peaches en Regalia」や「The Gumbo Variations」、キャプテン・ビーフハートが参加した「Willie the Pimp」など聴き所が満載。CD化の際にはザッパみずからがリミックスを施した、太鼓判つきの一枚です。つーコトで「Son of Mr. Green Genes」を聴くにはここをクリック!※ ポム・スフレのメインHPではフランク・ザッパの『Hot Rats』について取り上げています。
2008.07.01
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