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【2018年3月26日(月)】 研究員研究の11回目のフィールドワークで稲荷山南谷に出かけました。 前回フィールドワーク(3月22日)(こちら)の後、「七面滝」でアトリエを待たれている大岩さんとメールでやり取りをするうち、七面の滝での日蓮宗のお寺さんの滝行が今後3月26日(今日)と4月16日にあることが分かりました。4月16日はゴルフがありますが、3月26日(今日)はフリーなので、大岩さんに繋いでいただいて、今日、滝行を見学させていただくことになりました。滝行を実際に見るのは初めてです。 JR桂川駅からJRで行こうとしたのですが、桂川駅に着いたら、京都駅での乗客との接触事故があって運転が止まっており、再開の目途も不明とのことでしたので、急きょ、阪急洛西口駅まで歩いて、阪急・京阪を乗りついで伏見稲荷に向かいました。 滝行は11時半から12時半頃だそうですので、その前に、この前お会いした「白菊の滝」の奥様にお会いして、聞き洩らしたことを確認させていただきました。今のところ、ご朱印はどこの「お塚」「お滝」ともやってないそうで、滝行は危険が伴うので、観光化は躊躇するが、ご朱印くらいはやってもいいのかも知れないとのことでした。また、「お塚」「お滝」の管理者の組合的なものは存在せず、南谷は同じ町内会としての交流はあるが、北側の「お塚」の管理者の方々とは交流がないそうです。何か観光化を企てるとすると、組織作りから取り組まないといけないようです。 この前「命婦滝」の管理者の方とお話をさせていただいたとき、たまたま「白菊滝」の奥様がいらしゃってお知り合いになることができました。今日は、「白菊滝」になんと「弘法滝」の奥様が偶然来られていて、「弘法滝」についても同時にお聞きすることができました。以前、管理棟を訪れて、身分を明かさずにお話をさせていただいたことがありますが、こういう形でインタビューできると、打ち解けた雰囲気でインタビューできるので幸運です。2回連続で、このようなことが起こるのに、不思議を感じるのを禁じ得ません。 「弘法滝」は奥様で3代目。やはり記録がなく正確なところは分からないが、奥様で3代目で、「お塚」「お滝」ができたのは、120年くらい前、明治時代の中頃ではないかとのこと。お塚で一番古い字彫が明治31年だそうです。 色々お話をお伺いするうち「七面滝」で滝行が始まる11時30分になったので、おいとまさせていただいて「七面滝」に向かいました。大岩さんに、来られていた大阪柏原市にある日蓮宗欣心寺のお聖人に繋いでいただき、快く見学をお許しいただきました。すでに滝行の準備が始まっていて、祠ではお参りが始まっていました。お聖人とお弟子さん、男性の信者さんが2人、女性の信者さんが3人、総勢7人です。信者さんはいずれも私よりお歳を召した方々とお見受けしました。都度メンバーの増減はあるそうですが、毎月、滝行に来られているそうです。 しばらく法華経の読経が続き、やがてお聖人さんが滝に入られ、続いてお弟子さん、男性信者さん、女性信者さんの順で滝に打たれておられました。途中で、お聖人さんが、信者の方の滝行のときに、「気」を入られている作法も見ることができました。 許可を得られたので、お聖人さんの滝行だけ写真を撮らせていただきました。 滝行後、読経がさらに続き、それも終わると、更衣所に全員が輪になってお食事をとられました。といってもカップ麺と皆さんが持ち寄ったおにぎりとか、そんな質素なものです。私も、いっしょにいただきながら、お聖人や信者の方々に色々お話をお伺いしました。 お聖人曰く、昔はたくさんの人が滝行をしたが、今は滝行をする人が減っている。昔は流行みたいなところがあったが、やがて自然淘汰されて、今は真剣に滝行をする人しか滝行をしなくなった。生駒にも「お滝」が複数あるが、稲荷山ほど数はない。星田の妙見にも「お滝」がある。外国人がよくこの滝を訪れるのは、ネットで紹介されたから。こんなノートも置いてあります 男性信者さんのお一人から興味ある情報を聞くことができました。この方が、このお滝に父親に連れられてきたのは約70年前。当時は、少し下流の今自動販売機が置いてあるところに「真心滝」があり、その茶店にたくさん人が休んでいた。水の流れはないところなので、鳴滝からポンプで水をあげて滝を作っていたのではないか。間力教会の方がが今の場所に移る前は、その場所におられた。当時は、この辺りは人通りがすごかった。今日はまず宝塔寺に寄ってから来た。宝塔寺にも「お滝」があったが、立命館高校ができ湧水が少なくなった閉じられた。(立命館高校が深草にできたのは、昭和63年約30年前。宝塔寺でお会いした方が、廃滝は20年くらい前ではないかと言っておられたのと符合する) もう一人の男性の信者さんは、大工さん。このお滝で修行をするようになったのは、最近のようで、ここで修行を始めた頃は、着替えをする建物は半ば壊れていた。見るに見かねて自費で修理をさせていただいた。題目石は以前はもっと高いところにあったが、台風で崩れ落ちた。それを今のところに建て直した。このような奉仕をさせていただいた後、良いことが起こるようのなった。これもご利益か。昔は茶店だったことをうかがい知ることができる建てつけ この前のフィールドワークで管理者の方が不在だった末広滝を訪問したかったのですが、修学旅行の下見で太秦映画村にも行かねばならないので、山を下りました。途中、信者の方がおっしゃていた自動販売機のあるところに立ち寄りました。そこは、以前、「真心滝」跡ではないかと思って探索した石材置き場でした。社務所跡のようなところがあったのですが、滝場跡は見つかりませんでした。今日は、咎められるのを承知で、社務所跡のような建物の裏に回り込んでみましたが、やはり滝場の跡は発見できませんでした。 道に戻ると、以前「七面滝」の大岩さんが教えてくださった鳥居製作所の方が表に出ておられたので、お話をお伺いしました。ここに住んで60年になるそうですが、「真心滝」はご存知ありませんでした。「真心滝」がさきほどの石材置き場にあったと仮定したうえで、滝行の信者さんのお話も含めて考えると、「真心滝」は60年強前に廃滝になったことになります。すなわち昭和30年頃です。「不動滝」もご存知ありませんでした。 お山巡りの鳥居を製作されているのですが、鳥居を作るところは現在5社あるとのこと。一番有名で時々テレビにも登場するのが、伏見街道にある「長谷川工務店」。千本鳥居に向かう入口の鳥居列の最大サイズの鳥居(電通の名が入ったものなど)は、家が一軒建つくらいの値段がする。昔の鳥居用の木(杉だったか?)は、時間をかけて成長させていたので、もっと年輪が込んでいた。乾燥させてから加工していた。今の木は早く成長させるので、年輪が込んでいない。また、山の奥に入らないと太い木が採れないので、緊急用に近くにヘリポートを作ったうえで、ヘリポートで吊って採ってくる。乾燥させないので水分も多く含んでいる。水分を抜く装置を使っている。根元の腐りやすい部分は、表面を焼く。他にも色々興味深いことを教えていただきましたが、「お塚」「お滝」と直接関係がないので、メモもとっておらず、詳しいことまで記憶に残っていません。また時を改めて訪ねたいと思います。 太秦映画村に向かいました。→こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/03/26
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【2018年3月24日(土)】 今日は、梅小路観光案内所の勤務でした(こちら)。 昼食は安価に簡単にコンビニのイートインで済ませることが多いのですが、ここでの勤務は今日も入れてあと2日しかないし、いつもイートインでは淋しいので、修学旅行昼食処の下見も兼ねて、「拳(こぶし)ラーメン」というところに行ってみました。前回だったかの勤務でもトライしたのですが、12時過ぎの昼食時間だったこともあり、行列ができていて断念しました。今日は、11時半からの食事時間だったので、並ばなくても入れて、店内も空席がありました。 場所は、七条千本の入口に近いところなので、大宮の案内所からはバス停2つ分歩かなければなりません。七条通の山陰線高架東側、七用通に面して北側です。 私は「拳ラーメン・濃」(750円)をオーダーしました。少し魚出汁が香る美味しいラーメンでした。店内も小洒落ていて雰囲気いいです。コスパもOKで、鉄道博物館見学で、この辺で昼食となったときには候補の店の一つにあげてもいいでしょう。席数が17席と少なく、人気の店でもあるようなので、混雑はするようです。12時前に入る前提になるでしょう。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/03/24
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【2018年3月22日(木)】 今日は、研究員研究最終発表会レジュメ締切日です。第2回中間発表会(3月3日)のレジュメも同じA4・1枚で作成したし、その後、大きな進展もないので、第2回レジュメの小変更で対応できそうです。最終レジュメまで、もう1回はフィールドワークを挟んで内容を濃くしたかったのですが、ようやく時間がとれるようになったこの3日間、ずっとお天気が悪くて、フィールドワークを自重していました。 今日もお天気はあまり良くありませんが、上記状況から判断して、フィールドワークから帰ってきてからでのレジュメ作成でも間に合いそうなので、昼前に思いきってフィールドワークに出かけました。修学旅行の昼食処下見を兼ねて伏見稲荷大社参道沿いの「祢ざめ家」で昼食をとった後(こちら)、南谷の「お滝」管理者を訪ね歩きました。●清め滝 まず、麓の「清メ滝」から。ここは、管理者はいらっしゃいますが、「お滝」には水が流れておらず、「お塚」も荒れが目立ちます。 管理者宅は、伏見稲荷大社奥社の横から谷底のほうに見下ろすことができ、壁面に「伏見稲荷教会」と看板が掛かっているのが確認できました。大きな建物ですので、昔は宿泊もできたのではないかと思います。あとで「伏見稲荷教会」でググってみましたが、何も分かりませんでした。 管理者宅は、外からは全く中の様子が分からず、お供えの「ろうそく」を売っておられるかどうかも分かりませんでした。インターホンを押して、しばらくすると、70代か80代の男性の方が、玄関横の戸を開けて応対くださいました。名刺をお渡しして、研究の内容をお話したうえで、色々お話を聞かせていただきました。心よく丁寧にお答えいただきました。・「お塚・お滝」ができた時期はよくわからないが、ご主人で3代目になる。できたのは、昭和の初めだと思うとのこと。(吉田地図には載っているので、大正末期にはすでに存在していたと考えられる。大正初期の「獨案内」には載っていないので、ご主人のお話も加味して、大正末期の建設と考えるのが妥当かと思われる。)・「お滝」を止めたのは、15年くらい前か。上流に畑ができて水が汚くなったので止めた。水は川の水だがポンプで揚水していた。・「お塚」の管理費を払わない人が増えて、管理が大変な状態になっている。 その後上流を歩きましたが、確かに畑が広がっていました。「お滝」ができた頃は、森林だったのでしょう。この下流に「お滝」があります。 確かにこの上流の「お滝」のさらに上流は、畑などは少ないので、水が濁ったりすることはなかったのでしょう。●八嶋滝 次の「お滝」は「八嶋滝」です。 管理棟のインターホンを押すと、女性の方が出られましたが、ここには住んでおらず、離れた場所に住んでいおられるとのこと。インターホンがそちらに繋がるように設定してあるようです。午前中なら「お滝」管理のために管理棟にいることが多いとのことで、出直すことも考えましたが、今日の締め切りまでに、最低限の情報は収集したかったので、お断りしたうえで、インターホンで基本的なことのみ質問させていただきました。・できたのは100年以上前。・水源は自然の川の流れ。水が濁って困るようなことはなかった。・「お塚」「お滝」が観光化するのは、信者さんには抵抗があるのではないか。●命婦滝+白菊滝 次に、さらに上流の「命婦滝」へ。 ここは「お塚」に向かう細い道を挟むように管理棟が建っています。上流に向かって右側の建物に入って声をかけました。奥様が出てこられて、対面の休憩所で、わざわざ暖房を点けて、お茶も出してくださって、お話を伺うことができました。途中で旦那さんも呼んでくださって、旦那さんからもお話を伺うことができました。・ここは「奥社」の「お滝」である。神社ごとに身を清める場を持っていた。そこにお塚もできた。(このときは神職さんのための「お滝」と思ったが、神前の茶店の客用ということかもしれない)・私で5代目になる。女系だったので、田中、中村、伊藤と名前が変わってきた。記録が残っておらず、いつごろ「お滝」や「お塚」ができたかは正直よく分からない。・ご主人は平安神宮の神職を勤めていた。・滝行をする人は減っているが、月次祭(つきなみさい)の月初には、5、6人来られる。月に15人程度来られる。・中田幹夫さんという伏見神宝神社の宮司さんが、「お滝」を色々調査された。一度コンタクトされるとよい。 色々お話しするうちに、上流の「白菊滝」の奥様が来られて、いっしょにお話しを伺うことができました。偶然です。南谷の「お滝」は同じ町内会で交流があるとのこと。・「末広滝」の上流の平らな場所は、現在の「白菊滝」の奥様のお家があったところ。そこには昭和49年に引っ越してきた。住みながら「岩滝」を管理していたが、昭和60年頃廃滝にした。(水を共同利用していた別の一軒のお家が引っ越して出て行かれたのでとの説明だったが、イマイチよく理解できなかった) ・昭和49年に引っ越ししてきたときは、すでにより上流の滝は廃滝になっていた。その滝が「不動滝」かどうかは分からない。「岩龍滝」は知らない。・奥様のお婆様が「白菊滝」に住んでいて、亡くなられたので、平成元年に「白菊滝」に引っ越しをした。・「末広滝」のお塚と地続きになっているが、「岩滝」のお塚の領域があり、「岩滝」分は、今も「白菊滝」で管理している。・「三光滝」という名は知らない。 偶然ですが、2箇所の「お滝」の管理人さんに、いっしょにお話しをお伺いすることができたよかったです。 「命婦滝」の管理人さんに志納をお渡しして、立派な蝋燭とご神饌をいただいたので、お社にお参りして上流に向かいました。いつも、上流側の入り口が閉まっているので、横の隙間からコソコソと出入りしていたのですが、戸を開けることができることも教えていただいたので、今日はコソコソではなく、堂々と戸から出ました。 下の写真はいただいたご神饌を自宅に持って帰って撮ったものです。「スルメ」もあったのですが、帰省中の長女が大好物だとのことで、焼かずに食してしまいましたので、写っていません。●青木滝 一つ上の「お滝」は「弘法滝」になりますが、一度お話を伺っているので(当方の身分を明かかさずにですが)、さらに上流の「青木滝」に向かいました。インターホンを押すと、中から男性の方が出てこられてお話をお伺いすることができました。・できたのは明治30年頃ではないか。・「お塚」の持ち主が分かっているのは、半分くらい。・5、6年前までは人通りが少なかったが、最近外国人の方が多く通るようになったので、道に沿った部分を整備した。●御剱滝 七面滝と鳴滝は、以前、訪問させていただいているし、白菊滝は先ほど命婦滝で管理人の奥さまのお話を偶然お聞きすることができたので、より上流の「御剱滝」に向かいました。 私はこの滝を「ごけん滝」と勝手に読んでいたのですが、さきほどの命婦滝でのインタビューで「みつるぎの滝」と読むことを知りました。 管理棟のインターホンを押したところ、奥様が出て来られてお話をお伺いすることができました。・いつ「お塚」「お滝」ができたかは、よくわからない。・古い地図に載っている「三光滝」「新熊鷹滝」の名は聞いたことがない。・お塚の雛段で何箇所か何も立っていないところがあるのは、以前の台風で倒れてしまったところ。幸い連絡先が分かっていたので、持ち主に連絡したところ、「撤去してください。」とのことだったので、撤去した。・最上段の柵で囲われた「白砂舎」のお塚は、以前は、当方で管理していたが、信者さんご自身で管理されるとのことで、そうしていただいた。しかし、先生がお亡くなりになたので、これから先どうなるか分からない。 その上の「末広滝」にも行きましたが、管理棟に鍵がかかっていて、管理者の方が一時的にご不在だったようなので、別の機会に訪れることにして、時間も遅くなってきていたので、下山しました。 帰る途中、「七面滝」に立ち寄って、仏師の大岩さんにご挨拶。この前の訪問のお礼も兼ねて、志納をさせていただきました。鳥居の修繕に使わせていただきますとのこと。 またこの滝で修行をされている方が、この滝のことを書いたインターネット記事のコピーをお渡ししました。お名刺もいただきました。近々日蓮宗の信者さんが滝行に来られるという情報、そして、この近くの鳥居を製作している会社の主の方が、この地域で生まれ育った方で、この付近の「お塚」や「お滝」のことはよくご存知ではないかとのことでした。また、水源になっている金鉱石の採掘場だったところは、七面滝の入口駐車場近くで、痕跡が残っているとの情報もいただきました。 鳥居製作所には後日訪問するとして、今日は、もう一つの目的「真心滝」の痕跡探しをしてから帰ることにしました。 「吉田絵図」、「参拝図」によると「青木滝」の上流を右に入ったところに「真心滝」というお滝が掲載されていますが、現存はしません。未だにどこにあったかよく分かりませんが、インターネットでのM.Yagi氏の記事によると「建築用砂採取場となり消滅」とあります。その場所と思しきところをウロウロしてみましたが、痕跡は発見することができませんでした。 今日のフィールドワークで、南谷で訪問できていないお滝管理者は、末広滝だけになりました。北の谷と「お山巡り」参道のうちの私有分では、荒木滝、白滝、薬力滝の管理者が未訪問です(廃滝も含めると「ねざめの滝」も。 「お塚」「お滝」の管理者は世襲が基本のようですが、その起源については、記録も残っていなくて、今の管理者の方はよくご存知ないようです。また、利用者が多かった時代は管理者を専業にしていたようですが、時代とともに、「お塚」にお参りする人も、滝修行をする人も少なくなり、志納が少なくなって、ご主人は他に仕事を持っておられて、奥様が「お塚・お滝」のお守りそしているケースが多いようです。「お塚」の持ち主が、半分くらい分からなくなっているのも珍しくありません。 「お塚」「お滝」の観光利用については、滝行をする方は、色々問題を抱えた方々が多く、あまり人に見られたくないという意識があるし、滝行は意識を失ったり危険な行為でもあるので、指導も受けずに慣れない人が滝行をして倒れられたら困るということもあります。こういったことから賑やかになるのは嬉しいが、観光化には諸手をあげて歓迎とはならないようです。 下記は、アトリエを七面滝内に持って、鳴滝も含めて面倒を見ておられる大岩さんのホームページです。https://narutakioinari.jimdo.com/よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/03/22
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【2018年3月22日(木)】 今日は、研究員研究のフィールドワーク(こちら)です。その前に、伏見稲荷大社付近で昼食です。修学旅行昼食処の下見を兼ねて、京阪稲荷駅からの参道と本町通の交差点にある「祢ざめ家」(ねざめや)という老舗のお店に入りました。 「袮ざめ家」の屋号の「袮」は、太閤秀吉が母の病気治癒のお願いに伏見稲荷大社へ毎朝詣で、その時朝早くから開けていた当店(おそらく当時は茶店)に正室袮々さんの「袮」を頂いたと云い伝えられています。 平日の午後1時前でしたが、ほぼ満員でした。お客さんは9割が外国人という感じでした。伏見稲荷の参道と同じです。 値段は、場所がら高めです。「天ぷらうどん」(1000円)をオーダーしました。混んでいましたが、出てきたのは早かったです。味は、特にという感じです。 一人一品頼まないといけないので、昼食を食べない子がいたり、二人で分けたりするような場合は、この店は避けねばなりません。 いつも混雑しているので、相席も覚悟しなければなりません。賑う参道沿いなので、お値段もそこそこします。前を通るとき、店の云われを説明することはあるでしょうが、積極的には入らず、生徒さん側から希望があれば入る店です。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/03/22
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【2018年3月20日(火)】 今年1回目の修学旅行は3月29日の関東の私立中学校です。私の担当の班の計画書で、昼食処の指定がありました。京阪丸太町を東に入って一筋目を北に上がった「京のつくね家」というお店です。わざわざバスを途中下車してでの昼食です。 今日の午前中、次期固定点ガイドの「下鴨神社資料館 秀穂舎」の説明会がありましたので(こちら)、歩いて移動してこの店に行ってみました。 到着したのは午後1時頃でした。席は空いていてすぐに注文できました。 メニューは下の写真。 修学旅行の昼食としては少々お高いです。いただく昼食費を超えて持ち出しとなるので、こういうお値段の張るところは避けたいところです。しかし、滅茶苦茶高いということはまずないので、それなりのお味であれば、我々自身も楽しめるので、これはこれでOKと私は割り切っています。 計画書には「親子丼」が食べたいと書いてあったので、それは当日にオーダーするとして、今日は、1000円ちょい超えの「つくね揚げ定食」を注文しました。 お値段分の美味しさはあって満足でした。 店の方に聞いたら予約はできないそうで、12時から1時の間は混雑して、待ってもらわなければならないことも多いとのことでした。当日は、バスに乗る前に確認の電話を入れてどうするか決めることにします。途中下車でなければ、まずは目的の場所に行ってみて、混んでいたら別の近くの場所を探すという方法もとれるのですが、途中下車の場合、混んでいてあきらめざるを得なかったとき、またバス待ちをせねばならず、時間的に無駄が生じるので、やりくりがむつかしい計画です。 研究員研究のため岡崎の府立図書館に向かいました(こちら)。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/03/20
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