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2005年09月14日
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カテゴリ: 四方山話
現在、日本中で、その業界等の第一人者を誉め讃える場合「日本一」という言い方を用います。

しかし、この「日本一」という言い方は、徳川政権以前の戦国時代においては聞く事が出来ないものだったらしい。

「天下一の武将」「我こそは天下一」など、「天下一」と読んでいた。

「天下一」で「日本一」ではないの?
当時、すでに日本と言う国号があったのに、なぜ「日本一」と言わずに「天下一」と言ったのだろう。

それは、その頃は外国を意識重視していなかった為。

江戸時代には、「天下一と名乗る者」や「天下一の道具類」にまで数多くの「天下一」が出現して世を乱していた。
その為、徳川幕府は「天下一」と称する事を厳しく禁じた。

では、「日本」と国号を定めたのはいつでしょうか?


702年以降の遣唐使は「日本国使」と名乗っています。

対外的に「日本」と言えるようになったのは、
702年にわが国の使者(遣唐使・遣周使?)が、
周(唐は則天武后によって一時国号を周とした)に渡った時、
国号「倭国」から「日本国」に変更する事を明言した。
則天武后はこれを認めた。

これ以降、中国大陸の王朝の正史では、日本の記述に関する項目に、
それまでの「倭人伝」「倭国伝」から、「日本伝」と変更しました。

「日本」という国号が、東アジア世界で公式に認められた瞬間です。

これは、大陸の大国に対して、
小国なりとも自立国になろうとする、


「日本」と言うこの国号は、この時代(700年頃)の日本の立場を反映したもの。
大陸を意識して定められたものであることがわかります。
つまり、「日本」は東の日の出る処「日出づる処」を意味しています。




現在の外交意識では、「アメリカ」から見た
「日没する処」となっていますね。





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最終更新日  2005年09月14日 11時59分02秒
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