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こんちは、かもしだ(元ヤンマー)です。 重い濡れ雪が降り続いています。屋根から落ちる雪の音も、暗く渋い音です。 いっそ、雪じゃなく雨ならまだ傘とかさして歩くんですが、この雪じゃ傘さして歩くと傘に重~くつもっちまうです。 一昨年の日記にも書きましたが、冬に娘が交通事故に遭いました。腰の骨折です。今はもうダイブいい感じですが、寒いときついみたいです。 今年の冬は、家から数十メートルだけですが、歩道の除雪をしています。いや、別にボランティアとかそういうのじゃないっす。 人通りが少なく、狭い道なので、一日3,40人通ればいいような道ですが、クルマはよく通ります。葬儀の会場が近くにありますので、お通夜のある夕方は特に。 うちの前を通るヒトが少しでも、安全に通れるように歩道を除雪してます。 ほんとは、怪我した娘のこと少し考えてんですけど、当人は何故かその道通りません。 親の心、子不知。 ま、いいや、と思い直し、今日も仕事帰りに玄関に鞄放り投げ歩道の除雪をしましたよ。 一旦決めるとやり通さないと気が済まないところは、軽い自閉症傾向でしょうか。ううむ、よくわからん。 映画「スモーク」のたばこ屋の親父の、定点観測に妙に親近感を覚えるわしです。 ぎゃふん。
2005.01.25
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こんちは、かもしだ(元ケーリー・グランと)ですと。 ジョン・ウー監督のペイ・チェックをDVD借りてきてみました。流石のディック原作もウー監督にかかると、ウー作品になっちゃいますね。 いや、いい意味でも、悪い意味でも、です。 白い鳩がパタパタは、自作品を印象づけるモニュメンタルな手法なので、まだいいとしても、互いに拳銃を突きつけ合ってカメラが周りをぐるぐる回るアレは止めた方がよかったかも。 「男たちの挽歌」や「フェイス・オフ」そのまま、なんで。 特典映像で、監督のインタビューがあり、その中で「最初は、マット・デイモンにやってもらいたかったが、スケジュールが合わず云々」と言ってました。 デアデビルの時も、?でしたが、今回も、どうもベン君のアゴがセクシーすぎて映画に集中できません。こんなエンジニアおるもんか、いや、一般的なエンジニアのみなさんの容姿がどうこういうつもりはないですが、エンジニアから最も遠い顔立ちなのかな、という感じなので今ひとつ話に説得力が欠けて見えてしまうんです。 ディック原作のセクシー男優によるアクション・SF映画。 ううむ、はなっから、無理のある企画だったのかも知れない割には、ウー監督のCG大嫌いな力業とキルビル上がりの笑っても不幸顔の由真・サーマンのアクションがこの映画を何とか支えているのかもしれません。 あ、でもディック特有の謎解きっぽい雰囲気はしっかりと残っていると思いますよ。その点は○。 それはともかく、ブレードランナーを、ユージャル・サスペクツのベネチオ・デルトロで誰かリメイクしてくんないかなあ。アダルト版で。 ぎゃふん。
2005.01.22
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こんちは、かもしだ(元東急ハンズボン)です。 今日は11時から伯母の告別式でした。告別式は、通夜と同じ東洋大学隣の朝霞台斎場。大勢の学生が行き来する大きなグレーの建物でした。 告別式が終わり、霊柩車へ男たちが棺桶を運びます。釘打ちしないのが、優しい雰囲気だな。 火葬は戸田まで行きました。 あっという間に灰になりました。一昨年亡くなった伯父とうちの親父の待つあの世へ行ってしまいました。 朝霞台へ戻り、三日七日の法要。 伯母の戒名はあの世での心機一転ニューネームらしく、「花顔」で始まる綺麗な戒名でした。 順番なんだよね、寂しくなるねと従兄とビールを注ぎ合い、従兄の息子と他愛もない話をし、5時の新幹線に間に合うように、駅へ向かいました。 東京駅を後に、レモンチューハイでの駅弁夕食。疲れでうたた寝を繰り返す、私とお袋。 真夜中近くに、うちの近所の駅に到着。そう言えば、持病を抱えていた伯母は遠出ができず、うちには一度も来たことなかったなあ。 安らかに眠ってください、ね。 ぎゃふん。
2005.01.20
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こんちは、かもしだ(元伊藤つかさ)です。朝、7時発の特急と新幹線を乗り継いで、朝霞の親戚の通夜に行きました。週刊誌とサンドイッチを買い込んで、お袋と一緒の旅でした。亡くなった伯母は綺麗で活発で頭の切れるヒトでした。16年前にあの世へ逝った親父の姉でした。実際に会った時間の合計は、遠いところに住む親戚ゆえ、多分40時間ぐらいでしょう。でも、とても血のつながりを感じました。一人っ子の従兄は、亡くなった伯母の棺桶にたくさんの着物や洋服を詰め込みました。洗濯されて、すぐ着られるようにきちんと畳んで入れてました。通夜が終わり、東武東上線で池袋へ。池袋東口に宿をとり、晩飯はソバ。お袋と向かい合って、ざるソバでした。なむなむ、ぎゃふん。
2005.01.19
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こんちは、かもしだ(元和風ミルメイク)です。 この昆布だしがまたいい味、出してます…。 つるつるアイスバーンの道を走って、ビデオ借りてきました。サンダー・バードです。劇場版でみたいなーと思ってましたが、見なくてよかったです。スピリット的には、スクービー・デュー路線です。パンチが当たると「ぽい~ん♪」という効果音が流れます。 良くも悪くも、ジュブナイルです。ま、それでいいんですけど。 かもしだのメカニクス眼には、ジェットモグラがたいそうかっこよく映りました。今回の一番です。 他の2号の搭載機は残念ながら、プラモデルっぽくてだめでした。 あと、3号の発進シーンが大気圏を勢いよく抜けていくスタイルがなかなかかっこよかったです。 それと、2号発進の際の垂直方向のちっこい噴射が、臨場感があって凝っていてよかったです。 そいでもって、1号が可変翼のVTOLだったので、これまたかっこよさに驚きました。 全部じゃん。 ストーリーは、なんかよくわかりません、ペネロープはチャーリーズエンジェルだし、ティンティンは超能力者だし、悪役の女の前歯はすきっ歯だし、もう降参です。 結局、高校生を国際救助隊の隊員に迎え入れるエピソードを、インド人見殺し事件を通して描いた、ってことでした。 オープニングの万博っぽい(としか喩えようがない)アニメーションから、最後まで見ちゃいましたから、私にとっての引きつける力はかなり強い映画と判断します。 真実:愛する人を失った金持ちは、いろんな意味で金遣いが荒くなる。 ぎゃふん。
2005.01.13
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こんちは、かもしだ(元日本版FBI)です。 連休は雪片づけの毎日です。毎日40cmぐらい積もります。朝片づけても、午後にはまた積もっています。もう、へとへとです。気持ち的には、家の前と駐車場の雪を朝30分かけて片づけるのは、冬場の体力維持のためにも、全くOKなんですが、これほど降ると最早、体力維持どころか疲労困憊です。 クルマで出かけようにも、排雪が行き届かないため、幹線道路が交通渋滞になり、どうにもなりません。 あ、雪国にお住まいの方以外は見慣れない単語ですね、「排雪」。説明しましょ。 ブルドーザーなどで、近所の公園や空き地に雪を寄せて、車道を確保するのが「除雪」。毎戸から出される雪も朝3時頃、寄せてくれます。で、10tトラックに、除雪し集めた雪を河原などに捨てに行ってくれるのが「排雪」です。 除雪は、市によってほぼ毎日行われていますが、排雪は、たまーにしかやってくれません。無茶苦茶なお金がかかるからです。 除雪だけだと、次第に家の周りの雪が増えて行き、だんだん家が埋もれていきます。そうなる直前あたりに排雪があったりするわけです。活かさず殺さず、です。政治です。 前にも書きましたが、雪へらを自分の手足の用に扱えるようになると、結構面白いです。なので、披露困憊の中でも「とー!背面投げ」とか「おりゃ!室伏スロー!!」とか、気を紛らわしながら、自分の家の雪を川や除雪予定の道路に捨て続けています。 あまりの酷使に雪へらも、既に一本天寿を全う致しました。よく働いてくれました、ナムナム。 ちなみに、このように雪が次々と降る様子を、こちらの地方では「のつのつと降る」と表現します。息つく暇もなく積み重なっていく様子です。 あと1ヶ月はこんな調子で雪との戦いです。暢気な学者とか偉いヒトは「遊雪」とか「親雪」とか、雪と共存しよう、とワケのわからんこと言ってますが、雪国に住む99%のヒトは雪が邪魔だと思ってると思います。 ううむ、言い方がくどかった…。 つまり、不便この上ないこの雪国の現状に、カミさんと「老後は雪のない地方で年金暮らしできればいいなあ」と話した、というコトです。 年金制度が生きていれば、の話ですが。 ぎゃふん。
2005.01.10
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こんちは、かもしだ(元森蔵と木殺)です。 正月中に、注文していたメカモが届きました。蟹です。 息子の遺伝子を確かめるべく、「作ってみいひん?」と促し、作り方の説明書読んで、ダメみたいなら父が作るすけ」と一応、投げかけてみました。 説明書を最初見てましたが、うう~ん、できるかどうかわかんない、ぎりぎりだと思うという発言。何がぎりぎり、と聞いたところ、今まで作ったものの中で一番部品が多そうだから、とのことでした。 彼は、説明書を見ずに勢いで作ってしまい、失敗する傾向が強いヤツなので、一日この説明書眺めてみて、できそうなら作ってみれ、と執行猶予つきでブツを引き渡しました。 次の日、箱はそのまま、息子も全く話無し。 次の日、仕事から帰っても、やはり動き無し。 ううむ、このままでは、やはり私が作ることになるのだろうか、箱には「大人の科学」と印刷されているので、ま、それも致し方ないかな、と思い始めました。 次の日、帰ってみると、すでに完成した蟹がぎーぎー動いてました。 驚きました。 聞いてみると、2時間ほどかけて自分一人で作ったとのこと、何げに嬉しかったです。 しかし、動きをよく見てみると、どうもおかしい。右進も左進(蟹なので)もぎこちない。どれどれと息子と原因を究明にかかりました。 数多い部品の中、わずか一部品がずれていたために動きがおかしくなっていることを私が発見し、息子に説明。彼も、ううむ、その通りと同意。 全ての部品を一度分解し、また組み立て直すことが必要だと息子に進言しました。ちょっと、イヤな顔しました。 そこから1時間、私はネジを回す時にナットを固定するぐらいを手伝い、彼がほとんど一人で、また組み立て直しました。組み立て始めると、ヒトが変わったようにドライバー使ってネジをしめ続けてました。そして、2度目の完成。 今度は、先ほどとうってかわってスムーズに動くようになりました。二人でぱちぱち。ネフはビクビク。 昭和40年代のメカモと違い、リモコンのコードが無く、赤外線による遠隔操作式になっているため、蟹の脚にコードが絡まる心配がありません。また、全体的にアルミ合金を使っているせいか、固く軽いのが印象的でした。 昔、小学生自分メカモを作った時は、もっと重かったような印象を持っていたので、その軽さに驚きました。親父も同じような気持ちで、私にメカモを買い与えたのかなあ、とか思いました。 学研では、あとセンチピード(ムカデ)とインチワーム(尺取り虫)があります。個人的にはムシキング人気を後追いする形で、クワガタとかカブトムシの開発をお願いしたいところですが、ま、しょうがない。春休みのアタリに、今度は尺取り虫に挑戦予定です。(お金に余裕があれば、ですが) 太い遺伝子を確認でき、嬉しい限り。 ぎゃふん。
2005.01.08
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こんちは、かもしだ(元C-3PO)です。砂漠で私に触ると熱いざますよ。みなさんは、自分の誕生日のお祝いしますか。っていうか、「してもらう」ヒトがほとんどですよね。自分の誕生日には、産んでくれた親に感謝し、親にプレゼントしましょうよ。あ、もちろんできる範囲でオッケーだ。おかあさん、産んでくれてありがとう。おとうさん、おかあさんと出会ってくれてありがとう。ロボットじゃないんだから、自分で考えようよ、こんな感じで。親のいないヒトは、天に向かってこう感謝しよう。私につながる、数百世代の人々よ。出会い、愛し合い、私の代まで命をつないでくれてありがとう、と。いや、ロボットは好きなんすけどね、ぎゃふん。
2005.01.05
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こんちは、かもしだ(元光速エスパー)です。ひかーる、ひかる、とおーしばっ! ぐうう、ごっつう、懐かしい… おそらく、光速エスパーが最初ではないかと思われるのが、画面を跨ぐシーンがオープニングであったことです。TVの画面の右端と左端が真っ黒で、その間の白いところをとびこすように、向こう側をエスパーがスゴイスピードで跨ぐんです。 アメリカTV映画の西部劇とかではこういうシーンはあったんでしょうが、ロケを映画用のフィルムで撮影してた頃ならではのカメラワークですね。 TV映画の世界では、カメラの性能が今ほど高性能ではなかった時代は、様々な特殊効果を身近にあるものでやっていたことでしょう。とりわけ、奥行きを出すには、ミニチュアを使えばいいんですが、制作費がかさむのでずいぶんとアングルとか凝って対処してたものも多かった気がします。 劇中の心理表現を台詞や役者の演技に依らず、アングルで作り込んだ監督も大勢いました。 ウルトラセブンの実相寺監督などがいい例です。 昼のウルトラマン、夕焼けの新ウルトラマン、夜のセブンと揶揄されるように、第2次大戦後の沖縄占領とシンクロした、地味で暗い侵略をテーマにしたのがセブンでしたが、文字通り夜の戦闘シーンも多かったです。今のウルトラシリーズのように、全身が明るく映っていることは滅多にありません、真っ暗な中にセブンのオレンジの目だけが光っているシーンもよくありました。 また、主人公だろうが、ヒロインだろうがセブンでは、手前に電柱やガラス窓など邪魔なモノが置かれ、その障害物越しに主人公たちのストーリーをのぞき見するような感覚がありました。 ヒトはおそらく、奥行きに対する無意識の欲望があるのでしょう。平面に描画し、立体感や奥行きが描かれれば「習得した高度な技能」として認められ、評価されます。線描の立方体を見ると、平面に描かれておりながら、立体に見えてしまいます。 TV映画黎明期の意識的に撮影された立体的な画面の構成も、そのヒトの無意識に働きかけた高度な技だったわけです。 たぶん。 で、ホログラムというものがあります。 簡単に言うと立体写真とでも言いましょうか。私は、あるホログラムショップから数枚、ホログラムを購入し、家中に飾ってあります。そのホログラムが有る場所だけは、部屋の壁以上の奥行きを楽しむことができます。 目が良くなるという触れ込みで最近売り出されている裸眼立体視などと違い、目も疲れませんし、光の当て具合で色々と楽しむコトもできます。見ていてとても楽しいですし、良い柄や気に入ったモノがあると、すごく購入意欲を駆り立てられます。 四角い枠の中に、立体感がよーくわかるような題材がチョイスされ、のぞき込むように見ると無いはずの奥行きがドーンと見えてきます。 一昔前の科学博あたりで、360度どこからみても立体の立体テレビがありました。厳密にはテレビではなく、ある種の映画なんでしょうが。これはなかなか一般に普及していません。 これは技術的なもの以上に奥行きが制限されて、映像のいじれる、工夫できる範囲が狭まってしまうことがわかってしまっているからじゃないかな、とも思います。 不自由な技術の中にあっても、思いが強ければ、ヒトは工夫をし、誰かに何かを伝えるために、最大限の表現を行います。おいそれと撮影ができないホログラムの作品を見ればその思いがよく伝わってきます。 今の何でもできるTVやVTR記録機材は、余りにもヒトの工夫を削ぎ落としているように思います。現在のTV映画でもそうです。残念ながら、凡百な映像が溢れかえり、作り手が本気であらゆる手段を使い、こちら側に伝えようとする価値が見いだせません。 TV映画黎明期のエスパー、セブン、そしてホログラム。同じような制作者の熱い思いが伝わってきます。 リンク貼ったから、ホロのショップ覗いてみてちょ。ぎゃふん。Designed by Shion
2005.01.04
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こんちは、かもしだ(元ジャック・バウアー)です。ばきゅーん。後で、かけ直す! 朝一が映画1000円でしたので、一家で映画館へ移動して午前中を過ごしました。コドモとカミさんはハウル、私は前回見るつもりで見逃した「ターミナル」を見ました。 いやあ、イイ映画だあ。みなさんも、見て下さい。 細かいチェックとか要りません。素直に、スピルバーグの押さえた映像とハンクスの絶妙な演技を楽しみましょう。ゼタ・ジョーンズがあまり好みではなかったのですが、人生見切ったスッチーを見事に演じきってました。パチパチ。これからはファンになります。 ネタばれになるので詳しくは書きませんが、インド人のグプタじいさんがいい味出してました。移民の国、自由の国の裏側をおもしろおかしく表現してました。脚本とか原作があるのかどうかわかりませんが、スピルバーグのフォーカスがハンクス演じるノボルスキーではなく、このグプタじいさんに合っていたような感じがします。 FOXチャンネルでは今「24」をやっており大人気でありますが、この「ターミナル」も連続ドラマ仕立てにしても面白かったのかな、きっと大ヒットしただろうな、とか思います。 そんな感じの物語なのです。 だから、気楽にすんなりと楽しめたのかな。 逆に言うと、別に大画面じゃなくてもよかったかな、という思いも残ります。デジタルドルビーの必要もあまりなかったような…。あ、あの空港の寒々とした巨大感は映画でないと味わえないかもしれない。ビデオやDVDで見ると、主人公の寂しさの深さを感じるのが、今ひとつかも知れません。 今年の夏デトロイト空港でアメリカに入国した際、同行した方が英語がダメで、次に控えていた私が助け船に出た際、結構厳しく長い時間入国目的を聞かれ、乗り継ぎがあわや間に合わないところだったことを思い出しました。 英語が不自由な相手にも、どこまでも質問してくる入国管理の職員の仕事魂と愛国心を感じました。もっと早く入国させてくれたら、フレンドシップも感じたかも知れません。 笑いあり、涙ありで、あっという間の2時間弱。あとからじわじわと、それぞれのヒトにとっての国際社会の将来を考えさせる映画と言えるかも知れません。 中学校の学級持ってる先生!道徳の時間2時間潰してもいいから、この映画生徒に見せた方がいいよ!断言!! 責任はとりませんが。 ぎゃふん。
2005.01.03
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こんちは、松の内かもしだ(元オリックス)です。 遥か昔に、といっても1年ちょっと前、別のサイトで日記をつけていたころ、部屋の模様替えを考えて思ったことをつらつらと書き込んでました。 このような形で日記に記入すると、頭の中が整理されて、その行動に何が必要で、何を先にすべきかがわかってきたのが印象に残ってます。 1階の和室と2階のテレビを置いてある7畳ほどの部屋は現在、クローゼットに続く「脱ぎ散らかし&洗濯物積み重ねルーム」に成り下がっており、とてもセカンドリビングなどとは呼べない代物になっています。ここを、何とかしようと思っています。 まず、最初に散らかる原因の検討です。 第一に、我が家は冬と夏に衣替えをしません。春ジャージ、夏ジャージ、秋ジーパン、冬ジャージってな具合です。これを、少し積極的に変えてやってみて、季節の衣服の入れ替えがきちんとできるようにしてみます。 必要なものは、押入に入る家族一人につき一つのプラケース。10年ほど使える、重ねられるものを選びます。 第二に、引っ越しの際に箱詰めにしたまま、押入に入れた数個の段ボールの発掘と処分です。10年前に引っ越した際の箱がまだ眠ってます。ほとんどが不要品のはずです。とっておくものは別の新しい箱を準備して、徹底的にやってしまいます。 同時に、嵩張る古い衣服や使わなくなった電化製品も処分します。 あふれる原因は、「収納する場所がない」ことと「収納しにくい」ということです。その辺を考えながら、まず「モノ」を処分していきます。 夫婦共働きなので、必要なモノを買い込むのはいいが、捨てる・処分するがままならなかったのも原因ですね。土日もいろいろと忙しいですから。ここは、考え方も「処分」しなければならないかもしれません。 散らかる原因の検討が終わったら、いよいよ「模様替え」です。 長年使用したため、凹んだ棚板のカラーボックスの中に入っているモノや、分類不能のこまごまとしたモノを収納するために、2つの種類の収納家具を購入します。 一つは、引き出し型の衣類入れとテレビラック。衣類用は4つ以上の引き出しにして、下二つはカラにしておきます。ここに無造作に「洗うまでもないけど、しまうのはちょっと…明日も着るかも」という服を入れておくのです。 細々したモノは、同じ大きさの段ボールをホームセンターから買ってきて、それに全部入れてしまい、表に日付を記入しておきます。1年そのままであれば、そのまま捨ててしまうと言う箱と2年、5年と条件を変えて、箱詰めします。 それでも、やはり細々したモノはどうしても残りますので、小さな引き出しが3,4個ついたテレビラックを購入するのです。 そして、もう一種類は本棚です。 本は古本に出しても、自然増が考えられます。窓の高さと相談して、部屋が暗くならないようなモノにします。 本棚は、毎日の生活で必要なモノではありませんので、ヒトの動く線(動線)をあまり気にしない場所に設置。逆に、衣類入れは動きがすっと自然になるような場所に設置します。 ま、7畳ですのでそれはソレ、狭いことには変わりないんで、動線のことを考えてもあまり意味無いかもしれませんが。 あとは10年前に、前の部屋から持ってつけていたカーテンの付け替えです。実際、私が学生時代からのカーテンですので、20年選手です。遮光断熱の優れものですが、もう、引退してもらってもイイでしょう。 だいたい、こんな感じで模様替えを進めていきます。模様替えした後、部屋でローテーブル生活かこたつ生活かも考えておかないと、やたら不便な部屋になってしまう可能性もありますので、事前に考えておきたいものです。 新年に際し、気分一新を狙って書いてみました。果たしてうまくいくのだらふか。 ぎゃふん。
2005.01.02
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あけましておめでとうございます、かもしだ(元夜鳴き蕎麦屋)です。えーん。 今日から日記のタイトルにカテゴリを書くことにしました。 のんびりとTVを見て、雪片づけをし、年賀状の返事を書き過ごした元旦でした。キタラダス派なので、今日だけで60枚書きました。普段、会えない人でも年賀状の端っこの私信でほっとします。あくせくしない一年のスタートが切れました。 さて、主人公。 ヒーローとか、小説の中心となる人物を指すことがほとんどで、主人公のないTV番組は見ていて苦しくなっちゃうほどドラマには主人公が不可欠になっています。決してTV教養講座の解説者を主人公とは呼びませんので、あくまでも物語の中心事物を現在は指してるわけですが、本来の意味は若干違うようです。 禅の教義の中に、自己を見つめる、自分に嘘がないか内側に向かって問いただすことなどを「主人公」というのだそうです。勉強して調べたわけではなく、詳しくはわかりませんが、他との関係ばかりに辟易としている現代人にとっては、自己を見つめ直す手段として必要な素養なのかもしれません。 ま、毎日やってたら疲れちまいます、というかきちんと目標を持って禅の修行しているヒトじゃないと、苦しくてしょうがないでしょう、きっと。 今、教育界では多様性を求めています。多様な人材が将来の経済界が必要だからです。その流れで、一つの価値基準で子どもたちを序列化するのをよしとはしていません。槇原敬之の考える「オンリーワン」という考えが教員に広く浸透しつつあります。 しかし、この考えは危険を孕んでいます。 現実社会は、100万人いれば100万の仕事があるわけではなく、必ずと言っていいほど誰かと同じ職業に就くことになります。その時点でもはやオンリーワンでは無いんですが、その先の生活には必ず競争が付いてきます。日本は資本主義ですので。 ちっちゃい頃はそれでもいいでしょう。 でも、段階的にオンリーワンを「誰かと同じ可能性のある」ものである現実を教える必要があるとおもいます。 他との関わりによって自己の変革を迫られる時、ヒトは大きな力を発揮しますが、自分の中の都合だけで、安定した自分から自己変革を推し進めようとするのはずいぶんと力がいるものです。 だから、学校があるんですが。 オンリーワンを唱う教育をコドモに投げかける時は、必ず「主人公」としての内向きの自己との対峙の訓練をする必要性があり、そのコト無しにオンリーワンを進める危険はものすごく高い気がしてしょうがありません。 発達段階から考えると、自己中心的な考えから周りとの関係を構築していく小学校4,5年あたりから真の意味の方の「主人公」をやっていかなきゃならんと思います。 「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」 このことは、文科省の推進する多様化の許容と相まって、オンリーワンを見つけるコトを強要しているようにも捉えられます。クラスで一番とった子には、競争を挑んではいけない、というニュアンスも生まれかねません。 ニートを増殖させたのは、少年前期からの教育による、このような無競争一億総「ぼくはぼくの生きる方向がある。口出ししないでくれ。でも、認めてくれ。」主義によるのかもしれません。 もし、オンリーワンが見つからなくても、踏まれたり蹴られたり、楽しかったりまあそうでもなかったり、普通に稼いで、それなりの人生を歩んでいく「普通の人生の歩き方」をそろそろ義務教育で教えませんか? ぎゃふん。
2005.01.01
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