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2006年11月06日
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私は、小学校高学年から20代後半まで実に20年もの間“イジメとその影”に脅えていました。

その間、複数の持病を抱えて何度も重篤な危機に陥りまた一方ではそれを口実に“不登校”を続けました。

私の母は勿論、孫に甘かった亡き祖母も「学校に行け」と叱り続けました。
毎朝、私の髪の毛を掴んで外へ放り出そうとする母と扉にしがみ付く私の血みどろの争いでした。

仮病を本ものらしく見せる為に、空腹を我慢しても学校に行って「死ね」と罵倒され階段から蹴落とされ汚水をかけられ雑巾をぶつけられ足蹴にされるよりは幸福だったのです。

私は母から「こんな子は、死んだ方が良い」と首を絞められた事もあります。
その一方で、夜中に高熱と発作が起これば病院に担ぎ込まれる日々でした。

私自身も「私なんか、死んだ方が良い」と何度も自殺未遂を図りました。
その一方で、お腹が空いて隠れて菓子パンを泣きながら頬張った事もあります。

その両方が、“私の生命”なのです。

その頃、巷では私の様な子供達を精神病院や各種団体に預ける発想が広まりました。

TVでは、連日大々的に「戸塚ヨットスクール」の“効果”が取り上げられていました。

ところが、母も亡き祖母も私を“余所にやる”とは考えなかった様です。

ある日、私の方が「こんな子は、精神病院に入院したり施設にでも行かな治らんのかな」と呟きました。

当時の私は、ガリガリに痩せて現在で言う自傷行為だったのでしょう自分で自分の髪の毛を掻き毟ってしまい禿げていました。

母は「はぁ?学校にも行けれんあんたが、何であんなとこに行けるのよ」と、心底不思議そうな表情で答えました。

亡き祖母は「あんなとこで治るんなら、ウチででも治っとるわ」と言いました。

私は、学校を卒業しても引き籠もりとなりました。
それから、12年以上もかけてゆっくりゆっくりと社会に出たのです。






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最終更新日  2006年11月06日 09時31分04秒
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