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ロキシー・ミュージックのボーカリスト、ブライアン・フェリーが'73年に発表した初のソロ・アルバム「愚かなり、わが恋(These Foolish Things)」(写真)は、50~60年代の名曲のカバーを集めた作品だが、これはアルバムの冒頭を飾る曲で、ボブ・ディランのカバーである。原曲はギター一本で歌われるプロテスト・ソングだが、ここでは中期ロキシー・ミュージックのようなポップで耽美的なアレンジが施された、キャッチー&キッチュな仕上がり。フェリー特有のダンディーさとナルシズムを感じさせる低音ボーカル、エディ・ジョブスンによるお洒落にスウィングするバイオリン、キャバレー・ソング的な女性コーラスなど、シリアスでやや一本調子なボブ・ディランのバージョンとは似ても似つかない、実に軽やかでほのかな哀愁を感じさせるポップソングとなっている。オリジナルとはまったく違うアプローチで、それでいて楽曲の持つ魅力を120%引き出したセンスはお見事。同時にボブ・ディランの曲の奥深さを改めて認識させられる。ディランの曲のカバーは数多いが、これはその中でもベスト・トラックと言える出来栄えだろう。アルバム「愚かなりわが恋」は他にもビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、スモーキー・ロビンソンといった人達の曲をフェリー流にカバーしたものが収録された興味深い作品だ。フェリー版「A Hard Rain's A-Gonna Fall」を聴くにはここをクリック!それにしても上の写真…う~んマサにガスだね。
2006.01.31
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「じゃ~~ん!!」ロック史上最もインパクトのあるイントロを持つこの曲は、ビートルズ3枚目のアルバム「A Hard Day's Night」(写真)のタイトル曲だ。'64年に全米・全英No.1を記録。ジョンがメインで作ったこの曲はビートルズ初の主演映画「ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!」の主題歌でもあり、タイトルはリンゴの「今日はキツイ一日だった」という一言から取られたもので、曲自体も映画の撮影が終わる頃に大急ぎで作られたらしい。有名なイントロはsus4のコードを使ったものだが、音の厚みと奇妙なコード感のインパクトを出すため、ジョンの6弦ギターにジョージの12弦ギターとピアノを加えている。「あの不協和音は文句なしだ」と発言しているのはプロデューサーのジョージ・マーティンだが、本来は不快な響きであるコード感をわざと強調して、それをポップな響きに転化させてしまう所に彼らの天才ぶりが伺える。ビートルズの作り出すポップミュージックは「優れた大衆音楽」であると同時に、常に「ポップな実験」でもあった。ジョンのボーカルの躍動感は凄まじい爆発力を感じさせるもので、ボーカリストとしてのジョンがこの時期ひとつのピークを迎えていた事を思わせる。途中キーが高くなる部分でボーカルをさりげなくポールにタッチする所など、ジョンとポールの絶妙のコンビネーションぶりが見られるのも嬉しい。せわしないボンゴのリズムもこの曲にふさわしい疾走感を与えており、全篇駆け抜けるようなテンションがほとばしっている。間奏の短いギターソロは、当時のジョージの技術では弾けなかったためにテープ・スピードを上げたものである事は有名。そんなヘタレなジョージが好きさ。その昔、小学生の僕が熱中したテレビゲーム「新入社員とおる君」のBGMに使われていたのが、なんとこの「A Hard Day's Night」だった。ピコピコサウンドにアレンジされたこの曲はなんともユーモラスかつ印象的で、それがビートルズの曲だと知らなかった小学生の僕は「この音楽を作った人、センスいいなあ」と思っていたものだ。そりゃそうだわな。ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.01.29
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'05年にはとうとう紅白歌合戦にも出場してしまった松任谷由実'81年の名曲で、ヒプノシス(Pink FloydやLed Zeppelinのアルバム・ジャケットで有名)のデザインによるジャケが印象的な「昨晩お会いしましょう」(写真)に収録されている。映画「ねらわれた学園」の主題歌として大ヒットしたこの曲は、僕がはじめて「ユーミン」を知った曲でもあった。角川映画の看板アイドルだった薬師丸ひろ子主演の「ねらわれた学園」は、当時さかんにTVで宣伝されていたが、僕には映画よりもバックで流れている曲の方が強く印象に残った。どことなく神秘的で、当時全盛の歌謡曲とは異質の感触を持ったその曲は、「ニューミュージック」なんて言葉を知らなかったチビッ子の僕にはとても新鮮に聴こえた。映画自体はただちに忘却の彼方へ葬りさられたが、この曲だけは人々の心に残り、現在でもユーミンの代表曲として親しまれている。'98年と2001年にはCMソングにも使われた。美しいコーラスとセンチメンタルで優しいメロディが胸を締め付けるシティ・ポップスの名作で、母性愛にあふれた歌詞も泣かせてくれる。傷ついた心を優しく癒してくれるこの曲は、いつまでも大事にしたいユーミン・クラシックだ。後に鬼束ちひろもこの曲をカバーしている。So,you don't have to worry, worry,守ってあげたいあなたを苦しめる全てのことから'Cause I love you, 'Cause I love you…ポム・スフレのメインHPでは、荒井由実の名盤『ひこうき雲』についてとりあげています(このページの下の方)
2006.01.28
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ちょっと遅いが、本日はウィルソン・ピケットの追悼記事を。オーティス・レディングと並ぶ60年代アトランティック・ソウル、サザン・ソウルの代表格であり、「ラスト・ソウルマン」と呼ばれたウィルソン・ピケットが2006年1月19日、心臓発作で亡くなった。享年64歳。ピケットはファルコンズというR&Bグループで「I Found A Love」のヒットを出した後'62年にソロとなり、'65年には「In The Midnight Hour」のヒットを出す(全米21位)。スティーヴ・クロッパーのプロデュース、MG'sの演奏によるこの曲はスタックス・サウンドの代名詞といえる歴史的なヒット曲で、現在でもソウル・クラシックの一つに数えられている曲だ。他にも「Don't Fight It」、「634-5789」、「Mustang Sally」、日本でもおなじみ「ダンス天国」、「Funky Broadway」、「I'm In Love」(ボビー・ウーマック作)など多くのヒット、名唱を残している。荒々しくてパンチのあるディープな歌声は最高にホットで、白人ロッカーにも多くの信奉者を持つ偉大なるソウルマンだ。CCRのジョン・フォガティの唱法なんかはほとんどこの人のコピーといってもいいくらい。またビートルズの「Hey Jude」、ジミヘンの「Hey Joe」、ヴァニラ・ファッジ版の「You Keep Me Hanging On」、アーチーズの「Sugar Sugar」、スリー・ドッグ・ナイトで有名な「Mama Told Me Not To Come」など、ロック・ポップ系の名曲もカバーも多い。特にビートルズの「Hey Jude」のカバーは、バックのギターを弾いてるのはデュアン・オールマンであり、ロックファンには興味深い曲だが、ピケットは最初この曲をオカマ(Dude)の歌だと思って、歌うのを嫌がったという。'91年にはロックの殿堂入りも果たしたが、私生活では何度も逮捕歴があり、94年には飲酒運転で86歳男性をはねたとして服役していたという。そのシャウトのブッ飛び具合といい、なんだかゲロッパのおじさんに通じるものがありますね。う~んロックだ。オリジナルアルバムは「In The Midnight Hour」「Exciting Wilson Pickett」「I'm In Love」なんかがオススメだが、とりあえずは24曲入りの「Wilson Pickett's Greatest Hits」(写真)が手頃です。先日、爆笑問題の太田もラジオでこの人について熱く語っていたっけなあ。ともあれ惜しい人を亡くしました。合掌。
2006.01.26
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ローリング・ストーンズの来日も決まって、みなさんフトコロが大変大変!そういうワケで今日は、16年前のストーンズ初来日に関する僕のささやかな記憶をたどってみたいと思います。ストーンズの'89年のアルバム「Steel Wheels」(写真)は前作「Dirty Work」から3年ぶりのアルバムだったが、このくらいのインターバルは大物アーティストとしてはむしろ普通だった。だが当時はミックとキースの不仲説が深刻で、しかも二人共ソロ活動に力を入れてた事もあって、「ストーンズ解散説」の空気がかなり濃厚だったのだ。それゆえ、このアルバムが発表された時は「待ちに待たされた」といった感じのまさに待望の新作として拍手喝采を持って受け入れられた。また内容が皆の期待を裏切らないものだった。アルバム全体のテンションの高さ、豪快に鳴りまくるキースのギター、張りのあるリズムは50歳近い(当時)人間とは思えない若々しさと力強さを感じさせるものだった。楽曲もポップでキャッチーなものがズラリと並んでおり、ストーンズとしてはかなり聴きやすい内容で、当時ストーンズ初心者だった僕は入門編代わりに聴きまくった。このアルバムをひっさげてのアメリカツアーに伴い、翌年の'90年にはついに初の来日公演も決定。「来日してない最後の大物」(ただし、ミック単独公演はあった)の名にふさわしいスーパーバンドで、加えて1973年の来日公演中止事件のトラウマも抱えていた日本のファンにとっては奇跡にも等しい出来事だったのだろう。まさしく大フィーバーという熱狂ぶりだった。世界一のロックバンドの初来日は連日新聞・雑誌をはじめ、ワイドショーでも特集が組まれ、もう「猫も杓子もストーンズ」という具合だった。コンサートは2月14日を皮切りに東京ドーム10回公演というプログラムで、一万円という値段にも関わらず、チケットの争奪戦は凄まじいものとなり、チケット発売日の前日から電話回線がパンクするという有様。ある筋ではチケット一枚が30万円で取引されたとの噂も聞いた。だが「ストーンズにどうしても会いたい!」という人は実はそれほど多くなく、みんなワケも分からずお祭り騒ぎを楽しんでいるという感じがした。まさに「バブル時代」を象徴する現象だったように思う。同時期にはなんとポール・マッカートニーの初来日公演もあったのだが、ストーンズの方にかき消され、あまり話題になっていなかった(少なくとも一般レベルでは)ような気がする…なんだかライブドアとヒューザーの関係みたいだ(笑コンサートに行った人の話によれば、ドームの音響は最悪(ギターリフなどはグシャグシャな音にしか聞こえなかったらしい)だったが、興奮と感動に満ちた最高のステージだったらしい。収録されたコンサートはTVでもゴールデンタイムに放送された。僕はちょうど高校受験の日程と重なっていた事もあって、泣く泣く見送ったのだが、「無理してでも行っておけば良かったなあ」と今でもつくづく思う。この時、日本はバブルの頂点。バンドブーム全盛期であり、オリコン年間チャート一位は「おどるポンポコリン」。ストーンズ来日騒ぎの時にやっていたフジの月9ドラマは浅野温子・三上博史主演の「世界でいちばん君が好き」(だと思う)で、最初から最後まで全く意味不明のドラマという印象だった。「アッシー君」「オヤジギャル」なんて言葉が流行し、パンツの中にコカインを隠していたのがバレた勝新太郎は「どうしてそんなトコにそんなモノが入っていたのか分からない」とか言っていたような気がする。「ジャンプなんてガキっぽいもん読んでらんねえ」とか言っていた僕が読んでいたビッグコミック・スピリッツには柴門ふみの「東京ラブストーリー」が連載されていた。「Steel Wheels」はそんなバブルの思い出もセットになった、今でも好きな一枚だ。ポム・スフレのホームページではローリング・ストーンズのアルバムについて取り上げています。
2006.01.25
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U2の来日が決まって盛り上がってますねえ~。よーし僕もU2について語っちゃうぞー。「With Or Without You」は、彼らの5枚目のアルバム「The Joshua Tree」(写真)からの第一弾シングルで、1987年に4週間連続全米No.1を記録。U2を「アイルランドの英雄」から「世界のU2」にした記念すべき一曲である。プロデューサーにダニエル・ラノワとブライアン・イーノ、エンジニアにスティーヴ・リリーホワイト(U2の初期のアルバムのプロデュースを手掛けた)という総動員体制で作られたサウンドは、それまでの彼らに比べ格段に重厚さと深みを増したもので、アンビエント的とも言える空間的な音の広がり、少ない音数の中で共鳴するかのように鳴り響くギターの音色は衝撃的だった。「君がいてもいなくても、僕は生きていけない」と歌うこの曲は、静かなビートで始まり、ボーノの抑えた歌が穏やかながらも緊張感を湛える。徐々に曲は盛り上がっていき、クライマックスでのボノの情熱的で、求道者の祈りをも思わせる歌声は感動的だ。アルバムのタイトル「Joshua Tree」とはアメリカの砂漠に生えている「不老の木」の意味だそうで、このアルバムの持つスケール感と格調高さを象徴するものだ。そういえばジャケットのボノは神父さまの様にも見えるなあ(笑)このアルバムは英米共にNo.1を記録。グラミー賞のアルバム・オブ・イヤーも受賞し、全世界で1500万枚を売り上げた。U2はこの後どんどん巨大化していくが、燃え上がるようなエネルギーと神々しさが最も良いバランスで同居しているこのアルバムが、やはり彼らのベストだと思う。「With Or Without You」で聴けるサウンドは後にColdplayが蘇らせたりしている。宇田多ヒカル嬢もこの曲をライヴで歌っていたっけなあ。
2006.01.24
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邦題「愛こそはすべて」。1967年8月に全米NO.1を記録。アルバム「Magical Mystery Tour」で聴ける。録音は'67年の6月で、その録音風景はカナダで開催されていた万博の特別番組「Our World」の一部として同年の6月25日に31ヶ国に衛星中継された。バックコーラスには、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズ、キース・ムーン(The Who)、ドノヴァン、グレアム・ナッシュ(Hollies、CSN&Y)、マリアンヌ・フェイスフル…などの錚々たる顔ぶれが参加している。ブラスにハープシコードにストリングス…といった楽器がふんだんに使われているこの曲は、「サイケデリック時代」の集大成とも言えるもので、ポールはベースを弓で弾いていたりする。またジョンの弾くハープシコードのリズムパターンは、わが国のチューリップなどもよく使っていたものだ。この曲の中には、フランス国歌、イギリスの民謡「Greensleeves」、グレン・ミラーの「In The Mood」、そして「She Loves You」など様々な曲のフレーズがサンプリングされており、そういう意味ではヒップ・ホップや渋谷系の方法論を先取りしていた曲とも言える。歌詞はその後のジョンの人生の出発点とも言えるもので、シンプルなようでいてなかなか深いものを感じさせる。Love&Pieceな時代を象徴する「愛こそはすべて」というフレーズはむしろ今の時代にこそ有効なのかもしれない。「人の心は金で買える」(半分は当たっていると思うが…)とか言ってた某回転扉会社の社長さんは、この曲でも聴いて人生考え直しましょうね。「All You Need Is Love」を聴くにはここをクリック!Love Love Love...不可能なことをやろうたって無理だ歌にならないものを歌おうたって無理だ君は ひとことも返せないが、公明正大なやり方を学ぶ事はできる簡単さ作れないものを作ろうたって無理だ救いようの無い人を救おうたって無理だ君は無力に等しいが、おいおい自分らしさを身に付けることはできる簡単さ愛さえあれば それで良い愛さえあれば それで良い愛さえあれば 何もいらない愛こそは すべて未知のものを知ろうたって無理だ見えていないものを見ようたって無理だ本来自分の居場所でないところに落ち着こうとしても 落ち着けるわけがないだけど簡単さ愛さえあれば それで良い愛さえあれば それで良い愛さえあれば 何もいらない愛こそは すべて*訳 内田久美子ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.01.22
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特集「映画と音楽」その6マイク・オールドフィールドの代表作であると共に、もはや古典でもある名作中の名作である。そして、この曲の美しいイントロが流れてきた時、世の中の9割以上の人はこう言うだろう。「あ、エクソシストだ」と。そう、この曲はロック史上に残る名作である以上に、映画「エクソシスト」のメインテーマとして有名なのである(泣'73年5月にヴァージン・レコード第一弾アルバムとして発表された「Tubular Bells」は、口コミでジワジワと評判を呼び、'74年春に全英5位を記録。そして、マイク本人に無断で「エクソシスト」のテーマ曲に使用された事で、全米7位を記録するヒットなった。ケビン・エアーズのバンドやアラン・ホールズワースとのセッションを経てソロとなったマイクは、'72年の夏に『Tubular Bells』のレコーディングを開始する。当時19歳の彼が2300回(ホントかよ…)という膨大な回数のオーヴァーダビングを重ねて作り上げた一大音絵巻で、48分に及ぶ楽曲をパート1と2に分けた構成となっている。曲中に挿入されるナレーションは、ボンゾ・ドッグ・バンドのヴィヴィアン・スタンシャルだ。静かなピアノのフレーズで始まるこの曲は、アイリッシュ・トラッドの影響を感じさせる内省的で美しいメロディを持つ。様々な音色でシンプルなフレーズを寄せては返す波のように繰り返す、その楽曲構成はミニマル・ミュージック的とも言える。素朴で牧歌的な美しさに満ちており、聴いていると何か優しいものに包まれていくような気持ちにもなれるが、同時に英国音楽特有の暗さも内包しているこの曲は「エクソシスト」の持つ恐怖感にシンクロした事も確かだと思う。「エクソシスト」という映画は当時失神者が続出したとか、ある地域では上映禁止になったとか、物凄い評判を呼んだらしいが、ホラー映画が苦手な僕が恐る恐るこの映画を見た時は「なんだ、そんなに恐くないじゃん」と拍子抜けしたのを覚えている(映画としては抜群に面白かったが)。当時はまだ「ホラー」というものの基準が素朴だった事もあるのだろうが、「エクソシスト」が視覚的にそんなに恐い映画だとは思えない。ただし、 なんの脈絡もなく、いきなりこんな映像が瞬間的に挿入されるのにはビビッた。「悪魔」というのがテーマである故に宗教的な事も関係するのだろう。母親の死で自らを責め、ついには自身の信仰心すらゆらぎ苦悩する若き神父の姿など、演出はとにかく見事で、これは見る者の深層意識をえぐる映画というべきなのだろう。チンケなスプラッタホラーなどとは違って芸術的な美しさをも感じさせる。結果、「Tubular Bells」は首がクルクル回る少女のBGMとして多くの人の記憶に残る事になったのでした…(泣「映画と音楽」シリーズは今日で終了です。いや~映画って本当に素晴らしいですね!ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューをやっています。
2006.01.21
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特集「映画と音楽」その5分かる人はタイトルですぐ分かると思いますが、この映画(1999年公開)、Kissを題材にしたものです。ストーリー「Kissが大好きな4人の少年達は、デトロイト近郊で行われるキッスのコンサートを待ちに待っていたが、ドラムを担当するメンバーの母親に大切なチケットを燃やされてしまう。ロックは宗教的に許されないと信じている大人もいたのだ。しかし、そんなことであきらめる4人ではなかった…」いや~面白かったっす(^▽^) 4人の男の子達が大好きなKissのコンサートを見るまでの奮闘と騒動を描いた映画で、内容もいかにもB級といった感じだが、そこら辺を割り切って見れば理屈抜きで楽しめるものとなっている。いや、「理屈なんかいらねえんだよ!それがロックなんだよ!」というのが監督の言いたい事だったのかもしれない。「Kissのライヴを絶対見るんだ!」その思いだけを胸に、絶望的な状況の中でも向こう見ずに突っ走るロック小僧達の姿がバカバカしくも胸を熱くする。たった一度のコンサートが「人生の一大事」になってしまうというあの感覚はロックが好きな人なら分かるはず。そして様々な困難を乗り越えて、アザだらけになった顔の4人の少年達はとうとうライヴのチケットを手に入れ、Kissの待つ会場の中へ。会場の電気が消え、あのMCが場内に響き渡る「世界で最高にホットなロックンロール・バンドKiss!!」花火が上がり、本物のKissが登場。歌うはもちろん「Detroit Rock City」だ。少年達の気が狂ったかのように興奮した顔がまぶしい。映画ではKissの曲はもちろん、Thin Lizzy、T-REX、Sweet、Edgar Winter、Black Sabbath、AC/DC、Ramones、Van Halen、etc…(ルパート・ホルムズなんて人の曲まで流れてくる凝りよう)といったアーティスト達の名曲がこれでもかというくらいに使われている。次々と連発されるロック・クラシックに胸が躍る事を止めるのは不可能だ。ロックが好きな人ならいろんな意味で泣ける映画です。Kissファンならずとも必見!
2006.01.20
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特集「映画と音楽」その4スクリーン一杯に写し出される緑の木々。鳥や動物の鳴き声だけが聞こえる静寂の中に突然響く「ボン」という低い爆発音。硝煙が立ち込め、美しい緑は黄色い災に包まれていく。それを写すカメラはゆっくりと引いていく。災に包まれたその光景はベトコン村だった。ヘリコプターの音に重なってジム・モリソンの虚無的な歌声が流れるこれで終わりだ。 美しい友よ。これで終わりだ。 ただ一人の友よ。これで終わりだ…これはフランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979年公開)のオープニングシーンである。流れていた曲はドアーズの代表曲のひとつ「The End」。ドアーズの1967年の1st「The Doors」(写真)の最後におかれている曲で、11分を超す大作だ。「父を殺して母を犯す」というテーマを持つ事で有名なこの曲はよくエディプス神話と絡めて語られるが、幻覚的な歌詞はドラッグも大いに関係あるのだろう。大人になったら「ベトナム」が待っているというのが当時のアメリカのひとつの現実であり、そういう意味では「自分の死を予言する歌」と考えられない事もない。シタールを模したというギターと呪術的なリズムはジム・モリソンの歌う「終末と絶望」を引き立たせ、11分という長さをまったく感じさせない密度の濃さだ。特にクライマックスでの「父さん…俺はあんたを殺したい…母さん…俺はあんたを…」という部分での絶頂は上手いとか下手とかいうのを超越したもので、「カリスマ」という神に選ばれた人間のみが持ち得る魔力だ。フランシス・コッポラとジム・モリソンがUCLAの学生時代に同級生だった事はよく知られているが、「戦争」というものを通して人間の業と狂気を描いたコッポラとジム・モリソンの狂気はピタリと一致し、「地獄の黙示録」はこの曲の持つ恐怖と美しさをいっそう引き立たせる事に成功している。「地獄の黙示録」は難解とよく言われる(後に出た「特別版」でだいぶ分かりやすくはなった)が、映像的には印象に残るものが多く、最も有名な、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れるベトコン村襲撃シーンは、CGを使ってないホンモノならではの迫力、ヘリの爆音とワーグナーの高揚感を煽るメロディーにスピード感のあるカメラワークと編集が上手く結びついたもので、不謹慎ながらなかなかに興奮してしまう。戦争大好きなアメリカならではの映画だなあ、と妙に納得したものです(笑
2006.01.19
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特集「映画と音楽」その3「君はToo Shy」のヒットで有名なカジャグーグー(ヘンな名前…)はデュラン・デュランをもっとポップにしたような音楽性(ニック・ローズのプロデュースだから当たり前だけど笑)で80年代前半に人気を博したグループだが、この曲は、そのリーダーであったリマールが'84年にソロとして放ったヒット曲(全米14位)であり、タイトル通り'84年の映画「ネバーエンディング・ストーリー」のテーマ曲である。ドナ・サマーのプロデュース等で有名なジョルジオ・モロダーの作品で、リマールの甘い歌声、親しみやすく美しいメロディ、古き良きテクノポップを思わせるピコピコサウンドが強い印象を残す名曲であるが、この曲が映画のテーマソングになったのはいわゆる「後付け」で、資本に参加した会社ワーナーが当時人気のあったアイドルグループであるカジャグーグーのボーカリストが歌う曲を付け足すよう仕向けたのだとか。今の日本で言えば、ジブリ映画の主題歌をオレンジレンジが歌うようなものか?それでもこの曲が良い曲である事には変わりない。最近では坂本美雨(坂本龍一の娘)によるこの曲のカバーバージョンがCMで使われていた。ストーリー「幼くして母親を亡くしたバスチアンは内気で読書好きの男の子。バスチアンはいつもいじめっ子に意地悪され、今日もゴミ箱の中に…やっとのことで逃げ出したものの追いかけられて逃げ込んだ所はある古本屋。そこで不思議な本を見付けたバスティアン。蛇の紋章の突いたその作品をむさぼるように読み進む。本の中ではアトレイユという少年が世界の危機を救うため、単身悪と戦う姿が描かれていた。アトレイユの冒険をドキドキしながら読み進む内に、不思議な事に気付く。何と本の中には、今本を読んでいる自分自身が登場しているのだ。驚きを覚えつつも、読むことを止められない。そして、何故自分がこの本を手に取ったのか、そして自分が世界に対し、いかに重要な役割を担っているのかを、知ることになる…」映画は、バスチアンのいる「現実世界」と、本の中の勇者アトレイユの冒険物語(劇中劇)という二つの世界を軸にして進められてゆくが、このアトレイユの美少年ぷりは萩尾望都の漫画に出てきそうな程で、その中性的な甘いマスクは女の子だけでなく男も濡れるような典型的な「北欧的美少年」だった。ヨーロッパ神話の世界観を見事に表現したファンタジックな映像はロード・オブ・ザ・リングの先輩とも言えるものだし、特撮も今見るとチャチだが、それでも今のCGにはない重量感があった。作り物丸出しのマペットも愛嬌を感じさせた。ファルコン(白竜)や岩石男モーラをはじめ、亀やコウモリなどキャラクターも魅力的。様々な困難が襲い掛かる旅の途中、アトレイユの愛馬アルタクスが底なし沼に沈んでいくシーンは本当に悲しかった。当時涙が流れるのを必死でこらえていたのを思い出す。「信じる心を忘れないで!」と涙ながらに訴えるお姫様のアップの顔も忘れられない。ストーリーは「子供向け」の域を出るものではないし、ラストも安易(原作者は激怒した)と言えばそれまでだが、主人公バスチアンがファルコンに乗って大空を駆け抜けていく姿に重なってリマールの歌が流れるラストは最高のカタルシスを感じさせてくれる。決して深みのある作品とはいえないが、夢とファンタジーをいっぱいに与えてくれるこの映画に出会えた小学生の僕は最高に幸せな子供だった。Make Believe I'm Everywhere I'm Hidden In The Line Vision Of The PagesIs The Answer To Our Never Ending Story
2006.01.18
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特集「映画と音楽」その2The Byrdsのロジャー・マッギンの曲で、アメリカン・ニューシネマの代表作「イージー☆ライダー」(1969年)のテーマソングである。ボブ・ディランとロジャー・マッギンの共作であるこの曲は、流れるようなメロディと軽くヴィヴラートするロジャーのボーカル、儚さを感じさせるストリングスが切ないなんとも美しいフォーク・ソングで、映画の中では、偏見に満ちた大人達に理不尽に殺されてしまう主人公の姿に重ねて印象的に使われていた。映画は、気ままなバイク乗りどもが「真のアメリカ」を求めて旅に出るという内容だが、ストーリーはあってないようなもので、そこで描かれるのはヒッピー、ドラッグカルチャー、「よそ者に対する排他性」といった当時のアメリカの姿だった。ここでの主人公達が自由気ままに生きる姿は単なる快楽主義とも取れるが、それでも彼らは誰に迷惑をかけているわけでもなかった。旅の途中に入った店で、主人公達はその土地(アメリカ南部)の人間に陰湿なイジメを受ける。いたたまれなくなって逃げ出した彼らはこんな会話をかわす。「なぜ俺達は嫌われるんだ?」ジャック・ニコルソン扮するジョージ・ハンセンは答える。「それは君を見ていると恐いからさ。君は余りにも自由だからだ。アメリカ人は自由を説くのが好きだ。しかし本当に自由な奴のことは怖れる」これは「自由の国アメリカ」の正体を象徴するセリフとも言える。そのジョージ・ハンセンも野宿をして寝ている所を、店で目をつけられた土地の人間の襲撃にあって死んでしまう。そしてラスト、田舎道を走っていた主人公二人は、通りすがりの車に乗ってたオッサンに「長髪で妙な格好をして、見慣れない奴」という理由で、いきなり銃で狙い撃ちにされてあっけなく死んでしまう(当時のアメリカ南部では実際にこれに近い事があったという)。あまりにも唐突で不条理なこのラストは、かえってリアリティを感じさせるものであり、「自分らしく」生きようとする者は大人達によって押しつぶされるという現実を暗示するものなのかもしれない。炎上するバイクと勢いよく上がる煙の映像に、ロジャー・マッギンの優しい歌声が重なるこのラストシーンは、なんとも切なく、そして美しい。この無力感と寂寥感がこの作品を青春映画の名作にしている。というコトで、「イージー・ライダーのバラード」を聴くにはここをクリック!この映画の代名詞的な曲「Born To Be Wild」についてはまた別の機会に…(笑
2006.01.16
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今週は「映画と音楽」特集です。日曜日である初日はポールの曲から。おなじみ「007」シリーズの第8作目にして、ロジャー・ムーア版ジェームス・ボンドの最初の作品でもある「死ぬのは奴らだ」の主題歌としてポール・マッカートニー&ウイングス名義で73年に発表されたシングル。全米2位、全英9位を記録。プロデュースにはジョージ・マーティン(この映画のサントラも担当)を迎えている。アルバム「Red Rose Speedway」のセッションで録音されたものだが、オリジナルアルバムには未収録。ポールは007のファンだったそうで、映画の主題歌を歌うというハナシは自ら希望したものだとか。当時の人気や評価がまだ完全復活というわけではなかったポールにしてみれば今でいうタイアップを狙ったというのもあるのかもしれない。曲はポールの静かなピアノ弾き語りから始まるが、オーケストレーションが重なって序々に盛り上がっていき、本編(?)に入ると同時に曲は一気に大爆発! ド派手なサウンドとたたみ込むような曲調の大スペクタクルが展開。その疾走感はもうジェットコースターに乗せられているような気分。ぐんぐん上昇していき、曲が最高潮に達した…と思いきやいきなり可愛らしいレゲエが飛び出してズッコケさせられる。「ナンジャコリャ?」などと考える余裕も与えられないまま曲はまたもや大スペクタクルに突入。そして今度はいきなり甘美なストリングスが出てきて、ポールの甘~い弾き語りになる…かと思いきやまたしても大スペクタクルに突入!そして曲は幾分の余韻を残して終わる…こんな構成の曲をポールはなんと3分10秒にまとめてしまっている。言ってみればメチャクチャな曲なのだが、それを違和感や作り物っぽさを感じさせる事なく、ごく自然に、そしてポップにさらりと聴かせてしまう所がポールたる所以だ。まさに天然作曲家の面目躍如。ジョンとはまた違った意味でのアバンギャルドさ、ポップな狂気が滲み出た一曲だ。ちなみにガンズ&ローゼズもこの曲をカバーしていたりする。映画の冒頭、ニューヨークの国連本部、ニューオリンズでの葬儀の最中、カリブ海の島で3つの殺人事件が起きる。バラバラなこれらの事件がこれから絡みあっていく事を思わせつつ、そこにポールの歌がかぶさる、というオープニングはなかなかにカッコいい。それにしても、昔のTVの洋画劇場での「007シリーズ」や「刑事コロンボ」ってどの話をやる時にも新聞の見出しに「シリーズ最高傑作」って書いてあったような…ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.01.15
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ボブ・ディランの数あるアルバムの中でも最良の一枚である「Blood On The Tracks」(1975年発表、全米第1位)の冒頭を飾る名曲である。シングル・カットされ、'75年に全米31位まで上昇した。ディラン自身にとってもお気に入りの曲のひとつで、ライヴで演奏される事が最も多い曲でもある。2001年の来日公演でもこの曲が披露されている。'74年の9月に録音され、11月に発売する予定でテスト盤まで作られたが、ディランは納得がいかなかったようで同年12月にミネアポリスで地元のミュージシャンを集めて録音し直され、75年1月に発表された。'86年のライヴ盤「Real Live」ではさらに歌詞を変えて歌われるというディラン先生こだわりの一曲である。男と女のグダグダな関係を歌ったもので、適度に難解な歌詞は聴き手のイマジネーションを刺激し、まるで一本の映画を見てるような気分にもさせられる。アコースティック・ギターを主体としたシンプルな演奏は、ディランの歌とメロディの良さを引き立たせるものであり、ここでのディランの歌は実に丁寧で、そしてのびのびとしたものだ。生々しいアコースティック・ギターと透き通るようなキーボードの音色も素晴らしい。60年代のディランのような革新性やオーラはここにはないかもしれないが、味わいの深さという意味ではこちらの方が上かもしれない。これといって変わった事をやらなくても、良い歌を書き、そしてただ歌うだけで、多くの人の心に残る作品を生みだせるという事を証明した70年代のディランの価値も特別なものだ。'74年9月に録音されたこの曲の別テイクは、ディランのレアな音源を集めた「ブートレッグ・シリーズ」に収録されているが、そちらも違った味わいのあるいい演奏だった。「Tangled Up In Blue」を聴くにはここをクリック!ポム・スフレのホームページではボブ・ディランのアルバムについて取り上げています!
2006.01.14
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昨年(2005)は傑作「Guero」を発表したBeck。この「Sexx Laws」は1999年のアルバム「Midnite Vultures」(写真)からのシングル曲で、ヘンテコでカッコいいダンスナンバーだ。TVのバラエティ番組でもよく使われているので、耳にした事がある人も多いと思う。'94年に「Loser」でデビューしたベックは、いかにも新世代的な編集感覚で以降のロック・シーンををリードした奇才だが、この曲もそんなベックの悪ノリが炸裂した傑作だ。もっさりとしたダサダサなホーン、つかみどころのないメロディ、ピコピコした電子音、ヘンな裏声、そしてブレイクで唐突に飛び出すカントリー・フレイヴァー。これらの要素が不自然なようでいて実は自然に溶け合っており、結果として非常にポップでダンサブルな曲になっているのだから恐れ入る。このヘンタイと紙一重なミクスチャー感覚とポップさ加減がこの人の真骨頂だ。いや~もう病みつきになりますよコレ。「Midnite Vultures」はなぜかBeckファンの間ではあまり評価が高くないが、「Sexx Laws」をはじめとしてヘンテコでカッコいいファンクナンバーがギッシリ詰まった傑作だ。う~む、人生はダンスだ。ポム・スフレのホームページではBeckのアルバムについて取り上げています!
2006.01.13
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この間の1月9日にフジテレビで放送が開始された香取慎吾主演の「西遊記」。普段は月9ドラマなど見ない僕もハナシのタネにと思い、見てみる事にしました。「木村拓哉がゲスト出演…?露骨な客寄せだなあ…これでスマスマのコントみたいなシロモノになってたら面白いんだけどなあ…」などと思いつつ視聴開始。いやあ~まさかホントにやるとはなあー演技といいセットの安っぽさといい、香取とキムタクが絡む場面はどっからどう見てもスマスマのコント。冗談でやっても本気でやっても同じ結果になってしまうなんて、SMAPワールド恐るべし。この部分だけならまだしも、ドラマ全篇に渡って脚本、演出、演技、セット全てが凄まじい破壊力。これならもうかめはめ波が出てきても驚かないぞ。「西遊記に対する冒涜」なんて言葉を出すのもバカバカしくなる脱力ぶりだ。いやあ~よくコレ放送しましたね~、と冗談抜きで感心してしまう。こんなのを見せられると堺正章版「西遊記」の偉大さをイヤでも脳内で再確認したくもなるぞ。↓というワケで以下本題「ガンダーラ」は'79年に日テレで毎週日曜の20:00から放送された堺正章版「西遊記」のエンディング・テーマとして使用された曲で、大ヒットを記録。ゴダイゴは当時の日本としては水準の高いポップグループだったが、一般に広く知られるようになったのはやはりこの曲によるものだったと言える。当時としては洋楽度の高い、なおかつ情緒漂う旋律がなんとも美しいバラードで、こうした曲がお茶の間のゴールデンタイムに流れたのは当時は新鮮だった。本編のドラマが終わったすぐ後にエンドロールと共にこの曲が流れるという構成で、当時この「西遊記」を毎週楽しみに見ていたチビッ子の僕はこの曲のもの悲しいイントロが流れるたびに「あ~あ終わっちゃった」と寂しい気持ちになったのを思い出す。タケカワ・ヒデユキの線の細いボーカルも余計寂しさを感じさせるものだった。「そこに行けばどんな夢もかなうと言うよ…」というフレーズが今では余計胸にしみる。俺もガンダーラに行きたいよ。どうしたら行けるのだろう…教えてほしい…この曲はゴダイゴのベスト盤で手軽に聴けるが、名曲がギッシリ詰まった「西遊記」のサントラアルバム(写真)の中で聴くのが僕は好きだ(但し全曲英語で歌われているので注意)。堺正章版「西遊記」は脚本も特撮もアラが目立つものではあったが、それでも夢と楽しさと熱さがいっぱい詰まっていたと思う。子供の頃の記憶を美化しているかもしれないという事を考慮してもだ。「Monkey Magic」や「ガンダーラ」を聴くたびに僕はそのことを思い出す。
2006.01.12
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マーク・ノップラー率いるダイアー・ストレイツの'85年の全米No.1ヒットであり、MTV時代を代表するヒット曲でもある。'78年にデビューしたダイアー・ストレイツは当初から高い評価を集めていたものの、その人気は「玄人受け」の域を出るものでもなかった。そんな彼らが大ブレイクしたのが6枚目にあたるアルバム「Brothers In Arms」(写真)で、「Money For Nothing」はそこからの第一弾シングルである。マーク・ノップラーのボブ・ディランを思わせる渋いボーカル。リフのフレーズはローリング・ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」を彷彿させるが、フィンガーピッキングによるなんとも軽いギターリフは独特の質感を持ったものだ。楽曲自体も一聴した所地味な印象なのだが、独特のポップ感覚を持ったそのメロディーはいつの間にかつい口ずさんでしまう不思議な魅力を持っており、全体の印象はとってもキャッチーだったりする。ルックスだけで実力のないミュージシャンが、MTVを利用して幅を利かせている状況を皮肉った曲だが、チープでコミカルなCGを使ったビデオ・クリップが大きな話題となり(僕も大好きだった)、結局はこの曲自体がMTVの恩恵を受けて大ヒットするという皮肉な結果になった。曲はマーク・ノップラーとスティングの共作でクレジットされており、スティングはコーラスでも大きな貢献をしている。この曲の録音中にたまたま隣のスタジオにいたスティングはノリでコーラスに参加する事になり、遊び心でポリスの曲「Don't Stand So Close To Me」のワンフレーズを歌いこんだ。その結果スティング側のマネージメントは楽曲のクレジットにスティングの名前を入れる事を主張した。スティング本人は呆れたが、「Money For Nothing」のクレジットには結局スティングの名前も入れられる事になった。しかしスティングのこのコーラスがなければこの曲の印象はかなり地味なものとなっていただろうと思う。「Money For Nothing」が収録されている「Brothers In Arms」は当時のイギリスで「一家に一枚」と言われたほどの特大ヒットを記録した、内容的にも鉄壁なまでの完成度を誇る80年代を代表する傑作だ。ああ80's…ポム・スフレのホームページではダイアー・ストレイツのアルバムについて取り上げています!
2006.01.11
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マイルス・デイヴィスの1972年の作品で、ジャズ・ファンの間では「問題作」と言われる事も多い本作だが、僕なんかはファンクの名盤として問題なく楽しんでいる。真の天才にふさわしい柔軟な感性を持ったマイルス先生はロックやファンクにも理解を示し、ロック系のフェスティバルに出演したり、ロック色を取り入れた「Bitches Brew」「Jack Johnson」などの作品を発表したが、今度は「オレ的ファンク・ミュージックを作ってやろう」と考えたマイルス先生が発表したのが本作。マイルスのトランペットの他に、デイヴ・リーブマン&カルロス・ガーネットのサックス、ハービーハンコック、チックコリア、ジョンマクラフリン等が参加し、タブラやシタールなどの楽器も取り入れた本作だが、ここでの演奏はマイルスのトランペットはあまり全面に出ず、全ての音がドス黒い大きなひとつの塊となって、得体の知れない何かがこちらに迫ってくるかのようだ。混沌にまみれたポリリズムとあまりに高いそのテンションは聴いてて恐しくもあるが、それはここに記録された音楽が真のオリジナルであり、今も充分に刺激的である事の証明でもある。ポム・スフレのホームページではマイルス・デイヴィスのアルバムについて取り上げています。
2006.01.09
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'71年に発表されたジョンの傑作アルバム「Imagine」(写真)に収録されている曲で、よく知られているようにポール・マッカートニーにあてつけた曲だ。'71年に発表されたポールのアルバム「Ram」には「Too Many People」などのジョンをあてこする曲があり、さらにそのアルバムの内ジャケットには、ポールと当時の妻リンダがお面をつけてシーツにくるまっているという、ジョンとヨーコの「ベッドイン」にあてつけた写真があった。この「How Do You Sleep?(眠れるかい?)」はそうしたポールに対するジョンのむき出しの敵意となった。レコーディングにはジョージ・ハリスンもしっかりと参加している。ビートルズ時代「Yer Blues」や「I Want You」などで見せたジョン流のブルース感覚の延長線上にある曲で、毒の効いた重いナンバーに仕上がっている(8分近くあるこの曲の別バージョンはさらに重い)。フィル・スペクターによるストリングスも非常にネチネチした感じで、この曲の毒をいっそう際立たせている。歌詞はこれでもかこれでもかというくらい辛辣で、毒舌というよりは単なる私怨をぶちまけたといった感じの陰険なものだ。しかし、「嫌い」という感情はつまる所愛情の裏返しであり(『好きの反対は無関心』と言いますね)、長年お互い認め合ってきた相方をここまでコキおろすというのは、ジョン自身に対する一種の自虐であったとも思う。またポールの「Ram」のジャケットはポールが羊と遊んでる写真だが、ジョンの「Imagine」の裏ジャケにはジョンが同じポーズで豚と遊んでいる写真が使われている。いや~もうまるっきり子供のケンカですね。ジョンは確か同時期のインタビューで「ガンジーの『無抵抗主義』に賛成だ」と言っていたような…未だに「ジョン・レノン=愛と平和の人」という図式で捉えてる人はこういう事を知っているのだろうか…しかしこんな男だからこそ「人間に対する優しい眼差し」を見せた時、それは我々の胸に迫ってくるものにもなる。同アルバム収録の「Jealous Guy」や「How?」はそれを物語る曲だ。Imagineという曲はジョンを「聖人君子」にしてしまったが、その影絵のような「How Do You Sleep?」が同じアルバムに入ってる所がジョンたる所以だ。人間ジョン・レノンの「優しさ」と「残酷さ」が詰まっている所にこそ、アルバム「Imagine」の価値があると思う。ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤CDレビューを行っています。
2006.01.08
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昨年は「A Time 2 Love」という素晴らしい新作を出したスティーヴィー・ワンダー。この「Superstition(迷信)」はスティーヴィーの代表曲のひとつであるというだけでなく、70年代ファンクの大スタンダードと言える一曲である。'73年発表の名盤『Talking Book』(写真)からの最初のシングルとして、同年に全米No.1を記録している。もともとこの曲はジェフ・ベックのために書かれた曲だったのだが、結局スティーヴィーが先に発表してヒットさせてしまい、ジェフはむくれたとか(笑「僕がアルバムを仕上げる前にジェフが先に『Superstition』を出すと思ってたんだ」-----------スティーヴィー・ワンダージェフ・ベックのバージョンは、同'73年発表の「Beck,Bogert&Appice」に収録された。アルバム『Talking Book』からの最初のシングルは、当初は「Big Brother」の予定だったが、レコード会社の幹部が「Superstition」の方がいいと判断したのだった。スティーヴィーのバージョンはそれもうなづける仕上がりで、特にイントロにおける思わず腰が動くファンキーさ加減は最高のカッコ良さだ。スティーヴィーのドラムの上手さはもっと評価されるべきだと思う。もちろんスティーヴィーのボーカル、クラヴィネット、そしてキャッチーなサックスなど全てが猛烈にカッコいい。そこらへんのファンク・バンドなど軽く吹っ飛ばしてしまうグルーヴがここにはある。この時期のスティーヴィーは、ローリング・ストーンズの前座などもしており、ロック・ファンからまっとうに評価されるようになったのもこの頃あたりからだったそうだ(現在からは信じがたいハナシ…)。ロックとソウル(というか白人と黒人)の垣根を感じさせるエピソードですね。つーコトで「Superstition」を聴くにはここをクリック!※ポム・スフレのホームページではスティーヴィー・ワンダーのアルバムについて取り上げています。
2006.01.07
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山下達郎と大貫妙子が在籍した伝説のグループSugar Babe。そのSugar Babeが残したたった一枚のアルバム「Songs」(写真)が昨年(2005年)、30周年記念という事もあって改めてCD化された。達郎が世に出てからもう30年か…(遠い目)「Show」はそのアルバムの一曲目で、もともとコンサートのオープニング用に達郎が用意したという事もうなづける、まさにオープニングを飾るにふさわしい一曲だ。だが、何といっても'90年代に人気を博した番組「DAISUKI!」のテーマソングに使われた事で有名で、多くの人がその素敵なイントロに耳に覚えがあるはず。華やかで、楽しさと眩しさに満ち溢れたそのイントロは聴くたびにウキウキさせられ、まさに素敵なShowの始まりを思わせる。間奏のポリリズム風の演奏やコーラスアレンジはいま聴いても新鮮であり、若き達郎のボーカルは荒削りではあるものの、喜びと力がみなぎるその歌声は今の何十倍も素晴らしい。そして、現在の耳で聴いても全く古さを感じさせないそのサウンドは驚異と言っていい。なんてカッコイイ曲だろう!素敵なShowの~はじ~ま~りだよ~♪今年は素敵な年でありますように…
2006.01.06
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英国でパンク・ロックが猛威を振るっていた1977年、ブリティッシュ・ロックのカリスマ、デヴィッド・ボウイはベルリンの壁の下で新しい表現を模索していた。パートナーに選ばれたのはブライアン・イーノ。そうして生まれたアルバム「Low」はジャーマン・ロックをボウイ流に昇華した、無機質ながらも斬新なサウンドで、キュアーのロバート・スミスに「ボウイなんて『Low』を作ってすぐに死んじまえばよかったんだ」とまで言わしめるほどの傑作となった。湧き出る創造力を止められなかったボウイは「Low」から間髪を入れず、さらにキング・クリムゾンのロバート・フリップまでも加えて、新作「Heroes」の制作に入った。アルバムのタイトル曲である「Heroes」はボウイのポップセンスとロバート・フリップの硬質なギター、イーノの実験的な電子音楽が一体となった、ボウイの歴史の中においても異端の輝きを放つ名曲となった。ボウイ、フリップ、そしてイーノという当時の英国を代表する知性派が一丸となって突進していく姿は英国ロックのロマンを感じさせるものだ。ボウイは力強く歌う。僕達は英雄になれる たった一日だけなら僕は王となり 君は女王となる僕達なら醜いやつらをうち倒せるたった一日だけなら 僕達は英雄にだってなれるんだそれは、過去のトラウマやスターダムから来る精神的重圧や音楽ビジネスの現実と闘いながらも常に前進してきた英国ロックの孤独な英雄である彼の歌でもあった、とも言えるかも。1977年に生まれた「Low」と「Heroes」の2作はニューウェィヴの源流と言えるブリティッシュ・ロックの大名盤だが、ボウイはそれと同時進行の形でイギー・ポップの傑作アルバム「Idiot」「Lust For Life」のプロデュースも行うという驚異的な仕事量で、ボウイの創造力はこの時期頂点に達していた事を思わせる。ここに刻まれたサウンドは発表から30年近くたった今もその輝きを失っていない。ポム・スフレのホームページではデヴィッド・ボウイのアルバムについて取り上げています!
2006.01.04
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