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国語の問題で詩の鑑賞がありますが読むたびに詩人ってすごいなぁと思います。彼らは自分で言葉をひねり出すというより自然とそういった言葉が思い浮かぶんでしょうね。たぶん…身の回りの現象が、なにかしゃべっているように感じたら詩人の才能があるらしいです。たとえばカップラーメンの湯気が「おいしいよ」って言っているように聞こえたらどうも詩人の適正があるようです。一度もそういう声を聞いたことがない…じっと耳をすましていれば聴こえてくるかな。
Aug 31, 2005
僕の塾は基本的には個別指導です。僕自身、集団授業に限界を感じて、自分で塾をやるのなら個別指導だと結論付けました。これは僕自身の解です。すべてに当てはまる解ではありません。集団授業の指導に向いている先生方たちがおられるからです。授業の内容や授業の展開の仕方を見ていると物凄くスムーズに見えます。事実、生徒の成績も上がっていました。僕の主観ですが、僕が集団授業が巧いなぁと思った先生方は授業が物凄くスタイリッシュであったことです。いわゆる泥臭さがない。キッチリと割り切って、自身の授業をされておられることです。僕は割り切ることができませんでした。僕たちはプロです。指導目標を明確にし、それを具体的に実践する授業が大切です。プロはそれができるからこそプロであり、いつでも安定した実力がだせるのです。しかし、僕はプロに徹することはできませんでした。いつも授業はどこか戸惑いがあり、状況の変化により授業の方向性がズレてくるのです。その原因は生徒の学力差でした。集団指導ですと、生徒に演習をさせていると、恐ろしい事実に直面します。それは過去にならった内容を忘れてしまっていて、解けないということです。彼らは、今僕が教えている授業を受けるべきではない…その思いが授業のペースを狂わせました。今思えば、方法はあったと思います。 過去に習ったところの復習を別に時間に呼び出して、演習させれば良かったのです。ですが、なかなか集団授業の中で、個人個人の実力を完全に把握することは僕の力量では難しかった。どちらにせよ、平常の授業自体が、出来ない子にとってはかなり消化不良に終わってしまうのです。生徒のできないところをこの眼でしっかりと確かめその場ですぐに指摘したかった。解けない原因は、今まで習ってきたことが身についていないその危険性を真剣に伝えたかった。そして問題解決にむけて一緒に立ち向かっていきたかった。その答えが個別指導だったのです。
Aug 28, 2005
高砂市にあるイヌイットというレストランにいきました。素晴らしい。1品1品にこだわりをかんじる。まず食材の質が高い。そして食材のポテンシャルを最大限に活かした料理である。食べられた人は皆、共通のイメージを共有する。自然の恵み である。直接言葉にしなくても、このイメージは間違いなく伝わる。お店の内装もそのイメージを継承しており、接客も心がこもっていて、ゆったりと自然体である。すべてにわたり、自然の恵みの魂がこめられているような気がしました。これは模倣できない強烈な独自性です。これは相当大きなエネルギーでしょう。この店を作った人たちだけしか、維持できないでしょう。なぜなら、それを維持できるだけのシステム作りがされている。そのシステムは画一的でないため、彼らしか維持できない。そういったシステムのような気がするのです。
Aug 24, 2005
僕は、国語の授業だけ予習しています。一度読んでおかないと流石に解けませんから。そのせいか、国語はかなりエネルギーを使います。でも国語の問題でおもしろいのは、エネルギーをかけて読むほど答の方から勝手に浮かび上がってくる感じです。手を抜くと正解からすこしズレる。決して手を抜けない教科だと思います。数学の応用問題もそれに近いものがありますがパターンに当てはまるケースは多く、新鮮味は感じにくいです。その点、国語はすごい。いつも新鮮です。そして解く度に、学力が頭打ちになる感覚がない。やればやるほど、学力がついてくる感覚があります。国語はコツコツ勉強していこうと思います。
Aug 23, 2005
小学生のころ、父親に将来の仕事について尋ねたところ「仕事というのは、楽しんでやるものではなく必要に迫られてやるものだ。」と言われました。でも僕は、「楽しんでやったほうがいいよね?」と言ったら「それは趣味にしなさい。働くとは本質的に違う。」と反論されました。当然、僕は納得がいかず、「仕事は楽しんでやるようにしよう。」とその時は強く思いました。大学生になって、なんのために仕事をするのかを再び考えました。それは、確かに本質的には楽しむためではないでしょう。生活のためです。そして仕事は大変な競争の下で成り立つものだから自分に合った仕事をしたほうがいいでしょう。もし、自分にあった仕事だったら、生活をより豊かなものに変えることが容易になると考えました。よってまず生活があり、それを支えるための仕事がありその仕事を十分に支えられるだけの才能があれば後は働きながら、楽しみは仕事自体や、またはその合間に見出していけばいいと思いました。
Aug 16, 2005
独立して5ヶ月が過ぎました。今は不安と喜びが入り混じっています。不安は…このお盆休みに生徒たちは勉強しているかということ。喜びは…自分の想いで塾がやれていること。不安はかき消すには、やはり授業でしかないのでしょうか。ひとりひとりの生徒たちに対する、僕の目標は違います。その目標は漠然としたものであっては駄目で言葉でハッキリと伝えられるものでなくてはならないのです。抽象的ではなく、具体的にです。そうでないと、生徒と保護者の理解は得られにくい。ひとつひとつの授業が、なんの目標達成のためのものなのか。僕は伝えていかないといけないのです。そして、行動に移していかなくてはいけません。これは経営的にみても、やるべきことです。明確なサービス…これは求められているサービスだと感じているからです。僕はそういうサービスを提供していきたい。
Aug 13, 2005
渇望という言葉が気になります。僕はこの渇きというものが恐ろしいけれどものすごいエネルギーを持っていると思っています。それは、真空に似たものだとイメージしています。渇望が強ければ強いほど、真空に近くなります。真空に近くなれば、近くなるほど吸い込みたくて吸い込みたくて仕方なくなります。今、僕がやっている仕事はその渇望により選んだ仕事です。だから、授業をしていないと生徒たちと向き合っていないと勝手にココロの中は真空になろうとします。埋めていかないと、絶望に陥ります。そして、絶望は僕に、僕が何に渇望するのかを教えてくれました。学生時代に僕は一度、絶望したことがあります。自分の才能についてです。恥ずかしいのでそれについては書きませんがそこからはじまりました。生徒のみんなが絶望したかどうかだけ知りたいです。別にその内容は話してくれなくても構わない。もし、絶望したのなら、なにかがそこからはじまるような気がするからです。
Aug 7, 2005
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