全30件 (30件中 1-30件目)
1
今日は愛車アルファ156を1年点検の整備に出しました。この子の故郷である名古屋オート・プラネットというところにね。 前回、車検を受けた時に入れた「WAKO'S」のエンジン・オイル添加剤がものすごくよかったもので、今回もオイル&エレメント交換と同時に、この添加剤も入れてもらうことに。エンジンの回転のスムーズさ、そして静かさが格段に違ってきますからね。3,000円弱で、この効果は儲けものですよ。 そして、整備が終わるまで1時間半ほどの間、このディーラーに置いてある100台以上の外車を見ながら、クルマ好きとしての悦楽の時を過ごしておりました。 今日見た中で一番カッコよかったのは、「ジャガーXF」かな。イアン・カラムがデザインしたその伸びやかな肢体は、伝統と先進がちょうどよくミックスした感じ。次はこれ買っちゃおうかな、なんて。 で、整備の終わったアルファで大学へ。うーむ、フレッシュなオイルのおかげか、いつも以上にスムーズな加速。やっぱりクルマってのは、時々、調子を見てやらないといけませんな。 ところが・・・。 大学についてしばらくしてから、家内から電話が。なんと、出先で事故に遭って、家内のクルマが他のクルマにぶつけられてしまったとのこと。 もっとも、実際にはコツンとやられただけで、大した被害もなかったようですが、クルマってのはぶつけられると、意外なほど衝撃がありますから、乗っていた家内もびっくりしたことでしょう。 ぶつけた相手もいい人みたいだったようで、不幸中の幸いですけど、まあ、この先、修理をするのか、放っておくことにするか、考えなくてはなりません。 ということで、今日はクルマ関係で右往左往させられる日だったようです。ま、クルマってのは、楽しいものですけれども、色々面倒の元、ではありますな。
June 30, 2011
コメント(0)
玉川学園名誉総長・小原哲郎氏が亡くなりました。享年89歳。 背が低いのが玉に瑕ですが、面高な、ハンサムな人でね。昔は新宿で鳴らした遊び人だったとか。時に出るべらんめえ調が、遊び人時代の名残と、誰やらに伺ったことがありましたっけ。 この人のオヤジさん、すなわち小原国芳先生こそ、玉川学園の創立者にして、私が真の意味で「先生」と呼ぶ4人の先生のうちのお一人。玉川の小学部では、入学時に創立者・国芳先生と握手をするのが伝統なのですが、私は創立者と握手をして入学したほとんど最後の世代でありまして、本当に素晴らしい教育を受けさせていただきました。その頃の玉川は、まさに夢の学園でしたからね。 その頃の話をすると長いので、またいつか。 で、その国芳先生が亡くなって、後を継いだのが哲郎氏。オヤジさんは燃えるような真の教育者でしたが、哲郎さんは・・・。ま、二代目ですからね。 教育者たるもの、哲人(哲学者)たれ、というのが国芳先生の口癖でしたから、ご子息につけた「哲郎」という名前からも、いかに先生がご子息に期待をしていたか、というのがよく分かります。それは国芳先生のご著書を繙いても分かるので、随所に「二代目、頑張ってくれよ」とか、「さすが哲郎、頼もしいぞ」などと哲郎さんを励ます言葉が連ねてある。 国芳先生は、愛情あふれる親ばかでしたからね。もちろん、親ばかになれない親なんて、信用できないのであって、それはそれでいいと思いますが。しかし、国芳先生が理想をもって建設された学園を継ぐという大仕事は、国芳先生ほどの信念と情熱を持ち合わさなければ土台無理なのでありまして、それは哲郎さんには重荷であったでありましょう。 さて、信念なきまま、情熱なきまま、親の作り上げた理想の学校を維持するにはどうすればいいか。 形式に依る。これしかない。哲郎さんは、その点は上手かった。というか、厳しかった。教育への理想ではなく、形式への固執によって、学園の手綱を引き締められた。そして、先代と比べられることを嫌い、先代に対してあくまで忠誠を誓う者たちをむしろ遠ざけられ、自分の意のままに動く者を使いたがられた。 しかし、理想の教育云々のことはおき、財政・運営の面で、その後の玉川学園が確固たる地盤を築いたとすれば、それは哲郎さんの功績であったかもしれません。 そして今、学園は三代目の手によって運営されておりますが、三代目には三代目の理想があるらしく、その方向に向けて着々と歩を進められている。それは、初代・国芳先生の考えられた理想の学校の姿からすると、少し違うのではないかと、私などには思われるものの、時流には合っているらしく、リベラル・アーツ型の大学・学園としてそれなりの成果を挙げられているらしい。それはきっと善きことなのでありましょう。 国芳先生亡き後、哲郎さんが後を継いだ時、私のような子供の目にすら、何だか哲郎さんは、身に合わない服を着ているようだなと映りましたが、おそらく哲郎さんご自身も、そのように思われていたのではないかと思います。本当は、御曹司として面白おかしく遊び暮らしたい方だったのではないかと。しかし、そんな思いはハンサムなお顔の眉間のしわの裏に隠して、とりあえずはここまでご自分のすべきことを全うされた。 私にとって小原哲郎氏は、今でも偉大なる国芳先生のお坊ちゃんという感じですが、その哲郎さんもついに鬼籍に入ることとなりました。あの世で、国芳先生は、哲郎さんを迎えられて何とおっしゃるか。ご子息には甘かった先生のことですから、「よくやった、ご苦労」とおっしゃっられるに違いありません。 ならば私も、同じことを追悼の言葉として送りましょう。今まで学園の維持・発展にお骨折りいただき、ご苦労さまでしたと。もはや重荷をお下ろしになって、思うさまお遊びくださいと。合掌。
June 29, 2011
コメント(9)
ウィンブルドン・テニスがたけなわでございますが、皆さん、観戦されてます? どういうわけか、家内も私もテニスのトップ大会、とりわけウィンブルドン大会となると、割とよく観戦する方でありまして、このところ毎日夜遅くまで見ています。 ちなみに歴代名プレーヤーの中で家内が最も敬愛するのは、シュティフィ・グラフ選手とアンドレ・アガシ選手。私は・・・そうですね、ジョン・マッケンローかな・・・? アガシも好きだけど。 個人的な好みを言いますと、私、いわゆるビッグ・サーバーは嫌いなんです。昔でいえば、イワン・レンドルとか。サービス・エースばっかりで試合が進んでいくなんて、見ていてつまらないんですもん。かといって、ボルグみたいなベースライン・プレーヤーもいまいち。 じゃあ、サンプラスとかフェデラーみたいなオールラウンド・プレーヤーはどうかというと、これもまたいまいち。欠点がないプレーヤーもね、ちょっとつまらない。 で、マッケンローとか、後年のアガシあたりになりますと、プレーがトリッキーでしょ? もちろん作戦なのかもしれませんが、ラリーを続けてみたり、サーブ&ボレーを決めてみたり、ロブを上げてみたり、なんだかその場の思いつきで、変化に富んだプレーをしているように見える。それで、失敗して墓穴を掘ることもある反面、記憶に残る素晴らしいプレーをすることもある。 こういうタイプが好きなんだなあ・・・。 ま、結局、私も研究者としてはかなりトリッキーな方ですからね。そういう自分の行き方が、テニスのプレーの好悪にも反映するんでしょうな。 で、そういう意味で言いますと、現代のプレーヤーでいえば、昨日、リシャール・ガスケ選手と戦って勝利を納めたアンディ・マレイ選手。彼あたりが、家内と私の応援を背負う選手と言えそうです。ま、ガスケ選手のプレーも好みなんですけどね。 ところで、テニスの試合を見る度に、ちょっとやってみたいな、という気がしなくもない。ゴルフは全然興味ないけど、テニスはね。楽しそうだなと思うわけ。 ま、私は既に生涯の友としてのスポーツとして、八光流柔術に出会ってしまったわけですけど、この他に興味のあるスポーツというと、テニスかも。 ただ、体力使いそうですからね、テニスは。中年から始めるスポーツじゃないのかも知れません。 それに、私、自慢じゃないけど、バウンドしてくるボールって、怖いのよ。野球でも、ゴロの捕球が下手だったもんなあ・・・。よくトンネルしたっけ。だから、テニスなんかやったら、空振りばっかりしそうです。 でも、一回くらい試してみたかったなあ、というところがありますね。中学校くらいの時に、一回試しておけばよかった。一度も試したことがないんだもの。 で、そう考えると、小学校とか中学校とか高校とかの体育の授業で、いろいろなスポーツをちょっとだけでも試させてくれればいいのになあって思います。鉄棒とか、雲梯とか、跳び箱とか、そんな馬鹿みたいなものをやらせるくらいなら、もっといろいろなスポーツを試させて、その中で個々の子供たちが自分の得意なもの、好きになれそうなものを探す、そんなチャンスをくれればよかったのに。 たとえば、私、やったことないけど、ひょっとしたら私はカーリングの天才かもしれないじゃん? もし学校時代に一度でもカーリングをしていたら、そういうことが分かったかもしれない。あるいは、中学校くらいの時に太極拳とか教わっていたら、ひょっとして今頃その道を極めていたかも。 日本の体育教育も、ダメだよね。私が文科省の役人だったら、日本の体育教育を大改革してやるのになあ。小・中・高校を卒業するまでに、少なくとも30種か40種くらいのスポーツの味見をさせる、という風に変えますよ。ひょっとして、日本のどこかに、カバディの天才がいるかもしれないしね。 ま、そんなことも考えながら、寝る前にもうちょい、ウィンブルドンの試合を見てきます。それじゃ、皆様お休みなさーい。
June 28, 2011
コメント(2)
昨夜、大学院の教え子、といっても現職の先生ですから、あまり年の差はないのですが、その先生からメールがあり、学会発表が成功した、という報告がありました。なかなかの首尾だったようで、文面もはずんでいました。 実はこの先生の学会発表に合わせ、先週の大学院の授業では、一時間を潰して発表の予行演習をやったんです。で、その際、特にワタクシが注文をつけたのは、「発表時間の厳守」ということでした。 ワタクシもこれまで数多くの学会に出席してきましたが、ワタクシの目から見て一番良くない発表というのは、規定の発表時間を大幅にオーバーするもの。これは最悪。 大体、学会発表でもなんでも、重要なものというのは、最後の方に結論として言うものでしょ? それなのに、そこまで到達するのに時間がかかり過ぎて、一番重要な結論部をはしょらざるを得ないようなことになる発表の多いこと、多いこと・・・。 で、言い訳がましく「あー、ちょっと時間がおしてきましたので、少しはしょりますが・・・」とか、「時間になってしまいましたので、詳しいことは省きますが・・・」とか、そんなことを言う。 こういう手合いに限って、発表自体、ロクなもんじゃないんですよね。ほとんどの場合。 でまた、こういう具合に時間オーバーする発表が実に多いんだなあ・・・。逆に、きっちり時間内に終わる発表って、2割か3割くらいなもの。あとの7~8割は時間オーバー&「はしょり」組ですわ。 ワタクシ、そういう発表って、大嫌い。 ですから、少なくとも私は、自分が発表する場合は、完璧に時間厳守ですよ。25分と言われたら25分で、30分と言われたら30分ジャストで話を終える自信があるし、実際、そうやってきました。事前に、何度も予行演習して、時間を計りますからね。 そして、その決められた時間内で、起承転結のついた話をする。聞いていた人が完全に理解し、こちらの要点が分かるような話し方をする。 ついでに言えば、用意したレジュメ・ハンドアウトは100%活用します。一度も言及しないような、形だけの資料は作りません。資料を用意するのなら、その資料を必ず取り入れた話をする。 ま、研究発表でなく、シンポジウム的なものの場合は、オーディエンスの反応を見ながら、「少しオーバーしてもいいかな」と思って、そうする時もありますが、それも自分の話でオーディエンスを惹きつけていると確信している時にそうするので、そうでなきゃ、絶対に時間厳守ですよ。 というわけで、私が指導しているその大学院生にも、「学会発表では、『時間がないので、ここは割愛します』とか、『はしょります』などと絶対に言ってはいけないよ。20分の発表時間と言われたら、その時間内に自分の言いたいことをすべて言い切りなさい」と厳命し、かつ、「はったりでもいいから、自信満々に話をしなさい。今回の学会で、価値がある発表はこれだけだ、というつもりでやりなさい」と指導したんです。 で、その院生は、私の指導した通り、やりきったらしいんですな。20分の制限時間をわずか15秒オーバーしただけで話し終えたそうです。それで、そういうことも含めて、学会でも皆から随分褒められたらしい。 そういうことも含めての、昨夜のお礼のメールだったわけ。そりゃ、嬉しかったでしょう。 ま、とにかく、学会発表の礼儀ということに関して院生に指導することができ、そのことでその院生が褒められたということであれば、私も指導した甲斐があったというもの。メールを受けたワタクシも、すっかり嬉しくなってしまったと同時に、この「時間厳守」のポリシーだけは、私自身、今後とも学会発表の礼儀として、厳しく貫いていこうと決意したのでした。
June 27, 2011
コメント(0)
お昼、テレビでやっていた『ハンニバル』を結局最後まで見る。この映画の面白いシーンというのはたいてい残酷なシーンでもあるので、さすがに放送局の方でも日曜の昼に放送できないと判断したのか、そのほとんどがカット。この映画を観たことのない人が、この放送を見ても、あれこれ分からないところだらけだったのではないか。 にもかかわらず、レクター博士役のアンソニー・ホプキンスはコワイ・・・。 それにしても、レクター博士を捕まえようとするクラリスの神経が分からない。捕まえたところで、どうせ脱走するわけだし、脱走するとなったら、とってもひどい形で犠牲者が出る訳だし。幸いなことにレクター博士はクラリスにとって、なぜか自分だけ贔屓にしてくれる親戚のおじさんみたいな存在なんだから、放っておけばいいのにと思う。 このところの荒木経惟ブームにしたがって『天才になる!』(講談社現代新書)を読む。この本も面白くなくはないが、先日読んだ『天才アラーキー 写真の愛・情』(集英社ヴィジュアル新書)の方が遥かに面白い。同じく聞き書きなのに。聞き手が悪いのだろうか。多分そうかも。特に最後の方、妙に観念的な話を引き出そうとして失敗している観あり。荒木さんは観念の人ではないのだから、そういう話に引き込まない方がいいのではないだろうか。 その後、引き続き荒木経惟・陽子共著になる『東京日和』(ポプラ文庫)を読む。写真集でもあり、文集でもある本だけに、何だか読み終わっても読み終わった気がしない。写真集というのは、一通り写真を見終わった時に「見終わった」というべきものなのだろうか? それにしても、陽子さんに先立たれて打ちのめされている荒木さんの様子が、この本からは伝わってきて切ない。 仕事、あまり進まず。今日はこのあと、F1ヨーロッパグランプリ観戦予定。
June 26, 2011
コメント(4)
『刑事コロンボ』でお馴染み、俳優のピーター・フォークさんが亡くなりました。享年83歳。アルツハイマー病に罹り、自分が「コロンボ」であったことも覚えていなかったとのこと。 『刑事コロンボ』・・・。まあ、長いシリーズでしたから、比較的最近の奴はあまり見ていませんでしたが、やはり一番最初にこの番組がNHKで紹介された時、あれは1970年代の半ばだったと記憶していますが、あれはインパクトがありました。当時小学校上級生だった私も、子供心に、土曜日の夜の放送が待ち遠しかった。 何しろ、従来の刑事ものと違って、最初に犯人が犯罪を犯すところを映し出すんですから。誰が犯人かが最初から分かっている刑事ものドラマなんて、当時としても斬新でしたし、今だってそう沢山はないのではないでしょうか。 テレビを見ている視聴者の方が先に犯人を知っていて、肝心の刑事であるコロンボがその真実に少しずつ近づいてくるというね。これはすごい趣向ですよ。誰が犯人かを当てるのではなく、犯人を追いつめていくプロセスを楽しむという趣向。 そしてまた、このドラマの場合、大概、犯人が社会的身分の高い人物、というところがまた斬新だった。従来のドラマでは、犯人の被害者の方が金持ちで、犯人は社会の底辺をうごめく奴、というのが相場だったわけですけど、『コロンボ』では逆ですからね。むしろ犯人が大金持ちの有名人なんですから。で、そのハイソな犯人を、しわくちゃのレインコートを着たしょぼい刑事が、一人で追いつめていくと。そこに、密かなる下剋上の楽しみも含まれているわけですな。 でまた、いかに高度経済成長期の日本とはいえ、当時の日本の生活レベルと、『コロンボ』に描かれるロス上流階級の犯人の生活レベルの圧倒的な差がね! アメリカというのはなんとリッチなところなんだろうと、私は憧れのまなざしでこのドラマを見ておりましたよ。そして、そのリッチな雰囲気を盛り上げるヘンリー・マンシーニ作曲のテーマソング、あれがまた良かった。 それから、コロンボの吹き替えを務めた小池朝雄も良かったんだよなあ・・・。むしろ本物のピーター・フォークの声よりも、コロンボにふさわしいような気がしましたもんね。 その小池朝雄も今は亡し。そして今度はコロンボ本人が。私自身も大分歳をとりました。今では、無条件に何かを楽しみにしたり、何かに憧れたりすることが、なかなか難しくなってきましたなあ。 その大分歳をとった私の子供時代、土曜日の夜を無条件にワクワクさせてくれた個性派俳優、ピーター・フォークさんのご冥福をお祈りいたします。合掌。 それにしても、人が死ぬって、どうしてこんなに寂しいものですかね。たとえ赤の他人でもね。
June 25, 2011
コメント(0)
![]()
今日は写真家の荒木経惟さんの妻、故荒木陽子さんのエッセイ『愛情生活』(作品社)を一日中読んでいたのですが、夕食後、何となくテレビを見ていたら、たまたま画家の岡本太郎さんと、その養女となった岡本敏子さんの関係に迫ったドキュメンタリーをやっていて、結局、一日中、「芸術家とその伴侶」というテーマについて思いを巡らす一日となってしまいました。 荒木経惟さんはカメラマンで、過激なヌード写真なども撮る人ですから、そういう人の奥さんになると、それはまたそれで大変なことがある。まず、好むと好まざるとに関わらず夫の被写体になってしまうというところがあって、それもかなりあられもない姿のところを撮られて公表されてしまうわけですね。 もっともその点については、陽子さんの側としてもある程度納得づくのところがあるわけですが、その一方、夫が他の女性の裸を撮るということになると、やはり妻として、もやもやとしたところがなくもない。しかしそれが夫の仕事であり、そこに夫の天才の在処があるわけですから、それを妻として止めるわけにもいかない。その辺の折り合いをどうつけるかというところで、陽子さんにもそれなりに葛藤はあったんだろうなということが、この本の行間から滲み出してきます。 とはいえ、そういうことを除けば、荒木経惟さんは夫としてすごく魅力的な人で、陽子さんも彼に魅了されっぱなしだったこともまた真実。『愛情生活』という本は、そのタイトル通り、二人の幸福な結婚生活を微笑ましく描いたエッセイとして、なかなか良い本でございました。 一方、岡本敏子さんの方は、なかなか厳しいところもあったようで。 最初は芸術家・岡本太郎に惚れ、次に男・岡本太郎に惹かれて彼の恋人ともなった敏子さんですが、もともと太郎さんは結婚生活なんかできるような人ではなし、また彼の魅力に惹かれて色々な女の人が集まってきますから、敏子さんとしては鬱々とした日々を過ごされたようなんですな。 しかし、そこが女の強さというべきか、敏子さんは岡本太郎の仕事上のパートナーとなって彼をプロデュースすることに自分の居場所を見出し、岡本太郎を後ろから操ることで自己実現を図る、という道を選択することになる。そして、作品を売ることのなかった岡本太郎の作品を、彼の亡き後も守るために、相続に有利な「養女」という地位を得ることとするわけですな。 太郎さんの恋人に、そして妻になりたかったであろう敏子さんが、敢えて「養女」となるまでには、ものすごい葛藤があったでしょうが、彼女はそういう道を取った。そして、パーキンソン氏病を患い、生気を失った晩年の太郎さんを十年以上にわたって支え、彼の死後は彼の仕事を世間に広めることに自らの晩年のすべてを賭けられた・・・。 ま、これも一つの「愛の形」なんでしょうが、キツイですなあ・・・。 荒木陽子さんと岡本敏子さん。共に芸術家を伴侶とし、その非凡なる伴侶に翻弄されながら、その喜びと悲しみを味わい尽くした二人の女性の人生に触れながら、凡人の私としては、せめて自分の家内にはいかなる意味でも「悲しみ」だけは味わわせないようにしようと思った今日一日であったのでした。【送料無料】愛情生活価格:1,890円(税込、送料別)
June 24, 2011
コメント(2)
昨夜遅く、たまたまテレビをつけたらウィンブルドンでクルム伊達公子選手が強豪ヴィーナス・ウィリアムス選手と対戦していたので、思わず試合の最後まで見てしまいました。 何しろ相手は10歳も年下、しかもウィンブルドン大会過去5勝のウィリアムズ選手。いくらなんでも荷が重いだろうと思ったらさにあらず。フルセットの攻防を競り勝って第1セットを先取し、第2セットは落としたものの、最終セットも互いに一歩も譲らぬいい勝負。合計3時間近い熱戦を繰り広げているではありませんか! 体格で二まわりは違うウィリアムズ選手が、時速120マイル、つまりほとんど時速200キロに近いサーブを打ち込んでくるのに対し、伊達選手のサーブは大体時速80マイルくらい。しかし、テニスはパワーだけでは語れないとばかり、巧みなドロップショットや角度をつけたボレーでウィリアムズ選手を翻弄。長いラリーに持ち込めば、深い深い球筋でウィリアムズ選手をラインの後ろから一歩も前へ出さない見事さ。その堂々たる戦いぶりは、譬えは悪いかも知れませんが、巨大なクマに立ち向かう柴犬の猟犬のごとし。 そして、一進一退の攻防を繰り広げる最中の伊達選手の、その集中しきった表情たるや! 時に悲壮に、時に勇猛果敢に雄叫びをあげながら、過酷な運命に立ち向かう彼女の美しい顔に、私ははっきりと「サムライ」の幻を見ました。 そして見巧者のイギリスの観客もまた伊達選手のプレーに魅了されたのか、彼女がファインプレーを繰り出せば一斉にどよめき、彼女がおしいところでポイントを落とせば落胆のため息を漏らすというね。まさに全会場を虜にしたというところ。 が! 善戦空しく最後の最後でウィリアムズ選手に寄り切られ、あと少しのところで大金星を逃すことに。 しかし、この試合、伊達選手にも勝機は何度もありました。堂々たる大勝負でございました。素晴らしい!! それにしても40歳を超えて、あの戦いぶり。クルム伊達君子、タダモノではないな。ありゃあ、本物だわ。 ところで伊達選手の衝撃の現役復帰以来、なんだか空前の「復活ブーム」じゃございませんか? たとえばF1ではミハエル・シューマッハ選手が昨年から現役復帰していますし、水泳のイアン・ソープ選手も次のオリンピックを視野に現役復帰との噂。スケートの伊藤みどり選手も現役復帰するんでしょ? 柔道の金メダリスト、吉田秀彦選手も現役に戻る計画のようですし、レスリングでは山本美憂選手がロンドン五輪を目指して現役復帰。柔道の泉浩選手も、今度はレスリングの選手としてオリンピックを目指すとか。また「被災レーサー」ことバイクGPの伊藤真一選手が44歳にして現役復帰して話題になったことは記憶に新しいところ。 こう見てくると、若い選手でもキツイような過酷なスポーツでの40代の現役復帰が、半ば当たり前のような感じにすらなってきているんじゃないかと。 いいことだよね! こういう選手は子供の頃からずっとそのスポーツをやってきて、一度燃え尽きたわけですけど、そういう選手が一旦現場を離れてみて、色々なことを考え、感じ、それからもう一度、そのスポーツに向き合うというのは、すごくいいことだと思います。「燃え尽きた」なんてのは、ある意味、一時の気の迷いかもしれませんしね。一度離れたからこそ、力任せじゃないやり方に気付く、ということもあるだろうし。 大学だってそうよ。高校から直接大学に進学してくるより、一旦社会に出て、その後で勉強の大切さに気付いて、それから大学に「復帰」するヤツの方がよほどしっかり勉強するもんね。 そういう意味でも、クルム伊達公子選手には、「現役復帰」ブームの先導者として、これからも大いに頑張って、でかいタイトルにチャレンジしてもらいたいものです。そして、私も伊達選手に負けずに、40代半ばからの武道家への転身、頑張るぞ~!!
June 23, 2011
コメント(2)
いやあ、ついにこの日が来たか、という感じがします。感無量! 私、勤務先大学の出版会の設立メンバーだったのですが、2005年6月8日の設立以来、6年目にしてついについに、我が大学出版会はインターネット書店のアマゾンと取次契約をすることとなったのでありまーす。今日の会議でそのことが承認されたんですな。やったー! ま、出版のメカニズムに詳しくない方には分からないかもしれませんが、出版物というのは、出版すること自体よりも、全国の書店の店頭に並べることの方がよほど難しいというところがありまして。そのため、「取次」と呼ばれる業者がいて、ここが出版社から本を受け取り、全国の書店に配送することになっている。 とはいえ、取次も商売ですから、ただで仕事を引き受けてくれるわけではありません。出版社の出版物を定価の65%くらいの値段で仕入れるわけですな。この時点で利益を大分、持って行かれるわけですよ。 で、そんなこともありまして、我が大学出版会は、今までどの取次業者とも契約していなかったんです。ですから我が大学出版会の本の「販路」は、ほぼ大学生協の書店に限られていたわけ。つまり全国でただ一軒、大学生協からしか買えない本を、我が大学出版会は作って売っていたと。 ちなみに大学生協は、出版会の本を定価の85%で仕入れます。同じ本を売るにしても、本格的な取次に頼むと65%、大学生協なら85%となってしまい、本から上がる収入が二通りになってしまうんですね。で、そうなると事務処理上面倒だ、というのが、我が大学出版会が取次と契約しなかった理由なんですが。 それでいて、「大学出版会の本は全然売れない」とか、大学の上層部は文句を垂れるんだよなあ。そんな、全国でただ一店舗でしか売ってない本が、そんなに売れるわけないでしょう? で、私は出版会の設立メンバーとしてこのことに対して激怒しておりまして。「手続きが二重になって面倒だから、全国で一店舗、大学生協でしか売らない」なんて出版社がどこにあるんだっ! さっさと取次と契約しろっ!! さもなければ、一番現実的な路線として、インターネット書店のアマゾンと契約しろっ!!! っと、ある時は恫喝し、ある時は泣き落としながら頼みつづけたわけ。担当理事に。 それも、6年間、頼み続けたんですよっ! で、ついに根負けした大学当局及び事務局が、大学出版会の本をアマゾンで売ることを認めてくれたわけ。それが今日。 というわけで、今後、大学出版会の本はアマゾンを通して全国販売されることになります。ここから2冊も本を出しているワタクシとしては、ようやく悲願達成ですよ。私の悲願というより、出版会全体の悲願ですが。 ま、私は既にこの出版会の編集委員ではない(あまり私がうるさいので、いつの間にか委員を外されちゃった)のですが、それでもね、出版した本を全国規模で売れるようになったのですから、うちの大学出版会もこれで一応はまともな出版企業体になったというもの。今まで孤軍奮闘してきた甲斐がありましたわ。 しかし、これからはうちの出版会の出版物も全国規模で売られるわけですから、今後、もし売れない本を作ったとしても、もう言い訳が効きません。本の内容が悪いから売れないんだろうと言われて、返す言葉がない。その通りですと認めざるを得ない。 ですから、これからはますます気合を入れて、いい本を出版することに力を入れたいと思います。これからは編集委員としてではなく、「著者」として頑張るぞ~!!
June 22, 2011
コメント(0)
今日、愛知県内の小学校に勤務されている英語の先生のお話を伺うチャンスがあったのですが、現場の話としてかなり面白かった。 で、その先生は、小学校英語が始まった時、対象となっている小学5年・6年の生徒たちにアンケートをとって「英語学習の何が面白かったですか」と尋ねたというのですな。すると、一番多かった答えが「ゲームや歌」という答えだった。 ま、現在、文科省が推し進めている小学校英語では、「文字を教えてはいけない」というのが鉄則ですから、畢竟、ゲームや歌で英語を教えることが多くなる。で、それは小学生には大いに受けていると。 ここまでは文科省も喜ぶ結果といえるかもしれません。ところが・・・ このような小学校英語を体験してきた生徒たちがやがて中学校に進学し、ここであらためて英語を勉強し始めるわけですけど、先の先生は、この中学生たちにもアンケートをとって、「小学校英語で習ってきたことで、一番無駄だったと思うことは何?」と尋ねてみたんですな。すると・・・ ダントツで多かった回答が「ゲームと歌」だったんですと。 つまり、文科省ご推奨の小学校英語の方法論がいかに馬鹿げているかは、中学1年坊にすらバレている、ということですよっ!! しかも、この先生の調査によれば、小学校5年生で英語が嫌いな子は4人に1人、小学校6年生で英語の嫌いな子は3人に1人。で、この子たちが中学生になった時、英語の嫌いな子は2人に1人に増えるのだとか。 要するに、「小学校英語」は、やればやるだけ「英語嫌いの子」たちを量産することにつながっているわけですな。 私はことあるごとに、この国の文科省というところがいかに馬鹿かということを力説しておりますが、彼らが力を入れている小学校英語の実態がコレだということを知れば、ワタクシの言い分がいかに正当な主張か、わかるでしょ? しかし、それでも馬鹿をやめないのが文科省というところでして、「小学校英語を研究する」とさえ言えば、いくらでも予算がつくわけ。その税金の無駄遣いぶりたるや、想像を絶するほどでございますよ。 かくてワタクシは声を大にして言いたい。公教育の中で、小学校から英語をやらせるのは100%無駄。文科省の馬鹿ども! こういう下らんことは、一刻も早く止めなさい。
June 21, 2011
コメント(2)
昨夜遅く、東京からクルマで名古屋に戻ったのですが、夜11時を過ぎていたのに音羽蒲郡インターから岡崎インター間で14キロほどの渋滞があり、通過するのに小一時間かかってしまいました。 普段の日曜日なら、この時間、とっくに渋滞は解消している頃なのに・・・と思ったら、アレですね。6月19日をもって例の「高速料金上限1,000円」のシステムが終わるので、最後の駆け込みで休日ドライブを楽しもうとした方々が多かったと、そういうことらしい。 うーむ。そうだった。 本来なら4月から「週日・週末に関係なく、高速料金一律上限2,000円」の新システムが旧システムにとって代わるはずだったのに、それが東日本大震災のあおりでぶっとんでしまって、また元のバカ高い料金に逆戻りと。 で、世論を見ると、この件に関しては東日本の復興のため、という大義名分があるだけに、正面切って反対する人が少ないようですが、この際、ワタクシ、はっきり言いましょう。たとえそういう大義名分があったとしても、私は旧料金体系への逆戻りには大反対でございます。 大体この大義名分、正しいようで正しくないね。これは単に「取り易いところから取る」ということをやっているだけですもん。公務員の給与を一律10%削減、みたいなのもそうですが、こういうことがあると政府はいつでも「取り易いところから取る」ことをする。公務員の給与みたいに、国が直接コントロールしているところからばっかり削減するなんて、災害対策の立て方として安易すぎる。 それに「クルマを運転し、高速道路の恩恵を受ける人は、復興のために余計、お金を拠出すべきだ」という論理が分かりません。 復興対策のためにお金が必要なら、消費税を上げるべきですよ。これが一番公平だ。それには反対しませんよ、私も。だけど、なぜ高速料金体系を元に戻すのか。 ちなみに、昨日まで行われていた「週末・祝日のみ上限1,000円」というシステムも、私はあまり賛成はしないんですな。高速道路の料金の上限1,000円というのは、いかにも安すぎる。しかも休日だけというのは、良くないと思う。特定の日だけ極端に安いとなれば、それに合わせて日曜日や祝日にトラックを動かすような運送業の企業も出てくるでしょうから、そういう会社に勤める人たちは休日出勤になってしまって、家族と過ごす時間がなくなってしまう。また日曜日の高速道にサンデー・ドライバーが集中して、事故が多くなるのも考えモノです。 だから、そういうことも加味して、「週日・週末を問わず上限2,000円」というのは、いいところだったんですよ。私は大賛成。民主党の政策の中で唯一評価していたのに・・・。 東日本の復興も大切。それは当たり前。だけど、そのための財源確保なら、取り易いところからではなく、消費税アップによって広く浅くやってもらいたい。あ、もちろん、米とか、粉ミルクとか、そういう基本的なものに対しては消費税のアップは見送ると。そういうことをやっている国はいくらもありますし、日本でできないはずがないでしょう。 とにかく、高速道路の料金の異常とも思える高額負担強制に対し、一クルマ愛好家として、猛反対を表明しておきます。ふ・ざ・け・ん・なっ!
June 20, 2011
コメント(0)
![]()
昨日、学会の仕事で移動中、志緒野マリさんの書かれた『たった3ヵ月で英語の達人』(祥伝社黄金文庫)を読みました。 志緒野さんというのは、多分、私と同世代かなあと思うような感じの人ですが、同志社大学在学中、バスガイドのアルバイトをしていたとき、通訳ガイドの資格を持った先輩の女性にあこがれ、留学なんかしなくても一流の英語力をつけることは可能だと一念発起。大学卒業後、予備校で働きながら必死で英語の勉強をし、3ヵ月の集中的な準備で、合格率5%ほどの難関である通訳ガイド資格試験を突破する、という武勇伝の持ち主であります。で、その後、これまた合格率5%ほどの英検1級も取得。 で、どうやってそんな難関の試験を突破したか、というノウハウが本書の前半の山場なんですけど、これがすごい。とにかく、ものすごい勉強をするわけよ。それこそ、毎日10時間とか勉強する。それもダラダラと10時間やるのではなく、鬼気迫る勢いでやる。その日の朝新しく使い始めたレポート用紙1冊が、その日の夜までにびっしり新たに学んだ単語で埋まるほど勉強する。とはいえ、そこは賢い志緒野さんだけに、ただ闇雲に勉強するのではなく、「資格試験は過去問重視!」みたいな感じで実に効率よくやるわけ。 で、志緒野さんは、ただ自室にこもって勉強するだけでなく、語学学校にも通われたようですが、テレビCMなどに登場する大手の学校は避け、本当に充実したプログラムを持っているところで、しかも通学時間短縮のため、自宅に近いところを選ぶなど、非常に賢い選択をしておられる。 もともと英語が好きで、同志社大学のようなハイレベルの大学に通われていた賢い方が、非常に効率的に、しかも鬼の様に集中して勉強して、それなりの時間をかけて、そうしてようやく「モノになる英語力」が身に付くんだ、ということが、この本を読むとよくわかります。そういう意味では、『たった3ヵ月で英語の達人』という本書のタイトルは、ある意味、その通りであり、またある意味、看板に偽りアリで、「もとからある才能を活かしつつ、これだけ必死の努力をすれば・・・」という前置きが隠れているものと読まなければなりませんな。 ま、それでも、一つ慰めになるものがあるとすれば、志緒野さん曰く、英語力をつけるのに、何年もの留学は必要がない、と喝破しておられるところかな。もちろん、そういう機会に恵まれるならばそれはそれでいいですが、志緒野さんはそういう機会がなかったにもかかわらずこれだけの英語力を身につけたし、逆に何年も留学しているのに自分より英語力のない人を沢山見てきたとおっしゃる。要は、努力次第だと。 でも、志緒野さんの武勇伝はこれだけでは終わりません。通訳ガイドとして活躍される一方、英語だけできる程度ではまだまだダメだと考えられ、今度はスペイン語の学習に取り組まれるんですな。そして、下手な語学学校よりも費用が安いという理由から大阪外大に学士入学。英語の勉強で培った勉強法を活用してたちまちスペイン語をマスターし、国費留学生としてメキシコのユカタン大学へ初めての海外留学。・・・と、次なるステップへ踏み込まれて行かれるわけ。これまた、すごい。 で、こうした一連の武勇伝が、非常に面白おかしく、嫌みなく(これは重要!)、実に読みやすく書いてありまして、読み物としてなかなかよく書けています。語学上達のアドバイスとしても、著者に実績があるだけに、とても参考になる・・・。 ・・・いや、ならないかな? 私には志緒野さんのような根性ないし・・・。 っていうか、この種の努力ができる人って、多分、女性に多いんじゃないかしら。私は他に何人も女性の英語の達人を知っていますが、彼女たちには何か共通するメンタリティーがあるような気がするし、それは男にはないものだ、という印象を私はいつも受けます。男はね、プライドが高すぎて、こういう系の努力をするのが苦手なんじゃないかな。そんな気がする。 ま、それはともかく、「私はこういう努力をして、こういうことを達成した!」という話ですから、本書は読んでいて爽快です。 ちなみに本書の後半は、「これまで述べてきたような努力をするだけの根性のない人は、英語で食って行けるほどの語学力を身につけるといったような幻想はさっさと捨て、ミーハー的に、趣味として英語を楽しみなさい」というスタンスから、ミーハー向けの英語力養成アドバイスになっております。 つまりですね、ここで志緒野さんは、世にはびこる「英語幻想」にくさびを打ち込んでいるわけですよ。英語を勉強するったって、「本気の奴」と「ミーハーな奴」では勉強法も違うんだから、両者を分けなくちゃダメだと。 英検1級にしろ、通訳ガイド資格試験にしろ、合格率は5%前後。ということは、かなり本気で英語を志す人の中ですら、ほんの5%だけが真にモノになる英語力を身につけられるわけですよね。だから、中学・高校で英語を習ったり、大学で週2時間の英語の授業に出るくらいでは、とてもモノになる英語力なんか付くはずないわけよ。 私としては、ぜひ本書を文科省の馬鹿役人どもに読ませて、「小学校から英語を勉強させれば、少しは日本人の英語力があがるだろう」なんて幻想を抱かないようにしてもらいたいなあと、切に望みますな。 ってなわけで、私個人としては本書を読んで多いに啓発されるところがありましたし、またその一方、どうせモノにはならないのだから、大学の一般教養の英語なんかでも「アルファベットを忘れないようにさせる」くらいのところを目標にすればいいんじゃないか、という踏ん切りがつきました。私が担当する教養英語のクラスの来年のシラバスにも、そう書こうっと。「本授業の目標は、皆さんが英語のアルファベットを忘れないようにすることです」って。これこれ! ↓【送料無料】たった3カ月で英語の達人価格:570円(税込、送料別)
June 19, 2011
コメント(2)
今日は学会の仕事で立教大学に行ってきたのですが、池袋の駅から立教大学までのちょうど中間あたりに「夏目書房」という大変すばらしい古書店がありましてね。私は立教大学に用事があるたびにこの古書店に立ち寄るのを何よりの楽しみとしておるのですが。 で、今日も大学に行く前にちらっと寄って行こうと思い、お店の中へと一歩足を踏み入れたと。すると・・・、 あ! あーーーーーーーーーーーーーーーーーっ! ひゃー、私が四半世紀にわたって探してきた本が目の前にあるじゃないですかっ! その本というのは、折口春洋の『たづが音』(中公文庫)です。難しい漢字なので変換されないのですが、「たづ」の部分は実際には漢字です(「告」に似た形の篇に、鳥という字をつくりとして添えた字で、「告鳥」を詰めて書くような感じ)。「たづ」とは「鳥(特に白鳥や鶴)」の意でありまして、したがって「たづが音」というのは、「鳥の声」という意味で、よりシンボリックには「鳥の声に託された、遠いところにいる人からのメッセージ」ということでしょうか。 で、この本は和歌の歌集なんですが、折口春洋さんというのは、国文学者にして歌人の折口信夫(おりくち・しのぶ)さんの最愛の弟子であったのですが、太平洋戦争の時、軍人として招集され、硫黄島の戦いで亡くなるんですな。で、春洋さんがいよいよ出征する事になった時に、おそらくは彼の戦死を予期したのでありましょう、折口信夫は彼を正式に養子にとり、息子にしてしまうわけ。 しかし、案の定というのか、残念ながら硫黄島の戦いで春洋さんは戦死されてしまった。ですから、「たづが音」というのは、戦地から送られてくる息子からの便り、という意味でもあり、戦死した息子があの世から父に向けて発しているメッセージという意味でもあるわけ。 で、その内容ですが、おそらく折口流の和歌の継承者の中で最も優れた歌人になり得たであろう春洋さんの歌集ですから、ちらっと走り読みをしただけでもなかなかのものであることが分かります。それに、春洋さんが亡くなった事をいいことに、というのもアレですが、多分、折口信夫自身が徹底的に手を入れているでしょうから、これは折口父子による共作、と言ってもいいのではないでしょうか。 そういうこともあって、この本、すごく興味深いものだと思いますが、同時になかなか見つからない本でありまして、私も古書店やら古書市に行くたびにずっと探し続けていたのですけれど、今まで一度も出会うことがなかった。 それが、何の期待もせずにふらっと入った古書店の、入り口正面の棚の、ちょうど私の目の高さのど真ん中に鎮座ましましていたというのですから、それを見たときは一瞬体が震えましたよ。 やっぱり、思いは通ずるというのか、長い間根気よく探し続ければ、古本の神様も不憫に思って、こういう劇的な出会いを準備してくれるんですなあ。 ってなわけで、今日の学会関係の仕事は、それに参加する前に既に大成功だったのでありました、とさ。今日も、いい日だ!!
June 18, 2011
コメント(0)
今日は「給料日ランチ」と称して家内と昼を外食しました。 で、向かった先は、藤が丘の近く・・・でもないけど、とにかくその辺にある「グリルまどか」という昔ながらの洋食屋さんです。ハヤシライスが有名なお店なんですけどね。 で、入ってみると、20人入るかどうか、というような小さなお店で、シェフと奥様の二人で切り盛りされているらしい。さすがに気合いの入った正統派の洋食屋さんだけに、シェフはコック帽をきりりとかぶられております。 で、まずは評判のハヤシライスだろうと思い、家内共々、ずばりハヤシライスを注文。 すると、しばらくして赤出しのみそ汁が出てきて、引き続きハヤシライスが登場。ちなみにみそ汁は平日ランチのサービスとのことで、それ以外であればハヤシライスだけが出てくるらしい。ちっちゃなサラダとか、そういうのはいっさいなし。そこもまた、非常に潔い! で、そのハヤシライスですが、見た目からして旨そう! で、口に入れると、見た目通りのごまかしのない味! 継ぎ足し継ぎ足しでこの店の味の基本となっているデミグラス・ソースの滋味がどーんと広がる、「これこれ、こういうのが食べたかったんだよ!」という感じのハヤシライスでございました。そして、家内の目撃談によると、隣の客が食べていたハンバーグも実に旨そうだったとのことで、次はハンバーグを食べにもう一度この店を訪れることを決意。なかなか良い洋食屋を見つけました。「グリルまどか」、教授のおすすめ!です。 で、次に我々が向かったのは、一社駅のすぐ近くにあるコーヒーの店「カジタ・コーヒー」さんです。ここはこの辺のコーヒー好きの間で有名な店なんですが、私たちが入るのは初めて。 ここはケーキのおいしいことでも有名な店なんですが、そんなケーキを買うお客さんの間を縫って店の奥の喫茶部に席を見つけ、ブレンドを注文。といっても、コーヒーにはものすごいこだわりのある店ですから、ブレンドといっても軽めのものから重厚な味のものまで数種類あるんです。そこで家内は一番軽い「さわやか」ブレンドを、私はやや重厚な「リッチ」ブレンドをいただくことに。そして家内はモンブランを、私はチーズタルトを注文。 で、コーヒーは客の目の前で豆を挽くところからすべて店長さんが一杯ずつ丹誠込めて淹れてくれるのですが、店長さんは本当にコーヒーが好きなのか、一杯のコーヒーを淹れるのにも、まず豆の匂いを嗅ぎ、曳いた豆の匂いを嗅ぎ、お湯を注いだ時の匂いを嗅ぎ・・・という感じで、コーヒー抽出の全課程について、ちゃんと理想的に進行しているか確認しながら淹れているという感じ。実際、完成したコーヒーは実においしいものでございました。 でまた、確かにケーキもおいしくてね。チーズ・タルトも他の店にはないタイプの珍しいものでしたが、今度この店を訪れる時は、「松の実のタルト」を注文してみようかな。ショーケースで見て、おいしそうだったもので。 ということで、「グリルまどか」と「カジタ・コーヒー」、どちらも初見参の店でしたが、どちらも「当たり」でした。今後、我が家の行きつけの店にすることに決定! なかなか充実の給料日ランチとなったのでございます。
June 17, 2011
コメント(0)
本ブログ、ついに40万アクセス突破! ご愛読感謝でございます。 さて、今日は都合三度目の新城・鳳来寺ツアーでございまして、当地の某中学校で、本学の学生が教育実習の研究授業をするのを参観してまいりました。 で、最初2限の授業と聞いていたんですけど、直前になって1限に変わったから、と言われ、今日は4時半に起き、5時半に家を出たという・・・。はあ~。眠い~。 ま、それはともかく、今日参観したのは中3の国語の授業。テーマは「メディア社会を生きる」。 で、何かそんなような内容の教科書を読んできたらしいのですが、今日はその仕上げというか、応用という奴で、ディベートをやるというのですな。 で、そのディベートのテーマが、「告白するなら、直接がいいか、電話でするのがいいか、それともメールでいうのがいいか」というもの。このテーマで三手にわかれてディベートすると。 うーーーん。ディベートもいいけど、テーマはこれでいいんかい・・・? で、こんなテーマで生徒たちは意見を言うのか、不安に思っていたところ、それは全然杞憂で、まあ、最近の中3生ってのはマセているというのか、あるいは逆に幼いというのか、「コクるとしたら、やっぱ、顔見て言った方が伝わと思います」とか、「メールでも絵文字とかがあるので、十分気持ちは伝わるし、フラれた時のショックはメールの方が少ないと思います」とか、まあ、それぞれしゃーしゃーと自説を披瀝すること、披瀝すること。 もっとも、今回のディベートでは、「相手の意見を否定してはいけない」というルールを設定していたので、直接派、電話派、メール派がそれぞれ、おのれのメリットを主張して終わり、ということになってしまいましたが。 ま、最近の中学校の国語の授業ってのは、こんなことやっているんですな・・・。 世界には貧困や飢えに苦しんでいる国もあり、我が日本でも震災に苦しんでいる最中の人もいるのに、「コクるには、メールがいいでしょ」的なことを議論していていいのかな、って思いますねえ。あるいは今も人気の坂本竜馬が15歳くらいの時に何を考えていたか、なんてことを想像するに、今時の中学生のやっていることは幼稚だなあって思うのは私だけ? いいのかね、こんなことで・・・。 で、しかもディベートといいながら、相手の意見を否定しない「仲良し討論会」というね。ディベートというのは、相手の意見の弱点を叩きのめすところが面白いんじゃないかと思うのですが。 ところで、ディベートと言えば、私自身が中学生の頃、道徳の授業でディベートがあって、「仕事を取るか、奥さん(結婚生活)を取るか」でクラス討論したことがありましたっけ。「告白するなら・・・」よりは、少しはマシじゃない? で、クラスのほぼ全員が「奥さん重視」だったのに対し、私一人だけが「仕事重視」で対立。私が孤軍奮闘で、他の全員からの総攻撃を受けるという立場になったんですな。 ちなみに私の論点はですね、「仕事というのは、人生の一大事であって、男がやりたいと思っている仕事があるのに、奥さんが「仕事をとるの、私をとるの?」と聞いてくること自体がナンセンス。そういうアホなことを言う女とは私は結婚しないのだから、この問い自体が私にとっては存在しない。私は「あんたの好きな仕事をしなはれ! 家のことは私がどうにでも切り盛りするさかい」的な女性と結婚するだろうし、逆に、仕事よりも私の方を向いて! という女性とは結婚しない。そういう意味で、仕事を奥さんより優先すると言っているのじゃ!」というものだったのですが、どう? 説得力ある? ところが、こんなに説得力のあるワタクシのディベート戦略は、クラスの皆さんには受け入れられず、授業後、ワタクシはクラスの女性陣の皆さんから総スカンですよ。「釈迦楽君、見損なったわ!」って、ののしられる、なじられる。 そういう楽しいエピソードが、研究授業を見ながら思い出されたことでございます。 ま、それはとにかく、これで新城・鳳来寺ツアーもおしまい。出張のついでに露天風呂に入ったり、アユ料理を食べたり、それなりに楽しみましたけど、短い期間に3連続は辛い。もう、当分、こちら方面はいいかな~。
June 16, 2011
コメント(0)
なんかね、最近、ササミが食べたいんですよね~。筋肉のために・・・。 私がやっている「柔術」というのは、柔道と違って筋肉の力には頼らないですから、本来、柔術の稽古をしても、筋肉が発達するということはありません。筋肉の力に頼らないからこそ、修行を積んだ老人がやたらに強くて、力のある若者をポンポン放り投げたり、いいように押さえつけたりできるわけですが。 しかし、私のような未熟者ですと、ついついいらないところに力が入ってしまうもので、ついつい筋肉が発達してしまうんですな。だから、この筋肉は、柔術家としてはダメダメの証拠みたいなもので。 とはいえ、日常生活的に見ますと、プルプルしたぜい肉が筋肉化し、どんどん体が締まっていくというのは、悪いものではありません。風呂上りに、ついつい鏡の前でボディビル的な格好をしてみたり、ね。 男ってのは、いくつになっても、バカだね・・・。 ま、バカはバカなんですけど、ここまで筋肉がついてしまうと、よーし、もうひと声っていう気になるのがさらにバカなところで。 というわけで、今、ワタクシにとって一番興味があるのが、筋肉強化。狙うは細マッチョ。目指すは高橋克典、はたまた庄司智春か。(ホントにバカなのかも) で、やっぱり筋肉つけるには「鶏のササミ」かなと。 で、「この人は、ひょっとしてバカなのかしら?」と思われながらも、家内に頼んでササミ料理を作ってもらうワタクシ。気分的には、おかずをササミで食いたい気分。白米の代わりにササミっていうね。 青白き文学青年から、細マッチョな武道家へ。この突拍子もない極端な変わり身が、まあ、私の私たる所以なんですけどね~。さ、ササミ食おう、ササミ!
June 15, 2011
コメント(0)
今日は、辛いお別れがありました。古いテーブルとね、お別れすることになりまして。 昨年の秋ごろ、ダイニング・テーブルを新調し、その結果、古いテーブルがいらなくなってしまったのですが、そのテーブルをどう処分するかで悩み、何となく今日まで来てしまっていたんです。でも、いつまで置いておいても仕方がないということで、今日、ついに処分したわけ。 で、ここまで来るには紆余曲折がありまして、とりあえずテーブル自体はまだまだ使えそうな代物だったので、リサイクルショップの人に来てもらって査定とかしてもらったんですよね。しかし、附属する椅子のコンディションが悪かったこともあり、引き取ってもらえなかった・・・。タダでもいいからショップに引き取ってもらって、どなたか必要とする人に使ってもらえればよかったんですが。 ですから、仕方なく、涙を呑んで、市の廃品回収に出したわけ。つまり、本当に捨てちゃったわけですな。グスン・・・。 このテーブル、私が10歳の時に買ったものなので、もうかれこれ三十数年使ってきたものでありまして。 これを買った時のこと、よく覚えています。マンションに引っ越すにあたって我が家では家具を一新したのですが、その時、このテーブルも買ったんですよね。新築のマンションに、新しい家具ということで、なんだか釈迦楽家全体が浮かれておりまして。当時は、父も母も若かった。 そしてその後、また別な家に引っ越してからしばらく倉庫に眠っていた時期もありましたが、私が名古屋の大学に赴任し、自活をすることになった時に再びこのテーブルに出番が回ってきた。当時私が乗っていた「いすゞジェミニ」のハッチバックにこのテーブルを乗っけて、東京から名古屋まで運んだこともよく覚えています。最初に住んだ3階建のアパートの3階までこのテーブルを持ち上げた時の苦労とかね・・・。で、その後、今住んでいるところでもこのテーブルは活躍し、家内との生活を支えてくれたのでありました。 そういう釈迦楽家の歴史を刻んだテーブル。そういうのを「捨てる」というのがね・・・、苦手なのよ、私。 こういうのを「モノに執着する」というのかどうかわかりませんが、私の場合、モノの声が聞こえるわけ。テーブルを捨てるとなった時、そのテーブルが「ええっ?! 捨てるの? ボクを?! だって、ずっと一緒にやってきたじゃない。友達じゃない。それなのに、キミはボクを捨てるの??!!」と言っているような気がするのよ。 だからね、今回、このテーブルを捨てるにあたって、実はものすごく悲しかったわけ。とりあえず捨てる前に記念写真撮ったけど、それでもまだもやもやと悲しみが残っている。考えると悲しくなるので、なるべく考えないようにはしているんですけどね。 でも、市の廃品回収車が来て私のテーブルを持ち去った後を見たら、ほんとに悲しくなっちゃった。 こういう風に書いていると、また悲しみがぶり返してくるけれど、今ここに自分の気持ちを書いておかないと、もっとテーブルに対して済まないと思うので、涙をこらえて書いております。 さようなら。我が家のテーブルさん。キミをずっと取っておけるような、でっかい倉庫付きの家に住めないワタクシの甲斐性のなさゆえに、済まないことになっちまって。ごめんよ。許しておくれ。
June 14, 2011
コメント(2)
専門の学生(3年生)に対する「アメリカ映画論」の授業で、『市民ケーン』を見せたのですが、その反応がイマイチでガックリ・・・。 『市民ケーン』。言うまでもなく天才オーソン・ウェルズの出世作にして、「ハリウッド映画の歴史の中でどの作品が最も優れているか」という類のアンケートを行えば、しばしば第1位に輝く傑作中の傑作でございます。 で、私も大学生の頃にこれを初めて見て、大いに感動したものでありまして、以後、オーソン・ウェルズは私のヒーローであり続けていると、まあ、そういう具合。何せこんなすごい映画を、オーソン・ウェルズは、たかだか25歳くらいの時に撮ったというのですからね。信じられない。 で、アメリカ映画論を講じるとなれば、当然、この作品を全編見せたいと思うわけでありまして、2週ぶっ続けでこの作品を見ることにし、今日、ようやく見終わったと。 私としては「どや顔」ですよ。見たか、ハリウッド映画至高の作品を、ってなもんで。 ところが。 学生たちがポッカーーーン・・・としているんだよね。すごいものを見た、という、興奮冷めやらぬ顔なんてどこにもない。あらら? どうしちゃったのかしら? で、「どう、この作品。面白かった? でしょ?」と問わずもがなのことを問うてみると、彼ら異口同音に曰く、「まったく意味が分かりませんでした」と。 まじ? 曰く、「最初から『バラのつぼみ』がどうとか言ってましたけど、最後までそれが何のことか分かりませんでした」とのこと。 えーーーーー。だって、最後のシーンで種明かしされるじゃん! どうして分からないのよ、それが? 幼少の時に実の母親から引き離され、しかし養父の莫大な財産ゆえに奔放な青春時代を過ごしたケーンが、新聞業界に興味を持ち、金にモノを言わせた他社買収と民意を煽るセンセーショナリズムで弱小新聞社を巨大マスコミ産業に育て上げていく物語。生涯に獲得した膨大な財産からすれば、欲しいものをすべて手に入れた大成功の生涯と言えるものの、見方を変えれば、富を築き上げていく過程で最良の友を失い、名誉を失い、二人の妻を失い、ついには孤独な老人として果てざるを得なかったという、失う一方の人生でもあった。そして、その失うばかりの人生の手始めこそが、子供の頃に母親と離れ離れになったことであって、その喪失の象徴が「バラのつぼみ」だったと。 すべてを勝ち取ったように見えて、実はすべてを失った男の悲劇。うーん、ヒロイック! で、ヒロイックなんだけど、実は子供のようにロマンチストでもあるというね。しかもロマンチストでありながら、自分しか愛せない最低な男という。その辺の複雑なキャラクターを、主演も務めたオーソン・ウェルズが見事に演じていたではありませぬか。 で、また映画手法としても、実に演劇的というか。特に新聞記者たちのポリフォニックなセリフ回しだとか、ワンシーン・ワンカットの超ロングテイクなんて、まるで舞台をみているかのよう。それでいて極端に仰角や俯角をつけたカメラ・アングルだとか、主役にスポットライトを当てるのが当然の時代に、敢えて主役を影の中に置く白黒撮影だとか、はたまたパンフォーカスで一つの画面に多様な意味を与える手法などは、いかにも映画的な演出。どちらの面をとっても、見どころたっぷりでございます。 とまあ、そんなこと説明しなくたって見れば分かるだろうと思うようなことが、今時の大学生には、分からないんだなあ・・・。 いやあ。単にこいつらが馬鹿だというのではなくてですね、私ががっかりするのは、今時の若い人たちは、「人生の機微」みたいなものを見ても、その意味が分からない(らしい)、というところですね。ちょっと複雑なキャラクターになると、もうその人の心の動きというか、なぜそういう行動をとったのかとか、そういうことがまったく分からなくなるという。 もちろん、昔の人なら、みなそういう機微が分かったはずだ、とは思いませんよ。思いませんけれども、大学生ともなればね、そういうことに敏感であろう、敏感でありたい、という自負の念があったような気がするわけよ、昔は。とりわけ、文学系の学部なんかにいる場合はね。 そうじゃなきゃ、何のために大学生やっているのよ。さっさと社会人になればいいじゃないの。 ま、色々言いたいことはありますが、とにかく、今時の大学生には、いいものを見せても、その価値を分かってもらえないと。そういう時代に、自分は大学で教えているんだと。 はあ~・・・。疲れるねえ・・・。
June 13, 2011
コメント(0)
![]()
今日は比較的勤勉に勉強を、というより原稿書きをしておりました。 で、そんな仕事の合間にちょこちょこと本も読むのですが、ワタクシ、何かモノを書いている時というのは、まともな本は読めないたちなので、まともじゃない本を選んで読むわけ。で、今読んでいるまともじゃない本が、これです。【送料無料】おかしな本棚価格:1,995円(税込、送料別) これ、「クラフト・エヴィング商會」こと、吉田浩美&吉田篤弘コンビによる本なんですけど、妙な本で、本棚に並んだ本の写真が色々掲載されていて、その一枚一枚の写真について解説めいたエッセイが書かれているという、そういう本。 で、私にとって面白いのはですね、エッセイではなく、写真の方。そう、ただ本棚に並んだ様々な本の書影が面白いわけ。 それらの本は、吉田さんたちの所有になる本なんでしょうけど、どの本もみな、程度の差こそあれ、それぞれ日に焼けたり、手ずれの跡があるような感じで、つまりは「使用後」の本っぽいわけ。古本屋の棚に並んでいるような本、ということですな。 ただ、古本屋の本と少し異なって、吉田さんたちによって選ばれた本たちですから、やはりコレクションに一定の方向性というか、趣味性がある。 で、そういう趣味性のある本の連なりを見るのが楽しいわけよ。 例えばそこに自分も持っている本が写っていたりすれば、その部分で私と吉田さんたちは重なるわけで、「お、そちらさんもこの本をお持ちですか」という仲間意識が生じますしね。あるいは自分は持っていないけれど、これまで何度も古本屋の書棚で見かけた本なんかが写っていると、何となく共通の知り合いに出くわしたような気になる。ああ、吉田さんたちもどこかの古本屋でこの本と出会ったのね、という気になるわけ。 そういうのが何となく楽しいんだなあ。こういう楽しさは、分かる人にしか分からないと思いますが。 それにしても、古本の背表紙ってのは、どうしてこう魅力があるかねえ。その魅力のあるのがずらっと並んでいるのを見ると、中央線沿線あたりに点在するいい古本屋にでも行きたくなるなあ。 というわけで、今のところそんなとこには行けっこないのだけど、それだけに『おかしな本棚』のページをパラパラとめくりながら、「古本ラブ」を育んでいるワタクシなのでした。さてさて、また仕事でもするか・・・。
June 12, 2011
コメント(0)
今日はユニクロに行ってしまいました。そしてゲットしたのは・・・、 そう! 例の「ステテコ」でーす! ついに! まあ、上はTシャツにしてパジャマ代わりにしてもいいしね。肌触りサラサラだし、チェックの柄でなかなか可愛いよ! ・・・って、おっさんの言うセリフじゃないですが。とにかくこれが人生初ステテコ、履いてみるのが楽しみです。もしすごく快適だったら、またレポートしますね! で、その他、私も家内もちょこちょこ買って、ファースト・リテイリングに多額の寄付。久々の「ユニクロ祭り」となりました。 で、そんな休日の気分も手伝って、今日の夕食は私が作ることに。メニューはドイツ風「ザワークラウト・スープ」です。 といっても作り方は簡単。まず玉ねぎ半個とセロリ1本を荒ミジンにして、塩コショウ少々と共にオリーブ油で5分ほど炒め、そこへベーコンを半パック位、適当な大きさに切って投入、一緒にしばらく炒めます。で、そこに白ワインを適量注ぎ、アルコールを飛ばしてから水をカップ4杯ほど入れて、さらに固形スープ1個を入れて煮立たせます。 で、そこに缶詰のザワークラウト(酢漬けのキャベツ)を汁ごと投入。ザワークラウトは、ちょっと大きなスーパーとか、そういうところなら手に入るのではないでしょうか。 で、5分ほど煮たところでソーセージを好きなだけ(2人分で8本くらい?)投入。味を見ながら塩コショウ(酢の味がきついときは砂糖を少々)を適宜入れれば完成です。簡単でしょ? 総調理時間20分というところ。ちょちょいのちょいと作れるところがミソですから。 ちなみに、この調理法はワタクシが勝手に考えたものでございます。 今日はこのスープをメインに、トマト&アスパラ&モッツァレラチーズのサラダと、フランスパンとワインを添えましたけど、スープに心地よい酸味があり、夏の休日の夕食としてはなかなかふさわしいものでしたよ! ぜひお試しあれ! 教授のおすすめ!です。 ということで、買い物に行ったり、夕食を作ったり、今日のワタクシはのんびりモードで過ごしました。のんびりついでに今日はこのまま読書などで過ごし、勉強は明日にしますかな。それでは皆さんもよい週末をお過ごしください。
June 11, 2011
コメント(4)
さっき『アナザースカイ』という番組にサッカー日本代表キャプテンの長谷部誠さんが出ていたので、つい見てしまったのですが、それにしても長谷部さんってのは、好青年だねえ。 なんかこう、真面目で、まっすぐな感じがして、とてもいい。 その長谷部さんが、プロ入りの時のエピソードを語っていましたけど、それによると、現日本チーム・キャプテンの彼も、高校卒業時にはプロになれるとも思わず、大学進学を考えていたというのですな。ところがあるプロチームから声がかかり、進学かプロかで迷うことになったと。で、そんな時、祖父から「男なら好きなことをやれ」と後押しされ、プロ入りを決意したんですって。 ところが1年目は正選手になれず、低迷。その間、彼のプロ入りを後押ししてくれた祖父は他界。一度もプロのフィールドで得点するところを見せられなかったんですな。 そしてそれを悔いた長谷部選手は奮起して頑張った結果、試合にも出られるようになり、さらにプロ初ゴールも決めることができた。で、その初ゴールの時、その朗報を天国の祖父に伝えるため、天に向かって指を突き上げたのですが、これが長谷部さんのその後も続くゴール時の決まりごとになったと。 うーん、いい話じゃないの・・・。恩人である祖父に対して義理堅いというか。そういうところも含めて可愛げがありますよね。 長谷部さんみたいな子が、自分の息子だったらいいな! 釈迦楽家の養子になってくれんかなあ。 ちなみに、娘をもらうなら、卓球の愛ちゃんに決めてますけど。長男が長谷部で、長女が愛ちゃん。この布陣。どうよ。最強でしょう。 ま、それはともかく、日本にもまだまだああいう好青年がいるんだ、ということを知るだけでもいい気分。長谷部誠、教授のおすすめ!です。
June 10, 2011
コメント(0)
今日は教育実習生の研究授業を参観するために、またまた奥三河へ行ってきました。なにせ2限の授業を参観するので、今日は朝は5時半に起きて6時半に家を出たというね。現地まで2時間半のドライブ、プラス、余裕を見ての出立です。 で、無事現地に着きまして、授業を参観し、実習生を指導し、校長先生とちょいとおしゃべりをして11時頃、仕事終了~。 で、この前はここから立ち寄り湯を楽しんだわけですが、同じことをしてもあまり芸がないので、今日は食べる方で楽しむことに。 今日、向かったのは、当該の中学校から車で15分ほどのところにある「レストハウス板敷」というところ。ここで名物の「あゆ釜飯」を食べてやろうというわけ。 で、なにせ渋い観光地の平日の昼前ですから、割と広いレストハウスの客も数名程度。のんびりした雰囲気の中、ずばっとあゆ釜飯を注文します。1,300両なり。なにせ釜飯ですから、注文を受けてから炊き始めるわけで、料理が出てくるまで結構時間がかかりましたが、そこはそれ、のんびりとね。 で、出てきましたよ、あゆ釜飯。お釜の中に小ぶりな鮎がまるまる一匹入っている。で、身をほぐしつつ、味付きのご飯に混ぜ込んで、さあ、いただきまあす! ふむふむ、さすがに新鮮なのか鮎の身はプリプリと骨離れがよく、なかなか美味。ただ、好みからいうと、もう少しご飯の味付けが濃くてもよかったかな、と。だけど、まあおいしかったです。 で、帰りには土産物コーナーで、鮎の甘露煮をゲット。仕事がらみのちょっとした小旅行を堪能したのでした。 しかし、大学の研究室に戻ってから睡魔が襲ってきまして。そりゃそうだよね、昨夜は睡眠時間2時間半だからね。 というわけで、研究室に折り畳み椅子を6個並べ、簡易ベッドを作って2時間ほど爆睡! もう午後は仕事になりまへんでした。で、その後、夜は道場へ行って柔術の稽古ですからね。きつい、きつい! だけど、来週も同じ中学校にもう一度出張なんですよね。しかも来週は、1限の授業を参観するので、さらにもう1時間早く到着しないといけないという・・・。来週は4時半起きか・・・。しんどいなあ。 っていうか、来週は水曜日の晩、現地近くに泊まろうかなあ・・・。 とにかく、奥三河出張3連チャン。しんどいけど、結構楽しんでいるワタクシなのでした、とさ。
June 9, 2011
コメント(6)
最近我が家で流行っているデザートに「簡易フローズン・ヨーグルト」というのがありまして。 いや、作り方は簡単、バニラ・アイスにヨーグルトをかけて食べるというもの。もうせん、ヨーグルトを食べようと思ったら、案外量が少なかったので、アイスクリームを足して食べたら抜群に旨かった、というところから発生したオリジナル(?)レシピなんですが。 まあ、量的にはアイスクリーム2.5に対して、ヨーグルト1、というあたりですかね。これをよく混ぜて食べると、まさにフローズン・ヨーグルト。アイスクリームの甘さとヨーグルトの酸味が相殺しあって、絶妙のバランスを作り出すというね。ま、とにかく、鬱陶しい季節には最適の、爽やかなデザートになりますから、ぜひお試しを。アイスクリームは、別に高いものでなくてもOKよ。 さてさて、先日、荒木経惟氏の『天才アラーキー 写真の愛・情』(集英社ヴィジュアル新書)が非常に面白かった、という話をしましたが、その後、読書方面では今ひとつ決定打がありませんで、ちょっと停滞中。 田村隆一の『自伝からはじまる70章』(詩の森文庫)というのを読み始めたのですが、これがどうもコクがなくてねえ。私は田村隆一という人は基本的に好きなつもりなんですが、彼の書くエッセイってのはどうも薄味というか、がつんと来るインパクトがない。とにかく最後まで読みたい! という気が起こらないんだよなあ。 で、もう一つ、斎藤兆史さんと野崎歓さんの『英語のたくらみ フランス語のたわむれ』(東京大学出版会)という本も並行的に読んでいるんですが、こちらも、私としては今ひとつの部類。 いや、こちらの方は内容的には充実ですよ。英語/英文学と仏文学の研究者・翻訳家・教育者として飛ぶ鳥を落とすお二人がそれぞれの自伝的来歴や、文学や翻訳や英語教育のあり方などを巡って丁々発止のやりとりをする対談集ですから、面白くないはずはないのですが・・・、どうもね、やっぱりお二人とも東大の先生だなあって感じがするわけ。 で、それはつまり、私の芸風とはずいぶん違うなあってことなんですが。私の芸風は、明らかに天才アラーキーに近いわけよね~。 でも、それはいいことなの。『英語のたくらみ フランス語のたわむれ』みたいな本を読みますとね、自分は、彼ら二人のようなことはできないなと思うし、そうするとなおさら、じゃあ自分の芸風でできることって何だろうと思いますからね。そちらの方向で伸びて行こうと考える(考えざるを得ない)ので。 というわけで、ちょっともやもやしながら、色々な本を読んでいる私なのでありました、とさ。
June 8, 2011
コメント(0)
読売新聞にタレントが自分が飼っている(飼ってきた)ペットとの交流をつづる「交遊録」というコラムがあって、どの人のものもそれぞれに面白いのですが、最近の回でなべおさみさんが、ずっと昔から飼い続けている秋田犬のことを4回にわたって書いていらして、これが最近読んだ中でも秀逸。ペットを飼っていれば必ず訪れる「死別の悲しみ」を書いた回も良かったのですが、最終回となる4回目の記事もすごかった。 最終回では、なべさんがこよなく愛する日本犬のことをつづっているのですが、それはこんな調子です。 (前略)だが、洋犬だろうが日本犬だろうが、1匹1匹全て性質が異なるのだ。必死になって、自分らしさを失うまいと生きている。しかも、そうしてかたくなに生きているのを主人に悟られまいと頑張っているのだ。これは強い我慢が必要なはずだ。いかにも飼いならされているように暮らしながら、肝心なところは少しの妥協もしない。 日本犬は、意固地なくらい主人一辺倒の忠義で生きる。一度、自分が主人と決めたならば、終生不変の心がうれしい。 家庭内にあっても、主人と家人の違いははっきりしている。例えば、我が家に何人もの客が来たとする。それを庭から見守っていても、我が家の秋田犬ゴジとロクは、私一人を目で追っている。時々、客に頭をなでられたりするが、喜んではいない。あまりしつこいと、「ウーッ!」まである。それで私に、頭をゴツンとやられたりする。人にこびるのが、とにかく苦手なのだ。 洋犬との大きな違いはこれだ。飼って楽しいのは、甘え方の上手な洋犬かもしれない。でも、愛想を振りまけない日本犬が、私はとてつもなく好きだ。 秋田犬、紀州犬、柴犬、甲斐犬などの和犬は、道で会っても、うれしそうになどしてくれない。度々会っていて、心を許してくれているのはわかるのだが、表現はできない。できてはならぬと必死で自分を押し止めているのだ。それが主人への大忠誠なのだから。他人の犬でもうれしいね。 家の中に居る私を目の端に留め、庭でゴロンと2匹の秋田犬が横になっている。スズメの夫婦が、抜け毛をくわえて巣へと運んでいる。2匹は細目で見つつ、これを容認している。だが全神経は、私にあるのだ。(終) この最後のスズメの件、特に「全神経は、私にあるのだ」という王者のような決め台詞。うーん、痺れるね・・・。 なべおさみさんというと、喜劇系の脇役俳優、それも最近ではテレビではなく舞台の方に活動の中心を移された方、という程度の(といっては失礼ですが・・・)認識だったのですが、今回、「交遊録」の4回の連載を読んできて、その非凡なる文才に仰天しました。こういう文章ってのは、よほどの文才がないと書けないですよ。それから、犬に対する並外れた愛情ね。この二つが相まって、こういう文章に結実したのでしょう。 ということで、私、見直しましたよ、なべさんのことを。 ま、これはたまたま、なべさんのことを取り上げたのですが、なべさんに限らず、人間、どういうチャンスでどう見直されるか、分からないもんですな。もちろん、逆に、妙なチャンスで見下げられることもあるだろうし。そういうことを思えば、逆境にあって絶望せず、順境にあっておごらず、ということを心掛けなければなりませんね。
June 7, 2011
コメント(0)
学会を終え、名古屋に戻ってまいりました。 月曜深夜の東名高速はまさにトラック街道で、数珠つなぎの大型トラックの隙間を縫うように走るのは結構神経使いますな。疲れちゃった。 ということで明日からまた名古屋発のお気楽日記、よろしくお願いしやーす。今日はもう寝ます。お休みなさーい。グーグー。
June 6, 2011
コメント(0)
ひゃー、今日は某学会でシンポジウムがありまして、それの講師を務めてきました。疲れた~! ちなみに今回のシンポジウムのテーマは「アメリカ文化の教え方」というもの。私を含む三人の講師が、それぞれ日頃どういう形でアメリカ文化系の授業なり指導なりをしているかを報告し合う、という体のものだったのですが、ま、私は私なりに「こういう感じでやってます」というところを披露してきたと。 で、私は2年ほど前にアメリカ文化系の卒論執筆マニュアルを出版したことがあるので、話の最後にその本のことに言及し、「とりあえずこの本を持てるだけ持ってきましたから、私の話に興味を持たれた方は、休憩時間中にでも買ってください」と自己宣伝しちゃったわけ。ま、5冊くらい売れればいいかなと。 そしたら、休憩時間に入った途端、オーディエンスの皆さんが列をなして私のもとに殺到! 持ってきた26冊、全部、飛ぶように売れちゃったというね。中には「せっかくだからサインをお願いします」なんて言ってくださる方もいらしたので、まるで人気作家のサイン会のようになってしまったという・・・。 学会の最中に個人がモノを売っていいのか? という思いがなくもなかったんですけど、ま、この際、旅の恥はかき捨てだ。それだけ私の話がアピールしたんだと勝手に解釈することに。でも、私が学会会場に持ち込んだ26冊というのは、初版の在庫のすべてでありまして、これにて初版完売です。嬉しいねえ。大学に戻ったら、早速増刷の手続きをしなければ。 ということで、話は適当に受けたし、本も売れたし、まずは成功と言えそうかな。今回の学会は大きな学会の全国大会でしたから、多少不安な所もあったのですが、終わってホッとしました。明日はのんびり名古屋に戻ることにいたしまして、今日のところはゆっくり休みましょう。 それでは皆様、お休みなさーい!
June 5, 2011
コメント(0)
昨夜、レイトショーで『ブラック・スワン』を観てきました。ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞をとった、例のアレです。 ま、実を言いますと、ワタクシ自身はこの映画、さほど興味がありませんで、というのは、ワタクシ、もともと女性が主人公の・・・と言うより「女性を描く映画が」と言った方がいいかもしれませんが、そういうのがあまり好きではないんです。どうして、と言われても、面白くないから、としか言いようがないのですが。 ですが、このところ他に観るものもなし、一方、家内はこの映画に興味がないわけではなさそうだったので、アカデミー賞をとった映画でもあるし、まあ、ものは試しで観てみるかと。そう思ったわけ。 で、昨夜、映画館に行ったところ、まず客の入りにびっくり。この前『英国王のスピーチ』を平日のレイトショーで観た時なんか、私たち夫婦を含めても総勢10人居るかどうか程度の観客数だったのに、『ブラック・スワン』は結構キャパのでかい部屋がほとんど満員状態。私たちなんぞ、スクリーンからさほど離れていない前の方の席に座らされてしまいましたからね。あら~、『ブラック・スワン』って、こんなに人気があったのね~。 で、観客のほとんどは若い女性。一人で来ているか、四~五人のグループで来ているのがほとんどで、その中にちらほら彼氏と来ている子がいる、という感じですから、当然、女性の数が男性客の数を圧倒しているわけ。 女性ってのは、女性映画が好きだからねえ・・・。当たり前か? で、映画が始まりましたと。 うーーーーーん。そう来ましたか・・・。 以下、ネタバレ注意ですが、まあ、ばらすほどのストーリーというのはなくって、要するにナタリー・ポートマン演じるニナというバレエダンサーがですね、『白鳥の湖』の主役、プリマドンナに選ばれて、とっても誇らしいんだけど、いざとなると結構踊るの難しいし、結果的に彼女が追い出す形となった先代のプリマドンナには睨まれるし、同世代のバレエダンサーたちからは嫉妬の目で見られるし、そんなこんなでテンパってしまいました、という映画です。 そう、最初っから最後までニナがテンパって、テンパって、テンパりまくって変な人になっちゃうと。それだけの映画ですから。 で、そんなですからただでさえ鬱陶しいのに、最後の終わり方がまたメチャクチャ後味悪いっていうか。だもので、見終わったときの疲労感ってハンパないよっ! まあ、「表現者として壁に突き当たって苦悩していたニナが、最後に立派に踊ってみせました」って話だから、とっても爽やかなエンディングだ、って言う人もいるかも知れません。でも、私に言わせれば、ニナって女がただアホみたいにテンパってただけですから。別にそんなにテンパらなくてもいいのに、どうしちゃったの、あなた? ってなもんです。 というわけで、この映画、私の批評点はと言いますと・・・ 「37点」でーす! 観る価値なしっ! ちなみに37点のうち30点くらいは、ニナに追い出される落ちぶれた元プリマドンナを演じていたのがまさに落ち目のウィノナ・ライダーで、このブラックジョークみたいなキャスティングに対して捧げられたものでございます。 ところが、です。 映画がラストシーンを迎えたあとの観客からの「どよめき」というか「ざわめき」というか、それがね、近頃の映画ではついぞ見かけないほど大きかったのよね。なんか、その場にいた大勢の女性観客にとって、かなりインパクトのある映画だったようで。で、映画館を後にしてからも、三々五々、今観たばかりの映画についてなにやら興奮気味に盛り上がって話をしている様子。 何なんだろう、この反響は? まさかとは思うけど、この映画に「感動」したとか? あるいは、ただ「びっくり」したとか? ただただ「ゲッソリ」した私と家内の「どよーーん、疲れた~!」という方向の反応とは明らかに異なる種類の反応をしてしているのは、いったいなぜなの? ということで、(予想通り、というべきか)ワタクシにはぜーんぜん理解も評価もできない種類の映画ではありましたが、この『ブラック・スワン』、若い女性観客たちの心は、どういうわけか捉えていたようでございます。 さてさて「この映画は面白いんだっ!」と言い切れる若い女性の皆さーん、もしそんな方がいらしたら、この映画のどこがそんなに面白いのか、この不感症の教授にレクチャーして下さいな。
June 4, 2011
コメント(6)
今週の土日は東京で学会。東大だよ、東大! 駒場の方だけどね。で、今回は私も日曜日のセッションに登場して他の二人の先生方と共にパネリストを務めます。 なんか学会で話をするのって、久しぶりだなあ。ひょっとして2年ぶり? しかもこの学会、ワタクシは十年以上にわたって会員ではありますが、ずっと幽霊会員だったもので、実際に参加するのは初めてというね。初めての参加で、いきなり発表する側ということもあり、若干緊張気味。 とはいえ、そこはこちらも百戦錬磨ですから、何とかなるでしょう。他の二人の先生方は真面目な話をされるようですから、ワタクシは笑いを取る担当ということで、座を盛り上げて参ります。 ところで、先日、共同研究室のお茶会でそんな話をしていたら、「叔父貴」ことO教授も今週末は東京で学会とのこと。会場は桜美林大学。 ん? 桜美林? じゃ、私の実家の割と近くじゃん? で、O教授も土曜日に現地入りということだったので、それならご一緒しますか、ということになり、明日は朝も早よから私のアルファロメオでO教授共々東京へ旅立つこととなりました。ま、旅は道連れ、二人で話しながら行けば、道中の退屈もまぎれることでございましょう。 ところで叔父貴の参加される学会は、確か「大学教育学会」というような学会でして、現在の日本の大学における問題点とか改善点などを検討しあう学会なのだそうで。 で、そんな学会、聞いたことないなあ、と思って会員数を尋ねてビックリ。なんだ、うちらの業界最大手の英文学会より多いくらいじゃないの? ひゃー、そんなでかい学会なんですか・・・。 で、びっくりしてさらに聞いてみると、この十年ばかりで急に肥大化した学会なのだそうで、要するにここ最近、大学改革の嵐が吹き荒れ、と言って文科省には明確なヴィジョンもなく、さて、どちらの方向に改革すればいいのか、どの大学も悩んでいるらしいんですな。で、それなら、そういうことを話し合う学会に参加しよう、ということになり、日本中の大学から先生方が派遣されるようになって、急に大規模な学会に様変わりしたのだとか。 なるほどねえ。 で、うちの大学の改革を担うO教授も、この2、3年、この学会に参加するようになったそうなのですが、参加してみて分かったことは、この学会が結構面白いことなんですって。なにせ大規模な学会ですから、何部屋もの会場を使って研究発表やらシンポジウムなんかを同時開催するわけですが、どのセッションに行っても、そこで話されていることが理解できる、というのです。 O教授は英米論理哲学がご専門ですが、そういう専門の学会では、分野が少しでも違うと、そこで話されている内容がさっぱり分からないんですな。それに対して「大学教育学会」の方は、日本中の大学が突き当たっている様々な問題が討議の話題であり、そういう問題はどの大学でも共通することが多いので、どのセッションを聞いても「そうそう、そうなんだよな~」と共感できると。 なるほどねえ。 もっとも、こういう学会で討議したところで、何か決定的な大学改革の決め手となるような解決策が出てくるわけでもなし、ただみんなで寄ってたかって「お互い、大変だよねえ・・・」と傷を舐め合うのがせいぜいみたいですが、それはそれで楽しいんですって。 ま、それもどうかと思いますけど、日本の場合、悪の元凶の文科省が馬鹿なことばかりやりますからねえ。そこを改革しない限り、個々の大学の側で劇的な改革なんかできないでしょう。 というわけで、楽しい愚痴合戦に気楽に参加しに行く叔父貴を多少うらやましく思いながら、私の方もせいぜい頑張ってきます。
June 3, 2011
コメント(2)
今、話題の「しゃべる猫・しおちゃん」の YouTube 画像を見たのですけど、可愛いね! よくしゃべる犬とか、そういうのがテレビに出てくることがあって、普通は「ただ鳴いているだけじゃん」と思うのが多いですが、しおちゃんはすごいよ。まじで「オハヨー」とか言うんだもん。飼い主が帰ってくると「オカエリー」って。 しかも、飼い主を独り占めできると知ると、「二人の時間!」とかって言うんですよ。たまらんわ。で、飼い主の帰りが遅いと、「バカヤロ」とかって。 でまた、黒猫のしおちゃんがまた美男でね。あんなハンサムな猫ちゃんで、しかも言葉で会話ができる猫なんて、可愛い過ぎるわ。 しおちゃんのこと、まだご存じない方は、YouTube で「しゃべる猫 しおちゃん」などと検索すると出てきますので、是非! さて、今日は柔術の道場に行く日だったのですが、今日はふつうの稽古の他に、首を絞められながら壁に押し付けられた時の対処法を習いました。 と言っても、実はすごく簡単で、首を締めてくるなと思ったら、首をすくめて完全に相手の手が首にかからないようにし、そこで軽く微笑みながら(微笑むと頸動脈の周りに筋肉が集まるので、そう簡単には絞められなくなります)、ちょっと横向きにお辞儀をするわけ。すると、相手はそのまま吹っ飛びます。 それからもう一つ、殴りかかってきた相手への対処法もチラッと先輩から教わったのですが、まず相手が右手で殴ってきたら、こちらは左手で相手の右拳を下から突き上げるように払うと。で、同時にこちらの右手で相手の左の頸動脈のあたりに手刀を押し当てながら、左右の手で相手を挟み込むように自分の左脇方向に払うんですな。払うと言っても、力任せに払うのではなく、自分の両腕の重さを相手に預けるような感じ。すると、これまた相手はきれいに吹っ飛びます。 どちらにせよ、攻めてくる相手に対して正対するのがコツ。「半身の構え」というのがないのが八光流の大きな特徴の一つでありましてね。合気道ってのは、あれはある意味剣道から派生しているので、半身で受けることもあるようですが、八光流はそうじゃないの。いつも真正面からいく。敵と和するというのが八光流の行き方ですから。 敵と和する、か・・・。 そういや、今日、2年ほど前に大ヘマやらかして私に大迷惑をかけ、しかも私のクレームにも誠実に対応しなかったため、以後、そこへの注文を絶っていた某洋書専門店の担当者が謝りに来まして。 で、「2年前のことを今頃になってどの面下げて謝りに来るんじゃ、ボケ」とか言って追い返しちゃった。 全然、「敵と和」してないね、ワタクシ。あっはっは! こういうところがね、私のダメなところなのよ。ほんと、そう。敵には厳しいの。 しかし、こうして八光流の修行の中で「敵と和する」とか言っておきながら、実生活がこんな風じゃダメだよね! ま、もう一回謝りに来たら、今度は許してやろう。ま、私の零下100度くらいの冷たーい権幕に恐れをなして、来るかどうかわからんけどね。
June 2, 2011
コメント(0)
今日は朝から嬉しいメールが2本も。 一つはですね、八光流柔術の師範から。近々、昇段審査をやるから準備しておけとのこと。 おおおおおおおおおお、来たーーーーーーーーっ! いやあ、ついに来ましたか・・・。入門して1年ちょい、ついに初段ゲットのチャンス! 黒帯だよ、黒帯!! どうしよ、どうしよ。座技3種、立技3種の審査ですよ。うーん、どうしよ! どの技で審査に臨めばいいのか・・・。あーーーん、まようーーーー。今からドキドキですわ。 これから昇段審査まで、生活のすべてを八光流の稽古に捧げるしかないな。我が人生の一大イベント!! というわけで、朝から浮かれまくって、同僚の先生方に「今度ショウダンするんですよ~!」などと言いまくっていると、皆さん、どうも不審げな表情。どうしたの、一緒に喜んでよ! と思ったら、同僚の先生方は、ワタクシが誰かと「商談」するのだと勘違いしていたのでした。 まあね、普通はそう考えるわな。私はもう頭が柔術で一杯ですから、「昇段」と言えば誰にでも通じるだろうと思っていますが、一般ピーポーにとって、「昇段」なんて言葉を聞くこと自体、そうはないでしょうからね。 でも、そんなことはどうでもいいの。私、気合を入れ直して柔術の稽古に精進いたします。もう、今週末の学会(今回は私も討論に参加するんだった・・・)なんかどうでもよくなっちゃった。何はともあれ、昇段審査を通過して、黒帯ゲットします。頑張るぞ~! で、二つ目の嬉しいメールというのは、アメリカに住む親友からのもの。 いや、こちらは別に何か用があるとか、そういうことではなく、ただ「どうしている? 元気か?」というメールだったのですが。 アメリカの友人と言っても、彼はイラン人でね。私がUCLAに研究留学したのと同時期に彼もイランから亡命してきて、それでお互いロスで出会ったのですが、以来、すっかり気があって今や大親友。私の方は当然、日本に戻ったわけですが、彼はそのままアメリカに残り、今は工学博士の准教授としてUCLAとCSUF(カリフォルニア州立大フレズノ校)の教壇に立つ身分。 彼と付き合うようになって、私はイラン人というのがいかに魅力のある人々かというのを心の底から知りました。もちろん、彼が特別なのかもしれませんが。本当に知的で、親切で、ユーモラスで、誠実で、友達甲斐のある奴。彼の奥さんも実に魅力のある女性で、私の家内共々、家族ぐるみ(夫婦ぐるみ?)の親しい交際を続けております。 でも、イラン人夫婦と日本人夫婦が、ロスのレストランとかで盛り上がりながら食事したりしていると、周囲からは結構、不思議そうな顔で見られるんですよね。人種ミックスの進んだロスですら、こういう組み合わせは珍しいようで。彼らも言ってましたわ、「あなたたちの話をイラン人の友達にすると、『一体どうやって日本人と友達になれたのっ!?』って驚かれるんだよ」って。 彼は、あの大震災の時もいち早く私と家内の無事を確認するためメールをくれたのですが、今回は、その後も我々が無事に暮らしているか、心配しているから連絡をくれ、ということだったんですね。うーん、なんていい奴なんだ。 で、早速こちらの近況を書いたメールを送りましたが、彼や彼の奥さんの顔を思い浮かべながらメールの文面を考えるのは、何とも楽しい作業でありまして。最近、学会がらみで行った長崎での写真なんかも添えたりしてね。 ってなわけで、昇段審査の連絡とアメリカの友人からのメールの二本立てで、今日はハッピーな一日となったのでした。人間ってのは、他愛もないことで、この上なく幸せになれるもんですなあ・・・。
June 1, 2011
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1

