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大学1回生の春ごろ。僕は大学を辞めるつもりでいました。クラブの飲み会で死ぬほど飲んで、病院に運び込まれた。気付いたら、病院のベットの上でした。暗い天井を眺めながら、もうどうでもよくなっていた。次の日の昼間、先輩に大学の近くにある定食屋に連れて行ってもらった。トンカツ定食でした。二日酔いで、何も食べてなかった。めちゃめちゃ美味しかった。甘酸っぱいソースの味が、どこか懐かしくて、安堵した。そのときの店の大将の顔は覚えていません。でも、あの味と、あの景色は今でも覚えています。それ以来、僕はその店に通うようになった。塾講師を始めるようになってからはよく帰りに寄っていた。店が閉まるころに注文することが多かった。授業の合間にもよく行きました。僕にとって、塾講師としての修行の合間で必ず訪れていました。最後に訪れたときは、確か、挨拶はしませんでした。まだ自分のこれからに自信がなかったからかもしれません。今度訪れたら、感謝の挨拶をするつもりです。そしてトンカツ定食を頼むでしょう。
Nov 28, 2005
テストが近づいてきました。 教室のなかに、張り詰めた空気を感じます。 それぞれの目標に向かって、純粋に打ち込む姿があります。 僕はこの空気に感動します。 塾講師をしていて良かったと心から思える瞬間です。 この空気を1秒でも多く吸っていたい。 そして、この空気をつくりだすのは 間違いなく生徒たちです。 感謝しています。 僕は、この空気を生み出せる環境を用意したい。 今日も、たくさん空気を吸っていこう。
Nov 26, 2005
僕は、外的な成功を求めていたのではなく、天才だけが理解できる世界を求めていました。そういう世界を持っている人間を本当に羨ましく思ってきました。生まれつきの才能に恵まれている者は、その世界の入るための予約がすでにある。世の中はどこが平等やねん!!と本気で悔しく思っていたのでした。ですが今は、たとえ才能がゼロに等しくとも、絶えず求めて、絶えず注意して、その世界に向かっていく気持ちさえあれば、あの天才たちだけに予約されていた世界に入ることができると思えるようになりました。かならず誰しもが天才になれるチャンスはあると思っています。
Nov 25, 2005
最近、ipodを買ったので 生徒が来るまでは、 音楽を聴きながら仕事をするようになりました。 クルマを運転しているときに聴くのと 同じ感覚です。 音楽は、自分の世界に入るためのきっかけになります。 いらぬ雑念は排除して 自分の世界に入りこんだほうが 僕は仕事ははかどると思っています。 ときどき、なんで仕事をやってるんだろうと 僕は思ってしまう。 頭で分かっているのだけど、テンションが上がらない。 矛盾しているといつも悩んでいます。 原因がわからなくて、ムシャクシャしてしまう。 音楽はそんな僕に その原因を教えてくれるような気がします。 そして、そこからこうありたい という願いがこめられていると感じます。 よし!頑張る気持ちになってきました。 やるぞ!
Nov 24, 2005
誰しもがその人の行動を引き起こす原因となる根というものがあると思っています。人はこの根を根扱ぎにされると自分の行動は何のためのものであったのか分からなくなります。その人そのものがバラバラになります。まずは自分の根を確かめたい。忘れないようにいつも確かめておきたい。この頑張りもこの怠慢も僕の根に起因するもののはずです。根を持っていれば何をするべきなのかは明確になってきます。根だけは失ってはならないと思います。
Nov 22, 2005
昨日はF先生の塾の教科会に参加しました。F先生の人柄がにじみ出た、どこか心の温まる自塾の説明でした。F先生は、やっておられる仕事の全体像を説明された。それは断片的でないため、もし、僕であればどういう風に変えていくのか色々と考えてみることができました。今回、勉強になったキーワードは「リスク分散」です。僕のやっている仕事に当てはめてみてもいくつか当てはまる部分があります。リスク分散することにより、平素の仕事を行うにあたって精神衛生上にもいいと思います。もうひとつ、気付けたことがあります。僕自身の問題です。教育と経営の視点がぐちゃぐちゃになっていたことです。今まで僕がやってきたことが教育の視点によるものなのか、経営の視点によるものなのか、その明確な区別があいまいだったのです。だから、いざ議論になったとき自分はどちらの視点で話しているのかが明確でないため、論点が微妙にブレている感覚を覚えたのです。僕にとって塾とは教育だけでもなく、経営だけでもないです。塾の道に進んだきっかけは、教育の立場からです。僕という人生の歴史の中で、根付いたものです。そして経営は、塾業界に入ってから身に付けたものです。何が売れて、何が売れないのかそういう刺激を感じながら、根付いたものです。教育と経営それが今、ぼくの中でぐちゃぐちゃになっていました。これから、やっていく仕事に対して僕は冷静にチェックしていきたい。それが教育なのか経営なのかを。
Nov 21, 2005
塾の講師時代に親しくしていたK先生から電話を頂きました。K先生は、元高校数学教師。ロックと数学をこよなく愛し、その密接なつながりを証明されたお方です。勤めておられた学校の運営方針に合わず、地元である大阪の地に戻ってこられて、塾に入ってこられた。僕もロックと数学が好きだったのでまた、高校教師というものに憧れていた時期があったので、いろいろと話をさせてもらいました。しかし、K先生は僕が辞めるよりも先に塾を去りました。再び、学校の教師を目指す道を選んだのです。僕はそのとき、塾と学校は違うと結論付けました。僕はK先生の授業が物凄く好きでした。僕が高校生なら、K先生の授業を受けたいと本気で思います。だから、K先生が高校の数学の先生になったら多くの数学を志す生徒はいい方向に導かれる可能性が高いと確信していました。人はなるべくしてなると僕は思っていたのでK先生の希望は絶対にかなえられると思っていました。そして、K先生はつい先日見事採用試験を合格されました。お電話頂いたとき、K先生は、配属されていた教室の近くにあるうどん屋さんにわざわざカレーうどんを食べにきていました。僕も、辞める前の説明会でこのカレーうどんを食べていました。希望がかなったときのカレーはどんなにおいがするのでしょうか。僕のカレーもおなじにおいがするのだろうか。そんなことがふと頭をよぎりました。
Nov 18, 2005
小2の国語の授業で「スーホの白い馬」が問題にありました。おおっ、これは生徒は感動して泣いてしまうかも…と思いました。なぜなら、このお話は僕が幼稚園の頃に見た絵本で初めて泣いた絵本だったからです。(それ以来、権力者は悪だという先入観を持ったかも知れませんが…)しかし、生徒の心には響かなかったようでした。僕は、まぁ人の価値観は色々だからなぁと納得しようとしましたが、矢の突き刺さった白馬が帰って来た場面で生徒の表情がまったく変わらないのはさすがに気になりまして、いろいろと分析してみることにしました。すると、この作品の世界に対する、僕とのイメージの違いが出てきました。情景のイメージの違いです。僕は、絵本の絵のおかげで、見たこともないモンゴルの草原の壮大な美しさが、まずイメージとしてあったんです。生徒にはそれがないんですね。僕は自分の絵で、モンゴルの景色を描いて見せましたがさすがにそれでは感動させることはできません。僕はあの絵本の絵のおかげでスーホの世界に入り込めたのだと思います。今は手元にないですが今でも広い草原と夜空いっぱいに埋め尽くされた星の下で走る白い馬…(間違っていたらすいません)その絵と特に色彩が記憶に残っています。スーホの世界のイメージが絵の力によって理解できたのです。活字だけだとひとそれぞれ、違ったイメージを持つのでしょう。だから、感動もまた微妙に違ってくるのです。それはそれで、自由なイメージを持てるという意味でおもしろいんでしょうけど。たとえば、生徒たちはアンパンマンを描くのがとても上手なんですが、活字だけのアンパンマンだったら一体、どんな絵を描いてくれるのだろう…とそれはそれでおもしろいかな、とも思います。今、思うとスーホの白い馬の絵は素晴らしかったんだと思います。今度、機会があったら見てみたいです。
Nov 18, 2005
授業の終わりに知り合いの塾の先生が訪ねてきてくれて、遅くまで話し込んでしまったため、その先生の車で家まで送って頂きました。車の中でも、話は続いていた。「shinさん、家から塾までどのくらいかかる?」「だいたい1時間弱ですね。」「講習会中とかキツいやろ。」「ええ、寝不足気味になってしまいます。」「それなら、いっそのこと塾の近くに引っ越したらどうや?」「そうなんですけど…」確かに2時間以上の通勤時間が浮くのはいいですね。でも、僕は生まれ育ったこの街が好きです。僕の住んでいる街は、六甲山のふもと。長い坂の上にあります。いつも塾に向かうとき目の前に、海と街が広がる。いつも見ているから忘れそうになりますが、子どもの頃から見続けてきた素晴らしい景色。今でもこの街で過ごした日々のなかで、いろいろな出来事の合間で、ふと見下ろした海と街の景色が思い出させる。多少、不便であってももうしばらくこの街にいようと思います。
Nov 17, 2005
この2,3日で考えていることは、希望をもつことと、努力することについてです。僕は、時間の経過とともにBタイプとCタイプの生徒は(下記の表より)いずれAタイプかDタイプに移り変わっていくと考えているのですが、そうすると希望をもつことと、努力することとは比例関係にあるということができると思います。例えば、希望をもっていても、それにともなう努力をしなければ当然、目標までの課題はクリアーできません。それにより、すこしづつ希望は失われていくと思います。また、希望はなくても、努力していたとしたら、その努力の無意味さに精神が参ってしまうと思います。結局、長くは続かないのではないでしょうか。(一方で、希望を見出せずに努力する人はある意味で、一番精神力の強い人だと思います。)できれば、素晴らしい希望を持ちたい。そしてそれに応じた努力をしたい。そういう人は、周りの人に大きな勇気を与えると思っています。
Nov 16, 2005
最近、生徒たちと将来の夢や、行きたい高校の話をよくするのですが、4つのタイプに分類されると考えます。 | 努力する | 努力しない-----------------------------------希望がある| A | B-----------------------------------希望がない| C | D現実と直面していくことによっていずれAタイプかDタイプに分かれていくと思っています。なぜなら、AタイプとDタイプは自然な状態であり、一方、BタイプとCタイプは不自然な状態だと感じるからです。僕たち塾講師はCタイプの生徒には希望の素晴らしさを伝え、Bタイプの生徒には精神力を鍛えさせる指導をしていく必要があります。どれだけAタイプに引き上げられるかを日々模索していきたい。
Nov 14, 2005
最近、アイデアがいくつか浮かびます。すでに実施しているのが2つです。でも、どちらも実験的であり、まだ、僕の塾の全体のシステムに組み込まれたものではありません。僕はこの実験を大切にしています。以前の塾でも、実験をしていてその成果が、今の塾を作り上げました。さて、もうひとつ思い浮かんだものは仕込みがいります。こっちは短期的なスパンで効果の出るものなので優先順位としては先です。カタチにしなければ強くはなれない。失敗を恐れずに挑んでみよう。
Nov 14, 2005
子どものときの感動というものは大人になってもわすれないものです。たとえば、今日の空は曇っていますが、晴れているときに見える大きな雲を見るたびにいつも心が動かされる。それは、子どもの頃に観たある映画が、今でも影響をしています。小学校3年生のときです。同じマンションに住んでいたO君の家では、土曜の昼さがりに子どもたちを招き入れて、映画鑑賞会を開いてくれた。当時は大型のテレビもビデオもあまり家にはなかった。しかし、O君の家には大画面のテレビとビデオがあり、それだけで、物凄く新鮮でした。そこで一番印象に残っている映画は「天空の城ラピュタ」というアニメの映画でした。観ているときの自分は観るのに夢中だったためにあまり覚えていないです。でも、観終わった後、興奮冷めやらぬままみんなで外へ駆け出し、夕暮れの中で見たメチャメチャ大きな雲は今でもハッキリと覚えています。だから今でも大きな雲を見るたびに僕はワクワクしてしまう。あの雲の向こうに見たことのない世界が広がっている…と思うことがある。子どもの頃に出合った感動は今でも忘れないのです。
Nov 13, 2005
僕は才能についてよく考えます。なぜなら、10代の僕を苦しめたのはこの才能というものだったからです。僕は学生の頃特に高校生くらいまでは精神的に凄く弱かった。そして、自分の才能に劣等感を抱いていました。それは、僕の姉の存在です。僕の姉は、ピアノの才能に恵まれていました。これは先天的なものだと確信しています。姉が中学の頃には、すでにショパンのバラードを弾けるようになっていた。でも、それほど練習している様子ではありませんでした。姉が練習している時間よりも、僕が練習している時間の方が多かったんです。僕にはピアノの才能はなかった。だからピアノは小学生の時に諦めました。僕の母は、ピアノの教育に熱心な人だったのでそれ以来、僕は物凄く自由になれました。才能については考えなくなりました。しかし、あるとき突然、それは、高校生になったときです。僕は自分の才能を知りたくなりました。「何をやっても人並み程度しかできない。」そう思えたとき、僕はとても悔しくなりました。絶対に何らかの才能を見つけてやる。と、急に思うようになりました。今まで、才能というものを無理矢理、心の中にしまい込んでいたんです。自分には全くの才能がないものだと決めつけていたのです。それ以来、僕は行動的になりました。それは、自分の才能に呼応するものと出合うためでした。そして、今やっている塾の仕事は20代になった僕が選んだ僕の才能に合った仕事です。この間、姉に会ったときバラードを弾いてもらいました。とても、聴いていて心地良かった。その才能の素晴らしさに素直に感謝しました。
Nov 11, 2005
僕は音楽を聴くのが大好きです。幅広いジャンルの音楽を聴きます。そして、音楽を聴くといつも昔を思い出します。その曲を聴いていたときの自分を思い出すんです。かなりリアルに思い出せます。周りの景色、気温、天気、体調、気分、考えていたこと…具体的に思い出されます。音楽は、僕の過去を掘り起こすきっかけになります。今も、あの時はこうだったなぁーと思いながら聴いています。
Nov 11, 2005
受験を意識する時期になってきました。受験生は高校に希望を見いだしているでしょうか。僕は、希望は強く持てばいいと思っています。そして、未来に希望を見出ださずに今を一生懸命に、頑張ることはできないとも思っています。また、その希望は誰のためでもない自分のための希望だと思います。物凄く調子が悪かったり状況が悪かったりいろいろ試練はあるでしょう。可能性が削られることもあるでしょう。そういうときに、思い悩むでしょう。でも希望だけは、その人だけのもので決して奪うことはできないです。希望はその人の前向きな気持ちです。どんな厳しい現実でも今、頑張れる姿勢は希望の表れであると僕は思っています。希望を持ち続ければ、いつまでも厳しい状況は続かない。必ず道は開かれると信じています。
Nov 10, 2005
ここ最近、授業以外の仕事が事務仕事しかやれていません。本当は、教材研究をしたり、勉強に役に立つ教材作りをしないといけない。どうも、時間対効果を気にしすぎています。こういうちょっとしたプラスアルファのサービスって大事だなぁとは分かっているのですが。プラスアルファのサービスは気持ちなんですね。ちょっとしたアクセントみたいなもの。そして、僕は本当に生徒に感謝しているかどうかということを試されていると思っています。それに気付いただけでは全然駄目です。行動しなくちゃいけません。頑張ってみよう。超感謝しているのだから。
Nov 9, 2005
今日はいつものように 筋肉痛です。 月曜日は、いつも筋肉痛と 戦っています。 それにしても今日は 天気がいいです。 教室に心地良い日差しと 風が入ってきます。 あんまりいい風が入ってくるもんだから 今日は、いつも締め切ってたままの 西側のブラインドを 思い切って開けてみました。 すると、教室からは1本の木が見えます。 高さはだいたい15メートルくらいはあります。 美味しい煎れたての コーヒーを飲みながら ぼーっと眺めている。 この街で、久々に 大きな木を見たような気がします。 身近なものに なかなか気付けないものです。 そして、偶然気付くことも あるんですね。 今日は筋肉痛で、 いい天気で、 いい風が吹いたことで 気付いたんですね。 その時の状態や状況によって 意識できるものが変わるのでしょう。 よし! だいぶ元気が溜まってきたようです。 一気に事務仕事をかたづけよう!
Nov 7, 2005
勝つためには突き詰めるとたったひとつだと僕は考えています。それは相手の弱点をつくことこれだけなのです。例えば、どんな素晴らしいシステムも完璧なものはないのです。なにかが突出すると、それによる弱点が生じているからです。だからシステムは、いずれどこかで突っつかれる。逆手に考えれば、その弱点をつけば、勝つことができるのです。勝負とは常に弱点の突っつきあいなのかもしれません。よって、勝つ人とは弱点を突かれるようになるとそれに応じてシステムをうまく作り変えられる能力があるということでしょう。そこで得られた経験値こそが本当の強さをつくっていくのだと思います。
Nov 6, 2005
今回の中間テストの結果を見て良い点数を取った子とそうでなかった子との決定的な差はモチベーションの差であったことが分かってきました。なぜなら、理解力そのものではそれほど差はなかったからです。ここぞというところの集中力と意識と努力が全然違っていたのです。そういう詰めの甘さはここぞという大事な場面で出てくる。ボロボロと大事な瞬間を逃している。僕はそういうモチベーションの低い子に勉強の面白さや勉強の素晴らしさや勉強の効用や勉強のカッコよさをつまり勉強って最高やねというメッセージを伝え足りなかったのかなぁと思っています。僕はそれほど勉強が嫌いじゃないです。だから、伝えられるはずです。誰もが持っている、知りたい欲求。先人達が発見した知識を身に付けたい欲求。これらの知識欲を身に付ける場でありたい。同時に、テストで楽に点がとれる戦略的な場でありたい。それが塾ってもんだと今、思いました。
Nov 4, 2005
なにか新しい指導を思いつくのは日々の指導の現場を通していく中で、あるとき、急に閃くものです。今日も一日何かを確かめて何かに違和感を感じる。決して観念的になることなく、日々の実践のなかで感じた刺激が指導の方向を決める唯一のきっかけです。今日も、プリントを作ろう。そして、その成果をしっかりとアンテナを張ってチェックしよう。きっと答えは授業の中にあります。
Nov 4, 2005
僕は山の麓に住んでいます。僕のすんでいる街は、ちょうど山がコの字型に挟まっているようになっていて僕の部屋からは山の稜線までくっきりと見える。山に抱かれてる感覚をいつも感じています。そして南に目をむけると神戸の街と港と海が一望できる。耳を澄ますと街からは、いつも複雑な音がかすかに聴こえてくる。山は少し赤みを帯びてきている。いつもはあまり見ないけれどすこしづつ変化しているようです。今日はいつもより、ゆっくりとした時間が流れている気がする。
Nov 3, 2005
今日は、僕の高校の同級生であるI君のお洒落さについて書きます。I君とは高校時代、2年間も同じクラスでいながらあまり話したことはなかった。外見はタッパもあり、なかなかカッコイイ男です。彼を良く知っているTという同級生から「Iちゃんはねー。実はね。ホンマにお洒落な男なんや。」という、よく分からない噂だけは聞いていた。確かに、学級日誌によく分からない詩とかをよく分からない絵などを彼が書いていたのは記憶していた。当時の僕は、そういうお洒落さが良く分からなかったこともあり全く興味がなかった。大学に入って、同じ建築系の学科に進んだということで彼の下宿先に電話する機会があった。そこで僕は、彼のお洒落さというものを知ることになった。彼の家に電話したところゴーン、ゴーン、ゴーン…と鐘の音が聴こえる。その後、あーーーあーーーあーーーーあーーーーあーーーーああーーーあーーーという恐ろしい歌声が聴こえる。??です。なにがなんだか分かりません。するとIです。ただいま留守にしております。ご用件をどうぞ。ピーーーーーーーー。なんじゃそりゃーという感じでした。しかし、僕はこの後心の中から笑った。こういうお洒落さもあるんだと初めて分かったような気がしました。そして、どういうわけか彼のお洒落さが僕に、建築を諦めさせ、僕に、塾の道を進ませる影響を及ぼすようになりました。
Nov 1, 2005
ブログを通じて様々な塾で、僕の知らないいろいろな、新しい授業が行われていると分かりました。僕はそれに刺激を受けて僕も、僕なりの方法で、新しい授業を作ろうと考えました。なぜなら、普通の授業だけでは満たされないものがあるからこそ新しい授業が生み出されているからだと思うからです。僕は、そういった新しい授業が生み出されているというそして、結果を残しているという事実だけが分かるだけで勉強になっています。それに刺激を受けて、僕は、僕の塾で機能する新しい授業を作り上げればいいからです。今の僕は新しい授業という点において二枚のカードを持っています。1枚目は別に新しい授業ではありませんが、僕の作った塾にとっては、新しい授業だと思います。こちらのほうは仕込みがそんなに手間がかからないのでどんどん出していくつもりです。いいと思うものはドンドン出していく。それが個人塾の強みです。
Nov 1, 2005
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