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【注意】今日は18禁です。18歳以下の方、心臓の弱い方、また破廉恥な内容・表現に耐えられない方はご遠慮ください。****************************最近羊さんとの喧嘩ネタがないのでちょっぴり退屈なさとっきーな。喧嘩をしているときってふたりともかなり情熱的(?!)でお互いの愛情を確信できる瞬間だ!って落ち着いていると思えてくる。戦っているときはそれどころじゃないんだけど。あ~あ、ひさしぶりに挑発でもしてみようかな~。最近羊さんは私がドイツ語をやたらと発しだしたので、初めて「パパ」とか「ママ」って言い始めた子供の親みたいにご機嫌である。さらに五月に日本に来ることを考え始め、ああしよう、こうしよう、と楽しそうである。一方で私は今から成田空港に迎えに行くことを考えると胃が痛くなる。ちなみに私は初めてドイツに行ったときから先月ドイツに行ったときまで一度もああしよう、こうしようと計画を立てたことがない。さらに言えばイタリアの観光ガイドブックは持ってるけれどドイツのは一冊も持っていない。いや、一冊だけ持っている。初めて羊さんに会いに行くときにまだ西ドイツと東ドイツに別れている頃に祖父母がドイツ旅行をしたときに使ったガイドブックを母が探し出して、せめて少しくらい勉強すればと言って私にくれたものだ。そんな古いもの読んでもなぁ別に観光に行くわけでもないしなぁと思った私は結局それを読まなかった。だからドイツ語教室でドイツ旅行の話をされてもよくわからない。ベルリンに行ったこともないし、ハンブルグに行ったこともないし、ミュンヘンに行ったこともない。メルヒェン街道って何?ロマンチック街道って何?ノインシュバインシュタイン城ってシンデレラでしょ?ドイツのビールってそんなに美味しいの?シュニッツェルよりとんかつの方が美味しくない?ドイツ人ってそんなに親切だったっけ?ドイツには何度も行ったことがあるのに肝心の観光スポットに本当にほとんど行ったことがない上にドイツのいいところを全く見ていないらしい。そりゃ反独派になるさ。でもせめてドイツの首都くらいは一度拝んでみたい、と最近やっと思えるようになってきた。またくだらない前置きが長くなったけれど今日のお話はドイツ語。私がドイツ語を始めたのはもう何年も前だけれどいまだにドイツ語は「なじみのない言葉」である。だからどんな悪口も全く抵抗なく言うことができる。これが日本語、英語そしてイタリア語になると悪口や卑猥な表現を簡単に口にできない。意味をよく理解しているしニュアンスもわかるから。でも私はドイツ語で会話を基本的に誰ともしないので「なじみのない言葉」であるドイツ語であれば悪口や破廉恥な表現も簡単に口にできる。羊さんはエロい。そして私もエロい。遠距離恋愛をしている人にはよくわかると思うがお互いエロい考えを思い浮かべることが多々ある。羊さんの場合周期はだいたい一週間~十日でそのエロい考えを抱いていることを私に知らせてくれる。普段は何も言わずに自分でどうにかするらしいのだが。(↑そんな周期を計算している自分がなんか情けない。)またはその周期でちょうど当たりの日に軽いエロ発言を私がこぼせばすぐに興奮する。たとえそれがいつも言うような「今チュウをしてあげたいわ!」なんて可愛いものであったとしても。羊さんは私が破廉恥な表現をドイツ語で言うのを聞くのが好きらしい。たとえば『あなたが欲しい』こんなこと日本語じゃ本当に恥ずかしくて書いてるだけで赤面モノだけれど不思議なことにドイツ語だといくらでも言える。何度も言うと羊さんはますます喜ぶ。一方で私は顔色ひとつ変えずに鼻くそでもほじりながら言えるってなもの。(↑百年の恋も冷めるってば。)それから『○○○○が欲しい。』これだって日本語だったら私は絶対絶対言えないけれどありがたいことに(?)ドイツ語だと何度でも言える。これだって鼻くそほじりながらさらに耳くそほじくってそれから時間があまったら眉毛のお手入れでもしながら言える。『さとっきーな~可愛いよ~ キミがドイツ語で言うとすごくたまらないよ~。』と興奮する羊さんをよそに受話器のこちら側で私は枝毛を探していることが多い。もうこれ以上は言えませ~ん。失礼いたしました。(ドキドキドキドキ)
2005年02月28日
『五月のことを考えると本当にドキドキだよ~! 今のうちにいっぱい働いて、 休暇が少し長くなるように頑張るね。 京都に行けたら素敵だな。 でももし高すぎたら別に行かなくても構わないよ。 キミの住む場所には十分たくさん見るところもあるし、 ボクには さとっきーなと オニギリと おまけのついたお菓子 があればそれで幸せなんだから。』ここで素直に喜ばないのがへそまがり女・さとっきーな。なんであたしが、このあたくしがオニギリとグリコのおまけなんかと一緒なのよッッッッ!!!男性のみなさん。この手の女性(私のような女)には『今日きれいだね。』と言ってはいけません。『はぁ~?!昨日は汚かったってわけぇ?? いつもは汚いってわけぇ??????』って言い返されて喧嘩になります。このような女性には『いつもきれいだけど、(←ポイント。) 今日はとくにきれいだね。』と言うのが賢明でしょう。羊さんは読みが浅いのでこうしていつも私の怒りを買う。イモばっか食べてないでもうちょっと研究しろ!
2005年02月27日
イタリアいたときにアンナとドメニコってカップルの友達がいた。すっごい親切でよく一緒に遊んでもらった。毎日授業の後もふたりは一緒にいたし大学の寮の近くに住むドメニコのところにアンナは毎日よく行っていた。二年間も付き合っていて、あんなにラブラブだったのに別れてしまったと最近聞いた。またまたイタリアにいた頃の友人。スペイン人の友達マリアは本国で二年も付き合っていたダビデって彼氏がいた。毎週末電話で仲良く話していてマリアは寂しい、寂しい、早くスペインに帰りたいってよく泣いていた。私の羊さんもドイツにいて離れ離れだったけれどなんだかんだ二ヶ月に一回会っていた。でも何か共感できるものがあってよく遠くにいる恋人の話をした。留学期間が満期になり嬉しそうにスペインに帰った彼女だったけれど、帰国してしばらくしてダビデとは別れたと聞いた。またまたイタリアにいた頃の友人。英語の授業が一緒だったクロエには二年も付き合ったマルコって言う彼氏がいた。マルコも同じクラスにいたのだけれどある日突然すごく暗く沈んでいた。何があったのか聞いたらクロエに別れようって言われたという。マルコはクロエに昔もらったラブレターを握り締めてすごく寂しそうにしていた。イタリアにいたときの友人でオーストラリアの子がいた。彼女にも本国に二年も付き合っている彼氏がいたけれどけっきょくイタリアで新しい恋人ができてしまい、別れてしまった。日本で知り合ったイタリア人の友人のサブリナには16歳の頃から10年も付き合った恋人がいたけれど日本へ来るのがきっかけだったのかなんなのか、別れてしまったのだという。私と羊さんもいつかそうなるのかと思うとちょっぴり切なくなった。それでもきっと羊さんはピンクレディーも鉄腕アトムのテーマやアンパンマンマーチを忘れないだろう。オニギリやラーメンの美味しさも、古都鎌倉の美しさや新宿の夜景の美しさも忘れないだろう。生まれて初めて作ったパスポートを見るたびに日本へ行ったことを思い出すだろうし富士急ハイランドで買った富士山のマスコット人形を見るたびに一緒に乗ったフジヤマを思い出すのだろう。私はフランクフルト空港に行くたびにきっと羊さんと初めて会った日のことを思い出すし缶詰のニシンや明治製菓のチョコレートを見るたびに羊さんを思うのだろう。クリスマスが来るたびに初めて羊さんと過ごしたドイツのクリスマスや初めて食べたキジのことを思い出すのだろう。大好きなこの歌を思い出した。Always Something There To Remind Me Written by Bacharach/David.I walk along those city streets you used to walk along with meAnd every step I take recalls how much in love we used to beHow can I forget you When there is always something there to remind me?Always something there to remind meI was born to love youAnd I will never be freeYou'll always be a part of meWhoa-ooo-ohhh-ohIf you should find you miss the sweet and tender love we used to shareJust go back to the places where we used to goAnd I'll be thereHow can I forget you When there is always something there to remind me?Always something there to remind meI was born to love youAnd I will never be freeYou'll always be a part of meWhoa-ooo-ohhh-ohWhoa-oh-ooo-ohhhf you should find you miss the sweet and tender love we used to shareJust come back to the places where we used to goAnd I'll be thereHow can I forget you When there is always something there to remind me?Always something there to remind meI was born to love youAnd I will never be freeWhen there isWhen there isWhen, there, isAlways something there to remind meAlways something there to remind meAlways something there to remind me
2005年02月26日
宿題やらなきゃいけないから一時間だけお昼ね・・・・ってベッドに横たわったのが午後十時。気がついたら朝の六時半。ああやってしまった。メールを見ると羊さんから一通。いつもだったら英語だけのメールなのに、今日のメールの終わりのほうはドイツ語だった。キミのドイツ語は本当に上手でした。あんなに上手になったなんて、毎日本当に頑張っているんだね。とっても可愛かったし、キミのアクセントが大好きです。五月にまたそっちに行けるのが嬉しいです!一番素敵なのは、キミにまた会えるということ。とても楽しみにしています。残念ながらもっと早くに休暇は取れません。本当に残念です。待つのは僕にとって本当に辛いことです。勉強頑張ってね。キミは勉強がよくできるから大丈夫。ボクなんかよりもずっとよくできる。だいぶ前だけど携帯電話で録画した画像があります。キミが気に入るといいのだけれど。キミと一緒に見れたらいいのにと思いました。たくさんの接吻羊君よりたったこれだけのことでなんだか涙が出てしまった。携帯電話で録画した画像って花火の画像だった。別に悲しいことなんて何もないのに涙がとまらなくなってしまった。
2005年02月25日
私は学部生の頃、(来月までまだ学部生な上に五年生だけど。ウフ!)ドイツ語がとってもとっても苦手だった。冠詞につまづき、接続法につまづき、とにかくやることなすことちんぷんかんぷん。試験はとにかく丸暗記。(↑暗記は勉強の基本です!)丸暗記だから当然高得点。だから学部時代のドイツ語の成績はぜ~んぶ「優」。第二外国語の必修は二年生までだったけれどなぜかその後もドイツ語をしぶとく履修して、ドイツ語専門書講読の授業まで二年も連続でとった。その他の余計なドイツ語までとったので、学部だけのドイツ語とは言え時間が過ぎてみれば意外にドイツ語に時間を費やしてきた。苦手なくせに無駄に時間を費やし、中途半端な意欲があったので羊さんにも出会った。でも羊さんと私はいっつもいっつも英語でメールを書いていた。チャットも英語だった。電話も英語だった。とにかく何をするのも英語だった。イタリアにいる間にわずかながらもせっかく習ったドイツ語を忘れたくないので大学のドイツ語の授業をとった。でもついついイタリア人とイタリア語でペラペラおしゃべりをしてしまい先生がドイツ語で言うことも全部イタリア人にイタリア語に直してもらったのではっきり言ってほとんど何も学んでいない。だから相変わらず羊さんとは英語で話していた。でも去年の秋に羊さんと札幌に行ったとき父は私達が英語で会話することに落胆して『精進せよ。』と私に言った。『羊君はドイチュランドの人だし、 おまえもドイツ語やったんだからドイツ語で話せよ。』とも言われた。ちょっとショックだったけれど、「私はドイツ語レッスンのために羊さんと付き合ってるわけじゃないし。」と開き直って特に何もしなかった。だからもちろん英語でのコミュニケーションが続いた。ところが最近の私は「イモに負けるか大和撫子!」をスローガンにかなりのドイツ語学習をしている。本気で朝から晩まで。昨夜夜中に帰宅した後にちょっとドイツ語の練習をしてみて、なんか妙に舌滑りがよかったので(←アホです。)そのままの勢いで羊さんに電話してみた。私がドイツ語で話し続けるので羊さんちょっと動揺していたけれどものすごく誉めてくれた。でもなぜか返事は全部英語だった。(↑馬鹿にされてる?)『さとっきーなすごいよ、本当にすごいよ! 本当にすごく上手になったね!! ボクにもすごいいい刺激になる。 ボクもキミに負けないように日本語しなきゃって気がしてきた! なんか新鮮だなぁ、キミとドイツ語で話すなんて!』誉められるとすぐ調子に乗る私はまたもペラペラとドイツ語で話を続ける。そうすると羊さんもゆっくりと簡単なドイツ語で返事をしてくれた。ああ、やっぱりこの人はドイツ語で話すときが一番自然で素敵に聞こえるなぁと思った。おそらく五月に日本に来るだろう、と言う話になったので『アナタ ココニ イマ イナイ サミシイ ゴガツ ジャナイ ハヤク アイタイ アナタ ココニ イマ イテホシイ イマ キテクダサイ』(↑宇宙人の台詞ではない。)とドイツ語で続けると日本語なまりが可愛かったのだろう。羊さんたいそう感激して、『キミとドイツ語で話すのっていいなぁ! 好きだなぁ、楽しいなぁ、可愛いなぁ!』と言った。かなりの大好評。だからもっと調子に乗ってどんどん話し続けた。すると羊さん、『ボク、興奮してきちゃった。』と言った。(こんなこと暴露してゴメンね、羊さん。)『ヴァス?!ヴァルムッ?』(何、なんでッ?!)とドイツ人に負けないくらいの迫力で返してみた。『キミのドイツ語、キミのそのアクセント、 キミの声・・・そそられるよ~。』と言うので、(羊さんってアホだ。)『アナタ エロイ デス』ともちろんドイツ語で返すと、羊さんますます興奮したご様子。『アナタ デュッセルドルフ デ ニホンジン アウ、 ハナス、ドイツゴ ワ ニホンゴナマリ デアル トキ アナタ、コウフン スル カ?』とたどたどしく聞いた。(私もかなりのアホだ。)『ナイン! キミの声がいいんだ、キミの声が・・・。 キミの声でそのアクセントでドイツ語を話すから ぞくぞくしてくるんだぁ~。』と言い出した。(羊さんも相当アホだ。)と言うわけでさとっきーなのドイツ語デビューは羊さんを興奮させるに至った。よし!(←なにが“よし”だ?)最後の最後まで誉めまくられていつも「ナイン」でけなされてきたけれど昨夜は本当にいい気分だった。朝六時半に起きなきゃいけないのに三時までおしゃべりをした。ドイツ語デビューの効果か、今朝、出かけるときに携帯電話に羊さんから電話がかかってきた。こんな朝っぱらに一体何事かと思った。どうしたのか問うてみれば『昨日あの後メール書くねって約束したけれど、 ネット接続ができなくて書けなかったから 心配する前に連絡しようと思って。 これからボクは寝るよ。オヤシュミ!』だとか。それくらい今までだったら別に気にしなかったのに、ドイツ語効果?ドイツ語効果はいつまで続くのだろうか。たしかに私も羊さんが日本語で話しかけてきたら可愛くてたまらないな。
2005年02月24日
『今日は何について勉強したの?』と聞かれたので、『話法の助動詞。(Modalverben)』って答えたら羊さん固まってた。何のことかわからなかったらしい。仕方がないから説明してあげた。『そんな名前がついてたんだ。』と納得していた。だから羊さんにはドイツ語を聞かない。聞いても文法用語の説明からしなくちゃいけないから。恋人がドイツ人だとよくドイツ語学習者に「ドイツ語教えてもらえていいね。」って言われるけれど、実際まったくそんなことはない。せいぜいエロい表現でもいち早く覚えるだけだ。『“あなたと寝たい”はなんて言ったらいい? どんなバリエーションがある?』なんて聞けば羊さん大喜びで即答してくれる。それ以外のことまでしっかりと教えてくれる。でも、『ここでsein(be/essere)を使うのとhaben(have/avere)を使うのでは 意味がどんな風に違ってくるのかな?』なんて聞いてしまうと言葉に詰まって『ネイティブだからわからない。』と言われてしまう。ネイティブって役に立ちません。
2005年02月23日
Stanca di studiare.Stanca di fare quello che devo fare ogni giorno.Stanca di lui.****************************帰り道に新宿へ行った。ひとりで新宿を歩くのは久しぶりでなんだか夜景がすっごくきれいに見えた。紀伊国屋までJRの南口から歩いて、だいだい色の中央線や黄色の総武線を眺めながらいつもは当たり前だけれど羊さんが隣にいないことがものすごく寂しく思えた。三ヶ月前羊さんはすごく嬉しそうに新宿を歩いてた。一緒にとある高層ビルの上まで行って宝石がちりばめられたような景色を一緒に眺めた。甲州街道の上から光り輝く都庁ビルを見て羊さんにメールをしたくなった。『新宿は羊さんなしで歩くにはもったいないくらいにきれいです。』一時間後ちょうど自宅についた頃返事が来た。『キミと一緒に新宿を今歩きたいです・・・・・。』肝心なときにすれ違ってばかりで全然理解しあっていない私たちなのにこんなときばっかりは二人が同じ方向を見ているように思える。これが愛って言うまぼろし。
2005年02月22日
羊さんへのメール:私がイタリアで刑事訴訟法の試験受けて受かったときにすぐに部屋に戻って電話したでしょ?そのとき私泣いたよね?あのとき私は試験に受かって本当に嬉しかった。必死だったから。どうしても受からなくちゃならなかったけど、イタリア語での口頭試験なんて死にそうなくらい緊張したし。嬉しいのと同時に悲しかった、悔しかった。なんでこんなにイタリア語に苦労するんだろうって。でも羊さんは「受かったんだから喜べばいいじゃん。 なんで夜通し起きたまま試験受けに行ったの? 体に悪いし効果はないんだよ。」って言ったね。悲しかった。羊さんがまだ公務員試験の勉強していたとき、私は一生懸命励ましていたつもりだったのだけど、「キミには勉強がどれだけ大変かわからないだろう。 キミは勉強が得意だからこの大変さがわからないだろう。」って怒鳴って私の励ましを退けた。勉強の辛さなら私が一番理解できるところだと思っていたのに。悲しかった。去年の秋に私トッフル受けたよね。ある大学院に行きたかったから。でも240点しか取れなかったからすごく落ち込んでいたでしょ。私250点必要だったんだって言ったよね。それなのに羊さん「200点の人よりはいいじゃないか。大丈夫だよ。 満点が300点なら半分以上だしすごいよ。」って言ったね。悲しかった。それって、「キミは小学生より知識も経験もある。 だから大丈夫、キミは立派な法律家になるよ。」って言ってるのと同じようなものだよ。ポイントが全くずれてるからそうじゃないのって言っても全然わかってくれなくって結局喧嘩に終わったよねぇ。羊さんが私を愛してくれているのはわかっているけれど、一番理解しあいたい重要なところで私たちって理解し切れていない。それがすごくもどかしくて切なくて悲しい。だから今勉強で辛いこと、言いたくなかった。言ってもまた「だいじょうぶ、だいじょうぶ。 キミのドイツ語はトルコ人よりしっかりしてるから。」って言うに決まっているじゃない。きっと同じようなこと言われるってわかってたから羊さんに言いたくなかった。自分ひとりでも耐えてみせるって思った。自分で決めたことはひとりでやり通してみせるって。羊さんが25年かけて築き上げたドイツ語の知識をたった数年で私も築こうなんて思ってない。時間がかかるのわかってるけど、それでも苛立つことあるし、辛いことあるし、時には愚痴りたい。でも羊さんには言えない、って思った。羊さんは自分は私の彼氏なんだから、私の喜怒哀楽すべてを知りたいって言う。嬉しいことだけじゃなくて悲しいこともって。でも悲しいこと、辛いこと、羊さんとどこまで分かち合えるかな。肝心なところでちっともお互いを理解できないで、いつもいつも喧嘩に終わってきた。私悲しい。でもこればかりは仕方ないと思ってる。違う人間同士だからすべてを分かり合えるって思うほうが間違ってる。もし分かり合ってるって思える瞬間があるならそれはきっとまぼろし。羊さんからの返事:ボクって鈍いんだ。わかっているんだ。キミみたいに敏感に人の気持ちを察することができないしキミみたいに他人の状況を把握して気の利いたことも言えない。でもボクはボクなりに精一杯キミを励ますつもりだった。キミをそんなに傷つけていたなんて全然知らなかった・・・ごめんね。ボクはツーカーが苦手なんだ。キミのために自分を変えていく。キミをもっと幸せにできるように。キミを失いたくないから・・・・。キミがいなくなったらいやだ。キミはボクにとってこんなに大切なんだ。本当に本当に愛しているんだ。キミの言葉で表すなら、大きく、馬鹿でかく、重く愛してる!!ボクの心の中にいる女の人はキミだけ。他の誰でもないキミ。誰にもこの事実は変えられない。理解していないように見えるかもしれないし、理解していてもほんのちょっとかもしれないけれど・・キミのその献身さがキミの魅力だと思ってる。ボクがキミ愛する理由のひとつ。まぼろしなんて言わないで。どんなに難しくてもボクは努力する。キミを理解したいから。ボクの愛する人の心を理解したいから。絶対にボクは諦めない。ボクハキミヲタクサンアイシュテル。追伸:キミからのバレンタインのお菓子全部食べたよ。全部美味しかった。早くマ・メールのメッセージが見たいな。さっき水をあげたとこ。いつもキミのことを考えています。「ほんやくコンニャク」があったらもっと楽だろうか。****************************私もマ・メール育ててみたい。誰も私にくれそうもないから、自分で購入して育ててみようか・・・。空しいだろうな・・・・。****************************ああ、腹減った・・・・・・。納豆でも食べるか・・・・・。
2005年02月21日
私は文通が好きだったので、小学生の頃から国内文通をしていた。他県にお友達ができるのはそれはそれは小学生の私には大興奮だったしなにより遠くにいる誰かと友達になって色々なことを手紙の上で話せるのが好きだった。中学生になると英語を始めたのでじゃぁ外国でもいいかなってことでイギリスやフランスや韓国の人たちと文通した。一番長く続いたのはフランス人で、私よりも2~3コ年上のクリスストフって言う名前の男の子だった。日本語を勉強している子でつたない日本語でときおり手紙を書いてきてそれはそれは心温まる文通だった。トータルで3~4年はのんびりと文通を続けたのだが私がアメリカに留学する頃自然に途絶えてしまった。と言うか私が留学の慌しさで途中放棄したのだろう。ちょっと太っちょさんだったクリストフはいつの日か日本へ行くのが夢だと言っていた。もう5年以上のも前のことだけれど、クリストフの夢は叶ったのかなぁ。高校入試があるんだ、と私が言えば「がんばてよ」と日本語で書いてくれた。(↑「がんばれよ」じゃなくってなぜか「がんばてよ」だった。)修学旅行で撮った写真だよ、と写真を同封すると「あなた は とても きれいな 女の子です」と日本語で書いてくれた。いつか私もフランスへ行って見たいな、とこぼすと、私がフランスへ行くと言っていると勘違いして、「フランスへ来ますか。きゃ~~~~うれしいよ!」と日本語で書いてくれた。日本風の絵葉書を送るとそれがかなり気に入ったらしく、「おまえが すきだ」と日本語で書いてくれた。あの頃の私はまだ若かったし外国にいる人と手紙でつながっているってだけで興奮だった。私の書くものがフランスに届いて、それをクリストフが読んで、習いたての日本語を交えて返事をくれて、月に1~2度の交換だったけれど待ってる時間さえも楽しかったし、次には何を書こう、何を聞こうっていつも考えていた。当時ドイツの若者からも手紙が来たが気が合わなかったらしく(だろうな)クリストフと私が文通した回数の十分の一以下でどちらともなく途絶えてしまったように記憶している。アメリカ留学時代には同じ高校にドイツ人が二人もいて(ちっ・・)なんだかんだ私は彼女達とけっこう多くの時間を過ごした。ドイツ人、ひとり見かけりゃ数十人、ってゴキブリみたいな言い方になって申し訳ないのだけど、なぜか隣町の高校にいるドイツ人とまで交流が始まった。さらにはもっと遠くの町の高校に通っているドイツ人までまぎれてきてなんか私はアメリカにいながらドイツ人に囲まれていた。留学生同士の修学旅行のような旅でもこれらのドイツ人は私の周りにたむろし、さらにその旅で新たなドイツ人たちが加わりますます私はドイツ人に埋もれた。しまいにはこのときドイツ人の男を好きになってた。二人とも燃えたわりには旅から帰ってきていそいそと電話をかけたらすっごく適当にあしらわれて、「男ってこんなもんなんだ・・・」って落胆させられた。「イッヒ・リーベ・デイッヒ」って実はこのときこの人に教わった。いや~若いってすごいね。数日間一緒にいるだけで愛してるって言えてしまうのだから。アホな私は一生懸命“Ich dich auch”(愛してるに対して“私も”)を覚えたりもした。今思い出しながら書くと本当に馬鹿馬鹿しくって鼻息荒くなっちまーよ!!!!この頃はまだ私も17歳だったしなんかドイツが新鮮に見えて、唯一仲のよかったやさしいドイツ人の女の子には「私大学で絶対にドイツ語勉強するから!」ってアホな約束までした。ホントにアホだよ。フランス語にしておけばよかったよ。彼女は彼女で日本にやたら興味があって「私は日本に行って城を見たいから絶対に行くから!」なんて言っていた。ふたりともアホだよ、ホント。でもかわいいよ、ホント。でもすごく仲の悪いドイツ人女もいた。スージーって名前だった。もうひとりスージーっていたのだけれどこっちのスージーはとってもいい子で、「いいスージー」と「悪いスージー」と私は分類して家族にも文句をたれていた。この頃私は別に今ほどドイツ人を嫌って(?)いなかった。(でも悪いスージーは嫌いだった。)ドイツ人って一緒に仲間になって外部の悪口を言うにはなかなか頼もしい人たちなのである。だからいつも一緒にたむろしてはアメリカ人の悪口を吐いていた。でもドイツ人の悪口の言い方って半端じゃなくって、そこまで悪口言うならなんでアメリカ留学に決めたの?って思うほどかなりの毒舌だった。日本に帰ってると、これらのドイツ人たちが私に手紙を書いてきたり写真を送ってきたりした。旅で知り合ったヘンテコリンなドイツ男まで「君のことが一番好きだったよ。」ってすごいキモい手紙を送ってきた。満面の笑みを浮かべた、卒業アルバム用の写真付きで。多分ドイツへは一生行かない・・・と思った。ドイツとはまったく関係のない高校生活を送り、卒業し、浪人して大学に入学した。なぜか私はドイツ語を選んでしまった。今一番やっておけばよかったと思うフランス語は真っ先に消去して私はスペイン語かドイツ語かで悩んだ。でも結局法学部生になるのでドイツ語にした。せめてスペイン語にしておけばよかったのに。学部時代のドイツ語はぼろぼろで、とにかくドイツ語が嫌いになった。流行の中国語にでもしておけばよかった、なんて思った時期も合った。でも資料を読まなきゃいけないからって否応無しに原文を読んだ。ドイツへは行ってもせいぜい一度か二度だろうと思った。「私絶対大学でドイツ語勉強するから」って約束してからもう7年。気がつけば恋人がイモだった。最近暇な私はドイツにいる高校生男児と文通を始めた。(そんなに暇じゃないのだけれど息抜きに。)高校生なら純潔だって信じているから。(←アホ)変なおじさんとか変な東洋女マニアみたいに「えへへへへへ、会いたいな~」ってすぐに言わないからとっても好き。ちょっと犯罪ギリギリかなってビクビクしながらもそのスリルさえ楽しんでいる自分がいる。(←かなりアホ)とても可愛い男の子で(若いし)(↑こんなこと言ってる自分がすごくババくさい。)日本に興味があって日本語を一人で勉強してるそうな。さとっきーなと電話で話したいようって言うから電話番号教えたら本当に電話をかけてきてビックリした。私がドイツ語で書くメールは添削をしてくれる。私が電話でドイツ語につまづくと一生懸命説明してくれる。私の方が6歳も年上だからこの子に進路アドバイスしたりしてとっても新鮮。「あたしも高校生のときは成績悪かったもんだよ。」なんて昔話したりして。(↑本当にババくさいかも。)日本語の響きがとっても好きなんだそうな。若いっていいなぁ。羊さんに私は今年マ・メールをバレンタインの贈り物として送った。羊さん早くメッセージが見たいと大興奮。ついでにドラえもんのストラップも送った。「リュックサックにつけるね!」って大喜び。すでに近藤勇がぶら下がっているのに、さらにドラえもんまでぶら下がったリュックサックをドイツで背負ってる羊さんってまるでその辺の日本の小学生みたいだ。季節物のコンペイトウも一緒にした。「砂糖だけ?体に悪そうだ!」と言い出した。アホ!毎日脂ぎったもんばっか食うあんたたちのほうがよっぽど不健康だわい!イモもいい加減にせ~よ~!心してコンペイトウを食いやがれ!!!
2005年02月20日
ドラえもんの歌作詞 楠部工 作曲はばすすむこんなこといいな できたらいいなあんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけどみんなみんなみんな かなえてくれるふしぎなポッケで かなえてくれるそらをじゆうに とびたいな「ハイ!タケコプター」アンアンアン とってもだいすき ドラえもんしゅくだいとうばん しけんにおつかいあんなこと こんなこと たいへんだけどみんなみんなみんな たすけてくれるべんりなどうぐで たすけてくれるおもちゃの へいたいだ「ソレ!とつげき」アンアンアン とってもだいすき ドラえもんあんなとこいいな いけたらいいなこのくに あのしま たくさんあるけどみんなみんなみんな いかせてくれるみらいのきかいで かなえてくれるせかいりょこうに いきたいな「ウフフフ!どこでもドアー」アンアンアン とってもだいすき ドラえもんアンアンアン とってもだいすき ドラえもん 今どこでもドアがあったらドイツに行って羊さんに蹴りを入れるのに。*******************************************************Sara Perche Ti Amo (Ricchi E Poveri)Che confusionesara perche ti amoe un'emozioneche cresce piano pianostringimi forte e stammi piu vicinose ci sto benesara perche ti amo. Io canto al ritmo del dolce tuo respiroe primaverasara perche ti amo.Cade una stellama dimmi dove siamoche te ne fregasara perche ti amo. E vola vola si sasempre piu in alto si vae vola vola con meil mondo e matto perchee se l'amore non c'ebasta una sola canzoneper far cunfusionefuori e dentro di te.E vola vola si vasempre piu in alto si va ... Ma dopo tuttoche cosa c'e di stranoe una canzonesara perche ti amose cade il mondoallora ci spostiamose cade il mondosara perche ti amo.Stringimi forte e stammi piu vicinoe cosi bello che non mi casa c'e di stranomatto per mattoalmenco noi ci amiamo. E vola vola si sasempre piu in alto si va ... E vola vola si vasara perche ti amoe vola vola con me e stammi piu vicinoe se l'amore non c'ema dimmi dove siamoche confusionesara perche ti amo.
2005年02月19日
羊さんに私からのバレンタインの小包が届いたらしい。羊さん大喜びである。一方で私は忙しさのあまり数日前に買った納豆が食べられずにイライラしている。賞味期限が来る前に・・・・賞味期限が来る前に・・・・(追記)納豆とドイツ語とイタリア語のことばかりをこの三日間考え続けていたら、羊さんにメールするのを忘れた。(んなアホな。)三日間しっかり羊さんからは携帯にあーだこーだってメールは来てて読んでたのだが。さらに昨日・今日と「心配なんだけどどうしたの?」とまで言われていたのに。ま、いっか、週末は時間あるから電話したろって思ってさっき電話したらお説教。「元気だよ」って一言言う前に怒り始めた羊さん。ごめんよ~ごめんよ~。「日記は更新してるくせに!」とまで言われた。ぬぬ。なかなかやるな。そういう風にしてチェックすることまで学んでしまったのか。ちっ・・・・・・楽天め・・・・。でもわかってるならいいじゃん・・・今私がレポートとかドイツ語とかで忙しいの知ってるんだし・・・卒業来月させておくれよ・・・知り合って三年、石の上にも三年って言うんだし、そろそろわかるでしょ、ほら今流行ってる、♪僕らはいつも以心伝心♪・・・・・・・・・なんて思ってた私がアホでした。今からヘアカット予約があるので急いで行って来ると言って去っていかれた羊さん。(わりとこまめに切りに行く。切り立てはまさにハゲ。 でもそれがいいのさ~。ラーブラーブ!)帰ってきたらまたお説教されるそうです。とほほ。納豆どころじゃないよ、こりゃ。私は野比のび太女バージョンで羊さんは野比たま子(のび太の母)ってところか。ああ、私のドラえもんはどこに????******************************************************ものすごく怒られた。怖い怖い怖い。
2005年02月18日
毎日ドイツ語にやられてる。接続法二式にやられてる。痛い。痛い。痛い。苦しい。苦しい。苦しい。朝から晩までみっちりと。なんだこれは。息抜きが必要なので、都内某所にあるイタリア語教室へ言った。久しぶりに聞くイタリア語、久しぶりに話すイタリア語、とにもかくにもイタリア語。いつも思うのだけれど、どうしてドイツ語教室とかドイツ語の授業ってくら~いんだろう。どうしてイタリア語教室とかイタリア語の授業ってあかる~いんだろう。私は二~三年前に独学でイタリア語を始め、しばらくしてから九段下にあるイタリア文化会館へ通い始めた。先生がとにかく明るくって、生徒も明るくって仲良くなりやすい。こんなに楽しい語学が勉強できるなんて!と当初はかなり感激した。大学で私は第二外国語としてドイツ語を学んだが、日本人の先生も、ドイツ人の先生も、ドイツ語法律書講読の先生も、決してみな陽気なタイプではなかった。どちらかと言うと、晴れ渡った日でも教室の中はジメジメとして部屋の隅にはキノコでも生えてそうな雰囲気だった。でもこれが第二外国語の授業だと思っていたから、初めてイタリア語教室へ行ったときには本当に驚いた。週に一回まとめて三時間の授業も全く苦にならなかった。イタリアへ行ってからも私は大学のイタリア語の授業とともにドイツ語の授業をとった。イタリア語の授業は楽しかった。とにかく楽しかった。先生も明るいし、生徒も明るい。ドイツ語の授業もそれなりだったけれど、イタリア語の授業と比べるとやはり部屋の隅にキノコが生えてそうだった。日本で受けた授業よりは楽しかったような気もするがそれはおそらく周りが全部イタリア人だったからだろう。アホでもいい。イタリア人のその陽気さが好きだ。イタリア語教室に行ってますますイタリアに帰りたくなった。いやスペインでもいい。ギリシャでもいい。南へ、南ヨーロッパへ行きたい。先月ドイツじゃなくてイタリアへ行けばよかった。今日私は珍しくスカートなんてはいてみた。普段はあまりはかないのだけれど、なんか今日はスカートをはきたい気分だった。そしたら都内某所にてどう見ても日本人ではない面持ちの男性二人組がすれ違いざまに上から下まで見てくれた。イタリア語を話していた。「ベッラ」と言っていた。私・・・・・私・・・・・私・・・・・不覚にも心の中でガッツポーズしてしまいました。ビバ・イタリア。ジャガイモ・ドイツ。ナットー・ニッポン・納豆が食べたい。******************************************************やっと週末。今週こそ納豆を食べてやる。賞味期限が来る前に。
2005年02月17日
羊さんは浮気ができない。理由(1)その必要がないから。理由(2)そしてその気がないから。理由(3)さらに自分の彼女を愛しているので、彼女を傷つけるようなことをしたくないから。私も浮気ができない。理由(1)面倒くさいから。理由(2)マヌケなので隠し通せないから。理由(3)小心者だから。私ってやな女?これじゃ羊さんの株が上がる一方な訳だ。
2005年02月16日
昨日の日記にも書いたことなのだけれど、羊さんは、「ボクの両親はキミのことを気に入っている」と言ってくれた。私を慰めるために言ってくれただけなのかもしれない。状況が状況だったから。でも羊さんは嘘は言わない。私の親友でもデブだったらデブって言うし、美人だったら美人って認めるし、たとえ私のことでもお腹が出てたりしたら「出てる。可愛い。」と言って肉をつまむし、ニキビができれば「うわーーニキビができてる!kすっごい大きくて気持ち悪い! 動かないで!つぶしてあげるから!すぐに直るから! キミって14歳か?!まだニキビができるなんて!」と言って本気でニキビをつぶしにかかる。遠慮なんてはっきり言って皆無に近い。本当に容赦しないでガンガン攻撃してくる。でも実はこの台詞には続きがある。日記の構成・演出上私が勝手に省いただけだ。『キミがイタリア語を話す限り、 ボクの両親は大喜びだし、キミのことも好きだよ。』・・・・・・。もし私がイタリア語を話せなかったらどうなるんだ?と思った。イタリア語なかったら私ってただの東洋女?私って何??????イタリア語話さなかったら私は嫌われてるってこと???なんかこの台詞に後から疑問を抱くようになった。はっきり言ってイタリア語ができて得したことはない。イタリアで旅行をしていてホテルの予約だとか、電車の乗り換えの確認がスムーズにできるだけで、他に得することは全くないことに最近気がついた。こんなことならば同じラテン系でもフランス語とかスペイン語をやっておけばよかったと思っている。それでも、「え~でもかっこいいじゃん。」と言ってくれる女性が多い。私が19、20歳ならカッコよさもよしとしていただろう。でも24歳の今現在、そんな軽薄なカッコよさはどうでもいい。(羊さんの影響か?)私は羊さんと付き合いだしてからだいぶけち臭くなった。「お洋服はパルコかミロードかルミネか丸井か伊勢丹!」って昔は信じていた。今じゃ、「洋服は最高で(新宿)ミロードの安売りでいい。 ルミネは意外に自分の好みのものがない。 伊勢丹は(新宿)駅から歩かなければならない。 丸井は遠い上に高い。 パルコのために渋谷まで赴きたくない。 最終手段はダイエーかヨーカドー。サティでもよい。 ヨーカドーの最近の成長振りには目を見張るものがある。 洋服は着る人が着ればよく見えるものである。 中身だ。人間中身なのだ。」だから最近の私は貧乏臭い。こないだきれいに着飾った同級生をたくさん見てビビった。私はまるでドロをかぶったイモだった。頭もボサボサだ。羊さんは自分がイモだから自分の彼女がイモでもあまり気にならないのか?何が言いたいかって、年をとってようやくうわべだけのカッコよさの無益さに気付いたのだ。だから私がイタリア語できてカッコいいと女性軍に言われるのは残念ながらうわべだけのカッコよさで、本当に役に立たないのだ。(ため息)確かに両親とイタリア旅行をしたときは重宝がられたけど、はっきり言って半分奴隷みたいなものだった。ホテルの人と喧嘩したりして、こんなことならイタリア語がわからないほうが楽だったとも思った。イタリアの音楽が大好きで今でもよく聞くけれど、その話を一緒にしてくれる日本人の友達はいない。ひとりで聞いて、ひとりで歌って、ひとりで楽しむ。実はちょっと寂しかったりもする。ただの貧乏法学部女子学生がイタリア語を知っていてもはっきり言ってそんな知識は刑事訴訟法と同じくらい世間で役に立たない。そう。私のもうひとつの失敗。それは刑事訴訟法。(好きなんだけどさ。)はっきり言って刑事訴訟法は世間で必要とされていない。ゼミに入るときにも教授にはっきり言われた。「刑事訴訟法は世間で役に立ちません。 得することはありません。就職にも有利ではありません。 得するとしたら就職の面接で、 面接官に専門科目を聞かれても 面接官自身が刑訴法を知らないので 深く追究されないことだけです。 就職に有利な科目を選びたいなら民法か商法を専門にしなさい。」今気付いた。本当に民法か商法にしておけばよかった。(ため息)気付くのに何年もかかってしまった。恋は盲目ってやつと似ている。夢中になると何も見えない。イタリア語といい、刑事訴訟法といい、私の人生において役に立たないものばかりを私は自ら選択し続けてきた。しまいには本当に何の役にも立たないイモ男まで。(↑ひどい。)イタリアから帰ってからなんて刑法ゼミにまで入った。これ以上トリビア級の無駄な知識?を身につけて私は一体どこへ流れていくのだろう。行き着く先はオホーツク海だったりして・・・。イタリア語なんてチャオとグラッツェ言えれば十分です。そしてソーノジャッポネーゼ(私は日本人です)って一言言えばすぐに「ナカータ!」「コイズーミ!」「トヨータ!」「スズキ!」って自分の名前じゃないけど連呼してくれます。刑事訴訟法を一体一般世間で誰が必要としているのでしょうか。「行列のできるなんたらかんたら」ってテレビ番組でも取り扱われるのは民事系ばかりじゃないですか。自白の信用性がどうだとか、代用監獄がこうだとか、共犯がなんだとか誰も気にしていないご様子です。そしてみなさん口をそろえてこう聞きます。『さとっきーなちゃんは弁護士になるの?』って。私、民法が苦手です。民法が苦手って、致命的です。民法は苦手だけど刑訴法は得意な弁護士って英語は苦手だけど世界史が得意な英語教師みたいです。(涙)民法って重要なんだなぁ、って学部生を5年して改めて気付かされました。(遅い。)ああ、私の人生って、私の人生って。最近ものすごい焦燥感に駆られる。話はぐっと戻って、先日の羊さんの台詞。『キミがイタリア語を話す限り、 ボクの両親は大喜びだし、キミのことも好きだよ。』じゃ、私がイタリア語できなかったら嫌われてたということか。それはそれで複雑だ。でもその可能性は大だ。なんてったて羊さんの両親はかなりのイタリアかぶれだから羊さんにイタリア人の彼女を探せと言ってたくらいなのだから。一体どこのドイツが(シャレ?)ドイツ人の恋人の両親がイタリア語を話すなんて考えるだろうか。羊さんの親に会いに行くたびに、「イタリア語ができてよかった・・・」と運命の神様に感謝するとともに、なんとも複雑な気持ちになる。そしてあっちはあっちで息子が彼女を連れてくるたびに「確かにイタリア語は話すけど、なんか違うよなぁ。」って複雑な気持ちになっているのだろう。人生どこで何が役に立つのか、わかりません。と言うわけで今日はドイツ語の勉強に勤しみます。
2005年02月15日
私にはちょっぴり悲しい過去があってできれば大切な羊さんには話したくないと思っていた。けれどもずっと黙っていて隠せるようなものではなく、羊さんはきっと何かがあったことを察していた。羊さんに嫌われたくないって思った。羊さんの愛が覚めてしまったらいやだって思った。別れを切り出されないにしても、私への想いが弱くなってしまったらいやだって思った。愛情が同情に変わってしまうのを恐れた。ずっと言わなかった。ずっとこのまま言わずにすますつもりだった。でも言わなければならなかった。羊さんはこう言った。『ボクの愛は変わらないよ。』でもそんなの信じなかったし、もしそう言っている裏側で羊さんの気持ちに変化が合っても仕方がないと思った。****************************昨晩チャットをしていたら羊さんが突然何も言わずにオフラインになったのでパソコンの調子がおかしいのかな、と思って待っていたら電話がかかってきた。パソコンがおかしいと教えてくれた。どういうわけだが昨日は悲しい夜で羊さんともっと話がしたかった。羊さんが突然こう言った。『このあいだ、君の過去について話してくれてありがとう。 ボクはすっごく嬉しかった。』なんで嬉しいのか。なんであんなこと聞いて嬉しいのか。これも慰めの言葉のひとつだと思ったけど、どうして嬉しいのかを聞いてみた。『キミがボクにこのことを教えるのに必要だった勇気を考えると ボクはキミに信用されているということでしょう? キミがそこまでボクのことを信用してくれているということが嬉しい。』でもこれを話そうと話すまいと羊さんのことは信用してる。絶対に裏切らないって信じてるし、大切なことは今まで全部話してきた。本当なら言いたくなかった。言わずにすめばいいと思ってた。愛情が覚めてしまうのが怖い。そう泣きながら伝えた。『泣かないで。 キミがまだドイツに居たときにこれを言ってくれてたら ボクはキミをぎゅうって抱きしめてあげたのに。 今それをしてあげられないのが悲しい。 これを知ろうと知るまいとボクらの関係変わりはない。 ボクのキミに対する気持ちも全く変わらない。 キミが悲しい過去について話してくれたことは、 ボクのキミに対する気持ちをより強いものにするだけだ。』ただ、ただ涙が止まらなかった。今まで羊さんは私のことなんて全然理解していなくって本当にあきれるほどの鈍感野朗でどうしようもないと思っていたけれど、羊さんが一番の理解者なのかもしれないと思った。『過去のさとっきーなが今のさとっきーなを創り上げた。 今のさとっきーながボクが愛するさとっきーな。』この台詞の意味は、私の過去までも受け入れます、例えそれがなんであっても無条件で受け入れます、そういう意味だったんだ。そんなこともわからなかった私はアホだ。心がほぐれた私は羊さんに先月悲しく感じたことをまとめて話した。ドイツにいると視線がつらい。都市では何も感じないけれど、地元の町を歩くときはときどき気になる。気にしてはいけないと思いつつも気になる。でも知らない人たちだしどうでもいいって思えるようになった。ただ羊さんの友達と一緒にいるときの雰囲気がつらかった。特に先月一緒にボーリングへ行ったときの。羊さんの友達が嫌いなわけではないし、責めるつもりもない。無理に話をしてくれなくたってかまわない。ただ私はもし友達の彼女や彼氏がどこか遠い、言葉も違うようなところから来たら少しでも心地よく感じるようにしてあげたい。自分が異国の地に居て、どんなに不安な気持ちになるか知っているから。だから大学でも留学生と友達になったら親切にしてあげたい。イタリア人でも、ドイツ人でも、中国人でも、フィリピン人でも。みんなが自分と同じであるはずがないことは百も承知だけれど、私は悲しかった。不安だった。切なかった。隣にいた羊さんが遠くに思えた。ただ悲しかった。それだけ。できるだけ人を傷つけたくないと思って、周りに誰か居るときは気をつけてきた。それでも人を傷つけることはある。でも最低限に抑えたいと思ってきた。でもなんだかそんな努力が空しく思える瞬間だった。一体私は何なんだろう。私の何がいけないのだろうと思った。もっとフレンドリーにすべきなの?もっと積極的になればいいの?どんな努力も無駄に思えた。羊さん、静かに話を聞いて私に同意をしてくれた。そしてこう言った。『ボクは正しい人を彼女に選んだ。』って。また涙が出た。『でもさとっきーな、 ボクの両親はキミのことを気に入っている。 イタリア語を話すことにも驚いている。 ボクの同僚達もキミのことが好きだし、 ボクの上司もキミのことが好きだって。 キミは十分フレンドリーだ。 初めて会う人にもいい印象与えているよ。 えらいなって思ってる。キミの頑張りは見てる。 キミは本当に気遣いのできる人だ。 キミが心を痛める必要はない。 ボクはキミが彼女で嬉しい。 アイシュテル。』もっと涙が出た。止まらなかった。時計を見たら朝の五時五十分だった。おやすみと言って眠った。この人がいてよかったって思った。会いたい。
2005年02月14日
********************************************************初めてのバレンタインは三年前。お互い好きだよ、と言い合っていたけれどまだ私たちはお互い実際に会ったことがなかった。私はそのとき札幌に居る父親を尋ねていたので、羊さんには北海道のチョコレートを送った。羊さんも私にチョコレートと手紙、それから羊さんの生写真を送ってくれた。私はチョコレートよりも羊さんの生写真に大喜びだった。(↑当時羊さんを崇拝していた私。)二度目のバレンタインは私がイタリアに居たとき、ちょうど去年のバレンタイン。私は適当に(すまんね)イタリアのチョコを見繕った。羊さんは私にキュスへンチョコだとかキンダーチョコとちいさな羊のぬいぐるみを送ってくれた。イタリア語の授業の前に寮の受付で羊さんからの郵便を受け取った私は嬉しさのあまりそれを持ってそのまま授業へ行った。もちろん授業は上の空だった。(↑ただでさえ普段から上の空なのに。)今年は三度目のバレンタイン。昨日の夜家に帰ってポストを見ると見慣れた黄色い箱が入っていた。ドイツからだ。マッキッキのドイチェポストの郵便用箱に入っているものの中身は想像できていた。ミルカのチョコやキュスヒェンチョコ、キンダーチョコにMon cheriってフラ語の名前のチョコ。ぷぷ、あんたはアモーレのフランス人とは程遠いイモ男だろって笑ってやった。(↑意地悪。)もっと気のきいたものはないのかよ・・・と箱の中を探ってみると(↑腹黒さを見せる余裕も三年経って出てきた。)手のひらサイズのサイのキーホルダーと、ストラップにひっついた羊のキーホルダーが入っていた。素直に嬉しかった。手紙も添えられていた。『ハローさとっきーな! ハッピー・バレンタイン! 日本で女性として何かをバレンタインに受け取るのは 慣れないことだろうけど、そこは許して欲しい。 むしろもっとくれ~。 ここの天気は快適だよ。雪もないし、気温も高い。 キミにとっては違うだろうけど。 日本は寒くないといいね。キミすぐに寒がるからさぁ。 (中略) キミのことが心配だ。 どうかひとりで歩くときは気をつけて欲しい。 ボクたちが前に話し合ったことをどうか実行して欲しい。 昔の恋人のことは心配しなくていい。 ボクは彼から何が来ようとも気にしない。 他人がキミについてなんと言おうともボクは気にしない。 ボクはキミを信じているから。 キミはボクの彼女だ。 たかだがメールや他人の噂ごとでボクの気持ちは変わらない。 (ハート!) だから心配しないで。 ボクが怒鳴ってしまうときは、別に悪気があるわけではないんだ。 ただキミの悩みや問題を真剣に考えるから、 つい大声になってしまう。 キミがボクが怒鳴るのを好きじゃないのはわかっている。 本当にごめんね。 でもキミの問題はボクの問題だから、 気にせずにはいられないんだ。 さあ、バレンタインの手紙にもうこれ以上悲しい話はいらないね! ボクのバレンタインになって!本当に愛している! チュゥチュゥセップン アイシュテル! (りんごにはさみが突き刺さった絵) すごいシュールな絵だった。 ↑ハッピーバレンタインりんごだよ! なんだそれは。 追伸:可愛いものをドイツで探すのはいつもどおり難しかったよ・・。 でもキミがいつも使っている三色ボールペンよりもお洒落な 四色ボールペンを見つけたからこれをあげる! ヒチュジ君より』あとで『なんでりんごにハサミが突き刺さってんの?』って聞いたら、『ナイン!!!!!ハサミじゃない!!!!!! リボンで飾られたりんごだ!!!!!!!! ボクはそんなに絵が下手じゃないよ!!!! キミって失敬だな!!』と怒られた。バレンタインに怒られるとは、あたしゃ本当に怒られ名人だよ。羊さんすまんのぅ。ちなみに私は昨日の夜中に羊さんへのバレンタインの贈り物を発送した。(遅すぎ)三年前は生写真を頂くだけで興奮して、羊さんを神のごとく崇拝していたのに、今じゃダラダラと贈り物を発送し、自分はさっさと羊さんからの贈り物をくすねる(?!)。ドイツの食べ物はまずいと文句を言いまくって、羊さんに寿司だとかラーメンだとかを食べさせる。暴君ハバネロも食べさせたし、カラムーチョも食べさせた。鉄腕アトムやアンパンマンも学習させた。ドラえもんも学習させた。新車はプジョーとスバルで悩んでいたけど、スバルを推した。羊さんがいつも使うリュックには、近藤勇のストラップがチャックの先っちょにぶる下がっている。(もちろんあげたのは私。)羊さんはいつか日本人になってしまうかもしれない。
2005年02月13日
その(1)バイトで可愛い高校生の担当だった。久しぶりにちょっと嬉しかった。(ハート)その(2)中学時代の級友が地元のホテルもどきにこぞって集う会(同窓会ってやつ)があった。なんかあんまり行きたくなかったのだけれど、いつ死ぬかわからないので、(↑大げさ。)とりあえず一次会だけは行こうと思って行った。知らない人ばっかりで驚いた。(↑そんなことは絶対にないはずだが。)『さとっきーなちゃんきれいになったね』って名前も覚えていない若い男に言われた。あれ、誰だったんだ?(↑すまん。)そんなに私中学生のとき汚かったっけ??風呂には毎日入っていたけれど。昔の仲良しに会うのは嬉しかった。でも噂でよく聞くロマンスは何もなかった。ときめきもなかった。ちなみに当時好きだった男の子はいなかった。嫌いだった男子はたくさんいた。(↑最悪。)好きになった男の子は3人以上はいるけど(↑多すぎる。)誰一人としていなかった。さらにちなむと、羊さんが日本に居たときにそのうちのひとりの写真を羊さんに見せたら「エッ、こいつ?」と言っていた。失敬な。あんたよりは可愛い顔してるわよ。当時の私のお笑い友達は相変わらず面白おかしくって、イラン人だかトルコ人だかわからない風貌になっていた。ビビッた。ビビりすぎて、顔を見るなり噴出してしまった。(↑失礼。)偽造テレカを平塚の駅前で売ってそうな雰囲気だった。(↑失礼。)『おまえ、変わんないな。』と言われた。自分では成長したつもりだったのに。あんたは変わったよ。イランとかに修行にでも行ったのかと思ったよ。(↑失礼。イランに対しても、彼に対しても失礼だ。)その(3)同窓会の二次会にも誘われたけれど、そんなものは断って、楽天仲間のriricちゃんが東京に居るのでいっそいで会いに行ったなり~。gazpachoさんとたにたにさんもいてうわ~なんだか素敵な夜だったなぁ。う~寒い夜だ。ラーメンでも食べたいぞよ。ちょっといい日。たまにこんな日があってくれれば生き延びられそう。
2005年02月12日
3年も前に別れた昔の恋人からの嫌がらせが続く。別れてだいぶ経つのだがまだ諦められないという。実はかなりうんざりしている。精神的に参ってしまい、体調を崩した三年前。ホルモンバランスを崩して太った。吹き出物ができた。薬を飲み始めた。これについては羊さんと付き合い始めた頃から悩んでいた。けっこう重い悩みである。今夜も悩む夜だった。羊さんに相談がてら話をしていた。愚痴りたかった。そうしたらまたいつもの調子で怒鳴られた。怒鳴られるのは大嫌いなのに。そういっても羊さんはすぐ怒鳴る。『昔は違ったのに。』と言うと、『昔っていつだよ。』と言われた。『二年前。二年前、付き合い始めたときには 私が口を閉ざしてもそんなに怒って追究してこなかった。 声を上げて私を叱り付けなかった。 それなのにいつからかすぐに怒鳴るようになった。 イヤだ、そんなの。 昔に戻りたい。二年前の羊さんに戻って欲しい。』昔の羊さんは優しかった。黙って話を聞いてくれて、そばにいてくれて。私はそれが心地よかったのに、いつからか怒鳴られるようになった。本気で怒鳴る。これが噂の男の豹変かとも思うほどに。昔のようには戻れないと言われた。『絶対に無理だ。 二年前は付き合い始めでまだお互いを知り合ってなかった。 心の奥深くまで分かり合ってなかった。 今は違う。 キミのこともっとよくわかっているし、 愛情が強くなっているのだから、つい興奮してしまうんだ。』それも愛なのだ、と気付かされた。私のいい過去も悪い過去も知りたいという。私の過去であるのなら、悪くても知りたいという。私に関することであるから。いいことだけではなくて悪いことをも話してくれることが嬉しいという。それだけ信用されているという証だから。そしてそれだけ私への愛が深まるのだという。私は羊さんに全てをぶちまけるのが怖い。もしかしたら嫌われてしまうかもとか愛情が冷めてしまうのではと思ってしまうから。でも羊さんに言わせればそんな心配をすると言うことは羊さんのことを信用していないことの証だそうだ。羊さんは何でも言う。けっこう余計なことまで言う。私が聞かなくても色々話すし、聞けばもちろん正直に答える。私は口を閉ざす。聞かれれば答えるけれども、必要以上に話さない。私が高校時代に留学したことを羊さんは日本に来て初めて知った。私の部屋にある写真を見て。羊さんは『どうして今まで(二年半も)教えてくれなかったの?』と言った。私は、『聞かれなかったから。』と答えた。知らないんだから聞きようもないことだけれど、聞かれない限りそうそう私は何も明かさない。だから羊さんは私の気持ちを探るのに一苦労だ。『どうして今まで教えてくれなかったの?』ってあのとき羊さんが言ったのは、私の過去が単純に知りたかったと言うことか。私と言う人間を構成する一部の過去を。羊さんにとっての愛は信用。相手を信じること。とことん信じること。相手に信じてもらうこと。とことん信じてもらうこと。羊さんの愛が本当に愛なのかもってやっと気付き始めた。羊さんのことを本当に心から信用できるって思えた。二年もかけて。
2005年02月10日
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