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和訳をしてみた。英語から日本語に訳すのは私が一番苦手としてる事なので、うまくできたとは思わないけど、英語を読まない人にも読んでほしいなと思って訳してみた。どうか英語のオリジナルも読んでみてほしい。英語にしか表せない切実さがあるから。13歳の子供にある視点からの、13歳にしてはびっくりする位よくかけてるエッセイだと思う。イラクに爆弾を落とす事、その事を考える時、人々の頭に描くのは、軍服を着たサダム・フセインや黒いひげを生やし銃を担いでいる兵隊たち、もしくはそれともアル・ラシッドホテルのロビーの床に「犯罪者」という言葉と一緒に描かれたジョージ・ブッシュ元大統領のモザイク、そんなところだろう。でも知ってる?イラクの2400万人の人口の半分以上が15歳以下の子供たちだって。1200万人の子供たち。私のような子供たち。私はもうすぐ13歳だから、私より大きい子もいるし、小さい子もいる。女の子じゃなくて男の子、赤毛じゃなくて栗毛かも。でも私みたいな子供たち。だから私を見てみて。よーく見てみて。だってイラクに爆弾を落とそうと思ったらまず私みたいな子供たちの事を考えないといけないから。あなたが破壊しようとしてるものは私みたいな子供たち。もし私がラッキーだったら一瞬で殺されるだろう。91年の2月16日にバグダッドの防空壕で「スマート(高性能)」爆弾に殺された300人の子どもたちみたいに。その爆風はあまりにも激しい火事を引き起こして、そこの母親と子供たちは焼き付けられてしまった。”勝利の勲章”としてそこの壁からいまだにクロ焦げになった皮膚を引き剥がす事もできる。でももしかしたらあんまりラッキーじゃなくてじわじわと死ぬ事になるかも。バグダッド子供病院の”死の棟”に今まさにいる14歳のアリ・ファイサルのように。アリは湾岸戦争のミサイルの劣化ウランの犠牲になって悪性リンパ腫(癌)になった。もしかしたら苦痛にあえぎながら見捨てられて死んでいくかも知れない。まるで18ヶ月のムスタファのように。彼の重要臓器は寄生虫に食いつぶされてしまった。信じられないけど、ムスタファはたった25ドルの薬さえあれば治ったのだ。でも制裁のせいでそんな薬はなかった。それとも死なないかも知れない。その代わり外見からは分からない心の傷を背負って生き続けることになるかもしれない。サルマン・モハメッドは1991年に爆撃された時に妹たちと生きながらえた時の恐怖をいまだに忘れられない。サルマンのお父さんは家族全員を同じ部屋に寝かせ、生きるときも死ぬ時も一緒であるようにした。彼はその時の空襲警報の悪夢から逃れられないでいる。アリのように孤児になるかもしれない。アリは3歳の時に湾岸戦争でお父さんが戦死してしまった。アリのお父さんのホコリだらけになったお墓をこすりながら「パパもう大丈夫だよ、もう出てきて良いんだよ。パパをここに閉じ込めた人たちはもう行っちゃったんだよ。」とお父さんを呼んでいる。3年間も。でもね、アリ。違うんだよ、その人たちは又戻ってきたみたいなんだ。ルアイ・マジェドのようにバラバラにされることもなく無事かも知れない。ルアイは湾岸戦争を学校にも行かなくていいし、夜更かししても良かったと記憶している。でも今になって、学校に行かなかったルアイは道端で新聞を売りながら何とか生活をしようとする羽目になった。彼らが自分の子供たちだって想像してみて。姪や甥、もしくは近所の子供たちだと。自分の息子が手足を切断されて苦しみ叫んでいるって。なのに、痛みを和らることも何もできないって想像してみて。自分の娘が崩壊されたピルの瓦礫の下から救いを求めてるのに、手が届かないって。自分が殺されるのを目の当たりにした後、行く先もなくお腹をすかせ一人ぼっちでさまよっている自分の子供を想像してみて。これは冒険物の映画でもないし、ファンタジーやビデオゲームでもない。これがイラクの子供たちの現実なんだ。最近国際機関の調査員がイラクに出向き戦争になるかも知れない現実がどれほどイラクの子供たちに影響を及ぼしているか調査した。半分の子供たちがこれ以上生きることの意味がないと言っていた。本当に幼い子供たちですら戦争のことを知っていたし、心配していた。アッセムという5歳の子:「銃、爆弾、それに冷たくなったり熱くなったりする空気。僕たちはすっかり焼かれちゃうんだ」10歳のアエサルはブッシュ大統領にどうしても伝えたいメッセージがある。「たくさんのイラクの子供たちが死ぬでしょう。大統領はテレビでそれを見てきっと後悔するはずです。」私が小学生の時、他の友だちと問題が起きたら、叩いたり悪口を言ったりしないで話をし、「”I(私)”メッセージ」を使いなさいと教えられた。この”I”メッセージとは相手に自分のしたことが”私”の気持ちをどんなに傷つけたか分からせる方法だ。今度は私が”I“メッセージを送る番だ。ただ今回は”We(私たち)”メッセージとして。イラクにいる希望を失ってただ悪い事が起こるのを待っているだけの「私たち」として。何一つ決定する事もできないのにその結果起こる苦痛をすべて背負わないといけない世界中の「私たち」として。声があまりにも小さくて遠すぎて届かない「私たち」として。明日生きられるか分からなくて恐怖に震えているんです。 誰かが私たちのことを殺そうとしたり傷つけようとしたり、私たちの未来を台無しにしてしまう事に怒ってるんです。次の日も私たちの傍にいてくれるパパとママがほしいだけなんです。そして、分からないんです。何を私たちが悪い事をしたのか。
Jun 30, 2004
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When people think about bombing Iraq, they see a picture in their heads of Saddam Hussein in a military uniform, or maybe soldiers with big black mustaches carrying guns, or the mosaic of George Bush Senior on the lobby floor of the Al-Rashid Hotel with the word "criminal." But guess what? More than half of Iraq's 24 million people are children under the age of 15. That's 12 million kids. Kids like me. Well, I'm almost 13, so some are a little older, and some a lot younger, some boys instead of girls, some with brown hair, not red. But kids who are pretty much like me just the same. So take a look at me? a good long look. Because I am what you should see in your head when you think about bombing Iraq. I am what you are going to destroy. If I am lucky, I will be killed instantly, like the three hundred children murdered by your "smart" bombs in a Baghdad bomb shelter on February 16, 1991. The blast caused a fire so intense that it flash-burned outlines of those children and their mothers on the walls; you can still peel strips of blackened skin -- souvenirs of your victory -- from the stones. But maybe I won't be lucky and I'll die slowly, like 14-year-old Ali Faisal, who right now is in the "death ward" of the Baghdad children's hospital. He has malignant lymphoma -- cancer -- caused by the depleted uranium in your Gulf War missiles. Or maybe I will die painfully and needlessly like 18-month-old Mustafa, whose vital organs are being devoured by sand fly parasites. I know it’s hard to believe, but Mustafa could be totally cured with just $25 worth of medicine, but there is none of this medicine because of your sanctions. Or maybe I won’t die at all but will live for years with the psychological damage that you can’t see from the outside, like Salman Mohammed, who even now can’t forget the terror he lived through with his little sisters when you bombed Iraq in 1991. Salman’s father made the whole family sleep in the same room so that they would all survive together, or die together. He still has nightmares about the air raid sirens. Or maybe I will be orphaned like Ali, who was three when you killed his father in the Gulf War. Ali scraped at the dirt covering his father’s grave every day for three years calling out to him, "It’s all right Daddy, you can come out now, the men who put you here have gone away." Well, Ali, you’re wrong. It looks like those men are coming back. Or I maybe I will make it in one piece, like Luay Majed, who remembers that the Gulf War meant he didn’t have to go to school and could stay up as late as he wanted. But today, with no education, he tries to live by selling newspapers on the street. Imagine that these are your children -- or nieces or nephews or neighbors. Imagine your son screaming from the agony of a severed limb, but you can’t do anything to ease the pain or comfort him. Imagine your daughter crying out from under the rubble of a collapsed building, but you can’t get to her. Imagine your children wandering the streets, hungry and alone, after having watched you die before their eyes. This is not an adventure movie or a fantasy or a video game. This is reality for children in Iraq. Recently, an international group of researchers went to Iraq to find out how children there are being affected by the possibility of war. Half the children they talked to said they saw no point in living any more. Even really young kids knew about war and worried about it. One 5-year-old, Assem, described it as "guns and bombs and the air will be cold and hot and we will burn very much." Ten-year-old Aesar had a message for President Bush: he wanted him to know that "A lot of Iraqi children will die. You will see it on TV and then you will regret." Back in elementary school I was taught to solve problems with other kids not by hitting or name-calling, but by talking and using "I" messages. The idea of an "I" message was to make the other person understand how bad his or her actions made you feel, so that the person would sympathize with you and stop it. Now I am going to give you an "I" message. Only it’s going to be a "We" message. "We" as in all the children in Iraq who are waiting helplessly for something bad to happen. "We" as in the children of the world who don’t make any of the decisions but have to suffer all the consequences. "We" as in those whose voices are too small and too far away to be heard. We feel scared when we don’t know if we’ll live another day. We feel angry when people want to kill us or injure us or steal our future. We feel sad because all we want is a mom and a dad who we know will be there the next day. And, finally, we feel confused -- because we don’t even know what we did wrong.
Jun 29, 2004
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夏休みも近くなったからか、幼稚園で授業参観があった。去年の夏に4ヶ月ほど通って、その後今年4月からまた通い始めている。同じ幼稚園だけど、去年と経営者(園長)が代わったので、名前も先生たちも全然違う。去年の参観日にハルモニと行った時は、正直言ってがっかりしたものだ。狭い教室に15人くらい園児がいる。先生は二人いるけど、はっきり言ってマネージできてない。そんな狭いところで体育までやってるのを見て、本当に通わせたくなくなってしまった。 今回同じ幼稚園にまた通わせるのも、あまり気が進まなかったけど他の幼稚園も大して代わらないとの事。今回の参観日はあまり期待していかなかったからかな。思ったより安心して帰ってきた。担任の先生による授業(主にハングル)、英語の先生による授業(韓国人の先生だけど一応英語のみで授業)、体育の先生による授業(外に出てやっていた)を一通り見て帰ってきた。イパルの一番の友だちは男の子たち。クラス15人ほどの中に女の子が4,5人しかいないからか、もっぱら仲良しの子は男の子だ。どんな子達と仲良いのかな、と思い名前で探してると、ハルモニガ手っ取り早く「イ・サンホ~!!オディヤ~(どこ?)」「ピルグ~!!」と大声で呼んで話しかける。後からはその辺にいる子供たち捕まえて、「ノ、ウェ オンマ プットゥゴ イッソ?」(お前は何でお母さんにくっついてるの)とか話しかけ始めた。こういうのはハルモニの十八番。途端に雰囲気がフレンドリーになる。イパルは他の子より遅れをとっているものの、何とかついていっていた。韓国語もずいぶん上達したものだ。ハングルを習うのを見てたら、このままここにいたらこうやって他の子と同じように韓国人になっていくんだろうなぁと思った。今のイパルは、どこに行っても他の子より遅れているようでかわいそう。多か国語をする子供たちってある意味仕方ないんだろうけど、イパルがその内劣等感を感じたりしないか心配だ。アメリカにいるときも英語がもちろんほとんど話せなくて、最初大変そうだった。でもアルファベットを書いたり、ビデオで一番理解するのは英語だ。日本語は私もパパも使うから、一番理解してる言葉だけど、ひらがなまでまだ知らないし、話したら歳より幼く感じるのは否めない。韓国語は一番目覚しく伸びてるので、話すのはどの言葉より上手かも。だけど理解力は日本語よりは劣る。でも場所がアックジョンのせいか、こんなイパルがかえって人気だそうだ。言葉はクラスメイトよりできなくても、他の子と一緒になって遊んで、学んで、楽しんでるので、イパルは何とかやっていけると感じた。
Jun 25, 2004
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愛なんていったら大げさかも知れないけど・・・今朝、ハルモニに怒られた。私の失敗だった。朝、イパルとホパルを連れてアパートの下まで行った。幼稚園バスが階下まで来るので、乗せるためだ。いつもだったら自分でかばんを持つイパルなんだけど、今日はどこかに行くので、おやつやジュースなども入っていて重かったからか、私に持ってと頼んだ。さあ、バスが来てあわてて遊んでるホパリを抱っこし、イパルを急かせた。いつもと違う先生が今日はお迎えだった。段取りが違うのでなんだかアタフタして送り出してハッ。かばんを渡すの忘れた。あわてて追いかけたけどバスが気づかずに行ってしまった。普通だったら、この後パパも準備して私とパパは学院へ、ホパリはハルモニに預ける予定。パパに説明して、パパに「何やってんだ」と怒られつつ、ハルモニに連絡。その後ハルモニから電話あってハルモニのアパートへ行くように言われた。何がどうなったか詳しくは教えてくれないけど、怒られてるので何も聞けない。そのままハルモニのアパートに行くと、私の車に乗って、「カジャ」と言った。「子供の食べるもの、渡すの忘れてどうするの!!」乗ってすぐさま怒られた。「他の子がみんなお菓子を持って食べようとしてるかも知れないのに、イパルがどれだけ悲しい思いをしてるか!」ドジな私なので、よく何か忘れたり色々するけどハルモニはあまり何も言わない。だけど子供の、特に食べ物に関しては別だ。ハイ、すみません、ハルモニ・・・。オンマたるもの、子供の持ち物くらいしっかり管理してあげないと、そうですね。イパルはきっと平気だろうと知ってる。オンマが持ってきてくれるからと聞けば、泣いたりぐずったりしないはずだ。それはイパルが生まれてから今まで食べ物で悲しい思いをしたことないから。今食べれない事が、この先も食べれない事じゃないのも知ってる。物が不足してた時代の子供との大きな差だ。それでもハルモニの言葉に深く反省した。その後、昼の準備してると、ハルモニから電話。私の腰痛がどんどん悪化してる事をパパから聞いたみたい。「そっちに行って家でできる腰痛運動教えてあげたいんだけど、まだゴモ(パパのお姉さん)が起きないのよね。こっちがすんだら行くから。」ゴモは寝たきりなので、ハルモニが全部お世話をしてる。だからハルモニもずっと腰痛もちで過ごしてきた。だから余計に私の腰痛が気になるようだ。手がちょっと空いたら横になりなさいとか、細々アドバイスをしてくれて電話を切った。私の母ならどうするかな。家の母は運動がとかわざわざ教えに来たりはしないだろう。もちろん心配する気持ちは変わらないんだけど。ハルモニにはハルモニの特別な愛情表現がある。それは家族にしか見せないもの。パパや子供たちにはもちろん、私にさえもその愛は注がれる。娘にはなれない。そんな境界線があるのは知ってる。だけど嫁として、本当にかわいがってくれてるのは肌で感じる。結局午後になって来て、一緒に腰痛体操をした。「これだけ動くんなら大丈夫よ。これからは絶対無理しちゃ駄目よ。」と念を押された。
Jun 24, 2004
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つい1時間ほど前、午前2時ごろ金鮮一さんの死亡が確認された。流れから見ても、日本人の時のように殺害されずに無事救出されるんじゃないか、そんな期待をしてたのに。テレビでは、顔に布をグルグル巻きにして銃を持ったテロたちの前に目隠しをして座らされた金さんがいた。声は出てなかったけど、口の動きで「Please! I don't want to die!!」と何度も叫んでいるのが分かった。どんなに怖かっただろう。なぜ罪のない人を…。テロリストにそんなことを言っても通用しないのだろうが、同じ人間なのにと思う。金鮮一さんのご冥福をお祈りします。**************************すっかり怒りモードだ。何でウリナラサラム殺さないといけなかったんだ、と。本当に「何で」という疑問は分かる。色々解釈されているが、このテロリストたちにそのような論理があるんだろうか。「クロン サラムドルリ カマニナドモ アンドウェ(そんな人たち、そのまま放っておいちゃ駄目だ)」とハルモニもパパも言っていた。それはそうだ。できることなら捕まえて罪を償ってもらいたい。だけどそのために韓国軍が行って戦うのはどうだろう。今はイラクと戦争だ!と声をあげる人が後を絶たない。だけど、もしそんな風に行って、戦って、結局また犠牲になる韓国人とその家族が増える事になるんじゃないか、私はそれが心配だ。どうか韓国、あまりにも感情的にならず、本当に韓国にベストな道を選んでほしい。これ以上こういう非情なテロリストの犠牲者を増やさないように・・・。
Jun 22, 2004
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ハルモニの家でパパが教えてくれた。先日のアメリカ人の犠牲者のことが思い出される。ブッシュ大統領のコメント、日本人人質の時の小泉首相のコメントもついでに思い出される。おんなじコメントをノムヒョン大統領も言っている。「テロには屈しない」外交、同盟の関係で難しい立場に日本も韓国もいるのは分かる。特に韓国は反米感情はますます高まる中、米軍に大幅に撤退される事で国内の安全への不安も増している。でも簡単にその一言を言ってほしくないなと思う。その一言がテロたちを刺激して、もし人質が危険な目にあったらどうするのだろう。ブッシュも同じ。「犠牲者には大変気の毒だ、これからこのような犠牲者が出ないように・・・」こんなコメントを聞くと、この際犠牲者の一人や二人仕方ないみたいに聞こえる。もともとこの戦争に反対なので、この残虐なテロたちの行為はもとより、各国の政府の対応のほうに怒りを覚える。英子ハルモニの意見はいたって単純だ。「私たちはイラクを助けに行ってるんじゃない、戦争に行ってるんじゃないでしょ。なのに、何でウリナラサラム(韓国人)をひどい目にあわせるのか。」と怒りはイラクへ。もちろんこの残虐な行為はイラクの一般人ではなく、特別な武装グループによるものだ、とか、イラクの人たちにはいくら戦争をしに行ってなくても米国への協力として行く韓国軍は同じと見られるかも知れないことなど、そんなことは頭にない。ただイラクが何で韓国にひどい事をするんだ、という意見だ。本当にそんな風にシンプルに考えて、いっそのこと撤退しちゃって、後からまた派兵するなり何なりできればいいのに。民間人を犠牲にするなんて卑怯だ、ってテロの奴らに言ったって通じるわけがない。だったら最初からテロなんてしないわけだから。「テロには屈しない」言葉は立派だけど、それがどんなに難しい事か、どんなに犠牲を伴う事か、果たしてそれがいつでも正しい事なのか、私は疑問に思う。
Jun 21, 2004
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英子ハルモニは骨の芯まで韓国人って感じなので、大抵何でも結論は「ウリナラ(韓国のこと)が一番!」ってなる。もちろん、韓国への不満はたくさんある。口癖も「モッサロ(生きていけない、住めない)」だ。そして他の韓国人と同様、外国のものが好きでもある。特に日本の物は妙に信用されている。私が結婚してきちんと顔を合せたのは、韓国で結婚式を挙げるとき。そのために1ヶ月韓国に滞在した。多分初めてこんなに身近に日本人を見たハルモニ、それからその日本人ミョヌリ(嫁)を見に来たハルモニの友人たち。まず言われたのは、「インサ チャレ(挨拶が上手)」だ。「日本人は本当に挨拶をよくするわねぇ。」とよく言われたものだ。普通の挨拶を普通にしただけなんだけど、韓国人にはそう見えるらしい。そして日本人は控えめで静かだと思われる。それはそうかも。初めて両親のお家に滞在して、あまりのうるささに頭が痛くなることも多かった。とにかく声が大きいのだ。しかも同時に違う相手と全く違う話をしてるので、頭の中が滅茶苦茶だ。一言も話してなくても、知らない間に疲れてため息ついてたりした。そして日本人はきれい好きで、マナーを良く守ると思われている。韓国人のマナーの悪さを見ると、必ず「日本人の前で恥ずかしいわ、全く」と文句を言ってる。もちろん、私の前だから日本人の悪いことはあまり言わないのだろう。だけど、こんなにいいイメージを持ってくれている韓国人って少なくない。それに引き換え、日本人はどうだろう。先日テレビ番組で日本人が見る韓国人、韓国人が見る日本人の比較をやっていた。韓国人から見た日本人の印象、第1位は「親切だ」だった。意外だなぁと思ったものだ。日本人って冷たいと私は思ってたから。むしろ、韓国人の方が親切だと思っていた。何はともあれ、韓国人の持つ日本人のイメージって結構良い。できればそのイメージを崩さない私たちでいたいものだ。英子ハルモニに関しては私が責任を持って日本人の良いイメージをキープできるように頑張ります^^
Jun 20, 2004
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韓国人は基本的にせっかちだし、待つのが好きじゃない。その中でも先陣を行くのがウリハルモニだろう。朝からパリパリ(早く早く)動いて、ミリミリ前もって準備するのがハルモニのスタイル。ベッカジョン(百貨店)も開店前に行って、開店とともにサーっとまわってくるのが好き、と言う。私たちがアメリカにいた時、Ziさんが一人韓国に1ヵ月半夏休みで帰った。その時も着いて1週間後には帰る荷造りをしろ、とせかす毎日。ハルモニがアメリカに遊びに来るときも、行く1ヶ月前から「ミリミリ」準備を始めてたらしい。そのせいでせっかく荷造りをした荷物を出したりしまったり。挙句の果てにはハラボジが「いい加減しろ!」と怒った。でもアメリカに着いて2日後には帰る準備をやっぱりしてた。もともとのんびりマイペースの私は、ここでもやっぱりのんびり。それでも、ご飯の支度などはパリパリするようになった。じゃないとハルモニが「ミチゲッタ(going crazy)」なのだ。全然余談だけど、道路の停止線を全然守らない韓国のドライバーに新しいルールができて2週間。守らないと罰金なのだが、すでに以前と同じ状態になってしまったそう。罰金もなんのその。やっぱり車もパリパリ行かないと駄目なんだろうな。でも最近は前の車が行かないからってクラクションを鳴らす事は減ったかな。でも赤信号なのにジリジリ前進するのはやめようよ~と思うんだけど。古いけど「狭い韓国、そんなに急いでどこへ行く」じゃない?
Jun 19, 2004
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ハルモニ世代の良いと思われた育児のあれこれ、現代の育児では否定される事が多い。せっかく教えてくれる事なんだから、なるべく試してみる事にしてるけど、韓国ならでは(?)のある事に常々「ホントかぁ?」と思う事があった。それは、生まれた赤ちゃんの乳首はつまんで出してあげないといけないという事。それもかなり痛そう。でもそれを生まれてすぐやってあげないと、乳首が引っ込んだまま出てこなくて格好悪い乳首になる、女の子は後で授乳ができない、と言うのだ。そんな事しなくても出てくるんじゃない? と思ってたけど、あまりにも自信もって言うし、言う事聞かなくて、ほら!って言われるのも嫌なので、下の子の時はやってみた。ところが、最近テレビでクイズみたいにやっていたんだけど、これってやっちゃ駄目なんですって。私の長年の疑問に答えてくれて(しかもやんなくても良いって教えてくれて)ありがとう!!そして今でもハルモニが絶対信じてくれない事。それは、お腹の赤ちゃんもしゃっくりをするという事。下の子がお腹にいる時から散々言っても、笑って何を馬鹿なことをって感じで信じてくれない。「お腹であくびもするのか~」なんて言う。お願い!これもテレビでやってほしい!!
Jun 17, 2004
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イパルを産んだ後からずっと続いている腰痛。今まではごまかしごまかしできたけど、最近ず~っと痛いのが気になる。やっぱり今のうちにちゃんと治さないとと思い、英子ハルモニと一緒にあるカイロプラクティックの先生の所に行くことになった。ハルモニも長い看病生活のせいで体のあちこちが痛い。特に腰痛はひどくて、この先生のお世話になるようになって14年だそうだ。効き目は抜群、しかも他の所より料金がかなり良心的(他所は5万ウォンくらいかかるらしいが、この先生は1万ウォン!!)。なので、行ければいつでも行きたいところだけど、何しろ遠い。しかも車で行くには住んでいる場所がごった返しでかなり不便。そんなわけで、ハルモニと二人、バスと地下鉄を使っていく事になった。恥ずかしい話だけど、韓国に移り住んで1年、バスも地下鉄も1、2回程しか乗った事ない。まず、バスの停まり方からしてびっくり。バス停に近寄って停車なんて事はなくって、バス停の位置くらいかなぁと思ったらそこでストップ。他のバスも続けて停車。待っている人達は自分の待ってるバスに向かって一斉に走る。ちょっとでも遅かったらドアが閉まっちゃう。だから、ハルモニと私もあわてて飛び乗った。バスに乗って料金を、と思ったら急発進。日本みたいに「危ないので手すりにおつかまりください」なんて放送も、みんなが落ち着くまで待ってくれる時間もない。しかもすごいスピード。他の乗用車なんかよりはるかに早い。バスの騒音の中、バス停の案内が流れてるみたいだけど、全然聞こえない。これは、私一人ではとても無理だぞと思ってしまった。案内じゃない時は、最近の音楽らしきものが流れてるけど、はっきり聞こえないしバスの騒音と混ざって正直うるさいと思ってしまった。ハルモニが「次だよ」と教えてくれた。あまりにも急発進、急ブレーキなので、ハルモニも私も到着するまで座っててそれから降りようとしたら、せっかく開いたドアが閉まっちゃう。どうやら待ちきれなかったみたい。「降りますよ~!!」と叫んでまた開けてもらった。韓国のバスの教訓:ゆっくりのんびりでは自分の乗りたいバスも降りたい停留所も過ぎて行っちゃうぞ地下鉄2号線(だったか?)宣陵駅(字あってるかな)からは地下鉄。私のために切符を買ってくれるが、700ウォンと書いてあるもの2枚。帰りも使うからね、と渡された。あ~日本と違って、何駅からいくらとか書いてないのね、どこで切符買ってもいいのね、と感心してしまった。そこからかなり長い間乗る。どこの駅名も興味あって、キョロキョロ。やっとソウル大入口に着いて降りる。日曜日午後なのでかなりの人ごみ。しかも家の近所とは全然違う雰囲気で並ぶお店も興味深い。相変わらずキョロキョロしながらバス停を探し、さらにバスに乗る事しばし。このバスは案内の放送もない。だから初めて乗る私たちには一体どこで降りたら良いか分からない。バスの運転手さんに「OOで降りますから教えてくださいね。」とハルモニが言ってた。う~ん、アメリカ式だわぁ。アメリカのバスも放送なんてなくって分からなかったらあらかじめ運転手さんに伝えたものだ。やっとカイロプラクティックの先生の家に着く。この先生、昔は何人かと一緒にクリニックを開いてやっていたらしいけど、やり方が合わなくって一人抜け出し、経済的に難しくて今は自宅で患者に来てもらってやっている。しかし、この先生はすごい。足の開き具合、曲がり方などからどこが悪いか、どこが痛いかすぐ分かっちゃう。そしてグキッグキッとやったら、その痛みが消える。もちろん、一回で直るものではない。だから何度も通わないといけないけど、とりあえずその場ではス~ッと体が軽くなる。二人とも治療を受けて、帰りは教えられた違うルートで帰ってきた。同じようにバスに延々と乗って、終点で降りる。降りたところから地下鉄駅までの案内が全然ない。ハルモニがあちこちに聞きながら、人ごみを行った。途中にはかわいいヘアアクセサリーの小店や、小中学生の好きそうな小物のお店など、イパルが見たら大興奮しそうな店をチラチラ見ながら、地下鉄に着いた。そこからは少し慣れた(?)道。最後のバスを降りて、ギャラリアの前に着くと、またまた違った意味で混雑してる。車のタイヤをきしませながら交差点を曲がっていく2台の外車を見ながら「ここは車がうるさいね」とハルモニが言った。でもさすが1年住んだ場所だ。帰ってきたら結構ほっとしてしまった。あ~疲れた。
Jun 8, 2004
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以前にも書いたが、英子ハルモニはプサン出身。プサンは日本から近いからか、ソウルの人たちより日本語の単語をよく使う。「手すり」「袖なし」「ひやかし」などなど。特に衣類に関する単語はほとんど日本語だったとか(昔)。だから、「ボタン」「ポケット」「えり」「袖」「モンペ」など韓国語の会話の中で突然聞きなれた単語が飛び出してくるのだ。だが、時々日本語じゃない日本語も出てくる。ハルモニが、「あんたこれも知ってるでしょ?」と自慢げに言う言葉の数々に「???」という単語がある。一番印象的だった日本語じゃない日本語。それは「カンターウック」英子ハルモニが自信を持って私に言った言葉。はっきり言って、最初何を言ってるのか全然分からなかった。え?韓国語じゃないのって感じで。聞きなおしたので、ハルモニも「オ?イサゲ?(おかしいな)」と感じたらしい。また「カンターウックよ・・・」とちょっと遠慮気味にいう。「カンタ?ウック??」まさに「?」マーク付で何回も聞きなおしたため、とうとうハルモニガ笑い出した。「日本語なんだってば~。」でも私聞いたことない。とうとうパパも笑い出した。「ムスン イルボノ イルボンサラミ モルニャ?(日本人の知らない日本語って何だよ的な意味)」それからも時々「カンターウック」が話の途中に出てくる。意味としてはワンピースみたい。だから最近は「簡単服」って事?と勝手に思ってるんだけど、昔はワンピースのこと簡単服なんて言ったのかしら?誰か知ってる人いないですかね~。ちなみにそれ以来、ハルモニが日本語だと言って私に言ってみて「?」的な顔をすると、笑い出して「これも日本語なのよ~!」ととりあえず主張するのだった。
Jun 7, 2004
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それは、何でもない電話での会話だった。肩こりがひどいハルモニと腰痛が治らない私が、ハルモニご用立つのカイロプラクティックの先生の所に明日行こう、と言う話で、何時にしようかと言う事から始まった。ハルモニは常々うちが週末ゆっくりしてるのが好きじゃない。朝からパリパリ(早く早く)動かないと駄目だといつも言っている。だけど、Ziさんはゆっくりしたい。子供たちはいつもどおり起きるけど、パパがゆっくりする為に、土日は行動が午後からになる。そして、明日の予定を話す時、ハルモニが朝一番でいくのが良いんだけど、と言ったらしい。パパとしては、朝私に行かれてしまったら、子供たちが起きる時どうするんだ、と言う話になる。子供たちの面倒は良くみてくれるけど、寝る時起きる時は私でないと駄目なのだ。パパは、昼ごはんまで済ませて1時ごろはどうかと提案した。いつもなら、「クロッケ ハジャ(そうしよう)」で終わるんだけど、なぜか12時にしようと言い出す。パパが子供たち食べさせてから言ってくれたほうが楽だ、と言っても、12時を譲らなくて、パパがついに言ってしまった。「12時と1時と何が違うの? 何で12時じゃないといけないの?」その一言で、なぜかハルモニが怒り爆発。いきなり電話を切ってしまい、電話をしてもとらない。パパもふて寝をしてしまった。少したって、パパがもう一度電話。ここで怒ってハルモニに連絡しないと、ものすご~くこじれてしまうので、やむを得ない。パパとしては、いつもと同じ様な会話の展開だったのに、何で怒っちゃうわけと思うのだ。怒った口調でハルモニが出る。どうやら外にいるらしい。こっちに寄るからということで電話を切った。待つ事30分。ハルモニは息子におもちゃを、私にサンダルとTシャツを買ってきてくれた。パパが「ハルモニガ ウェ クロッケ マニサジョッソ?(どうしてこんなにたくさん買ってあげたんだ?)」と聞くと、突然あの怒った口調で(ボリュームも迫力も満点)お前とは話さないんだとかまくし立てた。そこでパパの必殺技、「HUG」実行。ハルモニはものすごくジタバタして「ハジマ! シロ!! ノ ミウォ!!」と抵抗したけど、さらに奥の技、抱き上げちゃった。しかも、うわぁ重い!すごい激しい抵抗だ、なんて実況中継しながらやったら、ハルモニは途中から笑っちゃって、怒り終了。ハルモニにはそんな面がある。百の言葉より、一つのハグ、「ミアネ、オンマ(ごめん、母さん)」の一言。昔若かりしパパはそれができずに(分かっててもしたくない、勝手に怒ってるのはオンマだと思うと自分から折れたくない)一回けんかになると大変だった。最近のパパになったZiさんは連絡しちゃう、謝っちゃう、さっさと折れて必要以外のストレスを作らないようにしちゃう。最近のハルモニはやっぱりハルモニになってしまったんだ。パパがそんな風に折れると、「寂しいじゃない、たった一人の息子がぁ~~~~」と泣き出しちゃう。ハルモニが母現役時代は、本当に気の強い人だったらしいので、最近の涙もろさに年取ったなぁと思わずにいられないのだ。結局、後でよくよく考えたら、2時からパパは学院に出向かないといけない。もともと12時も1時も無理だったのだ。いらないけんかしちゃったものだ。
Jun 6, 2004
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韓国のアジョシ、アジュンマたちって良く言えば世話好き、悪く言えば大きなお世話っぽいところが少なくない。その世話好き詮索好きは、日本人にはちょっとひいちゃう部分もかなりあると思うけど。それはいろんな場面でお目にかかれるが、一番目に入るのは子供のことに関して。やっぱり自分がオンマになったからか・・・。結婚して子供がすぐできないと、「そろそろ子供作らなきゃ」とか、子供が一人しかいないと「二人目も早く作らなきゃ(一人目がトル(1歳の誕生日)を過ぎてなくても言われるのが普通)」、二人いても女ばかりだったら「次は男の子産まないとね(男ばかりだったらあまり言われないのが韓国の特徴)」。子沢山が当たり前、男の子を産まないと離婚される事もあった世代の年配の人たちは、そのゴールに達してない若い夫婦たちにたとえ赤の他人でもアドバイスしてあげないと気がすまないのだ。英子ハルモニも例外ではない。隣の若いオンマは男の子一人だ。会ったら必ずと言って良いほど「エ トナヤジ(子供もう一人産まなきゃ)」という。そのオンマは適当にかわすけど、毎回言われたら嫌だろうなぁと同情してしまう。一人っ子がいいのかも知れない、ほしいけどなかなかできないのかも知れない、何か計画があるかも知れない、そんな事情を配慮する事もなく、アドバイスは延々と続く。時々は女の子しかいない家庭の話を始めて「アドル ナヤデンデ~(息子産まなきゃいけないのに)」とまるで自分の子供の心配をしてるみたいに言う。家は幸い上が娘、下が息子と生まれてきてくれたので、よっぽどの事がないと3人目の話までいかないけど、下を妊娠した時、正直男の子じゃなかったらどうしようとプレッシャーだった。家族はみんな女の子でも大丈夫って言ってくれてたけど、息子が生まれた後では、「今だから言うけど、息子でよかった」とよく言われる。韓国に来てすぐ、上の娘の手を引き、下の息子を抱っこしてると知らない人から、よく「300点満点だね」といわれた。その点数基準は、上が女・下が男で300点上が男・下が女で200点両方男で100点両方女で0点そんな馬鹿な。子供でき方でこんな点数評価を、まして他人からされるなんて。こんな事情の韓国では産婦人科医師が妊婦に性別を教えるのは違法だそうだ。教えるとしても、もうすぐお産になる頃に教えてくれるそうだとか。私のアメリカ人の友達夫婦の二人目が女の子だった事を知った時も(ハルモニも面識がある)、「また女の子なんて、どうするのかね~」と何度も言う。アメリカ人はそんな事気にしないよ、とアッパが言っても、「でも息子産まなきゃ駄目よ」と曲げない。そんな場面をみながら息子を見やり、ほっと胸をなでおろすのだ。
Jun 5, 2004
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負けず嫌いと言うのかなぁ。今まで大企業で幹部にいたハラボジ。定年退職した後は他の会社に呼ばれて、今は社長さん。そんなハラボジは、誰かに負けるのも嫌い、失敗を認めるのも嫌い。時々はそんなハラボジの行動に本気でプルプルしてるZiさんだが、今回は思わず笑っちゃった。ハラボジは今まで車の運転した事なかった。英子ハルモニが5年ほど前にものすごい努力の末に免許証をとり、それからはトラックのようなSUVを運転し、ハラボジはその横に乗っているだけだった。その割にはいつも大きな口だったハラボジ。運転した事ないのに、運転の文句、アドバイスまでしちゃう。それにはいつもハルモニから文句を言われてたけど、これではいかんと思ったのか、去年免許証をとった。それから会社の車でかなりの距離を運転するハラボジ。まだ初心者なのに、と心配するハルモニを無視して、事故を怖がってちゃ運転なんかできないぞなんてのたまっている。それにしても、免許証をとってから、何回事故ったかしら。事故だけでなく、もちろんこすったり。一度本当に怖かったのは、ハラボジが車に乗れと格好良く私とホパリを乗せた時の事。他の家族が外で見守る中、ハラボジはエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。ところがエンジンの音がどんどん大きくなるだけで、車が進まない。その時点でおかしいな、とちょっと怖かった。もっと怖かったのはその後。ああ、サイドブレーキが利いたままだったとブレーキをおろしたのだ。ブレーキがかかったままエンジンの回転数だけ激しくなっていたところに、ブレーキをおろしたわけだから、まるでレーサーのような車に変身。ウィーンとものすごい音を出しながら、突然発進した。そのまま駐車でとまっていた車に衝突。幸い、横付けに駐車していた車はサイドブレーキをかけないので(車の異様に多い韓国ではそんな風に地駐車をします)、私たちに対する衝撃は少なかった。でもそのおかげで、その当てられた車はさらに違う車をヒット。みんな唖然だった。そんな恐ろしい事故を経験したあともハラボジは反省の後が見られない。そして、先日。アパートの地下の駐車場にハラボジが駐車しようとしていた。そこは1台1台に仕切られていた駐車場で、その横にいらなくなった木の板が何枚か立てかけてあったらしい。ハラボジは颯爽と車を駐車。その時にその板を思いっきり車で倒して突入。一緒に乗っていたZiさんは、「アボジ(お父さん)板に当たっちゃいましたよ。」と言った。すかさずハラボジ、「この板はいらない板じゃないか。わざと当てたんだよ、わざと。」と言ってのけた。わざとって・・・。また会社の車に傷つけておいて・・・!!ハラボジの話によると、ハラボジ専用の運転手は、ハラボジが自分で運転するときかずに、運転の出番がないらしい。その代わり、ハラボジが乗り回した後の車の傷の修理で忙しいらしい。「俺が傷つけても、来週にまた来たらきれいに直ってるよ。」運転そんな甘く見ちゃだめですよ~。
Jun 3, 2004
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昨日も書いたとおり、英子ハルモニは喜怒哀楽が激しい。嬉しい時には涙を流して喜び、楽しい時には誰よりも楽しげにケラケラ笑う。その笑い声がおかしくて笑っちゃうくらい。悲しい時や悔しい時も涙がポロポロ出るし、その姿は全身で生きていると表現してるみたい。その代わり、怒ったときはすごい。アパート中に響き渡る大声で怒鳴るのはもちろん、相手が叩こうとする真似でもしようものなら、「叩いてみな!ちょうどいいわ、あんたを警察に連れてってやれるから!ほらほら!やってみな!!」こんな感じで挑発しちゃう。今ハルモニはとっても気に入らない子がいる。ず~っと娘のようにかわいがって面倒を見てきたのだが、その恩をあだで返されたような感じなのだ。彼女の話になると、ハルモニの表情が怒りモードに変わる。「あのキジべ」って出てきちゃったら黄色信号。キジベって女の子や人の事を指すんだけど、あまり良い言葉ではないようだ。キジベって出てきちゃったら結構まずい。でもまだ赤信号ではない。「ミッチンニョ」って出ちゃったらこれは本当にやばい。直訳すると「気違い女」だ。ここまで来ると、これから先ハルモニの前を通らないほうが良いかも。それでも、ハルモニになってかなり穏やかになったようで、最近ではZiさんが嫌いなら嫌いな態度を見せなよって文句言ってしまうくらいだ。「どんなに嫌でも適当にニコニコしながら付き合っていかないと、やっていけないの。むかついても、こいつはこんなもんなんだ位思わないと。」と言う。喧嘩はする。誰とでもしちゃう。でも、必要ない争いや価値のない喧嘩はしない。だから英子ハルモニはやっぱりかっこいいと思う。
Jun 1, 2004
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