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ブログは基本的には、日々感じたことが書かれてあるものだと考えています。そして表現されている内容は断片的であるため、あいまいな部分を含んでいると思っています。だから決して鵜呑みにせず、自分なりによく見極めさえすれば、必ずプラスに働くと考えています。なによりネットの凄いところは日本全国のあらゆる地域にいる人たちの思い考えが見れることです。しかもリアルタイムで。この広さと新鮮さが、大きな刺激になっていると思います。今、僕がやっていることのいくつかは、振り返ってみれば、ブログの影響を受けていることが多いです。今後もいい刺激にしていきたいと考えています。
Oct 31, 2005
だいたいの場合において変化とは、時間がある程度たって、ある一定期間を振り返ってみて変わったなぁと思うものです。日々の連続の中で何かが、すこしずつ変わっていっている。それは自分自身の問題においても自分以外の問題においてもです。誰しもがあるとき何かを手に入れてあるとき何かを捨てている。それが蓄積されて、ある程度、変化が大きくなった段階ではじめて変化に気づくのです。ということは、日々の連続の中でその変化は無意識的に進行しているということです。その変化に全く気づかない。それを気づける強さがないのです。自分自身の変化も自分以外の変化もアンテナを張っていくことで僕自身が、なにをしたいのかが決まってくる。変化に気づくということは僕自身の生き方を決める上で重要な刺激なのです。
Oct 30, 2005
塾に勤めていたころの4年目、ちょうど2月中旬から3月中旬までのころです。僕は4教室の入塾説明会の担当を任されていて、1ヶ月間くらい、ずっと休みがありませんでした。公立受験の真っ只中でもあり、授業も必至でした。そして募集も必至でした。しかも外はかなり寒かった。あるとき疲労がピークに来ていました。お腹がすいていました。面倒くさいので、コンビニでパンとコーヒーを買って駅前のロータリーにあったベンチで食べた。行き交う人たちを眺めながら「結局、今年は独立せーへんかったな…」心の中でそうつぶやくと、すこし悲しくなった。でも、仕事は嫌いじゃなかった。しんどかったけれど、自然と体は動きました。そういうとき、いつも思うのです。他の仕事だったら、ここまで頑張れなかったと。僕は、本当にこの仕事が好きなんだと確かに実感しました。どんなにシンドイときでも、自然と湧き出てくる気持ちがあるからです。
Oct 28, 2005
具体的にやりたいことがいくつかあります。それを実際に試してみて、良ければドンドン取り入れていきたい。そうしないと成長はないと思っています。やりたいことが思いついたのはたんなる偶然ではなく、必要にせまられているからです。なにか不都合や不合理が生じているからいろいろな対応策が思いつくのです。しかし、現実的にそれがうまく機能するかどうかは実際に試してみないと分からないです。失敗は怖い。成功する保証はない。無駄になるかもしれない。悪いように働くかもしれない。でも成長を止めたくはないです。新しいことをはじめなければ、劇的な成長は起こらないと思います。この成長を欲する気持ちは、どこから生まれてくるのか…言葉にしにくいのですが僕にとって、物凄く重要なところから生まれてくるような気がします。
Oct 28, 2005
春も終わりのころです。開講から一段落したころ高校の友人が塾にたずねて来てくれた。彼は、勤めていた会社を辞め、1ヶ月以上の間、東南アジア(タイ、ミャンマー)を一人旅し、ちょうど帰国したばかりでした。なんで旅しようと思ったん?と聞きました。日本や自分のことを客観的に眺めてみたかってん。と返事が返ってきました。なるほど…と思った。日常の中では、その有難さも駄目なところもなかなか気づかない。慣れてしまっているから。でも、やはりどこか違和感を感じることがある。それを確かめたくなったんでしょう。なにか気づいたことある?と聞きました。アジアの子どもたちはホンマに純粋やで。物質的には物凄く貧しいけど心はものすごくゆとりがあるで。と言っていました。さらにこう続けました。向こうは情報量が少ない分、そのゆとりを、思いやりとかに向けれるんちゃうかな。だから外国人である日本人に対しても屈託ない笑顔でいられるんや。日本人は海外に行っても閉鎖的で、日本人同士で群れ合ってんねんから。そういえば大学時代の先輩も外国旅行が好きで、東南アジアの子どもたちはめっちゃ純粋やでと言っていました。友人にたくさんの写真を見せてもらいました。物凄く笑顔です。びっくりするくらい。幸福に満ち満ちている感じ。全員キントウンに乗れるなぁ と僕は冗談言いました。しかし…僕には写真を見ても、話を聴いてもどういうものなのか理解できないのです。やはり実際に、行って確かめてみないことには理解できないのです。僕の塾には、低学年から塾に来てくれている。彼らは、僕の感覚では、物凄く純粋です。僕が知る限りでの純粋は、ここにある。それは守るべきものだと思っています。
Oct 26, 2005
僕は講師の方に基本的にはこうしてくれ、ああしてくれとは言わないようにしています。それは講師の方々には、その講師の思うやり方というものがあるからです。僕の塾の指導形態自体は、簡単には変えられないですが授業内容は完璧に任せている。その上で僕が責任を持つんですね。そういう考え方に基いているので僕にとって講師の方々は年下であろうがその指導に感謝しています。僕にとって、講師の方々の授業はとてもいい刺激を受けるので講師の方々には本当に感謝しています。そして、自分に対して、講師に対して結果だけは注意して見ていきたい。結果だけは講師間で公表していこうと思っている。そこに授業の答えがあるから。そこに授業のプライドが見えてくると思う。
Oct 25, 2005
さっき1時間ほど勤めていた塾の講師の方と電話でお話をしました。最近の塾の話題をたくさん聞けました。僕はそういうゴシップが割と好きなのかもしれない。前の塾がどうなっているのか知りたい欲求があるのです。きっと…それは今の自分を確かめるためなのです。前の自分と今の自分がどう変わったのかハッキリ区別しておきたいのです。今も、僕が過ごした日々が、その塾にあるようです。僕が過ごした5年間が思い出される。そして思い出は、幸せしか濾過しないように思えます。嫌だったものは、良き思い出にしかならないんですね。僕にとっては、本当に大切な5年間でした。この5年間があったからこそ、今の僕がある。勉強させてくれた、自信をつけさせてくれた5年間でした。辞めたからとって、忘れたいものではないのです。自分で選んだ塾の世界。社会人としてのはじまり。塾人の先輩たち、同輩たち、後輩たち。すべてに感謝しか感じられません。ホンマにありがとうございます。
Oct 24, 2005
気づいたら、もう10月も終わりです。最近、時間がたつのが早く感じるようになってます。あっという間に冬期講習に突入しそうです。冬期講習の内容は、時期から考えて夏期講習の内容とは、その方向性が違っていると考えています。一方で、長期休暇中に行うという点で、方向性が同じ部分も大いにあります。だから僕は夏期の経験を通して冬期でやるべきことと、やるべきでないことがすでに頭の中にあります。まずはそれを冬期講習で反映させていきたいです。それから、ぼやっーとしたイメージしか湧かない冬期の内容をしっかりとまとめてから、準備に取り掛かろうと考えています。そのためにも、早く今の仕事を片付けてしまおう。絶対に成功を狙います。
Oct 24, 2005
僕が大学4回生の時就職活動をしてゼネコンに決まり施工管理が仕事になる予定でした。しかし就職が決まっていても心はどこかで塾にありました。3回生のときの夏に1ヶ月間、週休1日で設計事務所のアルバイトをしていました。大体朝の9時半から始まって、終わるのは夜の7時くらい。特に忙しいと感じることもなかった。僕には、責任のある仕事をまかされているわけではなかったですから。室長の図面を清書したり、模型作ったりしていた。本当につまらかった。事務所はずっとFM802が流れていた。ヘビーローテーションはブランキージェットシティーのダンデライオンとファーストボールのザ・ウェイでした。それを聴くたびに、「僕は建築に向いてへんなぁ」とつくづく思っていたのを今でも覚えています。そして、4回生の夏は塾のバイトに明け暮れました。2つの塾を掛け持ちして朝の9時から夜の10時まで働き続けました。それでも、日給は合計で1万3000円くらいでした。ですが、とても生きがいを感じました。時間がたつのが短く感じました。僕は生きがいってなんなのかを改めて考えました。あと半年もしたら、僕は社会人なんだな…学生からついに卒業なんだな…物凄く不安になりました。そこである詩に出合いました。ベートーベンの第九、歓喜の歌の歌詞の訳です。この地上で……真に私のものと言える……たったひとつのたましいを勝ち得たものは、集い……歓喜の歌を歌う資格がある出来なかった者は泣きながら我等の集いから立ち去れ……僕は建築という舞台には立てないと予感していました。それよりもこの塾という舞台であれば僕は生き生きとしていられると予感していたのです。だから、僕は決まっていた会社に失礼ながらも、お断りをさせて頂き塾だけに絞って就職活動をはじめました。もう迷いはありませんでした。
Oct 22, 2005
勉強の仕方がわからない生徒がいます。モチベーションはあるのですが勉強の仕方が合っていなくてどんどんモチベーションが削られていく。僕は、そういう生徒たちのモチベーションが削られていくのを黙って見ていられないです。そういう生徒達はだからこそ塾に来てくれているのだから。勉強の仕方がわからないからこそ塾に通ってきてくれているのだから。確かな手ごたえを感じられてモチベーションが維持できるような授業づくりに、もっと力を注いでいく。いつでも安定した授業を提供するために。このたった2日間で今は、とても小さな成功ですが確かな手ごたえがありました。正しい勉強の方法を授業の瞬間瞬間で自然と伝わりやすい形でいつでも安定して提供できるかそれを追求していきます。さて、明日は土曜日、朝一から授業です。頑張ります!
Oct 21, 2005
絶対ツールを完成させようと思います。僕のような個人塾の場合生徒数が伸びていてもキャパの限界が早い。なぜなら授業は時間を売っているようなものだからです。そして一日はたった24時間しかなくしかも生徒が来れる時間帯は夕方以降に限られてくる。この問題を経営的に考えると塾は、あまり大きくは稼ぐことができない構造といえます。だから、限られた時間のなかでどれだけ効率を上げられるかが大切です。ひとつの方法として、多店舗化もありますがリスクが大きいです。やはり、ここは個人塾にこだわって生徒の数が増えても授業の質を落とさない方法を身につけるべきです。そのひとつがツールだと考えています。実践あるのみです!
Oct 21, 2005
今日の仕込みプリントは しっかりと生徒の反応を確認していませんが 成功したように思います。 結構、仕込みに時間を必要としますが 蓄積することで、大きな武器になりそうです。 コストもそんなに悪くないです。 ああー嬉しい。 作って良かった。 塾を強くするために、こういったツールを 手に入れたかったのです。 塾は、成果は数字でハッキリと残りますが 形を残す仕事ではないと思います。 こういったツールは形で残るところがいいです。 テスト前はもちろん。 時間のあるときに作っておこうと思います。
Oct 20, 2005
世の中の流れは流動的です。 塾の流れも流動的です。 最近、それを強く感じるようになりました。 ゆく川の流れは絶えずして もとの水にあらず という感じです。 ですから、僕の塾で やっているシステムも その流れのなかで 合理的でない部分や 不都合な部分も 生じています。 システムは流れに合わせて 作りかえていかなくてはならない。 システム決して絶対的なものではないと思います。
Oct 20, 2005
苦手なものをクリアーするには 相当なエネルギーが必要です。 今日の授業でそれをハッキリと理解しました。 そして、僕の無力さを 思い知りました。 こんなはずやない・・・ 後から気付くのです。 予測はしていたのに 打ちのめされて、はじめて気付くのです。 本気を生徒の成績を上げてやろうと 思わなかったこと。 自分が情けない。 しかしまだ間に合う。 まだ起死回生できるチャンスがあります。 授業中にある手法を思い付きました。 明日の朝から仕込みに入ります。 これで成功すれば、新しいツールが手に入る。 ここでエネルギーは惜しまないです。
Oct 19, 2005
人が行動に出る理由は何なのかを考えてみたい。まず、人は日々の刺激の中で、なにかしら違和感のある刺激を感じる。それは自分の能力の欠如とか自分の置かれている立場のあいまいさとかまわりの人のつらい状況とかそういう刺激を受け続けるととるべき選択はシンプルにふたつだと考えます。それを受け入れるか、受け入れないかです。受け入れることは良くも悪くもあきらめです。それが、その人にとって本質に関わることではないのならいちいち、戦う必要なんてないと僕は考えます。まず感情的にならないです。しかし、もしそれがその人の本質的な根っこの部分をおびやかすような刺激であれば自分を突き動かすような感情が生じる。これはその人がもつ、本質的な根っこの部分から生まれてきていると感じます。いますぐに勝てない戦いであれば少しずつ力をつけていって、自信がついたら行動にでるべきです。自分の根っこは守っていきたいし、大切にしていきたい。僕を突き動かす大切なものです。
Oct 18, 2005
今日は算数・数学ばかり指導の日でした。意識していなかったなぁと思います。そして、この時期ゆえでしょうか。文章題を指導することが多かったですね。計算はできるけど、文章題が苦手という生徒が多かったです。特に小6の授業では、速さや単位量当たりの大きさの文章題をやったのですが苦手な子はまず適当な式をつくって解いてみたりする。よって、僕が解き方を指導したあと、「もう一度考えてから解いてみて」と指示するのですが、どうももう一度考えてないなぁと感じる。こういうケースの場合、僕は突き放してみる。つまり、解き方を教えないのです。なぜなら、文章題をナメていると思うからです。突き放すのは当然の指導だと考えるのです。僕はヒントを与えるだけ。後は「自分で考えましょう。」「気合やで」「イメージしよーな」ぐらいで、プレッシャーをかける。だいぶヘバってきたところで、解き方を指導し、筋道を立てることを考える重要性を伝える。その上で、自分で再度ポイントを確認しながら自分で解かせてみる。こういう駆け引きは、要所要所に意味があると思う。すべての要所は、その仕組みを意識させることにあるのです。
Oct 17, 2005
僕の塾は個別指導です。ですから、その日の授業の生徒ひとりひとりの理解度はかならずチェックできます。こちらが説明したことは理解してくれてその説明した基本問題は解けるようになります。しかし、ちょっとひねられると解けなかったり時間がたつと忘れてしまうケースがあります。おかしいと思います。理解したはずなのに…。これは意識の問題ではないかと僕は考えます。勉強は、今のその子にとって価値のない、それどころかいらぬストレスになる、マイナスの価値のように思えます。強い意志が必要だと考えています。そしてその強い意志を支えるのは大きな自信のような気がします。自信がなくて、または確信のようなものがなくて意思を持続することができるでしょうか。僕には恐ろしくてできないです。僕は意思の上に自信が成り立つのではなく自信の上に意思がなりたつと思っています。
Oct 16, 2005
一斉指導を復活させようと思います。一斉指導は、自分が塾をやっていくにあたって封印しました。それは、僕が求めているものは個人対個人だったからです。一斉に個人対個人は存在しにくいと思います。増えれば増えるほど、ひとりひとりは見切れないものです。ですが、一斉の良さはあります。一斉の本質は、はじめから内容が決まっていることです。だから一斉は公約数的な授業を求められます。例えば入試対策の授業とか、内容の決まったしかも入り組んだ問題は一斉でまとめてやったほうが効率がいいですね。ひとりひとりに、長い説明を何度も繰り返すのは、やはり効率が悪い。また、入試問題という刺激的な問題に対してガンガン反応する生徒たちのオーラがその場にいる者たちの脳内速度を、加速させるような感じがする。共通の目標と才能と努力とそして…知識を共有し、お互いに刺激しあうことを認める意思があれば、一斉は成り立つと信じています。過去の経験がそれを教えてくれる。生徒と保護者の賛同が得られたら、即はじめよう。一斉を取り入れれば、さらに僕の塾は成長できる。
Oct 14, 2005
帰りの電車のなかでいつも考えることは今日の授業についてです。良かったのか、悪かったのか…それを自分で分析します。先週の授業と比べて、また去年の授業と比べて良い物の残し、悪い物を切り捨てていく。さらに、なぜ良かったのかを考えます。良い物といっても、求める目標によっては悪い物かもしれません。その辺りのバランスが大切。日々の授業を通してでないと、そのバランス感覚は養われないです。僕の塾は成長段階です。今、求めている数字を掴むために、最適な授業を作っていく。
Oct 13, 2005
テストの点数というものは 本人の意志によって決まると思います。 だからテストで何点とりたいかで どのくらい努力をしないといけないかが決まります。 目標点に応じて、勉強する内容の質と量が決まります。 大切なのは、その点数を取りたいという強い意志です。 そういう意志に僕は応援していきたい。
Oct 11, 2005
今日は三重県で塾のパネルディスカッションをしてきました。僕を含めて3名のパネラーがコーディネーターの方による9つの質問に対してそれぞれ2分ずつ答えるというものでした。物凄く面白かったです。今の自分の塾のあり方が言葉にして再認識できました。他のパネラーのみなさん、コーディネーターの方、参加者全員がそれぞれに熱意のある意見をもっておられました。質問に対して、僕が答えた内容を書いていきます。僕は5年間、大阪の中小塾に勤めてきました。そこで感じたことは大手塾は、少なくとも大阪ではトップ高に合格するための授業を売っているということです。一斉指導で合理的でスマートに。トップ高を目指す生徒にとっては素晴らしい商品だと思います。しかし、当たり前ですがこの商品が誰にでも価値のあるものかというと違うと思うのです。僕のやっている個人塾は、個人と向き合う授業です。その生徒がなぜ勉強するのか、僕たちはひとりひとりのモチベーション(勉強に対する意識)を管理しておかなくてはならない。生徒は勉強していてしんどい時ほど「なんで勉強なんかせなあかんの」という質問がきます。当然の質問だと思います。そもそも5教科の知識は、社会にでたら役に立たない知識だからです。しかし僕はそれに、必ず答えていきます。それは正解ではないでしょうが必ず意見をしないといけないと思います。今の社会の構造、現状を僕の知りうる、考えられる範囲で伝えたい。勉強をすることは、シンプルに良い高校、大学に行くためです。大学に行くことで、人生の可能性は拡がりやすくなるのです。なんで勉強するのか認識もせずただ黙々と勉強することに僕は意味を見出せない。僕は個人個人と向きあってそこでスキルを蓄積していきます。勉強が得意な子も苦手な子にも、それぞれに対応できるスキルをです。大手ほど生徒はいないけれども大手より多様な生徒がいると感じられる塾を目指します。
Oct 10, 2005
今日は三重まで行って来ます。塾のパネルディスカッションというのをしてきます。九つの質問があって、それに対して各2分ずつで答えるというものです。僕を含めて3人のパネラーがいるそうです。なかなか楽しみです。背伸びせず答えていこうと思います。そうすることで、自分と他のパネラーとの方向性の違いが見えてくると思うからです。そこに学べるところがあると思います。
Oct 10, 2005
一斉授業ははじめから指導の方向性が塾側に委ねられています。ですから、たとえば新しく入ってきた生徒がついていけなかったとしてもその生徒に合わせて、授業の方向性を狂わしてはいけない。それでこそ一斉指導なのです。塾の一斉指導が成り立つのは試験に特化した、研究された質の高い授業だからです。この指導を完璧にこなせばどの生徒にも、その授業が目指す試験に最短でパスできるのです。一方、個別指導は個々の方向性に合わせた授業が可能です。そして僕たちは、個人の学力に応じて、十人十色の方向性を提案します。そうすると、塾側が提案する、どちらかというとレベルの高い一斉授業についていけないと感じる層の受け皿になりやすいような気がします。僕は一斉指導の畑で育った人間ですが独立するにあたり、後者の個別を選びました。実のところ、一斉か個別か…かなり悩みました。生徒によって学力も勉強の取り組み方も違います。ただ、生徒一人一人の勉強への取り組みに対して向きあってみたかったような気がしたのです。でも僕は一斉指導を完全に封印したくはありません。状況によっては、一斉指導の方が効率よくサービスできるような気がします。すべては生徒たちの反応が答えをくれます。
Oct 8, 2005
今日は、これから塾を開こうと考えている方がお見えになりました。僕の塾はまだ半年しか経っていないので、少々恥ずかしかったですがとても真剣に見てくれました。僕はその方は成功されると直感的に感じました。リスクを負って、何かの行動に出るためにはそのリスクの大きさに比例して、自信が必要になると思います。僕も5年勤めた塾に退職願を出しにいくときまた不動産と、決めた物件を契約するとき「ホンマにええんやな…」と自問し続けました。そのリスクによるプレッシャーに耐えられたのは5年間の現場の中で得た自信だけです。「どうやったら合理的に効率良く学習できるのか…」ただこれだけを念頭におきながら、トライ&エラーを繰り返しました。そこで成功した自信だけが僕を開業に推し進めたのです。また自信に比例して、その塾の規模や地域または方針が決まると思います。今の塾は僕の自信のバロメーターだと思っています。もし僕が、さらなる自信を手に入れたのなら、次のステージが見えてくるでしょう。今もトライ&エラーの繰り返しです。
Oct 5, 2005
学校の授業というのはこれは僕が学校教育を受けてきた実感としてですが画一的な指導であったと思います。僕は学力的にはちょうど平均的な生徒だったのでこれ以上難しい内容やこれ以上簡単な内容は受けたくないとおもっていました。僕にとって学校の授業は合ってたんでしょうね。そして今の生徒たちが受けている学校の授業もやはり同じ画一的な指導でした。しかしこれだと問題が起きると思っています。僕は人間の脳の能力は同じではないと考えているからです。だから画一的指導をしているとそれが理解できないレベルの層の生徒とそれが十分すぎるくらい理解できるレベルの層の生徒にとってみればとてもつまらない授業になると思います。僕はこのふたつの層の受け皿が必要だと考えました。塾はその受け皿として存在すると思っています。また、塾は受験のプロです。受験に関する情報収集や入試問題の研究をしています。そういった指導はあまり学校はやっていないように思います。受験期になっても、最後まで指導要項に沿って授業をする場合が多いです。このように受験指導も塾に求められいるもののひとつです。むしろ…塾はこの受験指導のほうが受け入れられているように思います。勉強に可能性のある生徒だけが塾に通い可能性の低い生徒は塾にすら通わないような…そんな気がします。
Oct 2, 2005
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