『†Princesse du sang†』 月ノ章 2-06【幻影】
月ノ章 2-06【幻影】
―ミュークSIDE―
全てが漆黒に塗り込められた始原の闇。 自分自身が目を開けているのかさえ定かではない。 何処を見渡しても闇のみが蠢く虚無の世界。
ミュークの意識は常闇の一部に溶け合うように微睡んでいた。
―――…カチ……カチ
何かを感じた。
『……音?』
―――カチカチカチ
それは、一定の間隔で音階を刻み続ける。 ミュークは脳内に反響するその音を頼りに、自分の存在を知覚していた。
―――…カチカチ
……
―――……さま
…………?
「ぅ……ん?」
微かに身じろぎをして、ひとりの少女が目を覚ました。
天蓋付きの寝台から身を起こす少女。 片手で紗幕を払うと、ぼんやりと濁った紅眼だけを動かし、瀟洒な調度品が並ぶ室内を見渡している。
「ミュークお嬢様」
少女の虚ろな視線が、足元で傅く人物へと落ちる。 声の主は、黒髪を肩口で綺麗に切り揃え、屍族特有の青白い肌に前掛け型の仕事着を纏っていた。 僅かな逡巡の後、そのうら若い娘が、この古城に傅いている下級屍族の使用人であることを思い出す。
「お身体の具合は如何ですか?」
先日、母親の提示した条件を呑み、二十二家に伝わる夜を継承した少女の身体は、数日の時を経ても尚極度の疲労を訴えていた。
「案ずるなや…多少、気色は優れぬがそれだけじゃ」
その言葉通り額に掛かる前髪を気怠げにかき上げる少女。
「あ、あの…、アルフォンヌさまがお呼びになっておられます」
召使の娘は、少女の紅眼が放つ排他的な翳に怯えるように身を震わせた。 加えて、言付けの内容が主人の機嫌を損ねる可能性をよく理解しているのだろう。
「あの女がかや? どうせまた聞くに堪えない雑音の類じゃろう」
少女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、一糸纏わぬ姿で大理石の露台へと歩み出る。 腰まで届く長い栗色の髪が吹き寄せる風に散り散りに乱されるが、気にする素振りもない。
「(人族の祝祭に、なぜ屍族であるワチキが参列せねばならぬじゃ…)」
アルフォンヌの抱く所懐は聞くまでもない。 近日、王都で開催される記念祭への参加を強要する腹積りであろうことは、少女にも容易に推量できた。
「ワチキは愚劣で低脳な人間共と馴れ合うつもりは無い、とでも―――いや、まて」
少女は己の心裡に蟠る不快感を吐き捨てようとして、ふと思い止まる。 まるで、悪戯を思い付いた子供のように、その血色の口唇がゆっくりと吊り上がる。
「ワチキも王国の禄を喰み、特権を享けた身であるからな。 遅れるが王都には必ず参上すると、あの女には伝えておけ」
先程までの不服気な調子は完全に消失し、柔和な笑顔で少女は振り返る。 紅と蒼、天上に輝く双月を背後に、その紅眼は危険な燐光を宿していた。
・
・
・
『愚かな…』
血を吐くような思いで過去の幻影を見下ろすミューク。
だが、そんな感慨も一瞬―――再び意識が闇と混濁する。
・
・
・
―――カチカチカチ
・
・
・
―――…カチカチ
「……弱さとは悪じゃ」
聞きなれた声に呼び起こされるように、ミュークの意識が“少女の世界”へと接触する。
そこは人族最古の王国ヤガ=カルプフェルト。 雷鳴が乱舞する曇天の下、屍族の少女は首都リューゲルトの中央街路を大股で歩いていた。 昨夜まで、建国記念祭を祝して華やかに彩られた街角は、今や血臭に満ち、降りしきる雨に叩かれた人血が、赤い血飛沫をあげている。
「ふん」
少女の冷たい双眸にも血反吐と嘔吐物を撒き散らしながら、断末魔の苦悶に喘ぐ人族の姿が複数映り込んでいる。 それは指物、地上に再現された地獄絵図とでも例えるべきか。
「(使い捨ての玩具程度と概算しておったが、あの男―――ナシュードといったか……思わぬ拾い物だったようじゃな)」
驚くべきことに、少女にとってこの凄惨な光景は、ただの予定調和でしかない。
惨状を鑑みるに、ナシュードの計画は滞りなく遂行されているのだろう。
「ふむ、これは赤砂蜥蜴の毒か……」
其処彼処で朽ち果てた遺体の状況から少女はそう判断した。
赤砂蜥蜴の毒は即効性の致死毒ではない。 宿主の体内に毒巣を生成後、内側から細胞を枯死させる寄生毒素である。
「(大方、都市の水瓶である地下貯水池に、件の毒が投げ込まれたのだろう)」
水道橋によって齎された新鮮な水は、無味無臭の毒水となり、地下水路を通じて街中に運ばれた。 少女の明快な頭脳は、ひと目で正鵠に近い所感を導き出す。
「王位を簒奪された前国王の息子らしいが、人の世の宿業とは螺旋の如く巡るらしい」
少女は鮮血が齎す高揚感に突き動かされるように高らかに哄笑を放っていた。
・
・
・
そこで、再びミュークの意識が少女のそれと切り離される。
『ナシュード…』
その名を忘れる筈も無い。 人族を虫けら同然に捉えていたミュークにとって、初めて興味を抱いた人間の固体がナシュードだった。
あの日、ミュークはウィズイッドの居城の周辺に広がる古代樹林で、今にも朽ち果てようとしていた人族の青年を拾った。 それは、彼女にとって、傷ついた小動物に対し一時の保護欲を抱いたに過ぎない小事だった。 故に、男の世話を使用人たちに下名したまま、その存在も程なく失念してしまう。
数ヵ月後、傷の癒えた男が請うてきた拝顔を容認したことも道楽の一環であった。
男はナシュードと名乗った。 その名にはミュークも聞き覚えがあった。 数年前、王宮で大規模な火災が起こり、その際、前国王オルフと共に、焼死したとされる一粒種の王太子と同名であったからである。
ナシュードの口から語られた真実は、不精と怠惰に時を重ねていた屍族にとって実に興味深いものだった。 ミュークは彼を傀儡として操り、人の世の混乱を存分に興じようと考えた。 それは、暇潰しの戯れ程度のものであったのだが、ナシュードの苛烈なまでの利己性は、ミュークの玩弄物として収まる器ではなかったのである。
ミュークはそれと知らずに、ナシュードの裡に眠る“野心”という名の竜に、天を目指す翼を与えていたのだった。
『いや、今にして思えば、ナシュードという固体の裡に、己と同質の“何か”を見出したからやもしれぬ』
ナシュードはミュークも与り知らぬ謀計を着々と張り巡らせていた。
先ず、ナシュードは赤砂蜥蜴の猛毒を用いた大禍を引き起こし、王国に疑心暗鬼の楔を打ち込んだ。 その後、現政権内で虐げられていた父の側近だった者達との気脈を通じ、政治的術策を用いて王宮内の反乱分子を纏めあげた。 更に彼は国民共通の“仮想敵”を用意する。 屍族との共存を図るといった旧態依然たる社会体制に不満を持つ不穏分子を煽り、あの大量虐殺の全てを屍族の犯行と位置づけ、現王政から民意を遠ざけたのだ。 諸侯や市民の推戴を得たナシュードは屍族を討伐する救国の英雄―――正当なる王位継承者として新政府を確立した。 王権を担うに値する人間の殆どが毒害されていたこともあるが、ナシュードは自身の才覚でその全てを成し遂げていた。
その後、間も無くして、ミュークの母アルフォンヌ・ウィズイッドは屍族との共存を目指した旧穏健派の裏切りによって処刑されることになる。 しかし、アルフォンヌの生死に関しては、もうひとつ、真しやかな噂が囁かれていた。 それは、彼女の該博深遠な知識を惜しんだ者達の手により“首人”と化し生き永らえているといったものだ。
ミュークが事の成り行きを知り得たのは、ヤガ=カルプフェルトを逃げ延びた後であった。
『母上を死地へと追いやったのはワチキじゃ…』
リュズレイの三姫記 -光と月ノ章- 5-00【… 2016/05/01
リュズレイの三姫記 -血ノ章- 4-08【姫妹… 2016/03/08
リュズレイの三姫記 -血ノ章- 4-07【姫妹… 2016/02/21
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人物紹介
【人族世界】
アダマストル公国
聖アルジャベータ騎士団
メナディエル聖教
その他
【屍族世界】
ウィズイッド家
用語辞典
一般用語
夜ノ章【短編集】
0-00【炎神】
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| 13/05/05(日) |
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| 13/05/04(土) |
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| >>光ノ章 2-06【霊廟】b |
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| 10/04/15(木) |
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| >>光ノ章 2-03【涜聖】a |
| 10/03/26(金) |
| >>光ノ章 2-02【我意】 |
| 10/03/01(月) |
| >>光ノ章 2-01【籠姫】 |
| 09/06/11(木) |
| >>光ノ章 2-00【老卿】 |
| 09/06/03(水) |
| >>光ノ章 1-06【脱出】 |
| 09/04/17(金) |
| >>光ノ章 1-05【残光】 |
| 09/04/05(日) |
| >>光ノ章 1-04【蠱毒】 |
| 09/03/24(火) |
| >>光ノ章 1-03【呪夜】b |
| 09/03/17(火) |
| >>光ノ章 1-03【呪夜】a |
| 09/03/11(水) |
| >>光ノ章 1-02【古怪】 |
| 09/03/02(月) |
| >>光ノ章 1-01【神都】 |
| 09/02/19(木) |
| >>光ノ章 推敲完了 |
| 08/10/06(月) |
| >>光ノ章 0-01【世界】 |
| 08/07/16(水) |
| >>光ノ章 0-09【聖船】下b |
| 08/07/15(木) |
| >>光ノ章 0-09【聖船】下a |
| 08/07/09(水) |
| >>光ノ章 0-08【聖船】中 |
| 08/07/04(金) |
| >>光ノ章 0-07【聖船】上 |
| 08/06/30(月) |
| >>光ノ章 0-06【妹姫】下 |
| 08/06/26(木) |
| >>光ノ章 0-05【妹姫】中 |
| 08/05/30(金) |
| >>0-02【妹姫】挿絵03 |
| 08/05/28(水) |
| >>光ノ章 0-04【霊鈴】下 |
| 08/05/25(日) |
| >>光ノ章 0-03【霊鈴】上 |
| 08/05/22(木) |
| >>0-00【籠姫】挿絵02 |
| 08/05/21(水) |
| >>光ノ章 0-02【妹姫】上 |
| 08/05/18(日) |
| >>光ノ章 0-01【籠姫】下 |
| 08/05/14(水) |
| >>光ノ章 0-00【聖女】上 |
| ※以下略 |
| >> †Curse of blood†時更新 |
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| 16/01/13(水) |
| >>月ノ章 4-11【祟神】 |
| 16/01/09(火) |
| >>月ノ章 4-10【祟神】 |
| 15/12/22(火) |
| >>月ノ章 4-09【奈落】 |
| 13/08/05(月) |
| >>月ノ章 4-08【奈落】 |
| 13/07/22(月) |
| >>月ノ章 4-07【霊廟】 |
| 13/07/15(月) |
| >>月ノ章 4-06【真因】 |
| 13/07/01(月) |
| >>月ノ章 4-05【奇縁】 |
| 13/06/23(日) |
| >>月ノ章 4-04【出立】 |
| 13/06/17(月) |
| >>月ノ章 4-03【技師】 |
| 13/06/10(月) |
| >>月ノ章 4-02【再会】 |
| 13/06/04(火) |
| >>月ノ章 4-01【因縁】 |
| 13/05/15(水) |
| >>月ノ章 4-00【迷途】 |
| 11/04/01(金) |
| >>月ノ章 3-12【凶刃】下 |
| 11/03/09(水) |
| >>月ノ章 3-11【凶刃】中 |
| 11/03/03(木) |
| >>月ノ章 3-10【凶刃】上 |
| 11/02/27(日) |
| >>月ノ章 3-09【取引】下 |
| 11/02/20(日) |
| >>月ノ章 3-08【取引】中 |
| 11/02/14(月) |
| >>月ノ章 3-07【取引】上 |
| 11/02/07(月) |
| >>月ノ章 3-06【捕竜】 |
| 11/01/23(日) |
| >>月ノ章 3-05【語部】 |
| 11/01/18(火) |
| >>月ノ章 3-04【天敵】 |
| 11/01/12(水) |
| >>月ノ章 3-03【水都】 |
| 10/01/07(金) |
| >>月ノ章 3-02【思惑】 |
| 10/12/22(水) |
| >>月ノ章 3-01【月兎】 |
| 10/12/18(土) |
| >>月ノ章 3-00【金策】 |
| 10/02/23(火) |
| >>月ノ章 2-08【転換】 |
| 10/02/16(火) |
| >>月ノ章 2-07【血渇】 |
| 10/02/07(日) |
| >>月ノ章 2-06【幻影】 |
| 10/01/27(水) |
| >>月ノ章 2-05【女難】 |
| 10/01/21(木) |
| >>月ノ章 2-04【国境】 |
| 09/11/16(日) |
| >>月ノ章 2-03【灯台】c+ |
| 09/11/10(火) |
| >>月ノ章 2-03【灯台】下c |
| 09/11/09(月) |
| >>月ノ章 2-03【灯台】下b |
| 09/11/03(月) |
| >>月ノ章 2-03【灯台】下a |
| 09/10/22(木) |
| >>月ノ章 2-02【灯台】中ab |
| 09/10/01(木) |
| >>月ノ章 2-01【灯台】上 |
| 09/09/27(日) |
| >>月ノ章 2-00【呪地】 |
| 09/09/15(火) |
| >>月ノ章 1-06【余談】 |
| 09/08/31(月) |
| >>月ノ章 1-05【脱出】ab |
| 09/08/24(月) |
| >>月ノ章 1-04【取引】 |
| 09/08/07(金) |
| >>月ノ章 1-03【聖船】b |
| 09/08/04(火) |
| >>月ノ章 1-03【聖船】a |
| 09/08/02(日) |
| >>月ノ章 1-02【聖船】a |
| 09/07/14(火) |
| >>月ノ章 1-01【慧眼】 |
| 09/07/09(木) |
| >>月ノ章 1-00【日常】 |
| 09/06/21(日) |
| >>月ノ章 0-03【双子】 |
| 09/05/12(火) |
| >>月ノ章 0-02【双子】ab |
| 09/05/01(金) |
| >>月ノ章 0-01【双子】ab |
| 09/04/26(日) |
| >>月ノ章 0-00【屍族】b |
| 09/04/26(日) |
| >>月ノ章 0-00【屍族】a |
| 08/10/01(水) |
| >>月ノ章 1-00【兎姫】 |
| 08/09/26 (金) |
| >>月ノ章 0-09【潜入】 |
| 08/09/20(土) |
| >>月ノ章 0-08【死海】 |
| 08/09/12(金) |
| >>月ノ章 0-07【灯台】 |
| 08/09/07(日) |
| >>月ノ章 0-06【凶兆】 |
| 08/08/27(水) |
| >>月ノ章 0-05【翼竜】 |
| 08/08/10 (日) |
| >>月ノ章 0-04【双子】下b |
| 08/08/07 (木) |
| >>月ノ章 0-04【双子】下a |
| 08/08/04 (月) |
| >>月ノ章 0-03【双子】上 |
| 08/06/13(金) |
| >>月ノ章 0-00【屍族】 |
| 08/06/07(土) |
| >>月ノ章 0-02【闇商】下 |
| 08/06/05(木) |
| >>月ノ章 0-01【闇商】上 |
| ※以下略 |
| >> †Curse of blood†時更新 |
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|---|
| 16/03/08(火) |
| >>血ノ章 4-08【姫妹】 |
| 16/02/21(日) |
| >>血ノ章 4-07【姫妹】 |
| 16/02/06(土) |
| >>血ノ章 4-06【屍妹】 |
| 15/10/25(日) |
| >>血ノ章 4-05【屍妹】 |
| 13/04/30(火) |
| >>血ノ章 4-04【接触】 |
| 13/04/16(火) |
| >>血ノ章 4-03【煙街】 |
| 13/04/06(土) |
| >>血ノ章 4-02【目的】 |
| 13/03/29(金) |
| >>血ノ章 4-01【恋敵】 |
| 11/04/11(月) |
| >>血ノ章 0-01【血契】 |
| 11/04/03(日) |
| >>血ノ章 4-00【囚姫】 |
| 11/04/02(土) |
| >>血ノ章 0-00【夜娘】 |
| ※以下略 |
| >> †Curse of blood†時更新 |
| 血ノ章【ラグナウェル編】 |
|---|
| 0-00【夜娘】 |
| 0-01【血契】 |
| 4-00【囚姫】 |
| 4-01【変節】 |
| 4-02【目的】 |
| 4-03【煙街】 |
| 4-04【接触】 |
| 4-05【屍妹】 |
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