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韓国の10大ニュース、この前セブンデイズという番組でやっていた。全部覚えてるかなぁ。3月に100年ぶりの大雪大統領の弾劾スレギマンドゥ(ゴミ餃子)売春婦狩り公務員のデモ首都移動問題クマ(だっけ?)のチューブ金鮮一さん殺害ヨン様(これが入ってるなんて!!) やっぱり観てすぐ書かないと忘れてしまう。もう一つ何だっけ? 大体これであってるのかな?でもそれを観ていて激動の一年だったなとつくづく思った。10大ニュースに入るんじゃない?と思うニュースは他にもたくさんあるし、ゴミ食品に関しては何も餃子だけではない。ニュースの多くは韓国人お得意の「モッコ サラヤデ(食べていかないと)」のせいで起きてたりする。私はこのモッコサラヤデが好きじゃない。もちろん食べていかないといけないけど、食べるために何をやっても良い、自分が食べるために他の人に迷惑かけても仕方ない、みたいに聞こえるからだ。きっと本当に食べて生きていくのがしんどかった時に、この言葉ってよく使われたんだと思う。だけど、もう自分が食べる事ばかり心配する時代ではないように思う。ニュースの中のクマはそのクマの内臓かどこかから出るエキスが良いとかで、生きているクマのお腹にチューブを差込み、エキスを採っていた。おかげでクマは体中感染症。脳に腫瘍までできていた。これも人間のエゴだ。来年はもっと明るいニュースがたくさん流れると良いな。その意味ではヨン様は韓国にとって良いニュースだったのかも。日本には恥のニュースだけど-_-"韓国のお正月は今年は2月なので、本当に新年を迎えるんだぁという華やかさはない。忘年会などで慌しい世の中だけど、年末の厳かさ、新年を迎える緊張感は味わえない。かと言って、旧正月の習慣のない私には、クジョンもピンとこない。それでも2004年はもうあとちょっとで終わり。年が終わるその直前に本当に恐ろしい地震が起き、悲しい年末になってしまった。新しい年を迎えるワクワクはもうない。愛する人を探す人たちの目、愛する人を失った人たちの目、何もかもすっかりなくなってしまって瓦礫の山になった自分の町を見る目・・・この人たちの目に再び少しでも希望の光が戻らないと。ここソウルはマイナスの毎日。この寒い中、暖房もわずかしかなく寒さに震えながら過ごしている人たちも多くいるそうだ。SBSでやっていた「愛のヨンタンを送りましょう」キャンペーン。このヨンタンって炭みたいなもので、昔というかパパの子供世代は誰でも使っていたものらしい。でも今でも生活が苦しい人たちは使っているということだ。その円筒状のヨンタン一つが300ウォン(約30円)だとか。今地震で家を失っている人たち、こんな寒空ではなくってよかったなぁなんて思ったり・・・。年末にこんな悲しい気分なのは初めて。
Dec 31, 2004
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子供を育てるってエネルギーの要ることだ。いくら自分は子供好きだと言っても、自分の子供を実際持ってみると、24-7(一日24時間1週間ずっと)好きだ、かわいいという感情だけではいられない。時には、「自分は本当に子供が好きだったのか」と疑いたくなる瞬間さえある。赤ちゃんの間は、ただただ泣く自分の子供にどうして良いか分からず、その自分の不甲斐なさから、子供への「どうして泣くの」という苛つきに変わる。でも、よく考えたら言葉のできない、泣く事でしか意思表示のできない、まだ人間らしくない小さな我が子に怒ったって仕方ないと思えたりする。そして子供は成長する。言葉を覚え、いろんなことを理解しようとするようになる。その過程で、言葉を変に覚えたり、間違って使ったり、理解の仕方が自分勝手だったり、ある一部分しか見えなくて理解する事が出てくる。親にはそれが「反抗」に見えたり、「馬鹿にしてる」ように見えるかもしれない。親が一生懸命何かを教えたい、伝えたいと思っているとき、子供はそっぽを向いていたり、ふざけるように笑っていたりする。でもそれは、日本で今はやっている言葉を使えば、親と子供の「温度差」なのだ。全てをすっかり理解し、察する事ができるようになった大人の親と、まだまだその発展途上にいる子供との。昨日、そんな親子がいたようだ。親は子供にある事を注意した。「3回言って直らなかったら雷が落ちるよ」と母は言った。子供は3回同じ事をした。そして母は言った。「直らなかったんだから、出て行きなさい」と。子供は泣きながら家を出て行ったそうだ。子供はまだ小学生にならない年長の子。午後に出て行って、夜になっても探しに行かなかった母。もう「どうでも良い」と思ったそうだ。幸い子供は保護されたそうだけど。子供が怒られている時、自分は必死なのに、子供が笑っていたりしたら、本当にムカつく~と思う事がある。何で真剣に聞かないの!と。注意したのに、またすぐあとで同じ事を繰り返すと、キ~となることもある。さっき言ったばかりでしょう!と。その時は頭にカ~と血が上るので、なかなか冷静に考えられないのだが、よく考えてみると、子供は子供なのだ。母親が今真剣に怒ってるかどうか、まだまだ「察する」事ができない未熟な子供。言われた瞬間は直すけど、また遊びに夢中になったりしたら、すぐ忘れてしまう小さな子供。言葉や行動だけはまるで一人前の大人のようにできる幼稚園児。おかげで自分の言っている事や分かる事を同じように理解し、できるようになるとつい思ってしまう。だけど、実は頭の中はまだまだ発達の途中なのだ。そう理解できたら、子供の腹立つ行動の一つ一つは、実は親を馬鹿にしたり無視してるから出るものではない事も分かるはずなのだが・・・。「どうでも良い」と思うこと自体が子供をすでに大人扱いしている。「どうでも良い」とは、すでに何でもできる、一人で生きていける人に対して思う感情だ。出て行ったら一人で成す術のない子供に対するものではない。かくいう私も、毎日子供に大きな声を出し、時には子供に能力以上のことを求めてしまっていることもある。怒った時はつい口走ってしまって、後から反省することもしばしばだ。パパがよく私に言う。「子供たちに頭にきたときは、子供の足を見るようにするんだ。この膝から下の所を見るとね、まだこんなに小さい子供なんだって思って、ス~ッと怒りがひいていくんだよ。」そういうパパも普段は子供にそんな事言ったって・・・と思うことで怒ったりするけど。私は子供の手を握る。そしてその顔を両手で触ってみる。その小ささを実感した時、私の心は愛おしさでいっぱいになるのだ。
Dec 30, 2004
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先日凄いものを見てしまった。朝日本語を教えてる私たちは、いつもの通りチョンダム洞のアパートに向かったのだけど、その大通りに出る道が水浸し。こんな零下の朝に水浸しでまた凍っちゃいそう、危ないねなんて話してたら、横の歩道は凍っている!!まるで雪が降った時のように凍った道は尋常じゃなかった。何でこんなことになってんの?と思いつつ歩道からビルに目をやったら、そのビル凍ってる!!そこは自動車プジョーのビルなんだけど、かなりのその高層ビルがぜ~んぶ凍っていてツララがぶら下がっていた。「うわぁ映画みたい!どうしちゃったんだろうね~」なんてのんきに高層ビルの上を見やってその原因を発見。一番上の階が燃え尽きていた。窓は全部焼け焦げ、下の階の窓まで及んでいた。きっと火事になり、消火活動をしたおかげで水浸しになったビルが零下の寒さで凍ってしまったらしい。その最上階に何があったのかすら知らなかったが、その日の夜にニュースでやっていた。どうやらそこにはお酒やさんがあった様で、火事になったのに、消火器具が全然作動しなかったよう。しかも装置も全部オフになったままで、消防署が駆けつけるのに時間がかかってしまった事、高層ビルの為に消火が困難だったこともあって、完全に消火するのに6時間かかったそうだ。私たちはいつもそこの横道から散歩道路の道に抜けて家に帰るのだが、その横道に入ってすぐのレストランがとってもムカつく。そのせまい横道、結構抜け道として通る車が多いのに、レストランのその入口にバレットパーキングをやっていて、いつも車をそのまま放置。両方から車が入ってくると完全麻痺状態になってしまうのに、そこのパーキングの人は態度がデカイ!!その火事のせいで、その横道が閉鎖になった。おかげで私たちもその抜け道使えないが、そのレストランも車で来れない!!チャンサモッタジ~!!いつも迷惑かける罰さ。********************************今日の夕ご飯を作る時、イパルが突然「オンマ、オヌルン クリスマスパプ へジョ(今日はクリスマスご飯にして)」と言った。クリスマスパプ?? 何それ?と聞いたら、クリスマスの夕食に作ったメニューの事らしい。ハラボジ、ハルモニと一緒に食べると思っていた私は、あまりちゃんとメニューとか考えてなくって、思いつきで作ったメニューだった。カルボナーラ風のフィットチーネと醤油とイチゴジャムで味付けしたチキン。このチキンにイパリははまったらしい。パスタまで作れと言ったわりにチキンばかり一生懸命食べていた。作る時に、「パパは今日はパスタがイヤだろうし、パパの分と二通りご飯を作らないといけないから、ヤダよ」と文句を言ったのだが、「オンマ、ネガ トワヘジュッケ(私が助けてあげるよ)」と心強い(?)事を言ってのけて、結局自分はShrek2を観ながらフィオナになりきり、演技に夢中だった。クリスマスご飯、私が子供の時のメニューは決まっていた。母特製のコーンクリームスープとチキン、あと何かあったけど、とにかくこの二つが楽しみだった。母にはその日特別のメニューがあって、たとえばひな祭りには雛人形の散らし寿司、誕生日にはスポンジケーキを焼いてくれて、お誕生会に来てくれた友達全員でデコレートできるようにしてくれた。子供の時は専業主婦だった母は料理に結構凝っていたと思う。私も今は専業主婦なのになぁ。私特製のメニューでも作らないと・・・。クリスマス特別メニューってありますか?
Dec 29, 2004
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重い腰をやっと上げて、昨日イブにやっとクリスマスツリーを出してくれたアッパ。というのも、家のクリスマスツリーはアメリカのCostcoで買ったバカデカイもの。アメリカでは小さいうちに住んでいても邪魔にならなかったツリーもここではかなりの邪魔者。ベランダに置くしかないんだけど、この1年の間に植物園と化してしまったので、置く場所がなかった。昨日その植木たちを何とか移動させて、置く場所を作って、やっと飾ったツリー。子供たちは大騒ぎ。特にホパリは去年の記憶はないだろうから、初めて見るような興奮。オーナメントを引っ張って大変なことになった。 それでも何とか子供たちをなだめすかして、やや遅めに就寝。私たちが寝る前に「サンタさんからのプレゼント」とツリーの下にセッティング。あ、それからイパルが書いたサンタハラボジへの手紙を隠して・・・。そして寝るときにパパが子供のころの思い出を話してくれた。それは小学校2年生のころ、まだプサンにいた時の話だそうだ。そのころの韓国ではクリスマスといってもこんな華やかなものではなかったそう。それでも靴下を下げる習慣はあったらしい。ただその靴下は特別なものではなく、お父さんのサッカー用の大きな靴下を下げていたそうだ。寝る前、朝起きたらその靴下に何が入ってるんだろう・・・とドキドキしながら寝入ったパパ。朝起きて布団から靴下を見ると、ものすごい大きく膨らんでいる。あまりのすごさに怖かったパパは、隣で寝ているハルモニを起こし、「オンマ、あれ見て」と言った。「あ~、本当だ。何が入ってるか見てごらん」とハルモニに言われて勇気を出して見に行ったパパ。中には所狭しとみかんが詰っていた。サンタハラボジがみかん・・・??靴下をさかさまにするとみかんがドサドサと出てきて、一番最後に薄っぺらいコミックが出てきた。しかもコミックには近所の書店のスタンプが押してある。「オンマ、これってあそこの本屋のスタンプだよね?」「そうだね~。サンタハラボジも忙しいから、作ってこれなくてこの辺で買ってくることもあるんだよ」それにしても、みかんとコミック。パパはかなりショックだったという。そして翌年。ハラボジとハルモニは同窓会に出かけて、パパのハルモニと二人のイブだった。「ほら、早く寝ないとサンタさんが来ないよ」とおばあちゃん。パパは今年は何をもらえるんだろうと期待しながら就寝。翌朝起きてみると、靴下の中にも枕元にもどこにもプレゼントはない。「僕悪い子だったのかなぁ・・・」と落ち込んでいるところへおばあちゃんが「あっちを見ておいで」と玄関の下駄箱を指差す。下駄箱にサンタさんから何かあるんだろうか・・・といぶかしげに下駄箱を開けてみると・・・。靴ひとつひとつに缶詰が。もも、パイナップル、ブドウ・・・。しかも英語でも書いてあればサンタさんからのギフトだと思ったかも知れないとパパは言った。でも、すべてハングルのしかもプサン出産の缶詰たち。本当にサンタさんがくれたのか?サンタさんってこんなものくれるのか?パパのサンタ疑惑は深まったそうだ。みかん、缶詰と続いたクリスマス。さすがの両親も息子に悪いと感じたらしく、翌年のギフトはすごかったそうだ。その当時センセーションだったラジコン。バックしか操作ができないものだそうだが、それでも当時はすごかったそうだ。クリスマスが迫ったある日、パパがあるきれいな包装紙に包まれた箱を発見した。「オンマ、あれ何?」「あれはアボジ(お父さん)のよ」その翌日その箱は消えていて、あ~お父さんが持っていったんだと思っていた。そして迎えたクリスマス。朝起きたら枕もとにあの包装紙の箱が。その瞬間思ったそうだ。オンマがサンタハラボジなんだ、と。ハルモニはとぼけたそうだが、パパの心には疑惑が消えなかった。やるなら徹底しないと・・・。これがクリスマスの教訓。それでは最後にパパとイパルからクリスマスの挨拶。
Dec 25, 2004
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今年の一月、日記をもし読んでいた方は知っているけど、私はある試験を受けて不合格だった。そう、私にはやらなければいけないことがある。NCLEX-アメリカのRN(正看)の試験にパスしないといけないのだ。日本で正看を持っている人は、普通審査を受けて試験資格をもらえる。わざわざ学校に行きなおさなくて良い。でもその審査に提出する書類というのがかなり面倒臭かった。時間とお金をかけてこの審査をパスしたのに、試験はあきらめてはいけない。本当は、1月に不合格だった時点で、また勉強をしなおし、3ヵ月後にもう一度チャレンジしようと思っていた。だけど、来年に渡米かと思っていた私たちだったので、パパがどうせだったらアメリカに行ってからちゃんと勉強しなおして、と言うので、一度勉強を中断してしまった。でも来年の渡米はできなくなり、代わりに日本へ行く私たち。試験は最後に受けてから2年以内にまた受けないと無効になってしまう。だからあと1年の間にもう一度イヤでも受けないといけないのだ。いざ勉強というと、子供がいては全くといって良いほど集中できない。ハルモニが見てくれるという話だったけど、ハルモニにもハルモニの生活があり、数時間でも毎日束縛するのはとても申し訳なく、とても中途半端な状況での勉強だった。今年からは韓国でも受験が可能になるらしいけど、それまでは少なくともサイパンかグアムまで行かないと受験できなかったので、その旅行費用もかかった。皮肉な事に、私たちは今度日本に行ってしまうので、受験の為にまた旅行をしないといけない・・・^^;;ああ・・・勉強をどうするか。考えると頭のいたい話。年をとるたびに勉強がどんどん難しくなるし。頭がついていかない。さっきやったことを何だっけ?と首をかしげ・・・。でもここであきらめてはいけない。ハワイ市場さんは大学に戻って勉強してる(しかもAを取る優等生!)。私なんて試験のための勉強だけだ。これくらいできなかったら恥ずかしいぞ。ここで抱負を発表して、みんなにお知らせして逃げ場のないようにしよう。それからもう一つ。日本に行く事で、今までと全く違う生活を始める私たち。お互いを愛していたわる気持ちを忘れない努力をすること。来年からは私たち4人が力をあわせて頑張っていくことも私たちの抱負。・・・頑張ります。
Dec 21, 2004
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ハルモ二のはからいで、今日の夕方サンタが家に来た。何でもいくら以上買ったら、サンタが自宅にプレゼントを届けてくれる、というような企画があったらしい。イパルとホパルの驚く顔が見たい、と二人にプレゼントを買い、このサンタの配達をお願いしたらしい。…というか、実はその「いくら以上」の金額に満たなかったらしいが、無理やり頼んだとか。さすが、ハルモニ!というわけで、さてどんな展開になるだろうと、大人たちはちょっと楽しみにしていた。5時に来ると言っていたが、まあ、韓国のサンタさんはやっぱり遅れてきた。チャイムが鳴ってイパルに出るように言う。「ヌグセヨ~?(どなたですか)」と叫びながらドアに近づく。「サンタハラボジエヨ」と答え。ドアを開けるとサンタさんが入ってきた。イパルは何がなんだかわからないながらもサンタさんと話してプレゼントを受け取った。ホパルは思いっきりビビリながら近くにいたハラボジに逃げたが、サンタさんがプレゼントを差し出すと、それはしっかり受け取り、「ゴマッスムニダへ(ありがとうって言いなさい)」というと頭をペコリと下げた。嵐のように来て去っていったサンタさん。でも実はちょっと失敗だったかなと思う。サンタさんが帰った後、「さっき誰が来たの?」と聞くとイパルは「サンタハラボジ」と答えたが、その小さな顔には疑いの色があった。このサンタさんってアルバイトの人かなんかだろう。30前後の男の人で、芝居っ気も何もない。しかもアジア人でしょう~。イメージ崩れるかもね…子供の中では。サンタさんのようなものって、目に見えないから信じられるって事あるだろう。会ったことないから、どうやって来るんだろう、プレゼントってどこで作ってるんだろう、本当に白ひげのおじいさんなのかな、トナカイに乗ってくるんだよね、などなど子供の心の中で、サンタさんは形作られていく。毎年12月になると、想像を膨らませて、ドキドキしたりワクワクしたりするわけだ。納得のいかないイパルはハルモニに何でサンタさんがこんなに早く来たのかと聞いた。「ニガ チャッカンオリニニカ イルチック オショッチ~(お前がいい子だから、早くいらしたんだよ)」とハルモニ。イパリの顔は納得行くようないかないような…。でもサンタさんの話題はイパルから出てこなかった。23日、幼稚園の終了式の日にも幼稚園にサンタさんが来るのかな。幼稚園からの連絡帳に「子供に分からないように絵本を包装し、サンタさんからのカードを添えて担任の先生に渡してください」と書いてあった。こんなに何回もサンタが現れていいのだろうか?子供を喜ばせるよりも、本当なの?という疑いのほうが大きくなるような気がする。それよりも、これはハルモニから、パパから、とはっきり伝えて、本当のサンタさんは24日の夜に来るんだよ、と言う方がよっぽど素敵に思えるんだけど…。子供も馬鹿じゃない。いい加減なうそを言うと、子供の心をがっかりさせるだけなのだ。今日のイパルの鋭い目。イパルの心の中のサンタさんを壊さないようにしたい。
Dec 19, 2004
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ソウル市江南区(カンナム)と言うところは、ちょっと特別な所だ。以前、韓国の新聞で職場も江南が良いという人が何割・・・とか出ていた。江南はもともとお店やレストラン、遊びのスポットで人気だけど、住むところとしても人気があり、今では職場の場所としても人気があるらしい。江南区には本当のお金持ちはあまり住んでいない代わり、”余裕ある”暮らしができるくらいの人たちが住んでいる。そしてここに住む親たちは、ほかの家よりもっと裕福に見えるようにいい車に乗り、きれいな服を着て、子供たちの教育にお金を費やす。江南という地区は毎日競争の世界だ。見た目がとても大切な韓国の中でもさらに外見を重要視する江南。そのためだったら多少の嘘も仕方ないだろう。この辺のどこも子供も、アメリカに留学して(これもアメリカじゃないと駄目)、ハーバードやスタンフォードを卒業してることになってる子がほとんど。そんな競争と見栄の世界に小さいときから育っている江南っ子は常に周りを気にしないといけない。そして、誰よりも英語ができ、いい学校に入り、一番になることを親から言われ続ける。今の子のことは知らないが、パパ時代の江南っ子は、毎日ストレスの連続だったと言う。今みたいにおしゃれがどうとか、そういうのはなかったみたいだが、とにかく勉強ができなければいけなかった。韓国のどこよりも教育水準が高いと言われる江南区。教育熱心で江南に住んでいない家庭は、余裕があれば子供だけでも江南に住まわせてそこの学校に通わせようとする親もいたし、家族で引っ越してくるケースも少なくなったとか。実際パパの高校時代からの友人二人はそのケースだ。その当時進学校と言われたY高校に入り、それからも勉強勉強の毎日。高校は有名大学に入るための塾みたいなものだった。毎日夜11時ごろまで学校で勉強し、帰ってきてからさらに数時間。ちょっとでも気を抜いたら恐ろしく怒られたと言っていた。そんな風に中学高校時代をすごした江南っ子は、将来行きたい大学(行かなきゃいけない大学)はあっても、将来自分が何になりたいとか、何がしたいと言う人生の目標みたいなものはない若者に育ってしまった。大学もその後の就職も、何がしたいからそこに行きたい、ではなくて、一流だからそこに行かないといけない。だから、自分の中に残るものは何もない・・・少なくともパパはそう言っていた。競争の中ですごした高校時代には、友達とも本音で語れない。常に相手の出方を見ながら、自分の出方を考える、そんな付き合い。「本当の友達っていないんだよ」とパパはこぼす。江南といっても広いので、江南全域がそうだとは言い切れない。私が知ってるのは少なくともこの辺の江南っ子の話。パパだけじゃないのは、ここに小さいときから、もしくは生まれたときから住んでいる今の20代30代の男の人たちを数人見てきて感じるからだ。みんながあこがれる江南に住む子は実は一番疲れてるかもしれない。空気は悪く、アレルギーやアトピーと闘いながら(アトピーはここら辺の水のせいとも言われてる)、幼稚園のころから習い事のオンパレード。英語が話せないとほかの子から遅れると英語専門の幼稚園に通わせ、情緒豊かな子供にならないととピアノやバイオリンを習わせる。幼稚園が終わっても夕方暗くなるまで習い事で外にいる子がほとんどだ。小学校に上がると、学校のほかに学院(塾)に通わないといけない。小学校の校門には下校時刻になると学院のバスが何台も横付けされる。幼稚園も学校もブランド物じゃない服を着ていけば、馬鹿にされたり、携帯も最新型を持ってないとムシされたり。そして何よりも、この子たちには「選択」がない。きっとどこの子よりいいものを与えられ、必要なものはすべて持っているかもしれないが、彼らには自分で選ぶ選択はない。何を習うのも、誰と遊ぶのも、すべて親が選んで与える。ここにこのまま住んだら家のイパル、ホパルも同じ過酷な人生(!!??)を歩まないといけない。だから私たちは脱出する。私たちには、みんなが言うカンナムの良さが全然分からないからだ。子供が子供らしく生き、自分のしたいことがはっきり分かる大人になってほしい。そういう環境で子供たちを育てたいのが私たちの目標。夢ではなく、目標だ。そうじゃないカンナムっ子さんたちには、ごめんなさいね^^私から見たカンナムの感想です。では最後に私の日記のタイトルでもある、私たちの町アックジョンの風景をご紹介。
Dec 16, 2004
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もうすぐ今年の1月に先生と話してから1年が経つ。先生は、肺が麻痺するまで1年くらいだろう、と話していた。母は頑張っている。麻痺は進行してるけど、母はまだまだ頑張っている。先日の弟からのメールでは、先生に外食の許可が出て、看護師さんを同伴で連れて行ってくれたらしい。その後伯母との電話では、母の話がほとんど分からなくなってしまったこと、食事がかなり難しくなってきたことを教えてくれた。そろそろ、胃ロウを作らないといけないのか・・・。先生はそんなことも考えて先日外食を許可したのかな・・・などと考えた。私たちが引越しできるのは多分2月下旬。パパがほせの2歳の誕生日をこっちで迎えてから、と言ってるので、それより早くはならないだろう。どうか、このまま頑張って!進行がとっても遅いと先生をびっくりさせているその力は、お母さんの生きる力なんだと思ってる。イパルがとっても会いたがってます。ばあばが一番大好きなイパルがもうすぐ行きます。待っててね・・・。
Dec 14, 2004
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つい先日私のYahoo!メールに全然知らない人からメールが来た。「突然のメールで失礼します」と言いながら、彼女は夫と自分との関係を話し、寂しいのでたまたまネットで見かけた私にメールをした、と言う。「会いたい、費用は私が持つ、秘密さえ守ってくれれば、あとはこっちの都合に合わせる」と言うような事を言ってきた。私は目が点。まず、一体どこで私のことを知ったんだろう。多分、私の名前は知らず、メールアドレスだけしか知らないようだ。文面を読んだ限りでは、私の事を男と思ってるようなきがする。私はもちろん(!!)出会い系サイトなんて利用した事もないし、どこかに投稿するとすれば「夫は韓国人、二人の子供がいます」なんて書いている。それを読んで、こんなメールをよこす人はいないだろう。そして次にびっくりしたのは、この人の潔さ(!?)私の顔を見たわけじゃないし、年も知らないだろうし、一体どこの誰かわからない相手に対して、「セフレ関係」なるものを求める。いたずらなのだろうか? 本気でこんな事する人がいるんだろうか?1回のメールならいたずらと思うんだけど、あまりの気味悪さに「どこで私のこと知ったのか」と返事を送ってしまった。そうしたら、それから彼女はメールを何回か送ってきている。ご主人が今出張とかで、できれば会いたい、と。途中、私がどこに住んでいて、どんな姿をしてるのか承知でメールをしてるのか、だったら女だって事も分かっているのか、と言うメールを出したけど、それに対しての返事はなくて、彼女の思うがままのメール。Yahoo!は時々届かない事があるので、見なかったのか・・・。それともかなり調子の悪い人なのか・・・。とっても不思議だ。いたずらにしては回りくどく、ここまでするか??って感じだ。でも相手が男かどうかも分からない相手にここまでのめりこむのもヘン。私が男だったら、ラッキーって感じだろうか?連絡して会ってしまうんだろうか?世の中物騒だと言っても、こんな度胸のある人もいるんだ。なんかのたちの悪いいたずらであってほしい。これが「よくある出来事」であってほしくないなぁ。こんな経験、ありますか? あれから調べた所、All Aboutのサイトで同じような経験をされた方の記事が載ってました。やっぱり出会い系サイトへの勧誘だったようです。ちょっと違うんだけど、話のもって行き方はおんなじ。ヘンだけど、かなりホッとしました。あんな風に見ず知らずの人にメール送ってくるのが本気だったらかなり怖いし、いたずらも目的が分からなかったら、気味が悪いし・・・。しかし何で私のメールアドレスが男のものと思ったんだろう・・・。女らしいと思ってたのに・・・!!??
Dec 11, 2004
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日本行きの話が本格化して、私にもちらほら仕事の話が来ている。一応何件か面接できるようにしておいて、1月中旬に日本へ一度行って、準備をしてくると言う計画になっている。日本での住居、子供たちの保育園、家電などの購入・・・考え出したらきりがない。何とかなる。そう思って、今まで来たけど、どうしても不安がぬぐいきれない。一番の不安はパパ。しばらくは私が一人働き、パパは家にいる、と言う生活になるだろう。初めて日本に来て、右も左も分からないのに、いくら日本語が話せるからと言って、すぐ働けるわけがないし、新しい環境にすぐ溶け込む性格でもないパパ。ゆっくりパパのペースでなれて行ってくれれば良いと思ってる。でもこの「私が働き、パパが家にいる」と言う状況、アメリカでも一度あったんだけど、最悪な結果に終わったのだ。その悪夢がよぎる。と言うのはパパが言い出したからだ。「今度あんな事あったら、きっともうやり直せないよ」その当時、私はカレッジを終えて、やっと探した病院で勤務を始めていた。パパはまだ学生。試験やレポートで追われるのに、学校が終わると私は仕事に向かう。その時イパルは2歳だった。午後はそんなイパルと向き合いながら、自分の勉強もしないといけない、そんな切羽詰った毎日だった。そして妻が働くと言う事実。正直、男の人にはおもしろくない状況だ。自分が働いているならまだしも。私はそんなパパの気持ちを理解してるつもりで、できるだけ食事の用意はしていき、家の事をせずにいられるように気を遣い、仕事で疲れてもグチを言わないようにして、パパがもっと大変だよね~と思うようにしてきた。でも、パパにはあまりその私の気持ちは伝わってなかったらしい。病院から帰ってくると、パパのむすっとした顔。一言も口を利いてくれない。何があったのか、どうして気分が悪いのか、聞いても無視。その内聞くのが怖くなった。家に帰るのも憂鬱だった。会話が確実に減った私たち。もともとパパが突然むすっとして、聞いても何があったか教えてくれない。それでも何とか乗り切ってきていたけど、その時は私ももう限界だった。どうでも良くなってしまうと、あとは気持ちがサーっと冷えていくのだ。もう戻れないと思えた。その時は離婚の話まで出た。私は離婚したいと言った。最後にパパが折れた感じだった。(もちろん、それから今までこのことで文句言われてるけど^^;;)パパの気持ちは分かる。分かる努力もしていた。でも一度だってパパが私の気持ちを理解しようとしてくれなかった。パパから見える私の態度だけを見て、ただそれを責めていた。パパにそんな風に見せる私が悪い、と。結局今でもあの時の責任は私にあると言う。お互いに未熟だったとは思わないみたい。だから私に言う。「またあんな事になったら知らないよ」と。日本行きを決めてからも、私は何度となくパパに聞いている。本当に行くべきか、と。韓国に残るという事も考えなくて良いのか、と。再来年アメリカに行くまでの話だから、辛抱できるし、日本に一度も住まないのはもったいない話だから、行く方が良いだろう、という。でも、日本に行ったら何でも良いからやれることやって、私たちだけで頑張ってみよう、そんな意気込みは聞こえてこない。もちろん心の中ではある程度の覚悟をしているんだろう、私にしか言えないから、どうしてもネガティブな事ばかり口にするんだろう・・・そうは思ってるんだけど。私も同じように不安なのだ。日本に行ったら全て私にかかってくる。そして頼れる家族もいないのだ。私にまかないきれるだろうか、そんな不安がいつもある。でも言えない。 パパまで不安になるから。だから口だけでも良いから、「大丈夫だよ、俺たち二人で頑張れば」なんて言ってほしいのに。そんな気持ちが常に付きまとっていた。だからだろう。先日たわいのないことで、言い合いになった。私は普段心の底で思ってることを隠しながら冗談みたいに返していたけど、それがかえって毒がある言い方になった気がする。ちょっとおちょくったような、そんな言い方だったかな、と思い返して反省した。私の心に余裕がないみたいだ。心配事は山ほどあって、暇さえあれば、インターネットで検索してる。楽天なんて余裕がないから素通り。そうして見てたって答えは出てこないのに、調べてはブツブツ・・・。パパに相談できないからなお更だ。言ってみた所で、頭が痛いと逃げられる。あまり日本行きのこと話してると「日本にすごく行きたいみたいだね」と皮肉交じりに言われてしまう。そろそろこの日記に白状した事だし、自分の心の余裕を取り戻さないと。何とかなる、よね?続きます。
Dec 10, 2004
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