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今日は久しぶりにデパートなるところへ出かけ、母と姉にそれぞれ誕生日プレゼントを買ってあげたりしてきました。春もののショール(というのかな?)を買ってあげたのですが、まだ寒い日もある春の日の寒さよけにもなり、またおしゃれにもなるということで喜ばれました。よかった、よかった。 で、せっかくそういうところに行ったのだから、ということで、その他にも色々なお店を覗いたり、帰りにはお菓子を買ったり、お惣菜を買ったりしてきたのですが、少しずつ震災前の生活が戻ってきたようで、気分を変えるのには良かったです。 とはいえ、電力をセーブするために、デパートでも必要でない灯りはあちこちで消してある。ですから館内全体、薄暗いというほどではないですけど、何となく暗いわけ。 で、思ったのですけど、「暗い」ということは、人間の購買意欲を消しますね、確実に。周りがぼんやり暗いと、必要なモノを買ったら、「さ、帰りましょ」みたいな気になっちゃう。ま、この感覚はデパートだけではなく、スーパーやコンビニなんかでも感じたことですが。 ということは、今まであの眩しいほどの灯りによって、我々消費者は、知らず知らずのうちに購買意欲を掻き立てられてきた、ってことになりますなあ。必要ないものまでつい買ってしまうという、あの無駄遣いの原因(の一つ)は、実は煌々たる照明にあったとか。 うーむ。光ごときにたぶらかされてたとは・・・。迂闊であった・・・。 なんか一つ勉強した気分。今後、電力が復旧して、お店がまた煌々たる灯りで我々消費者に「無駄なものも買ってけ~」とアピールしてきても、「光に騙されるもんかー」という気で、無駄遣いを少なくするよう、心がけるとなくしますかね。
March 31, 2011
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昨日、甥や姪(私の親からすれば孫たち)がそれぞれの家に帰ったので、今日は両親と姉と私で水入らずの一日となりました。 で、自然話題は昔のこと、私や姉がまだ小さかった時の話などになったのですが、その際、姉と私の共通意見として出てきたのは、「1960年代初頭に生まれた世代(我々)が一番幸福だ」ということでした。 無論、これには異論があるでしょうし、それぞれの世代の人たちが「自分たちの世代が一番」と思っているかも知れませんが、しかし我々の論点はこうです。 まずね、我々の世代は戦争を体験してない。そういう悲惨な現実に直面してない、ということですな。あ、これは神戸や今回の震災に遭遇された方たちには当てはまらないか・・・。でも、ま、我々の世代の東京育ち、というふうに限定しますと、そういうことになる。 で、我々の世代は、生れてすぐに高度経済成長の時代に突入しますので、日本社会全体が未来に対して希望が持てた、ということもあります。東京と札幌のオリンピックを見、新幹線の開通を見、人類が月面着陸するのを見、そして大阪の万博を見た、ということですな。(反面、高度経済成長のツケとして「公害」と言う言葉を知った最初の世代かも知れませんが・・・。) で、それだけ日本全体が希望をもって上昇していた時代だけに、日本人の生活の変化(というか、進歩)をすべて体験した、という実感がある。 具体的に言いますと、我々の世代は、家に電話がなかった状態から、黒電話が入り、やがてプッシュホンになり、バカでかくて携帯しにくいケータイ電話を見、ついにケータイやスマートフォンを手にするようになった、その全過程を体験しているわけです。洗濯機だってそう。手回しの「脱水装置」の時代から、乾燥機付き全自動洗濯機まで、すべて見ている。 テレビだって、テレビの無い時代から、白黒テレビの時代、カラーテレビの時代、チャンネルがリモコンになった時代、そしてついにブラウン管の時代を脱し、液晶やプラズマで地上デジタル放送を見る時代まですべて体験したわけです。音関係もそう。オープンリール、カセット、ウォークマン、LP、CD、MD、MP3、全部体験した。こういう生活面の激変をすべて体験したというのは、1960年代生まれの特権ではないのか。 それから、我々の世代は「国民としての一体感」を持っていた最後の世代ではないかと。 我々の世代は、その世代に属する全ての人が「深夜ラジオ」に夢中になった最後の世代ですからね。オールナイト・ニッポンなりパックイン・ミュージックなり、聴いていないと次の日に学校での友人同士の話題についていけなかったんですから。あれは一体感がありましたよ。それに、紅白歌合戦で唄われる歌の全てをそらで歌えた最後の世代でもありますし。日本中、誰もが同じものを見たり、聴いたりしている、という感覚を持っていた最後の世代でしょう。誰もが「コント55号」を見、誰もが「ドリフ」を見、誰もが「ゲバゲバ90分」を見ている、という感覚。そういうの、今、ないですもんね。 そして、社会人になった辺りでバブルでしょう。あのバカバカしいまでの好景気。500メートル先の店に移動するのにタクシーに乗った時代。ボティコン、ワンレン、お立ち台で浮かれた時代。それも経験している。だから、我々の世代って、「あの頃は・・・」って話でやたらに盛り上がるんですよね。共通の話題がやたらにある。 でまたそれらにプラスして、1950年代生まれのようには学生運動を体験してない、というのもいいところなんです。つまり、親の世代の価値観に対する疑念とか葛藤とか、そういうものを抱いたことが比較的少ないので、伝統的な価値観に忠実なんですな。ゆえに、1960年代生まれの人間というのは、1950年代生まれの人たちより(儒教的な意味で)礼儀正しいというところが確実にあります。 それゆえに、というのか、我々の世代が経験した大犯罪って、比較的納得できるものが多かったですよ。「3億円事件」だって、「ああ、金が欲しかったんだな」って分かりますもんね。秋葉原の事件みたいに、「誰でもいいから、沢山の人を殺したかった」とか、そういうのはなかった。オウムの事件もそうですけど、ああいうのは「我々の世代の犯罪じゃない」という感覚がある。 ・・・とまあ、色々考えていくと、我々の世代が一番面白かったんじゃないかって。逆に言うと、今時の世代は可哀想だなって。年をとってから共に語る話題がないじゃん? というわけで、とりあえず現時点まで生きてきて、1960年代世代、面白かったなと。ま、そういう結論に至ったわけでございますよ。だからどうだってことでもないんですが。 でも、とにかく、今まで面白かったな、って思えるのは、良いことですな。この調子で、人生の後半戦も面白く過ごしたいものでございます。1960年代世代の御同輩! 頑張りましょうぞ!!
March 30, 2011
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ジェフリー・ディーヴァー著『The Vanished Man』を読了しました。 四肢不自由の天才科学捜査官、リンカーン・ライムを主人公にした一連のサスペンスの一冊。相変わらず読者の予想を裏切る息もつかせぬ展開で、読者の目をぐるんぐるん回してくれます。(以下、ネタばれ注意!!) 物語は、さる音楽学校で一人の女子学生が殺されるシーンから始まります。ところが、犯行現場は密室であるにも関わらず、犯人は警察官二人の前で忽然と姿を消してしまう。そして別な場所で、今度はメーキャップ・アーティストの男性の死体が胴体真っ二つというような状態で発見され、さらに乗馬クラブのメンバーである女性も、同じ犯人と思われる男に危うく殺されかけることに。 一連の犯行は天才的なマジシャンによるもので、ライムたち捜査班は犯人を暫定的に「The Conjurer」(魔術師)と命名。彼が次の犯行を止めるべく、犯行現場に残された数少ない遺留品の科学分析により、「魔術師」の行動を先読みしようとします。 そして有望なマジシャンの卵であるカーラという若い女性の手助けもあり、ライムたちは「魔術師」を追いつめるものの、マジシャンである彼にとって手錠など何の意味もない。彼はものの数秒で手錠を外すと、彼に手錠をかけた警官を殺し、その警官の制服を着て警官になり済ましてライムのアパートに侵入。肢体不自由で寝たきりのライムのベッドに火を放ち、危うくライム自身も殺されかける始末。 ところで、「魔術師」が引き起こしたこれら一連の事件には共通点がありまして、標的にされた音楽家、メーキャップ・アーティスト、乗馬者などは皆、サーカスに関係がある。そしてライムの寝室に火を放ったことからも分かるように、どうやら「魔術師」は「炎」に異常な関心を持っているらしい。 で、さらに探っていくうちに、犯人の「魔術師」の正体は Eric Weir という男であることが判明します。エリックは優秀なマジシャンであったのですが、かつてサーカスに出演している時に事故で火事を起こしてしまい、自ら重傷を負ってしまっただけでなく、サーカスも首になってしまった。そしてこのことを逆恨みした彼は、3年間の雌伏の後、自分のマジシャン生命を奪った当該のサーカスの興行主に復讐すべく、周到な準備をして戻ってきたらしい・・・。 そのことを察知したライムは、エリックを首にした興行主がプロデュースする「シルク・ファンタスティック」サーカスのセントラル・パーク興行こそ、エリックの真の標的と判断、サーカスに詰めかけた満員の観客を避難させるのですが・・・、 意外や、サーカスには何も起こらず。 実はこれがエリックの罠で、彼の本当の狙いはNY市の地方検事である Charles Grady (とその家族)の命を奪うことだったんですな。検事はNY市に本拠を構える人種差別的過激派団体のテロ行為を止めるべく、その代表者の一人で現在逮捕されている Andrew Constable を厳しく訴追する(あるいは彼と司法取引をして、団体全体の弱体化を図る)ことを予定しており、一方の過激派団体は、そのグレイディ検事を殺害することで、検察側のそうした動きに警告を与えようとしていた。そしてエリックは、この過激派団体に雇われた殺し屋だったと。 そこでライムたちは今度はグレイディ検事の身の安全を図るために最善を尽くすのですが、実はこれがまたエリックの罠でして。検事の命を狙うと見せかけておいて、本当のエリック(あるいは彼の雇い主である過激派団体)の狙いは、コンスタブルの拘置所からの奪還だったんですな。 で、それを察知したライムたちは、グレイディ検事の身の安全を確保すると同時に、コンスタブルを奪還に来るはずのエリックを待ちうけるのですが・・・ 意外や、エリックはやって来ず。 実はこれがまたエリックの罠で、実はエリックは最初から過激派団体との契約なんて別に意にも介していなかった。本当のエリックの狙いは、別なところにあったのであって、彼は過激派団体に雇われた振りをし、それを隠れ蓑にして、自分自身の計画を実行しつつあったんですな。 では、本当はエリックは何を狙っていたのか、そしてライムたちはそのエリックの狙いを突き止め、それを阻止することができるのか?! ってな話です。 まあね、エリックの狙いが何なのか、事態は二転三転、いや五転六転しますから、読んでいる方としては騙されっぱなし。その都度ディーヴァーの術中にまんまとはまって、思うように翻弄されてしまいます。まさにジェットコースター・サスペンス。ハラハラ、ドキドキの読書体験を味わえますぞ。ディーヴァーというのは、こういうサスペンスを書かせると、実に上手いですからね。 ということで、ジェフリー・ディーヴァーの『The Vanished Man』、サスペンスのお好きな方は是非! 教授のおすすめ!です。邦訳もありまーす。これこれ! ↓【送料無料】VANISHED MAN,THE(A)[洋書]価格:781円(税込、送料別)【送料無料】魔術師(上)価格:840円(税込、送料別)【送料無料】魔術師(下)価格:780円(税込、送料別)
March 29, 2011
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今日は一日中、ジェフリー・ディーヴァーの『The Vanished Man』(消えた男)というサスペンスを読んでいました。この本、昨年の秋にハーバード大学の生協で買ったんですけど、読みかけのままついにここまで引っ張ってしまったんですよね、忙しくて。で、春休み中に読み切ってしまおうと思い、実家に持ってきていたんです。 で、その内容についてはまた日を改めて紹介しますが、主たる犯人はマジシャンでね。それもイリュージョンの専門家。 マジシャンが観客にイリュージョンを見せる場合、あるトリックを行い、そのトリックに観客の目を惹きつけておいて、本当のトリックは別のところで行う、ということをやるわけですけれども、この小説の中で犯人は、そのイリュージョンで培ったノウハウを使って犯罪を行うので、読者としては翻弄されっぱなしです。 つまりそのマジシャンがある犯行を行うのですが、警察がその犯行に対処している間に、そのマジシャンは別なところで別な犯行を行うわけ。で、騙された警察がその2番目の犯行を捜査する頃には、彼はまた別なところで、本当に彼がやりたかった犯行を行うというね。そういう仕組みが幾重にも積み重なるので、もう何が何だか・・・。 しかし、ディーヴァーの読者というのは、私も含め、作者の手練手管に翻弄されるのが快感、という人間ばかりなので、そういう基準で判断する限り、この作品、かなりいい線行ってます。 ところで、この作品の中で、イリュージョンを専門とするマジシャンの哲学が何度か開陳されるのですが、その中で特に印象的だったのは、「人間はイリュージョンの中を生きている」という哲学です。 人間にとって「過去」というのは、その人の頭の中にある記憶、すなわち幻想でありイリュージョンなわけですね。また人間にとって「未来」というのは、希望であり、予測であり、つまりはこれもまたイリュージョンに過ぎない。無論、現実というのは確かに存在するけれど、それは「未来」というイリュージョンが「過去」という別なイリュージョンに変わる、その一瞬のためらいに過ぎないのであって、いわば取るに足らないものである。となれば、人間なんて、常にイリュージョンの中を生きていると言っていいのではないか、と、こういうわけ。 うーん。なるほどねえ・・・。 だけど、この哲学、なかなか面白いと思いませんか? よく「現実は厳しい」とか「現実に打ちひしがれる」という言い方をしますけど、その場合の現実って何かと言えば、それは実は「過去」のことを指しているのではありませぬか? だとすれば、それは単なる幻、イリュージョンなわけですよね。そしてその現実に対処するために、「これから先どうしよう」と考えるわけですけど、「これから先」というのは未来ですから、これもまた幻、イリュージョンなわけです。 すべてがイリュージョンなのであれば、よーし、過去のイリュージョンにくよくよしたりせず、このから先のイリュージョンをより面白いものにしてみようではないか、というような感じで、元気も湧いてくるというものでございます。 まあ、私は震災のことをお話しているわけですが。 考えてみれば、こういう前向きのパワーこそ「物語が持つ力」なのであって、それこそ、私が勉強している事なのかもしれません。 さて、そんなことをおしゃべりしているうちに、そろそろスースー寝息を立てているワタクシの幻が見えてまいりました。今日はこの辺で休むことにいたしましょうか。
March 28, 2011
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震災の影響で様々なプロ・スポーツが開幕を自粛する中、F1グランプリがオーストラリアで開幕しました。シーズン開幕を心待ちにしていた私としては、何はともあれ、嬉しい! しかも、今回のグランプリは「頑張ろう! 日本」がテーマで、参加した全チームが日本を激励するメッセージをクルマやヘルメットに掲載するという心配り。泣かせるじゃありませんか。 で、今年のF1は、よりエキサイティングなレースにするために、追い抜きをしやすくするためのデバイスとして、ブレーキング時に蓄えた電気エネルギーでモーターを動かし、瞬間的にクルマのパワーアップを図る「KERS」と、リアウィングの角度を一時的に寝かせ、空気抵抗を減らすことでスピードアップをさせる「DRS」という装置が大半のマシンに搭載されておりまして、これらが思惑通りに機能するかが見どころ。それからブリジストンの撤退を受け、今シーズンからタイアを供給することになったピレリ・タイアの性能も見どころとなっております。 しかし・・・。 レースが始まって見ると、下馬評通り、昨年のチャンピオンであるレッド・ブルのベッテル選手が予選から通して異次元のスピードを見せつけ、2位以下の選手を引き離してしまって、追い抜きも何もあったもんじゃない。 テストでは割と速かったものの、今年もレッド・ブルに追いつけるマシンではないだろうと思われていたフェラーリが表彰台圏外となり、テストで遅かったけれど、本戦では挽回するだろうと思われていたマクラーレンが、レースで2位につけたのも予想通り。 今年、斬新なコンセプトのマシンを投入してきたロータス・ルノーが3位に入賞したのがちょっと驚きでしたが、後は、シューマッハ選手・ロスベルグ選手の所属するメルセデス・チームがあっさり2台ともリタイアしたことも含めてすべて予想通りという、案外つまらないレースでしたなあ。 そして最悪だったのは7位大健闘のペレス選手、8位の小林可夢偉選手が所属するザウバー・チームがレース後車両規定違反で2台とも失格になったこと。レース前の車検を通ったクルマが、何故レース後の裁定で失格になるのか、まったく意味が分かりません。 ま、今年もベッテル選手率いるレッド・ブルの圧勝かな・・・。 ということで、開幕戦は意外にも期待外れでしたけど、それでもね、待ちに待ったF1シーズンの開幕、文句を言いながらも十分に楽しんだワタクシだったのでした。シーズンが進むにつれ、ライバルチームがレッド・ブルを少しは苦しめてくれることを期待して、次のレースを待つことにいたしましょう。
March 27, 2011
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先日、なんの気なしにテレビを見ていたら、野球選手版「あの人は、今」みたいな番組をやっていて、つい見てしまいました。それによると、野球の世界から身を引いた選手たちのその後の人生というのがけっこう過酷でね・・・。 ドラフトで鳴り物入りで野球界に入ったはいいものの、その後の成績が鳴かず飛ばずだった選手が戦力外通告をされる、なんてことはよくある話ですが、そうなるとその後が大変なわけ。何しろ小さい頃から野球ばかりやってきて、高校や大学では花形として鳴らしてきたわけですから、いわばスポットライトに当たり続けてきたわけですよ。それだけに、「戦力外」と言われてしまった時のショックというものは計り知れないものがある。 しかも、一度でもスポットライトを浴びた人間が一般社会人になる、というのも結構しんどいもので、行く先々で「あんた、巨人にいた○○だろ?」などと言われ、「お前もついにここまで身を落としたか」的な好奇の視線を浴びることになる。これは一生懸命、人生の再スタートを切ろうとしている人間にとって、かなり辛いシチュエーションですよ。 またプロとして立派な成績を挙げ、年齢を理由に円満退社した場合でも、引退後に病魔に冒されたりして苦労する場合もある。あるいは、苦労を共にした奥さんに先立たれるとかね。 だから、監督としてチームに残れるのは言うまでもなく、コーチとしてチームに残ったり、解説者としてテレビに出られるなんていうのはごく限られた一部の幸福な人たちなんですな。そうでない、苦難の道を歩いている人の方がよっぽど多いのでしょうから。 プロ野球という、野球界の頂点に一度でも立った人間というのは、失うものも多いんだな、と。 失うものが多いという意味では、今回の大震災もそうですよね。船を失った漁師、田畑が海水に漬かった農民。これからどうやって生活を立て直していくのか、途方に暮れている人たちが大勢いることでございましょう。 で、そう考えると、私のような職業(文系研究職・教職)は、割と失うものがないかな、と。もちろん、自分が愛読してきた本を失うのは辛いけれど、だからといって、それがないからもう当分研究できない、というものでもないですからね。図書館もあるし。基本、アイディアは頭の中にしまってあるので、私が生きている限り、それを奪うことは大地震にも出来ない。 あ、それにスポットライトも浴びたことないし! 失うものがないってのは、案外タフで、幸せなことなのかも知れないなあって。そんなことを考えてしまいました。だからなんだ、ということでもないですけど、雑感として、ね。
March 26, 2011
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東京から逃げ出す人も多い中、その流れに逆行するように東京の実家に戻って参りました。今日の東名高速の上りは空いていましたけれど、そりゃそうですわなぁ。「緊急支援物資輸送中」の横断幕を掲げたトラックが随分走っておりましたけど、頑張って必要とする人たちに物資を届けてくれ! と並走しながら念力を込めておきましたよ。 ところで、ここ数日、大学時代の恩師であるY先生が今回の大災害に関する様々な情報、及びそれについてのコメントを近しい人たちに発信しておられるのですが、読ませていただいていて「なるほどなあ」と思うことがありましてね。 例えばこのところの「買い占め」騒ぎ。 テレビでは、いわゆる「識者」の先生方が「パニックを起こして買い占めなどしないように!」と盛んに呼びかけていますけれども、Y先生曰く、そういうことを言う方がおかしいと。 つまり、買い占めしている人たちは別に「パニック」を起こして買い占めているわけではない、とY先生は喝破しておられるわけ。彼らは、彼らなりに冷静な状況判断のもと、自衛手段としてそれらの品々を事前に蓄えておこうとしているだけで、この自由国家の中で庶民がそのような行動をとるのは当然の権利であり、逆にそれを止める権利は誰にもない、と。それに、そもそも庶民というのは、国家の事を考えていちいち行動するものではなく、自分の身を守るのに精いっぱいの存在なのであると。 しかも、スーパーなどでは「ペットボトルの飲料水は一人2本まで」などと制限をかけているところがほとんどであり、一人の人が他の大勢の人たちの飲み水を奪ってまで独占しているわけでもない。実際、人々が何かを奪いあって殴り合いをしているような図はないわけで、現状、日本のどこにもそういう意味でのパニックはないわけですよ。 とすれば、むしろ「パニックになるな!」と声高に言う方が、わざわざパニックを引き起こす要因を作っているのではないか、と。 どうです? うーん、なるほど! という気になりませんか? 私はなりましたね。 事実、私が乾電池もカセットコンロも納豆も飲料水も買えないのは、もともとのんびりした性格で、しかも長蛇の列に並ぶのが嫌い、というところから主に来ているのでありまして、別に国家のためを思って我慢して買わなかったためではないですからね。その証拠に、もし今、スーパーに飲料水が普通に置いてあったら、間違いなく何本かまとめ買いします。 で、そういう風に考えている自分のことを若干心苦しく思っていたのですけど、Y先生のお説を伺って、ちょっと気が晴れました。また、買い占めに奔走している人たちのことを、「何だか上品じゃないな」という目で私も見ていましたけれども、そういう見方をしていた自分自身のことも反省しました。 こういう危急の際に人々がどういう行動をとるか、ということを見る場合、「こういう風に行動してほしい」というこちら側の希望で見てはいけません。それは「色眼鏡」をかけて人間を見てしまっているのであって、少なくとも「文学者」のモノの見方としてはよろしくない。人はこういう時、こういう行動をとるんだ、ということをナチュラルに受け止めなければ。 もし仮に成熟した政治というものが存在するのであれば、そういう人間の普通の行動を基盤とし、その上にそれをうまくコントロールする方策を考えるべきなのであって、「人間たるもの、まずは国家全体のことを考えて、個々の人間は買い控えをすべきである」という都合のいい空想上の理論を心に描き、その理論を基盤に据えて「だから今、買い占めを行っている奴らには注意をしよう」という発想でコメントを出す、というのは、政治としては実に「甘ちゃん」なわけですな。 日本人はこの手の「甘ちゃん政治」を脱し、もっとタフな政治をしなきゃいかんですたい。 とはいえ、とりあえず無防備な釈迦楽家でございます。 さて、そろそろ水道水をひねって、自宅で味わえるラドン温泉に入り、旅の疲れでも癒すことといたしましょうか・・・。「今日の風呂は、身体の芯からあったまるなぁ~」なんて・・・、こわっ!!
March 25, 2011
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昨日、先日来作っていた学科の紀要が完成し、印刷所から納入されまして、編集に携わった私としては一安心だったのですが、今日は今日で、私も駄文を寄稿していた論文集が某出版社から刊行され、それが自宅に届きました。二日連続で自分の書いた文章が活字になって届いたもので、何だかすっごく沢山仕事をした、みたいな錯覚に陥っております。 とはいえ、これらに書き散らしたものはですね、いずれ書き直して自分自身の本の中に組み込む予定のものでありまして、材料ばかりどんどん増えるのですが、それらをまとめる方の仕事が全然進まないというのが悩みの種。 ま、いずれ何とかいたします。 さて、明日から東京の実家に帰省します。放射能汚染された水が怖いですけど、もはや名古屋にもペットボトルの水などどこにも売っておりませんので、仕方ない。自宅にラドン温泉が来たんだと思って、平然と帰省することにいたしましょう。 それでは、明日からは東京からのお気楽日記、お楽しみに~!
March 24, 2011
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今日は所属大学で卒業式がありました。 年間を通じた大学の行事の中でも、卒業式というのは最大のイベントでありますから、やはり「今年もついにこの日が巡って来たか・・・」という感慨がありますね。 で、今年は「完成年度」と言いまして、大学で何か大がかりな組織改変が行われた場合、その新たな組織へと入学してきた学生たちが4年間の勉学を終える年、つまり新制度として最初の卒業生を送り出す年なんですな。 そのせいもあるのか、あるいは時代の流れがそうなのか、昨年と比べると今年の卒業生たちの装いはずっと大人しいものでした。ま、私はもともとあまり派手なのが好きではないので、この方がいいですけどね。いや、私の好みから言えば、もっともっと地味な方が好きかも。 そして卒業式の後、夜は街中のホテルのバンケット・ルームを借りての謝恩会。教え子たちと会うのも(当面は)今日限りかと思うと、最後に受け取った花束がずっしりと重く感じられます。 とはいえ、私にはこのブログがありますからね。ゼミ生たちには卒業時にこのブログのURLを教えますので、社会人になっても、ここを覗きに来れば私の声が聴けると。縁は続いていきます。 さあて、今日私のゼミから巣立っていったゼミ生諸君! これからはここが「釈迦楽ゼミ」のゼミ室だ! 社会人として多忙な日々が君たちを待っていることと思うが、そんな緊張の日々のオアシスとして、ぜひ覗きに来るように! そしてたまには釈迦楽教授のお気楽日記にコメントを寄せてくれよ!
March 23, 2011
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震災以来、その対応を巡り、色々な人が色々なことを言われております。政府の対応はダメだとか、東電の対応はダメだとか。菅さんはダメだとか、枝野さんはダメだとか。消防隊はいいとか、「フクシマ50」はいいとか。被災地を見舞った東電の社長は、どの面下げて行ったのかとか。報道関係もそうで、どこの局のどのアナは落ち着いていて良かったけど、どの局のどのアナは不安を煽るような態度でダメだったとか。 しかしね、私はそういうことは言わないの。 何しろ未曾有の大災害だし、「こういうのには慣れている」という人はそういないと思うんですよね。だから、バタバタするのはしょうがないですよ。例えばの話、自分がその立場にあったとして、すべて満点の対応ができると思います? 私は自分は無理だと思う。だから、人にもそこまで要求しないの。もちろん、危急の際じゃない時に馬鹿なことやる人たちには容赦なく罵声を浴びせかけますけどね(ご存知の通り・・・)。 今、震災に対応しようとして一生懸命やっているけれど、その対応がまずくて批判されている人たちというのは、いわば、その人の一番無様なところ、格好悪いところを人に見られちゃっているようなもんだと思うんですよね。致し方なく。だから、そういうのは、私は目をつぶってあげるわけよ。 それに、どういう対応をしたところで、やっぱり何か言われるわけだしね。 例えば菅さんにしても、災害の対応に変にリーダーシップを取ろうとし、情報を一元化しようとして東電の役員をいちいち官邸に呼びつけて怒鳴ったりするものだから、その結果、逆に現場への対応に遅れをもたらす結果になってしまったようですけれども、これ、逆に良かれと思ってすべて現場任せにしたりすると、今度は「リーダーシップがとれてない」という批判をする奴が必ず出てくる。そういうもんですよ。でも、そんなこと今言ったって、あまり益がないと思う。 むしろね、こういうのは事後の検証が重要です。あの時、本当はどうするのが良かったのか、というのを、事態が落ち着いてから十分検証して、次に活かすと。そこをちゃんとやってほしいし、そのあたりの反省をちゃんとやっているかどうかを、我々としては監視する必要があるのではないかと。今、誰彼を批判するよりも、ね。だけど日本人は、喉元過ぎると何でもすぐ忘れるからなあ・・・。 ところで、そうは言っても、「この人、割と上手に対処しているなあ」と思う人も当然いるわけで、私は枝野官房長官は割とよくやっているんじゃないかと思うんですよね。菅さんが今回の件で(と言うか、その前からですが・・・)男を下げたとすれば、男を上げたのは枝野さんではないかと。 しかし、各種報道なんかを見ていると、枝野さんへの批判というのも決して少なくなくて、「ふーん、あれでもダメって言われるのか・・・」とちょっと不思議に思っていたわけ。 ところがですね、今日、また別の筋からリアルな話を聞いたところ、私と同等か、少し年長の方々、とりわけマダム連ですね、その辺からは「枝野さん、いいわ~!」という声が日増しに上がっているらしい。 つまりね、枝野さんの若さ、タフさ、これがね、ちょっと年配のマダム連からするとすごく頼もしく思えるというのですな。それから、彼の声の質が落ち着いていて、しかも「爺さんの声」ではなくて、そこが政府のスポークスマンとして非常にいいと。 でまた、(こういう噂の真偽はわからんものですが)そのマダム連の知り合いに、枝野さんの下で頑張って動いている政府関係者がいて、その人たちが枝野さんの対応の適切さに感服している、というのです。あの人は頭の回転がものすごく速く、彼の下で働くのは実に張り合いがあると。 市井のマダム連の声というのは、馬鹿にならんもんですからね。彼女たちがそう思っているということは、日本中に同じように思っている人たちが(私自身も含めて)沢山いるということでしょうから。 ということで、人への評価、とりわけ危急の際の人への評価というのは難しいし、よく分からないもんだと思いつつ、マスコミの攻撃にも関わらず、やっぱり枝野さんは最終的には「男上げ組」に入るのではないかという予感を強めているワタクシなのでありました、とさ。ま、現政権に一人くらい、頼りになる奴がいてくれないと、実際、困るわけですけどね。
March 22, 2011
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今日、国立大学後期二次試験の合否判定会議が行われたのですが、その前に、前期分の入学手続き者数が発表されまして。 大学にはそれぞれ定員というものがあるわけですが、合格者数と定員は異なります。つまり大学の方で合格を出しても、受験生が別の大学に入学することに決め、入学手続きをしないケースがあるからで、その分を見越して定員より多めに合格者数を設定しなければならないわけ。 そこで各大学とも、どのくらい入学辞退者があるかを予想しながら合格者数を発表するわけですけど、予想より辞退者が多くて、定員割れしてしまうケースがあるかと思えば、思いの他「歩留り」がよくて、定員以上の入学者が押し寄せるということもある。 ま、その意味で合格者数の設定というのは、いつも賭けみたいなものなんですが、しかし、そうは言っても、「今年は歩留りが良さそうだ」というような大まかな予想を立てることはできます。何故ならば、地方国立大学への入学者というのは、日本社会の動向を敏感に反映するからです。 具体的に言えば、日本の景気がいいと、地方国立大学の入学予定者の歩留りは悪くなります。つまり、親御さんの懐が暖かいので、子供が「東京の私立大学に行きたーい」などと言い出しても、「まあ、いいか・・・」という気になるわけですな。それで、地方の国立大学に受かったとしても、その権利を捨てて、東京の有名私立大学へ受験生が流れる、ということが大いにあり得る。 逆に、不景気の時代ですと、地方の子が東京で一人暮らししながら私立大学へ通う、なんてお金のかかることを親が許すはずもなく、「どうか地元の国立大学へ通ってくれ」と言い出すので、当然、国立大学の入学予定者の歩留りはよくなります。 で、今年ですよ。 今年はね、歩留りが近年稀に見るほどよくて、前期に関しては入学辞退者がほとんど出なかった。やっぱり、まだまだ不景気なんですなあ。 しかも、そこへ持ってきて今回の地震災害ですからね。おそらく、後期二次試験の合格者の歩留りもものすごくいいはず。地震被害の映像を見た親御さんたちは、子供を遠くの大学に通わせることに不安を抱くでしょうからね。合格者数がそのまま入学手続き者数になるんじゃないでしょうか。 世の中は今、完全に安定志向ですな。象牙の塔にいても・・・、と言うより、象牙の塔にいるからこそ、そのことがよく分かる。 ということで、きっと来る4月には安定志向に満ち溢れ、「卒業後は愛知県か、県内市町村の公務員になりたいです」なんていう学生がどっと押し寄せることでございましょう。 ま、それもいいんですけど、私としては、私のゼミから一人くらい、「自分で会社を起業します」なんていう山っ気のある奴が出て来てもいいかな、と思っているんですけどね・・・。
March 21, 2011
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数日後に結婚記念日となりますので、今年は少し早めですが、今日、結婚13年を記念して、ささやかながら夫婦でお祝いをしました。次節柄少し遠慮して、近場の中国料理(四川)のレストランでね。 13年。あっという間ですが、よく考えれば13年と言えば、生まれた赤ん坊が中学生になるほどの時間。そう考えると、夫婦年齢にして中学生になったというところですか。まだまだガキとも言えるし、だいぶ大きくなったなと言われる年でもある。 この間、それなりに仕事をしてきたつもりではありますが、しかし、まだね、もうチョイやれる男だというところを、家内には見せたいなあ。 ま、そんなことも思いつつ、しかし、この国には今、非常な苦難の時を迎えている人たちもいるのだと思うと、ほどほどのところがいいのかもしれません。あまり高望みをしても、ね。 ということで、この先もあまり背伸びをせず、しかし、一応の向上心は保ちつつ、夫婦共々頑張っていきたいと思います。
March 20, 2011
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紀要論文の仕事も終わり、4月から取り組む仕事も分かっているのですが、3月後半のこの時期、何だかちょっと何をするにも中途半端で、持て余しています。もちろん、被災地のことや、原発のことなど、気を逸らすようなこともありますし。 私、もともと中途半端な時間を活用するのが得意ではないんですよね。ある程度まとまった時間があって、「この仕事を一気にやってしまえるな」という目測が効かないと、なかなか上手に時間を使えない。 で、今日はふと思いついて英単語を覚えることにしました。英単語を意識的に覚えるなんて、何年ぶりでしょうか。 とりあえず何となく昔買った上級者向けの英単語集を開き、最初のページから覚えていったのですけど、まあ、職業柄、初めて見る単語というのはあまりないわけ。ないんですけど、しかし、意味を知っている単語と、自分で使える単語は違いますからね。この際、自分で使える単語を増やそうと。 で、単語を覚えること自体は簡単なんですが、久しぶりにこういう作業をやってみて、何が辛かったかというと、視力の問題です。 今、ちょうど老眼が始まりかけているので、見にくいのよ、単語集の細かい字が。で、頭にきて、本をかーなーりー顔に近づけて裸眼で読もうとしてみたりもしたのですけど、そうなると今度は全体が見にくくなる。うーん、何とももどかしい・・・。 英単語を覚えるなんて作業は、若い人がやるべきもんだな、と。つくづく思いました~。 でもね、ちょっと爽やかな気にもなりましたよ。「今更、英単語かよ?」みたいなことを敢えてやってみるというのがね。「初心忘るるべからず」的な感じ。 というわけで、せっかくやり始めたことなので、しばらく継続的に英単語の仕入れをやってみようかな、と思っているワタクシなのでありました、とさ。目標は3万語。頑張るぞ~!
March 19, 2011
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勤務先の大学の卒業式が来週に迫っているのですが、東京方面では主だった大学が次々と卒業式の取りやめを表明しているようで。 で、さすがにうちの大学は、卒業式は挙行するようですけれども、そのあとに計画されていた同窓会主催の祝賀パーティーを取りやめた、との連絡が今日、入りました・・・。 取りやめになった祝賀パーティーですけれど、これ、別にどこかの会場を借りて大騒ぎ、とかいうのではなく、キャンパス内の食堂を使っての簡素なもので、それこそサンドイッチとか太巻き寿司とか、鶏の唐揚げとかポテトの唐揚げとか、それにジュースとかウーロン茶がつくだけのものなんです。ですから元来、決して派手なものではないのですけど、うーん、それも取りやめですか・・・。 あ、それから本日、教授会の後で行われる予定だった「退職教職員の送別会」も急遽、取りやめになったんだった。 うーん、どうなんですかね、この一連の流れ。 卒業式ってのは、学生が4年間、この学舎で学び、そして巣立っていくことを寿ぐ式典ですよね。また退職教職員の送別会も、長年、この大学を支えて下さった方々を慰労し、感謝の意を表するための式典と言えましょう。そしてそれは、今回の大災害とは基本的に関係のないことのはず。 無論、お酒を飲み、羽目を外して騒ぐというのは、時節柄控えるべきだとは思いますが、キャンパス内で内輪で行われるものであり、かつ、今社会がどうなっているかを大人として踏まえた上で静かに行うものであれば、これらの祝賀記念行事も許されるべきものではないかと愚考するのですが・・・。 歌舞音曲の禁止(自粛)も、もちろん意味のあることではありますが、あまりにもそれをやりすぎると、それはまたそれで全体主義的な感じがして、私は嫌ですね。 産業界が一斉にCM放送を自粛したがために、我々は朝から晩まで「今日ワン、ありがとうさぎ、まーほーうーのーこーとーばーでー、たーのしーいなーかまーが、ポポポポン!」を聴かされてるわけですが、さすがにウンザリしてきました。なんでもやり過ぎれば、鼻につくものでございますよ。 自粛も何も、中庸がよろしいようで。
March 18, 2011
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いや~、タイミングが悪いと言いますか、我が家でそろそろトイレットペーパーのストックが尽きまして・・・。で、さらにタイミングが悪いことに、昨日の夕食は鍋物だったのですけど、カセット・コンロ用のガスボンベのストックが尽きまして・・・。 で、それらを求めて昨日、スーパーとか薬局に買い物に行ったら、もうね、棚がすっからかんよ。その他カップ麺とか、単1・単2の乾電池、懐中電灯、米なんかもすっからかん。あらー、そんなーーー。 差し当たりガスに関してはまだ鍋一回分くらいの量は残っていたので断念し、トイぺだけは何とか確保。それも最後の一つって感じでしたけどね。 だけど首都圏から、ましてや被災地から遠く離れた名古屋ですら、皆さん、非常用の買い出しをされているのね・・・。石油ショック時代のトイぺ騒動を思い出しますけど、なんかあんまり上品じゃないですなあ。「名古屋よ、お前もか」って感じですけど、名古屋ですらこんな調子なら、東京近辺でこれらの商品が品薄になるのも分かる気がします。 っていうか、ワタクシ自身、トイぺとガスボンベを求めて走り回ったわけですから、傍目から見たら、ワタクシもそんな「買い占め組」の一人に見えたことでしょう・・・。でも、偶然なんだって、偶然! 閑話休題。 昨日、ようやく紀要論文を書き上げ、その版下を印刷所に入稿し、肩の荷を下ろしたこともありまして、今日の私は「パワーポイント」の使い方に習熟すべく、手引書を片手に勉強しておりました。これこれ! ↓【送料無料】はじめてのPowerPoint 2010(基本編)価格:1,365円(税込、送料別) が、上の手引書が良かったせいか、実際にやってみたら、なーんだ案外簡単なのね。2時間ほどあれこれいじっているうちに、一通りのことはできるようになっちゃった。で、とりあえずスライド30枚くらいの仮想プレゼンを作り、2分ほどの爆笑スライド・ショーを完成。 もちろん、パワーポイントって結構奥が深いようで、できることは他にも沢山あるみたいですけど、私が使う範囲のことはこれで十分かな。あとは必要があった時に手引書を参考にすればいいし。 ということで、差し当たりこの春休み中にやろうと思っていた「パワポの習熟」という宿題を、あっさり片づけて、今日は気分のいい私だったのであります。今日も、いい日・・・。 おっと、「今日も、いい日だ!」という本ブログの決まり文句、当分は自粛しようかな・・・。
March 17, 2011
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こんな危急の際に、というところもありますが、私の場合、これも仕事の内でございまして、今年度アカデミー賞作品賞に輝く『英国王のスピーチ』を観てきました。以下、ネタバレ注意です。 時は1920年代、先王ジョージ5世の逝去に伴い、その息子たるエドワード8世が王位を継承することになる・・・はずだったのですが、当時の彼はアメリカ人女性と交際中、しかもそのアメリカ人女性が二度の離婚歴を持ち、しかもエドワード以外の男性とも交際中という噂のある札付き。イギリス政府内でもこのことが問題視され、結局、エドワードは戴冠することなく、即位からわずか1年にして退位し、その弟であるアルバートがジョージ6世として即位・戴冠することに。 ところがこのアルバート、真面目な人ではあるのですが、幼い時より吃音に悩まされていて、人前で話をしたり、演説をするのが大の苦手なんですな。で、それまでにも様々な専門家の下で吃音の矯正を試みたもののどれも失敗して、自棄的になっていた。 しかし、もはや選択の余地はなく、彼は即位を決意します。そして、今までの治療法の中では一番有望な、さるオーストラリア人の専門家による治療を継続して受けることに。 とはいえ、このライオネルなるオーストラリア人に若干問題アリでして、彼は吃音治療専門家とはいえ、医師の資格があるわけではなく、単なる俳優崩れなんですな。それが戦争中、たまたまシェル・ショックで言葉を失った仲間の兵士の言語機能回復を手伝い、それに成功したことがきっかけで、試行錯誤によって自ら築き上げた治療法をもとに「吃音治療専門」の看板を掲げていたに過ぎない。そんないささか頼りない「専門家」に、国王の吃音治療を任せるのか?! しかもライオネルにはライオネルの矜持があって、国王といえども、自分の治療を受けるからには「友人」としてファースト・ネームで呼び合う形で治療を受けるのでなければ引き受けないという偏屈ぶり。 国王と一介の無免許治療師という圧倒的な階級差に加え、短気なジョージ6世と偏屈なライオネルの組み合わせですから、二人はことある毎にぶつかりあいます。ライオネルは国王のプライバシーに土足で踏み込むようなことを言い、一方、国王もライオネルを激しく傷つけることもある。しかし、そんなぶつかり合いの中、国王は少しずつ心を開いてライオネルの治療を受け入れ、そして吃音も少しずつ改善していく。 そんな折も折、ヒトラー率いるドイツと英国は戦争状態に突入。ジョージ6世自らラジオ放送のマイクの前に立ち、戦争を始めるにあたって国民の奮起と忍従を促すスピーチをしなければならなくなります。ドイツではかのヒトラーが、その巧みな弁舌によってドイツ国民を戦争へ駆り立てている以上、受けて立つジョージ6世としても、ヒトラーを凌駕するような名スピーチで、全イギリス国民を奮い立たせなければなりません。 さてさて、ジョージ6世はライオネルの助力で、イギリス国民の心を打つ世紀のスピーチを行うことが出来るのか!! というようなお話です。 で、この映画に対する私の評価は・・・ 「83点」でーす! さすがに高評価! まあね、多少物足りない点があるとすれば、この映画には悪者が一人も出てこないこと、ですかね。せいぜいジョージ6世が短気だということ、それに彼の兄の愛人となるウォリス・シンプソンが多少悪しざまに描かれるくらいで、あとは皆いい人ばかり。そのいい人たちが協力して事を成し遂げるという内容ですから、気持ちのいい映画ではあるのですが、人間性の深奥をえぐるような深みがあるかと言うと、・・・ないわけ。 だけどイギリス王室の感じとか、国王になるってこんな感じなのか、というのが何となくわかるところなどそれなりに印象的ですし、ライオネル役のジェフリー・ラッシュもいい味出してます。後味が爽やかなところもいい。 でまた、吃音に悩む英国王を演じたコリン・ファースがね、これがいいのよ。 以前の国王であれば、ただ玉座に収まってふんぞり返っていれば良かったわけですけど、20世紀に入り、「ラジオ」なるメディアが発明されたことで、国王となる者は、役者ででもあるかのように国民の前に登場し、国王を演じてご機嫌を取らなければならなくなってきたわけですな。しかも、必要とあればヒトラーより上手に。そういう時代に生まれてしまった「史上最も内気な国王」・ジョージ6世の悩みをコリン・ファースはなかなか上手に演じております。見事、見事。 ところで、『英国王のスピーチ』は『ソーシャル・ネットワーク』と共にアカデミー賞の有力候補だったわけですけど、この二つの映画のどちらも実話をもとにした映画であり、またどちらも「もっとも隠された権力の世界を、新しいメディアが公にする」ということに関わる映画であったというのは、非常に面白い現象ではありますな。 いやいや、それを言ったら『インセプション』も、(これは実話ではありませんが)「人間の意識」という最も秘められた場所に隠された情報を、新しい技術でハッキングするという内容なのですから、そういう意味では上記二つの映画と本質的には同じか・・・。 これから公開される『ザ・ライト エクソシストの真実』だって、「悪魔祓い」というものが、21世紀の今日でもバチカンで行われている、ということを明かした実話映画なんでしょ? やはり、権力の在処に隠された真実を暴露する、というのが時代のキーワードなのかも知れません。今、時代はそういうものを求めていると。 ま、日本では、「原子力発電という聖域が実際にはどうなっているのか」ということが、期せずして発覚してしまったわけですが、これもまた時代が一つの方向に同期していることの表れなのかもしれませんね。
March 16, 2011
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原発、日を追うごとに大変なことになっておりますが、報道を見ていると、どうも隔靴掻痒というか、こちらの知りたいことがなかなか分からないというところがありますなあ。 どの局も、専門家を捕まえてきて「今、どういうことが起きているか」ということを、図を使ったりしながらやたらに細かく説明するわけですけれども、ワタクシなんかからすると、もはやそんなことを教えてもらってもしょうがない、という感じがするんですよね。 とにかく、大変なことになっていて、もう既に放射能が漏れていると。だけど、ある程度の距離を置けば、まだ健康被害につながるほどのことではないから、報道に注意しながら落ち着いて行動すべきであると。具体的には、なるべく人体を外気にさらさないことであると。 こういうことは、もう分かっているわけよ。百回も聞いた。 そんなことを繰り返し説明されるより、今ワタクシが知りたいのはですね、これからこの事態をどうやって収束させるつもりなのかっつーことですね。 もう放射能が漏れ出していて、海水も注入できないような状況にある原発を前にして、あんたら、これからどうするの? 原子炉に生コンでも流し込んで、コンクリ詰めにしちゃうとか? それとも、どうにかしてその放射性物質を取り出し、分厚い鉛の容器に封じ込めて、海の底にでも沈めちゃうとか? で、そういう作業をするのだとして、作業に従事する人たちの安全は確保できるの? それとも「あなたたちがやるしかないでしょう」とか言って、人身御供にするの? とりあえず原子炉がどうにか片付いたとして、原子炉周辺20キロの土地はどの程度汚染されるの? この先、そこに住んでいいの? そういうことが知りたいです。せめて、スリーマイルの時はどうしたのか、チェルノブイリの時はどうしたのか、ということだけでも教えてほしい。 とにかく、この先、どういう方法でこの事態に対処するつもりなのか、しつつあるのか、その対処法が聞きたいよね。 ・・・それとも、もう対処法はないとか? とりあえずは静観、とか? 風向きが首都圏の方に向かないことを祈るだけ、とか? 説明がないところを見ると、実際、そうなのかもね・・・。
March 15, 2011
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夕方、本を読んでいたら急に家の中で変な音が鳴り始め、何かと思ったらケータイの緊急地震速報サービスで、間もなく強い揺れが来るとの警告でした。 いや~、ついに名古屋にも来たか! というわけで、この30秒が生死の分かれ目とばかり、リュックサックに水と食料、実印と通帳、携帯ラジオに乾電池、愛用のナイフなどを突っ込み、さあどうだ、来るなら来い、相手になってやる、という構えで、実際にはテーブルの下に潜り込んだものの、何にも来ませんでした。 なーんだ、オオカミ少年か・・・ビックリさせるなよ~。でも良かった~! 本物のオオカミが来なくて・・・。 ま、当分、こういうことが続くんでしょうな。でも、被災地の人たちのことを思えば、このくらい我慢せにゃ。 ところで、もう一つ心配なのは原発ですよ、原発。 安全だ、安全だって宣伝してるけど、やっぱり危険なんじゃん。想定外の事態だから仕方がないとは言えないよね。逆に、どこまで甘く見積もってるの、って話ですもん。 もちろん、現時点で電力需要の3割くらいを原発で賄っている日本の現状がある限り、原発をすぐに廃止することはできないでしょうけど、今回、原発に未来はないなってことだけははっきりしましたね。安全な原発ってなものは存在しないんだから。 やっぱり将来的にはソーラーパワーに頼るしかないんじゃないすかね。 今後、新しく建築する建造物は、公的なものでも私的なものでも、必ず屋根に太陽光発電の設備を乗っけないとダメ、という法律を作るしかないよ。日本の建物の寿命なんか、せいぜい30年か、40年くらいなもんでしょ? 私が子供の頃に住んでいた家、もう建て替えられちゃって存在しませんよ。だったら、こういう法律を作るだけで、30年か40年後には日本中のありとあらゆる建造物に太陽電池が乗ることになるじゃないですか。その頃には発電効率も上がっているだろうし、蓄電技術も上がっているはず。で、そうなれば、残り少ない原油に頼らずとも、日本の電力需要の相当分が日々、只で手に入ることになるじゃないですか これが未来、これが政治的決断ってもんじゃないの? 安全な原発は存在しない。だからそいつは見限って一番可能性のあるクリーンなエネルギー源に賭ける。今、私が政治家に求めたいのは、こういう決断なんだけどなあ。政治主導でこの国を動かすってんであれば、さ。 ところで、今回の地震で、北関東から東北にかけての太平洋岸に点々と原発があって、それが主として首都圏の電力需要を賄っているということが一般にもよく分かるようになりましたが、ここにも色々問題があるんだろうなって思います。 結局、電気が一番必要なのは首都圏。だけど危険な原発を近くに置くのは嫌。だから産業がなくて貧しい地方に、支援という名のエサと引き換えに原発を作る、と。こういう図式でしょ。で、地方だって物騒な原発なんか置きたぁかないけど、背に腹は代えられないから置くと。 ま、首都圏の犠牲になっているわけですよね、地方が。 ところが、今度こういうことになって、計画停電させるといういことになると、東京23区ははずして、まずは茨城と静岡から、とかいう話になる。またしても地方を犠牲に首都圏を守るという発想ですな。 無論、その方が被害が少なくなるから、という理屈は分かります。分かりますけれども、どうもね、不公平な感じはしますね。 たとえ数時間の限定的な停電とはいえ、色々厳しいところは出てくるでしょう。医療関連で24時間、電気に頼っている方、特に在宅でそういうケアを必要とされている方なんかは大変でしょう。それは、都会だろうと田舎だろうと同じはず。数に違いこそあれ。 それから、東日本と西日本で周波数が異なるために、東西での電気の貸し借りができない、という点も良くないんだよね。こんな狭い国土の国で、どうして周波数が異なるのか。こんなのだって政治の力で早いこと解消すればいいのに。 ということで、ワタクシ、今回の原発問題に関連して、一つ、原発に未来なし、さっさと太陽光発電に日本の未来を賭けること一つ、東日本と西日本の周波数を同じにすること の二点を日本政府に提言したいと思うのであります。管さんよ、釈迦楽教授の声を聴け!
March 14, 2011
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今日もつけっぱなしのテレビで地震関連のニュースを横目で見ながら、その一方で伴野準一著『全学連と全共闘』(平凡社新書)なる本を読んでいました。 ちなみにこの本を書かれた伴野さんという方は私より少し年長ですが、まあ、同世代と言ってもいい年齢の方で、それゆえ、私と同じく「60年安保闘争」とか「浅間山荘事件」とか、そういう学生運動についてはぼんやりした記憶しかない。それだけに、あれはいったい何だったんだろうという思いを持ち続け、ついにその謎を解明すべく、文献に当たったり、もう相当な高齢になっている当事者に取材したりして、この本を書き上げたと、そういうことらしい。 で、私も伴野さん同様、学生運動華やかりし時にはほんのガキだったもので、その意味するところについて詳しいことは何も知らず、またそれを調べようというほどに興味を持てなかったこともあって、この件に関して無知のまま通してきてしまったところがある。 しかし、段々年齢が上がってくると、子供の頃のことに余計興味が湧いてくるものでありまして、一度、学生運動についても、その大雑把な流れだけでも把握しておこうか、という気になり、今回、この本を読んでみたわけ。 で、この本によると、学生運動の発端というのは、1955年の「砂川基地闘争」にあると。この年、東京・立川にある米軍の砂川基地拡張計画が持ち上がり、それを阻止しようとする地元農民との間で紛争が起こる。で、これに反対して全学連の学生たちが農民たちと共同して測量阻止のための座り込みを行い、また警官隊との衝突を起こし、その結果、測量阻止に成功したんですな。 全学連と言うのは、もともと共産党が日本の各大学の学生自治会を牛耳って作ったもので、その共産党自体、一時は随分過激な武装革命路線を取っていたのですが、のちにこの路線を変更。共産党指導の下、極左冒険主義を進めていた全学連は、上った梯子を外されたような形になってしまい、方向性を一端見失うことになる。 で、その時に砂川基地問題が起こったものだから、全学連は共産党と手を切り、独自にこの砂川基地問題に介入、その結果「測量阻止」という成功の美酒を味わうことになると。 これが発端だったんですな。学生と農民や労働者が手を結ぶことで、アメリカ帝国主義の手先となった日本政府を打倒できると、そういう希望が生まれてしまった。 でまた、当時は朝鮮戦争や核実験など、戦後民主主義に逆行する一連の流れに対する反発として「反戦平和運動」があったわけですが、戦争に反対していれば平和が来て、すべてがうまくいくという見通しに対する若い学生たちの疑問もあった。もっと積極的に革命を起こすべきではないかと。 で、そういう動きの中、過激派を取り締まるための警察官職務執行法改正案が国会に提出されるというようなこともあり、これを廃案に追い込む運動の中で、1958年暮れ、共産主義者同盟、いわゆる「ブント」が結成される。そして社会的な騒乱を引き起こすことで、革命への導火線に火をつけようと画策するブントの前に、格好の火種が訪れることになる。1960年に予定された「安保改定」です。そしてブントは、これを阻止するための実力行使を行うことを決定、これが1959年暮れの国会突入事件につながると。 そして翌1960年6月、ブントのみならず労組や知識人層も加わった形での国家的な騒乱ともいうべき安保闘争が行われるわけですが、結局、安保は成立。革命を目指したブントや、ブントが指導する全学連は失望感に襲われることになります。そして、やがてブントもより小さいセクトに分裂。また時代も「所得倍増計画」が実現してしまう高度経済成長期となり、労働者の不満も解消してしまうと、ブントや全学連が目指した「革命」の火種が無くなってしまう・・・。 こうなると、学生運動自体が、起こるはずのない革命をまだ夢見て駄々をこねる子供の、方向性のない暴力になってしまうのも時間の問題です。東大安田講堂の攻防から、各セクト同士の内ゲバ、そして浅間山荘事件に至るまで悪あがきが続くわけですが、なにせこの時すでに学生運動は国民の支持を失っているわけですから、いずれ収束してしまうことになる。 時代は変わってしまったと。ハチのムサシは死んでしまったわけです。 ところが、今はもう70歳代になった当時の学生運動家たちは、今なお、細々と反政府運動をやっているのだそうで、彼らに当時のことをインタビューしてみても、反省の弁はないのだそうです。あれはあれで正しかったと、そう思っている人たちばかり。 兵どもは、まだ夢から覚めていなかった・・・。 この本はそんな一連の歴史を語っているわけです。 ま、何しろこちらに何の予備知識もないですから、この本の良しあしというか、歴史書としての正当性はわかりませんが、とりあえず学生運動の流れというのはわかりますし、また学生運動に身を捧げた人たちの群像というか、それについての基礎的な知識は得られます。今まで漠然とした知識しかなかった「黒田寛一」とか「唐牛健太郎(かろうじ・けんたろう)」とか「樺美智子」とか、そういう人たちの位置づけとかも大体つかめてくる。そういう意味で、私としては勉強になりました。 そう、それから個人的に「おや」と思ったのは、この本の中に山西英一という人名が出てくること。日本におけるトロツキーの紹介者であり、また成蹊学校の英語の教師として後に学生運動に身を投じる塩川喜信に影響を与えたそうですが、アメリカ文学の観点から言いますと、彼はノーマン・メイラーの翻訳やアイザック・ドイッチャーの著作の翻訳で知られております。で、私の師匠もこの両者の作品が好きでしたから、ひょっとして山西さんのことも知っていただろうかと思いまして。 それにしても、この本が語っている歴史というのは、たかだか50年前の話。にも関わらず、当時の学生と今の学生とのこの差。どっちがいい、というのは難しいですけど、昔の学生というのは、何につけ熱かったんだな、と。 あと、これは問題の本質とは無関係かもしれませんが、この本を読んでいて印象的なのは、当時の、というか、左翼系の方々の言葉の省略の仕方です。とにかく何でも3文字に略しちゃう。「全学連」だって、正式には「全日本学生自治会総連合」でしょ。あと、「第六回全国協議会」が「全六協」、「日本革命的共産主義者同盟」が「革共同」。すべてこんな調子ですから。で、この短縮感覚、今でも大学組織の中に生きているなあと思うことがあるんだよなあ。 ってなわけで、今日は一日、被災地域への思いと1960年代への思いの間を行き来しながら、生きていたワタクシなのでありました、とさ。
March 13, 2011
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昨日来、東京方面に住む友人や教え子たちから無事の知らせが届いておりまして、いささかホッとしております。また仙台方面の友人も、住まいに若干の被害が出たとはいえ、無事は無事のようで、その点でも一安心。 逆に私自身もロサンゼルスやNYに住む友人たちから見舞いのメールをいただいております。彼らからしてみたら、私の住む名古屋が日本のどこにあるのか、今回壊滅的なダメージを受けた地域とどのくらい近いのか、離れているのかなんてよくわからないわけで、メールの内容もかなり切羽詰った感じで、「生きているか?!」という内容のものばかり。私は大丈夫、という返信をしつつ、友達ってのはありがたいなとつくづく感じ入ったのでございます。 また日本の状況に対する海外の反応を見ていると、ついこの間地震の被害にあわれたニュージーランドが、「今度は我々が日本を助ける番だ」と救援隊を派遣してくれたようですし、お隣韓国からは、「日本に一番近いところにいる我々が一番乗りして救援活動をすべきだ。今こそ隣人愛を実践する時だ」という声が上がり、事実、既に救援隊が来てくれているとのこと。もちろんアメリカやロシア、その他、数多くの国々から支援の申し出が出ているようですが、危急の際、海外からの差し出されるこれらの暖かい支援の声を聞いていると、まだまだ人類、捨てたもんじゃないと思わせてくれますなあ。 さらに食糧、水、暖房、無線機など、まだまだ必要な物資が届いていない被災地の方々が、それでも辛抱強く、互いに協力して最善の善後策を模索していらっしゃる様子を見るにつけ、こういう時の日本人の強さを感じます。届いた物資を我先に取り合う、なんてことがまるでないのですから。 とにかく、残念ながらこの災害によって亡くなられた方々の収容が進むこと、現在救援を待っておられる方に必要物資が一刻も早く届くこと、そして今後のこの地域の復興が着実になされることを祈っております。また、同じように思っている日本中の方々が資金的な面で復興作業を支援できるよう、国がしかるべきチャンネルをなるべく早く作ってくれることを望みたいと思います。 さて、この混乱のさなか、今日は国立大学の後期二次試験が行われ、私も監督官として試験に立ち会ってきました。先般のカンニング事件のこともあり、今回はこの点について特に注意を払う体制を作っていたのですが、何だかそんなこともぶっ飛んでしまって、とりあえず試験中、震度3とか4レベルの地震が来て、受験生が動揺したりしないことをひたすら祈る、という感じでした。まあ、とりあえずは心配したようなことは起こらず、無事に試験は終了しましたが。 しかし、うちの大学でも、今回の地震のあおりで名古屋まで来られなくなってしまった受験生がありましたので、数日中に彼らを対象とした再試験を行う予定とのこと。スケジュール的には厳しいですが、なにせ未曾有の大災害ゆえですから仕方がないですね。大学としても頑張って対応しましょう。 それにしても、つけっぱなしにしてあるテレビから流れてくる映像、そして報道を見ていると、その凄まじい被害状況に唖然とさせられます。原発もなにやら不安なことが進行しているようですし。私がそれをテレビで見ていたからといってどうなるもんでもないわけですが、なんか見守らなくてはならない、という気持ちに急き立てられるようについ見てしまいます。日本中、誰もがそんな感じなんじゃないでしょうか。 今はただ、心を合わせて、救援と復興が進むことを祈るとしましょう。
March 12, 2011
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今日の地震、名古屋でも妙に間延びした気味の悪い揺れ方をしまして、何せ私の研究室がある棟はかなり古い校舎なものですから、かなり怖かったです。2年ほど前に耐震工事をしてもらいましたが、それにしても、ねえ・・・。 そしてその後の報道、特に津波の映像などを見て、これはただ事ではないと思いました。神戸の大震災を思い出します。既に多くの被害の知らせが舞い込んでおりますが、被災された方々のことを思うと心が痛みます。 それから、東京も含め、震源に近いところにいる私の教え子たちの状況も気になります。おーい、みんな無事か? もし無事なら、コメントなりメッセージなり送ってこーい。
March 11, 2011
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坂上二郎逝く。我が青春の「コント55号」は遠くなりにけりか・・・。二郎さん、好きだったのにな。ご冥福をお祈りいたします。 さてさて、今日はもうすぐ卒業式を迎える今年度のゼミ生たちと、最後の飲み会をしてきました。釈迦楽ゼミ恒例の「忘・卒論会」という奴ですな。 もう卒論を書き上げてから2ヶ月、口頭試験もひと月前の話となり、この間、彼女たちもそれぞれ国内外に卒業旅行をして羽を伸ばしてきた様子。まあ就職してしまえば、なかなかまとまった休みもとれないでしょうから、せいぜい今のうちに楽しんでおかなければ、という気持ちもわかります。 とはいえ、皆が皆、同じ時期に安いツアーを探して旅に出るので、旅先で同級生に出会うことが多いらしく、グアムに行ったら誰々に会った、イタリアに行ったら誰々に会った、飛行機に乗ったらあっちにもこっちにも同級生がいた、なんて話をしていました。せっかく未知の土地へ足を踏み入れたのに、そこで見知った顔に出くわすというのは、うーん、どうなんでしょうか・・・。 で、私はこの間、何をしていたのか、と問われたので、そりゃ研究だよ、当たり前じゃん、今もさっきまで研究室で論文を書いてたんだよ、と言うと、皆、何だかびっくりしている。 どうやら、大学の先生というのは、学生が休みの期間、学生と同様に羽を伸ばしているんだと思っているらしいんですな。 で、そいつは心外だと思って、「僕の場合、心情的には『研究8、教育2』って感じかな。学生に教えることなんて、余技、余技」と言うと、さらにびっくりしている。どうも彼女らは、「先生」である以上、大学の先生も学生に教えることが10のうち10だと思っている様子です。 で、さらに色々話をしてみて、学生ってのは、大学の先生のことをまるで理解していないんだ、ということが分かりました。同じキャンパスにいる学生が分からないんですから、世間の人はもっと分からないでしょうな。 大体、大学の先生ってのは、何か資格があるもんだ、と思っているところからしてもう大間違い~。大学の先生って、別になーんの資格もないのよ。医者とか弁護士とは違います。研究の腕さえあれば、義務教育修了の資格だけでなれる。 とまあ、そんな基本的なところからして理解してないらしいので、飲み会で「大学の先生になるには」という講義をしてきちゃった。 それで、講義の後、「・・・というわけで、大学の先生にもピンからキリまであるわけだけど、さて、釈迦楽先生はそのどちらでしょう?」という期末テストをしたら、全員が正解しました。めでたし、めでたし。 ま、そんなこんなで飲み会終了。 次に彼女たちに会うのは、卒業式の本番です。その時はまた、きれいな晴れ姿で見違えることでしょう。その日を楽しみに、私はまた論文書きに戻るとしますか。
March 10, 2011
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今年度後期の大学院の授業では、授業を取りに来た院生たちに「あなた方が『これが最善』と思う英語の教則本を、それぞれ作ってみなさい」という宿題を課し、その原稿を半年かけて執筆していく、というのをやっていたことは、前にもこのブログに書きましたっけね? で、今日、ついにその教則本が完成しました、と言って、院生たちがその本を私のところに持ってきたんです。 もちろん、本と言っても、プロの製本屋さんに頼んだわけではなし、手作りっぽいものなんですが、しかし、どれもそれなりに凝った作りになっていて、挿絵なども友人の美術科の学生に頼むなどして、それぞれ楽しい教則本になっておりました。 で、その教則本の完成度も私には嬉しかったのですが、それ以上に嬉しかったのは、院生たちが言っていた、授業に対する感想です。 どうやら院生たちは、最初のうち、初学者向けの教則本なんか作って何の意味があるのか、授業の趣旨がよく分からなかったらしいのですな。彼女たちとしては、むしろ自分自身の英語力をつけるような授業が受けたかったらしい。 しかし、原稿を書き上げ、推敲し、挿絵をつけ、そして製本するという一連の本作りの過程を辿っていくうちに、だんだん面白くなってきたと。また面白くなってくるのと同時に、教則本を作ることの難しさも分かってきた。 というのも、本を作るとなると、無責任なことができませんからね。レポートなどと違って、本というのは「不特定多数の人様にお見せするもの」ですから、誤字・脱字一つあれば、本の内容についての信用まで失うし、ましてやそこに書かれている英文や、その英文に対する解説が間違っていたら、教則本として致命的。ですから細心の注意を払って一文、一文チェックしなければなりません。当然、自分の持っている英語についての知識のあやふやなところも、その段階で徹底的に洗い出されます。 おそらく彼女たちは、教則本を作る過程で、生まれて初めて「責任を負いながら文章を書く」ということを体験したんじゃないでしょうか。そして、一冊の本を作り上げたという達成感も、生まれて初めて体験したことでありましょう。 ま、「英語教育研究の究極のゴールは、結局、優れた教則本を書くこと以外にあるわけがない」という私の信念、そして私が課した課題の意味を、最後の最後になって彼女たちは完全に理解し、この授業をものすごく楽しんでくれたと。 というわけで、そんな彼女たちの汗と涙の結晶たる本を手にして、私は非常に満足しております。私自身、「この授業、ちょっと失敗だったかな」と思う瞬間もあったのですが、今は、やっぱりやって良かった、という感じですね。
March 9, 2011
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ジュネーブで開かれている自動車ショー、クルマ好きとしてチェックしているのですが、数多ある新車、あるいはコンセプト・カーの中で、ワタクシの目をくぎ付けにしたクルマがありまして。 それは、チェコの自動車会社シュコダが出品したコンセプト・カー「ヴィジョンD」という奴。これこれ! ↓ヴィジョンD うーん、美しい! ごく普通のファミリー・カーとして完璧なフォルムと言っていいんじゃない? これが「トヨタの時期プリウスです」なんて言われたら、ワタクシ、買っちゃうよ。たとえそれがプリウスであったとしても。 はあ~。どうして日本の自動車会社って、こういうシンプルでクリーンなデザインができないのですかねえ。もうさ、シュコダからデザイナーを引き抜いちゃって、「こんな感じの作って」って丸投げすりゃーいいのに。 閑話休題。 さてさて、今日も今日とて論文書きに追われましたけれど、まあ、何となくゴールが見えてきたかな、というところ。あとちょっとですな。 というわけで、少し気持ちに余裕ができたこともあって、今日は久しぶりに名古屋道場の方で八光流柔術の稽古をしてきました。 ここは昨年の今頃、私が入門した道場で、仕事の都合で(同じ師範がやっている)別な道場に通うことになるまで、半年間通ったところなんです。 で、まさに半年ぶりに顔を出すもので、ちょっと照れもあったのですが、実際に顔を出してみると、半年前まで一緒に稽古していた方が何人かが「お、釈迦楽さん、久しぶりだね」なんて声をかけてくださったので、いきなりリラックス。古巣に戻ったような感じで、楽しく稽古ができました。 やっぱり武道ってのはいいもので、動機はともあれ、それぞれに何かを志して集まった者同士、互いに組み合えば、すぐに何とはなしに親しみが湧くものでございます。 ところで、そんな名古屋道場での稽古仲間に、大学生のI君というのがいまして。ま、私とは年齢がだいぶ離れておりますが、同じくらいの時に入門したこともあり、何となく気が合って、よく一緒に稽古したものでございます。 で、そのI君、今日も道場に来ていて、今日は一緒に組み合うことはなかったですが、帰りがけに少しだけ話ができたんです。 すると、そのI君、「実は、僕、この道場に来るのは今日が最後なんです」などと言い出すではないですか! え、どうしたの? 辞めるの? で、聞いてみると、この春無事大学を卒業することになり、就職先も決まったものの、その勤務先が長野県になってしまったために、もうこちらには来れない、ということなんですな。あらま、残念。 しかし、八光流柔術は続けるようで、既に長野県の道場に移籍の手続きをとったとのこと。 で、その長野県の道場と我々の道場は、師範同士が親しい間柄ということもあって、夏などに合同合宿を組むこともあるのだとか。 ということで、I君と「じゃあ、チャンスがあれば、合同合宿でまた一緒に稽古しますか!」と言って別れることになりました。 年も離れているし、ただ道場で半年ほど一緒に稽古しただけ、しいて言えば稽古の最中や帰りがけにちょっと話すくらいでしたけど、何となく気心が通じていたI君が、同じ道場の門下生ではなくなるのかと思うと、ちょっとさびしい気がします。 だけど、それもまたそれ。出会いがあれば、別れもあるわけで。サヨナラだけが人生でございますからね。 かくして就職の決まったI君の門出の幸多きことを心の中で祈りつつ、「じゃあ、また!」と一言交わして、I君と私は互いに家路についたのでした。
March 8, 2011
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珍しく・・・、いや、珍しくでもないか・・・、とにかく、論文を書き上げるのに難渋しておりまして、苦しい、苦しい。 自分として書きたいことは分かっているわけ。だけど、論文の中に盛り込むべき幾つかの内容が、互いに少しずつ齟齬をきたすものなので、これを一つの文章の中にまとめるのが難しいのよ。 どういうことかと言うと、ある小説のことを「怪奇的」と呼ぶこともできるし、「推理小説的」と呼ぶこともできる場合があるじゃないですか。例えば横溝正史の小説なんか、まさにそうですよね。 で、こういう小説の怪奇性について論じている途中で、同じ小説の推理小説的な側面にも触れなくてはならない場合が出てくるわけよ。すると、さっきまで横溝作品のことを「怪奇的」と呼んでいたのに、途中から「推理小説的」と呼ばなくてはならなくなる場合が出てくる。そこで矛盾・・・と言わないまでも、齟齬ができるわけ。 ま、別に私は横溝作品を論じているわけじゃないんですけど、とにかく、今書いている論文の途中でこれと同じタイプの齟齬がどうしても生じてしまうもので、それをどうやって回避しつつ、どちらの側面も十全に論じるにはどうすればいいかで、やたらに悩んでいるわけですわ。 でね、ワタクシ、一つのことをやっている最中に、別なことってできないんですわ。不器用なもので。だから、こいつを書き上げない限り、本も読めなければ、他の仕事にも取り掛かれない。事務仕事もできない、ということになるんですなー。ひたすら停滞するだけ。 で、この状況下で「楽しみ」ったら、もう、食べることしかない。家内に「昼ごはんよ~」とか「お茶の時間よ~」とか「夕ご飯よ~」と呼ばれることだけが楽しみっていうね。さすがに論文で詰まっていても、食事だけはしますからね。 で、さっきお茶の時間に、ローソンで買ってきてもらった「プレミアム・チョコロールケーキ」ってのを食べたのですけど、これ、旨いね! 先日食べたサークルK・サンクスの「シェリエドルチェ」の「ロールケーキ」や「プリン仕立てのクリーミーバウムロール」のおいしさといい勝負。 そうそう、我が家のコンビニスイーツ食べ比べは、まだまだ継続中なのよ~。今のところ、ローソン系と、サークルK・サンクス系のシェリエドルチェ・シリーズが一歩リードで、ファミマ系はちょっと落ちるかなあ。ま、これは個人の嗜好によるでしょうけれど。とにかく、ローソンの「プレミアム・チョコロールケーキ」、教授のおすすめ!です。 というわけで、食べることしか楽しみのない現在の私。夕食までの時間、もうひと頑張りしますか。トホホ・・・。
March 7, 2011
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このブログをずっとお読みの方はご存じと思いますが、私、かねてより「ループタイ」の愛用者でございまして、日本の暑い夏の時期に、サラリーマンの首に巻くものとしては、普通のタイよりループタイの方が断然涼しくて快適、と何度も主張を繰り返しております。 それもただ快適というだけではなく、ループタイは本来、若い人にこそ似合うものであり、それゆえ「定年後のダサいオヤジのもの」というループタイに背負わされてしまったイメージを一掃しなければならぬ、と言い続けております。もちろん、自ら各種ループタイを着用しつつ。 ところが、これがなかなか浸透しなくてね。同僚たちに勧めても、笑うばかりでなかなか取り合ってもらえない・・・。 が! 最近、若いタレントさん、それもジャニーズ系のタレントさんがループタイをしているのをしばしば見かけるんですよね~。Kinki Kids とかね。 で、つい最近も見ました。ブリジストンタイヤのCMで、TOKIOの長瀬君が、ばっちりループタイをしているじゃないですか! ま、この場合、ちょっとギャグっぽく使っている気配はありますが・・・。これこれ! ↓TAIYA CAFE スタート編 いやあ。ついに。ついに時代がワタクシに追いついてきましたか・・・。 感慨深いものがあるね。 というわけで、さすがにまだループタイをするには寒すぎますが、今年もまた「ループタイを日本中に流行らせる会」会長(←勝手に就任)として活動していきたいと、決意を固める私なのであります。こんなのどう? ↓◆紳士用◆人気急上昇のおしゃれなループタイ◆(G)(T)(A)唐草模様のシンプル革紐ループタイ≪送...価格:15,540円(税込、送料別)今季注目の新アイテム!! スワロフスキーブラックグラデーション ループタイ 【日本製】 / ...価格:4,725円(税込、送料別) メール便なら送料無料■ループタイ揃えてます【チェ・ゲバラコインループタイ/エメラルドグリ...価格:2,480円(税込、送料込)
March 6, 2011
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昨日、流体力学の権威のF名誉教授とお話しする機会があったのですが、F先生は大学を引退されてから既に7、8年は経っているにもかかわらず、旺盛な研究活動を続けられていて、再来週も神奈川県で開かれる某学会でゲスト・スピーカーとして招かれ、そこで研究発表をされるとのこと。 で、「発表のためのパワーポイントも作っちゃったし、気が楽になった~」と晴れ晴れとしたお顔でおっしゃっていたので、「お、先生もパワポ、お使いになられますか?」とお尋ねすると、「うーん、やっぱり発表が華やかになるっていうか、色々なメディアを盛り込めるからね」とのこと。 ふーむ。私よりもはるかに年長のF先生にして、パワポを駆使されますか・・・。 ま、これを告白するのはちょっと恥ずかしいのですけど、実はワタクシ、今まで学会発表等でパワーポイントを使ったことがないんです。 言い訳しますとね、パワーポイントって、結局言葉を視覚化しているだけで、発表の質自体には関係がないというか、むしろ発表の内容のなさをごまかすのに大いに資しているだけではないか、という思いがありまして、こう言っちゃアレですけど、なんとなく馬鹿にしているところもあったんですね。オレはそんなもの使わなくったって、べしゃり一つで聴衆を惹きつけてやるよ、みたいな自負もある。 私は学会発表を一つの話芸ととらえているところがありますからね。その芸にパワポはそぐわないと思っているわけ。例えばの話、噺家がパワポを使って落語をやりますか、ってなもんなんですな。 だ・け・ど・・・。 こういう言い訳も、そろそろ、ほんとに「負け惜しみ」っぽくなってきたかなと。使おうと思えば使えるけど使わない、というならともかく、今の私の場合、使えないから使わない、というのが事実だからなあ。 で、さらにF先生にお尋ねしたら、「そんなの、パワポの使い方習得のために人生の一日を犠牲にすると思えばいいんですよ。一日あれば習得できるんだから」とのこと。 よし。わかりました。私の人生の一日を喜んでパワポに捧げようじゃありませんか。 ということで、私の春休みの課題が一つ決まりました。決まってみると、逆に楽しみ。っていうか、私も凝りますからね。パワポをマスターして、次の機会では凝りに凝った発表でもしようかと。 とはいえ、パワポの習得の前に、今書いている論文を何とかしないと。締切まであと1週間。すべてはこれが終わってからですな。さ、さっさと仕上げてしまおうっと!追伸: 先ほど、噺家がパワポ使って落語するか? と書きましたけど、考えてみると、これ、ひょっとしたら案外面白いアイディアかもしれませんね。誰か、創作落語をする若手落語家の方で、このアイディアを使ってくれないかしら。最近では「iPad」を使ったマジックなども流行っているようですしね。
March 5, 2011
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京大の入試問題、なんか矛先が試験監督の側に向けられているようで、一般の人から京大に寄せられた意見とか苦情の大半が、「お前らの試験監督体制が悪いんじゃ」というものだったのだとか。で、それに釣られたのか、大学側も試験当日の監督者から事情聴取をしているようで。 いやはや、マジですか・・・。 実は私も国立大学の後期二次試験の監督をやることになっているのですけど、入学試験の場で、カンニングを摘発するなんて、まず不可能です。まあ、考えても見てくださいって。 今回の事件を受け、各大学で「ケータイ電話対策」をやっているようですが、あんなの全然意味ないですよ。受験生にケータイを机の上の見えるところに置かせるとか、一時的に大学があずかるとかしても、もし受験生が2台目のケータイを持っていたらどうするんです? あるいは、受験生が「私はケータイを持っていません」と主張したらどうするんです? まさか「嘘つけ! じゃあ別室で服のすべてのポケットまでチェックするからな」なんて言えないじゃないですか。 だから、それこそ妨害電波を流すなどして、物理的にケータイを使えないようにするしかないけど、それやると「ケータイが使えなかった時間分の料金を大学が払え」とか言ってくる奴が必ずいる。そういうのも大学が対処しなきゃいかんのですかね・・・。 また仮に試験中に不審な行動をする受験生がいたとして、それを摘発するのって難しいですよ。決定的な、目に見える証拠がないのに、「君、ちょっと!」なんて声をかけて、もし単にもぞもぞしただけだったら、それこそ受験生から大学が訴えられますわ。あるいは、その周辺にいた受験生からも「気が散った」とか言って訴えられるかもしれない。入試みたいに、ある意味、受験生の人生を変えるような試験において、「ちょっと怪しいから声をかけてみる」なんて、できるはずない。 それに、どんな試験でもそうですけど、目に見える証拠とともにカンニングを摘発するなんて、至難の業ですよ。私も長年、この業界にいますが、入試でカンニングを摘発したなんて話、聞いたことないです。できるわけないもん。 で、ならば、カンニング防止策を充実させろ、とおっしゃるかもしれませんが、仮に監督者が頻繁に受験室を巡回するとするじゃないですか。そうするとね、「監督者の靴音が気になって集中できなかった」という苦情が間違いなく殺到します。実際、今ですらそういう苦情がやたらに来るんですから。だから、監督者は机間巡視もままならない状態に置かれているんですよ。そういう現状を、人は知っているのかしら? じゃあ、監督者の人数を増やせばいい、とおっしゃるかもしれませんが、そんな人員も予算も国立大学にはないです。 要するに、入試のカンニングを完全に防ぐ手立てなんて昔もなかったし、今もないのよ。防げなかったのは、昔も今も一緒。そして、ずるいことする奴ってのは、どの世界でも必ず何パーセントかはいるんです。それが人間の世界というものでありまして。入試に限らず、なんでもそう。税金を払うのが国民の義務ったって、脱税する奴いるでしょ? そういうものなのよ。泥棒しちゃいけないってったって、泥棒する奴いるでしょ? で、泥棒されたのは泥棒された方が悪いって言います? 戸締りが悪いから泥棒に入られたので、悪いのは戸締りしなかったお前の方だって、そう言いますか? たとえ実際にそういう部分が多少あったとしても、そうは言えないでしょ。 だったら、カンニングされたのはされた大学が悪い、っていう批判は当たらないんじゃないの? 試験監督は、基本、大学の先生がやっているんですよ。警察官じゃなくて。アカデミックな研究するのが本来の仕事であるべき大学の先生がやっている。その先生方に、「取締りのプロになれ」って言ったって、そりゃ荷が重すぎます。そりゃもちろん、相応の努力はしますけどね。 ま、種々述べてきましたが、入試のカンニング防止を完璧にやれという世間の批判は、ワタクシには、とても実効性のある批判だとは思えません。そんなの無理、無理。できるというのなら、ご自分でやってごらんなさいって。
March 4, 2011
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今日は柔術の道場に行く日。今日は二段技の中から「綾捕」というのを習いましたが、「あやとり」ったって、八光流のあやとりは痛いよ! っていうか、大体二段技は痛いのばかりですが。 で、あんまり痛いので、稽古をつけてもらっていた道場の先輩に「二段でこれだけ痛いとなると、三段技ではどうなっちゃうんですかね?」と尋ねたところ、「試してみる?」というので、一つだけ何とかいう技をかけてもらったところ・・・、死ぬかと思いました。全身が破壊されたかと思うほど。 これが三段技の痛さか・・・。まだその上に四段技もあるのに・・・。 八光流、最強だわ。 さてさて、話は変わりますが、最近我が家では「コンビニ・スイーツ」がブームでして、このところどのコンビニも力を入れているというスイーツを片端から食べ比べてみよう、というのをやっております。 で、まだやり始めたばかりなんですが、とりあえずファミマのスイーツを4点ほど食べてみたと。 で、現時点での採点はと言いますと・・・ 「ご褒美ロールケーキ』>ティラミス>クリーム乗せ牛乳プリン>「俺のエクレア」 という感じ(名称はやや適当)。 確かに以前コンビニで売っていた、大して旨くもない菓子類に比べると、さすがに力を入れてきただけのことはあるな、という実感はあるのですが、そうですなあ、ワタクシの味覚から言いますと、おいしいケーキ屋さんで売っている本格的なスイーツ類と比べると・・・かなり落ちるかな。実際、ここのロールケーキを150円で買うくらいなら、先日ご紹介したカンパーニュの40センチ・ロールケーキ(550円)の方がはるかにおいしくて得な気がする。 とはいえ、ファミマのスイーツだけでもまだまだ他の種類があるし、他のコンビニの状況も探らないとね。ひょっとしたら、どこかにすごくおいしい奴があるかも知れません。 我ら夫婦のコンビニ・スイーツ探訪のプロジェクトは、まだまだ先が長そうです。
March 3, 2011
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うちの大学でも話題になっております、ネット・カンニング問題。 で、同僚の先生方皆さんがおっしゃるのは、「よくそんな器用なことできるよね!」とか、「手口が知りたい!」というもの。大学入試で実際に試験監督をしている身からすれば、試験問題をケータイなどで写真に撮るとか、質問を送ったり回答を書き写したりするなんて、とても無理だろうと思うのですが。それに、試験監督の先生はごまかせても、隣に座って受験している受験生にばれるんじゃないですかねえ? しかし、大相撲の八百長問題でもそうですが、どんなものであれ犯罪行為にケータイを使ったら、そこから足がつくのは目に見えているじゃないすか。実際、警察も既にカンニングに関わったと思しき人を特定したといいますし。 そういう意味でも、馬鹿だねえ・・・と思いますね。ま、馬鹿だからカンニングするわけですが。 さてさて、「aicezuki」の正体や如何に? と言っても、高校生だから名前は出ないのか・・・。それに、入試のカンニングで一体どれほどの罪に問えるのか、よくわからんですけどね。 ところで、こんなくだらないことでも、警察が一生懸命、犯人を特定しようとしているわけですが、そのために結構な人件費なり、何なりがかかるわけですよね、捜査費用として? 例えば、山で遭難した場合、救助隊に救助された人は、救助にかかった費用を支払うことになると聞きましたが、だったら犯罪捜査でも、捜査にかかった費用を日割りで犯人に課金するというのはどう? だから、何か犯罪に関わって警察の捜査の対象になったら、とにかく一刻も早く出頭しないと、どんどん請求額が上がるというね。それで毎日、各事件の犯人に対し「お前への請求額は昨日の時点で○○万円だゾ」というメッセージを新聞に出すの。そういうシステムにしたら、犯人が自首する率って高まりませんかね? ま、ちょっとそんなことも考えてみた、と。 ネズミ捕りなんかで善良な市民からお金をむしり取るくらいなら、レッキとした悪者からむしり取ってくれと言いたいワタクシなのであります。
March 2, 2011
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今日は、ちょっと高い買い物をしてしまいました。 ダイニングの電球が切れてしまったので、その電球の球を買いに近所の家電品店に行ったところ、ついでにシャワートイレも見ていこうかということになりましてね。今使っている奴が故障しかけているもので。で、結局、シャワートイレも買うことにしたと。 で、それならついでにテレビも見てみようとかいうことになって、なんとテレビまで買っちゃったというね。ブラビアの40型、もちろんブルーレイのプレーヤーやら、スピーカー・セットもつけて。電球1個買うつもりで店に入ったのに、出てきた時には大散財よ。 ま、釈迦楽家というのは、そういう家なんですな。私の両親なんか、散歩の途中で家買ったことがあるからね。 それはともかく、これでようやく我が家も地デジ対応完了。エコ・ポイントにも辛うじて間に合った~ってな感じで。 しかし、家電品店って、大型薬局と同じで、なんか見ているうちに買いたいものが次々と出てくるんですよね・・・。 でね、今日は買いませんでしたけど、今私が狙っているものは何かといいますと・・・、 iPhone 4 どえーす! モバイル・パソコンをマックに変えたこともあるのですけど、今、自分の中ではアップル社ブームでありまして、この先、ケータイをスマートフォンに替えるのであれば、やっぱり iPhone 4 かな、と。で、今日も家電品店のケータイ売り場で iPhone をいじったのですけど、やっぱり異次元の使い心地なんですよね。 とはいえ、今使っているケータイの支払いが終わる7月までは買えちゃダメよと家内に言われているので、もうしばらくは我慢の子。 というわけで、今日は期せずして物欲大満足の一日となってしまったわけですが、大散財したからには稼がなきゃ。これから仕事もがんばるぞ~!
March 1, 2011
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