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以前にうちの消えた金魚について日記に書いたけど、今日とうとう(と言うかやっと?)水槽の掃除をした。あの後、1匹が具合があまり良くなくて様子を見ているうちに、他の子も具合が悪くなり、やっと治ってきたなと思ったらバスルームの工事。水槽は汚れに汚れ、やっと掃除にいたったのだ。パパの、この掃除屋は自分で中にもぐって死んでしまった、という説を少なからず信じるようになったのは、それ以降水の汚れがかなりひどくなったからだ。そんなわけで、今日の掃除は本当にドキドキものだったけど、結局どこにも見当たらなかった。パパが言うには、あれからかなり経っているから、腐ってなくなってしまったのだと言う事だ。そんなに跡形もなくなくなってしまうものなのか?と疑問だったりするけど、他に説明がつかないし・・・。結局、はっきりコレというものがないまま、消えた金魚は本当にいなくなってしまった。消えた掃除屋。謎は残ったまま。(て思ってるのは私だけだけど)水槽がピカピカになって、ちょっと緊張気味の金魚たち。下のほうに集まって、水槽はまるで誰もいないみたい。
Nov 30, 2004
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1週間の避難生活を終えてやっと我が家に戻ってきた。修理をするこの1週間、職人さんたちにもうちの大家さんにも、言いたい文句は山ほどあった。しかも避難をしていたチョンダンドンのアパートでは、上の階の人の嫌がらせのような騒音。(もともとうちのハルモニと仲がこじれている)そのアパートでは炊事ができないため、ご飯はハルモニ宅まで行ったり来たりの生活。なんだか居所のない不便な生活だった。やっぱりひとところに落ち着けるっていいことだ。いつも文句を言っている我が家だけど、帰ってきたら、なんだかほっとした。隣のチョンダンドンより、アックジョンドンに帰ってきたら、安心した。そのチョンダンドンのアパートはまだできたばかりなんだけど、結構芸能人が入ってきてるらしいとは聞いていたが、とうとうBoAも引っ越してきたとか。同じ棟ではないから、お目にかかることはないかな。この書かない間に初雪が降ったりして、日記に書かなきゃ!なんて思ってたのに、いろんなイベントを吹っ飛ばしてしまった。ソウルはすっかり冬。ハルモニは2回目のキンジャンキムチをやるらしい。明日は忙しくなりそう。
Nov 29, 2004
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先週の水曜日突然我が家のバスルームを工事することが決まり、金曜日から始まった。というのも、うちのすぐ下の人が水が上から漏れてくるという苦情をもらったからだ。本当はこの苦情、先月に来たんだけど、そのときうちの大家さんは、工事をしてお金をかけたくないため、応急処置だけして終わりにしてしまった。でもその水の漏れ方はひどいらしく、もちろんそんなものではおさまらない。再度の苦情によって今回の工事になったわけだ。うちは大迷惑だ。せめて先月やってくれてたら、寒くなくもう少し楽にできただろうに。今はパパが学院に使ってるアパートに避難している。といっても、人が出入りする間、うちのアパートを空けたままいるわけにいかないし、ハルモ二かパパが工事をしてる間監督(?)しているのだが、埃とセメントから出る粉末、匂いで喉がやられる毎日。家中粉だらけで、帰ってからの掃除が怖い。あ~こんな大変な思いして、家賃が返ってくるわけじゃないし、本当についてない。子供たちはキャンプのようなこの生活を楽しんでるけど、大人たちはヘトヘト。この生活、火曜日まで続くそうだ。
Nov 21, 2004
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チャンウォンは都市計画をされてできた都市だそうで、ソウルのこの辺とは違い、区分がしっかりできている。私がこのアックジョン・チョンダンドンをあまり好きになれない理由は、住居地も商業地も全部ゴチャゴチャなところ一般住宅もオフィスとして使えるため、生活が落ち着かない。ビジネスをする人には便利だろうが、住むにはたまらない状況だ。このチャンウォンは、繁華街があり、その周辺に一軒家が立ち並び、少し離れてアパート地区がある。そしてチャンウォンで一番ウェイトを占めている工業地区はやはり同じ地区にまとまっている。ハラボジが住んでいるのは繁華街のオフィステルなので、正直言って、慌しい外だったが、13階にあるハラボジの部屋はその外の音は全く入ってこなくて静かで、落ち着いていた。いわゆるワンルームなのだが、結構広くて、一人で住むには快適な空間だった。それに引き換え私たちが泊まった6階のモーテル。ここはひどかった・・・。まずうるさい。すぐ下にカラオケやルームサロンがあるんだから当たり前なんだけど、寝てるとズンチャズンチャ響いてくる。挙句の果てにはへたくそなカラオケの歌まで聞こえてくるのだ。それが夜中の3時、4時まで続く。朝方に静かになったかと思うと7時にはもうズンズン音が聞こえてくる。そして暑かった。ただでさえ暑いオンドルの床。寝苦しくて眠れなく、朝起きてみると床は裸足で歩くのもきつい位アツイ!!窓口のアジョシに聞いたら、小さい子供たちが寒いだろうとちょっと暖かめにした、といっていた。チャンウォン市内を回ってみようと言っていた日、あまりの寝不足に朝起きれなかったパパ。なるべくお怒りにふれないよう、子供たちを連れて私だけ先にハラボジ宅に行くが、パパはなかなかこない。とうとうシビレを切らしたハルモニは、「ちょっと出かけてくるよ」と言って、2時間ほど帰ってこなかった。帰ってきて、ハルモニは「私はもう市内観光してきたよ」と言う。車も運転せずどうやって??と思ったら、不動産に入って、あちこちの家を見せもらってきたらしい。その運転中にチャンウォンでの生活のことや、チャンウォン市について色々聞いてきたらしい。さすがハルモニ。午後からみんなで市内をドライブ。まずはハラボジの会社を見に行った。中に入っても見るものないから入ってこなくて良い、といっていたハラボジだが、家族はやっぱり見てみたいもの。だって社長さんなんだもの。全員で入るのはやっぱり恥ずかしいので、せめてハルモニとハラボジの会社を見たがっていたイパルくらい入って、社長室でも見て来たいとハルモニは思っていた。でも会社の前から電話したら、あっさり断られてしまった。ハルモニはかなり寂しそうだった。私たちも何だかハラボジにがっかりした。何しにチャンウォンまでってハラボジの会社と生活を見に来たのに、会社の目の前だけ見て終わり?妻であるハルモニが来たのに、社員に紹介もせずに?「ハルモニは色々面倒臭いから一緒にどこか行きたくないオヤジの気持ちは分かるんだけど、今回はちょっとひどいな。もう30年以上もこうやって無視されてきたんだよ、オバサン(なぜか日本語のとき自分のお母さんの事こう呼ぶ)」とパパも寂しそうだった。町の中心にあった大きな公園を見つけそこに駐車。お昼寝をしていた子供たちも起き、昼ごはんを食べてなかったハルモニはお腹がすいたと韓国版タイヤキを買ってきた。タイヤキは日本のより小さかったけど、もっとカリカリしてておいしかった。よっぽどお腹すいてたのか12個買ってきて、食べきれないと思ったのが、すっかり完食してしまった。(もちろんみんなで)そのタイヤキを売っているところで、おでんも売っている。韓国でおでんはたくさん見たけど、実際食べるのは初めて。長いくしに刺さっているおでんを勝手に取って、醤油につけて食べる。スープはプラスチックのすくいを使って勝手に飲んでいい。おでんは「プサンおでん」が一番おいしいらしいけど、オバサン曰くこのおでんもプサンものだということだった。寒い風が吹く中、おでんを立ったまま食べるのは結構趣があってよかった。公園の中で子供たちは一通り跳ね回り、寒くなってきたので、買い物をして戻る。今日の夜はフェ(刺身)だ!マサンというところまで行って、食べるという事で、ハラボジも早く帰ってきた。ちょうど退社時間なので、少し混んでいたけど、市内をすぎると空いてきた。途中から港が突然現れる。大きな船もとまっていた。漁業港ではないらしく、工場のようなものしかなかったが、暗闇の中港の向こうを見るのは、ソウルに来てずっと海を見てなかった私には嬉しくて仕方なかった。レストランに到着。まず最初に、パンチャンが出てきた。貝や、わかめ、ヤンニョンにつけて食べる。その内、サンチュなどと一緒にメインのフェが出てきた!今が旬だという刺身3種。わさび醤油もあったけど、韓国のわさびってすごい色をしててすっごくまずそうなのだ。最初は緑色のスポンジかと思ったくらい。だから、今回もチョジャンというコチュジャンをベースにした甘辛酸っぱいものと、サンジャンにわさびとにんにくを混ぜたもので食べた。サンチュで巻いたり、しそで巻いたりする。山盛りのその刺身、ほとんど私とハルモニで食べつくした。 その後に駄目押しのメウンタン。フェを食べると必ずその魚を使った辛いスープが出てくるらしい。もうお腹いっぱいでご飯は食べず、スープだけちょっと食べた。すんごくおいしい。お腹がいっぱいで食べれない事がとても残念だった。しかもすっかり食べる事に集中して、このメウンタンの写真を撮るのを忘れてしまい、アッと思ったときにはもう見るも無残な姿に。とにかく肉より魚の私には、と~っても至福の時間だった。食べ終わった直後はもうしばらくフェは見たくないと思ったけど、また食べたくなってしまった。でも、フェを食べながらいつも思うこと。やっぱり日本の刺身が一番! あ~お寿司が食べたい・・・。帰りにシジャンに寄った。ミョルチ(煮干)を買うという事で。残念ながら、遅かったので、ほとんど終わってしまっていたシジャン。もっと早く行って私も中を見物したかったなぁ。 次はプサンに行ったときの話を書きます。
Nov 16, 2004
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チャンウォンは韓国の南部にある地方都市だ。ここに何があるかというと、ハラボジの会社がある。1年前に本社に単身赴任して以来、一度は行って見なきゃとずっと言ってきた。そう言いつつもなかなか実現しなかったのは、病気のゴモ(義姉)や犬のタムシリまで連れて行かないといけないからだ。ところが先週突然ハルモニが行こうと言い出した。あまりにも突然、しかもハルモニの車Mussoで。この車はいわゆるジープ車なので、後の座席をたたんでそこにゴモを寝かせる事ができるものの、全員そこに座り、荷物まで持っていけるか、それはかなり無理っぽい計画だった。しかも大雨が降るという今週。雨が降ったら何もできないのだから、来週に行こうとパパが提案したら、来週は寒くなるからダメだと聞かない。車もMussoは無理だと思う、と言ったら行きたくないからブツブツ言うんだと取られ、ほとんど喧嘩模様だった。正直、パパはあまり行きたくなかったのだ。と言うのは泊まる場所も今回はモーテルだ。ハラボジが一人暮らししている場所は14階の雑居ビル(オフィステルと言うのだが)で、地下にはナイトクラブ、6階のモーテルのすぐ下にはカラオケやルームサロンがある。このモーテルが家族向けでないことは一目瞭然。でも、ハラボジの所にハルモニ、ゴモ、タムシリが泊まり、すぐ下の階に私たちが泊まるのが便利なので、そのモーテルに泊まる事になっていた。怒ったりもめたりしながら、結局出発の日を一日延ばし、前回ソラク山に行った時のように、ミニバンを借りる事にした。行く直前もパリパリ(早く)しないんだとか、ハルモニはプリプリ怒っていて、パパはそんなハルモニを見るのにうんざりしている。これから6時間のドライブが待っているのに、きついなぁと心の中で思っていたが、子供たちはそんな雰囲気も知らず、大きな車に乗ってウッキウキ。でも、まぁ走り出してしまえば、ハルモニの気分もちょっと良くなり、そうなるとパパの表情も和らいできた。ソウル市内は渋滞で、なかなか進まなかったが、それを抜けてしまうとスムーズに流れ始めた。天気予報どおり、雨がポツポツ降ってきた。これから大雨になる予定だ。こんな日を選んだのは、どうしても今週行かなければいけないというハルモニと大雨が2日間続くと言う天気予報を考慮して、移動する日に雨の日を一日使えば、向こうで雨の中することなく缶詰状態にならなくていいだろう、と言うパパの選択だった。こんな日に移動するなんて、とこれにも文句を言っていたハルモニだけど、出発してしまえば、「雨の日にドライブもいいわねぇ」なんて言い出している。なんにしても雰囲気がよくなってきて良かった。途中作ってきたキンパップ(海苔巻き)を食べたり、トイレ休憩を入れながら、のんびり移動する。若い人だったら4時間少しあったらチャンウォンまで行ってしまうらしいが、家は小さい子が二人、犬もいるし、病人もいる。6時間を目安にドライブしていた。雨の中視界は悪いけど、どんどん田舎風景に変わっていく。山が増えていくと、最後の紅葉風景と思われる色とりどりの木々が見えてきた。去年韓国に来るまでは、紅葉ってほとんど見るチャンスがなかったので、去年はうちのすぐ下のイチョウの木が黄金色になっただけでも感動だった。紅葉は美しかった。これで温泉もあれば文句ないんだけど・・・って思うのは日本人の私だけだろうか。日本の紅葉はどうなんだろう。もう8年みていない日本の紅葉も、今見ればまた違った感動があるだろう。途中からは本当に大雨になった。雨が激しくほとんど前が見えない。なぐりつけるような雨の中、「これで本当に紅葉は終わりだなぁ」とパパがつぶやいた。 (途中の休憩エリアで)日が暮れてきた頃、チャンウォン市内に入った。ここからハラボジの会社まではすぐらしい。途中から携帯でずっとナビゲーターしてきてくれたパパのいとこと合流した。彼はプサンに住むが、歩く地図と言っても過言ではない。とにかく道を良く知っている。道が分からなくなって電話すると「その辺に何がある?」と聞いて、説明するとすぐそこがどこか分かり、その後の道案内をしてくれるが、それがまたすごいのだ。どこどこでこんな看板が見えてくる、とか説明が細かい。それが地元のプサンだけでなく、しばらく住んでいたソウルでも、このチャンウォンでも同じだった。こんな彼、この才能を生かして何かできればいいんだけど、今の所代理運転をしながら生活している。チャンウォンでのことはまた次の日記で。
Nov 15, 2004
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何の話かというと、子供のこと。私が子供の頃、3月31日生まれの子とは出生日を4月1日とかにして、翌年度に子供の学年を遅らせると言うケースを何回か見た。理由は、子供がかわいそうだから。私も3月生まれだ。幼稚園が始まるまでは知らなかったが、4月生まれの子との1年の差、これってかなり大きいのだ。体のサイズは結構負けなかったけど、体の動き、考える能力、学習する能力・・・いろいろな面で遅れをとる。ある程度大きくなってしまえば、あまり差がなくなるのだけど、それまでは結構他の子より遅れてると自分でも感じたほどだ。だから3月31日生まれの子を翌年度に持ち越したい気持ち、分かる。ところがだ。韓国では逆なのだ。韓国の学校は3月から始まり、2月に終わるんだけど、3月生まれの子をわざわざ2月生まれに変えて出生届けを出すケースが多かったようだ。今でこそ簡単に出生日を変える事なんて出来なくなったけど、その昔は女を男として、3月生まれを2月生まれとして届けることくらい、なんでもなかったらしい。実際に、出生日はともかく、子供を1学年早く学校に行かせようとする親は少なくない。何でも早い方がいいと考える、韓国人らしい考え方だ。パパの高校時代の友達がこの前遊びに来た時に教えてくれた。次男は3月生まれなのだが、2月生まれで届けを出した事。最近は厳しくて、病院の証明がないと届けられないのに、どうやったんだと聞くと、取り上げてくれた先生に1時間頼み込んで、出生日を変えてもらったというのだ。彼は「うちの家族はみんな陽暦を使わない。陰暦しか使わないんだから、出生日も陰暦で書いてくれ」と言ったそうだ。その息子、陰暦に直すと2月生まれになる。そんな非理論的な理由に、先生は最初「無理だ」と言ってたらしいが、彼があまりにもうるさくするので、最終的には「分かった、分かった」と彼の言うとおりにしてくれたらしい。何で2月生まれにこだわるのか聞いた。やっぱり1学年早く学校に送れることが大切だったらしい。韓国には徴兵制度があるので、男の子はどうしても普通2年は軍隊の為に遅れてしまう。学校を卒業するのも、就職をするのも。「1学年早く学校に送れたら、1年"稼ぐ"じゃないか」と彼は言っていた。パパと私は、その1年が長い人生でそんなに大事だろうか、と思ってしまう。その1年より、早く学校に行かされる事で、本人が感じるかも知れない劣等感、自分の体の発達よりより多くの事を要求されるストレスの方がもっと考えなければいけないことじゃないかと思うのだ。軍隊に入っている時間は無駄な時間ではない。それも彼の人生に大きな影響を及ぼす大切な2年だ。なのに、大学卒業が遅れる、就職が遅れる、と遅れることばかりを気にしている韓国人。結局本人が満足する学校生活をして、好きな仕事にめぐりあえれば、それでいいんじゃない?何でも早く早くして、自分の子供時代の思い出が全然楽しくなかったら、何のために生きてるんだろう。来年イパルは韓国で7歳になる(韓国は数え年なのだ)。本当は8歳になる年に小学校にあがるのだが、来年行っても良いそうだ。そんな話を両親がしてきた。でもパパはきっぱり言った。「早く学校に入れる必要なんかないよ。早く入れたって子供がかわいそうだ。勉強なんてできなくったって良いよ。自分がしたいことすれば良いんだ。」これはパパの本音。 いつも他人より早く、誰より良く出来ないといけないと、学生時代ずっと押し付けられた勉強。勉強が終わったら自分に残ったのはストレスばかりの記憶だけ。本当の友だちもなく、自分のやりたい事もわからないそんな20代が待っていた。イパルは韓国、日本、アメリカを行ったり来たりしたら、1,2年の遅れを取る事になるだろう。でも私たちはそれでも良い。イパルがイパルらしく育ってくれれば。その1,2年の遅れは無駄な時間ではないのだから。他の子にはない時間、それがイパルをイパルらしく形作っているのだから。遅らせるわけでも、早めるわけでもなく、本人のペースにあわせてあげる、そういう育て方をしたいなと思うのだ。
Nov 7, 2004
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家では夏から金魚を飼っている。無知と店員のいい加減な勧めのおかげで半分の金魚たちが去っていってしまったが、最近やっと落ち着いてきた。色々な金魚とともに「チョンソムルコギ(掃除魚?)」またの名を「掃除やさん」と呼んでいる金魚を2匹飼った。店員の話によると、水槽の中の掃除をしてくれる金魚で、一緒に飼っていると水槽があまり汚くならない、という事だった。この子達、他の金魚と違ってすごくユニークな姿をしてる。色もきれいじゃないし、ぶさいく?でもマイペースで、いつも下の方やすみの方にウロウロしてる彼らは、見てるとおもしろかった。行動が他の子たちと全然違うので、時々、死んでるのかしら?と思ったり、苦しいの?と思うようなそぶりを見せたかと思えば、えさに誰よりも早く喰いついたり、突然元気にぐるぐる回ったりする。時には隠れて見えないときもある。その掃除やさんが、1匹見当たらない。どこを探してもいないのだ。そんな大きな水槽ではないので、隠れる所も限られている。隠れて死んでしまったのか、と念入りに探したけど、いない。そういえば、不思議なことがある日あった。水槽に飾っているプラスティックの水草(と言うの?)の一つが、あるとき見たら1本抜き取られ、倒れていた。しかも後の方にあったのに、前の方に移動していた。この小さな金魚たちがどうやってこんな事したの?とびっくりしたけど、「変なことするんだよね~」で終わりだった。もしかしてその時に何かあったのか??そうじやさんはいつもあちこち隠れるのであまり入るかどうかチェックしてなかったのではっきり分からない。みんなで首をひねりながら、パパはとうとう変な事言い出した「誰か家に入ってきたんじゃない?」まさか。入ってきて金魚1匹取って出て行くの?そしてパパはインターネットで調べ始めた。「こういうことってよくあるんだって。」よくあるって、じゃああの子はどこ入ったのよ~。謎は深まるばかり。調べによれば、フィルターに入り込んだり、下の砂利の中に入ってしまって死んじゃう事もあるとか。でもこのそうじやさん、かなり大きいので、フィルターには入れないと思うし、砂利の中に入ったとしても完全に埋まる事はないと思う。どうやら1回水槽を全部出して見ないと真相はわからなそうだ。金魚って不思議。そうじやさんはどこに行ってしまったんだろう。
Nov 5, 2004
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これが私のPersonalityだそうで。皆さんも一度お試しあれ。Which File Extension Are You?Which File Extension are You?で言われたとおりにタグを貼ったのに、何できれいに出なくて途中からタグがはみ出てるんだろう??タグって全然わかんないから、このままにしておこう。誰か何か知ってたら教えてください^^
Nov 4, 2004
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私の韓国版ブログの方にまたOSTを載せました。冬のソナタフルハウスパリの恋人まだまだ追加したいんだけど、今日はここまで^^冬のソナタはドラマを見たことなくって、今回ミュージックビデオだけ初めて見ました。興味なく何となく見始めた人もはまるって言うけど、ほんと?
Nov 2, 2004
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私は一度だけ家出をした事がある。それは私が小学校6年生の時。両親が離婚し、父親に引き取られ、母親が恋しくて恋しくて仕方ない時に、父親の再婚話が持ち上がった。父親の再婚相手が嫌いだったわけじゃない。ただ父親の再婚は受け入れられなかった。父親が私に再婚する事をどう思うか聞いた時、私は「してほしくない」とははっきり言えなかった。父親に悪いと思ったのだ。だから「わかんない」と答えた。父親は再婚する事を話しに私の母親に会いに言った時「子供たちは賛成してくれてる」と伝えた。その時に私の心は決まった。母の元に行こうと。私は思ったのだ。父親はもう私たちを必要ではない。新しい人と結婚して新しい家庭を作るつもりなのだから。でも母は一人ぼっちだ。私たちが傍にいてあげなければ、そう思った。当時小学校3年生の弟に話を持ちかけた。毎晩のように母が恋しくて父に隠れてメソメソ泣いていた弟だ。「ウン行く行く!」と何も考えずに即答してた。計画は慎重でなければならない。父に分からずに準備し、こっそり出て行かないといけないのだから。私は帰ってくるつもりはなかった。だから、向こうの小学校に通うときに必要だと思った学校の道具を全部持っていくつもりだった。弟の準備もしてやらないといけない。あれも持って、これも持って・・・毎晩寝る前にはそのことばかり考えて、一人でドキドキしていた。決行は日曜日、早朝。父に残す手紙も書いた。言葉で言えなかったこと、手紙に全部書いた気がする。その頃、私は自分の思っていることを言えず、全部自分の中に溜め込んでいた。二人分の荷物は重かった。朝5時に起きて準備をし、家を出る。朝の空気は冷たかった。音を立てずに家を出れた事に、二人ともちょっと興奮気味。バスに乗って駅に出た。朝早いせいか、各駅しかない。終点まで行ってそこから又乗換えだ。暖房がきいて暖かい車内。人の少ない車内で弟と二人座る。最初ははしゃいで窓の外を見ていた弟も、私に寄りかかって寝てしまった。私もだんだん眠くなる。でも寝ちゃいけない。終点に気づかず、又戻ってきたら大変だし、二人とも寝てしまったら荷物を見る人がいなくなる、と本気で心配してた。その代わり色々思い浮かべる事にした。これから始まるお母さんとの生活。お母さんは働いてるから、家の事は私がやらなきゃ・・・大変な事なんてない、お母さんと暮らせるんだったら。今までみたいに、お母さんに会いに行く事に罪悪感を感じなくて言い。帰ってきてお父さんの不機嫌な顔を見なくてもいい。お母さんと別れたあとに、弟は声を殺しながら泣かなくたっていいのだ。ガクンと揺れてハッとした。終点だ、慌てて弟を起こし、荷物を持って電車の外に出る。そこから又電車で同じくらい行かないといけない。またまた急行に乗れず、各駅だった。今度は人の乗り降りも多いため、知らないうちに駅の到着した。それでも優に2時間はかかったはずだ。私にはその2倍も長かった気がした。ここから又バス。でも本当にもうすぐだ。バスに乗ること20分。そこから歩いて5分。母の住む団地が見えてきた。はやる心を落ち着かせる。どんな顔をするだろう。今まで何度も想像してきた事だ。ドアベルを押してみたが返事がない。せまい室内。聞こえないわけがないから、母はいないんだろう。仕方ないので、そこから5分ほどのおばあちゃんの家に行ってみた。ドアを開けて、私たちの姿を見て、おばあちゃんは「あらあら」と驚いた。ただ遊びに来たわけじゃない様子が見えたようだ。私たちは暗く悲しい家出少女少年ではなかった。嬉しくて嬉しくて仕方ない、母とのこれからを本当に楽しみにしてるただの子供たち。祖母はそんな私たちを見て、涙をこぼしながら「よく来たねぇ」と頭をなでた。日曜日だと言うのに、仕事に行っていた母。夕方には帰ってきた。母は嬉しさと困惑の気持ちでいっぱいだったようだ。その間、父と母がどのような話し合いをしたかは分からない。私たちは1週間母の所にいた。ただただ母と、祖母と楽しい毎日を過ごした。でも母は言った。「こんな風に家を出てきちゃダメなのよ。一旦お父さんの所に戻りなさい。そしてちゃんと手続きをして、お母さんと一緒に住もう。お母さんが約束するから。絶対一緒に住めるようにするから。」あとから母に聞いた。このときは身を切られる思いだったらしい。こんな大変な思いをして二人が来てくれたのに、又送り返さないといけない事。「あの時絶対返しちゃいけなかったのよ」と時々思い出しては言っていた。母に送られて私たちは父の元に戻った。約束忘れなかった。それから先は、母とあとで一緒に暮らせるんだと思いながら毎日過ごしていた。何でこんな日記を書こうと思ったのか・・・。私が見てるドラマ「二番目のプロポーズ」での母親と子供たちを見てたら、いつもその時の私たちとダブルのだ。状況は全然違うんだけど、その会いたい気持ち、会えない悲しさを思い出す。そのドラマは楽しく見てるんだけど、そんな場面では、切ない気持ちや、会わせてあげない姑と父親に対して怒りを感じる。母を思う気持ちは、子供誰でも同じ。それを奪う権利は誰にもない。ちなみに私は中学2年の時、弟は小学校卒業とともに、母の元に移って来た。祖母は「よかったねぇ、宝物が二つも戻ってきたよ。」と言いながら喜んでくれた。
Nov 1, 2004
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