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【2018年4月25日(水)】 今日の修学旅行ガイドで(こちら)、嵐山で昼食時間になり、生徒たちも嵐山で昼食を食べたいというので、嵐山のメイン通りで昼食処を物色しました。嵐山で過去いくつか入ったところはありますが、時間も押しているので、鈴虫寺の帰り、嵐山バス停を降りた近くで探しました。 平日とはいえ、ちょうど昼食時間にだったので、どこも混んでいます。メインの通りを少し北に行った「梵梵(ぼんぼん)」という、麺類を主とする食事処が空いていたし、ショーウインドを見て生徒さんたちもここでいいというので入りました。 4人掛けのテーブルと2人掛けのテーブルが隣り合わせで空いていたので、そこに座りました。店の方からまず、「テーブルはくっつけないでください。」と言われました。生徒は5人ですので、くっつけて6人で座りたいところ。止むを得ず、生徒5人は4人掛けのテーブルに詰めて座ってもらって、私が2人掛けのテーブルに一人で座りました。 次に驚いたのは「会計はまとめてお願いします。」というカードが出されたこと。「会計はまとめてお願いします。」という店は多くありますが、書いたものまで出すところはかつてありません。 メニューは、麺類で900円程度。ちょっと高めですが、嵐山なので仕方がないでしょう。しかし、それはサービスと味とのバランスがとれていればの話です。私は、かきあげうどんを注文しましたが、味は立ち食いうどん並みでした。生徒さんたちは何も言いませんでしたが、申し訳ないことをしました。 時間がなく、味もこだわらず、とりあえずお昼ご版が食べられればいいというのならばという感じです。2枚とも嵐山商店街HPから(内容再考版。原文は非公開日記に移動。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/25
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【2018年4月22日(日)】 午後から、上賀茂神社→二条城→東寺の公募ガイドでしたので(こちら)、上賀茂神社での開始時間の前に、修学旅行昼食処の下見を兼ねて、昼食をとりました。 私は上賀茂神社は修学旅行でまだ案内したことがありません。世界遺産ながら市街地から離れているためということがあるし、よく似た下鴨神社が市街地にあるということもあるのでしょう。しかし、これからも皆無という訳ではないと思います。 上賀茂神社の近くには、あまり食事処がありません。門前には今回入った「みそぎ茶屋」があるのみです。ここは、家内と大田神社のカキツバタを観に来たときに入ったことがあります。上賀茂特産の「すぐき」を売る「すぐきや六兵衛」と門前菓子の「やきもち」を売る「葵屋やきもち総本舗」に挟まれてあります。 昔ながらのレトロな食事処です。日曜日のお昼時で混んではいましたが、すぐ座れました。麺類が、1000円弱と若干高めです。「とりなんば」(900円)を注文。飾り気のない「とりなんば」でしたが、お出汁は甘めで美味しかったです。塩分要注意ですが、ほとんど全部いただいてしまいました。 上賀茂神社に来て、お昼時になったときには、ここは候補です。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/22
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【2018年4月17日(火)】 真如寺ガイドの事前説明会(こちら)、「無限洞」での昼食(こちら)、上賀茂神社の公募ガイド下見(こちら)の後、まだ三味線レッスンまで時間があったので、京都府立図書館に向かいました。 バスを乗り継いで行ったのですが、百万遍のバス停で乗り換えるとき、他の方が携帯を取り出して電話をされているのを見て、昼頃に間力教会様に電話をしなければならなかったのを忘れていたことに気が付きました。 あわてて間力教会様に電話したところ、教主様は来客中とのこと。1時間後に電話をする旨、伝えていただくことにしました。 京都府立図書館に到着しました。ここは二度目です。前回3月20日に来館し、京都新聞の前身である京都新報の記事をマイクロフィルムで閲覧しました(こちら)。しかし、当然といえば当然ですが、この方法で伏見稲荷大社及び周辺の「お塚・お滝」関係の記事を洗い出すのは、時間的に無理があるのが分かりました。 そこで今回は、データベース化され、記事検索が可能な記事の検索にトライしました。明治時代からの記事が検索できる新聞は限られています。朝日の東京本社版、大阪本社版、読売の東京本社版、毎日の東京本社版のみです。 今日は、朝日の記事を検索してみました。「聞蔵」というシステムで、大学・公共図書館など法人向けの有料サービスです。府立図書館が契約していて、来館者は無料で利用できます。「聞蔵」のホーム画面 まず、「滝行」で検索してみましたが、関連記事は見つかりませんでした。「伏見稲荷」で検索したところ、直接「お滝」に関係する記事は見つかりませんでしたが、間接的に関係しそうな記事はありました。4月28日の成果発表までは、発表用資料の作成と話す練習に集中しないといけませんし、5月になっても、5月末の最終報告書作成で手いっぱいでしょう。従って、新聞記事検索は、次期の研究で行いたいと思います。 午後4時に、間力教会様に電話することになっていたので、記事検索のトライアルを切り上げ、図書館の前から電話を入れました。ようやく教主様とお話しができました。お昼に電話できなかったことのお詫びを申し上げ、お話しをお伺いしました。 ・「間力滝」はその前の鳥居の字彫どおり、昭和57年に建設された。 ・昭和28年に、間力教会を現在地に建てたが、「間力滝」を作るまでは、先代教祖が 信者さんを連れて、弘法滝や青木滝を回っていた。 ・「真心滝」は聞いたことがない。 ・「間力滝」は他所から移築したものでもないし、印章大社も他所から遷座したもの でもない。 ・「お塚」は、教会設立後建てられたもの。これも他所から持ってきたものではない。 ・水は使うときだけ水道水を溜めておいて流す ・「ホームページで滝行に興味のある方は連絡ください」と書いているが、滝行は 危険を伴うので、興味本位の方はお断りしている。結果的に信者さんのみ。 滝行をされる人数は限定的。 ということで、真心滝やその近くあるいはそこにあった印章大社との関係をお伺いできるかと期待していたのですが、特に関係がないということでした。七面滝の修行見学でお会いした老齢の男性の方のお話(こちら)と食い違う部分があるので、この滝行の方のお話を、またお聞きしたいと思います。 雨が降ってきました。三味線のレッスンに向かいました。→こちら -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/17
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【2018年4月17日(火)】 真如寺ガイドの事前説明会後(こちら)、参加の他の3名の皆さんといっっしょに昼食をいただきました。 私は初めてでしたが、他の皆さんはよくご存知の「無限洞」というところに入りました。真如寺のすぐ近くですが、立命館大学衣笠キャンパスの東南隣で、学生がよく利用するお店のようです。外観も下の写真のように、少し風変わりです。 「食べログ」から 中に入ったら、それほど奇抜ではない内装でした。「食べログ」から やはり学生さんで混雑していました。我々4人だけが、お客さんの平均年齢を上げていました(笑)。 学生向けなので、安くて、ボリューム満点です。定食類が650円です。ピラフなど軽食なら500円程度です。http://osumituki.com/hack/kyotokanko/lunch/91930.html 私は「ハンバーグ定食」を頼みました。シンプルな味ですが、柔らかくてジューシーで美味しかったです。ただ、味噌汁が冷めていたのが残念。写真を撮っておらず、食べログにも写真がなかったので、他のサイトにあった「豚の生姜焼き定食」の写真です。http://osumituki.com/hack/kyotokanko/lunch/91930.html トイレの壁に映画や催し物のポスターが貼りまくってありました。学生時代にタイムスリップした気分でした。ちょっとピンぼけしていますが、貼りつけておきます。 立命館大学前のバス停から約300メートル。修学旅行ガイドで、金閣寺や龍安寺近くで昼食の場合、立命館の学食はよく利用しますが(私は未経験)、「学食以外で、大学生がよく利用する一風変わった外装のレストランどう?」とか生徒に尋ねて、乗ってきたらここもありかなと思います。 食事中、色んな京都や奈良の寺社の話をしましたが、皆さん本当によくご存知です。私はほとんど聞き役でした。 皆さんとお別れして、上賀茂神社の下見に向かいました。→こちら -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/17
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【2018年4月13日(金)】 研究員研究の13回目のフィールドワークで稲荷山に出かけました。 お昼過ぎにJR稲荷駅に着き、修学旅行昼食処下見を兼ねて師団街道の「きんちゃん」という中華料理屋さんで昼食をとりました。→こちら 今日の目的はまだ訪問できていない「お滝」管理者の方を訪問することと、滝行の体験です。◆間力滝 まず、御産婆稲荷道の間力教会へ。中にいらしゃった女性の方にお伺いしたところ、「お滝」のことはよくご存知ありませんでした。宮司さんは出張中とのこと。宮司さんは毎月1日と第1日曜は確実にいらっしゃるが、それ以外は信者さんところを回るために不在のことが多いとのこと。奥様は今日は所用でたまたまいらっしゃらないが、普段はだいたいいらっしゃるとのこと。 この女性の方に、知っている範囲でよいからと「お滝」のことを尋ねてみたところ、いつできたかはご存知ありませんでしたが、別の場所から移したとのことでした。七面滝での滝行の信者さんのお一人が、真心滝が間力教会に移ったというお話と符合します。 成果発表会のレジュメと名刺をお渡しして、後日電話させていただくので、宮司さんや奥様にお渡しいただくようお願いしました。◆熊鷹滝 次に以前「熊鷹滝」のことについてお伺いした茶店「梶亭」さんへ。前回のインタビューのお礼を申し上げて、成果発表会のレジュメをお渡ししました。ご主人のお歳をお伺いしたところ、75歳とのことでした。子供の頃はまだ「お滝」が実動していたとのことですので、「熊鷹滝」は昭和25年~30年頃に廃滝になったと考えられます。◆荒木滝 三ツ辻から「荒木滝」へ。初めて管理者宅を訪問します。外で作業されていた、老齢の女性の方が作業の手を休めて応対してくださいました。 今で3代目。「お塚・お滝」のできた年代は詳しく分からないが、明治時代終わりではないか。大正初期の「獨案内」と「神蹟全図」に掲載されていることと符合します。 今は、「お滝」をされる方はほとんどいらっしゃらない。「お塚」の多くは持ち主が分からなくなっている。ご主人は石清水八幡宮の神職、今は城南宮(ここは私のウロ憶え)の神職をやっておられる(おられた?)。ご主人が別に職業を持っておられて、奥様が「お塚・お滝」のお守りをしておられる構図は、他の多くの「お塚・お滝」と共通の構図。 「お滝」の水は上流の溜め池の水を使っていたが、溜め池が農地になったので(時期は不詳だが、昭和の初め頃とおっしゃっていました)、湧水をせき止めて、各「お滝」に流すようになった。豊富な水量が流れていました。 ここは北九州小倉に本部を置く神理教の教会。ただ、「お塚」建立者は九州に関係なく、お稲荷さんの信者の方が多いとのこと。後でネットで調べると、神理教は神道十三派のうちの一派。ホームページを見ると明治時代に全国に布教をしています。九州の本院内に大元稲荷神社があるので、そういった関係で、ここに教会を置いたのかもしれません。◆ねざめ滝 吉田図絵では、「荒木滝」と「権太夫滝」の間に、「ねざめ滝」が描かれています。以前、民家の庭にお塚が多数建っているのを発見し、そこが「ねざめ滝」と推定し、無断でお庭を拝見しましたが、「お滝」は発見できませんでした。しかし、「荒木滝」の管理者の方が、そのお家の裏に廃滝が残っているとの証言をいただきました。管理者の方は「お滝」の名前まではご存知ありませんでしたが、そこを「ねざめ滝」と特定できました。 今日は、「ねざめ滝」のお宅を訪問しました。ご主人が応対してくださいました。ご主人で3代目、現在70歳代前半とのことです。創建年代は分からないが、お爺様が始めたので、明治時代ではないかとのこと。ただ、大正初期の「神蹟全図」にも「獨案内」にも掲載されていません。大正初期の創建と考えるのが妥当だと思われます。 ここは明心教(「めいしん」と読むことを知りました)の教会だった。「お滝」は、物ごころついてから、使われるのを見たことがなかった。中学生のときに、おじい様が亡くなって、父親は教会を継がなかった。上流の溜め池が農地になり、下流の滝群が湧水をパイプで引いて「お滝」を存続させたが、そのパイプが壊れたことも廃滝の引き金になった。昭和30年頃には廃滝になっていたと思われます。昭和13年生まれの、権太夫滝の管理者の方が、物ごころついたときには、廃滝になっていたというお話とほぼ符合します。 「お塚」にお参りになる方は、全くいないとのこと。破損して撤去する費用も大変だとのこと。お家の中には祭壇が設えられていて、信者さんのお参りはなくても、明心教を継いでおられるようです。お父様が継がれなかったので、2代目という表現もされていました。 裏に回って、「お滝」の痕跡を見せていただき、写真も撮らせていただきました。◆権太夫滝 3回目のインタビューになります。上流のため池が農地になったのは、昭和25年頃。 「お塚」の所有者は幸いなことに、多くが分かっているとのこと。この点は、他の「お塚」場とは異なります。管理費用は、「お塚」にお参りになるときに、志納の形でいただいている。ご主人は若いときは別の職業に就いていたが、お父様は「お塚・お滝」を専業としていた。この辺りは、他の「お塚・お滝」と似た構図です。子供が近くに住んでいるので、継いでくれるものと思っている。継承は問題ないようです。土日にお参りが多いので、土日が休みではなかった。そこは子供たちに申し訳なかった。 「一度、滝行を体験したいのですが。」とお願いすると、快諾いただきました。以前、行衣を貸していただくことも可能とお聞きしていたので、貸していただくことに。白の下着は必要かもと思って、行きがけにイオンで白いパンツを買ってきてはいたのですが、腰巻も貸していただけたので、いっさい特別な衣装は不要でした。 行衣に着替え、滝場へ。危険を伴いますし、作法も知りませんので、ご主人に導師を務めていただき、指導を受けながら滝行を体験しました。 まず、滝場には前に行をされた方の穢れが残っていることがありますので、通常は置いてある箒で掃除をします。今日はご主人が掃除済みですので、私も掃除したという仮定で前に進みます。 次に蝋燭とお線香に火を点けてお供えします。ここでは蝋燭は1本でした。そして、お皿に盛った塩を、「の」の字を描くように、上のほうに何度か振りまいて清めます。相撲の取組み前に塩を撒くのに似ています。 そして、滝水の横に立ち、導師が祝詞をあげて下さり、私も名前と歳を唱え、手を合わせます。滝の水を前に見て、落ちるポイントの前に足を揃えます。首を横に移動させたうえで、前に出し、頭に滝水が当たらないようにして、頭を横に戻します。首の付け根に滝水が当たるようにします。導師の祝詞が続きます。滝水の圧力は想像以上です。滝水は冷たく、体が芯から冷えていきます。寒くて、体が震えます。導師が頃合いを見計らって、滝水から首筋を外すように導いてくださいました。最後に神様にお礼の言葉を申し上げ滝場を離れました。その後も、導師の神様へのお礼の祝詞がしばらく続きました。 滝に打たれていた時間は2、3分でしょうか。それ以上続けるのは、体が冷えて危険だと感じました。私の年齢や気候、水温などを見ながら、導師が滝に打たれる時間を判断されるのだと思います。初心者は適切な指導者なしで滝行をするのは危険だと、ネット情報でよく見かけますが、まさにその通りであることを実感しました。 普通はダメなのかも知れませんが、研究のためにということで、導師に修行中の写真も撮っていただきました。下半身が少し黒く見えるのは、緊張していて、ボトムの下着を脱ぐのを忘れていたためでです。幸い前述のようにイオンで買った白い下着があったので、履きかえることができました。滝に打たれる前滝に打たれているところ 滝行が終わった後、お茶をいただきながら、ご主人(導師)と色々お話しさせていただきました。非常に清々しい気持ちになりました。体はむしろ火照っいます。冷たい水に当たったので、体温を上げようと体が反応しているのでしょう。精神的な面でメリットがあるだけでなく、滝行で病気が治ったりという例がよくあるのも、こういう点にあるのかもしれません。 貴重な体験をさせていただきました。また、時々滝行をしたいと思います。◆不動滝? 岩龍滝? 「権太夫滝」を後にして、四ツ辻から、左回りでお山を巡り、「末広滝」に下り、より上流の「不動滝」と思われる「お滝」に行ってみました。そこから「お滝」の入口に示してある連絡先に電話してみました。ご不在でしたので、メッセージを残し、帰宅後、再び電話をしてみました。 奥様が電話で応対してくださいました。「お滝」の名前は知らないとのこと。伏見稲荷大社の近くに住むおじい様が、昭和8年に修行のための滝を建設されたとのこと。「お滝」の前に建つ鳥居の字彫が昭和8年だったのと符合します。昭和25年におじい様がお亡くなりになり、お父様が継いだが「お滝」は廃滝にした。「お塚」は今は何もないが、往時は「お塚」もあったのではないかとのこと。滝の傍に住んだことはないとのこと。 大正末期の吉田図絵には「不動滝」と掲載されていますが、このお話しだと創建は昭和8年。矛盾が生じます。昭和初期作成ではないかと思われる「参拝図」では、「岩滝」と「末広滝」の間に、「岩龍滝」があります。これが位置が間違っており、上流から「岩龍滝」「岩滝」「末広滝」で、「岩龍滝」の位置に、大正末期には「不動滝」があったが、一度廃絶して、現所有者のおじい様が新たに建設・あるいは整備して、「岩龍滝」と命名した。あるいは「不動滝」の持ち主から、お爺様が譲り受けたり、買い受けたりして、名前だけを「岩龍滝」と変えたとも考えられます。「岩滝」上の建物跡「岩滝」の管理者の住居跡か?「岩滝」横の平坦地 滝行の小屋跡地か?「末広滝」上の貯水槽 ここに一旦水を溜め、水量を確保しているようだ。大岩大神の磐座にも足を延ばしてみました。「七面滝」の題目碑の字彫 石碑側面に写真では見にくいですが、明治四三年と彫られており、これが滝建立の年と考えられる◆熊鷹本滝 山を下りて、滝道から少し離れた「熊鷹本滝」へ。ここは「廃滝」になっていますが、近くに管理人が住んでおられると思しき建物があったというのを記憶していたので行ってみました。軽トラックは置いてありましたが、表札もなく、戸も閉まっていて、インターホンもなく、住んではおられないようです。軽トラックも近くの農家の方が置いておられるのかもしれません。連絡先なども見当たらず、ここは管理者へのインタビューはあきらめざるを得ません。 新たなことが色々分かり、滝行初体験もでき、実りの多いフィールドワークとなりました。 間力滝は後日電話連絡をとるとして、あと清明滝、清滝の聞き取り調査ができていません。こられは伏見稲荷大社の御膳谷奉拝所の管理になっており、文献でも歴史がある程度明らかになっています。また、成果発表会までも時間も限られているので、一旦フィールドワークはこれで終え、今後は4月28日の成果発表会の表示用資料の準備と発表練習に集中したいと思います。 最終報告書が5月の末ですので、清明滝、清滝についての聞き取り調査は、成果発表会が終わって、時間に余裕があれば行いたいと思います。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/13
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【2018年4月13日(金)】 今日、明日と2日連続のOFF日。昼前に第13回目の研究員研究フィールドワークで伏見稲荷で出かけました。 JR伏見稲荷駅にお昼12時過ぎに到着。昼食を兼ねて、修学旅行昼食処下見です。今日は、メインの参道を避けて、師団街道まで出てみました。京阪伏見稲荷駅の一つ西の大きな通りです。中華料理屋が1軒、ラーメン屋が1軒、うどん屋さんが1軒ありました。そのうちの「きんちゃん」という中華料理屋に入ってみました。 よくある町の食堂という感じの、てらいのない好感のもてる内装です。Since1977って入口に書いてあるので、40年間この地でがんばって来られた昔からの中華料理屋さんのようです。メニューはラーメンが560円(税別)と、この前の東福寺駅前のラーメン屋さん(こちら)に比べると高いですが、このロケーションとしては、割安感たっぷりです。席数は4人掛けが24席、カウンターが6席です。 「京都伏見酒粕ラーメン」というのが目を惹きました。「酒粕ラーメン」というカテゴリーは初めてです。早速これを注文。「酒粕」の味と匂いがしますが、支配的ではなく、隠し味的で美味しかったです。一押しです。 伏見稲荷大社周辺で食事となって、ラーメンや中華料理がいい、あるいは何でもいい、または安くて美味しければいい、ということであれば、ここは候補の一つです。 いざフィールドワークへ出発です。→こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/13
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【2018年4月1日(日)】 午前中、固定点ガイドが始まる下鴨神社資料館秀穂舎の下見をした後(こちら)、東福寺駅前の「大黒ラーメン」で修学旅行就職処の下見を兼ねて昼食をとった後(こちら)、研究員研究の第12回目のフィールドワークを開始しました。 京阪電車を伏見稲荷駅で降りず、東福寺駅で降りたのは、大4正初期の「獨案内図」記載の「東福寺滝」の痕跡を探すためです。この地図では、「五社滝」の下流に登場します。恐らく、「御壺滝」、「五社滝」と同じ「三の川」の川筋にあったと思われ、川にできるだけ近い道を歩いてみました。 先行研究のM.Yagai氏のネット記事でも、この「東福寺橋」の場所は特定されておらず、「1949年創立の日吉ヶ丘高校のあたりにあったのではないかと推測する。」という記述にとどまっています。日吉ヶ丘高校の下の川沿いに「一廣社」という「お塚場」がありました。M.Yagi氏も、この「一廣社」の近くに「お滝」があったのではないかと推定されています。しかし、何も痕跡は確認できませんでした。そして、すぐ南が東福寺境内になっていて、川とは離れていますので、この付近に「お滝」があったとは正直考えにくいです。「一廣会」と書いた掲示板があったので、帰ってからネット検索をしてみましたが、何も情報は得られませんでした。一廣社 さらに上流に向かい、大雲院南別院の西に位置する行き止まりになっている広場に行ってみました。川が谷底に見え、石垣のようなものが発見できました。ここが「お滝」だった可能性がありますが、川に下りる道も発見できず、それ以上の探索はあきらめました。谷底の川岸に石垣らしいものが見える 「五社滝」は近くでした。管理棟の休憩室で、管理者の女性の方が、どなたかとお話しになっていましたが、研究のためのインタビューをさせていただきたいとお願いしてみました。「先に滝で、手でも清めていただいてから、どうでうか?」とおっしゃっていただき、滝まで降りました。ここの「お滝」を間近で見るのは初めてです。とても水量が多くて、滝水で直接手を清めることはむつかしく、傍の流れの水を汲んで手を清めさせていただき、管理棟に戻りました。 中で管理者の方とお話しになっていたのは、このお塚場の「お塚」の所有者の方で、30代と思われる若いご夫婦でした。お爺様のときに、ここに「お塚」が建てられたようで、以来、代々お参りに来られているとのこと。1年に1回くらいのい頻度で、いつも稲荷山のお山を巡った後、ここに来られるとのこと。ご自宅には、おじい様だったか、お父様だったか忘れましたが、滝行をしている写真があるそうです。しかし、お父様は、「滝行はするな」とおっしゃっていたので、滝行は経験したことがないとのことでした。今まで「お塚」所有者の方と、時間をかけてお話しをしたことがなかったので幸運でした。「命婦滝」ではたまたま「白菊滝」の奥様が来られ、「白菊滝」では、こちらもたまたま「弘法滝」の奥様がおられ、この「五社滝」では、たまたま「お塚」所有者の方とお話しができました。こんな幸運なことが続くと、やはり「お稲荷さん」の御利益かなぁと思わざるを得ません。 さて、管理者の奥様にもお話を伺いました。「五社滝」の創立時期はよく分からないが、100年以上前ではないかとのこと。上流の「御壺滝」が廃滝になったのは、10年くらい前ではないかとのこと。これらのことは、以前、立ち話でお聞きした既知の内容です。期待したのは「東福寺滝」のことを何かご存知ないかということ。しかし、名前さえも聞いたことがないとのことでした。 ご主人が別にご職業を持っていて、奥様が「お塚」や「お滝」のお守をされているということや、持ち主が分からない「お塚」が多くなっているといことは、他の多くの「お塚・お滝」と共通の構図でした。 「三の川」沿いを「白滝」まで上りました。 管理棟で、管理者の奥様(かなりのお年)にお話しをお伺いすることができました。ここは、伏見稲荷境内だが、一度官有林になって、その後、神社に戻された土地。そういう経緯もあって、私営の「お塚・お滝」を認めてもらっていて、賃貸料は納める必要はない。ただし、ここで販売できるものは神社の制限を受け、売れる物は限らており、ご朱印も多分できないだろうとのこと。 現在6代目で創始は江戸時代と。昭和42年にここにお嫁入りされた。ご主人は25年前にお亡くなりになったが、「お塚・お滝」管理専業だった。現在もここに居住しており、買い物は下まで買いに行くが、東山の商店街もシャッター商店街になってしまって残念(このお年で、山道を東山商店街往復されるのは、かなり大変だと思われます)。持ち主が分かっている「お塚」は、奥様がお嫁に来られた後建てられた2、3のものくらい。ここは九州の信者さんが多い。昔はここに泊る人もいたくらい。今は、泊って「お山」「お滝」をする人はほとんどいなくなった。様変わり。 最近、毎日放送だったかの放送で、「白滝」が映っていた。、 蝋燭を上げさせていただきました。ここで知ったのですが、仏教の場合は蝋燭は1本でもいいのですが、神社の場合は、1対が基本のようです。そういえば、権太夫滝でも命婦滝でも本数を指定せずに蝋燭をいただいたら1対でした。 お山巡り参道の「薬力滝」に向かいました。唯一、お山巡り参道沿いにある「お滝」です。 「お山巡り」をする観光客がひっきりなしに通るので、「お滝」がある「お塚」の中で、唯一賑っているところです。訪問したときも、ご主人(男性)が片言の英語で外国人に対応されており、忙しくされていましたが、手すきになったときにお話を伺うことができました。このご主人だけではなく、何人かの他の店員さんも忙しくされていました。 ご主人で8代目になる。ただし、代替わりが早かったので、江戸時代に遡るかもしれないが、確かなことはいえない。明治になって、茶屋の前にあった鳥居・社殿を今の場所に移した。移す前の絵の額がお店に飾られている。茶屋のすぐ前に鳥居・お社があったことを示す絵 参道のお店は、土地を伏見稲荷大社から借りている格好なので、賃貸料を神社に払っている。店で売るものも制限があるし、ご朱印もできない。滝行をする人は、現在は月10人くらい。 続いて南谷へ下りて、一番上流の「末広滝」へ。この前は管理棟が閉まっていましたが、今回は奥様のお話をお伺いすることができました。 ここの「お滝」は、一の峰と同じ末広大神が親塚。創建はよく分からないが、もともといらっしゃった管理人の方がいなくなって、一の峰の方から(茶屋か?)信者だった奥様のお婆様(鹿児島出身だったか?)が要請を受けて管理者になった。奥様で3代目(なので、今の家系だけで100年くらいは経過)。 生まれたときに、岩滝の上流の滝は廃滝になっていたとのことなので、それが「不動滝」だとすると、80年前にはすでに「不動滝」はなかったことになる。 今、滝行をするのは、月に50人か60人程度(これは、「お滝」群の中では多いほうだと思われる)。「お山」「お滝」をする方々が寝泊まりできる広さはあり、奥様が子供の頃、たくさん来られたときは、奥様が使っていた子供部屋が宿泊のための使われたこともあった。ここの「お滝」は、前に扉があって、しかもその前にロープが張られて普通は中を覗くことができません。今日は特別に見せていただき、しかも写真も撮らせていただきました。もともとは滝流は1本だったようですが、おじい様の代かお父様の代だったか不確かですが、滝行をする人であまりにも混雑して待ち時間が発生するので、工事をして3筋に増やしたとのことでした。 日も暮れかかってきましたので「末広滝」を最後に山を下りました。 今回も、分からないということが分かったということも含めて、色々と収穫がありました。私営の「お滝」で、管理者がいらっしゃるところで管理者にお会いできていない「お滝」は、「荒木滝」だけになりました。成果発表会までには、訪問したいと思います。あと、伏見稲荷大社管理の「清明滝」「清滝」のお話も聞けていません。「不動滝」(と思われる)管理者の連絡先は分かっていますので、連絡をとりたいと思いますし、「ねざめ滝」は廃滝になっているものの、「お塚」は残っていて、そこに住宅もありますので、お話しをお伺いしたいと思います。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/01
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【2018年4月1日(日)】 午前中、固定点ガイドが始まる下鴨神社資料館秀穂舎の下見をした後(こちら)、研究員研究のフィールドワークで伏見稲荷周辺を歩きました(こちら)。 フィールドワークは東福寺北側で「東福寺滝」の痕跡を探すために、秀穂舎下見後、出町柳から京阪に乗って東福寺駅で降りました。昼食時間でしたので、東福寺駅付近で修学旅行昼食処下見を兼ねて昼食をとることにしました。 駅を出たすぐに、「ラーメン大黒」というラーメン屋さんがあたので入ってみました。あまりキレイとは言えないお店ですが、魅力は安さです。ラーメンが500円です。ラーメン屋さんでは、今時こんな値段なかなかないです。この500円のラーメンを注文しました。お味は、くせのない普通の味でした。 伏見稲荷・清水寺間の行き来で、東福寺駅で乗り換えるとき昼食時間になって、「ラーメンがいい」とか「安いところがいい」とかの要望があれば、ここもありかなというところでしょうか。 「東福寺滝」の痕跡探しに向かいました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2018/04/01
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