あーーちゃんの足跡
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祖母は 内孫(私と妹)に とっても甘々だった。欲しいというものは 何でも買ってもらっていた。そんなに甘やかしていたら 大人になって困ると周りが言っていたのを聞いても 他人事のように受け止めていた。結婚を機に 実家に帰ったけど 義理の母との折り合いが悪く揉めに揉めて 二年もしない内に実家を出る事となった。父はその時 出て行くのは構わないけど生まれた初孫(長男)は置いて行ってくれと懇願した。父のその思いは通る訳もなく...実家を出ると同時に 義理の母も実家を出た。嫁姑問題(祖母と義理の母)も根底にあった。義理の母には 冷たく厳しかった。最終的に実家には 父と祖母の二人になった。そして 月日は流れ 祖母は足腰が悪くなり 外にあったトイレまで行くことが困難になった。大人用のオマルを一室に設け 祖母の面倒を献身的に父は看ていた。森林組合に入り そのころ 山仕事を請け負い働いていた。母親を看ながらの山仕事は困難と考えた父は 祖母を遠方の介護施設にそこで祖母は 5年位生活した。薬漬けだった祖母 施設に入って 徐々に薬は減り 最後には服用する薬はゼロになった。顔色もよくなり 祖母は元気になった。父は 母(祖母)を仕事の合間に よく見舞っていた。花見 お月見などなど 行事には参加して 一緒に写った写真も見せてもらった。毎月ではなかったけど 私は 子供たち(ひ孫)を連れて会いに行った。そこで 祖母の子(娘たち4人)は 一度も会いに来ていないことを聞かされる。遠方だから 会いに行けない。それが叔母たちからの回答だった。平成2年 実家の町内に介護施設が出来た。祖母は町内に出来た施設に入りたいと父に懇願した。父は 出来たばかりだから 半年位様子をみてからがいいんじゃないかと提案した。祖母は 『 死んでもいいから ○○に帰りたい。』と言った。全く 父のいう事に 聞く耳をもたなかった。実家近くの介護施設に入ったら 近いから娘たちが会いに来てくれると思っていたようだ。祖母の思いとは裏腹に 娘たちは 誰一人として会いに行っていなかった。田舎に出来た介護施設には 身寄りがない方 県外の方々が多く入所していたようだった。近いのもあって 父は頻繁に会いに行っていた。...が施設職員から 他の入所者の手前 来てくれるなと田舎の介護施設は 専門職(介護福祉士 ヘルパー)は一人もいなかったようだ。医療全般 町内の内科医 ( 祖母を薬漬けにした医師 ) が担当この夏 猛暑が続いた。出来たばかりの介護施設には 冷暖房設備が設置されていなっかった。暑い夏を何とか乗り切った祖母だったのだろう。祖母が亡くなる1週間前に子供たちを連れて会いに行った。その時 祖母の子(娘たち4人)は 一人も会いに来ないと聞かされる。叔母たちの回答は 忙しくて行けないだった。トイレで 足を滑らせ転倒し 頭を強打して危ない状態と父から連絡が入った。動揺が抑えられなかった。たどり着くまでの時間が 途轍もなく長かった。祖母はベットに横になり 意識がないようだった。落ち着いた状態になったようだから 父から一旦 家に帰るよう言われ帰った。自宅に帰ったと同時位に 祖母が息を引き取ったと父から連絡が入った。祖母の死に目に会えなかった。 悲しくて たまらなくて 涙が止まらなかった。息を引き取る前 一筋の涙を流したと叔母が言っていた。葬儀の場で叔母たちは あれは何の涙だったのかと口々に言っていた。母親の死を悲しんでいるようには とても見受けられなかった。娘たち 父が見守る中 祖母は永眠した。会いに来てほしかった娘たちが 揃ってみんな来てくれたから。念願叶ったんだよね。 嬉しかったんだよね。 そうだよね。 そうだよね。 おばあちゃん 父から 祖母から 叔母たちから 沢山 学ばせていただきました。母親を施設に入れた父を 叔母たちは 喧しく攻め立てた。献身的に母親を看ていた父だったのにその当時 叔母たちを非情な奴らと思っていた。人ばかり責めて 自分たちは何もしない。とても 腹立たしかった 誰の行いがよいとか 誰が正しいとか そんなこと 今はどうでもよくなった。一人でむしゃくしゃして イライラして バカバカしい事だと気づいた。2026/10/1 (木) 17:09 心穏やかに 平穏に 一日 一日 暮らせて行けたら それでいい最後まで 自立して生きて行く おばあちゃん 沢山の をありがとう
2026年10月01日
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