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今日、授業の帰りに中3の進路のことを考えていた。指導するこちらとすればそれぞれの生徒たちの志望校と、そのために何を指導するべきなのかを考える。経験から、どの程度の実力がつけば、どの高校にいけるのかは分かる。そのうえで思うことは、中3の彼らは志望校という目標を持っているのか?ということだ。もしもってなかったら僕は少し困る。なぜなら、どの程度まで勉強してもらう必要があるのか判断に困るからだ。「実力に合ったところを受験するつもりです。」というのも悪いとは思わないがそれは基本的に努力をしていることが条件だ。人はたいてい、必要がない限りは楽な方に流れる生き物だと思っているで努力を美徳と思わない人がそういう台詞を口にする場合は得られるものは決して満足できるものではないと思う。ところで最近思うのだが、今の中学生も夢とか希望とか持っている子は少ないと思う。「今の中学生も」と言ったのは、僕が中学の頃も同じような風潮があったからだ。なんとなく高校行って、大学行って、就職して・・・みたいなことを漠然と考えてた。けど、高校行って、クラブに入って、中学よりは自由な学校生活をしてみたいなんてことは想像してた。今の子たちも同じような気持ちなんだろうと思う。社会に出てからのことを考えるのは、高2から高3にかけてぐらいからだろう。今は資格の時代だから、僕らの頃よりも意識している子は多いかもしれない。だけどそれも、高校生になってからの話だ。まずは3年間の高校生活に希望を抱くのが普通だと思っている。もう少し具体的に高校を絞って欲しいと願っている。少しでも自分らしい高校生活を送るために直感的でいいから、ビビッとくるような高校を絞り込んで欲しいと思う。自分の実力と折り合いをつけていくことは重要だが例えば、多少の偏差値が違う2つの高校があったとしたら一番自分に合う高校を選んで欲しい。そうやって具体的に高校が絞り込めたら自然と勉強するエネルギーは沸いてくるものだ。そういうやる気は、直感的に考えても素晴らしいものだと思う。塾業界にいて、受験期の思い出が強いのもそういうエネルギーを肌で感じることができるからだ。この仕事の醍醐味のひとつだと思うのですこしでも多くの中3の塾生が早く本気のやる気の炎が灯せるようにもうちょっと進路の話をしていこうと思う。
Sep 18, 2007
ときどき、どうでもいい記憶を思い出すことがある。つい最近なんですが、ぼやっと頭の中であるフレーズが浮かんだ。「ギョチョウモク、モースカモースカ」まったく訳の分からない、おまじないのような言葉なんですがその言葉を思い出したとき、急にある出来事を思い出した。学生時代の頃明け方近い時刻の頃、急に電話のベルが鳴った。眠い目をこすりながら受話器を取ると急に「ギョチョウモク、モウスカモウスカ!!」と言ってきた。訳が分からなかったので適当に返答したら「モウスモウスやろ。ノリが悪いんじゃボケ!!」と言って受話器を切られた。その後、I君からの電話だと分かっていたのでかけ直したけど眠かったせいか、I君は確実に酔っていて説明が不十分だったせいかそこから何を話したかはおぼえてはいなかった。で、つい最近。そのおまじないの言葉について、ちょっと考えてみた。ギョチョウモクって魚、鳥、木のことじゃないかって閃いた。そしてモウスカモウスカっていうのは「申すか、申すか」って言ってるんじゃないかというのも閃いた。まぁ古今東西のようなゲームだろうと思ってググってみたところ、やっぱりそういうゲームだった。たぶんI君はその日の飲み会で、そのおまじないのゲームをしてゲームの内容そのものよりも、そのフレーズのあまりにものをかしさに電話をせずにいられなかっただけなんだろう。ほんとどうでもいい記憶だけど、なぜだか思い出したってことは僕もこのフレーズが結構気に入っているんだなと思う。
Sep 9, 2007
つい先日、夏期講習が終了した。この夏は特別講師として、勤めていた塾の先輩だったI先生に来ていただいた。塾業界に入って1年目のときに、塾とは何たるかを徹夜で仕込んでもらった僕の恩師のひとりだ。I先生に来ていただいた理由のひとつは今後の塾の方針を決める上で、どうしてもプロの人に塾の現場に入ってもらいたかったからだ。外部でしかもプロの講師が入ることで塾生たちとどのように化学変化するのかを見たかったのだ。I先生の魅力は、入社した1年目から直感的に分かった。例えば入社1日目のとき、黒板の前で模擬授業をさせてもらったのですが僕の授業を見るなり、すぐに教室を出て行った。なぜ教室を出て行かれたのか?というと見た瞬間に見る価値がないと判断したからだろう。このように思い切りのよさがI先生の魅力なのだ。これが授業で活きておられた。複雑で冗長な授業ではなく、簡潔で分かりやすい授業を信条としておられた。この前、講習会の終わりの雑談のなかでもその信条を垣間見ることができた。「反比例はxy=a。以上っていえるかやで。」必要と思えるものだけを残し、後はすべてそぎ落とす。生徒には必要と思えるものだけしか見せない。これがI先生の授業の本質だと思う。だからこそI先生の授業の口癖は「・・・以上!」なのだ。I先生の授業を現場で実践して頂いたことで考えていたことが明確になってきた。それは、それぞれが適材適所で働ければどんなに素晴らしいことだろうということだ。その判断はごくシンプルで、やる気があるかないかそれに尽きると思う。なぜなら向いていなければ、時間とともに自然とやる気はなくなっていくからだ。やる気のわいてくる仕事は、買ってでもしないといけない。そう思えました。
Sep 2, 2007
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