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今日、家の近くにあるハンコ屋さんに印鑑ケースを買いに行きました。 大学で事務用に使っている三文判用の印鑑ケースの留め金が壊れてしまって、ちょっとした衝撃でパッカーン! とケースが開いてしまい、ハンコが飛び出てしまうようになったので、これは買い換えないといかんかな、と思いまして。 ま、何しろ今の大学に赴任した時に買ったものですから、もうかれこれ十数年前のもの。その時だって、ごく安い値段で買ったものですから、随分もったとも言えます。 で、今回は普通のケースではなく、ハンコをケースにセットすると普通の三文判がシャチハタ・スタンパーにヘンシーン! みたいなのにしようかな(←説明、分かります?)、と思い、そういうのを探したのですが、そしたら、ありました、ありました。その名も「ワンタッチ式印鑑ホルダー ハンコ・ベンリ」。あ、これ、まさにシャチハタが作ってるんだ。これこれ! ↓ハンコ・ベンリ グレー なかなかカッコいいでしょ? これ、ハイテク(?)な割に400円チョイですよ。 で、こいつにしようと思ってお店のレジに持っていこうとした時、あるモノが私の視界に入ってきたのであります。ん? まさか、これは・・・。 あろうことか、私の壊れてしまった印鑑ケースとまったく同じものが置いてあるではないですか! き、君はまだ現役だったのかい!? なんと、なんと。私が十数年前にどこぞで買ったしょぼい印鑑ケースとまったく同じものが、いまだに売られているという・・・。ケータイやパソコンや、その他、現代社会の文明の利器に関しては、それこそ数ヶ月単位で新製品が売りに出され、その一方で過去の製品が次々に消えていく中、ハンコ関連の商品の世界では、末端価格400円~500円というようなしょぼい値段の商品ですら、十数年にわたる長寿を保っているんですなあ・・・。 ま、よく考えてみれば、「ハンコ」というもの自体、時代遅れというか、よくこんなものがいまだに通用するなあと思うような代物なんですけどね。ハンコが社会のシステムの中で重要な役割を果たしている国なんて、今日本以外にあるのかしら? 寡聞にして知りませんが。 とにかく、十数年前に買ったのとまったく同じ安物の印鑑ケースが、今もなお現役ばりばりで売られていると知って、なんだか一瞬、十数年前にタイムスリップしたような、嬉しい錯覚に陥りましたよ。大人になってから、子供の時によく食べた駄菓子がまだ売っているのを発見したような感じといいましょうかね。 よーし、長寿の印鑑ケース君。今日買った「ハンコ・ベンリ」が壊れた時にまだ売っていたら、その時はもう一度君を買ってあげるからね~!
February 29, 2008
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あれ食べちゃいました。マックの季節限定品、「きのこクリーム エビ・フィレオ」。 で、その感想ですけど・・・うーん、イマイチって感じじゃありませんこと? ま、好き好きですから他人の嗜好までは分かりませんが、ワタクシ的には「これだったら、普通のエビ・フィレオの方が・・・」みたいな感じでした。パンチがないもんね。 そして、もう一つ、これは「ジャンク」なものに入るかどうか分かりませんが、ミスター・ドーナツの新シリーズあれこれ。 まず「リッチドーナツ シリーズ第二弾」と銘打ったクリーム入りのドーナツ。これは色々食べましたが、どれも割とおいしいではないですか。敢えて順位をつけるならば、カスタード→ビターチョコ→エンゼルクリーム→マロン・・・かなあ。実はまだ「あずき」を食べてないので、この感想は後日。 あとオリジナル・リッチドーナツでは「キャラメル・アーモンド」と「ストロベリー・ミルク」が好きかも。 あ、それから、これも新製品の「あずきもちパイ」、サクサクしていて結構うまいです。 一方、「パフリング」の方は、「新食感」と言うほどのインパクトはありませんでしたネ。インパクトという点では、「ポン・デ・リング」が出た時の衝撃の方が大きかったのでは。あのモチモチ感は独特ですよね~。 ・・・と言いながら、結局、ワタクシが一番愛するミスター・ドーナツは、やっぱり「チョコ・ファッション」なんだよな~。逆に、昔好きだった「フレンチ・クルーラー」シリーズは、少し食べ飽きた感があり、最近買ったことないです。 ちなみに、なんで最近ミスター・ドーナツをやたらに食べているかと申しますと、我が家ではダスキンと契約し、掃除道具などのレンタルをしているので、時々、ミスター・ドーナツの優待カードがもらえるのでありマース。期間限定ですが、何せ3割引きですからね。こんなに買って、この値段? みたいなお得感がある。というわけで、つい買っちゃうわけですよ。ダイエット中にもかかわらず。 でまたカードの期限が明日ですからね。ひょっとして明日あたり、また買いに行っちゃおうかな~っと。るるる~。
February 28, 2008
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このところデニス・キーンという人が書いた日本人向けの英文法の本を読んでいるのですが、これがなかなか名著でして。 このデニス・キーンさんという人、残念ながら昨年亡くなられましたが、オックスフォード大学を優秀な成績で卒業され、その後日本で長く英文学を教えておられた方のようですね。で、その際、日本人学生の英文法の知識がどうも怪しいので、まともに文学が教えられない、むしろ文学を教える前に英文法を教えた方がいいのではないかと考えられ、それでこの本を執筆されたらしい。 つまり、言語学者ではなく、文学者が、日本の学生向けに、日本人の苦手な英文法事項について、言語に対する繊細な感覚を持ったネイティヴの立場から筆をとった、というものなんですな。 で、私としてはこの本を来年度、授業で使おうと思っているので、春休みのうちに下読みしておこうと、それで少しずつ読んでいるんですが、はじめに述べたように、読んでみると確かに面白いんですよ、これが。 例えばこんなことが書いてある。 Everyone is having his tea. Everyone is having their tea. 上の二つの文は、どちらも「お茶が皆の手に行き渡った」というような意味ですよね。しかし、主語が「everyone」と単数ですから、受ける代名詞としては「his」が正しいので、「their」は間違い、ということになる。文法的には一応、そういうことになります。 ところがデニスさんは、「自分も子供の頃、そういう風に教わったが、実際にはそんなことはない、下の文もナチュラルな英語だし、むしろ自然な感じがする」とおっしゃるわけ。 で、この二つの文では、思い浮かぶ情景が違う、というのですな。 どう違うかと言いますと、まず上の文では、お茶を飲んでいる人が非常に孤立しているように感じられると言うのです。例えば、独房に入っている囚人一人一人にお茶が配られた、というようなシーンが思い浮かぶというわけ。一方、下の方では、パーティーでお客さんすべてにお茶が行き渡ったとか、学校の給食か何かの時間に、子供たち全員にお茶が行き渡った、という情景が、すなわち楽しい情景が思い浮かぶ、というんです。 となれば、独房の囚人が思い浮かぶ文より、楽しいパーティーや子供たちの顔が思い浮かぶ文の方が自然に感じられるのは当然です。 で、デニスさんはさらに続けていわく、どうしても「his」で受けたいなら、例えば、 Each child is having his tea. とすればいい、とおっしゃるわけ。「each」という言葉は、一人一人に焦点が当たりますので、これなら「his」で受けるのが自然で、「their」で受けるのは文法的にも、感覚的にもおかしい。 しかし、仮に、 Each child is having their tea. という文章があったとしたら、これはこれで文として成立する、とデニスさんはおっしゃいます。ただ、意味としては、まるで違う意味になる、と。この場合、思い浮かぶ情景は、パーティーか何かで大人が集まっていて、お茶を飲んでいる。そこへイタズラ好きな子供たちが一人、また一人と会場に忍び込んできて、大人たちが飲んでいるお茶を「盗み飲み」している。そういう情景だ、と言うわけ。 はっはっは! なるほど! と思うでしょ? ほんの少しの語句の違いが、これだけ異なった情景を生み出す。そのことを知るだけでも、文学者から英文法を習う価値があるってもんじゃないですか! とまあ、この本、『Problems in English: An Approach to the Real Life of the Language』(研究社:1300円)は、読んでいて楽しくなるような記述が満載です。読んでいるうちに、これを書いたデニスさんに会いたくなってくるような気さえします。英語も非常にシンプルで読み易い! 初版が1969年ということは、かれこれ40年近く前に出た本ですが、今日まで30刷を経てきたということは、すごいロングセラーですね。きっと「知る人ぞ知る名著」ということなんでしょう。出版元の研究社も、よくこんな地味な本を長いこと絶版にせずに出し続けてくれたもんだ。目立たない本、売れない本をどんどん絶版にする近頃の出版社の傾向と比べ、このことは特に褒めてあげなければなりますまい。 というわけで、そんな隠れた名著を知ってしまった以上、私としてはお勧めせざるを得ません。今は亡きデニス・キーン氏の英文法書、教授のおすすめ!です。
February 27, 2008
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私は今年度、自宅マンションの理事会の役員になっているのですが、他の理事の方々と違い、私は「監事」なんだそうで(知らなかった!)、でまた、監事の役目には会計監査も含まれているのだそうで、今日は厚さ10センチ以上はあろうかという領収書の束と会計書類を引き比べながら、数字に誤りがないかどうか、確認する作業をしていました。 しかし、数字がどうのこうのと言うよりも、監査役の人選にそもそも誤りがあったようで・・・。 よりによって、こういうのが一番苦手なワタクシが、その一番苦手な作業をやらされるわけですから、捗らないこと甚だしいわけでございますよ。「この書類のこの数字は、何?」「この領収書の金額は、結局、書類のどこに反映してるの?」みたいな感じで、全然前に進みません。3ヶ月分見ただけでも疑問の付箋の森みたいになっちゃって、今、ちょっと投げ出しているところ。 果たして、ワタクシ以外の人は、こういう書類を見て、「あ、これがこれで、あれがあれね、OK! 合ってる!」というように、スラスラと理解できるのかしら? 多分、できる人はいるんだろうな・・・。 昔聞いた話ですけど、大蔵省のキャリア組は20代のうちに一度地方に出されるらしいのですが、地方の役所で、自分の父親くらいの年齢の人たちにペコペコされながら、部屋一杯の書類をそれこそ一日でチェックしちゃうんですってね。しかも、ごまかしや不正を一発で指摘し、地方のお役人たちを震え上がらせるのだとか。 ほんとかどうか知りませんが、きっとそういうワザに長けたエリート官吏というのは存在するのでしょう。 いや、ワタクシなんか、もっとレベルの低い例でも感心しちゃいます。 よくテレビのニュースで、どこぞの会社が家宅捜索されるシーンが映し出されますが、警察だか検察だかの係員が、当該の会社から押収書類の入った段ボールを何箱も持ち出して、ワンボックスのバン(何故か大抵ホンダのステップワゴン)に詰め込むじゃないですか。あれ見ながらいつも感心するんですよね~。どの書類が、捜査に必要な書類だって、どうしてそんなにテキパキと分かるんだろう?って。 ワタクシなんか、自慢じゃないけど、自分にとって必要な書類を、自分の書斎からすぐに取り出すことすらできませんよ! ついこの間まで机の上においてあった(と覚えている)モノすら、必要な時には探せ出しませんもの。「あー、今週末までに出さなきゃいけない書類、あれ、どこやったかなあ・・・」って、そんなんばっかです。 その割に、必要でない書類はいつまでもとってあるんだよなあ・・・。 ま、とにかく、そんなワタクシが「監査」したって、何の役に立たないと思いますけど、それでもお役目、残りの数合わせをしますか・・・。ひゃー、辛い!
February 26, 2008
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今日、ネットのニュースを見ていたら、面白い記事がありました。21日の衆議院予算委員会で明らかにされたところによると、国交省の公益法人である「国際建設技術協会」が2007年、国交省から依頼を受け、海外の道路事情を調査し、その結果を1000ページの報告書にまとめたのですが、この内容がお粗末で、ウィキペディアからの引用とか、自動翻訳を使ったと思しき、ヘンテコリンな日本語に満ちていたらしいんですな。 それでいて、この報告書の作成にかかった費用がなんと約1億円。 ひゃー! いい加減な調査に、湯水のようにお金を使っているもんですな! しかも、報告書はたった3部作っただけらしいですよ。 今、国は、各省庁の天下り先であるこの種の団体の統廃合を進めるようなことを言っていますが、実際にはまだ甘甘なんだねぇ・・・。 でまた、この国にはものすごい数の「公益法人なんちゃら協会」があるんだ、コレが・・・。私もちょっと興味が出たので、ヤフーとかグーグルで「公益法人」だとか「社団法人」といったキーワードで検索してみたのですが、まあ出るわ出るわ、有象無象がごちゃごちゃ出てくる。しかも、一体何のためにある団体なんだか、あるいはどの程度の切実な必要性があって存在しているものなんだか、よく分からないのばっかり。 それでもそういう団体が存続している以上、そこで給料もらっている人たちがいるわけで、当然、国からお金が出ているんでしょうなあ。 それに比べて、国立大学は、予算がんがん削られておりますよ。 しかも、頭に来ることに、予算削る口実を提供するために、我々は色々な報告書書かされておるんですわ。しんどい思いをして報告書書くと、それ見て、「これを見ると、成果が上がってないことが明らかである」とか言って予算削るんだもんなあ! 自分の墓穴を掘らされているようなもんです。 その一方で、こういう「公益法人」とやらには、いい加減な仕事させて、がんがんお金出しているんでしょ? まったく嫌になります。 って言うか、「世界の道路事情」くらい、私、引き受けて書きますけど? 国際建設技術協会の半額の5千万円で請け負うけど、国交省さん、どう? 何しろデータはウィキペディアからの引用でいいらしいですから、私にも勤まりそうですよ。 それに私だったら、1000ページではなく、100ページのリーダブルな報告書に仕上げて差し上げましょう。1000ページの報告書3部なんて、依頼した官庁からして、最初から読むつもりがないの、バレバレじゃん! というわけで国交省に限らず、官公庁のみなさーん! よろず報告書の執筆は、公益私人「釈迦楽売文協会」にご用命を! 読み易いの作るよ! 安いよ!
February 25, 2008
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ここのところ毎日、英語科の紀要に載せる論文を書いておりますが、割と快調で、大体一日にA4の紙1枚か2枚分くらい、字数にして1200字から2400字程度、確実に進んでおります。 一日仕事して1200字なんていうと、「何だ、一日で原稿用紙3枚しか進まないのか」と思われるかも知れませんが、実際にはこれはハイスピードです。だって、通常、文系の論文なんて原稿用紙で言えば30枚とか40枚とか、そんなもんです。一日に3枚進んだら、たった10日で論文が一本書ける計算じゃないですか。実際にはそんなことあり得ないわけですから、この数日、私はまさに「あり得ないスピード」で書いているということなんですな。絶好調! とにかく、今のところ8割方書き終えたので、ゴールまではあと少し。頑張ります。 とまあ、仕事の方はまずまず順調なんですが、今日は少し気がかりなことを聞いてしまいましてね・・・。 実はお昼頃、実家に電話して変わりないかどうか尋ねたのですが、ちょっと「変わり」があったようで、先日、父が道を歩いていて転んでしまったというのです。 ま、膝と手の平を少し擦りむいたくらいで済んだらしいのですが、このところ膝が弱っている父は、四つんばいになったまま、しばらく立ち上がれなくなってしまったらしいんですな。父は笑い話として話しているのですが、聞いている私としては大ショック。 しゃがんだり、横になった姿勢から立ち上がることなんて、今の私には何の努力もいらない作業ですが、年を取ると、そういう当たり前のことさえ、大変になってくるんですなあ。そして、父がまさにそういう年齢に差し掛かっているのでしょう。 で、思うのですが、こういう場合、「ステッキ」なるものは果たして役に立つのだろうかと。 スフィンクスの謎で、「朝は四つ足、昼は二本足、夜は三本足」というのが出てきますから、ステッキというのはギリシャ時代の昔から使われてきたことは明らかですが、それだけ長い間使われてきた道具である以上、足腰が弱ってきた老人にとって、ステッキというのは役に立つ道具なんだろうと思うんですよね。 ですから、ひょっとして父にステッキを贈ったら喜ばれるかしら、と思うのですが、どうなんでしょう・・・。 で、電話での会話でも、「ステッキでも使ってみたら?」と言ってみたのですが、父の反応はイマイチ。つまり、「まだそこまで年寄りじゃない」という感覚なんでしょう。それに今の日本でステッキを突いて歩いているお年寄りなんて、あまり見たことがないですもんね。 でまた、私自身、ステッキを使ったことがないので、それがあるとどう楽なのか、というのがいま一つ分からないところがある。逆に、片手が塞がってしまって邪魔臭いんじゃないか、という感じもしますしね。ステッキなんか贈っても、宝の持ち腐れになってしまうのかも知れません。 でも、また次に転んで、骨でも折って、寝たきりになられても困るしなあ・・・。年を取ってからの骨折はキビシイと言いますしね。どうしたものかなあ・・・。 さて、これをお読みの方で果たしてステッキを愛用しているという方がどれほどいらっしゃるか分かりませんが、もし「あれは楽だよ!」という風に思っている方がいらっしゃいましたら、父にステッキを贈るかどうか迷っている私の背中を押して下さい。どうぞよろしくお願いいたします。
February 24, 2008
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先日スーツを新調した際、さすがに少し太ったかなと自覚した私。これではいかんということで、現在ダイエット中でございます。 ま、私にとって一番簡単なダイエット法というのは、1週間、炭水化物をまったくとらない、という奴でありまして、気合を入れてやれば1週間で3.5キロくらい簡単に痩せられます。特に最初の一日、二日というものは、1キロずつ痩せますからね。すごく効果的。 が、炭水化物をとらないというのは結構辛いものがありまして、肉と野菜は満腹になるまで食べているのに、奇妙な飢餓感があるんです。で、この飢餓感を1週間耐え続けるというのはそれなりにキツイものがある。 そこで今回はそこまで徹底せず、とりあえず炭水化物ものを半減しよう、というあたりで手を打っております。夕食ですと、ご飯を小さめのお茶碗に3分の2ほどよそう、という感じですかね。また、今回はお腹周りのたぷたぷをとるのが主たる目的ですから、暇を見ては腹筋の運動もしています。 ま、少なめに食べて運動していますから、そこそこお腹は空くわけですけど、この軽い飢餓感は、ある意味、ストイックな感じがして案外心地よいのですよ。 で、まだ始めたばかりですから、こちらが期待するほどの効果は出ていないのですけど、それでもこの2~3日で1キロ弱は体重が落ちました。とりあえずあと3キロくらい落とそうと思っているので、2週間くらいかかるかな? というわけで、これからしばらく体重計に乗るのを楽しみに、ダイエットを頑張りまーす。先日新調したスーツを、すっきりとした体型と、チョコレート割れしたお腹周りに纏いたいと思いまーす。
February 23, 2008
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いや~、長かった自治会の役員生活も、もうそろそろ終わります。昨夜は次期役員の方たちとの引き継ぎがありましたので、あとは3月に総会があるだけ。やったー! そういや昨年の今頃、私自身も暗い気持ちで引き継ぎのための会合に出席したんだったなぁ。あれから、もう一年か・・・。 この一年、自治会役員として色々ありました。「ウォークラリー大会」の時には「交通安全」と書かれたタスキをかけて交通整理をやらされたし、盆踊り大会では法被を着て夜店でアイスクリームを売りましたわ。夏と冬には町内の大掃除もやりました。そうそう、防災まつりでは起震車にも乗ったっけ。辛い日々でありましたけど、思い返してみればビター・スイートな思い出でもありますね・・・。 で、もうすぐお役御免の今期役員たちは、それぞれそんな思いに浸りながら引き継ぎをやっていたのですが・・・。 どうも次期役員の皆様方のノリが悪いようで、8名の新役員たちの仕事分担が全然決まらないという・・・。 昨年、私たちが役員になった時は、従来の仕来りに従って「くじ引き」で仕事分担を決めたものでして、運悪く激務の「自治会長」に当たってしまった方も、運命と諦めて文句も言わず引き受けて下さったものでした。 ところが、次期役員の皆さんときたら、どなたも自己主張がお強いようでして・・・。「私は土曜日は仕事が入っていますので、土曜日に会議の多い役はできません」「私は母が入院中で、週末は見舞いに行かなければならないので、自治会の活動にはほとんど参加できません」「私は夜勤が多いので、夜の会合には出られません」「私は主人の身体の具合が悪いので、なるべくきつくない仕事を・・・」「私は・・・」「私は・・・」と、まあ、最初から逃げ腰もいいところ。 そんなですから、結局「くじ引き」による仕事の割り振りはできず、自己主張のお強い方から順に閑職が決まって行ったという・・・。で、当然予想されることですが、一番きつい「自治会長」の仕事は、お仕事で会合を欠席された方に当てられてしまいました。完全な「欠席裁判」です。その様子を見ていた我々今期の役員は、もうお口あんぐり。いいんですかね、こんな決め方しちゃって。知らないよ、あとで揉めたって! まあね、次期委員の皆さんの気持ちも分からないではないです。一年前、私も「自治会役員なんてやりたくね~!」って思っていましたからね。自治会なんて組織、必要なんだろうか、とさえ思ってましたし。 でも、いざ順番でその役が回ってきたとなったら、諦めて腹くくったけどなあ。 でも腹をくくるか、くくらないかは、なった人次第というところがあるわけで、次期役員の皆さんのように、腹をくくらない人たちばかりになったら、もう自治会なんて成り立たんでしょう。 それに自治会とか町内会の会合って、そのほとんどが土曜日か日曜日に割り当てられているんですが、今30代~40代くらいの家庭で、土・日がまるまる暇なんてのは少ないですよ。土・日に仕事がある人だって沢山いるし、そうでない人だって、やれ子供を塾に送り迎えするだとか、子供が野球クラブに入っていて毎週末試合の応援に行かなければならないとか、そういうことがやたらとある。また高齢の親御さんがいて、入院していたり老人ホームに入っていたりすると、そういうところに顔を出さなければならないこともありましょう。さらにご主人が単身赴任しているとか、逆に奥さんが単身赴任している、なんてところも多いようで、週末は離散家族が集合できる数少ないチャンスだったりもする。そんな様々な事情がある中、自治会の会合なんかに出席していられませんって。 というわけで、誰もが嫌がるその自治会の仕事を既にやり終えてしまった私は、次期役員の方たちの「私はできません!」の大合唱を傍目で見ながら、半ば見苦しいと思いつつ、半ば「その気持ち、分かる!」と思いつつ、半ば「どっちにしろ他人事、他人事」と思いつつ、自治会組織の未来に暗雲垂れ込める様を幻視していたのでありました、とさ。
February 22, 2008
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ひゃ~、ようやっと今期期末試験の採点が終わりました~。 ということで、恒例の「傑作誤字シリーズ」をお届けしまあす!「裕副」:字面が、福々しく見えないんだよな・・・。「裕福」と言って。「修複」:複雑にこんがらがったものを直したとか? 「修復」でしょ。「統」:何のことか分からなかったけど、文脈から言って「銃」と書きたかったらしい・・・。金偏、金偏! 糸偏、ちゃうちゃう!「撮映」:「撮影」と「上映」が混ざっちゃったかな~。「上影」:仮面の忍者は「赤影」か・・・。これこそ「上映」だろ?「究屈」:「窮屈」って書かないと、狭苦しい感じが出ないなあ。「指適」:これはワタクシもたまに・・・。正しくは「指摘」ですな。「素情」:うーん、「素姓」か「素性」か、どっちかにしてくれ。「高景気」:気持ちは分かる! でも「好景気」と書いて!「獄写」:獄中スクープか! 「獄舎」だろ?「無苦」:「無垢」な魂に苦しみ無し? 案外、深かったりして・・・。 「嘘付き」:「もれなく嘘が付いてきま~す」みたい。漢字で書くなら「嘘吐き」ですね。 そして今シーズンの誤字・爆笑大賞は・・・「爆露」に決定! 「すんごい秘密をどっか~んと暴露」、みたいな感じで、結構好きかも・・・。 それにしても大学生の答案を採点していて感じることは、年々、誤字がどんどん減っていくということです。 しかーし! それは学生たちが正しい漢字を書くようになったということではなく・・・ そうでーす! 最近の学生は「ひらがな」で文章を書くんでーす! ガーン! 今は平安時代かっ! お前らはどこぞの「女房」かっ! もうね、分からない漢字は皆、ひらがなに直して書いてくるので、誤字が減る、減る。その代わり「ぎょうしゅく」なんて書かれて、これが「凝縮」のことだと分かるまで0.5秒くらいは掛かりますよ。 ま、テレビのニュースなんかの字幕を見ていても、漢字が減りましたからね。学生だけの問題じゃなくて、社会全般の問題なんでしょう。 でも「ら致」なんて書かれると、何だか急にお腹の力が抜けるんだよな~。こういうのはしっかり「拉致」と書いてもらわないと・・・。 というわけで、ヘンテコリンな「漢字・かな交じり文」・・・いや、むしろ「かな・漢字交じり文」ばかり読まされて、自分の感覚まで変になりそうなワタクシなのでした。教授は、つらいよ!
February 21, 2008
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今日は気分を変えて昼食を外食することに。 ということで久し振りに名古屋市緑区にある「アーリオ・パパ」へ。ここはそば粉で作るガレットがおいしいんですよね~。 で、ランチのコースを注文したのですが、前菜代わりのガレットに舌鼓を打った後、モッツァレラとトマトのパスタ、そしてメインとなる「アイナメのポワレ」をいただき、さらにコーヒーとショーケースの中からデザートを取り放題で、家内と二人分で3000円チョイだったかな。この地方の言葉で言えば「お値打ち~!」。なかなかいいですよ、このお店。 ところで今日はこの後、買い物の予定があったので、そこから星ケ丘というところへ移動。 実は私のスーツを一つ、新調するつもりで、星ケ丘にある「バナナ・リパブリック」というお店に向かったんです。ここ、アメリカ系の服飾店ですが、カジュアルな値段でありながらすっきりした服が揃っているので、私も家内も、割とこの店が気に入っているんです。 で、今日買おうと思っていたのは、濃紺かチャコールの細身のスーツ。礼服を着るほどではないけれど、少し堅苦しい場面(例えば大学の卒業式の日なんか)に着る服を新しくしたいな、と思っていたものでね。 で、前々から家内が目をつけておいてくれたスーツを見たところ、私も気に入ったので、袖を通してみると、サイズ的にもドンピシャ。ということで、ものの10分もしないうちに目指すスーツをゲット! 色は濃紺、細いストライプが入ったもので、最近の流行に従って上着のラペルの位置が高く、またズボン(パンツとは言いたくない!)も細身でカッコいい! それにしても、服を買う時にいつも親に感謝するのは、私の体型です。もうね、既製服(英語で言うと「off the rack」ですな!)は、ワタクシの体型を基準にしているのか?、というくらい、ワタクシのサイズにぴったりなんです。袖の長さといい、肩幅といい、腰回りといい、どこもぴったり。どんな既製服も、ワタクシが着れば、特別に念入りに仕立てたような感じになります。 しかも、エッヘン、足の長さも相当なもんよ。股下80センチ以上ですもん。モデル体型? が、しかし、ちょっと危険なのは、ワタクシ、着痩せするタイプなんですよね~。服を着ている時の見た目以上に、お腹周りがヤバかったりして。 はーい、今日からダイエットしマース! 毎日腹筋鍛えマース!! インナーマッスルも鍛えてクビレ復活目指しマース!!! ・・・と言いながら、帰りに星ケ丘三越に寄ったら、たまたま「北海道フェア」をやっていたりして。 ・・・で、当然、買いまくってみたりして。ロイズのチョコとか、函館「Shinori」のチーズケーキとか、果ては夕食用に札幌「雑魚亭」の海鮮丼まで買っちまったぜ。やれやれ、一体全体、どこがダイエットなんだっ! でも、夕食で食べた海鮮丼、おいちかった・・・。札幌在住のN君、雑魚亭はうまいなっ! 行ったことあるかい? というわけで、結局、今日は昼も夜も外食、スーツやらお菓子やらも色々買ったので、大分散財してしまいました。でも、普段はきっちりやってますから、たまにはこういう日があってもいいでしょう。 と、自らに免罪符を発行しつつ、今日もいい日だ~!
February 20, 2008
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先日読んだ星新一氏の『明治・父・アメリカ』が面白かったので、ついその続編たる『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)を読んでしまいました。 が、これは辛かったですねえ、読むのが。もう何度本を投げ出しそうになったことか・・・。 いやいや、つまらないからではないんです。星新一さんのお父上たる星一さんが日本の官憲に苛められ抜くのが可哀相、というか悔しくて、それで読むのが辛いわけ。 これ、星一さんのアメリカ留学にまつわるエピソードを描いた『明治・父・アメリカ』の後を受け、彼が日本に帰って来て「星製薬」という製薬会社を設立してからのことが書いてあるのですけど、何しろ星さんはアメリカ帰りのチャレンジャーですから、他社と同じようなことはやりたくないんですな。そこで彼は今後の受容を見越し、麻酔薬であるモルヒネの国産化に着手するわけ。 で、法の網の目をかいくぐり、当時日本の支配下にあった台湾から粗製モルヒネを輸入し、それを精製する形で国産モルヒネの開発に成功するわけですよ。これは画期的なことだった。で、その後はコカインやキニーネといった薬品の国産化にも成功し、またアメリカから持ち帰った市販薬製造のノウハウを活用して一般市販薬の分野でも売り上げを伸ばし、新興の製薬会社として急速に業績を伸ばしていくんです。 で、その遣り手ぶりから政治の世界からも手腕を嘱望され、政友会系の政治団体から推されて衆議院選に出馬、斬新かつ啓蒙的な選挙活動を展開し、あわや当選というところまで行ったりもする。この辺の描写は、前作『明治・父・アメリカ』からの流れで、星一という人物の快進撃の物語なんですな。 しかし、痛快な立志伝はここまで。ここから先は地獄です。 というのも、先の選挙で勝った憲政会系の加藤高明首相は、星一の後ろ楯とも言える後藤新平の政敵だったんですね。となると、後藤新平の庇護を受け(と言っても後藤と星はただ単に親しいというだけで、実質、何の庇護も受けていないんですが・・・)急速に業績を上げている星製薬社長たる星一は、加藤内閣からすると、何となく苛めてやりたい奴、ということになるわけですよ。とりわけ加藤高明は官僚出身ということもあり、警察を含め、官憲には顔が利く。 かくして、まさに国を挙げての星苛め、星製薬苛めが始まります。粗製モルヒネの台湾からの輸入も、事前に政府の許可をとった事業であったにも係わらず、急に違法性を疑われて不当な家宅捜索が行われたり、星が国のためによかれと思って(事前に許可をとって)行ったモルヒネの先物買いの違法性が指摘され、星製薬に大損をさせる形でロシアへのモルヒネ原料の横流しをさせたり、そうかと思うと、その横流し自体が違法であるとして検挙しようとするなど、まあ、ありとあらゆる形で星一と星製薬を苛め抜くわけ。 あるいは、星が「食品の冷凍貯蔵」という可能性のある新規事業を始めようとし、出資者を募り始めた矢先、「星一逮捕!」なる誤報を新聞社に流して出資者の出足を挫き、結局、事業自体の断念に追い込む、なんてこともします。その一方、星とは異なって賄賂を出すことをためらわない同業他社に肩入れし、星が始めたモルヒネ精製ビジネスを横取りすることも盛んに応援したりもする。 結局、星の清廉潔白なところ、アメリカ流にことを進めようとするところ、自社の利益より国益を優先させようとする態度、そういうものすべてが当時の日本には「異質」に映ったんでしょうな。で、そういう「異質」なものはすべからく苛めようという力学が働いた結果、壮大なスケールでの星(製薬)苛めが行われるわけですけど、それにしても国益も道義もすべてうっちゃって、ひたすらターゲットとなった特定の人物を苛めようとする陰湿な日本の官僚システムの恐ろしさたるや、すごいものですよ。まさにカフカ的不条理の世界。そう、ある意味この伝記は、カフカの『城』の日本版です。 ですからね、読んでいて、もう悔しいやら歯がゆいやら、義憤やる方なく、私なんかも何度この本を放り投げそうになったことか・・・。 もちろん、星一さんのご子息たる星新一さんが書いていることですから、そこに自然と星さん側に贔屓に書く傾向は出るでしょうし、また星新一氏は小説家ですから、多少の演出はあるかも知れません。ですから、この本を鵜呑みにして、作中悪役とされた人々のことを悪しざまに罵るのは危険なことでしょう。 しかし、この本に見事に描かれている日本的・官僚的嫌らしさは、「こういうことは、十分あり得る」ということを読者に確信させるものがありますね。というのも、それは日本人なら誰でも知る、日本人特有の嫌らしさの一部だからです。 そういう日本人の嫌らしさをほとんど知らないアメリカ育ちの星一さんが、陰湿な陰謀渦巻く世界に無防備に飛び込んで、ぼろぼろにされる。『人民は弱し 官吏は強し』という本は、そういう物語です。 ・・・そういう本と知って、アナタ、読みたいですか? まあね、面白い本ではありますし、各種陰謀に対して堂々と渡り合った星さんと星製薬の奮闘ぶりを紹介するためにもお勧めしたいところですけど、自分でも読むのが辛かった本ですからねぇ。いつものセリフを言うのも躊躇われるところがありますなあ・・・。 しかし、まあ、その辺の意を汲んでいただいた上で、小さな声で「教授の、まあ、そのぅ、おすすめです・・・」と言っておきましょうか。これこれ! ↓人民は弱し官吏は強し改版追記: ところで、この本の巻末に掲げられた鶴見俊輔氏による「解説」を読んで知ったのですが、鶴見俊輔さんってのは、後藤新平の孫にあたるんだそうですね。政治家・鶴見祐輔氏のご子息、というのは知っていましたし、社会学者・鶴見和子氏が姉にあたり、『ナマコの目』で名高い人類学者・鶴見良行氏が従兄弟だというのも何となく知っていましたし、さらに言うならば、フラナリー・オコナーというアメリカ作家の翻訳などを手がけた翻訳家の横山貞子氏が奥さんだというのも知っていたのですが、とにかくエライ一家でございます。 ・・・といいつつ、高名なる鶴見俊輔氏が、その膨大な著作にも係わらず、結局何をしている人なのか、イマイチ私には分からないというところがまた不思議なところでありまして・・・。エライ人も鶴見さんレベルになると、なんでエライのかも分からない、という風になるんでしょうね。
February 19, 2008
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先頃、といってももう随分前の話ですが、新聞の三八広告欄(下段の広告欄)に野火迅氏の『使ってみたい武士の日本語』(草思社)の広告が出たのを見た時、なかなか目の付けどころがイイナと思ったんです。だって、誰しも一度くらいは「恐悦至極」とか「かたじけない」とか、そういうシブイ言葉を使ってみたいと思うじゃないですか! で、冗談半分に、この本、買ってみようかなぁ、なんて言ってたんですよ。 すると、なんのなんの、この本がきっかけなのかどうか、今や世間では「武士語」が大流行なんですってね! しかも、いまや「もんじろう」なる武士語変換サイトがあって、どんな文章でも一発で武士語に変換してくれるというではないですか。 というわけで、実際に私も使ってみた、と。 と、これがまた実によく出来ておりまして、ほんとに一発変換で武士語になってしまうという。 実際にやってみましょうか。 たとえば昨日私が書いたブログの冒頭の一節はこんな感じでした:「今日は来年度の授業計画(シラバス)を書くので大分手間取ってしまいました・・・。どの大学でもそうでしょうけど、最近、大学当局がシラバスをちゃんと書け、書けってうるさいんですよね。ま、文科省の指導なんでしょうが。しかし、半期15回の授業で、毎回何をするかなんて事前に決められませんって。特に新しい題目で授業をしようって時に、そんな細かく計画なんて立てられませんよ。」 さて、上の文章を「もんじろう」で武士語に変換すると・・・:「今日は来年度の授業計画(しらばす)をしたためるので大分手間取ってしまいたであろう・・・。どの寺子屋なれどそうでござろうなれど、最近、寺子屋当局がしらばすを書け、書けってたわけんでござるよのう。ま、文科省の指導なんでござろうが。なれど、半期十五回の授業で、毎回何をするでござるかなんて事前に決められませぬって。特に新しゐ題目で授業をいたそうって時に、左様な細かく計画なんて立てられませぬぞ。」 ははは、「大学」は武士語では「寺子屋」なんだ! しかし、なかなか上手に変換するもんじゃないですか。素晴らしい! ということで、ものは試し、皆さんもぜひ一度、「もんじろう」で爆笑・武士語変換にチャレンジしてみて下さい。笑えますよ~、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓もんじろう
February 18, 2008
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今日は来年度の授業計画(シラバス)を書くので大分手間取ってしまいました・・・。 どの大学でもそうでしょうけど、最近、大学当局がシラバスをちゃんと書け、書けってうるさいんですよね。ま、文科省の指導なんでしょうが。 しかし、半期15回の授業で、毎回何をするかなんて事前に決められませんって。特に新しい題目で授業をしようって時に、そんな細かく計画なんて立てられませんよ。 逆に言えば、事前に細かい計画が立てられるってことは、もう既に何年も同じ授業をしてるってことじゃないの? 同じ授業を繰り返していいのであれば、ペース配分が分かるから、細かい計画も書けますが。 ですからね、「シラバスを出来るだけ細かく書け」っていう上からの指令は、毎年同じことを繰り返し講義する怠慢な講師には易しく、毎年、新しい題目の授業に取り組もうとする(わ・た・く・しのような)意欲的な講師には辛いことなんですよね~。 もう、シラバス、シラバスってうるさいこというんじゃねえ! そんなもん、いい加減に書いてあったって、この大学で一番いい授業してやるよっ! ・・・と啖呵を切りたいところですが、そういうわけにもいかず・・・。 プラス、今日は期末試験の採点なんかもしていたので、あまり自分の仕事はできませんでした。ま、こういうつまらん仕事をすることで給料もらってるんだと思って、我慢してやりますけどね。『ハケンの品格』の大前春子さんじゃないですけど、「お時給の分だけは、しっかり働かせていただきますっ!」ってところですな。 ということで、あんまり面白いこと書けず、申し訳ありません。明日は、もっと楽しい話題振りますからね~。
February 17, 2008
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今日はNHKの衛星放送で『アマデウス』をやっていますね。私はこの映画が好きで、もう何度見たか分かりませんが、今日は途中まで見て、書斎に引き上げてしまいました。 というのは、今日放送しているのが、同じ『アマデウス』でも「ディレクターズ・カット版」だからです。 私、この「ディレクターズ・カット版」というのが、どうも嫌い・・・というか、よく分からないんですよね、その意義が。 だって、既に公開された作品の別バージョンを別に公にするなんて、人を馬鹿にしているじゃないですか! じゃ、先に公開した作品は何だったんですか? あれは未完成品ですか? 監督の納得のいかない出来だった、ということですか? 納得のいかない作品だったのなら、最初から公開しないがよろし。逆に公開したなら、「本当は、こういう風に編集したかったんです」的な「ディレクターズ・カット」なんぞ、未練がましく公開しないがよろし。それが筋ってもんでしょう。ワタクシ、アーティストには筋を通して欲しいんです。 ところが、どういうわけか映画制作者ってのは、その辺、割とルーズなんだよな・・・。多くの映画に「劇場公開版」と「ディレクターズ・カット版」の2種類がありますでしょ。でまた、2種類だけならまだしも、モノによってはこれに加えてさらに「完全版」とか「最終版」ってのがあったりしますからね。 いやいや、もっとすごいのもありますよ。かのSF映画の傑作『ブレードランナー』ともなると、「リサーチ版」「初期公開版」「公開版」「ディレクターズ・カット」「ファイナル・カット」と5種類ある。こうなってくると、どれが「本物」なのか、分からなくなってきますよね・・・。 まあね、例えばオーソン・ウェルズが監督し、完成版を作りながら、映画会社の方でこれに勝手に手を入れ、ラストまで変えてしまったという『偉大なるアンバーソン家の人々』みたいな作品に関して、もしもこの先、失われたオリジナル・エディションが発見されたとしたら、それを「ディレクターズ・カット」なり「完成版」なりの名目で出すのはいいですよ。それは話が別。しかし、こういう特殊事情がある場合を除いて、やたらに違うバージョンを出すのは、どうかと思うなあ。 実際、映画評論家だって困るんじゃないのかしら? 公開版見て、あるシーンの意味などを熟視玩味・考察し、この映画はここでこういうことが言いたいのだ! という見解を発表してしまった後、「ディレクターズ・カット版」で評論家の解釈とは全然違う意味合いがつけ加えられたりしたら、カッコつかないんじゃない? いや、逆か。映画評論家は、普通の映画ファンが見られないような別バージョンを見て、蘊蓄を語れるから、やたらに別バージョンがある方がいいのかもね。 でも、どっちにしても、一般の映画ファンを馬鹿にしてますよ。 ということで、世の映画監督諸君! 自分の映画の変奏曲なんか作っている間に、芸術家としての良心に恥じない作品を一種類だけ世に問いなさい!
February 16, 2008
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ケータイを活用しているとはとてもいえない私。ま、必要な時に必要なメールの一つも打てればいいなと思って持っているんですが、それでも2年も経てば少しは飽きてきます。 というわけで、そろそろ機種変更でもしようかな、と思っているんですが、今日、ちらっとショップを覗いたら、さすがに日進月歩の世界だけあって、ますます多機能になっておりますな! それにデザイン的には、カクカクしたのが流行っているみたい。ふーん、なるほどねぇ・・・。 ところで現在、私は au を使っているので、とりあえず次もそうかなと思っているのですが、au に関して一つ腑に落ちないことがありまして。 いや、 au が今、盛んに宣伝している「ケータイは庭」のコンセプトなんですが。 「ケータイを庭だと考えればいい」って、あれ、一体どういうことですか?? 「庭」って言われてもねえ・・・。皆さんは、このキャッチ・コピーにピンと来ます? 私は全然ダメだなあ。ケータイが庭? 草が生えてたり、木が生えてたり、蟻の巣があったりする、あの庭? 意味が分からん。 さて、今日の私ですが、主に英語科で出している論文集の編集作業をしていました。コイツは毎年、出版マニアの私の仕事なもので。もう毎年のことですから、やり始めれば手順もよくサクサクと。楽しい~! でも、この論文集に載せるための自分の論文も書かなきゃいかん、というところが渋いところでございまして。他人の仕事だとサクサク進むのに、どうして自分の仕事だとこう停滞しますかね・・・。 ということで、ここしばらくは他人の論文の編集と、自分の論文書きの同時進行になりそうなワタクシなのでありました。やれ、やれ・・・。
February 15, 2008
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今日はバレンタイン・デーですなあ。皆さんはいかがお過ごしでしたか? 私ももらいましたよ、姉と家内から! 姉からはゴディバ、家内からは手作りのチョコレート・チーズケーキでございます。わっはっは。ミルクチョコ好きの私としては至福の一日。 でも、ま、これは予定調和の世界なんでね。やっぱりバレンタイン・デーを真から楽しめるのは、中学生とか高校生くらいなんだろうな。もらえるのか、もらえないのか分からないというところがないと、面白くないですから。もちろん時には期待に反して何ももらえず、ガッカリする時もあるでしょうけど、その切なさがまたいいわけですよ。 私もね、エッヘン! 中学の時はそれなりにもらったものでございますよ。そうね、2桁の大台まで行った年はないですけど、7~8個はコンスタントに。ま、もちろん大半は義理チョコ的な意味合いなんですが。 ま、それはともかく、私は中学校だ、高校だ、という時期はとうに過ぎてしまいました。今、その楽しみを味わっているのは、現在高校2年生の私の甥ッコでしょう。あとでメールでもして、お前いくつもらったんだ、とからかってみようかしら! さて、今日の私は割と勤勉に勉強していたんですが・・・夕食後はついついテレビでやっていた映画『レオン』を見てしまって・・・。しかし、この映画、B級映画かも知れないけど、なかなか見せますよね。何度見ても飽きないんだよな~。 ・・・ま、強いて言えば、ナタリー・ポートマンがマドンナやチャップリンの真似をする部分だけは、ディレクターズ・カットならぬ「釈迦楽カット」でカットしたいのですけどね(爆!)。 で、この映画では主役のジャン・レノやポートマンももちろんいいんですが、敵役のゲイリー・オールドマンが渋い! でまた、彼が着ているスーツの形のいいこと! ほれぼれしますね。彼は『ニル・バイ・マウス』で監督もしていますが、これがまた傑作といっていい出来で、ほんと才能のある人なんだろうと思います。 というわけで、今日は後半少し失速してしまいましたけど、バレンタイン・デーの最後に殺し屋と少女の純愛映画もふさわしいわけでございまして、ま、いいか、ということにしておきましょう。
February 14, 2008
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今朝の新聞を開いたら、またまたショッキングな訃報が! え? 『フレンチ・コネクション』や『オール・ザット・ジャズ』で渋い役を演じた米国俳優ロイ・シャイダー氏のことかって? ま、それもあります。でも、それ以上に「嗚呼!」と思ったのが・・・ 『主婦の友』の休刊です! 一足先に身罷った『主婦と生活』『婦人倶楽部』に続き、婦人雑誌の老舗が91年の歴史に幕! 最盛期70万部を誇ったこの雑誌も現在は16万部だったと言いますから、休刊は時間の問題だったんですけどね。 それにしても「婦人雑誌」、とりわけ「主婦向け雑誌」というのは、今、経営が難しいんだろうと思います。私、仕事柄アメリカの雑誌出版については詳しいのですが、アメリカでも事情は同じですもんね。 大体ね、19世紀アメリカで主婦向け雑誌が隆盛を誇るのは、当時彼の地に娯楽と情報と物資が少なかったからなんです。たとえば家族の者が日々着る洋服だって当時は主婦の手作りが基本ですから、今どういう服が流行っているのか、その裁ち方はどうするのか、そういう情報が主婦向け雑誌に満載されていた。またラジオもテレビもない時代、田舎に住んでいたら楽しみは読書しかないわけで、小説が沢山掲載されている主婦向け雑誌は当時のアメリカ家庭の娯楽の源泉でもあった。となれば、主婦向け雑誌が売れないわけがないんですよ。 しかも当時のアメリカの主婦は、「家庭における道徳上の指導者」という役割を与えられていましたから、モラルの高い模範的な主婦になるにはどうすればいいか、というノウハウが掲載された婦人雑誌は、まさに健全なアメリカ家庭のバイブルでもあったんですな。 また20世紀前半になって、物資が豊かな時代になると、今度は色々な選択肢の中からどの商品を選べばいいのか、ということが主婦雑誌の中心的な話題になるんです。賢い主婦は何を買うべきか、というわけです。そこで、「商品テスト」なんてものがやたらに掲載されるようになるんですが、主婦雑誌でOKを出されると当該の商品が売れるわけですから、主婦雑誌の社会に与える影響は非常に大きかった。アメリカでは『グッド・ハウス・キーピング』という雑誌が商品テストで有名ですが、これを日本で真似したのが『暮らしの手帳』です。 ところが20世紀も後半に入ると、さすがにそういう時代ではなくなってくる。テレビの登場が大きいと思いますが、娯楽も物資も情報も身の回りに溢れる時代となると、何もそれらを婦人雑誌に求めなくてもよくなるわけですよ。しかも1970年代あたりからは、都会では女性も外で働くようになりますからね。家にでんと構えた主婦、なんてもの自体が段々少なくなってくると、ますます主婦雑誌なんてものが時代後れなものになってしまうんですな。で、この時代、アメリカでは伝統ある主婦雑誌がじゃんじゃん廃刊になっていくんです。 そして、潰れた主婦雑誌に代わって女性誌の中心はファッション誌になっていくわけですよ。外で働くとなれば、女性の一番の関心事は「日々、何を着ていくか」になりますからね。 ま、こうした一連の流れは、結局、日本でも同じです。今、本屋なんか行っても、売れている女性誌は世代別ファッション誌でしょ? 30代の主婦は30代向けのファッション誌を買うし、40代の主婦は40代向けのファッション誌を買う。そういう時代ですわ。 でまた、ファッション誌の中に結構、経済に関する記事や商品テスト的なもの、あるいはマナー集や自己向上のためのノウハウ記事も含まれているので、あえて主婦向け雑誌なんて買う必要もなかったりするんでしょうな。 昔、テレビ時代の到来を揶揄して「一億総白痴化」と言ったのは大宅壮一ですが、その伝で行けば、今や「女性6千万・総モデル化」の時代なのでしょう。 逆に言えば、主婦雑誌の最後の牙城たる『主婦の友』の休刊はすなわち、日本からついに「おふくろ」がいなくなった、ということの象徴なのかも知れません。 そう考えると、ほら、ことは単に一雑誌の休刊だけでは収まらなくなるでしょう?! 今はそういう時代なんでしょうけど、「おふくろ」がいない日本ってのは、なんだか寂しいもんです。世の男性諸君! 今日は共に「空を見上げりゃ~」と歌おうではありませんか! ・・・そういえば、今日は私の母の誕生日なのでした。あとで祝福の電話をしておこうっと!
February 13, 2008
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今日、英語・英文学系の業界誌を読んでいたら、武蔵大学名誉教授・仙北谷晃一先生の訃報が掲載されていました。ひょっとして東京の新聞には訃報が載ったのかも知れませんが、名古屋の新聞には載らなかったのか、あるいは私が見落としていただけなのか、気づきませんでした。享年74歳。 仙北谷先生は私が大学院の院生だった頃、非常勤講師として教えに来ていただいていたので、私も授業を取りました。先生のご専門はラフカディオ・ハーン、夏目漱石、石川啄木といったところで、総じて言えば、先生のご関心は明治期の日本と英文学の関係あたりにあったのではないかと思います。が、私が習ったのはもう少し新しいところで、『チャタレー夫人の恋人』の作者として名高いD・H・ロレンスでした。 で、私も先生の授業がきっかけでロレンスの作品を随分読んだのですが、これがどうも気に入らなくて。たとえば『チャタレー夫人』にしても、猥褻か否かという以前に、そもそもこれは文学なのか? という素朴な疑問が私にはある。私に言わせれば、これは「宣言書」とか、そういうものではないかと。つまり、自分の言いたいことを、小説のような形にして言っているだけで、一つの意見として承るのはいいとしても、それ以上のものではないのではないかという気がする。 要するに、「ああ、ロレンスはこういうことが言いたいんだな」と分かってしまえば、それで終了、みたいな。でまた、分かるも分からないも、あまりにも明白に書いているので、分かる努力すらする必要がない、みたいな。これでは、私にとっては、味読するモチベーションになりません。 というわけで、授業中もロレンスの文学に対して批判的な感想しか言わない私は、仙北谷先生からしたら、あまりいい教え子ではなかったかも知れません。いや、間違いなく、ダメな学生でした。 一度こんなことがあったんです。授業の流れの中で先生に勧められて、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んだことがあるのですが、後日その感想として「アンナがついに死んだ時にはホッとしました」と私が述べたところ、何か斬新な解釈があってのことかと勘違いされた先生が、「む、それはどういう理由で?」と身を乗り出されたんですな。で、「あまり長い話なので、ようやくこれで終わると思いまして・・・」と私がお答えすると、いかにも拍子抜けしたような顔をされていたのが、今でも目に浮かびます。ほんと、私はダメな教え子でした。先生もさぞ、こいつはダメだ、と思われたことでしょう。 それでも私がこの先生に何となく親しみを持つのは、先生がいかにも昔気質な感じの学者さんだったからです。 まずその容貌からして、どこか「素浪人」みたいな感じなんです。お年の割に漆黒の髪を、どちらかといえば濃いお顔立ちの上に整髪料でオールバックになでつけておられましてね。洋服よりも和服の着流しの方が似合いそうな感じといいましょうか。ま、学者というより「文士」に近い印象ですな。しかも眼つきが鋭くて、討論している時など、真っ正面から視線が合ったりすると、ちょっと怖いくらい。実際には、静かな声で話される、穏やかな方なんですけどね。 で、いつも授業に持参されるのは、渋い大学ノートの山。そのノートには、なにやら先生が万年筆で書き込まれた文字がびっしり詰まっているんです。おそらくは小説を読みながら、梗概を書き記したり、思いついたことや、論文のネタになりそうなことがメモしてあるのでしょう。あるいは、授業のプランだったかも知れません。とにかく、その手擦れのした何冊もの大学ノートを見ると、先生にとって読書とは、研究とは、格闘であった、ということがよく分かる。 ま、私と仙北谷先生との接点というのは、たったこれだけ。ですが、やはり一度でも自分が習った先生が亡くなったという知らせを聞くと、なんだか妙に寂しいものです。 武蔵大学で仙北谷先生に親しく接していた学生たち、あるいは同僚の先生方は、先生のことをどう評しているのか、それは知りません。私の知らない先生の一面というのは、もちろん沢山あるのでしょう。しかし、一度だけ習ったことのある私としては、手書きのノートを抱えた、文士のような容貌の、そして私のような馬鹿学生の馬鹿な感想にすら身を乗り出して耳を傾けようとして下さった優しい真面目な先生として記憶し、そのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
February 12, 2008
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「SFショート・ショート」なるジャンルを開拓した作家・星新一さんが、自らの父であり、星製薬の創業者でもあった星一さんの前半生を綴った『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)を読了しました。 ま、伝記として出来がいいかどうか、ということになれば、私はこの本をそれほど高くは買いません。むしろ書き手が星新一であるということからすれば、案外平凡だなあという気さえする。 しかーし! 書かれている内容、すなわち星一さんの前半生の波瀾万丈が非常に面白いので、書きぶりがどうのということはまったく気になりません。それほど、星一さんの前半生はエキサイティングなんです。 まず彼が幼少の折、友人の放った弓矢が運悪く当たって片目を失明してしまった、ということからしてなかなか大変な人生のスタートです。しかし、そんなことに怯むことなく勉学に励み、12歳にして小学校教諭となるところがすごい。ま、明治時代というのは、そういうことが罷り通る時代でもあったわけですが。 しかし、福島の田舎の小学校教諭よりもさらに広い世界に出て行きたい大望を抱いた星少年は、捌けた父親の理解もあり、やがて東京の商業学校に進学、そこで「天は自ら助くるものを助く」で知られる『西国立志編』に出会い、自分の力で大きな仕事をなし遂げることを志し、アメリカへ行くことを目指すようになる。 しかし、そこで彼は安易にアメリカには行かないんですな。向こうに行けば、当然日本のことや、日本の文化のことを聞かれるに違いない。しかし、それにはまず自分が日本のことを知っていなくてはならない。富士山より西に行ったことのない自分に、そんな問いに答えることは出来ない。そう考えた星一は、西日本を自分の目で見るべく、古本の行商などをしながら徒歩で大阪や九州まで、果ては沖縄まで足を伸ばして見聞を広め、その過程で様々な人脈を築いていくんです。また、護身術として柔術を習ったり、生け花まで習っている。そういう準備をして、ようやくサンフランシスコへ向かうわけですよ。 ところが向こうについた途端、同胞に騙されて持ち金をすべて失ってしまうという災難に遭遇。文字通り無一物となった彼は、それでも腐ることなく、アメリカ人家庭の住み込みの召使となって糊口をしのぐのですが、目のハンディキャップゆえ失敗続き。しかしやがて正直な働きぶりと持ち前の機転によって次第に信用を得るようになり、少しずつ地歩を固め、当初の目的であった東部の大都市ニューヨークへ出るだけのお金を貯めるまでになる。 そして今度はニューヨークで機転を利かせた仕事ぶりで学費を貯めると、名門コロンビア大学に入学、経済学や統計学を学ぶようになるのですが、何せ当時アメリカで学ぶ日本人など数も少ないですから、彼の地を訪れる日本の政財界の大物たちが星の力を借りに来るし、また星もまたこの要請に見事に応えるなどして、思わぬ人脈を次々と作っていくわけ。実際、星がアメリカで交渉を持つ日本人というのがすごくて、新渡戸稲造、野口英世、後藤新平、伊藤博文・・・といった具合。で、こういう連中の手伝いをし、日清・日露戦争に揺れていた当時の日本とアメリカの架け橋として、八面六臂の活躍をしたのが20代の後半だったというのですから、これを波瀾万丈の人生と言わずして何と言いましょうや。この他、杉山茂丸といった異能の人や、高橋健三という高潔な人物との交流、津田梅子の妹と婚約までいった話、パリ万博で川上音次郎・貞奴の一行に出会う話など、まあ面白い、面白い。 まあね、こういうことが可能だったのも、結局「明治」という時代のせいもあるんでしょう。これが現在であれば、たとえコロンビア大学に留学していたって、洋行した福田首相に会えるというもんでもないでしょうし。才能があれば、上の連中がどんどん引き立ててくれる、そういう時代だったんでしょう、明治という時代は。 また、星一が向かったのがヨーロッパの先進国ではなく、アメリカだった、というところも、良かったんでしょうな。たとえ最初のうちは東洋人として差別的に見ていても、その自分の才能と努力と正直ささえ示せば、アメリカ人はそれを認めて受け入れてくれる。そういうアメリカの善き実力主義や気さくさが、星一のような人には合っていたんだろうと思います。 とにかく、星一さんの立志伝、痛快です。面白い! ちなみにこの本は星さんが一応、アメリカでの生活を終え、日本に帰って来たところで終わります。この先星さんは、星製薬を創業し、日本で新たな立志伝を打ち立てていくわけですが、その辺は同じ星新一さんの『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)に描かれているのだそうです。こちらの方も相当面白そうですので、私もいずれ読んでみようと思います。 というわけで、今日は星一さんの痛快な青春絵巻を読んで、いささか鼻息の荒いワタクシだったのでありました。今日も、いい日だ!これこれ! ↓明治・父・アメリカ改版人民は弱し官吏は強し改版
February 11, 2008
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今日の名古屋地方は朝から大雪。一時は降りしきる雪に向こうが見えないほどで、なかなかステキでしたよ。もっとも、明日は大学院入試の面接のために大学に行かないといけないのですが、道路が凍結していたらどうしよう、なんて心配がありますけどね。 さて、今日の私は指導している院生の修論の最終チェック、および自分の仕事をしていましたが、夕食後、NHKの衛星放送でレイ・チャールズの伝記映画『レイ』をやっていると知り、つい最初から最後まで見てしまいました。 主演のジェイミー・フォックスはこの映画でアカデミー主演男優賞をとったそうですが、盲目の天才ミュージシャン、レイ・チャールズをまあ見事に演じていましたね。レイ・チャールズはもともと独特の身体の動かし方、ピアノの弾き方をしますから、その動作を真似しようと思えば、し易いのかもしれませんが、それにしても素晴らしいもんでしたよ。聞くところによるとジェイミー・フォックスは、もともとクラシック・ピアノの素養のあったところに加え、この映画のためにピアノを猛特訓したのだそうですが、映画撮影中はまだ存命していたレイ・チャールズ本人からお墨付きをもらったというのも頷けます。 もっとも、映画の出来そのものから言いますと、うーん、まあ「可もなく、不可もなし」というところかなあ。なるほどレイ・チャールズという人の人生は色々あったんだなあと思いますが、この映画を何度も繰り返し見たいとまでは思わないかな。そういう面白さは、ないですもんね。 だから、いつものように点数をつけるとすると、そうですね、76点、と言っておきましょう。 ところで、「実在した人物をモデルにした映画」ってどうなんだろうと考えると、玉石混交ですな。順不同で思いつく映画を挙げてみると・・・ 『マルコムX』・・・まあまあ。 『JFK』・・・イマイチ。 『アマデウス』・・・これは最高ですね。 『市民ケーン』・・・これも最高。 『エド・ウッド』・・・かなりダメじゃない? 『シンドラーのリスト』・・・イマイチ。 『ゴッド・ファーザー』・・・これ以上の映画なんてないじゃないですか! 『カポーティ』・・・イマイチ。 『アビエイター』・・・見てないけど、あまりいい評判聞かない。 『世界最速のインディアン』・・・まあまあ。 『ターミナル』・・・まあまあ・・・って、あれ、モデルいたの? 『チャップリンの独裁者』・・・これは最高。 『スクール・ウォーズ』・・・知らねえよ! 『吸血鬼ドラキュラ』・・・それを言うか・・・ 『クイーン』・・・見てないけど、イギリス人の同僚は面白いと言っております。 こうしてみると、結局、モデルとなった人物を批判的に描くか、あるいは、好き勝手に描いてある方が優れた映画になるケースが多く、ただ史実を忠実になぞった「なりきり映画」は、ともすると凡作になりがち、という感じですかね・・・。 次のモデル映画は『アメリカン・ギャングスター』ということになるのでしょうけど、さて、出来の方はどうなんでしょうか。ちょっと楽しみ、かな。
February 9, 2008
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今日、金曜日は卒論の口頭試問がありました。ひと月ほど前に提出された卒論に主査・副査をつけて査読し、書いた学生と面談しながらその出来を審査するというものなのですが。 で、この口頭試問、副査という第三者が審査に加わるので、ゼミ生だけでなく、ゼミ生を指導した私自身も審査されるわけですよ。ですから副査の先生が私のゼミ生に向かって「この辺、もう少し突っ込みが足りないんじゃないの」とか、「こんな基本文献も読んでないの」などと言われる度に、私自身、命の縮まる思い・・・。 でも、今年度のうちのゼミ生たちの卒論は総じて出来が良かったので、どれも皆、高得点を確保することが出来ました。や~、良かった、良かった。 ということで、夜は皆で「忘卒論会」を実施。ちゃんこ屋さんで打ち上げパーティーとなりました。 やれやれ、これで今年度の卒論に関して、全ての業務が終わったことになります。次にゼミ生たちに会うのは卒業式の日。その後はそれぞれがそれぞれの道に向かって巣立っていくわけです。 そう思うと、なんだか寂しいような気もしますが、教師稼業ってのは、これの繰り返しですからね。 とにかく、今年度のビッグイベントに一区切りついて、ホッとするやら、寂しいやらのワタクシなのでございます。
February 8, 2008
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今日、研究室棟のトイレに入ろうとしたら、ドアに何やら貼紙が。何だ、こりゃ? ・・・と思ったら、工事予告でした。「便所改修工事のため、この便所は二月中旬から四月中旬まで使えなくなります」ですって。ひゃー! もちろん、これって全階同時に工事するわけですから、2ヶ月もの間、いちいち隣の建物までトイレに行け、ということですよね。うーむ、不便だなあ・・・。 あ、これこそがホントの意味での「不便」ですね! しっかし、貼紙にあった「便所」という言葉、何とかならんもんですかねえ。今どき、あまり耳にしない言葉ではないかと思うのですが。 「お役所言葉」では、あれは「トイレ」ではなく、依然として「便所」なのかな? 大学の正式な建物図などを見ても、相変わらず「男子便所」「女子便所」となっていますから、多分、そういうことなんでしょう。 ちなみに、私自身は子供の頃から「便所」という言葉を発したことはないですね。「御手洗い」か、「トイレ」か、どちらかだなあ。個人的な嗜好から言って、どうも「ばびぶべぼ」の付く言葉に嫌いな言葉が多いらしく、よく女性の容貌を悪く言うときの「○ス」という言葉も大嫌いで、自ら発したことはありません。駅伝などでチームの足を引っ張ってしまった人のことを指す「○レーキ」という言葉も、その意味で使ったことはありません。 そういえば「べんきょう」も嫌いだし・・・。 ま、それでも工事が終われば、きれいな「便所」が出現するわけですから、それまでは「不便」を堪え忍ぶことにいたしますか。いやはや、今日は尾籠な話でスミマセン・・・。(あ、「びろう」というのもば行の言葉か!)追記: どうしてアレのことを「便」というのだろうと思って新解さん(=新明解国語辞典)を引いたところ、「便: 1 何かをするのに足場・都合がいいかどうか 2 便利 3 大(小)便」とあるばかりで、特に字義の説明がありませんでした。 でもワタクシが思うに、「便」の字には、きっと「定期的に経巡ってくるもの・こと」というような意味があるのではないかという気がします。「郵便」の「便」や「バスの便」などという時の「便」に、そんなニュアンスがあるではないですか。もちろんアレも、定期的にやってくるでしょ? そういうことを調べるには、白川静さんの『字訓』か何かを調べればいいのかしら。我が家も一冊、この本を備えておいた方がいいかもしれませんね。
February 7, 2008
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最近、よくメディアに登場する美容研究家・田中宥久子さん。どう見ても40代くらいと思いきや、なんと60代なんですってね! お若い! ということで、つい似顔絵を描いてしまいました。田中宥久子さん ↓ 似てます? 閑話休題。 卒論の口頭試験が近いので、副査として幾つか、よそのゼミの学生の卒論を読まなければならないのですが、その中に「映画『マトリックス』に見る観念論」みたいな感じの論文がありまして。 ま、映画『マトリックス』はご覧になった方も多いと思いますが、要するに現在我々が見ている現実世界というのは、マトリックス(コンピュータ)が人間の神経に電気信号を送って見させている夢(疑似現実)に過ぎない、という前提から始まるわけですよね。 で、その論文によれば、我々が現実と思っているものは、ひょっとすると単なる夢なのかも知れないという懐疑の歴史を遡っていくと、西洋思想史で言えば、デカルトあたりまで遡るというのですな。デカルトは、この世のすべては本当の現実ではないかも知れないが、そう疑っている自分は確かに存在する、そこだけは疑えないだろうと考え、有名な「我思う、ゆえに我有り」と言ったわけなんでね。 だから、『マトリックス』が扱っている問題は、デカルト以来の懐疑論、あるいは「すべては人間の観念に過ぎない」という観念論にまつわる問題なんだ、というわけですが。 しかし、この世の現実と思われるものは、ひょっとするとすべて夢かも知れない、そして「夢から覚めた」と思っても、それは単に一つの夢から次の夢に入っただけなのかも知れないというハナシを卒論で大真面目にされても困るよなあ、と思うんですよね・・・。 で、そういう感想を哲学系の先生にしたら、その先生曰く、「いや~、釈迦楽さん、そうでもないよ」というわけ。 つまりね、「すべては夢かも知れない」という疑いを完全に打破することは、今でも出来ない、というんです。 ふーん、そういうもんですかねえ・・・。ほっぺをつねって痛ければ、というようなわけにはいかないんですかねえ。 でも、この世のすべては夢(かも)、という考えを受け入れれば受け入れるで、結構楽しいかも知れませんな。「人より出世しよう」とあくせくしたって、どうせそれは虚しい夢なんだから・・・と思えば、何もあくせくすることないか、ということにもなるし。苛められっ子だって、どうせこれは単なる悪夢だと思えば、深刻に思い詰める必要もなくなったりして。 じゃ、仕事もしなくていいか! やらなきゃいけない仕事だって、そういう仕事があるという夢を見ているだけかもしれないし! ・・・そういうわけにも、いかんか・・・。 というわけで、結局夢の中でも仕事に追われるワタクシなのでした。仕方ない、これから仕事をしている夢を見ることにしますわ。はいちゃ!
February 6, 2008
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最近、再放送でやっている『ハケンの品格』をビデオに撮って見ているんですけど、あのドラマの大前春子さんを見ていると、元気になるね! 大前さんに負けてはいられない、ワタクシも頑張らねば! という気になります。・・・って、自分、ハケンじゃないですからっ! さて、恩師の墓参も一段落、再び名古屋に戻って参りました。名古屋に戻れば、卒論審査、修論指導、期末試験の採点、入試関連業務、そして論文書きと、仕事は山積み。しかし、頑張ります。大前さんじゃないですけど、仕事はきっちりこなします。 ブログの方も明日からまた、気合入れて書きますので、今日はこの辺で。ちょいと疲れたので、もうお休みなさ~い!
February 5, 2008
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今日は両親を連れて「百草園」というところに行って来ました。 百草園というのは東京・日野市にある植物園ですが、歴史は案外古くて、江戸時代・享保年間に遡ります。小田原城主大久保候の室、寿昌院慈岳元長尼が徳川家康の長男・岡崎三郎信康追悼のために松連寺を再建、その庭として作られたのが始まりなのだそうで、そのお手植えの梅というのも残っています。 またも少し近いところでは若山牧水がここを愛したことが知られ、よく恋人を連れて散策したのだとか。その縁で牧水の歌碑があちこちに建てられていました。その一つには、「小鳥よりさらに身かろくうつくしく、かなしく春の木の間いく君」と記されていて、なんだかロマンチックじゃないですか。ま、結局失恋したみたいですけどね(ガク、ガクッ)。 あと、詩人で英文学者の西脇順三郎さんなんかも百草園がお好きだったようで、百草園の園内で撮った写真を見たことがあります。その時代その時代の文人・墨客に愛された東京郊外の植物園ということなんでしょうな。 で、私も一度行ってみたいと思っていたのですが、ちょうど父が梅の花の写真を撮りたいと大騒ぎしていたので、それなら今、百草園では「梅まつり」というのをやっているということなので、ひょっとして早咲きの梅でも咲いているのかしらと思って、皆で行ってみる気になったというわけ。 しかーし! 実際には梅なんてまーだまーだ。一分咲きとも言えない状態ですので、「梅まつり」の文字に騙されないよう、ご用心ご用心。やはり今月の下旬くらいにならないと、梅を楽しむというところまではいきませんね。 ただ、園内には「ロウバイ」の木があちこちにあって、これが今が盛りと咲いておりました。本来ならもうとっくに終わっていてもおかしくないのですが、今年は花の時期が長いのだそうです。百草園のロウバイ ↓ 実は、何を隠そう、私はこのロウバイというのが好きでございまして。いや、花そのものに趣があるとは思いませんが、何といってもこの花は香りがいい! 春の沈丁花や秋の金木犀など、香りが売りの花というのは数あれども、私はこのロウバイの香りこそチャンピオンではないかと思っているのですよ。今日もしきりにクンクンして、早春のかぐわしき香りを堪能したのでございます。 というわけで、今日は満開の梅の花をカメラに収めようとしていた父には生憎でしたけれど、俳句の句種を探しにいった母は、ロウバイの他にも、氷の張った池や、ルリビタキのような珍しい小鳥を見ることが出来、結構喜んでおりましたので、まあ、そこそこの首尾というところでしたかね。 さて、Y先生の墓参も済み、ほんのちょっと親孝行も出来たことですので、明日は名古屋に戻ります。それでは、また明日。
February 4, 2008
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今日の東京地方は(この地方としては)大雪。お墓参りをするには生憎な天気となってしまいましたが、しかし、根性のある「墓参ラー(はかまいらー)」であるワタクシは、少しも怯むことなく恩師Y先生の墓参を強行! で、今日集まったY先生の教え子は私を含めて4人。そのうち3人は常連ですが、今年は1人、新人のH君が参加しました。私はH君に会うのは30年ぶりくらいかな? 小学校・中学校の6年間を通じ、同じクラスになったことは一度もないのですが、それでも同期生ですから会えば懐かしい感じがします。 で、この4人で降りしきる雪の中、お花を供え、お線香をあげ、お墓に水をかけ、それぞれY先生の墓前で近況報告をして参りました。 先生、今年も不肖・釈迦楽が参りました。相変わらず元気にしております。思うように行かぬことも多いですが、それでも一生懸命やっております。また来年、皆が揃ってお墓参りに来れますよう、お守り下さい。 何もこんな寒い雪の日に墓参なんてしなくてよさそうなものだと思いますが、でもね、実際やってみると、いいもんですよ。あたりが真っ白ってのは、なんだか気持ちの上で邪なものが洗い流されるような気がしますしね。それに、この頃ではめったに降らない雪の中でのお墓参りなんて、かえっていい思い出になります。はるばる名古屋からこのために上京した甲斐があったってもんです。 さて、今年もこうしてお墓参りが出来たことに感謝しつつ、その後は近くのファミレスで昼食会となりました。 もちろん、この昼食会が墓参のもう一つの楽しみであるわけですが、特に今年は初めて墓参の会に参加するH君がいたので、H君の周辺の友人たちの噂を聞くことが出来、一層面白い昼食会になりました。 H君は附属校を高校まで進学した後、他大学に進学、大学では数学を専攻して、今はシステム・エンジニアとして企業人になったとのことでしたが、彼の友人たちには医者になったものあり、理系大学の先生になったものあり、はたまた弁護士を目指していまだにチャレンジ中の奴もありといった調子。なかなかのインテリ揃いです。へえ~、あいつ、今そういう仕事しているんだ~、みたいな驚きがあったりしてね。色々情報交換ができました。 結局、小・中学校時代の同窓生ってのは、完全にバラバラになったわけではなく、数名単位では今だにちょくちょく会っている、というケースがあるわけですよ。我々のグループもそうですが。で、今日はその別々のグループの一角が、たまたまY先生の墓参りということを通して出会った、というわけです。 そういうハプニング的な久々の邂逅ってのも、いいもんですね。形式ばったクラス会より、私はよっぽど好きです。 もっとも「サッと切れよく解散する」というところもこの墓参の会のいいところでして、懐かしい友人達ともうちょっと話していたいなあ、という気持ちをスパッと断ち切って、「じゃ、また来年!」ということになり、まだ明るいうちに参会となりました。 とまあ、そんなわけで、26回目となったY先生の墓参も、こうして無事終了。段々、先生が亡くなった53歳という年齢に近づいていくなあと思う度に、あの先生の高みにどうしたら到達するだろうかという思いに目眩がしそうになりますが、まあ、所詮ワタクシがごときにそんなことを望むべくもないわけでありまして、私は私のやり方で一生懸命生きていくことにいたしましょう。
February 3, 2008
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今日は休み返上で入試関連の仕事をしていたのですが、それが終わった7時に名古屋を出て、一路東京の実家に戻ってきました。 というのも、明日は小学校時代の恩師Y先生のお墓参りがあるからです。今年で26回目かな? 毎年2月の第一日曜日、午後1時に先生の墓前に集合ということで、数人の友人が集まります。で、お墓参りの後、皆で食事をし、四方山話に花を咲かせてから解散、ということなんですけど、26年間もよく続くもんです。 それでも、明日は東京でも雪なんですって? 先生の墓参の時はたいてい晴天なんですけど、今年はそうも行かないようです。 でも、それもまた思い出になるかも知れません。 さて、明日は何人集まるか分かりませんが、皆の顔を見るのを楽しみに、今日はもう休むことにいたしましょう。それでは皆様もどうかよい週末をお過ごし下さいませ。
February 2, 2008
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最近、大学で使っているメール宛てに、やたらと迷惑メールが来るようになってほんと困っています。 ま、数えたことはないですけど、おそらく一日に100通位の迷惑メールが来るのではないでしょうか。本当に必要なメールは一日に2、3通ですから、ものすごい比率です。 で、どうやら迷惑メールに悩まされているのは私だけではないようで、同僚の教授は一日300通の迷惑メールが来るとか。どうも、大学で使っている学内LANのシステムがこの種のメールに対してまったく無防備らしいんですな。 で、そういう苦情があちこちから出た結果、大学でも近々システムを改善することになったのですが、しかし、新しいシステムの概要を聞くと、これはこれで困ったことが起こるようなんです。 たとえば一番困るのは、学外のコンピュータから、大学のアドレスのメールが読めなくなること。もちろん、何をどうとかすれば、この問題を解決できるというらしいですけど、とにかく現在のようには簡単ではなくなるのは必至なのだとか。うーん、面倒臭いなあ・・・。 悪いものを排除するのはいいけれど、そのためにいいものまで排除したんじゃ、どうしようもないじゃん。 ・・・とそんなことを考えていたら、最近、同じような例を聞いたのを思い出しました。 名古屋市立大の先生から聞いた話ですけど、昨年末、名古屋市立大で医学博士号の学位審査に際し、問題の漏洩と謝礼の授受があったことでちょっと問題が生じましたよね。あの事件の結果、同大では「謝恩会」の禁止が検討されているらしいんですよ。で、その影響の余波は今後、日本全国の国公立大学に及ぶかも知れないと・・・。 つまり、今や学生から教員への「謝恩」は、「贈収賄」と同義になりつつあるわけです。だから、一律禁止すべきだというわけ。 うーん、そうかなあ・・・。私は謝恩会というのは、日本の伝統的な美風だと思うんだけどなあ。お世話になった先生方にお礼をする、当たり前のことじゃないですか。 でね、今後は謝恩会はすべて「会費制卒業パーティー」に切り替わり、教員も会費を払ってパーティーに参加することになる、というのですが、私はわざわざ身銭切ってまで、卒業生たちのファッション・ショーに参加したくはないですわ。 ま、現時点では「そうなるかも知れない」という予想でしかないですけど、どうも「悪いものを排除するために、いいものまで諸共排除する」ということが多過ぎるような気がしますね。 「一律禁止」であれもダメ、これもダメという風にせず、是々非々でことにあたるような工夫はないものでしょうか。その辺の柔軟さが、どうも最近、(いや、昔から、かな?)日本には欠けているような気がして仕方がないのですが、読者諸賢のお考えや如何に。
February 1, 2008
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