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伏見稲荷大社とその周辺の「お滝」について その7 ワルディー・ヨーリョ13.各「お滝」の所在地特定と創建年代 全「お滝」の所在を、伏見稲荷大社社領内か否か、伏見稲荷大社管理か否か、現役の「お滝」か否かを含めて図1に示す。併せて、今回の研究で、詳細所在地が特定できなかった「お滝」、研究によって詳細所在地が特定できた「お滝」、新たに発見した「お滝」も示した。 今まで述べてきた研究から、これら「お滝」の創建年代と、廃滝となった場合の年代を特定・推定した結果を図2に示す。 年代の根拠は、「お滝」管理者などへの取材、「お滝」建設年代を示す石碑、現地の説明板、第6章にあげた地図への記載の有無、第5章にあげた文献での記載などによる。創建年代については、約3分の2が、ほぼ特定できたといえる。残り3分の1は、まだまだ研究の余地がある。特定できたなかで、多いのが明治末期から大正期にかけての創建である。鉄道網の発達により、参拝者が増え、それとともに「お塚場」や「お滝」が増えていったものと推定される。 多くが、明治末期から大正期を創建年代とするなかで、3つの「お滝」を江戸時代末期から明治時代初期としたが、推定の域を出ない。「白滝」は管理者への取材で、創建は江戸時代とのお話であったことと、現管理者で6代目ということからである。「薬力滝」の管理者への取材では、創建は不明とのことであったが、現管理者で8代目ということから、おおよそ割り出したものである。「鳴滝」は「朱」36号の「稲荷山のお塚についての覚え」に、明治2年の「山林掛襍誌」に「鳴滝」の名が登場するためである。ただ、この「鳴滝」が今の「鳴滝」と同じ場所だという確証はない。「白滝」も「鳴滝」も、自然水流や簡易な工事で「お滝」を造れるような場所にあり、江戸時代あるいはそれ以前から修験者が滝行を行っていた可能性は考えられる。 伏見稲荷大社管理のものも含め、すべての「お滝」が私設で創建されているためか、管理者の方々に取材する限り、記録がほとんど残っておらず、代替わりを多く経た今、創建年代の特定が難しい状況となっている。14.廃滝の年代の特定・推定 廃滝時期については、現管理者あるいは先代、先々代での廃滝が多く、廃滝にあたって、現管理者自身が見聞したケースが多いので、取材によって比較的正確に年代を特定できた。 廃滝の理由としては、滝行人口の減少が1つあげられる。13回にわたって現地踏査をしたと述べたが、その間、滝行する人の姿を見ることはなかった。管理者のお話でも、多くても、月に数人とか、ある決まった時期に信者さんの団体が来られて滝行をする程度とのことであった。 他には管理者あるいは教祖の代替わり時に継承が途切れてしまう例である。前出の「ねざめ滝」「岩龍滝」がそうである。 「清メ滝」のように、上流が開発されて田畑になり、水流が濁ってしまったりとか、前出の「たつみ滝」のように、近隣に学校が建設されて、水流が弱くなったりとかが原因という例もあった。 水流はないが現存する「お滝」でも、「御壺滝」や「熊鷹本滝」については、無住となっており、廃滝の理由を特定することはできなかった。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「京カレッジ『お滝の研究』」 次回「京カレッジ『お滝の研究』」→
2026/08/09
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伏見稲荷大社とその周辺の「お滝」について その6 ワルディー・ヨーリョ11.新たに発見した2つの「お滝」 第6章の地図に記載された「お滝」で、どうしても見つけ出せなかった「お滝」がある一方で、現地踏査を重ねる中で、記載されていない2つの「お滝」を発見することができた。 1つは「お山巡り」裏参道の入り口近くの「間力教会」の「間力滝」である。現地取材で、間力教会は昭和28年創建で、現教主で2代目であり、「お滝」は、その石鳥居に彫られているように昭和57年に建設されたものであることが分かった。尾根筋にあるので水流は水道水とのことで、お滝群の中で最も新しい「お滝」であり、唯一水道水を使う「お滝」である。 もう1つは、日蓮宗宝塔寺境内の「たつみ滝」である。すでに廃滝になっており、石碑で昭和25年に建設されたものであることが分かる。幸いにも、境内を掃除されている地元の檀家さんにお話を聞くことができ、この「お滝」はある熱心な信者さんの寄進によって造られたが、近くに学校(当時の立命館高校)が建設された後、水流が弱くなり、約20年前に廃滝になったとのことである。 図1に両「お滝」の写真を示す。12.歴史の中で名前の変わっている「お滝」 古地図などのリストを再掲する。①西川文吉、他2名「官幣大社稲荷神社境内及稲荷山神蹟全圖」(1913)②松岡貞次郎「伏見稲荷神社御山獨案内」(1913)③吉田初三郎「伏見稲荷大社境内名所図会」(1925)④中村風祥堂「伏見稲荷参拝図」(推定昭和初期)⑤伏見稲荷大社編「続・お山のお塚 参拝経路図」(1966)⑥深草稲荷保勝会「伏見稲荷大社付近名所案内図」(2001) ⑦北尾鐐之助「近畿景観 第三編 京都散歩」(1934) 上記の地図に記載の「お滝」のなかには、、歴史のなかで、名前が変遷しているものがいくつかある。前出の「不動滝」→「岩龍滝」がそうである。 それ以外では、「末広滝」と「七面滝」の間の「お滝」がそうである。図2に示す。①では「新熊鷹新」となっており、②では「三光滝」となっている。①はあまりデフォルメされていない地図であることから考えると「熊鷹新滝」は現在の「御劒滝」と考えられる。一方、②では、隣接する2つの「お滝」からの距離が記載されており、ちょうど中間に位置することから、こちらの「三光滝」も現在の「御劒滝」と考えられる。しかし、①と②の地図は両方とも、1913年に発行されているので、正式名と通称といったように、複数の呼称があったと考えるのが妥当であろう。その後、所有者が替わるなどして「御劒滝」という名称になったとのではなかろうか。ただ、「御劒滝」の管理者の方は、「熊鷹新滝」、「三光滝」の名前は聞いたことがないとのことであった。 もう1つは「清滝」上流の「お滝」で、①では「荒滝」、②では「笠杦早瀧」、③では「初音滝」④では「清明滝」となっていてる(図3)。現存の「お滝」の名称は「清明滝」である。「清明滝」は伏見稲荷大社社領にあり、かつ伏見稲荷大社が直接管理する2つの「お滝」のうちの1つである(もう1つは「清滝」)。これについては前出の文献「朱」36号の「稲荷山のお塚についての覚え」に、昭和9年に「初音滝」を改修して「清明滝」と改称したとあるので、「初音滝」が同じ場所で「清明滝」となったのは間違いない。「荒滝」「笠杦早瀧」も同じ場所にあったのかどうかは不確かではあるが、「お滝」に適切な場所は自ずと限られてくるので、同じ場所で「荒滝」→「笠杦早瀧」→「初音滝」と変化していったと考えてもいいのではなかろうか。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「京カレッジ『お滝の研究』」 次回「京カレッジ『お滝の研究』」→
2026/08/08
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左目の白内障の手術を4月2日にK病院で行い(こちら)、右目の手術をその翌日に決心し、6月4日の手術を予約をした(こちら)。併行して、軟部肉腫の治療が進行中であった。手術での軟部肉腫の摘出ができないかK大病院を紹介してもらい診察を受け、その検討結果を聞きにいく予定が6月4日になり、重なってしまった。軟部肉腫の治療を優先するため、6月4日の右目白内障手術を延期せざるを得なかった。また、その軟部肉腫の抗がん剤後の治療もどのような方法で、いつ行うか全く予想がつかず、日程未定の延期となった(こちら)。最終的に、軟部肉腫の治療を重粒子線治療で行うことになり、先日、その日程も確定した。8月13日から9月8日までだ。その後の体調がどうなっているかわからない部分はあるが、以前の重粒子線治療の経験から、治療後1ヶ月程度は、治療効果はそれほど現われず、体調面での副作用も、まだ出始めないと思われる。そこで、重粒子線治療終了後、1ヶ月くらいの間のに右目の白内障手術ができればと思い、昨日、軟部肉腫の関係でK病院に診察に行った(こちら)ついでに眼科に立ち寄った。眼科の窓口で事情を説明したところ、「では、受付で申し込んでから来てください」とのことで、受付を済ませ眼科へ。一通りの検査を終えた後、先生の診察を受けた。今度は女医さんだった。「手術は重粒子線治療の終わる9月8日以降でお願いします。」とお願いしたところ、「一番早いタイミングで、9月29日になります。」とのことで、9月29日の手術が決定した。手術前に3日間差す目薬は、前の手術予定前に処方を受けたものが冷蔵庫保管で未開封で残っていると伝えたところ、「じゃぁ、それを使ってください。」となった。また、事前に心電図の検査が必要だが、9月10日に軟部肉腫の泌尿器科、腫瘍内科の診察があるのを看護師さんが察知し、その日に入れてくださった。何度も足を運ばずに済むのでありがたい。ようやく右目の白内障手術の日程が決まった。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/08/07
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今日は、K病院で予約してあった、泌尿器科と腫瘍内科の診察を受けました。まず、採血・採尿をして、泌尿器科へ。OJRセンターで8月13日から9月8日まで、重粒子線治療を受けることになったことを伝え、エコーで腎臓の腫れを検査。特に異常なし。次回予約を重粒子線治療の終わた後の9月10日にしてもらいました。続いて腫瘍内科へ。ここでもOHRセンターで重粒子線治療を受けることを伝えました。血液検査の結果です。ヘモグロビン 前回7月21日より改善はしているものの、抗がん剤治療前のレベルには戻っていません。これからも改善しいていくとは思います。腎臓は、赤血球の数を調整するホルモン「エリスロポエチン」を分泌していますが、腎臓の機能が低下すると、この分泌量が減少し、赤血球が不足します。重粒子線治療で腎臓が影響を受けて、元に戻らないかもしれません。クレアチンニン 腎機能を直接示す指標です。若干の回復傾向があるものの高止まりです。このまま高止まりの場合は、重粒子線治療の副作用で、さらに悪化する可能性があります。その他いつもは追っかけてない指標で気になるものの推移をみてみました。アルブミン 肝機能の指標です。Lowを示すLマークが付いていたので推移を調べました。抗がん剤治療前から下限ギリギリで、ほぼ元に戻っているので、あまり問題視しなくてもいいのかなと思います。アミラーゼ 膵臓に異常があると値が上昇しますが、腎機能が低下した場合も、アミラーゼが体外へ排泄されにくくなり、血液中の値が上がることがあります。今回HighのHマークがついていましたが、改善方向なので、このまま正常値に戻るのかなと思います。しかし、クレアチニン値同様、今後の重粒子線治療の副作用で腎臓への影響があれば戻らないかもしれません。リパーゼ 急性膵炎やその他の膵臓疾患の診断において特に重要な指標ですが、アミラーゼ同様、腎臓の働きが低下しても高くなります。すでに正常値に戻っているので問題ないかなと思います。しかし、クレアチニン、アミラーゼ同様、今後の重粒子線治療の副作用で高くなる可能性があります。MCV 赤血球1個当たりの、平均的な大きさを示します。MCVが高いということは、赤血球が大きくなっている=造血に何らかの異常があるというサインです。 確かに腎機能が低下しているので、造血に異常があり、高い値になるのはいたしかたのないところ。ただ。もともと高めであり、今回、上限を超えたのは、ごくわずかなので、あまり気にしなくていいのではと思います。MCH 赤血球1個当たりの、平均ヘモグロビン量です。今回、上限をわずかに超えました。ヘモグロビンが少ないので、赤血球1個あたりのヘモグロビン量で補っているのでしょうか。総ビリルビン ビリルビンは、古くなった赤血球が分解される過程で作られる黄色い色素です。ビリルビンは赤血球の分解によって作られます。貧血がある場合には、総ビリルビン値が低くなることがあります。これは、赤血球が減ることで、赤血球が壊れる時に生じるビリルビンが少なくなる事、ビリルビンが持つ抗酸化作用が関係している事が原因と考えられています。私は、もともと赤血球が少ない(前回の重粒子線治療による腎機能の低下が原因)ためか、総ビリルビリンは下限ギリギリでした。抗がん剤治療中は、抗がん剤投与直後は理由は分かりませんが、一旦上昇し、しばらくすると下限を割るという繰り返しになっています。直近3回の血液検査ではクレアチニン値が高くなったまま、ほぼ横ばいですので、総ビルビリン値も低位横ばいになっています。腎機能が回復してくれば、この値も上昇して正常値に戻ると思われます。総蛋白 総蛋白は、血液中に含まれるすべてのタンパク質の総量です。 血液中には100種類以上のタンパク質が存在し、それぞれが重要な役割を果たしています。 主な構成要素はアルブミンとグロブリンで、これらのタンパク質は体内の水分バランスの調整、栄養素や薬物の運搬、免疫機能の維持など、様々な機能を担っています。主要構成要素の一つがアルブミンなので、アルブミンンの変遷と同じような変遷になっています。抗がん剤治療中は基準値を下回る瞬間もありますが、すぐ正常値に回復しています。今回も正常値に戻っているので特に心配の必要はないでしょう。好中球 好中球は、白血球のなかでもっとも数が多い顆粒球の一種です。白血球は、異物から体を守る免疫機能を持ちます。抗がん剤などの薬物によって、好中球減少症が引き起こされる場合もあります。骨髄での好中球の生産を抑制することや、好中球を破壊する作用を持つことがあるためです。特に、抗がん剤は腫瘍細胞だけでなく正常な細胞にもダメージを与え、好中球数の大幅な減少を招くケースが珍しくありません。一般的に、抗がん剤治療の開始後7日目から10日目頃から白血球の数が減り始め、10日目から14日目頃に最低になり、3週間くらいで回復していきます。グラフを見ると、抗がん剤投与で一旦上がりますが、その後下った後、快復しているのが分かります、特に第5クールと第6クール後はこの低下が酷かったので、好中球回復のためのフィルグラスチムという注射を打ってもらいました。今は正常値ですし、今回の重粒子線治療では好中球や白血球への影響はないと考えられるので、特に気にする必要はないでしょう。単球 単球は白血球の一種で、白血球の中で最も大きな細胞です。骨髄の中で生まれ、成熟したあとに、血中へと送り出され、生体内をパトロールして異物や病原体の侵入を監視する役割を担います。K病院腫瘍内科のY先生の話では、単球が少々高めということは、まだ白血球が快復途上にあるということとのこと。今回、上限値でしたが、あまり気にする必要ないようです。白血球、好中球、単球とも今回の重粒子線治療では気にする必要はないようです。尿検査の方で気になる指標尿蛋白 腎臓や尿管などの泌尿器に異常があると、血液中に戻るはずのタンパク質がフィルターをすり抜けて尿中に漏れ出してしまうため高くなります。抗がん剤治療で腎機能が悪化しましたので上限を超えたときもありましたが、現時点では上限値です。重粒子線治療では、腎臓がダメージを受ける可能もあるので、要注視です。尿潜血 尿潜血とは、尿に血が混じっている状態を指します。ただし、見た目では分かりません。腎機能の低下があると高くなります。尿蛋白同様、抗がん剤量で上限を超えたときもありますが、現時点では上限値です。尿蛋白同様、重粒子線治療では、腎臓がダメージを受ける可能もあるので、要注視です。やはり、今回の重粒子線治療の副作用として最も心配なのは、さらなる腎機能の低下です。腫瘍内科の次回診察日を泌尿器内科の診察日と合わせてもらい、9月10日とした。泌尿器、腫瘍内科の診察が終わり、眼科の診察を受けました。一度キャンセルした、右目の白内障手術をお願いするためです。→こちらよろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/06
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その1から続くこの重粒子線を体内まで到達させるには、十分な速度が必要なので加速器が使われる。光の70%の速度まで加速される。OJRセンターのそれは図1のような加速器であり、直径約17m、周長約57mに及ぶ。図1 OJRセンターの加速器この加速器によって、加速された重粒子が3つの治療室まで送られる(図2、図3)。治療室1は水平方向と45度方向の照射ができ、治療室2及び3は水平方向と垂直方向の照射ができる。がん病巣やその位置によって、これらの方向を組み合わせて行われる(1日の治療では1方向のみ)。図2 加速器から重粒子線が3つの治療室に送られる図3 治療室重粒子線を照射は、図4に示す「三次元スキャニング照射法」によって行われる。ビームをスキャンすることにより塗りつぶすように照射していく。私が2015年に重粒子線治療を受けたときは、面照射によるものだった。医学はやはり進化している。三次元スキャニング照射法は従来方法に比べて、・複雑な腫瘍形状に対応可能・ボーラス・コリメータ(注)が不要・日々変化する腫瘍の形や位置に対応可能・ビーム利用効率が高い (注)ボーラス・コリメーター:スポットライトのように広がった重粒子線ビームを、深さ方 向の調整を行い、さらに二 次元的に腫瘍の形に切り出す装置 などの優れた特徴を持っている。これにより、さらなる線量の集中と副作用の低減が期待できる。また、ボーラス・コリメータが不要となるため、腫瘍の形状が変化しても臨機応変に治療照射が行える。OJRセンターのホームページには、治療ができる条件として「治療対象部位が消化管に近接していないこと」と書かれている。私の軟部肉腫は消化管に近接している。だから、治療をお願いしても門前祓いかと思っていた。でも、治療をしていただけることになった。これは、やはりこの三次元スキャニング照射法で、消化管にかなり近いところまで照射できることになったためであろう。また、2015年に受けた、軟部肉腫の治療では、確か30数回の照射を受け、治療に2ヵ月程度かかった。今回は16回の照射で、治療期間も約1ヵ月である。これも三次元スキャニング法でビームを集中して当てることができるからかもしれない。図4 三次元スキャング法さらに、呼吸によって腫瘍の位置が変化するため、「動体追跡照射法」が使われている。動体追跡照射法は、がん細胞が呼吸や体の動きによって移動することに対応するために開発された。がんの位置をリアルタイムで追跡し、照射範囲を動かすことで、正常な組織への被ばくを最小限に抑えつつ、がんへの放射線量を十分に確保する。これも、2015年の私の1回目の重粒子線治療ではなかった技術であろう。いやぁ、やはり医学の進歩はすごい。図5 呼吸で息を吸ってふくらんだ胸 図6 呼吸で息を吐いたとき (照射はされない) (がん病巣位置を察知して照射される) 約10年前から進歩した技術に我が身をを託すことになる。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/05
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いよいよ8月13日から、重粒子線治療を受けることになる。2015年にも、兵庫県立粒子線医療センターで重粒子線治療を受けたので、そのときの知識はあるが、もう10年も経っているので、進歩している部分もあると思うし、記憶も薄れかけているので、OJRセンターのホームページを参考に自分自身でまとめておきたい。******************************************陽子(水素イオン)や重粒子(炭素イオン)などの粒子を加速させたビームを粒子線と呼ぶ。このうち重粒子を使って治療を行うのが重粒子線治療である。下図のように重粒子線は放射線の一種である。通常の放射線治療に使われるエックス線も放射線の一種である。図1 放射線の種類エックス線も粒子線も体の中まで進み、がんを殺傷する能力がある。ただ、エックス線は、体の表面近くでその効果が最大になり、エネルギーを与えながら体を通る抜ける。それ故、がん病巣ではない組織も損傷させてしまう。(図2、図3)図2 エックス線治療の照射のイメージ 図3 エックス線治療でのがん病巣のイメージ(正常な細胞も破壊してしまう)それに対して、陽子線や重粒子線は、体のある一定の深さで付与エネルギーのピーク(ブラックピーク)を作ることができ、その前後では弱く抑えることができるという特性がある(図4)。図4 各放射線の生体内における線量分布このブラックピークをがん病巣の位置に合わせることで、がんだけを集中的に狙い打ちすることができ、正常組織への影響を最小限に抑えながら、体の深いところにあるがんだけを殺傷することができる(図5、図6)。図5 粒子線治療のイメージ図6 粒子線治療でのがん病巣のイメージ(がん病巣だけを狙い打ちできる)また、重粒子は陽子線やエックス線と比べて、がん細胞を殺傷する能力が、2~3倍高く、1回の照射で得られる効果が大きいため、治療期間を短くすることができる。図7は、各放射線のDNA傷害の違いを示している。エックス線はDNAの二重螺旋構造の片側のみしか切断しない確率が高いのに対し、重粒子線はDNAの二重螺旋両方を切断する確率が高く、より確実にがん細胞を破壊する。図7 各放射線のDNA傷害の違い 「その2」に続くよろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/04
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今日はCTシミュレーションのために、OJRセンターに出向きました。7月31日に作った固定具で身体をしっかり固定した状態(実際の重粒子線照射時の体の位置)でCT撮影をしました。この結果をもとに、治療計画が立てられます。本来は造影CTをするのですが、この前の血液検査でクレアチニン値が高く、腎機能が低下しているとのことで、造影剤なしの単純CTになりました。あとで看護師さんに確認したら、クレアチニンが1.91だったとのこと。7月21日のK病院での血液検査のクレアチニン値と全く同じでした。悪くはなっていませんが、1.5レベルには戻っていません。まだ疲れやすさが残っているのも、腎機能が低下しているせいかもしれません。腎機能は赤血球関係の数値にも影響します。看護師さんには聞いていませんが、ヘモグロビン等赤血球関係の数値も元に戻っていないのではないかと思います。CT撮影は、うつ伏せと仰向けの2つの体位で行われました。重粒子線照射時の体位が、この2種ということでしょう。固定具はそれぞれで違います。うつ伏せの方は、問題なかったのですが、仰向けの方が、固定具と体の間の隙間が大きくて安定しないとのことで、2回固定具の修正がありました。作り直したのかなと思って看護師さんに尋ねたところ、樹脂製の固定具は、再度温めると柔らかくなり、それを体に密着させることで修正ができるとのことでした。体重を図ったら、固定具を作ったときより、1.5kgくらい減っていました。固定具を作ったときは昼食直後であったこと、今回は朝5時までに食事を済ませなければならなかったけど、起きることができなくて、朝食を抜いたこと、飲水も極力控えたこと、下剤の処方があるため身体の水分が少なくなったことなどが原因でお腹回りが痩せたのかなと思います。うつ伏せ、仰向け、それぞれのCT撮影が終わったあと、マジック(特殊なものと思いますが)で固定具の位置合わせのための線が、背中や腹部、足に引かれ、上からテープが貼られました。看護師さんから、お風呂でゴシゴシ洗わないように、シャツやタオルに色移りする可能性があるので、汚れてもいいものを使うようにとの注意がありました。また、固定具のフィット性を維持するために治療中は体重はプラス・マイナス2kg以内に収めること、特に下剤を使っていて、かつ夏場なので、水分を十分とるようにとの注意がありました。固定具の修正があったので全部で2時間近くかかりました。同じ姿勢を長時間続けなければならなかったので、多少疲れました。OJRセンターのホームページによると、今後、以前撮影したMRIや今回のCT画像をもとに、医師・医学物理士などが協力して、治療計画の作成が行われます。治療計画専用のコンピューターに標的となる癌の位置や形状を入力し、照射ビームの角度、線量(照射する量)など、最適な照射方法が検討され、カンファレンス(会議)で討議されたうえ、最終的な治療計画が決まります。これに5~7日間かかります。次回は、8月10日の治療リハーサルです。治療室で実際の治療と同じような練習をします。治療台に横たわって腫瘍の動きなども確認されます。今日は公共交通機関で往復しましたが、帰りだけ家内に最寄り私鉄駅まで車で迎えにきてもらいました。感謝。よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/03
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昨日の投稿で、重粒子線治療期間中に飲む薬のことについて書いたが、今日は、食事制限のことについて書く。以前の2015年の重粒子線治療のときには薬の処方はなかったと書いたが、食事制限もなかった。やはり、2015年の治療のときは腫瘍は腎臓の後ろ側で、食事によって、腫瘍の位置や形が変わったりすることがなかったからであろう。今回は、腫瘍が前腹部側なので、食事の影響で消化器が動き、腫瘍の位置や形が変わるので、食事にも注意を払わないといけないのであろう。次のような注意が一昨日の看護師からの説明であった。まず、照射治療の4時間前までには、食事を済ますせる必要がある。そして水分は照射1時間前まで。それ以降、照射が終わるまで、絶飲絶食。さらにガスが溜まりやすい食べ方をしてはいけない。急いで食事を食べたり、麺をすすって食べたりせず、ゆっくり食べること。そして、ガスが発生しやすい食品を避けること。下表のような食品はガスが溜まりやすいそうだ。炭酸飲料もダメ。さらに禁酒・禁煙。すなわち、ノンアルコール・ビールもダメということだ。かなり厳しいが、治癒のために1ヵ月強我慢せざるを得ない。献立面で家内にも色々気を遣わせる。ガスが発生しやすい食品よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/02
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昨日は、OJRセンターで、重粒子線治療の注意点について看護師の説明を受け、採血、MRI撮影、固定具の製作を行った。担当医師から、3種の薬の処方を受け、帰りに薬局で買い求めた。2015年の脂肪肉腫の重粒子線治療では特に食事制限や薬の処方はなかった。腎臓の後の腫瘍で、腫瘍の位置が動いたりということがなかったためであろう。今回は、前腹部に腫瘍ができ、その腫瘍は十二指腸、大腸、小腸など色んな消化器に接しており、食べ物や便により腫瘍の位置や形が変わったりする可能性があるので、それを極力抑えるために、食事制限や薬の処方がある。薬は、昨日から飲み始め、照射の終わる9月7日まで飲み続けなければならない。薬は下記の3種。まず、ピコスルファート。いわゆる下剤である。小腸や大腸に極力、便がない状態にし、腫瘍位置や形を安定させるためであろう。寝る前に、水に10滴入れて飲む。便が固かったり、下痢になったりしたら、量は自己調整可能である。下図5~6の便の状態にしなければならない。かなり下痢に近い状態のように思う。2番目が、ガスコン錠。胃腸管内の小さなガスを合体させ体外へ排泄させやすくする作用がある。ガスによる腫瘍位置や形への影響を極力減らすためであろう。朝・昼・夕と服用する。3番目が、ラベプラゾール。「胃粘膜細胞の胃酸分泌機構を阻害することで胃酸分泌を抑制する。それにより胃や十二指腸の潰瘍を速やかに治癒し、逆流性食道炎に伴う痛みや胸やけなどをやわらげる。」という薬の説明書きがある。医師の説明では、胃や十二指腸も照射の影響で潰瘍が起こることがあるので、そのための薬ということだったと思う。うろ覚えなので、今度の診察のときに聞いてみたい。薬局発行の薬の説明書よろしかったらぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/08/01
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