Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 //////////////////////////////////////////////////// (その6) 6月5日:ブサコ(135km)ナザレ(34km)オビドス(132km)ロカ岬(42km)リスボンナザレ岬と眼下のナザレ海岸へ絵のように美しいと言われるポルトガル屈指のナザレの海岸。断崖には、マリア像を祀る教会と、見渡す限り続く広幅の砂浜海岸。波打ち際まで、200m位有ろう美しき砂浜に、数百羽の鴎、、、私達が歩く姿を見つけ、一斉に好天の青空、大西洋方向に飛び立った。一瞬、空が鴎で黒くなった。夏にはヨーロッパの保養客で凄い賑わいになるという。オビドス 1228年時のデニス王が、スペインから迎えたイザベル王妃にプレゼントした城塞都市。19世紀までポルトガル王妃の直轄地「王妃村」と呼ばれたそうな。1周、徒歩30分程度の小さい城塞都市ながら、オレンジ色の屋根、白壁、、狭い道には、花々木々。丁度、壁を這うように薔薇や赤いブーゲンビリァが満開。美しいお姫様がお住まいになるような中世の面影を残すお伽の国の街並み。此処の路地裏で自由昼食。名物、お勧めのイワシの岩塩焼きとシーフードリゾットを頼む。何だかパサパサで痩せたイワシ4匹、リゾットは、鱈と生煮えの細長い米。ワイン1杯飲み、2人で5000円位の高い昼食であった。 ロカ岬博学、雑学選手権への質問?「ロカ岬とは?」。答えは、「ユーラシア大陸最西端の岬」。岩壁眼下は、断崖絶壁の海、、、大西洋が広がる。この日、その大西洋からの吹き挙げてくる強い風が耳元で唸り声を挙げている。 ポルトガルの詩人:カモンイスによる「ここに地終わり、海始まる」の石碑がある。不便な場所で、訪れる人も少ない。ジャカランダ「世界三大花木」と言われるジャカランダ。桜やアカシアの花弁に替え、薄紫色の淡い感じの花が満開、その並木道を想像下さい。桜満開の華やかさは無いが、何と言えぬ奥ゆかしき風情。あちらでは、随所で満開。昔、誰かが歌った「アカシアの雨がやむとき」を口ずさむ。気候の違いから日本への移植は無理と現地で教わったが、なんとポルトガルと姉妹都市である熱海市が、平成26年「ジャカランダ遊歩道」として、106本植えこみ済みとか。6月が見頃である。なお、「南アフリカのジャカランダ並木道が最高とツァー仲間が教えてくれた。 首都:リスボン に到着夕食を兼ね、「ファドディナーショウ」。「ファド」とは、ポルトガルの民族歌謡。人間の心の奥底に潜む心情、即ち、「宿命」とか「運命」とかを表現する大衆歌謡。100人位入ろうかという地下レストラン。壜1本のワインと3点食(焼きチキン、ジャガ、チョコレートムース)、、、、、最初に民族舞踊。次に歌、若い女性が前座で、主役は60歳位の男性。弾き語りのギターに合わせ歌う。切なく、心悲しくなるような雰囲気の歌との事であったが、自慢の声で朗々~と歌い上げ、狭い会場は、手拍子、歓声で大変な盛り上がりであった。 ★ (その7) に続く★
Jul 19, 2015
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★ 北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 //////////////////////////////////////////////////// (その5) 6月4日: ポルト市内観光(116km)コインブラ(31km)ブサゴ泊 ポルト:リスボンの北300km、ドウロ川の河口都市。背後に「ポートワイン」の大産地。因みに、ポルトガルのワイン生産量は、世界第7位。川岸にある、1790年創業のワインメーカー「サンデマン」を見学。我ら世代での葡萄酒と言えば、壽屋(1907年創業。現:サントリー)の「赤玉ポートワイン」。これこそが、本物のワインと信じる世代*であり、この発祥ヒントは、この「ポルト」との事。 葡萄の発酵、熟成過程でブランデーを添加する独特の醸造方法により、濃厚、完熟、芳醇な風味。ちょっと、甘味があり、食中と言うより、食後の団欒、一服にふさわしい。 「サンデマン」壜のシールには、スペインの広幅帽子を被った、黒マントの男性が印刷されている。 試飲はご自由に、、、と言うことで、口に含めば、、、芳醇ながら、濃厚な果実酒、濃くのある甘み。これが、あの「赤玉ポートワインの原点」かと思うと、妙な感慨となる。 なお、ワインと言えば忘れてはいけないのが、壜栓のコルク。液体は通過させないが、微妙な通気性があるのがコルクの特色。ポルトガルのコルク栓は、世界の70%強の独占的シェアーであるそうだ。コルク樫の樹皮を、数年毎に削り形成。安価なワインとかのコルクは、スポット抜けなかったり、崩れて粉々になる。それは、低品質とかクズを固めたコルクにより封栓されているからだとも言われた。 (*余談であるが、いまだに、ワインは、壽屋の赤玉ポートワイン、チーズは雪印のプロセスチーズ、ビールはキリンのラガービールが、本物の味と思い込んでいる。なお、「赤玉ポートワイン」は、昭和48年ポルトガル政府からの商標権抗議で、「赤玉スイートワイン」に改められている。) (ポルトガル等の食事) 大西洋に面した海の食材、地中海性気候での野菜類が主体。オリーブや葡萄栽培の好立地。特に食材の持ち味を生かしたシンプルな名物料理と事前説明、、、 私達が食べた海の幸、蛸、、イワシ、、干し鱈、、、。バカリャウ(干し鱈をほぐし、ジャガイモ又は米と焼く、又は、茹でる)、イワシの丸ごと岩塩焼き4匹/人、柔らかい蛸サラダ、、、千切りキャベツ入りスープ、肉類は希少で鳥、羊等。「安いツァー」と言われればそれまでだが、、、3点食(サラダ又はスープ、メイン食、デザート)。 近時の海外旅行は、かなり豪華なクルーズ食だっただけに、かなり質素な食事模様であった。 コインブラ:コインブラ大学 (図書館、礼拝堂)訪問 1290年設立。欧州屈指の名門国立大学、世界遺産。2万人強が学ぶ。特に、「世界一美しいと言われる図書館が圧巻。金箔塗の書架に収められた、16~18世紀時代の分厚い皮製本の書籍30万冊以上。 何となく黴臭く、漂う空気が重い。これらの時代の知識、学識、知性が収蔵本に集約されていることを思うと、自然にため息がでて厳粛にもなる。近所の区立図書館を思い出すと、、、負けたぁぁ、、、で、、、ある。 元宮殿の 「プサコ パレス ホテル」 ☆☆☆☆☆に、宿泊 コインブラからバスで30分程の「プサコ国立森林公園」の山深い森林地域の曲がりくねった山道を走り行くと、突然、目の前に現れる。16世紀位からの修道院とポルトガル王朝家の狩猟用、夏の離宮として再建築されたが、1908年の国王と皇太子の暗殺、1910年の革命に因り、王家が使用しないままに放置。現在では、「5☆ホテル」として再生されている。 とにかく、規模はそれ程大きく無く、金張り、ピカピカの絢爛の派手さは無いが、欧州屈指の王家筋の離宮だけあって、重厚豪華そのもの。内装の豪華さ、大階段エントランス、晩餐会室の高い天井、整備された庭を見晴らす天蓋付きテラス、とにかく、荘厳、重厚な雰囲気が漂う。 身の程知らずながら、2階テラスの椅子に佇み庭を、眺めれば、、、薔薇や紫陽花が満開。これが王侯貴族等貴人と言われる方々が、日常に俯瞰できる景色、世界であるようだなと感嘆しきり。エリザベス女王夫妻とか日本の皇太子も訪問されたとの事である。 その夜の食事は晩餐会場。高い天井と壁画、彫刻、頭上に燦然と輝くシャンデリァ。まさに映画で見るような宮廷晩餐会仕様。正装の男女ウェイター多数、見事な食器。ちょっと、おしゃれをして参加。でも、この日のデイナーも、寂しい3点食 (キッシュ、スズキのムニエル、チョコクルミケーキ)。2度と訪れることが無いであろうこの雰囲気で、「フルコースを食べたかった」と、今でも、悔しい思いでもある。 (その6) に続く★
Jul 18, 2015
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★ 北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 //////////////////////////////////////////////////// (その4) ★ 6月3日: ポルト (230km) サンチャゴ デ コンポステーラ (230km) ポルト 泊 サンチャゴ デ コンポステーラ のカテドラル(大聖堂)は、エルサレム、バチカンと並ぶ、キリスト教の3大巡礼地の1つ。 キリスト教12聖人の一人である「ヤコブ」は、イスラエルで斬首後、石の舟に乗せられ海に流された。 814年この地の羊飼いが、天使、星に導かれて「聖ヤコブの墓」なるものを発見。 カテドラル(大聖堂)は、1075年建築開始、1211年に完成している。キリスト教徒の中では、昔から聖遺物の崇拝があり、かの地への巡礼記録は、951年が最古と言う。 現在では、フランスからピレネー山脈経由した1000km、スペインを横断する800km等、4街道がある。 一日平均20kmから30kmの徒歩としても、相当の巡礼日程である。これらの簡略行程は、徒歩100km、自転車200km以上が有資格者と認定される。巡礼事務所で、巡礼手帳を購入、途中スタンプを貰いながら、4km手前の「歓喜の丘」を経て、大聖堂「栄光の門」が終着点。巡礼証明書の交付を受ける。 これが、「贖宥状(しょくゆうじょう)」即ち、罪の許し、免罪符となる。昨年は24万人の巡礼者だったと言う。交付所には、巡礼者の長蛇の列であった。 ただ歩くと言う単調な歩みの中、何を思い、何を祈り、、その道を歩いたのだろうか? 安寧、、、贖罪、、、祈り、、、感謝、、 そしてその果てに、何かを?、、、今までと違う神を、、、感じたのだろうか? ふと、、、罪多き我れ故を思い、添乗員に「贖宥状」が入手出来ないかを打診したが、、、一瞥もされず無視された。 大聖堂は、天井が壮大に高く広く深く、荘厳、厳粛。 椅子に座り、 カトリックの信者である知人から頼まれた、 「聖ヤコブへの伝言」 を口ずさむ。 その後、ぶらりと、正面主祭壇の裏側に回れば極く狭い階段あり。10数段、登れば、なんと聖人像の真裏。主祭壇投光用の残光が、強烈に私に襲った。 「あれっ、、、」そして、ふと、、我に戻ったのは、下り階段の途中。一瞬、、意識が飛んだようだ。なんか、、、不思議な気持ちがした、、、。 知人への土産、巡礼者のシンボルである「帆立貝」を購入した。巡礼者グッズは、杖、腰にぶら下げる、瓢箪(水筒の代替)と帆立貝である。 帆立貝の由来は、(1)生命の根源は「海」。その象徴。ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」(2)巡礼途中の食器代用、お布施皿。(3)海を漂流した聖ヤコブの石棺に、帆立貝がびっしり付着。聖ヤコブと同行の証。との話である。 (ポルトガルの風土:風景) 基本的に、西側は大西洋、東側はスペイン国境の山々に挟まれた丘陵地帯。地中海性で温暖な気候。緑豊かな土地柄で、農耕、オリーブや葡萄栽培の好立地。旧都心部の建物や住居は、狭い路地に林立する石造り建物、、年代は何時頃?と質問すれば、多分16世紀頃でしょう、、、とそっけない答え。周辺部にはマンション仕様が多いが、郊外は結構に広い庭を持つ一戸建て。条例で屋根の色が、オレンジに規制され、また、公園とか教会等歴史的建物が随所にあるために、近目、遠目で見ても、美しい自然、居住や街並み空間を保持している。 観光客に見える人々の生活振りも、何となくゆったりしている。決して豊かさや最先端文化文明等の派手さや興奮性はなく、、街を歩いても、穏やかな気持ちでぶらぶら出来る。特に、古い建築物の保存や広告等への規制を懸けており、自販機やコンビニ等も無く、静かな佇まいの街並みを形成している。また治安も、国そのもの自体が豊かでないこともあり他国からの不法侵入者が少ないとの事であり、そんなに頻繁、凶悪ではないらしい。ただ、コソ泥、スリ、置き引きは頻繁だという。 ★ (その5) に続く★
Jul 17, 2015
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★ 北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 //////////////////////////////////////////////////// (その3) 6月2日: リスボン (バス:145km) トマール (31km) ファティマ (197km) ポルト 泊 (域内は、全て、バスで移動) ◎トマール・キリスト修道院 (世界遺産) 1160年から16世紀に懸け建築。 キリスト教騎士団の要塞本部などの役割とか? 街中の石造りの高架水道橋、20kmとか、、 あんな時代にこんな立派な建造物にびっくり。 ◎ファティマ:マリア出現の奇跡地: 礼拝場、大聖堂:大広場 1917年5月13日昼頃、 ファティマに住む3人の子供の前に、 聖母マリアが出現。 翌月以降5か月の同日同時刻に 同地に来るようメッセージあり。 毎月マリアの出現とメッセージ。 最終日の10月13日には、 約7万人の群衆が見守る中、 天体特殊現象、各種の奇跡、 3人の子供へのメッセージ、 「3つの予言」がなされる。 これらを、新聞記者なども 目撃して大騒ぎになったらしい。 約7万人の「宗教的幻覚現象」 とも言われているが、 それこそ、「神のみが知る」事であろう。 この日、聖母マリア出現地に建てられた礼拝堂には、 祈りと奇跡を願う多くの人々が、静かに、、、静かに、、、 祈りを捧げている姿は、とても感動的であった。 毎年、5月13日と10月13日には、 数十万人の信者に因り大広場が埋め尽くされると言う。 なお、3人の子供のうち 当時10歳の女の子であった「ルシア」は、 2005年、コインブラの修道院で、 97歳で死去している。 広い世界、一訪の地でもある。 2年後の2017年、「マリアの奇跡」100年記念に 現教皇フランシスコが、来訪予定との事で 大工事中であった。 (その4) に続く ★ ★★ めいてい君の補足追加: トマールの旗<Tomar:レコンキスタのテンプル騎士団への恩賞地 であった。1314年仏王フィリップ4世の圧力で、 ローマ教皇がテンプル騎士団を異端の罪により 欧州のほとんどで廃止させた。 しかし、ポルトガル王はテンプル騎士団の 同国への貢献から、キリスト騎士団に1318年再編成させた。> ファティマの旗 ルシアほか子供3人に「3つの予言」1.死後の地獄の実在 (地獄のビジョン)2.第一次世界大戦の終焉と大戦争勃発の前兆光3.「ファティマの第三の秘密」として教皇庁に伝えられ 1960年に公表するようにと言われていたが、 2000年になって公表された。秘密の内容は、 教皇庁によると「教皇暗殺の危機」という。 聖母から教皇への要望 ・ロシアの奉献 ・人々の回心 聖母からの大奇跡 ・太陽の異常行動出現=聖母の出現 ・群衆は奇跡をこの世の終わりと考え恐怖を感じた 以後この地はカトリック信者の大規模な巡礼地となる <資料出所:WIKIPEDIAなどから> ★
Jul 16, 2015
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北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 //////////////////////////////////////////////////// (その2) 6月1日: 成田発10時55分(←---12時間30分---→)ロンドン着15時25分。 ロンドン発20時30分(←---2時間30分---→)リスボン着23時。 時差8H。延20時間。 (ポルトガルの薀蓄) 欧州イベリア半島:大西洋に面すスペインの西側隣国。 国土面積は、日本の約四分の一。南北約500km、東西約200km位。リスボンの緯度は、ワシントン、仙台付近と同じ位。 1人当たりGDPは、22千ドル。人口は約1,000万人、ほぼ単一民族。言語は、ポルトガル語。人口の95%はカトリック信者。 歴史的には、他民族、宗教(ローマ、スペイン、英、仏、ナポレオン、キリスト教、イスラム教等々)の侵略と独立闘争の連続。 1400年後半から約200年、喜望峰を経由した航路を開拓して、インド、ブラジルの発見等、世界に名だたる海洋黄金時代を築く。その後、国力不相応の海外進出負担、欧州諸国の世界進出戦略や産業の近代化に後れを取り徐々に衰退。 1910年王政から共和政治へ。その後の独裁体制、社会主義体制へ傾倒等を経て、1986年EU加盟。 あの大航海時代の栄華を取り戻すべく奮闘中であるがEUでは、ギリシャ、スペイン等と並び、債務超過国の扱いで、域内最低ランクの国の勢い。 ★ (その3)に続く ★ ポルトガル国旗:「ポルトガル」Portuguesaの由来=ローマ帝國時代からの港町「カレ港=ポルトゥス・カレ(=現ポルト)」の周辺に成立した王国 (ポルト市外にはそれ以前のケルト文化のシタデルが現存) リスボン旗:「リスボン」の由来 :Lisboa=「安全な港」リスボンの愛称:「7つの丘の街」、「海の女王」 ★ ・★ 番外のめいてい君・・////////////本文の、ポルトガルの対外(政府)純債務の大きさの参考資料です。其処に書かれている日本政府の「対外純債務」は、日本国民の節倹志向による「対外純資産」で過相殺されており、日本国全体では世界一の「対外純資産高」を誇っています。・・・ ・・・ ・・・ めいてい君は中国についての公表数字が根拠がある物かは最近では、まったく自信がなくなっています。 報道の自由度ランキングでは、180ヶ国中で、北朝鮮179位、中国は176位、と中国は最悪の範疇にあります。もっとも、日本61位、韓国60位で、日本は中位より上のランクです。ポルトガルは26位で、上位は北欧国が占めています。 //////////// 参考1:「世界の政府純債務残高(対GDP比)ランキング」 資料出所:世界経済のネタ帳 ecodb.net/ranking/imf_ggxwdn_ngdp.html ★ 参考2:主要国の対外純資産高(円換算) <資料出所:財務省>★参考3:OECD諸国の「対外純資産高」&GDP&両者の対比 (対外純資産=対外総資産ー対外総債務、であり、軍事力などは 勘案していない金銭面の数字であることをお断りします。)<資料出所:OECD、WIKIPEDIAからめいてい君 編集・加工> ★
Jul 15, 2015
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★ 北スペイン:ポルトガル へ 地味なお国柄ながら、緑豊かで、とても穏やかでした 2015:6:1~8 昨今、1年に1度位の海外旅行が 唯一の楽しみになっています。 最近10年程はクルーズが主体の旅でしたが、 今回は、何年か振りかの陸地旅行となりました。 妻は、プロテスタントのクリスチャンですが、 北スペインのサンチャゴ デ コンポステーラの カトリック大聖堂の訪問に、 昔から興味を示していました。 この大聖堂は、キリスト教の3大巡礼地 (バチカン:エルサレム) の1つでもあります。 大聖堂の4キロ手前に「歓喜の丘」があります。 巡礼者のシンボル、杖を突き、 帆立貝と瓢箪を腰にぶら下げた、 沢山の巡礼者が狭い道を歩き登り、 「残りあと4キロ地点での、ひと休み、、、」 に出会いました。 そして、、、ポルトガル、、。 現在では、あまり耳にしない お国ではありますが、ちょっと、思いを馳せれば、、、 カステラ、ボタン、コンペイトウ、テンプラ、パン、 種子島鉄砲伝来、伴天連、南蛮貿易等々 単語の由来のお国。 首都リスボンの世界発見のモザイク画の 日本地図に「1541」とあります。 約500年前には、日本として、 初めての西洋人との接触の歴史が あるほどの、古きお馴染みのお国でもあります。 小生の人生訓の1つ、豊田佐吉翁 「障子を開けてごらん。世界は広いよ、、、、」 僅か8日程の短い旅でのつたない感想ですが、 御一読頂ければ幸甚でございます。 ★ (その2) に続く★ ★//////////★////////★ めいてい君のMEMO自由が丘氏からの原稿を「文章」はコピー&ペーストで、「画像」は一旦、コピーし、それを「アクセサリ」にある「画像処理ソフト」 「ペイント」で処理(範囲選択、トリミング、保存)しています。 最初に、自由が丘氏の原稿は、WORDの新形式[.docx]であり、画像がハレーションを起こしました。これは、小生が古いバージョンのWORD(2003)しかもっておらず、[.docx]の互換形式[.doc=形だけは.docxですが]で保存したためでした。OpenOffice 4.0.1というFreeなOffice代用アプリケーションがWebに公開されており、そのなかのOpenOffice Writerで[.odt]形式で保存することで、解消しました。 ちなみに、[形だけは.docxの互換形式]では3.14MB、 [.odt]では3.16MBと僅かの違いがあります。もちろん、[.odt]では気持ちが悪いという方は、OpenOffice Writerでも正式の [.docx]で保存できるそうです。Word2007以前のWordしか持っていない小生のような方は、OpenOffice Writerを使って、保存を [.doc ]で行えば、Word2007以降のアプリで開けますので、卒論にも不便はないようです。 ★/////////★////////★
Jul 14, 2015
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★ こんな処が、今回クルーズの訪問地。★ 余りにも、著名な観光地、それも、世界遺産が多く含まれていたため、この紀行文も観光案内的記述が多くなってしまいました。★ しかし、しかし、私の主目的はアドリア海、エーゲ海クルーズ、そのもの。★ 全日、快晴、ほぼ無風。穏やかな絨毯状態の海面。気温こそ35度位の猛烈な暑さであったが、湿度が低いせいか日陰に入れば、涼しく爽やか。海面より約60mの甲板デッキ。雲一点もない青空、穏やかで様々な色、青き、蒼き、碧き色に変色する海。海の神様といわれるポセイドンの昼寝タイムのマドロミであった様な時の流れ。まさに、至福のひと時。それは、それは、美しい海、アドリア海、エーゲ海でした。★ これまで、世界で著名なクルーズに少しばかり参加しています。各地には一点豪華的な観光地が有りました。でも、しかし、この地には自然、文化、宗教、歴史、民俗等が相当に高いレベルで、至る所に存在しています。この、アドリア海、エーゲ海クルーズこそ、世界で一番美しく、完成度の高い、「ゴールデンコース」と確信いたします。★(なお、出来れば、、、ベネチアから本コースを巡り、エフェソス経由で、イスタンブールが、超最高かもしれません。)★ ベネチア発着のアドリア海、エーゲ海クルーズ、全行程は、約3500kmの船旅。★ とにかく、心が、穏やかに、豊かになる旅でもありました、、、★ 是非、皆様も、、、この楽園にどうぞ、、、、★ 失礼の段、平にお許しください、、、★ ///////////////補足//////////・MSCファンタジアの航路 エーゲ海&アドリア海クルーズ7泊8日日数寄港地入港出港距離(時速) 1日(日) ベニス(イタリア) 17:00 606km(30.3km/h) 2日(月) バーリ(同) 13:00 18:00 549km(32.3km/h) 3日(火) カタコロン(ギリシャ) 11:00 17:00 384km(24.0km/h) 4日(水) サントリーニ島(同) 09:00 17:00 238km(16.4km/h) 5日(木) ピレウス(同) 07:30 16:30 371km(18.6km/h) 6日(金) コルフ島(同) 12:30 18:30 370km(27.4km/h) 7日(土) ドゥブロヴニク(クロアチア) 08:00 14:00 557km(30.9km/h) 8日(日) ベニス(イタリア) 08:00 合計3,075km(25.8km/h) <距離は大圏距離である。カタコロンは近くのピルコスで代用した。 時速は(大圏距離)÷(出航時間-入港時間)とした。>上記は、クルーズのみに限定した行程を記したものである。現在の所は、自由が丘氏の言う超理想の(+エフェッソス+イスタンブール)のクルーズは見あたらず、これがBest Cruiseであろう。 ・クルーズ以外の空・陸の旅程往復行程距離 往路<空> 成田空港→ローマ空港 9,890km <バス> ローマ空港→ベニス 397km 復路<バス> ベニス→ヴェローナ 97km <バス> ヴェローナ→ミラノ空港 184km <空> ミラノ空港→成田空港 9,760km<距離は大圏距離> ・航空機の所要時間・スピード 往路:所用時間12時間50分 = 時速 771km/h <ナリタ→ローマ> 復路:所要時間11時間50分 = 時速 825km/h <ミラノ→ナリタ> 復路-往路スピード差 = 54km/h <Jet気流=強い偏西風による> ////// ・呆けの命題追加 <常識のある、頭のいい方は考えないでいいです> 4.Jet Stream は我々が太陽を見送る動きとは逆の動きである <自転の動きと相似形:風は軽い> 5.太平洋Plate の動きはほぼ太陽の動きと相似形 <地殻は重く粘っこいMagmaのうえに乗っかっている> //////
Aug 17, 2014
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「ミラノ」ヴェローナからバスにて2時間30分程、イタリア北部の内陸。 北に100キロ足らずに行けばアルプス山脈。 昼下がりの3時過ぎ、稚内と同じ緯度らしいが、とんでもない暑さ。 街の中心部を散策。 ミラノのスカラ座、これまたオペラの殿堂。 日本での引っ越し公演なら数万円から10万円位のチケット代。 来春の「アイーダ」の公演のポスターが貼られていた。 そして、ミラノ大聖堂:「ドゥオーモ」。 最初の礎石と打ち込んでから、完成までに500年の歳月、1813年に完成。 何本もある尖塔の高さ、静かに入場して見渡せば、その広さ、高さに圧倒される。 丁度、日曜日でもあり礼拝が静かに行われていた。 神父様の「Ave Maria」と言う単語だけが、波が押し寄せるような感じで、何回も響き、聞こえた。 クルーズ最後の記念としてミラノに30数年前、7年間駐在したと言う,Kさんの案内で晩餐会。 これ以上無き程の今回のクルーズ体験の幸運に乾杯した。 ・・・・・・・・・・・・・・・( Fin )・・・・・・・・・・・・・ 自由が丘氏の紀行文(感想を除く)はこれでおしまいです。 またの、紀行をお待ちしています・・・ ・・・・・・****補足資料:WIKIPEDIAなど ・ミラノの緯度比較 ミラノ:45.47 オタワ:45.41 稚内市:45.40 ブカレスト:44.43 サラエボ:43.85 旭川市:43.77 モナコ:43.73 マルセイユ:43.29 小樽市:43.19 ・ミラノのファッション (「Vogue」 より。 小生の知り合いも毎年、ファッションの研究に出かけたものだ。 会社名もこちら風である。東京から北海道に工場を移した際に、 ミラノと同じ緯度と 聞いたような気がする。 昔のことである。芝桜が美しい丘があった。) ・ミラノからのアルプス遠景 ・ミラノのスカラ座 ・ミラノのスカラ座のアイーダのDVD(販売Amazon) (現地に行けない小生などはこれを見るしかありませんね) ・ミラノの ドゥオーモ どうも ありがとうございました。 めいてい君は暫くの夏休み(手術入院)です。 脳幹梗塞は手術はできません。頭の手術ではなく、皮膚癌の摘出です。 2週間位だと言われていますが、ブログは当分このままでしょう。 みなさんもお体を大切に・・・
Aug 16, 2014
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ベネチア入港、下船:バスにて、「ヴェローナ」から「ミラノ」へ:(7月6日)「ヴェローナ」 ベネチアからバスで90分。 ヴェローナの市街地そのものが2000年世界遺産。 古代ローマ時代から残る円形劇場で毎年夏に開催される野外オペラ:ヴェローナ音楽祭は、オペラファンとしては聖地でもある。 家内は昔、これを鑑賞したことがあり、鼻を高くして説明して呉れた。 これ以上の人気スポットがあった。 かのシェイクスピァの「ロミオとジュリエット」のモデル地。 ジュリエットが佇んだと言う路地裏の2階バルコニー。 その前庭、相当に狭い路地裏ながら立錐の余地なき程の大混雑。 その中庭には等身大のジュリエツト立像がある。 なんとその立像の右側乳房に触れると「幸運」が訪れると言われ、触る人と写真を撮る人で長蛇の列。 なんだ、かんだの末、小生は10分程並び、右房に触れて診た。 冷たく、硬い、金属製の感触が、手に残った。 お連れさんは、「バカみたい、、、」の一言だ、、、 (その10 Fin に続く) ・・・・・・****補足:WEBより ・ヴェローナの位置 ・ヴェローナの街 ・ヴェローナ音楽祭(WIKIPEDIA) ・ジュリエットの家 ・ジュリエットの銅像 ”Romeo & Juliet” の主な登場人物 登場人物説明登場人物説明 Romeo モンタギューの息子 Juliet キャビュレットの娘 Montague 互いに憎み合う旧家の長 Capulet 互いに憎み合う旧家の長 Lady Montague モンタギューの妻 Lady Capulet キャビュレットの妻 Escalus,Prince of Verona ヴェローナの大公 Tybalt キャビュレット夫人の甥 Paris ヴェローナの貴族、大公の親族 Nurse ジュリエットの乳母 Mercutio ロミオの親友、大公の親族 Friar Lawrence フランシス派の修道士 Benvolio ロミオの親友、モンタギューの甥 Apothecary 薬屋 Balthasar ロミオの召使い ”Romeo & Juliet” あらすじあらすじ 1 平和な都ヴェローナではキャフピュレット家VSモンタギュー家という名家同士が衝突 2 ロミオはロザラインに片思いしていながら、友人に誘われキャピュレット家の舞踏会に侵入し、ジュリエットを見て一目惚れし、恋に落ちた。ただ、互いが敵同士であることも知る。 3 後日、キャピュレット家の果樹園からジュリエットの部屋の下にロミオがたどり着くと、互いの家が敵同士であることを嘆く彼女の独白が聞こえた。たまらずロミオも愛を告白。彼女は翌日使いを送る旨を告げ分かれる。 4 ロミオから相談を受けた修道士は、ロミオの変心に驚いたが、両家の不和の終焉のために手助けをする。 5 秘密裏に結婚式をあげた帰り道、ロミオはキャピュレット家のティボルトから喧嘩を売られた。自制するものの、親友マキューシオが殺され、仇を討ってしまう。 6 殺人犯としてヴェローナから永久追放されるロミオに、死刑を免れた幸運を気づかせた修道士により、初めての夜を二人は過ごした。 7 ジュリエットが結婚したことを知らない親は、パリスとの結婚話を勧める。 8 ジュリエットから相談を受けた修道士は恐ろしい策を与える。42時間の仮死状態ののち蘇る薬を使い、死者として埋葬され、目覚めたところでロミオと駆け落ちする計画。ジュリエットは結婚式前夜にその薬を飲んでしまう。 9 悲しみの葬儀を、ロミオの使者がロミオに告げると、ロミオは毒薬を求めた後、ジュリエット家に急ぐ。 10 変わり果てたジュリエットの姿を見て、ロミオも毒を飲み息絶える。 11 蘇ったジュリエットは、息のないロミオをみて全てを悟り、ロミオの短剣で自害する。 12 両家は争いの結果をもたらしたものが若い二人の非業の死であったことに気づき、悔やんで和解を誓い合い、その証として二人を祀る金の像を建立することを約束。 ・・・幕・・・ ・ウィリアム・シェイクスピア(WIKIPEDIAより) (イングランド、ストラトフォード・アボン・エイヴォン) ・絵画「ロミオとジュリエット」フォード・マドックス・ブラウン作(WIKIPEDIAより)
Aug 15, 2014
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ドゥブロヴニク:(7月5日) アドリア海の東側、クロアチア:最南端部の街:ドゥブロヴニク:1979年:世界遺産。 「アドリア海の真珠」と言われし程の傑出した観光地。 天然の良港と豊富な水に恵まれ、15から16世紀にかけ大変に繁栄し、富が蓄積した海洋貿易都市。 その恵まれた地勢、地力の為、近隣諸国から狙われ、度々の戦禍、占領(ナポレオン、ナチス、イタリア等)に遭遇。 第二次大戦後はユーゴスラビア社会主義共和国に編入されるも、1990年分離独立。 しかし、1991年ユーゴスラビアからの壊滅的、悲劇的な攻撃を受け、旧市内建物の70%が破壊される。 1995年戦闘終結により建物修復と平穏さを取り戻し、現在では、有数の観光地としての名声を回復させている。 旧市街を取り囲む城壁の長さは、僅か1900m。 約1時間30分位で、ゆっくり1周できる。 城壁の高さは、20m位あり、市内の建築物をその高さから俯瞰することが出来る上、反対側のアドリア海の絶景を見渡せる。 路地裏のレストランで昼食。 生の牡蠣は絶品。 山盛りの蛸、ムール貝サラダ、そして、喉を潤すソアベの白ワイン、何とも、美味であった。 城壁の内側には、現在でも住む人が多く、狭い段々上の庭に花を植えてあったり、そして竿一杯に、何でもありの洗濯物が干された家もあり、人の温もりをまじかに感じさせる世界遺産でもあった。 (その9に続く) ・・・・・・****補足:WEB写真集より ・クロアチアの中の ドゥブロヴニクの位置(WIKIPEDIAなど) ・Google Map ・ドゥブロヴニク旧市街 ・ラグーサ共和国(=岩山の意)→ ドゥブロヴニク(=樫の木の意) ・バーナード・ショー: 「この世の天国を見たければ、ドゥブロヴニクに行かれよ。」 ・愛称 「アドリア海の真珠」、「世界の宝」 ・ロブリイェナツ要塞の入り口にラテン語で刻まれた文字 ”Non Bene Pro Toto Libertas Venturi Auro” 「いかなる黄金を以てしても自由を売り渡してはならない」 ・要塞は海面から37mの岩山に立つ ・ミンチェタ要塞(最高所にある): 以下はcroatia.kororo.jpより ・ミンチェタ要塞からの展望
Aug 14, 2014
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コルフ島;アヒリオン宮殿:(7月4日) エリザベート王妃(1837-1898)の晩年1891年建設の避暑地宮殿。 見晴らし抜群、、絶景、、、オーストリア帝国:ハブスブルグ家の若き皇帝に見初められたドイツバイエルン地方公爵の次女シシイ、16歳で結婚。 ヨーロッパで最も美しい皇后と言われながら、窮屈な宮廷生活に馴染めず、欧州各地を転々、流浪、逃避、転地療養の生活。 その、波乱に満ちた人生は、1992年、ミュージカル「エリザベート」として上演されている。 小生は、2005年ウイーンの劇場で、そして帰国後、帝国劇場の東宝版を見ている。 王妃最後の衝撃的な、悲劇シーンまで、息を付かせず、しかも、躍動的、立体的で、面白い作品に出来上がっており、必見のミュージカルでもある。(その8に続く) ・・・・・・****補足:WEBより ・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世皇后&ハンガリー王妃 エリザベート(エリーザベト) 1837.12.24-1898.9.10 バイエルン公爵夫人: 「バイエルンの薔薇」 1867年ハンガリー王妃戴冠時 ・シェーンブルン宮殿とウイーン市街(グロリエッテから望む) (シェーン=美しい+ブルン=泉; 主に離宮として利用された。 外壁は金を塗ろうとしたが財政難で黄金に近い黄色にした) ・宮殿より丘の上のグロリエッテを望む (カフェがあります) グロリエッテ:対プロイセン勝利・戦没者慰霊 ギリシャ建築記念碑(未完成) ・健康美を保つための個人用アスレチック・ルーム ・ミュージカル・エリザベート <ウイーン> <東宝> ・ドイツのバイエルン州(州都:ミュンヘン) ・ギリシャのコルフ島 (コルフ島はギリシャ本土の西側にあり、イタリア南部と結ぶ線上にあり、 ケルキラ島とも呼ばれる。要衝として争奪の舞台になった。 ケルキラ<=コルフ>市はイオニア諸島地方の首府で、旧市街は 世界遺産登録。) ・ ケルキラ市街 ・アヒリオン離宮 アヒリオン=アキレイオン=アキレウスの館 アキレウス:神話トイア戦争の英雄(=女神と人間の青年の子) (離宮:通路から玄関へ) (この離宮の主人) これ以上の離宮内部は有料らしく現地で実物をご覧下さい。 ・本文には無いがその他のエリザベート・ミュージカルなど<宝塚大劇場> <少女漫画・森川久美さん> あとは、Amazon.co.jp で「エリザベート」を検索下さい。
Aug 13, 2014
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アテネ:(7月3日)ギリシャ:ピレウス港からアテネ中心地へ。 そのど真ん中、海抜150m、アクロポリスの丘に建つ古代ギリシャの神殿。 紀元前400年代に建設、高さ70m、幅30mの神殿跡の残柱が点在し残る。 眼下を喘ぎるものなしの丘陵に聳える神殿、その威容、壮大さは、圧巻。 しばし建設当時を想像すれども、脳みそが追いつかない。 その入り口、下あたりの小さい丘が、巡礼に出たパウロ説教の丘として聖地になっている。 そして、アテネと言えば、2004年オリンピック。 現地ガイドは、オリンピック競技場近くで、女子マラソンを見学していたという。 有力選手は、ラドクリフ、ヌデレバ、高橋尚子(*)等。 もの凄い暑さの中、一番先に耳にしたのは、Japan、Japanのざわめき、目にしたのは、何とも小柄、、150センチ足らずの 野口みずき。 あれには、、びっくりしました、、、と、言う。 (その7に続く) ・***補足:WEBより ・アテネ・ピレウス港位置 ・アテネ・ピレウス港景色 ・アテネ・アクロポリス丘 ・アテネ・パウロ説教丘 ・******・ 女子マラソン有力選手について;・・・・選手名(ギリシャ大会成績、国籍、生年月日、身長、体重、 世界陸上成績、オリンピック成績) ・ラドクリフ選手(途中棄権、英国、1973.12.17生まれ、173cm,54kg、 世界陸上2005年金メダル) <参考:女子1万m:世界陸上1999年銀メダル、欧州陸上2002年金メダル> ・ヌレデバ選手(銀メダル、ケニヤ、1972.7.21生まれ、160cm,45kg, 世界陸上2003年、2007年金メダル、2005年銀メダル オリンピック2004年、2008年銀メダル) ・高橋尚子選手(*出場ならず、日本、1972.5.6生まれ、163cm,46kg オリンピック2000年金メダル、アジア大会1998年金メダル) ・野口みずき選手(金メダル、日本、1978.7.3生まれ、150cm,40kg 世界陸上2003年銀メダル、オリンピック2004年金メダル) 見事に栄冠! 金メダル 日本はもっと彼女を褒めるべきだった!!! <当大会には野口みずき:金メダルのほか 土佐礼子:5位、坂本直子選手:7位が出場している> 日本陸連、マスコミetc.は高橋尚子選手のシドニー五輪の偉業を引きずりすぎたのでは。 ・アテネ五輪の日本人選手の金メダル16個の内訳 (銀9個、銅12個は省略)種目クラス金メダリスト 男子柔道 60kg級 野村忠広 66kg級 内柴正人(*) 100kg超級 鈴木桂治 女子柔道 48kg級 谷亮子 63kg級 谷本歩実 70kg級 上野雅恵 78kg級 阿武教子 78kg超級 塚田真希 競泳男子 100m平泳ぎ 北島康介 200m平泳ぎ 北島康介 競泳女子 800m自由形 柴田亜衣 ハンマー投げ 室伏広治 レスリング女子FS 55kg級 吉田沙保里 63kg級 伊調馨 女子マラソン 野口みずき 体操男子 団体総合 鹿島丈博、水鳥寿思、中野大輔、冨田洋之、塚原直也、米田功(上記の内で内柴正人は有罪で永久追放)
Aug 12, 2014
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サントリーニ島:(7月2日) それは、 それは、クレオパトラ並の絶賛、讃美、称賛、、、 パンフレットには、「世界で最も美しい島」「世界で最も美しい街並み」「世界で最も美しい夕陽」。 エーゲ海に浮かぶ火山噴火跡、カルデラ湾状の三日月型小島に、ゆっくりと船は近づく。 横に長く連なる断崖絶壁の頂上付近は、雪が冠上に積もったように真っ白。 真夏のギリシャ、こんな処で残雪? なんて思いながら船が近づき見れば、なんと、冠雪でなく、白壁の家々の連なり群立、密集。 断崖絶壁を、L字型に刳り抜き、そこに建屋建設。 よくぞここまでのびっしりと建設したか? の街並み。 海抜400m、イア岬の突端。 エーゲ海は夏、快晴、海風微風。 空はどこまでも、どこまでも青く、遠く、眼下に広がる海はどこまでも、どこまでも碧く、広い。 私達を囲む白壁の家、家。 そんな中に、ぽっん、ぽつんと青いドーム型屋根の教会。 テレビコマーシャルで良く見るカット。 絵葉書にみたいに美しいと言うが、この景色は絵葉書以上、息を忘れる絶景である。 この島は、幻の大陸:アトランテイス伝説の島とも、ヨーロッパ最古の文明発祥の地とも言われる、洋上の理想郷とも言われている。 そんな興奮が冷めやらぬまま、断崖絶壁の絶景レストランで、山盛りの蛸サラダとピザの昼食。 眼下の船着場までの帰りは、ケーブルカーで下壁を予定。 退出すれば、なんと、なんと、ケーブルカー職員の時限ストライキとかでケーブルカーはストップ。 その為、海抜400mから、ジグザク状に切り込まれた急な、狭い坂道を歩いて下ることになった。 その道は、観光客徒歩で上下のロバ道でもある。 大理石を敷き詰めた滑る道、ロバとのすれ違い、それより閉口したのは、道路に散逸する「ロバの糞」。今排出したばかりの山盛りと乾燥、粉々の糞。 まさに散々と言うか、糞々の45分であった。 地球上の理想郷の地と言われる:サントリーニ島。 夏場の最盛期、ホテルは、1室、1泊10万円超とかであるが、超満員とか?。 こんなところで、第二の人生をなんて夢を!と思うものの、でも、、、、しかし、地中海性気候で湿度こそ少ないが、夏は35°C超の炎天の凄さ。 冬場は逆に相当荒れ狂う季節風、海台風とか。 その為、葡萄とかピスタチオ、オリーブとかの木々植物は、その背丈は僅か1、2m足らずしか伸びない。 そして、ケーブルのストライキ。 季節最高時の贅沢観光ならともかく、常住、定住は、如何なものか?、、、 叶わぬ夢にケチを付ける地球上の理想郷、サントリーニ島であった。 (その6に続く) *・・・補足(WEBより) ・ The Cyclades Islands (キクラデス諸島) <火山島は、ミロス島、サントリーニ島(地図では下)である。> ・サントリーニ島 ・・紀元前1500年頃の大爆発で島の中央が海没し、周辺に5つの島が残る。 真ん中の島(ネア・カメニ島)はその後の噴火で現れた島であり、少しずつ大きくなっている。 残った外輪山と、噴火を続ける中央の山を繋げてみれば、如何に大きな島(=大陸?)だったかが判る。「アトランティス伝説」とも関連づけられたりしているが、少なくても、クレタ島との交流や、エーゲ文明の存在が発掘調査で明らかにされつつある。 ・外輪山? (呆けの小生にはそのようにみえる。まるでティアラのよう。 サントリーニの名前は教会の名と関係がありそう。St.? なにせ、 ギリシャ正教会の島だから。) ・自由が丘氏がストで悪戦苦闘のロバの道? 6人乗り6台連結ケーブルカーならわずか3分だが、そのストライキでやむを得ずに15分以上も石畳580段を歩いた苦労がよく判る。ご苦労様! クルーズ船では島に近づけないのでテンダーボートに乗り換え。 ・サントリーニ島の夕景色 (イアの岬からの展望) ・イアの岬を望む ・サントリーニ島噴火(中央のネア・カメニ島1950年) (古代の紀元前230年噴火、1645年爆発、1707,1866,1950年噴火、良くこのような危険な場所に住むものである。ギリシャ正教でも信じないと美しさだけでは安住できないだろう。もっとも、火山国日本も同様だが・・) ・サントリーニ島のヘファイスト神殿(テッシオン) ・古代アゴラ博物館・アタロス柱廊 アゴラとは、アクロポリスという軍事・精神的中心に対する、政治・経済活動の中心である。 ・サントリーニ島の古代アゴラ博物館(アタロス柱廊:幅20m、長さ116m、南側より) ・博物館内部 ・アクロポリス アクロポリスは「高いところ、城市」で、自然の丘に神殿や砦が築かれた。
Aug 11, 2014
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オリンピアの古代遺跡:(7月1日) 古代オリンピック発祥の地。 ギリシャのカタコロン港から、葡萄畑、オリーブ畑を通り、バス30分の丘陵地帯。 紀元前9世紀頃から、ギリシャ神話の神々を祭る奉納競技大会が発端と言い、国内数か所で4年置きに開催されたという。 このオリンピア神殿は、男神ゼウスを祭る為、女人禁制。 競技者は全て裸体で競技したと言う。 当時の競技は多々あったようであるが、奉納の主目的のほか、強い兵隊育成の目的もあった。 種目は、短:中:長距離走、円盤投げ、槍投げ、レスリングとか、武装戦車競走等。 神宮球場外野席のような草むらの観客席で四方囲まれた大きな競技場には、短距離走のスタートラインである幅10センチ程の大理石の板が、横に約30m、はっきりと残っている。 その距離は、直線で192,27m。 何人位の競技者が、どの位のタイムで走ったのであろうか? 念のため、大理石のスタートラインに、手をつき、ヨーイドンをしてみた。 カラカラに乾燥、赤茶けた砂埃が足元でたくさん舞い上がった。 そして、古代オリンピックは、紀元後4世紀位まで開催されたと言う。 その後、1896年、クーベルタン男爵の提唱により、近代オリンピックとして、第1回大会が、アテネで復活した。 近代オリンピックの開催前になると、ギリシャのミューズ(*)による聖火の採光式典が、この遺跡で実施されて居る事を知った。 えっ、、、こんな処で、、、と言うような、神殿前にある一畳足らずの石版の上であった。 一見に値する史跡だ。 (その5に続く) ・・・・・・・・・・・・・・・****** 補足;WIKIPEDIAなどより 本文の採火の「ミューズ」について調べてみる。 (*) 芸術の女神(Mousa、英語はMuse)は、9人いるが、 それぞれの分野を担当する。・Calliope 叙事詩・Clio 歴史・Euterpe 叙情詩・Melpomene 悲劇・Thalia 喜劇・Terpsichore 合唱歌舞・Erato 恋愛詩・Polyhymnia 賛歌・Urania 天文学 ーーーーー・・・・ーーーーー ・オリンピック聖火: ギリシャ神話に登場するプロメーテウスが ゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して、 古代オリンピックの期間中、ゼウスとゼウスの妻ヘーラーの 神殿に火が点されゼウスを称えた。 説明によると、聖火トーチへは、太陽光線を1点に 集中させる凹面鏡に、「炉の女神ヘスティアー」を 祭る11人の巫女がトーチをかざすことで火をつける。 ・聖火リレー: 1936年ベルリン・オリンピックから導入された。 伝統的には、オリンポス山で太陽を利用して採火され、 聖火ランナーにより開催地まで、数ヶ月かけて届けられる。 近年は、古代オリンピックの聖地、ヘーラーの神殿跡で 採火される。 ・ミューズ(Muse) :イギリスの「 ロックバンド 」である。2012年の ロンドン・オリンピックの公式ソングに「Survival」が選ばれた。 小生は、本文の、「ミューズ」、「「炉の女神ヘスティアー」で混乱していた。 しかし、あくまでも宗教風な儀式である。 オリンピックという商業主義を取り込んだイベントである近代競技大会では、「女優扮する採光イベント」だ。 ロンドン・オリンピックでは「ヘラ神殿の前で太陽神アポロ(Apollo)に扮した俳優が、凹面鏡を使用して太陽光線から採光した」 というAFP通信があり、小生にはギリシャ神話の配役が判らなくなった。みなさんは判るだろうが・・・ 諄いが、アポロンはゼウスの息子(=男性)である。女人禁制であった古代オリンピックだから、巫女を持ってきたので祭典が可笑しくなったのである。 女優による巫女の採火よりも、男優によるアポロン神の採火が自然な流れのような気がするが、男尊女卑と言われるだろうか? 途中で聖火が消えても原始の太陽光は消えないから採火には問題ない。 演出に囚われるよりも、本来のスポーツに参加する精神が大事なのだ! ★・★・もう少し追っかけると・・・ 太陽神アポローンは「ミューズ」という9人の詩神(女神)を「 主宰する神 」である。 本文で「ミューズ」と言っているのは、ほかでもない、女神達「ミューズ」を主宰するアポローンそのものではなかろうか。 そう考えた方が、小生には判りやすい。 ・・・・・・WEBより古代五輪関係と思われる画像を拾ってみる ・古代五輪の距離走場 ・古代五輪の円盤投げ ・古代五輪の馬術 ・古代五輪のレスリング ・WEB写真より追加・ ・オリンピア案内図 ・カタコロン港 ・カタコロン港内 ・・・間違っているかも知れませんが、イメージを!
Aug 10, 2014
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アルベロベッロ:(6月30日) 世界遺産:1996年指定。 イタリア半島南端東部。 バーリ港からバスで1H、とんがり帽子型石積み屋根、漆喰白壁の建物(トゥルッリ)の村落。 16、17世紀頃に隆盛建設。 現在約1,600棟が、ほぼ昔の儘に存在。 反対側の丘陵地帯に群立するトゥルッリの路地には大変な観光客。 「ごゆっくり、ご覧ください」等、日本語の看板もある。 日本人に大人気のようだ。 晴天の青空の元、ちょっとばかり、遠目、細目で見ると、まさに「小人の国」「おとぎの国」の賑わいと錯覚する。 何とも可愛らしい風情である。 外気温は35°超の熱暑ながら低湿度。 修理中の建物に入れば、何とも言えないひんやりとした涼しさだ。でも、ちょっと狭い部屋の空間だ。 昔訪れた、トルコのカッパドキアにある岩石建造物とか白川郷を思い出した。 (その4に続く) ・・・・・・・・・*****・・・・・・・・・補足説明: ・Alberobello=albero(木)+bello(男性形の美しい、女性形の美しいはbella) ・trullo (複数形 trulli) = 「部屋一つ、屋根一つ」の意。語源はラテン語。 ・対税操作の家造りで「家ではない」という説(京都の間口にもあったっけ?) ・当地域には雨水が少ないため、また、地盤が固いため井戸が掘れず、 丸屋根から集まる水を床下の貯水槽に貯めて生活用水に使用する。 ------- (めいてい君のこと、今は外してしまったが、不要な浄化槽が残っていたときは、樋から雨水を浄化槽に誘導して、水中ポンプを降ろしてホースを繋ぎ、庭の水まきに利用したことがあった。蚊の発生が問題となるなどで家内に嫌われて浄化槽は撤去されてしまった。)-------- <WEB写真集より> ・・自由が丘氏の連想を辿る・・ ・エルジェス山をカッパドキアから展望 ・カッパドキアにある「妖精の煙突」 <Cappadocia=「美しい馬の地」の意のラテン語。(アナトリア高原の火山達が造った造形。きのこ岩?)> (性質の異なる3つの火山の溶岩流で出来上がったらしい。 3つの山:タウルス山脈、エルジェス山3916m、ハッサン山3268m。 詳しくは、WEB「トルコ中部アナトリアの火山観光(須藤茂氏)」参照。 ・迫害を恐れたキリスト教徒が穴居としても一時利用 ・白川郷 冬の白川郷 ・・・ ・アルベロベッロの位置 ・アルベロベッロのとんがり屋根:大通り ・アルベロベッロのとんがり屋根の室内:店舗
Aug 9, 2014
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ベネチア:(6月29日) ベネチアの日本語表記(ベニス)で、思い出すのは、「ベニスの商人」あの名台詞。 「判決を言い渡す。肉1ポンドを取っても良いが、一滴たりとも血を流してはいけない」 そして、「ゴンドラの唄」黒沢明監督の最高傑作とも言える映画「生きる」。 癌に侵された下級公務員が、周囲の反対を押し切り、その最後の使命感から子供の遊び場を建設。 完成後、雪の降る公園のブランコで、一人口ずさむ。 「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に、、、、」 やや広めの運河を進む。 太陽が頭の天辺で輝く中、両岸には、赤茶屋根の5、6階建ての石造建物が岩壁沿いにびっしり林立する。 ゆっくり、ゆっくり、船は進む。 これが、これが、 「水の都」「アドリア海の女王、真珠」と言われる「ベネチア」。 鴎が目の前をゆっくり旋回する。 「ベネチア鴎だ、、、」。 この風景こそ映画などでよく見る、「おとぎの国」への入場だ。 運河沿いの船着場から石畳の岸壁遊歩道を歩く。 海面から僅か1m足らずの路面。 そこにはお土産、テラス飲食店、びっしりと群立。 大きな声で叫んでいる。 これが、本場のイタリア語か? 暫く歩くと勾配の緩やかな半円形の橋。 何気なく渡れば、なんとそこは、細い、狭い、暗い運河の上。 目を凝らせば、ゴンドラが浮かび、2人の客と船頭さん。 ゆっくり、橋を潜り抜ける。 テレビ、映画等で見た、あのゴンドラシーンだ。 次々に こんな橋を渡り、このゴンドラシーンを見るたびに、何故か、、、陽気に、オーソレミヨ、、、と口ずさんでしまう。 このゴンドラは、1艘、45分、100€(14000円位)、そして歌手付きだと400€だとか? 結構な数のゴンドラが狭い運河を行き違っている。 見学日は、日曜日の為サンマルコ寺院礼拝中の為、隣接する「 ドゥカーレ宮殿 」見学。 中世時代での富の集中、戦勝国に因る最盛期を象徴するような壁画、天井画。 圧巻、圧倒され、口をポカンと開け見上げるばかりである。 そして、かの有名なサンマルコ寺院前のサンマルコ広場。 横70m、縦150m位の大理石を敷き詰め広場。 欧州が夏休みになったせいか、いや世界中からか? 子供連れも含めて、大変な人、人、人の大混雑。 路地裏で食べた、「モッツァレラチーズ」。 これが、もしかして、本物の味、、と思った。 (自由が丘氏紀行:その3に続く) ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・******* ******・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 補足:WEB資料より (ベニスとその潟と後背地) (ベネチアとその潟・NHK世界遺産シリーズ) (リアルト橋) (別名:「への字橋」、「白い巨像」。長さ48m、幅22m、通路は階段) (サン・マルコ寺院) (ひと、ヒト、人) (ドゥカーレ宮殿) (サンマルコ広場の鐘楼) (地球温暖化? 水位上昇) (ベニスの地下には森がある) (ベニスは超長期の森林計画により埋め立て用の材木、建造船資材を後背地で用意した「素晴らしいECOな海運国」)(ベニスの軍船・ガレー船の模型:制作 笹野 晃氏) (遠くの山にかつては遠大な計画森林?) (ドロミテイ渓谷) (ドロミテイ渓谷カレッツア湖) ・・・ (お腹の空いた方に、モッツアレレチーズとバジル)
Aug 8, 2014
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「 アドリア海:エーゲ海に行ってまいりました。 」(2014:6:28~2014:7:8) 自由が丘氏 歳を取ったせいか ?年に1回位の海外旅行、それも、クルーズ旅行が、唯一の楽しみというか、生き甲斐になっております。 過去8回程参加しています。 そんなクルーズのお話をする機会が極く稀れにあると、「どのコースが、一番良かったですか?お勧めはどこですか?」と聞かれます。 その答えに応えるべく、今回9回目のクルーズになりました。 6月28日、成田発、アリタリア航空でローマへ13h。 ローマで空路乗り継ぎ、1hでベネチアへ。 安価のツアーの為か、宿泊ホテルは、更にバスで1h、現地時間深夜0時に到着。 自宅を出発してから、やっとこさ、丸1日掛りました。 乗船の船は,MSCファンタジア号、133,000t。 乗客定員 3,300人。 (その2に続く) *****補足: ・アリタリア航空機 ***** ・MSCファンタジア号
Aug 7, 2014
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ふらり、ぶらりと 早春の松山から土佐路へ(2014:3) 自由が丘氏 子供夫婦の転勤地である松山を中心に、四万十川、高知へ、知人夫妻と訪れた。桜はちょぼちょぼであったが、菜の花、すみれ、辛夷(こぶし)など早春の花々が咲き乱れ、店先には土筆が売られていた。「春や昔 百万石の城下かな」小高い丘には、松山城が堂々と聳える。 西四国での見聞食。石手寺、観潮船、伊予みかん、道後温泉、大洲城、臥龍山荘、漱石、坊ちゃん団子、砥部焼、子規、虚子、山頭火、内子座、四万十川、沈下橋、幸徳秋水墓参、<窪川高校桜>、お遍路、お接待、、、(1) 見事、かつ豊富な食材、、、 美味い、、、、、山中が<みかん>の景色、、、品種改良が進み、、、2週間置き位に旬を迎えるほど豊富な種類。今の時期、「せとか」「きよみ」が満載。 血液がみかん色になる程食べた。松山の北方面が瀬戸内海で、西側が豊後水道付近、南は土佐太平洋。 その魚類、貝類の豊富な事、、鯛、平目、鱸、河豚、しらす等、一杯飲み屋でも新鮮な刺身が安価で食べられる。 特に、生しらす、雲丹、じゃこ天、<亀の手>、<のれそれ>、四万十の天然鰻、ごり、高知:ひろめ市場の「藁燻り焼き鰹」、焼き餃子等は絶品珍味。(2) 種田山頭火 (1882-1940)の 「一草庵」(松山市) 自由律俳句人。1925年得度出家。一笠一杖一鉢で、放浪行脚の旅へ。 この「一草庵」で終焉。 当時の居宅が復元され「山頭火居士」と書かれた「位牌」が安置されている。 * うしろ姿はしぐれていくか * 酔うてこうろぎと寝ていたよ * ほろほろほろびゆく私の秋 * 分け入っても分け入っても青い山 * どうしょうもない私が歩いている * もりあがる雲へ歩む (遺作) (3) 四国八十八箇所お遍路 姫路から来たと言う70歳位の3人と<高知ひろめ市場>で同席。 遍路暦各20回目、2回目、初回。全行程は約1400キロ。<歩き遍路>、早い人で40日位。車8日、自転車20日位。姫路から一周で40から50万円の費用。 聞きました? 「なんか?ご利益?自分探し?懺悔?祈り?とかの動機がありましたか?」 「丁度定年を迎え将来の事などを考えていた時に誘われました。最初の頃、しっかり手を合わせ思い浮かんだ事を祈る?と言うか、ぶつぶつお祈りしました。2日以降、足に血豆、擦り傷が出始め、4、5日位から、足が棒状になり激しい痛み。何でこんな苦しみをするのか?何時止めようか?、、、とそんな事ばかり浮かびます。10日位でやっと慣れました。何を?お祈りするかってですか?その頃になると、霊場でただ手を合わすだけです、、、祈る事が、何も?浮かんでこないんです、、、不思議です。すぐ次に向け出発です。最後の霊場にたどり着いた時は、「やっと終わった、、、、、」、その達成感だけ。 さぁ、、、家に帰ろう、、、、それで終わりです、、、」 最後に一句。 「海から陽が昇る 一直線に眩しい」 「大舟盛り平目が睨んでいる」 「一草庵のガイド婦人は レトロだ」 「お遍路さんの隣で祈る 何を?」 「お遍路道を歩く ただの道があるだけ」 ・・・///・・・
Apr 2, 2014
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日本の第一線で活躍している男達の話 特別寄稿:自由が丘氏 その5.白川方明さん:1949年生。前日本銀行総裁 * 日銀:中央銀行の金融政策は、安定的な金融環境を維持していく事に尽きる。* 政治との関係においては、政治が適切な判断、選択が出来るように、中央銀行の立場から後方支援を採る事にある。最終決定は政治がする。「政治」と「政治家」は、別物。* 過去、諸外国により色々な経済、金融諸政策が採られたが、いずれも、過去の経験法則の中に収斂している。マイナスを小さくするのが大事。(感想)日銀総裁退任後、初めての講演会。兎に角、実践的金融関係者というより研究者、金融真理追究の哲学者の風情あり。やさしく話をしているが、とても、難しい。・・・・・・テレビ、雑誌で御馴染みの方々。演壇近くに座り聞く。講演なので、話に気軽さもあり、また、表情から想像できる事もあり、興味深く聞いている。元気で平和な日本に導いて欲しいと願うばかりです、、、、(講演内容の記述は、私の耳で聞いたニファンスです) ///////////めいてい補学歴など・東大(小宮隆太郎ゼミで師事)卒、 日銀入行し、シカゴ大学大学院修士課程卒 (ミルトン・フリードマン教授の授業受講)・自由が丘氏の使った「ニファンス」なる言葉は、NUANCEの発音表現だと思います・自由が丘氏の講演者のお写真については、WEBの中から拝借いたしました。
Mar 23, 2014
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日本の第一線で活躍している男達の話 特別寄稿:自由が丘氏 その4. 御厨貴さん:1951年生。政治学者:東大名誉教授 猪木武徳さん:1945年生。経済学者:大阪大学名誉教授。父は、猪木正道 青木保さん:1938年生。文化人類学者。元文化庁長官。大阪大学名誉教授。 * 日本の戦後処理は終わっていない。日本は歴史を意識せずの戦後復興、対外接触* 日本は明治以来、脱亜入欧。日本の感性はアジア的か? 中韓との軋轢。* 欧米のキリスト教的文化文明や規範の限界。中国等東洋や地域民族思想との対応に苦慮。* 世界中の社会主義国では実現できなかった平等社会を日本で実現。* 先進国での人口減対策。米国型:移民受入。仏型:婚姻形態多様化等自国内人口増加策* 人類の夢は不老長寿。長寿化社会の定着による費用負担増で、人類危機への端緒。* 個人の一生涯を政治社会が関与し面倒を見る。個人も一生涯の諸事をアウトソーシング。
Mar 22, 2014
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日本の第一線で活躍している男達の話特別寄稿:自由が丘氏 その3.三浦雄一郎さん: 1932年生。プロスキーヤー、冒険家。青森出身。北大獣医学部卒。1970年にエベレスト8000mよりスキー滑降。70歳、75歳、そして、2013年、80歳にて、最高齢エベレスト(8848m)登頂(延べ3回目)。「65歳の時、70歳を記念してエベレストに登頂したいと思った。当時の私は、身長164cm、体重85kg。胴回り100cm超、血圧200前後、体脂肪45。不整脈、糖尿病の兆候満載。食べ過ぎ、呑み過ぎ、運動不足の完璧な不健康体。そこで発奮。日常生活の中で、体質改善を図る。各片足に5kg、背中に30kgの錘を負荷。夢をかなえる為「守る健康法」ではなく、あえて「攻める健康法」にチャレンジ。行なうは難しで、相当に難儀する。その間、不整脈で65歳以降なんと3回の心臓手術、更には76歳時大腿骨骨折大手術。それでも、「諦めなければ夢は叶う」。「どうしても、エベレストに登りたい」と言う決意。「そう、、、夢の力で、病気、怪我を克服したんです、、、夢の力で夢を叶ったんです」、、、、、 (感想)80歳で3度のエベレスト登頂。信じられますか? でも、今回は危機一髪の下山行程だったとか。 私の元職場の知人は「金剛山」に1000回登山に取組み、現在600回超とか。1125m×1000回=1125000mの昇歩。バベル塔では無いが、知人は天空、神様に近いご利益があるのであろう。「攻める健康法」「夢をみて、夢を叶える」。老体、老境の我が身で情けなしの昨今、身の回りに散らばる落ち葉をひっくり返し、、、「夢」でも、、、捜してみましょうか?
Mar 21, 2014
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日本の第一線で活躍している男達の話 寄稿:自由が丘氏 その2. 加藤廣さん: 1930年生。小説家。東大(法)卒、中小企業金融公庫(日本政策金融公庫)、山一證券を経て経営コンサルタント。2005年、75歳時に上梓した「信長の棺」が、当時の小泉首相の愛読書として紹介され、同小説は大ブレーク。以後次々に新作を発表して、累計発行冊数は、600万部超とか。「今年、84歳になる。この2月に「水軍遥かなり」が発刊され、3月には、オール読み物に、「利休の闇」が掲載される。近々もう1編ほど歴史小説を書く。その後は、自分自身の生き様の集大成として、近代物を書きたい。大作になる予定だ。 (感想) 加藤氏を囲む勉強会に参加して10数年になる。そんなある時、 「歴史小説を書いた。6月の信長の命日に遭わせ、日経から出版される」ポロリと言われた。学士会館にて出版記念会が、まさにささやかに開催された。 その2ヵ月後以降の大ブレークは、大変失礼ながら想定外であった。未だに、次から次にと発想が浮かび書きたい物だらけと言う。 時間が無い。75歳での長編歴史小説処女作を、発表。今年84歳、、、。未だに信じられないパワーです。 お元気で、、、を、祈らざるを得ない
Mar 20, 2014
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日本の第一線で活躍している男達の話寄稿:自由が丘氏 ★ 私の趣味の一つとも言えるものに、著名人等他人様の講演を聞く事がある。 新聞、雑誌等に掲載される講演会案内に応募する。年間20回近く参加している。以下は2月、3月の聴講分である。 ★ その1.野村克也さん: 1935年生。 高卒後、南海、ロッテ,西武。監督は、西武、阪神、シダックス、楽天。 MVP5回、三冠王1回。 「ID野球」「野村再生工場」 野球は意外性の中で成果を出し、勝つスポーツ。 想定外等の弁解は醜い。 監督にしろ選手にしろ、名将、智将と呼ばれたい。 闘将なんて単に優れた運動、肉体選手だ。 名監督には、捕手出身者が多い。 1球1球が真剣勝負、9回の裏まで、その采配を考えている。 今話題の元大リーグが居るが内野手なら兎も角、外野手出身での名監督は知らない。 (感想) 長嶋が向日葵なら、わしは月見草。 これだけの実績、成果を挙げながらも、その世間的評価、人望、人気は今ひとつ。 曳かれもののボヤキながらも、第一線級のボヤキで、この世を、逞しく渡り続けている。★ //////野村克也氏の講演は小生も近くの商科大学で聴講したことがある。彼の講演の最後には必ず、S女史がいるが、克也氏でも頭の上がらない華麗なる古?女房がいるようだ。あの、秀吉でもそうだった・・・ ここしばらくは自由が丘氏の感想文に耳を傾けたい。 (めいてい)
Mar 19, 2014
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<その2 から続く>13.アンティーク オークション。落札3件の興奮ロンドン郊外の知人宅近くで参加。実際のオークション参加は初めて。日曜日の10時~13時が下見。パンフレットに出品物約500点の一覧表と売却希望価格が記載されている。オークションは翌月曜日の17時より開始。落札希望者は£10を供託し落札者NO札を貰う。落札人は約80名。日本人は私達だけ。兎に角、この「セリ」のスピードの速いこと。1時間に約100件を決着させる。私達は5物件の「セリ」参加をしたが、予想外に「セリ」上がり、結局3件落札。紅茶セット2点と アイボリー象牙製の19世紀の美人小絵画。£120からセリ上がり£150で落札。後者は今でも自宅の居間に飾られている。この「セリ」中々興奮する。特に落札希望者が重複した時の「セリ上がり金額のスピードの速い事、、、、速い事」。あっと言うに間に決着する。どうしても欲しいと思っていた「美人小絵画」、私達日本人がもたもたしているのを見かね同情したのか、£150の時、にこっと笑い瞬時に木槌を打ち、私達に落札させてくれた。汗びっしょりになった。14.大英博物館所有の日本美術品の修復見学今回の英国旅行の決断は、ロンドン在住のA夫妻のお誘いによることが強い。A氏は、NHKの「プロジェクトX」で取り上げられた古美術の修復師である。20代に単身NYに渡り、メトロ美術館やボストン美術館等の日本美術品の修復を30年近く担当。昨年(1998年)から、平山郁夫財団の招聘で大英博物館所有の日本美術品の修復を担ったもの。その数は数千点と言われるが、特に書画類の保存状態が悪く、5年間の約束で担当している。訪問時は、奈良の談山神社由来の桃山時代の屏風を手掛けていた。大変な作業である。表面の絵画面と何枚かの裏打ち和紙を一枚一枚丁寧に剥がす。剥落や欠落部分の補充、修復。なにせ、数百年間手づかずの屏風。当時の色、染料、顔料、紙、糊等を出来る限り模索し、その時代を再現するのが主眼。それはそれは気の遠くなるような作業である。私達が何気なく見る美術館の古美術、この様に裏方の人達が黙々と細かい手作業で修復した結果である事を垣間見て頭が下がる思いであった。15.美術館は、大英、ナショナル、テイト美術館大英博物館の目玉は、中近東、エジプト、ギリシャ等からの石像、宝飾品、ミイラ等。あの「ロゼッタストーン」が静かに鎮座する。トラファルガー広場にあるナショナル美術館、ダヴィンチの「岩窟の聖母」等。そして、テイト美術館は、何といっても、ターナー寄贈の約300点に尽きる。昔、東京でターナー展を見学した事があるが、極く普通の英国風景画程度の印象しかなかった。今回、英国の気候、風景、花々木々、空、雲、雨、風等を実際に見た後だけに、まさに、ターナー絵画は「英国そのもの」との確信を持った。あと、見逃してならないのは、ミレーの「オフィーリア」。感動に尽きる。世界各国の経済や豊かさの比較基準として、国民総生産額(GDP)とか一人当りの国民所得(GNP)、そして、ブータンが提唱する国民総幸福度指数(GNH)がある。そんなことの延長線として、国別「文化芸術度指数」なんて事を考えた時、英国は仏国と並ぶ超大国であろう。16.ゆがんだ窓ガラスバースに、1600年代から続く「サリーラン」と言うパン屋さんがある。クロテッドクリームをたっぷり附けたスコーン、ふんわりとした感触そして僅かな甘味、その素朴な美味しさを堪能。ちょっと旅の感傷に浸りながら2階の窓際の席からぼんやりと街並み眺める。するとガラス越しに見える街の風景は、ぼんやりと歪んだ様に見える場合と、外の景色や人並みなどがはっきり見える場合がある。直ぐに気がついた。ぼんやり見える風景は、建設当時からの破損されていない年代物の分厚いガラス越しに見たためである。兎に角、古き物を大事にするお国柄ゆえもあるだろうが、年代物と最近物が混在するガラス窓、それを透かして見る街並み、風景。見透かすガラスにより、全く違う風景になる事が、なぜか、何故か、大変面白かった。他の街でも同じ様な体験があった。やはり、歪んだガラスで街を見てみた。そろそろ、、、終わりに、、、、 生活は質素に、、、生き様は高邁に、、、英国病、元気の無い英国、斜陽の老大国、不味い英国料理、霧のロンドン、頑固、保守的、気難しい英国人など等、英国に関する良くない評判は多々ある。ただ、僅か1ケ月足らずの小旅行であり英国を語るのにおこがましさもあるが、正直な感想を述べれば、「英国は、決して、捨てたもんじゃない、、、」 である。大英帝国時代の栄光の再現は望むべくも無いだろうが、サッチャー以降の政治等において徐々に明るい芽や活力が出始めて居る様である。兎も角、歴史からの延長線にある英国人の生き様、個々人の尊厳と責任の付与とか政治への個人参画、そして自然との共生感など等、それらを、何となく、肌で感じる事が出来た、とても面白き「旅」でもあった、、、、、、、、、私は、英国、イギリスが、何となく、、、、大好きである、、、、、、、(2014年2月一部修正補記)///////////////////////////////////////*** 寄稿文の挨拶の転写 ***早いもので、、今年も、、、2月の立春。でも、先程、、、雪がぱらつきました、、、、これからは、、、梅1輪1輪の温かさ、、、になるようです、、、さて、私の知人のお嬢さんが、今年の9月新学期からロンドンの日本人学校の先生として、赴任します。こんな話の中、、、「私は1999年に、1ケ月程英国、ロンドンに滞在したことがありますよ、、、」と、話した所、是非とも、情報として知りたいとの事でした、、、そこで、当時の手書きの「メモ」を書き直し、紀行文風に纏めました。少し古いのですが、、、内容は、現在と左程違いが無いはずです、、、、貴兄のブログの穴埋めにでもして頂ければと思います。ちょっと、、、寒いようですが、、、、くれぐれも、、、ご自愛下さい、、、、/////////////////////////有難く寄稿を受領いたしました。★
Feb 6, 2014
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<その1 から続く>9.紅茶が先か? ミルクが先か?紅茶と言えば英国、これだけは「世界一」を否定する人は居なかろう。それも、基本的には 「ミルクティー」。ホテル等で午後2時頃から始まる「アフタヌーンティ」は、(紅茶、サンドイッチ,デザート)で、15~20£とかなり高価である。ちょっと着飾ったご夫人達が、のんびり、静かに談笑する場面に出会ったり、真っ白い大きな帽子に白いドレスの華奢な女性に遭遇した事もあった。それはともかく、昔からの大問題は、器に注ぐのは、「紅茶が先か、ミルクが先か」である。当地で、聞いた限り、見た限り、 「熱湯を注がれた紅茶が、先である」。紅茶葉は、熱湯により最高の味わいを浸出するからだと言う。やや差別的であるが、昔は茶碗の質が悪く、熱湯を入れると破損する恐れがあった。茶碗の薄さ厚さが、貧富の差を象徴する、その名残であると言う。温めた茶碗、注ぐ熱湯、 極力冷たくしたミルク。牛乳を温めると牛乳独特の臭いが発生し、紅茶の香りを減殺。紅茶葉は、アールグレイの様に強い香りのものでなく無臭に近いものを、カップに、スプーン1.5から2杯と多目にする。このように多目の茶葉を入れるが、渋みとか苦味が出ないのは、英国の水、即ち硬水がその渋み等を包み込むので、マイルドになると言う。因みに、フランスでは、何故か英国と反対に、「ミルクは先」であると言う。10.旅は 「!」 と、「B&B」 で、充分滞在中、日本で事前に予約したホテルは、「バースの☆5のロイヤルクレッセントホテル、3階ど真ん中の、No8部屋を指定予約」と、湖水地方ウインダーミャーのプチホテルのみ。英国には世界中からの旅人が多く、安価な宿を求める人のために「B&B」が、至る所に普及している。「B&B」は、「Bed And Breakfast」即ちベットと朝食付の宿泊場で、日本の民宿を想像すれば良い。駅前にあるインフォメーションセンター「!」を訪れれば、簡単に宿を紹介してくれる。エジンバラ、バース、ストラトフォードアポンエイヴォンの3箇所で利用。一人、£20~30位。全くの英国個人住宅の一室、家具、飾り物、ベット、朝は家人が使ったであろう食卓、食器、そして簡単な朝食。ビジネスライクで清潔感があり。宿泊した3軒とも、英国夫人風のおかみが親切で、観光ルート、お土産屋の紹介、そして、オペラ席の予約までしてくれた。11.旅は、バース、エジンバラ、ウインンダーミヤー、そして、ストラトフォード アポン エイヴォンへ。宿泊は、3:2:3:3泊。バースは、ローマ人開発による温泉避暑地、16~18世紀に隆盛。所謂、 Bath(バス)語源発祥地。いまでも、当時の湯殿、湯煙が残る。スコットランド地方の中心地 エジンバラは、英国王室の夏の避暑地宮殿(ホリールード宮殿)の他、スコッチウィスキー、スコッチテリァ、そしてタータンチェックの発祥地。私は昔、自宅で黒毛のスコッチテリァを飼っていたが、この地で、3匹の真っ白を見かけ懐かしさを覚える。そして、英国で一番人気の観光地と言われる湖水地方: ウインダミヤァー。あの、ポーター(1866-1943)による「ピーターラビット」に書かれた、あの牧歌的田園そのものの世界。特にポーターは、自然保護を目的に周辺農場などを購入して、国土の1/100位を所有し、国家的事業にまで発展させた「ナショナルトラスト」の有力出資者と言われている。彼女の住居に残る家具等は物語そのままの風情で現存する。湖を横切る遊覧船、穏やかな湖水のさざ波、ぐるりと囲む丘陵、牧草、牧場。それは、それは、美しい湖水風景である。ストラスフォード アポン エイヴォンは、あの シェイクスピァの生誕地であり、生家が残り墓地もある。町の中心部に小川が静かに流れ、その周辺には16世紀程の2階建て建物が残る人口26000人程の小都市。此処の目玉は、何といっても、シェイクスピァ、そして、世界中から観客を集める「ローヤルシェイクスピァ劇場」。なんと、「B&B」の女主人がその舞台に立ったことがあるとの話であり、頼み込み、用意された切符は、なんと、演目 「オセロ」の、前から7番目のど真ん中。当時の脚本、発音に忠実に再現し、19時から22時30分迄。役者の熱演と舞台装置の洗練された古めかしさに我を忘れる。英語力の貧困さ故、筋立て等への理解不足が有るものの、「この舞台を見ることなくして「演劇」を語ること無かれ」との心境になった。12.オペラ。ミュージカル<1>バースの街を散策中、偶然掲示板で見つけた、バース市民主演オペラ 「トゥーランドット」。市内の大学講堂。僅か5m程の奥行きの舞台に、はみ出さんばかりに70~80名の演者。トゥーランドットの美女美声と相手役カラフの声が合わず揃わずで、指揮者の大汗ぶりが印象的。とは言え、近所から来たような200名程の観客は、そのドタバタ振りをに大満足のはしゃぎ振りであった。<2>ロンドンロイヤルシァターの 「セメレ」。ヘンデル作、余り馴染みの無いオペラ。途中から筋立てが全く不明ながら、赤と黒と光を中心とした演出は圧巻、感動。後日、ストーリを確認すれば、女性主人公が「人から神へ、その後、神から人へ変身する男性」との恋愛悲劇で少々難解なテーマだった。<3>オペラ 「カルメン」。筋立てと歌も有名。始めて見る「カルメン」ながら、酒場で投げられる「紅い薔薇」、アンダルシァ地方の盗賊、そして、闘牛場の血の滾り、場面、場面のアリアに胸が躍る。ただ、闘牛士のエスカミリョは、闘牛士とは思えない程に太めで、ド派手な衣装で歌い上げる抜群のエンターテイメント性に脱帽。正統派オペラの格調と言うより杉良太郎とか梅沢富美男の舞台雰囲気だった。凄く笑い、愉快だった。<4>ミュージカル 「レ、ミゼラブル」を鑑賞。当時ロンドンでの上演演目は、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」「キャッツ」「ミスサイゴン」「シカゴ」「ウエストサイドストーリー」等は大盛況。切符も中々買えず。「レミゼラブル」所謂ジャンバルジャンの一生を、ハイテンポ、豪華舞台で、息もつけない程の展開に感動。でも残念なのは、終焉後口ずさみたくなるような印象的な歌が無い事だ。<5>前述の 「オセロ」<その3に続く>
Feb 5, 2014
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つれづれに イギリス ***自由が丘氏 寄稿*** 私は、1999年3月末、33年程勤務した会社を57歳役職定年により退職した。再就職先の勤務は6月からだったので、永年の夢の地であったイギリスに、1999年4月15日から5月13日迄、約1ケ月程滞在した。★ ★ ★ ★ ★1. ロンドン郊外の1DKフラット(月1,000£)を、賃借(1£=200円。平成26年1月現在は170円程度)ロンドン中心街から地下鉄ノーザンラインで20分、イーストフィンチュリー駅下車、徒歩数分、閑静、瀟洒な中級住宅街。英国は何故か好景気で、市内のホテルは常識的に1人2万円程度。1月の滞在を見込み、現地の知人に頼み短期賃貸。10畳並のリビングの他、ベットルーム、風呂、キッチン、そして食器、寝具、家具等フル装備。中級のサラリーマン向け住居で、購入すれば2,3千万程度とか。2.イギリスの、「1日には、四季」があるイギリスの4月中旬は、晩冬、早春。緯度が高く(ロンドン、北緯51度、稚内46度)また海洋性、天候激変の島国。有名な「ロンドンの霧」。Mist、Fog、Rain、Sunny、Fine、Cloudy、Hot等。滞在中兎に角、目まぐるしく変化する気候に翻弄された。たとえ晴れていても、雨や寒さ除けにジャンパー必携。ただ、英国人は少々の雨ぐらいでは傘をささず、悠然と歩き回る。6月に開催されるウインブルドンテニス頃が、1年中で1番良い気候であることが肯ける。3.滞在時期は早春~初夏で、英国中が「花」で満開いちばんの驚きは、至る所で、山桜、八重桜が満開で有ったこと。昔、日本から移植したとか(但し、染井吉野は見られず)。バラ、チューリップ、山吹、レンゲ、椿、シャクナゲ、ボタン,ツツジ、フジ等、、そして、名も知らぬ北方系の花々木々の芽吹き等一斉に満開の花園。今、日本で流行のガーデニング、即ち、イングリシュガーデン。住宅の前庭と後庭にはギッシリと花々の密集植え込み。住む人の風情、気持ちがそれぞれの庭の表情を作り出している。4. 大英帝国は、戦争で国土を余り破壊されていない古きは土着のケルト人、そしてローマ人による一時的征服の名残、北方系のアングロサクソン、バイキング族の侵略等の歴史があり、更には第1次、第2次大戦もあったが軽微な破壊に留まり国土破壊の傷跡は少ない。1500年代以降の石造建造物が基本であり、また地震も無い事から、個人住宅、フラット、ビル類も、築100年、200年がザラにある。そして、大英帝国時代における世界中からの収集品、悪く言えば略奪品が戦火にも遭わず数多く残っており、それらが国中の美術館、そしてアンティークショップとか美術品オークションに引き継がれている。5.古き住居が個人のステータスシンボルであり、お庭は花盛り築100年とか200年とかの住居が沢山残っており、その出来るだけ古き一戸建て住宅に住むのが、英国人の夢。日本の様に新築豪邸のステイタスは無く、例え新築でも古い建材を使ったり、また如何に古く見せるのが大工の腕の見せ所と言う。同じ規模の建物なら、改築より新築の方がかなり安価と言われる程。基本的な住宅は、2階プラス天井部屋、3から4室程度。敷地の広さの割には建物は小さい感じ。玄関先は花びっしりのガーデニング、そして、リビング前の庭には、芝生に小椅子が並びバラの生垣。綺麗に区画された町並みなど、天国に通ずる道か?とも思えるほどの風情である。6.平均年収は4~500万円、日本並み。但し、見た目には、そうとも思えぬ、質素な暮らし振り高校の先生で25,000£、大学教授で30,000£と聞いた。1人当りの国民所得で見れば、日本が40,000弗に対し、英国は20,000弗、日本の1/2程度である。それらもあってか、その生活振りは、日本との比較で見る限り、衣、食、住、街の風情、賑わい、人々の雰囲気、顔付き等、ブルジョアジー、金持ち的であると言うより、かなり地味、節制的な感じがした。7.英国風の紳士、淑女は、いずこに 「馬子にも衣装」と言われるように、人物鑑定の基準として、見た目、衣装、化粧,持物等外見的印象に左右される場合が多い。テレビや映画で見るような英国人とか、英国王室風の顔付きの人々が確かに多い。ただ街を歩く極く普通の人達の洋服とか、特に女性のお化粧には、相当の違いがあるようだ。東京の繁華街等で見かける御婦人達のおしゃれ服や、美魔女もどきの化粧による華やかさは、英国女性の風情を圧倒する。歩く人達は、極々普段着にちょっと毛が生えたようなお洒落であり、お化粧も輪郭の美しさを生かした程度の軽さ。あの、「レディース&ジェントルマン」を連想させるような人々が、極く日常的に、街を闊歩しているわけでは無い。エジンバラの街角で、上下のタータンチェック着た老婦人が、石畳の坂道を杖を衝きながら歩いている姿は、まるで映画の世界だった。8.イギリスの食事は、世界一不味いが常識か?極く普通のレストランとかB&Bの体験であるが、確かにローストビーフの単純スライス、パン粉入りソーセージ、ケチャップ風味のビーンズ、黒焦げの薄切りパン‥等、基本的に味付けをせず、好みに応じて塩か胡椒をかける淡白さ。質素、保守的、定番、、、特に典型的な「イングリッシュ ブレック ファースト」である、(ジュース、コーンフレーク、エッグ又はベーコン)か、(ベーコンの代わりに、燻製ニシンのキッパー)そしてパン、ジャム、紅茶。聞けば、英国人は「欲に固執する事への抵抗感、恥じらいが強い」と言う。「人が生きる究極は、その人の生き様にある」として、食欲への快楽を追求する等は、恥ずかしく、「生理的な食欲を満たせば良し」とする考え方が底流にあるようだ。ただただ、旅人としての旺盛な好奇心、食欲からすれば、捨てがたい食物は多く、羊、鶉、鹿、兎、牛の煮込みなど等「最高にうまい!!!」と思ったことも、しばしばで、けして「世界一不味」とは、ちょっと気の毒である。なお、ロンドン郊外の日本式魚屋「あたり屋」で購入した、スペイン沖の中トロ鮪。少々筋っぽかったが、何とも美味であった。<その2 に続く>
Feb 4, 2014
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★ ★ ★ ★ ★シンガポールは、三度目。3泊4日。今、凄い開発中。トンデモないデザインの建物。ホテル、カジノ、高速道路、地下鉄、ユニバーサルスタジオ、冷温植物園等々。名物のマーライオンの向こうにそびえるヘンテコリンなホテル、マリーナベイサンドの33階に宿泊。その57階200Mの屋上、天空に巨大プール。下界を見下ろしながらの水遊び。正に、不思議な体験。知人の案内にて、日毎、夜毎の満腹ツァー。1000円で満腹も沢山あれば、値段びっくりの8000円のラッフルズホテルのカレーランチ、見事な蟹海鮮料理等々。経済と観光の両輪による開発。目を見張ります。エスカレーターのスピードは、日本の二倍?みんな早歩き。昔訪れた、30年前?のニューヨーク並みの活気です。極め付きは、個室のスパ。一時間たっぷりのマッサージ。檜風呂の薫り。極楽~極楽でした。失礼しました~★ ★ ★ ★ ★★・-・-・・-・-・-・-・シンガポール共和国の基本事情についてはめいてい君の2011.9.28、2013.2.13のブログをご覧下さい。・-・-・-・-・・-・-・有用な過去のBLOGを辿る方法★「自由が丘氏寄稿一覧表」、「基本事情一覧表」は左の欄の「Freepage List」に写経してあり、「BLOGタイトル」や「書かれた日付」も並記してあります。同じ左の欄の「Archives」でその日付を辿ル方法は、「年・月」から行き着けます。小生の設計がうまくない(タイトルを後日に変えると、最初のキャッシュが生きていて、到達できません)ので、「話題」や国名からの検索は難しいのです。「めいてい」ですみません。★
Oct 28, 2013
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タヒチよ、ひとまずはナナー! & エピローグ(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地12日目(2月8日) クルーズ下船、タヒチから成田へ 早朝:4時30分:下船。6時30分発、エアタヒチヌイで成田へ。 13日目(2月9日) 成田解散:午後1時30分:成田着 エピローグ クルーズの旅は、終わった。 今回の旅の想定外は、正に、天気、、、、 毎日、雨か曇りの日々。 ガイドブック等によれば、今の時期、 南半球、夏、高温多雨。 但し、「タヒチは、1年中がベストシーズン」 と書いてある。 残念ながら、宣伝文句に謳われていた、 南国、南海の青い空、 透き通り変化する青い海、、、、 13日間の旅の内、僅か数時間の太陽の輝き、、、 運が悪かったかと諦めるか? でも、その僅かの時ながら、ライアテア島、 そして、ボラボラ島では、快晴。 あっという間に日焼けする程の強い日差し、 水遊び、シュノーケル、 南海の熱帯魚群、おまけの「エイ」や鮫。 興奮の体験時間でもあった。 そんな南海の「タヒチ諸島」。 ゴーギャン等西欧人が求めた「南海の楽園」 そして「天国にいちばん近い島」のイメージ通りの 島々で有り得たかどうか? ささやかな、滞在時間の印象をあえて記すとすれば、 約100年超、フランスの植民地とか支配下にありながら、 町並み、建物、食べ物、衣服、ファッション、 そして人々の顔付き等、とても、とても、 フランスの強い影響を受けている感じがしない。 褐色の肌色、男女ともごつい体型、1年中30度近い 気温の為か簡単に裸に近い衣服、そして木造平屋 建ての住宅、少ない電柱。 パペーテを除き、島に降り立つ港には、 小さいスーパー、数軒のお土産店等が 閑散と有るのみの風景から類推すると、 私達社会と相当に違う感じ。 働く場所とすれば、観光産業が主体。 昔から「衣食住に心配の無い生活に慣れている」 こともあり、、、 基本的に、「なぜ?働くの?」が人生観みたいだ、、、。 現地人の大半は、働き、賃金を貰えば、、、 そのお金を使い切るまで、 次には、働きに来ない、、、と聴く。 ゴーギャンの代表作「我々は何処から来たのか。 我々は何者か。 我々は何処に行くのか」 (1897年作)での、問題提起、、、、、 もしかすると、ゴーギャンが見た南海のジャングルや 原始的生活と、そんなに違わない海や森の風景や 人々の暮らし、そして 「風や光」が、今でも色濃く 残っている場所かもしれない。 原始的生活、、、 ある日いち日の日記が、 ほぼ一生の記録と同じかもしれない日々。 「 地上の楽園 」 「 エデンの園 」 「 天国に近い島 」 「 ユートピァ 」 「 桃 源 郷 」 「 酒 池 肉 林 」 「 仙 人 郷 」 「 極 楽 」 「 コスモポリタン 」 「 青 い 鳥 」 「 星の王子 」 等々、人間様が求める理想郷。 現代社会の人々は、無いものねだりのように、 「地上の楽園」を探し続けている。 その代表の地の一つとしての「タヒチ」 「楽園の住民」でもある原住民の「心」は、 如何ばかりであろうか。 もう一度、快晴の乾季に、是非とも、来て見たいと、 強く思った、、、、。 ・・・終わり・・・ :::::::::::::::::::::::::「自由が丘氏のタヒチ紀行文」はこれで終わりです。 「ナナー」さようなら、です。 40周年の節目を超えて、お二人いつまでも仲良く お暮らし下さい。またのお便りを期待しております。 編集が不慣れでお詫びいたすこと多々あり。 ・・・めいてい君 記す一部閲覧者からの記載部分が見えない事項が指摘されたため、再度掲載するものです。ご迷惑をお掛けします。 「めいてい君」より
Apr 11, 2013
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タヒチよ、ひとまずはナナー! & エピローグ(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地12日目(2月8日) クルーズ下船、タヒチから成田へ 早朝:4時30分:下船。6時30分発、エアタヒチヌイで成田へ。 13日目(2月9日) 成田解散:午後1時30分:成田着 エピローグ クルーズの旅は、終わった。 今回の旅の想定外は、正に、天気、、、、 毎日、雨か曇りの日々。 ガイドブック等によれば、今の時期、 南半球、夏、高温多雨。 但し、「タヒチは、1年中がベストシーズン」 と書いてある。 残念ながら、宣伝文句に謳われていた、 南国、南海の青い空、 透き通り変化する青い海、、、、 13日間の旅の内、僅か数時間の太陽の輝き、、、 運が悪かったかと諦めるか? でも、その僅かの時ながら、ライアテア島、 そして、ボラボラ島では、快晴。 あっという間に日焼けする程の強い日差し、 水遊び、シュノーケル、 南海の熱帯魚群、おまけの「エイ」や鮫。 興奮の体験時間でもあった。 そんな南海の「タヒチ諸島」。 ゴーギャン等西欧人が求めた「南海の楽園」 そして「天国にいちばん近い島」のイメージ通りの 島々で有り得たかどうか? ささやかな、滞在時間の印象をあえて記すとすれば、 約100年超、フランスの植民地とか支配下にありながら、 町並み、建物、食べ物、衣服、ファッション、 そして人々の顔付き等、とても、とても、 フランスの強い影響を受けている感じがしない。 褐色の肌色、男女ともごつい体型、1年中30度近い 気温の為か簡単に裸に近い衣服、そして木造平屋 建ての住宅、少ない電柱。 パペーテを除き、島に降り立つ港には、 小さいスーパー、数軒のお土産店等が 閑散と有るのみの風景から類推すると、 私達社会と相当に違う感じ。 働く場所とすれば、観光産業が主体。 昔から「衣食住に心配の無い生活に慣れている」 こともあり、、、 基本的に、「なぜ?働くの?」が人生観みたいだ、、、。 現地人の大半は、働き、賃金を貰えば、、、 そのお金を使い切るまで、 次には、働きに来ない、、、と聴く。 ゴーギャンの代表作「我々は何処から来たのか。 我々は何者か。 我々は何処に行くのか」 (1897年作)での、問題提起、、、、、 もしかすると、ゴーギャンが見た南海のジャングルや 原始的生活と、そんなに違わない海や森の風景や 人々の暮らし、そして 「風や光」が、今でも色濃く 残っている場所かもしれない。 原始的生活、、、 ある日いち日の日記が、 ほぼ一生の記録と同じかもしれない日々。 「 地上の楽園 」 「 エデンの園 」 「 天国に近い島 」 「 ユートピァ 」 「 桃 源 郷 」 「 酒 池 肉 林 」 「 仙 人 郷 」 「 極 楽 」 「 コスモポリタン 」 「 青 い 鳥 」 「 星の王子 」 等々、人間様が求める理想郷。 現代社会の人々は、無いものねだりのように、 「地上の楽園」を探し続けている。 その代表の地の一つとしての「タヒチ」 「楽園の住民」でもある原住民の「心」は、 如何ばかりであろうか。 もう一度、快晴の乾季に、是非とも、来て見たいと、 強く思った、、、、。 ・・・終わり・・・ :::::::::::::::::::::::::「自由が丘氏のタヒチ紀行文」はこれで終わりです。 「ナナー」さようなら、です。 40周年の節目を超えて、お二人いつまでも仲良く お暮らし下さい。またのお便りを期待しております。 編集が不慣れでお詫びいたすこと多々あり。 ・・・めいてい君 記す
Apr 2, 2013
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タヒチ 11日目 モーレア島(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) 現地 11日目(2月7日)最終寄港地:モーレア島に8時到着。 ミュージカル映画の傑作「南太平洋」の撮影地。 同行のYさん母娘が、一番楽しみにしていた 「珊瑚礁でのシュノーケリング」OP。 でも、このお母さんは、、なんと驚く無かれ 昭和5年生まれで、今年83歳になる。 もちろん、日本から自前のシュノーケリング用品を持参。 クールーズ、20数回目。 世界の各地の海で、潜っているとの事。 元気だ、、、、船で30分程でラグーンへ。 この時も、雲間からそこそこの太陽の輝きあり。 海に下りようとすれば、、、 シャーク、、、SHARK、の声、、、 見れば船の周りに10数匹の鮫、、、、鮫、、、、 2,3匹づつ かなりのスピードで回遊している。 びくびくしながら海に下りれば、直ぐ其の前には、 先に降りた船員が、かなり、 大きい2匹の「エイ」と遊んでいる。 嘘でしょ、、、、、の世界でもありました。 「エイ」の尻尾は棘があると聞いています。 恐る恐る、近づき「エイ」に 触ってみました。 なんと、、なんと、、、すべすべの肌、、、 滑らかな背中を擦って上げました、、、、 お腹のほうから 抱き上げるようにもしました。 棘も大丈夫。人なつこい、優しい「エイ」でした。 珊瑚礁では、それこそ、沢山の種類、 赤、黄、青、極彩色の熱帯魚に 取り囲まれました。 ・・・・・・・・・・・・・ モーレア島:17時出港:タヒチ島へ50km。 20時:タヒチ島到着、停泊。
Apr 1, 2013
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タヒチ 10日目 ボラボラ島 結婚40周年記念日(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 10日目(2月6日) ボラボラ島最終日ボラボラ島の2日目。 ツアー同行者等と乗り合いトラックバスにて、 プライベートビーチ付き、 ボラボラ:インターコンチネンタルホテルへ。 あのYさん母娘とバッタリ遭遇。 ここへの宿泊。羨ましい。 朝の10時30分時点では、なんと、快晴。 水上バンガローを横目に見て、遠浅、珊瑚白砂、 穏やかな海に浸かる。 バンガロー付近には、熱帯魚群がウヨウヨ、、、、 ぷかぷか、、、ふわふわ、、、波間で遊ぶ。 透き通る海の水、生暖かい、、、寄せる波に 珊瑚の白い砂が混じる、、、 少しづつその白浜に埋まり始める、、、、 身体を波に任せて浮遊する、、、、 昼食は、このホテルにて、豪華にたっぷり食べる、、、 昼過ぎから、濃雲となる。 ボラボラ島:17時出港。モーレア島へ。180km。 今夜は、第2回目の「フォーマル」の正装。 丁度、私達の ・・・・・・・・・・・・・結婚40週年のアニバーサリーDAY・・・・・・・・・・・・・ と言う事で、 特別のケーキとレストランに居る皆さんの大合唱で 祝って貰う。 「もう、、、40年も、、、経ったんだぁ、、、、」である。 夜の23時過ぎから、10階展望ラウンジで、 シャンパンタワー祭り。 積上げた600個のグラスに、ジャバ!ジャバ!と、 惜しげもなく数十本のシャンパンを注ぐ。 皆も、興奮気味に参加した。 ・・・・・・・・・・・・☆ 祝結婚40周年記念日 ☆ めいてい君より花束贈呈
Mar 31, 2013
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タヒチ 9日目 ボラボラ島 初日(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ13日間( 2013:1/ 28~2/ 9) Prof. 自由が丘 氏 記 クルーズ・マップ現地 9日目( 2月5日 ) ボラボラ島 8時:ボラボラ島に到着。 タヒチ諸島では、一番人気のボラボラ島。 島を取り巻く小島( モツ )に囲まれたラグーン( 礁湖 )、 浅瀬の珊瑚白砂の海、 ボラボラ島( WEBより )「 地上最後の楽園 」と言われ、日本の海外新婚旅行 NO1クラスの人気。 海に突き出る海上コテージは、ハイシーズン、 1泊朝食付で、数万~10万円位/人だそうだが、 予約困難らしい。 でも、悲しいかな、ボラボラ島は、雨でした、、、、、 午後、テンダーボートで上陸。地元の薄暗い スーパーにて、皆は、香港製の「 カップラーメン 」、 私は「 焼きそば 」を買う。 9階船尾の海を見晴らす、オープンレストランにて、 紅茶用の白湯を失敬し完成。 絶景。夜毎、夜毎、洋食のフルコースでもあり、 なぜか?無性に美味しかった。 ボラボラ島露天商この日1泊、Yさん母娘は、OPにて、海上コテージを 予約、外泊したそうだ、、、 ・・・・・・・・・・場外から・・・めいてい君などは「Bora Bora」をなにかで 見たようだと思っていたら、BabolaT という 仏メーカーのテニスラケット・ロゴであった。 全く関係ない話・「 勘違い 」である。
Mar 30, 2013
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タヒチ 8日目 ライアテア島 (WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 8日目(2月4日) ライアテア島 タヒチ・クルーズ・マップ ソシエテ諸島のタハア&ライアテア島地図 ライアテア島( WEB から)ライアテア島:接岸 到着。 タヒチ島に次ぐ周囲170km、標高1000mを 超える山が海岸から直立する。 山並みは高く深く、緑は濃く原始的景観である。 ポリネシア人が最初に住み着いたと言われる タヒチ諸島の聖地。 人口は6千人と言うが、人も建物のまばら。 何処に人が居るのであろう。 8時出発:OPにて「真珠養殖場とマハエア島 モツビーチ遊泳」。 陽気な船頭のタヒチ歌付きの小型船で30分。 マハエア島と言っても、 縦100m、横50m位の珊瑚礁砂丘小島。 海抜、せいぜい50センチ位ながら、 100本近い椰子の木がびっしり。 木々には、「CAUTION」の警告看板。 丁度その頃、雲間から正に久しぶりの太陽、 太陽さまが顔を出した。 急に、島を取り巻く浅瀬の砂浜、珊瑚礁が 白く青く、南国、南海色に輝き始める。 珊瑚岩間を遊泳する色とりどりの小魚群、 これが、これが、、、夢にまで見た海の色だ、、、、 1時間近く、海に浸る。全ての生物は、海から 陸に上がり進化したと言う。 私の遠い、遠い、遠い、、、故郷かも知れない。 マハエア小島(*)(*)タハア島の東岸北沖にあるマハエア・モツ (Motu Mahaea/モツは珊瑚砂で出来た小島)午後から天気急変。強い風雨。 夕方、島の子供達、お母さん方による約30名のタヒチアンダンスショウ。 3歳の女の子から15~20歳ぐらいまでの男の子と女の子。 みんなの肌は、たっぷりと南国の太陽に晒した沈むようなこげ茶色だ。 男の子は腰蓑、女の子は腰蓑に椰子の実ブラジャー、頭には、 ティアレの王冠花束。踊りにはテーマ、ドラマがあるようだ。 神への祈り、喜び、感謝、、、そして何よりも激しさを増すのが、男女求愛の踊りだ。 昔、この地を訪れた欧州人は、此の踊りが余りにも刺激的、官能的、妖艶であったため、 一時的に禁止命令を出した程と言う。 ライアテア島:23時出港:ボラボラ島へ、140km。 おもてなしタヒチアン・ダンスショウ・・・・・・・・「 ライアテア 」の意味=「遠い天国」[光り輝く空]
Mar 29, 2013
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タヒチ 7日目 終日航海(→ライアテア島)(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 7日目(2月3日) 終日航海 <→ライアテア島 > 終日航海。 朝から風雨強し。9階のプール、甲板も人影は疎ら。 こんな時、同行者と友好マージャン、アフタヌーン ティーパーティ、そして、タヒチダンス講習会に参加。 タヒチダンスは、低くした腰を如何に小刻みに前後左右に リズミカルに振り切れるかがコツとなる。 30分の講習で、汗だく、ふらふらになる。 クルーズ船ラウンジ
Mar 28, 2013
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タヒチ 6日目 ランギロア環礁(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 6日目(2月2日) ランギロア環礁・・・→(ライアテア島)クルーズ・ルートマップ 世界第2位と言われるランギロア珊瑚環礁ほんの一部です自由が丘氏は雨天なので他の旅行記から拝借ダイバー憧れの巨大ラグーンの触れ込みであるが、生憎、朝からかなりの雨。午後、雨間を縫いテンダーボートで上陸。何とか、水着に着替える。あめ、雨、ふれ降れ、もっと降れ。自棄気味に歌う。砂浜に立つとき、後ろに、ドスゥン、なんと、椰子の実が落下。ここらの島々では、椰子の実の落下障害事故が交通事故より多いとか?「実」に何とか傷を付け、中の液体を飲もうとしたが、まるっきり硬くて駄目。仕方なく、海に流す。伊良湖岬で、作詞されたと言う「名も知らぬ遠い島より流れ着く椰子の実ひとつ、、、、、、、」を思い出し、口ずさむ。これは自由が丘氏から17時:ランギロア環礁出港。ライアテア島へ。450km。
Mar 27, 2013
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タヒチ 5日目 終日航海 (ファヒネ島→ランギロア環礁)(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 5日目(2月1日)終日航海・・・ランギロア環礁へクルーズ・ルートマップ////////////・・・・・・・・・・・///////////////~~~ ~ ~ ~ ~~~////////////////・・・・・・・・・・・ /////////終日航海 。昨晩からかなり強い雨。/////////// 今回、奮発した海側部屋のプライベートバルコニーにも、強い雨風。 視界不良、がっくり、無念。午後、Yさん母娘と暇つぶしのマージャン。 夕方は、船長主催の歓迎パーティ。船長は、イタリア人。 例の地中海での座礁事故が頭を過ぎるが、真面目そうな船長で一安心。 乗客、28ヶ国、631名。内、アメリカ人、373名、カナダ人、92名、 日本人:13名。仏人僅か、中国人は零。 夜は、第1回目のドレスコード「フォーマル」。所謂、「おめかしのディナー」である。 特に、アメリカ人は、この催しが大好きみたいで、男性は、エナメル靴のフルタキシード、 女性は、胸開きたっぷりのドレス。プールで見た、あの超メタボの体型が、かっこ良く 様になる変身振り。 そして、撮影室で、寄り添い、微笑みの記念写真となる。 //////////・・・・・・・・・・・・・・・///////////////////////~~~ ~ ~ ~ ~~~ ~
Mar 26, 2013
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タヒチ 4日目 ファヒネ島(WIKIPEDIA) 特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 現地 4日目 (1月31日)ファヒネ島・・・ → (ランギロア環礁)クルーズ ・ ルートマップ ファヒネ島の全島地図 ~~~ ・・・・・・・フアヒネ島マロエ湾沖に停泊。 クルーズの案内写真 テンダーボートで上陸。小さな島である。 トラックを改造したシャトルバスにて、ファレ海岸へ。 オンボロ車でがたがたの道を走る事30分の熱帯原生林の山越え。 途中、原生のバナナ、ココ椰子、パンの木々。 薄曇りの天気、温度計を見れば28度。 背後は切り立つ山、ジャングルで、ラグーンに囲まれた、 遠浅の穏やかな海に浸かり遊ぶ。 点々とした原住民の平屋小屋、人、車が殆ど無い道路、 たむろする犬、見るもの、聞くもの、全てが止まっている 不思議な空間となる。 広大な海に入り戯れるのは、私達観光客の30人程。 そして、聞こえるのは、その嬌声と波音だけ。 ~~~17時:フアヒネ島出港。 ~~~ ~~~ ランギロア環礁へ、485km。 ~~~ ~~~ ~~~
Mar 25, 2013
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タヒチ 3日目 パパーテ出港(ファヒネ島へ)(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 クルーズ・ルートマップと 予定表 現地 3日目 < パペーテ港→ファヒネ島 >1月30日: 船内。 ほぼ快晴でも在り、午前2H、午後1H、 9階の展望プール、ジャクジーに浸かる。 17時、パペーテ港出港:フアヒネ島へ180km。 ・・・・・・・・・・・・オーシャンプリンセス船内紹介 大階段奮発した7階の海側プライベートバルコニー付船室
Mar 24, 2013
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タヒチ 2日目 ひょっこりひょうたん島(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチ ボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ 13日間(2013:1/28~2/9) size=2>Prof. 自由が丘 氏 記 現地 2日目: パペーテ観光、クルーズ乗船 1月29日:「ひょっこりひょうたん島」?の原型 (資料:タヒチ観光局 ・・・ ヌイ=大、イチ=小)・・・・・・・・・・・・・・午前中:タヒチ島の中心地であるパペーテの観光:マルシェ、カテドラル教会、そして博物館。 繁華街と言おうか海岸線に沿って、約1000M、 奥行き300M位の狭い地域に密集。 高層物は無く、せいぜい3~5階建て位。 新築と言うより相当の築年数経過の古ぼけた 建物類が目に付く。 町全体は、相当に埃っぽい。 最大の売りものである「黒蝶貝真珠」の 売店が多数。 怪しく茄子紺に黒く光るが、本物と思しきものは 相当に高そう。 人口の70%は、原住民のタヒチ人。 混血人は10数%で少ない感じ。 フランスの植民地になって、100年超の首都: パペーテながら、余り、フランスの建物とか、 フランス文化、風俗、習慣には余り影響されて いないようである。 また、高温多湿の熱帯気候地帯でもあることから フランス文化と言うか、人間文化の象徴でもある フランス料理とかファッションには、程遠い雰囲気 の街、人々の顔である。 えっ、、、フランス領、、、、どこが、、? どこに、、、? 昼過ぎ:オーシャンプリンセス号に乗船。 1999年建造。30200トン、バミューダ籍。 乗客:630人:乗組員:330人。時速:30キロ。 9階にプール。10階に展望ラウンジ。 今回、私達の船室は、従来の「内側:窓なし」の所謂: 「蛸部屋」から、美しい海を堪能したくて、7階の 「海側:プライベートバルコニー付き:20平方m」。 夜は、下船して、バイアテ広場の屋台にて、 焼きそばを食べる。(船内泊)
Mar 23, 2013
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タヒチ 1日目 ファアア空港wikipedia特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 CIA現地 1日目 ファアア空港到着 1月28日:出発前日より千葉県地方を中心にかなりの積雪。残雪の成田空港発16:00.エァー タヒチ ヌイの直行便にてタヒチへ。飛行時間:11時間飛行距離:9500kmエァバス:乗客:300名強:ほぼ満席。 時差はハワイと同じく、19時間。 タヒチは、快晴。珊瑚礁を埋め立てた、ファアア飛行場にて、美しいタヒチ女性から歓迎の真っ白な国花のレイ(ティアレ)を付けて貰う。 30度超:蒸し暑い。 オ、、、ワォー、、、 遂に来たぞ、、、 来たぞ、、、 南海の楽園に、、、、 宿泊ホテル:インターコンチネンタル・タヒチ・へ。 飛行場から20数分。 3階のオシャンビューの部屋から 椰子の木を透かし見る海は、 真っ青に輝いている。まさに、美景なる楽園にたたずむ、 テラス付き豪華客室にて熟睡、、、、 (ちょっと、タヒチ諸島の薀蓄) ポリネシア諸島を経由して、 この南海の環礁諸島に 原住民と言われる人達が移り住みついたのが 西暦300年頃と言われる。 1700年代より英国、フランス、スペイン等の 探検家、宣教師等が来島。 1788年、映画にもなった「戦艦バゥンテイ号の叛乱」。 1844年、タヒチ:フランス3年戦争。 1880年、酋長ポマレ5世は、 現地主権をフランスに譲渡し植民地になる。 1957年、フランス領ポリネシア (フレンチポリネシア)と命名される。 1966年、ムルロア環礁での仏:核実験。 現在、政治的にはフランス政府と領土政府の 二重構造による共同管理体制。 域内の諸島を含め、人口は27万人、 その首都がタヒチ島:パペーテ(人口:2万人)。 タヒチ島は、佐渡島より、やや大きい島。
Mar 22, 2013
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タヒチ プロローグ(WIKIPEDIA)特別寄稿:南国の楽園タヒチボラボラ島とフレンチポリネシアクルーズ13日間(2013:1/28~2/9) Prof. 自由が丘 氏 記 プロローグ 私は昭和17年、東京都文京区に生まれ、今年71歳になります。昭和20年代から30年代が、 私の子供時代、学校時代です。 当時はまだまだ戦災後の焼失家屋跡の 焼け野原、 お屋敷跡が結構残っており 子供達にとっては 恰好の遊び場でした。また、当時は勉強、宿題も 今ほど五月蝿くありません。また、皆んな貧乏であったせいか 特段差別とかいじめ、 男の子と女の子との区別も無く、それこそ、皆で仲良く、何時も遊んでいたとの記憶があります。そんな頃から私は、何となく、 海外に興味を持ち始めていました。ディズニーの漫画、、「青い大陸」、 なんと言っても昭和36年末封切りの映画 「ウエストサイド物語」 腰が抜ける程に興奮しました。ボーリングを始めて遣ったのが、昭和34年、神宮の青山ボーリング場。そこで、初めて飲んだのが、「コーラ」。 薬臭くて閉口しました。 また、昭和34年開始のTV 「兼高かおるの世界の旅」、 昭和36年の小田実の 「何でも見てやろう」、 昭和37年堀江謙一のマーメイド号、 太平洋単独横断航海 「太平洋ひとりぽっち」、 昭和41年、ニューカレドニアを舞台にした森村桂の 「天国にいちばん近い島」等に感化されました。「一生に一度でも良いから、いつかは外国に行ってみたい、、、」 当時、海外旅行など、夢の世界の出来事でした。そんな中、昭和44年「JALパック」創設され、確か、「ロンドン、パリ、ローマ、9日間、29万円」 の募集広告。 申し込もうと上司に相談したら、当時の「連続有給休暇限度:5日間」の規程を乗り越えることが出来ず、 断念。当時の月給は、3万円位でした。初めての海外は、昭和57年、生産性本部主催の海外研修で、「上海、天津、北京」へ。約500名参加。 人民公社が華やかりし頃で、まだまだ中国は相当に貧しく、 パトカー先導で信号ノンストップの観光でした。それから30数回、海外に出掛けています。ほぼ、年に1度位ですが、年を取った為か、荷物移動が負担になり始め、最近はクルーズに嵌っています。今回のクルーズは、8回目です。昔から、何となく憧れの地である南太平洋。ミュージカル映画「南太平洋」で歌われる数々の名曲。そして、 「天国にいちばん近い島」とかへの憧れ、その象徴的な島と言うと「タヒチ」が 思い起こされました。眩しいばかりの青さを誇る海と空、 真っ白なさんご礁:ラグーン、 乱舞する熱帯の魚たち、そして、 ゴーギャンが期待したような純粋、 素朴で優しく、美しい人達に囲まれた ユートピァ。そんな妄想を夢見ての旅立ちとなりました。
Mar 21, 2013
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めいてい君の尊敬するクルーズ愛好家:自由が丘氏からメールをいただきました。明日から、しばらく、素晴らしき、 ゴーギャンの夢の後 を追います。明日をお楽しみに!P.S.タヒチは言わずと知れた、「フランス領ポリネシア」です。基本事情の写経は、2012.12.29~31に掲載済みです。実際に目で見て、触れて、潮の臭いをかいだ紀行をご覧下さい !△△▽△
Mar 20, 2013
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超豪華クルーズ船でのタキシード、イブニングドレスを 纏った「夜の正装パリ社交界」を離れて、 真夏の(ような)明るい陽光を軽装で楽しみます。 時には、海水パンツで洋上プールに入り、また、 クルーズ船客だけが利用できるプライベート・ビーチや 二人だけのコテージで休息します。 ここは、天国に一番近いかも知れない、 そうゴーギャンが感じたところです。 間違いなく「エデンの園」では ありませんか? * *************** ** *************** *(2)観光地案内の収集・・・寄せ集めです・・ [X1,X2]・・タヒチ島 タヒチ島は仏領ポリネシア最大の島で、タヒチ・ヌイ(大タヒチ)と タヒチ・イティ(小タヒチ)のひょうたん形の2つの島で構成される。 ファアア国際空港と、首都パペーテ(港)があり、タヒチ旅行の 玄関口である。 空港に一歩降り立つと、タヒチ音楽とティアレの花香の歓迎に、 ゴーギャンでなくとも、南海の楽園を実感する。 首都パペーテは近代的街並み、エキゾチックな港町で、椰子の 木が貿易風にそよぎ、白く輝く家々が丘陵地帯に立ち並ぶ。 仏文化の影響を最も強く受け、仏製品、世界の一流品が手に 入る。 他方で、島の奥地には深く険しい山々や熱帯植物に覆われた 谷があり、糸を引きながら落ちる滝、水量豊かな清流、色鮮や かに咲き乱れる熱帯の花々など、タヒチならではの自然が存分 に残されている。 街散策の他にはゴルフ、ダイビング、サーフィンなどのスポーツ も楽しむ事ができる。 [X2]・・ライアテア島 火山島で、同諸島中,タヒチに次いで大きく,面積240平方km, 人口約6,500人。 自然の景観にすぐれ,近年,欧米諸国などから訪れる観光客 が多い。 かつてこの島は、聖なる島「ババイキ」と呼ばれ、ポリネシア人が 最初に定住した島。 中部ポリネシアの宗教的中心地として,独自の神学を発展さ せた。 オポア村のタプタプ・アテアのマラエ(祭祀場)には,遠方の島々 から多数の巡礼者が訪問し,テ・メハニ火山(1,032m)の火口 は神々の住む冥界への入口で,宇宙の中心と考えられた。 此島でしか見られない珍しい花「ティアレ・アペタヒ」が咲き、 ポリネシアのオリンポスにあたる「芳香の楽園」テメハニ山が、 いまだ現代社会の喧騒とは無縁のこの島を静かに見守る。 ライアテア島とタハア島を隔てるラグーンはサファイヤ色 とエメラルド色に輝き、神秘的で美しいラグーンに囲まれた タハア島には人里離れた小島にラグジュアリーなリゾートが あることでも有名。 [X3]・・タハア島 タハア島を望む商業港ウツロアはクルーズ客船の寄港地 として重要な町。 タピオイ山の展望台からウツロアの町を一望できる。 東側のアベラ地区は19世紀末、タヒチ人と仏人の最後の 戦の場所で、女王ポマレ4世の避難場所。 ファアロア湾の奥には小さなたヨット・ベースがあり、 ボートやカヌーが航行できる唯一の川「ファアロア川」 へと続く。 オポア村は由緒ある古代ポリネシア宗教地で、整形された 珊瑚岩が整烈し、荘厳な「タプタプアテアのマラエ」では、太平洋 諸島からの大型カヌーが珊瑚礁切れ目、神聖な「アバモア・ パス」を通り上陸、神秘的な雰囲気のもとで任官儀式と 異国間交流が行われた。 西岸では、一方はモツ(タヒチ語で「島・小島」 の意。珊瑚礁 による岩礁)の浮かぶラグーン、他方は滝の激しく流れ落ちる 山並みと、美しい風景が続く。 道はさらに畑や牧草地、果物の木の林に沿って続き、美しい 白砂のビーチの広がるテバイトアの村に至る。 ここはまたテメハニ山に登るハイキングの出発点で、この島の 象徴である白い花、「ティアレ・アペタヒ」が咲く。 [X4]・・ボラボラ島 ソシエテ諸島にある島で、首都パペーテがあるタヒチ島から 北西約260kmに位置しており、仏領ポリネシア中でも最も 美しいとされる。 1周約30kmの本島と、その周囲を約40kmのリーフ(岩礁) が囲み、面積約36平方km、2000年現在人口は約4,500人。 中心街は本島西側に位置するヴァイタペ。島の中央にオテマヌ 山(727m)がそびえ、周辺のモツからその姿を一望できる。 主にハネムーンでの利用が多いが、海の美しさや透明度の 良さからスキューバダイビングの利用客も多く、日本人を 含む多くの旅行客が訪れる。 毎年、7月頃「Heiva i BoraBora」(ヘイヴァ・イ・ボラボラ)祭 が開催され、多くの現地住民が参加する。この時期に訪れる 観光客もいる。「Heiva i BoraBora」は、7月14日の仏革命 の記念日(祝日)を起源とする仏領ポリネシアのお祭りで、伝統 的なダンスや楽器演奏に加え、様々なイベントが催される。 ほぼ同時期に、ボラボラ島以外の島々でも開催されている。 タヒチ島ファアア国際空港からボラボラ空港へエアタヒチが 空路定期便を毎日運行、直行便で50分、他島経由便では 最大120分。ボラボラ空港は島北西側のリーフ、モツ・ムテの 上に位置しており、本島及び島内各ホテルへは空港からボート で渡ることになる。本島のヴァイタペへは、エアタヒチが飛行機 の発着に合わせてシャトル・ボートを運行している。 また、空港内に主要ホテルのカウンターが設置されており、 ホテルに宿泊する場合は空港~ホテル直行の送迎シャトル・ ボートを利用する事が多い。 [X5]・・モーレア島 映画『南太平洋』のロケ地にもなった美しい島。1,000メートル 級の切り立った山々が連なり、山裾がそのまま海に吸い込ま れていくような絶景に出会える。 その素晴らしい風景が見たいならベルヴェデール展望台が おすすめ。ロツイ山の左にオプノフ湾、右にクック湾が切れ込 んでいるさまを一望にできる。 リゾートホテルが集まっているエリアはパペトアイといい、 村には1811年にイギリス人の建てた教会がある。 観光スポットとしては、昔のタヒチの生活を再現している ティキ・シアター・ヴィレッジなどが有名。* *************** ** *************** * 今年も「脳幹梗塞の脳トレのお付き合い」でお世話に なりました。 めいてい君 記す
Dec 31, 2012
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「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 「自由が丘氏への提案クルーズ」の (1)仮想日程表、 (2)観光地案内 まるで寄せ集めです。 ***(1)仮想旅行日程(案) XXXX年YY月ZZ日*** <豪邸から空港へ移動>・・・本当は自家用ベンツor 'Heli.'? (特急土曜日運行時刻表) *東急東横線特急 <2駅> [自由が丘]発12:29 (渋谷着 12:38)*JR特急成田エクスプレス <3駅> [渋谷]発12:46 (成田空港第2ターミナル着13:54) ▽△<集合:出国> *直行便:「エアータヒチ・ヌイ」(月曜日)・土曜日運航 1日目(現地は前日)<成田→タヒチ島> 成田発 土曜日 16:00<タヒチ時間(金曜日)21:00>Faaa空港着 土曜日 8:20 飛行時間=11時間20分(11.333時間) 大圏飛行距離= 9,463km 航続速度= 835km/h [X1]・・タヒチ島観光 終日 (後編)(2)観光地案内参照・・以下同じ) ▽△ <超豪華クルーズ船に乗船> パペーテ出港 23:59(土曜日) 2日目 <タヒチ島→ライアテア島> ライアテア島入港 11:00(日曜日) 航海時間11時間1分(11.01666時間) 航海距離= 215.3km 航海速度= 19.5km/h [X2]・・ライアテア島観光 11時-18時 ライアテア島出港 18:00(日曜日) 3日目 <ライアテア島→タハア島> タハア島入港 9:00(月曜日) 航海時間15時間 航海距離= 22.5km 航海速度= 1.5km/h(船内娯楽時間か) [X3]・・タハア島観光 9時-17時(月曜日) タハア島出港 17:00(月曜日) 4日目 <タハア島→ボラボラ島> ボラボラ島入港 8:00(火曜日) 航海時間15時間 航海距離 28.3km 航海速度= 1.9km/h(船内娯楽時間か) [X4]・・ボラバラ島観光 8時-終日(火曜日) 5日目 <ボラボラ島滞在> [X4]・・ボラバラ島観光 8時-18時(水曜日) ボラボラ島出港 18:00(水曜日) 6日目 <ボラボラ島→モーレア島> モーレア島入港 8:00(木曜日) 航海時間14時間 航海距離 234.1km 航海速度= 16.7km/h [X5]・・モーレア島観光 8時-17時(木曜日) モーレア島出港 17:00(木曜日) 7日目 <モーレア島→タヒチ島> パペーテ入港 19:30(金曜日) 航海時間2時間30分 航海距離 27.6km 航海速度=11.0km/h ▽△ <超豪華クルーズ船を下船> 8日目 <タヒチ島> パペーテ滞在 [X6]・・タヒチ島観光 終日(土曜日) ▽△<航空便>*直行便:「エアータヒチ・ヌイ」 9日目<タヒチ→成田>Faaa空港発 (土曜日)6:30<成田時間 日曜日 1:30>成田空港着 日曜日13:35 飛行時間=12時間05分(12.0833時間) 大圏飛行距離= 9,463km 航続速度= 783.1km/h ▽△ <帰国:解散> ご苦労様でした! ****************** (2)観光地案内は午後配信、今年の呆け日記はそれで終わりです。
Dec 31, 2012
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/////////////////////////////////////// /// 寄稿文「輝く女性たち」 ////////////////////////////////////////// 寄稿者:自由が丘氏 講演者:その4<最終回> 田嶋 陽子 さん 元法政大学教授(英文学)、 元参議院議員、 テレビタックル出演者、、、、 女性研究家。 1941年生で現在71歳。 7年程前、64歳の時、何とかして、シャンソンを歌いたいとの夢、想いに駆られ先生に師事。 習えば、人前で歌いたいとの思いが強くなり、シャンソンライブの老舗である四谷の「蟻ん子」に、自らが電話を掛け、オーデションに参画。合格して、今でも舞台に立つ程の入れ込み。 この11月は、軽井沢の小ホテルでの 「ディナーショウ」。 観衆 約100名。 感想は? と言われれば、、、、 声の質は、綺麗で透き通る感じながら、 体格、性格、生き様を反映してか? かなり張りのある強い声。 シャンソン特有のうら寂しげな雰囲気とか、 反戦悲歌も、 彼女が歌うと、 なぜか? 元気を貰える様な、不思議な歌となる。 そして、何といってもの圧巻は、 ド派手な衣装と、 悪説トーク。 10曲、90分は、笑いの渦に包まれて終わる。 ただ、歌う途中、なんと、3曲で歌詞を忘れ、 中断とか、 始めから歌い直し。 プロ等では決して許されない事ながら、 大きな口を開け、 アハハ、、、、の笑い声で、 と惚けていたのが愛嬌か? 現在は、作曲家、小椋佳氏らと共に、 全国に飛び回っているらしい。 ともあれ、64歳にて発奮し、71歳の現在でも、 新曲に挑戦。 元宝塚的な堂々たる歌いっぷり。その、もがく姿は美しく、華やかで、楽しさ、 爽快さがある。 善人であろう。 ・・・・・・・・・・・ (終わりに) ・・・・・・・・・・・ 人様からは、女性好きなゆえの「感動」と言われそうであるが、この秋、10、11月は、 他に 「伊藤元重: 東大教授」 「田原総一郎: ジャーナリスト」 「渡邊淳一: 小説家」 「堀場雅夫: 堀場製作所顧問」「中国思想研究家」 等など、 男性陣の講演も多数聴講。 でも、なんか、、、新聞、書籍、テレビの解説、総集編的な講演で、やや表面的、薄い感じ。 何かと参考になったが、琴線への刺激なし。 少し、ぼんやり、男中心の世界で馬齢を重ねるうち、近時、女性群の中には、極く普通の日常生活の延長線の中で、自己発見、自己実現 をしている人達が居る事に気がつかなかったみたいだ。 年齢を超えて、自己の才覚、才能、興味に気づき一途に取り組んだり、ちょっとした切っ掛けにより社会的貢献活動(フィランソロピィ)に身を投じ、、、 「輝いている女性たち」 我が老後意識、 健康長寿、 PPK(ピンピンコロリ)、 無迷惑、 安楽、 程度の愚かさを白状するような、 恥ずかしき一文でもあります。 そして、今夜も、毎年恒例の「忘年会」。 いそいそと、、、、 出かけてしまいます//////////// ////////////////////////// ////////////// 自由が丘氏からの寄稿文は、今回、これまでです. ふたたび楽しいお話を待っています。 クルーズ体験記なども再々度期待したい。 御礼として、貴兄に行ってもらいたい候補地として基本事情に漏れていた、最後の最後である、タヒチアンブルーの国・「フレンチ ポリネシア」を資料不足の中で敢えて数日掲載してみます。 観光資源が命のこの国に、日本が稼いだ外貨を有効にお使い下さい。 タヒチアン・クルーズの仮想日程表、観光情報も集めてみましたので参考にしてください。 WEBには、「映像入り」の美しい景色が付いている旅行記がふんだんにあり、現地に行かなくても充分に楽しませてくれます。 しかし、映像はあっても、椰子の葉が揺らぐ貿易風や、胸のレイ香や、見たことのない黒蝶貝真珠、おいしい現地の料理・お酒、楽しい会話は聞けないので、貴兄のお土産話を期待するしかありません。 ただ、言えることは、事前の調査をしておかないと、あっという間に現地の時間は過ぎ去ります。 それに、目に見えない人間の制度、習慣、技術などもよほど意識しないと脳に映りません。 脳幹梗塞の小生が言うのは可笑しいですが、後悔しないように、事前の準備を怠らない方が、旅を100倍~1,000倍楽しめると思います。 今回は、お忙しい中を寄稿ありがとうございました。 (めいてい君 記)
Dec 28, 2012
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////////////////////////////// /// 寄稿文「輝く女性たち」///////////////////////////////// 寄稿者:自由が丘氏 講演者:その3. 六草 いちか さん 昨年の3月に出版された 「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」の作者である。 1962年生。24歳時ドイツに留学を経て居住。 在独ジャーナリストの立場でドイツ情報などを発信。 ひょんな切っ掛けで、森鴎外の小説「舞姫」(1890年発表)の女性主人公「エリス」の正体を突き詰める事にのめり込む。 私自身の小説的興味を申せば、鴎外は、その生き様を含めて、大好きな小説家である。ただ、この小説の主人公の豊太郎は、官費留学生の若い身で、ドイツの踊り子「エリス」に恋をし妊娠させながら、彼女と別れ帰国。その後彼女はパラノイア、発狂する等と言う物語。主人公による恋の顛末の冷酷な対応で、日本女性の大顰蹙を買うほどの物語でもある。この「エリス」の正体、、、鴎外の実話か?空想か?モデルが居たのか?その人物は?「踊り子」「お針子」「路頭の花」「良家の子女」等など、小説発表後120年以上種々様々な記述、研究がなされている「謎」の人物である。作者は、ドイツ在住の立場で、小説の1字1句を基に、ベルリンの地図、住民票等を、120年前に遡り、実地検証する。日本と違いドイツには戸籍制度が無くその作業は難航を極める。彼女は遂に、その存在を、マイクロフイルムにかすかに記録されていた、100年超以前の教会受洗簿にて、遂に、突きとめる。1866年9月15日生まれの「エリーゼ、マリー、カロリーネ、ヴィーゲルト」。文壇史上の歴史的発見との評価もある。これらの発見経緯を、淡々と話す。クリスティの名探偵「ミス マーブル」による、謎解き、朗読会みたいで、聴衆者は興奮の坩堝に落ち込まされる。本作品は「エリス」の発見、本人特定で終わるが、発表後の調査で、「エリスの一生、終焉」が解き明かされ、来春発売の第2作目で発表されるとして、講演は終わる。/////////////// ///////////////「鴎外の恋:舞姫エリスの真実」は去る9月15日に文教シビックホールで森鴎外生誕150年記念リーディング・ドラマとして、「斉藤由貴」「小林隆」「ともさと衣」出演、佐山雅弘のピアノ演奏で発表されている。ベルリンに在住する、その著作者本人のお話だからインパクトがあるのは当然であろう。小生なんぞ、著者の名前「六草」氏を「ろくそう」とそのまま読むことを躊躇い、「むくさ」「りっそう」などと悩んでいた。写経での間違いは小生の責任である。 (めいてい君 記)
Dec 27, 2012
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////////////////////////////// /// 寄稿文「輝く女性たち」/// ////////////////////////////// 寄稿者:自由が丘氏 講演者:その2. 鈴木 美津子 さん 軽井沢在住の自然環境保護のボランティア的活動家。 年齢不詳ながら、65歳前後か? 父親は元軽井沢駅長で、長女が軽井沢の病院での 出産医療事故により死亡。それらが切っ掛けになり、 本活動に本格的に取り組み始める。 風光明媚、自然豊かな軽井沢は別荘地開発の進展が 急激に進む。 軽井沢の伝統的別荘は、自然との共生、少なくとも 自生的自然を大事にし、別荘建築物は仮住まい的 風潮に合った。 しかし、近年、雑草刈りとか落ち葉掃除の苦痛を 回避すべく、西洋風の建物:例えば、スウェーデン ハウスに代表されるような密閉式建物が流行。 あの、夏場、最も爽やかな高原涼風を楽しむよりも、 昆虫、蛾、蚊等を嫌う人達が増え、ガラス窓、冷暖房 完備の建物が主流になる。それに似合う庭として、 自生の樹木を一切伐採して、芝生を植え、イングリッシュ ガーデン風に外国産草花を植えることが流行する。 その延長線で、別荘地、道路、公共土地などに、昔から 自生する樹木等は、地主、商店主、遊歩観光客、役場等から、 何らかの障害、面倒、苦情等があれば、いとも、あっさり、 それら樹木は伐採される風潮にある。 それに、徒手空拳で立ち向かったのが、講師、「鈴木美津子 さん」である。 樹齢50年超の古木の伐採を聞きつければ、何とか思いとど まるように説得したり、全額彼女負担による移植等を持ちか けるなどして、これまでに、なんと、数百本の樹木を保護して いると言う。 あの、「旧軽井沢ロータリーのど真ん中にある、見事な桜を 伐採し、トイレを建設する計画」の変更を確約させている。 私事ながら、今年の連休のとき、軽井沢の隣町のM町の 桜トンネルを見に行ったところ、なんと何と、あの数十年 以上の樹齢があると思われる桜の古木、数十本が、ばっさり、 根本から伐られ、僅か数本を残すのみ、、、 毎年、楽しみにしていた見事、見事な桜トンネル。東京の 開花から遅れる事約1ケ月。 1年に2度の桜満開を楽しむ風情を無残に破られてしまった。 このM町は、別に史跡とか見所も無い平凡かつ殺風景な 田舎町である。 この伐採を聞きつけた「鈴木美津子さん」が、町議会に執拗に 交渉したが反対された。 部外者にとって、唯一とも言える、街景観のシンボルでもあった 見事な桜トンネルが消失した。 //////////// //////////彼女の「しいある倶楽部」というWEB ページが見つかった ので興味のある方はご覧下さい。(めいてい君)
Dec 26, 2012
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今日から数日、小生の友人の「自由が丘氏」からの 寄稿文を紹介させていただきたい。 以前に、「世界クルーズ旅行」を連載させていただいた (小生に比較すれば)大富豪の、人間味溢れる一面である。 小生は呆け老人で、世間との交信が稀であるので、数少ない 窓を開けて、そっと覗いてみたい。///////// ////////// ・・・・・・・ ・・・・・・・・ 私は、昔から、講演会:セミナーを聴講するのが楽しみの一つ。 今でも新聞等に募集案内が掲載されると、葉書等で申し込む。 年間 20~30回位は参加している。 その中で、今年の秋は、偶然ながら、女性の講演に恵まれた。 普段は、ノートへのメモ書程度で、直ぐに内容を忘れるが、 今回は、何となく、記録に残したいとの想いに駆られ、 一文を認めました。 ・・・・・・・ ・・・・・・・・////////////////////////////// /// 寄稿文「輝く女性たち」 /// ////////////////////////////// 講演者:その1. 佐々木 るり さん 略歴: 福島県二本松、真宗大谷派真行寺の若・住職夫人で、 小学生以下の子育て中。昨年3月11日の津波に続く、福島 第1原発の爆発の影響で、放射能被害を受ける。 併設の幼稚園運営での園児の被爆回避に奔走。 後日、自らの長男への「内部被爆の結果判定」あり。 長男が、一生、この内部被爆の影響検査が必要な身体状 況になった。 ///////////////////////////////////////////// 講演タイトル /////// 「子供を被爆者にさせてしまった・・・・」 ////////////////////////////////////// 福島県二本松市から来ました「佐々木るり」と申します。あなたはご存知ですか?福島には、今尚苦しみ続けている人間が二百万人以上 いることを!海も、山も、空も汚され、のどかだった生活の場を奪われ、絶望の果てに自ら命を絶った人間がいることを。愛する子供や奥さんを知らない地に送り出されなければならないお父さんたちがいることを。見知らぬ土地で孤独に耐えながらふるさとに帰れる日を待ちわびているお母さんがいることを積算線量計を首からぶら下げて 生活しなければならない子供達がたくさんいることをご存じですか?私は命を、子供達の未来を諦めるわけにはいきませんどうか皆さん!力を貸してください。原発を止めてください!お願いします! //////////////////////////////////// ・・・・・・・・・・・・・・・・・・<聴講後の感想> 親としての、深い罪悪感にかられる。 ご主人と共に、宗教者として地元に残り、宗教的救いを 支援する一方、地域社会の安寧のために、NPO法人を 立ち上げたりして、奮闘中。 総理大臣による終息宣言後ながら、現在でも、非常に高 い放射能が噴出しているようであり、見えない恐怖に怯え ながらの毎日。 私は、近所のプールに行く途中の「区の掲示板」で偶然見た 講演案内。 講演中、なぜか?涙が止まらず。プール用に持参したタオル が、相当に湿ってしまった・・・・・
Dec 25, 2012
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以下は、「自由が丘」氏の感想文で、本物は写真入りですが 残念ながら写真部分は「肖像権の保護」で掲載できません。 あしからず・・・・・ ******** ナイル川:クルーズ (XXXX、2,1~12) エジプトから帰国。 想像外でした。 ホントにそうなんです、、、、 ピラミッドを、目前に見て、しばし、、、呆然でした。 自然界のものとも違う、、、これは人間が作ったもの、、、 でも、何のため、、、誰がこのデザインを考えた、、、、? どのようにして作成した、、?、、これら全て、今だ、未解決です、 「神様が、神様の啓示の元、人間を「瞑想状態」にして作らせた」 私は、勝手に、、、そのように、思いました、、、、 想像の延長線に、無い、造形物です。 後は、、、「4泊5日のナイル川クルーズ」 客室定員100名ほどの観光船。 ゆったり、のんびり、ゆっくり、ナイルを遡ります。 川幅400メートル、両側の川縁付近は緑ですが その背後は、エンエンと続く、砂漠、砂漠、砂漠、、、、、、、、、、 生きる世界とその背後にある、過酷な、死の世界。 時々、「コーラン」が、風に乗り、聞こえてきます、、、、 生きているような、死んでいるような、、、見えているような 何も見えないような、、、聞こえているような、、、あるような なんとも、不思議な、、、世界、時間の、流れです、、、、、、 生活はとても、貧乏そうですが、 そんな世界に、沢山の人々が、、、極く、普通に、生きています、、 エジプトを見ず゛して、死ぬ事なかれ、、、、です。 ピラミッドパワー。誰かに聞いたことあります ウォー、、、アォー、、、大きぃ、、、デカイ、、、 ナにこれ、、、何じゃこれ、、、、 是非、行って、実際に見てみましょう、、、、 そんな、、、パワーかも、、、、 ミイラ、、あの巨大な権力者、ラムセス2世、 あの黄金のマスクのツタンカメーンもあるある 黒茶色に干乾びた面相と足、そして綿布に巻かれた胴体 彼らはこんな姿を後世に曝す事を、そう20ドルの観覧料で、、 4000年も前に想像したか、、、、、 貴方に「千の風になって」を、歌います、、、、 生水も、サラダも、果物も、危ないと思われるものは一切、 口にしませんでした、、、 でも、ある日の真夜中、突然に、聖霊のお告げ、、、 いやいや、、、、受胎告知ならぬ 下痢告知がありました 2日程、産みの苦しみでした ナイル川、、、アマゾンと並び世界1位の6300キロ。 エジプトの領地では1300キロ。でも、でも この1300キロでの高低差は、なんと、なんと たったの、90メートル、、、、 スーダンとの国境付近の「一滴の水」は、 何日かかって 地中海アレキサンドリアの町に 届くのでしょうか、、、、、、 こんな川を乗客100人程度の 観光船、4泊5日で遡りました キリストもマホメットも、お釈迦様も、、、 ギリシャ、、、ローマの文化、文明も もちろん、紀元は2600年の日本も、、、、、 そんなの、、、新しいゾオー オレッチ、、、エジプトには 5000年前位ニャ、、、アッタゾェーーー てな、、、声が聞こえてくる 気がしました *********** レイアウト めいてい君 めいてい君のお礼は明日書きます。
Apr 8, 2012
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やっと最終章に辿り着いた。明日は、「自由が丘」氏の感想文を公開しよう。 *****ナイル川クルーズ 12日目 成田着 昨日エジプト・カイロを出発 (カイロ時間前日17:50発、日本時間本日0:50発) 本日12:55に成田着 9616kmを12時間5分で移動し、時速796km/h で移動したことになる。現在の飛行時刻表はカイロ→成田の復路直行便は週3本だけ。 日、火、金のカイロ発23:30 成田着 翌日18:00 で11時間40分を所要する。 時速824km/hでの移動である。「自由が丘」氏が利用したツアーは航空便の変更などから現在中断 されている。現地に行ってから、クルーズ・ツアーに参加する方法や、より短い ツアーもあるようである。往路も同じで、月、水、土の直行便が週3本だけ有る。 21:20成田発、カイロには翌日4:20到着。所要は14時間を要すので、時速687km/hである。 ツアー解散。 「自由が丘」氏の感想は明日にするのでお楽しみに。
Apr 7, 2012
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