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こんちわ、かもしだ(元てぃーえむ・えぼりゅーしょん・ぢ・えんどおぶ・じぇねしす・たーぼたいぷ・でぃー)です。ふーっ、合ってるかどうか定かでないし、確かめようという気概もない。ぐふ。で、情熱大陸の奈良サンのVを見ました。HDDレコに「美術」をキーワードにしてたら、録っておいてくれました。ありがとう、東芝。つくりたいものをつくる、ことを徹底的に実行し、「職業としてではなく、生き方として絵を描くことを選んだ」と言ってます。インタビューで吉本ばななが「押しつけられた生き方や価値にものすごく抵抗して生きている。そのことにとても強い共振性を覚える」みたいなこと言ってました。ニューヨークのオークションで、1枚の絵に1億2千万の値が付いたらしいです。40才にして惑わずとは言いますが、奈良サンは40を越え、孤独の領域から、統合された環境(決して協力的環境だったり、群れではなく)へ移行しつつあるのでしょう。やりたいことが出尽くして、何か新しい血を求めるのはアーティストとして当然の帰結でしょうし、その方法が孤独を放棄することだったのが現在の奈良サンの作風なわけです。孤独とそうでないモノの統合、自分と自分以外との統合。奈良サン自身が壊れなきゃいいけど、と思います。タイ音楽を聴きながら子どもたちの中で描いた作品は、静謐で温かく、深淵。一方、ロックを聴きながら一人で悶絶しながら描く作品は、激しくヒトを拒む画風です。わかりやすく深い。時間をかけて単純化した数式のような美しさ。今現在の奈良サンはその高みに向かってのぼっているように思います。青森県弘前市生まれのこの画家は、弘前での大規模展を最後にしばらく作品発表を中断する予定です。画商がゆるさんと思うけど、がんばって行方不明になって、作品書き続けてほしいものなり。
2006.06.26
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こんちは、かもしだ(元看護室長)です。詰め所から出たら、個人名は一切言わないこと!わかったわね!不登校に関して、現場の先生方のための本に出会いました。その本の中に「3つの誤解」が書いてました。著名な研究者が書いた本とのことですが、自分でまだかみ砕き方とかがイマイチなので、「聞いた話」程度に書きます。一つ目「受容」の誤解学校の先生方は、どうしても難しいことを単純化して捉える傾向があります。「深く考えない人種」と言われればそれまでですが、もともと教育学部なんていうのは「中の中」ぐらいが関の山の集団なので、学究の徒とはいかないのが現実なのです。毎日の児童生徒とのやりとりで実のところ精一杯の人種なのです。なので、児童や生徒に相談を受ける時はカウンセリングマインドが必要だ、とか声高に言われ続けると、「ああ、そんなもんなのかな」とか思い始め、どのような相談であっても、相談の経緯がどうであっても、「オウム返し」に相談者の心情を受容し続け、「こんな相談続けてちゃ、解決にいたらんかも…」とか思いながらも、やっぱ「受容」を続けちゃうわけです。「受容」の方法は、あくまでも状況が深刻で、かつ長い時間かけて本人と本人のもつ課題を向かい合わせ、一緒に解決に向けて歩みましょう、という「必要」のある児童生徒の相談に活用されるべきで、事態が急を要し、今この一手がその子の人生を左右するかもしれない時には、「受容」とか言ってられない時もあるわけです。時にはキンパチっぽい行動もしなきゃ行けない時もあるわけです。先生方が「受容」を使う時、言葉の裏には、「やることはやってます。でも、あまり責任とりたくないねん」的逃げ腰が入っている時もあるかもしれません。最早そうなると、誤解ではなく確信犯ですね。その弐「どの子にでも起こりうる」の誤解文部科学省は、学級担任の児童生徒理解のための意識を喚起し、管理職に自校の実態に応じた不登校の予防策策定を推進するために、警鐘を鳴らす意味で、不登校は今や「どの子にでも起こりうる」現象であるのだ、と言っちゃいました。そんなわけあるかい…。現象には、素因と原因があり、不登校のように長期に渡る事象の場合には、継続する理由も別に生まれてくるわけで、そんな簡単に「誰にでも起こること」じゃないはず。で、この言葉を鵜呑みにした先生方は、どうなるかというと、「誰にでも起こるなら、特別なことではない」、つまり「普通のコトなのだから慌てず対応しよう」となり、「休んだからといって心配ないジャン、大らかに認めて本人の変化をじっくり待とう」となっちゃうわけです。何で、そういう状態になっちゃったのか、とか、休んでいる本人や保護者が結局のところどのように感じ、どのようなニーズがあるのか、の状況把握を全くやらないか、中途半端なまま、その子を放置する状況に陥るのです。適切な対応の方法を学校が構築することがないまま、中学校3年間を終える子どもも少なくないはずです。「確かな学力」の中には、確か思考力や判断力も含まれてて、それをかみ砕いて児童生徒に身につけさせることが求められてるハズですが、鵜呑みにしちゃった先生方の思考力や判断力は限りなくゼロに近いっす。3つ目、「登校刺激をしてはいけない」の誤解ワタシもそうでしたが、15,6年前には、クラスに不登校(当時は登校拒否とか言ってましたが)の生徒が出てしまうと、学級担任は焦りました。どうしていいかわからなくなり、学年に応援を求めたり、保護者といろいろ相談したりしました。で、その結果、ワタシの場合は「実力行使」でした。湯気の出ている布団をはいで、泣きべそかく生徒の前で腕組みをし、制服を着せ、保護者立ち会いの下で階下まで生徒を降ろし、鉄面皮のようになってしまった生徒と今後のコトをじっくりと話し合いました。結果は、×。状況は悪化しました。おそらく、全国でこのような始末だったと思われます。だって、ホントどうしていいかわからんかったもんな。今でこそ全国の教育学系心理専攻の大学で教育臨床心理みたいな、もの出てますが、当時は悪戦苦闘、五里霧中、七転八倒でした。インターネットもないし。先輩教師は「若いお前がなんとかしろ、あたってくだけろ」のアドバイスだったし(いや、ほとんどの問題は、それで解決してました、当時は。)、不登校に関しては、対象となる児童生徒のほとんどは、教師によるあやまった対応で犠牲者となっていた可能性が高いです。なので、その後、心理系の医療関係者や生まれたてのスクールカウンセラーらが、学校を外から俯瞰しての専門家としての見解として、これまた警鐘を鳴らす意味で、過度の「登校刺激」はいけない、とあちこちの講演会やら研究会で言っていました。それは今でも続いていると思います。うわ、なんか今日の日誌なげーな。で、その言葉を鵜呑みにした先生方は、「登校刺激は厳に慎むべきだ。一昨日から休んでいるあの子も疲れているだろうからそっとしておいてあげよう」とか、「小学校時代休みがちだったらしいあの子には登校刺激は控えよう」など、学校としての的確な状況把握や、今後のその子個人に対応した総括的対応を考慮するまでもなく、学級担任の判断のみで、その子と学校の連絡が途絶えます。登校刺激を控えなければならないほど、心理的にもろく、また、状況が切迫し、慎重を期する場合も確かにありますが、不登校のそのほとんどは、初期の段階では非常に軽微(なんてことないレベル)で、適切な働きかけや、継続した丁寧な登校刺激は非常に効果があるはずなのです。「忙しいから、家庭訪問めんどくさい。登校刺激を控えてます、ってことでお茶にごそう」は確信犯。その証拠は、各自治体にある学校適応教室に通ってきている児童生徒の様子をみれば一目瞭然です。うーん、一目とはいかんかも…。でも、教育の現場にいる先生方は、高額の給料の対価として、「鵜呑み」を控え、対人専門職としての自分の仕事を全うすべきですね。「やることやってないなあ」ってコトを自覚している先生方、そろそろきついしっぺ返しがくるよ~ん。やばい時期にさしかかってますですよ~ん。
2006.06.25
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こんちは、かもしだ(元カカオ)です。99%は、苦いっす。唾液なくなるっす。お隣の県の温泉に行って来ました。家族で行きました。最近のサービスエリアは充実しているなあ、さすが、高速道路の改革は進んでいるなあ、とか思いながらも、110km出すと30kmオーバーで暴走運転だなあ、でも大丈夫かな、いや、今失職したらきっと痛いなあ、など、高速で移動している時はどうしてこうも次々といろいろなコトを考えるんだろうってなくらいいろいろ考えながら2時間半走り続けました。まず、温泉に行く手前の町にある美術館に立ち寄り、先日亡くなったお世話になった先生の個展を見に行きました。若い頃の先生の写真や当時の悶絶するような作品群を見て、感動しました。身につまされるとはこのことです。こうしては居られないけど、何をすればいいんだろう、という自問自答モードに入りました。今も入ってますけど。息子が結構作品をじっくり見てたので、意外でした。で、その美術館を後にして、一路温泉方面へ。まだ時間があったので、温泉に着くちょっと手前に伝統工芸や文化の体験施設があり、お土産や特産品も売ってるようなので、寄ってみました。マレーシアのヒトが手焼きセンベイ焼いて、きゃーきゃー言ってました。駄菓子や特産の鍋を購入し、ゆっくりと温泉街へ突入。着いた温泉はダム湖の湖畔にある、ちょっと古いけどこぎれいでリーズナブルな宿舎でした。風呂はでかくて、露天もあり、息子と二人でのんびり入り、夕食は牛とか川の魚とかバラエティに富んでいて味もしっかりしてて、よかったです。ただ、布団がセンベイ(マットレスなし)だったのと、冷房が弱すぎて、風呂上がりの汗っかきのワタシにはちょと寝苦しかったことが、マイナスポイント。翌朝、近くの牧場へ行き、機織りやら乗馬やら、犬と羊のショーとか、普段近所ではできないことをたっぷりやりました。このような牧場を経営するということは、一つの思想なのだな、とあちこちに置いてあるパンフレットや説明でよくわかりました。只単に自然が好きだから、小さな牧場をやる、つーのとは桁が違うところでした。牧場を後にして、有名らしいパン屋さんへ行きました。森のパン屋さんということで、本当に森の中に一件のパン屋さんでした。のっちりと重い、粉の味が旨いパンでした。時間に追われずに、ゆったりとした行程で移動できたので、家に着いてからもそれほど疲れていませんでした。やはり旅行の善し悪しは日程で全てが決まるのだなあ、なんて思ったりして。
2006.06.24
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