2008/09/07
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カテゴリ: 物語
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『†Princesse du sang†』
月ノ章 0-06【凶兆】
―ミュークSIDE―




 アセリエル大湿原はサリナハーム南方に広がる広大な低層湿原である。その最南端にイプス岬があり、そこがミューク達の目的地でもある。岬周辺の海域は局地的な濃霧地帯として有名だが、その内陸部は一層深い霧に包まれていた。

 静寂を突き破る鈍い金属音―――
 続けざま夜闇に華麗な白刃が煌めく。一呼吸おいて糸を引くように水面に何かが落ちた。触手のような生物が苦悶にのたうつように水面を叩いている。それはやがて周囲の闇に溶け込むように消失した。

 「……安物」

 ルムはぼそりと呟く。
 人間の胴体をひと薙ぎで横断出来そうな広刃が衝撃に耐え切れずひしゃげたように折れ曲がっていた。だが、少女の双腕で踊る重量級の戦斧は勢いを落とすどころか、闇の中から襲い来る長大な触手を次々と薙ぎ払う。

 「レム、どうやらアレはこちら側の住人ではないようじゃ。 ルムには要らぬ心配じゃとは思うが用意だけは怠らぬようにするのじゃぞ」

 離れた場所からルムの戦いぶりを見守っていたミュークがレムに目配せする。
 レムは慌てたように肩に担いだ大剣を鞘から抜き放つ。一瞬、ルムの加勢にはいるのかと思われたが、そうではなかった。彼は何を思ったか自らの親指を小さく噛み切ると流れ出る血液で刀身の表面に奇怪なシンボルや記号を描きこんでいく。

 「それにしても“彷徨うもの”が今更、具現化しておるとは……」

 ミュークの云う“彷徨うもの”とは女神グラトリエルが産み落とした闇の眷属たちを指す。
 本来、グラトリエルの存在なくして顕界に現出することが適わない幽界に身を置くもの達である。

 その時、敵の本体の位置を測り損ねていたルムの瞳に僅かだが暗闇の奥で蠢く異形が見えた。それを好機と見取ってか、ルムは大きく踏み込むと戦斧を叩きつけるように振り下ろす。しかし、まるで手ごたえが無かった。まるで幻を相手にしているかのようにそれは虚ろであった。ルムの体勢が僅かに崩れた隙をついて四方から触手が迫る。

 「ルム!!」

 その声に呼応したように背後に跳ね飛ぶルム。そのまま刀身の潰れた戦斧を投げ捨てると、虚空を縫って飛来した大剣の柄をいとも簡単に把持する。

 「簡易的だけど屍霊文字を施しておいたよ。 一度だけなら“力”を損なうことなく扱える」

 投擲したままの姿勢でレムが叫ぶ。
 ルムの半眼がすっと閉じられる。手にした一刀に右手を添えるとその短躯を傾ける。突きの構えである。刀身に刻まれた屍霊文字から青白い輝きが漏れる。

 勝負は一瞬だった。
 次の瞬間、屍霊文字を宿した刀身は異形の心臓を刺し貫いていた。
 断末魔の間際、夜よりも更に濃い闇色の鱗に覆われた異形の姿がはっきりと見て取れた。だが、この世ならざる影はすぐに霧散していった。

 事も無げに戻ってきたルムを労うようにミュークはその頭を撫でてやる。ルムの表情はどことなく誇らしげに見えた。

 「ミューク様…なぜあのような魔物が?」

 傍らのレムの声は僅かに震えていた。
 ミュークは返答に窮したわけでもなく、僅かに押し黙ったが、

 「考えられる原因は二つだけじゃな。 この地そのものに幽界に繋がる何かがあるのか。若しくは、グラトリエルを呪縛する封印が弱まっているかのどちらかじゃな・・・」

 グラトリエルは神代において彼の女神メナディエルによって封印されている。今更その封を解こうとする者などいる筈がなかった。少なくともミュークはそう考えている。
 だが、屍族もグラトリエルの腕に抱かれた闇の眷属である。闇の女神の復活を望む者がいても不思議ではない。しかし、それは同時に正気の沙汰ではないだろう。グラトリエルが甦れば間違いなく世界は滅ぶと思えるからだ。

 「考えても答えは出ないじゃろう。 それに嫌な風を感じる、先を急ぐぞ」

 刻下、ミューク達はアセリエル大湿原にいる。獣道とも水の通り道ともつかない護岸寄りの細道を注意深く徒行していたところ先程の事態に襲われたわけだ。この大湿原には古亀、沼地鹿などの小動物から、首刈り竜や一角蜥蜴などの危険な竜亜種も生息している。特に首刈り竜は人間なども平気で襲う大型の肉食獣である。その巨体を泥土の中に潜めて、近づいた獲物を水中に引きずり込み窒息させる。その後、十分獲物を弱らせるとその頭部のみを食い千切り捕食する。首刈り竜という名はその独特の習性から名付けられたものであった。だが、それらは全て現世に存在する生物である。ミューク達屍族にとっては油断さえしなければ恐れるほどのものではない。

 暫く進むと湿地帯の南東部に差し掛かったことがわかった。視界は尚も悪いが、岸壁を削る波の音が聞こえだしたからだ。それに夜風に煽られた甘い香がミューク達の鼻腔をくすぐる。ルルワインと呼ばれる美麗な多年草だ。この時期にイプス岬周辺の塩湿地帯に群棲するアルナ科に属する植物である。美しい花を咲かせることで有名なアルナ科の植物であるが、その実は観賞用よりも、寧ろ食用に重宝されている。その球根を都に持っていけばひと山で銀貨1枚程度の価値があった。

 「本当に誰もいませんね」

 利発そうな碧眼を左右に動かしながらレムが言った。
 ワイバーンを停泊させた集落で聞いた話の通りイプス岬周辺の警備はもぬけのからであった。ミューク達の降り立った小さな集落は、計らずも屍族に好意的であった。そこで、水や糧食、武器、防寒用の羊皮など一通りの装備品を入手することができた。
元々、サリナハーム南東は嘗て、エルダーの一人であったグリムデンの一族が治めていた領域である。この地に住む土着人種は古くからの慣わしや個別の宗教をとても大事にしていた。彼らは定められた周期で人身御供を要求するグリムデンの支配下であった頃の恐怖よりも、この地に根付いた慣習を破壊するサリナハーム公国の封建的支配に反感を抱いているようだった。

 「大灯台は元々“運命の輪”の継承血族グリムデンの根城であった。 聖剣戦争で大屍族ベルムード三世は滅ぼされ、今ではサリナハーム公国の監視下にある筈じゃが・・・」

 ルムの台詞を受けてミュークが続ける。

 「この国は目下、内乱の只中じゃ。ここは歴史的には意味のある場所じゃが、戦略的に守る価値はない。 無駄に兵を割く事を避けたのじゃろう。 それだけ宰相派が率いる反乱軍との戦況が拮抗しているともいえるの・・・ん?」

 噂をすればなんとやらだ。唐突にそれは現れた。視界を閉ざす霧の裂け目から天を突くような巨大な影がぼんやりと浮かび上がる。
 ミュークは歩みを止め、目前に聳える強大な建築物を見上げる。それはイプス岬周辺に広がる大湿原に飲み込まれるように鎮座していた。

 ―――テトラモルフ大灯台

 ベルムード三世は二人の屍血姫と共にこの大灯台で滅びたとされている。灼熱の業火に灼かれたその身体は灰さえも残らずに消失したと教皇庁から正式発表されていた。
 ミュークは幼き頃に一度だけグリムデン当主との面識があった。彼は自らの滅びをただ享受するほど愚かでも怠惰でもない。むしろ屍族には珍しく温厚で思慮深い人物であった。あのベルムート三世が抗いもせずにこの地で滅びたとは今でも信じられなかった。無論、今更そのような感慨を抱いてもどうにかなるわけでもない。

 大灯台はその周辺を倒壊した石碑に取り囲まれていた。
 天井の尖塔部分が中段から焼け落ちて内部の骨組みを露呈している。赤茶けた外壁には蔓状の植物が生い茂っていた。壁面に嵌めこまれた窓枠から煤が出た跡が見て取れる。

 「ミューク様、“運命の輪”の血統アルカナは失われてしまったのですか?」

 “運命の輪”はミュークの持つ“女教皇”と並び二十二家の血統アルカナ(渇き力)のひとつである。レムとて屍族に生まれたのだから気になるのも当然であろう。

 「ベルムード三世には後継者たる血族がおらんかった。 その“力”は消失したと考えて間違いないじゃろうな・・・」

 ミュークは複雑な表情を浮かべていた。嘗て栄華を誇った屍族の支配が衰退したのは、その繁殖能力の低さも要因のひとつだと考えていたからである。

 「他の誰かが“運命の輪”を継承した可能性はないのですか?」

 「血統アルカナはその名が示す通り二十二家其々の血脈に宿る力じゃ。 それを他の器に移すことは禁忌とされておるが・・・前例がないわけではないの」

 ミュークは表面上の否定をし、その可能性があることだけを示す。そして、ひとり倒壊した石碑へ歩み寄る。ミュークは静かに瞑目すると懐からプリウスの実を数個とりだし、それを掌中で握りつぶした。
 赤い雫がミュークの手首を伝い崩れた石碑に零れ落ちる。それは石面にゆっくりと染み込み、周囲の闇と同化していった。

 「滅びへの手向けなど低俗で愚かしい所作じゃが・・・」

 ミュークは自分自身を皮肉るように呟く。

 「……ミューク様?」

 レムはそんなミュークの姿に複雑な心境であるようだった。気遣わしげに背後から様子を窺う。

 「心配は要らぬ。 ただの嫌がらせじゃよ」

 ミュークは破顔すると、双子の元へ戻ろうとし―――不意に空を見上げる。

 東の空で雷鳴が轟いていた。
 それから幾許もせずに、夜の帳に包まれた世界を白い筋が埋め尽くした。

 「わ、わ――――――っ!!」

 突然の豪雨に、レムは罠にかかった子ネズミのようにジタバタと慌てだす。

 雨風を避ける為に、ミューク達は倒壊した大門を乗り越え大灯台へと潜り込む。
 内部は外界より更に深い闇に包まれていた。撃ちつける雨粒の量は少ないが、半壊した天井は最上階まで抜け落ち、その役目を十分に果たしてはいなかった。ミュークは闇に目が慣れるのを待ち、雨露を凌げそうな場所を探す。周囲は闇に包まれてはいるが、屍族はタペタム層を網膜の下に有する事により暗視の力を持つ。しかし、その力もまた万能ではない。光の全く存在しない空間で、細かい作業を行う事は不可能だ。
 注意深く観察すると、半壊した螺旋階段の支柱周りの階層部分だけは瓦解せずにその形状を保っている。ミュークは双子を促すと足早に崩れかけた雨除けの下に退避する。一時的に雨露を凌ぐにはこれで十分事足りそうに思えた。

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※推敲はフリーページ内で行ないます。

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Last updated  2008/09/07 07:35:57 AM


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1-02【古怪】
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2-00【老卿】
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2-02【我意】
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3-01【鷹眼】
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3-03【船旅】上


3-04【船旅】下


3-05【真実】


3-06【魂牢】上


3-07【魂牢】中


3-08【魂牢】下


3-09【神娘】


3-10【聖座】


3-11【終焉】完


【†ミューク篇†】推敲中


Ж―†【月ノ章】†―Ж


0-00【屍族】


-0-01【双子】上-


-0-02【双子】中-


-0-03【双子】下-


1-00【日常】


1-01【慧眼】


1-02【聖船】上


1-03【聖船】下


1-04【妹姫】


1-05【脱出】


-1-06【余談】-


2-00【呪地】


2-01【灯台】上


2-02【灯台】中


2-03【灯台】下


2-04【国境】


-2-05【女難】-


2-06【幻影】


2-07【血渇】


2-08【転換】


3-00【金策】


3-01【月兎】


3-02【思惑】


3-03【水都】


3-04【天敵】


3-05【語部】


3-06【捕竜】


3-07【取引】


3-08【取引】


3-09【取引】


3-10【凶刃】


3-11【凶刃】


3-12【凶刃】


4-00【迷途】


4-01【因縁】


4-02【再会】


4-03【技師】


4-04【出立】


4-05【奇縁】


4-06【真因】


4-07【霊廟】


4-08【奈落】


4-09【奈落】


4-10【祟神】


4-11【祟神】


【†ラグナ篇†】


Ж―†【血ノ章】†―Ж


0-00【夜娘】


0-01【血契】


4-00【囚姫】


4-01【変節】


4-02【目的】


4-03【煙街】


4-04【接触】


4-05【屍妹】


4-06【呪獄】


4-07【姫妹】


4-08【姫妹】


なぜなに吸血鬼


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