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金曜日、イパルの幼稚園は「ミンゾクノリ(民族遊び)」があった。園児たちは韓服を着て行き、幼稚園でおもちを作ったり、昔の遊びをしたりしたようだ。韓服を「シンデレラ」と呼び、着せると大喜びのイパル。着物と違って、簡単に着せられるのが好い。前の結び方がいつも分からず、同じ幼稚園に行かせるハルモニにやってもらった。 これから来週の水曜日までお休みだ。企業などは来週一杯休みというところもあるらしい。男の人と子供には楽しい秋夕。久しぶりに家族が集まり、大きい家は、本家に親戚一同が集まったりするらしい。おいしいご馳走を食べ遊べるので、パパも大好きな休暇だとよく言っていた。ところが嫁たちはそうはいかない。秋夕は嫁にとっては頭の痛い休暇。休む間もなく食事の準備をして、男や子供の世話をして、姑・義姉たちとの付き合いをしないといけない。家は親戚付き合いをしてないので、お正月も秋夕もうちの家族だけでやる。だからそういう嫁の苦労がない。準備なども全部ハルモニがしてくれちゃう。子供たちまでいると進まないから来るな、とまで言われてしまうのだ。「どうせあんたたちはアメリカに行っちゃうんだから、こんな事あまり習わなくていいわよ」と言う。どこに行ってもちゃんとやらないといけないんだ、なんて言うシオモニに比べたら、なんて天使のようなハルモニなんだろう。逆に私は少し習っておきたいんだけど、なかなかその機会がいただけないと言う、逆の副作用があるけど。秋夕には決まった料理があって、その料理がまたおいしいのだ。家はチェサ(法事)もハラボジのお母さんのしかしないので、この決まった料理って年に数回しか登場しない。中には毎月のようにチェサがあり、そのたびにこの決まった料理を準備しないといけないお家もあるので、この決まった料理をちょっとアレンジしたり苦労してる日本人ミョヌリもいるんだけど、家はその決まった料理がとっても楽しみだ。(しかも私はほとんどやらなくていい!!)でもやっぱり習いたいなぁ。そしてここにレシピを紹介したいものだ。
Sep 26, 2004
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今日はパパとイパルの誕生日。本当はパパは9月25日だけどイパルは24日生まれ。なぜ25日なのかというと、時差のせいだ。イパルはカリフォルニアで生まれた。生まれたのは24日の午後7時ちょっと前。当然Birth Certificateには24日と書いてある。日本に出生届を出した時は、そのまま24日で戸籍に載った。ところが、韓国では韓国の時間に直すのだ。24日の午後というのは韓国では25日にあたる。さすが韓国、出生日も韓国時間に直してしまうなんて!!予定日が23日だったイパルの生まれてくる日が自分と同じ誕生日だったらいいとずっと言っていたパパなので、この意外な対処に大喜びだった。「25日に生まれてたら逆にダメだったなぁ!」なんて言いながら。私は臨月に入ってだんだん「もうこのまま出てこないんじゃないか」なんて妙な心配をしてたので、一日でも早く生まれてほしかったけど・・・。5年前の今日。36時間の陣痛に私も大変だったけど、イパルも苦しかったに違いない。なかなか子宮口が開かないので、陣痛はどんどん痛くなるのに、いきめず全身で力を入れないようにこらえないといけなかった。長かったせいか、心音が下がり、まだ出てきてないイパルの頭に計測器が付き、出てきた時はもうウンチをしていた。最初の部屋もちの看護婦さんはしきりに無痛を勧めるだけで、何もしてくれなかったけど、途中から代わった看護婦さんは、無痛をしたくないという私に協力してくれ、呼吸を一緒にしてくれ、励ましてくれ、手を握ってくれた。やっと生まれたときは、自分の事のように喜んでくれてHugをしてくれた。そのまま産んじゃった私にえらく感心してくれて、勤務が終わったというのに、その後病室に移った私の所まで来てくれて声をかけてくれた。******************************今日はハルモニの計らいでイパルの幼稚園の友だちを呼び、Pizza Hutでお昼を食べ、そのあと家に子供たちが遊びに来てしばらく遊び、そのあと送りに行ったら今度はそこでイパルが又1時間くらい遊んできた。こんなによく遊んだのは本当に久しぶりだろう。あまりにも疲れたみたいで、最後はグズグズ大変だったけど、寝る時は今日もらったお人形二人を抱っこしながら寝た。お誕生日おめでとう、イパル!そして忘れられがちだけど、パパもおめでとう!今日から私と同じとしだよ、アジョシ!(パパは半年年下なのだ)
Sep 25, 2004
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韓国料理としてお馴染みの「チジミ」。パパに聞いたら、韓国ではチジミって呼ばないんだとか。なんて呼ぶのかは、忘れてしまった。だけど、このパンチャン、本当に簡単で結構お腹いっぱいの1品だ。材料はお好み次第。小麦粉に水を入れ、かき混ぜる。(かなりドロドロの程度)その中にお好みで具を入れる。家でよくやるのは、にら。ハルモニはにらだけで作るが、子供たちにあまり人気がなかった。そこで、豚肉を入れてみた。たったそれだけで、このパンチャン私に一切れも回ってこないくらい良く食べてた。肉の力って偉大なのねぇ、と思ってしまうほど。(ベジタリアンには効果ないだろうけど・・・)にらの代わりに、キムチを入れたっていいし、本当に自分の好きなものを入れて、いわゆるお好み焼きって思ったらいいと思う。家はこのパンチャン、日本のお醤油にコチュカルを少し、それから酢を少し入れたヤンニョン(たれ)を付けて食べる。 今日の昼はパパと一緒にラッポッキを作った。これはトッポッキというものにラーメンをアレンジしたものなんだけど、これが今日は大成功だった。トッポッキというのはトック(韓国のもち)をコチュジャンで甘辛くしたもので、高校生なんかにとっても人気のあるおやつメニューだ。ラッポッキも味は同じような感じ。作り方も簡単。まず、ラーメン(辛ラーメンとか安城湯麺)、ソーセージ、おでん(韓国のおでんで充分)、トック(なくてもOK))、ネギ、にんにく、コチュジャン、砂糖(出来れば黒砂糖)、水を用意する。これはお鍋のように卓上で鍋から取りながら食べるのがおいしいので、食卓でやりましょう。まずコチュジャンと砂糖とラーメンの粉スープ、水を入れる。(ラーメン二個に対して、コチュジャン大さじ2~3、砂糖大さじ1~2くらい、水はあまり多めに入れず、麺が何とか浸るかなぁというくらい、粉スープは1袋では多いかも、あまりしょっぱくならない程度に)この加減が結構難しくて、味もこれで決まる。味の雰囲気としては、甘辛。ちょ~っと気持ち甘いかなぁ位がおいしく出来ると思う。そこに麺を入れてほぐしていく。ソーセージやそのほかの材料も麺がほぐれたら全部入れてしまう。いつものラーメンよりちょっと硬めで食べ始めましょう。しょっぱかったり、水気が全然なくなってしまったら少し水を足すのもアリ。いやぁ今日のラッポッキはおいしかった^^
Sep 24, 2004
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日本行きの決心を固めたその夜、あるエージェンシーから電話が来た。韓国に来てからずっとパパは韓国のあるサイトにスカウト登録をしていた。人材を探している企業が見てスカウトできるシステムだ。登録はしていたものの、非公開にしておりそのサイトの会員になっている企業しか見れないようにしていた。そうして1年半。何も連絡もないまま過ぎていたのに、先日非公開から公開に変えたその日にエージェンシーから電話が来たのだ。そこはある紹介所で、自分たちのリストにある企業の中で、あなたにいい会社があるので、紹介したいと思うのだが・・・という話だった。話は簡単に進み、面接まで行って来た。会社は同じアックジョンにあるし、その会社はパパが興味のある貿易業の会社。面接に行ったら、そんなに悪くない雰囲気だった、という事だ。そして昨日、停滞してたビザの方が突然進みだした。アメリカの会社がのんびりだったので、今年はもう無理だろうと思っていたら、必要な書類を昨日全部弁護士に送ったというのだ。あとはこっちの書類を送るだけ。もしかしたら来年用のビザに間に合うかもしれないのだ。突然韓国での就職が可能になり、アメリカ行きも下手すれば来年に可能になり、だけど日本行きを考えてた私たち。私の心配は、やっぱり母の事。アメリカには戻りたいが、今戻ってしまったら、今度は距離的な問題で会いに行くのが難しくなる。この心配事パパにはあえて言わなかったが、パパの口から出てきた。アメリカに行ってしまったら私たちは戻ってくるつもりがない。ましてや、日本に住むチャンスはもうないと思うのだ。日本に住むなら今しかチャンスはない、とパパも思っている。パパの中ではやっぱり日本が良いんじゃないか、と思っているみたいで、心配は日本での就職だけ。でも就職できさえすれば、後々アメリカで就職を探す時にはプラスになるはずだ。両親とも韓国での就職が決まりそうになり、喜ぶかと思いきや、意外に日本行きを勧めているらしい。あとはアメリカのビザの事だけだ。初めての事だけに、ビザがいつ下りるのか、いつから渡航可能なのかなど全然見当がつかない。母の事やビザの事、仕事の事やイパルの学校の事など考えると、何をどうしたらいいのかわからなくなるけど、きっと私たちの進むべき道が自然とはっきりしてくるだろう。パパはいつも言うのだ。運命って絶対あるんだって。運命って信じますか?
Sep 23, 2004
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昨日の日記に引き続き・・・。そう、日本行きの話は以前から何度も持ち上がった。ハルモニから一度くらい日本で住んでみれば?という提案もあったし、ハラボジが聞いてきた事もあった。でも、パパがその話をするときは、両親と揉め事があった時。今回もそうだった。事の発端は、ハラボジが先週の金曜日にソウルに帰って来て、私の日本での滞在はどうだったかを聞いてきた事から始まった。その時にパパが説明の補足に、母と話せるのは多分2ヶ月くらいが限度じゃないかと思うから、家族を連れてきたかったら、遅くとも2ヶ月の間にしたほうが良いと担当医に言われたと話した事だった。今回日本に行く時に、ハルモニは家族全員で行って来いと言っていたが、母とゆっくり話すためには一人の方がいいなど数々の理由があって一人で行く事にしたのだ。それがハルモニにはもともと気に入らなかったのだろう。2ヶ月以内に又行かないといけない、という話に突然「ほら、だから言ったじゃないか。全員連れて行っておけばよかったのに、一人で行って。2ヶ月後に又行くって言うの?」と文句を言い出した。そこでパパが「もう済んだことなんだから、何度も言わないでよ、全くハルモニは・・・」と言ったのがハルモニにスイッチをONしたらしい。突然ハルモニは口調がきつく、声も大きくなった。私はフォローのつもりで「でも今回は一人で行かせてもらって本当に良かったんですよ。子供たちがいたら、母と話なんてできなかったから・・・」と言ったのがさらに悪かったらしい。私はそのあとに「今回の事本当に感謝しています」と続けたかったが、ハルモニの声に遮られてしまった。この一件で今日まで引きずっていたハルモニ。ハルモニに言わせると、自分が話してるのを遮ってまでパパが声を上げて文句を言った、そして、私までハルモニに反抗するような事を「堂々と」言ってのけた、という事らしい。全然違うのに・・・。それを聞いた時は結構悲しかった。ハルモニの事、本当に好きなので、まさかそんな意味で言ったのではないと思ってくれるかと思っていた。でも、まぁ私は仕方ない。所詮は嫁で他人だから。だけど、パパはこれが毎回の事。パパがどれだけハルモニの事、ハラボジの気持ちを考え今まで自分の人生を好きなように行かず、常に両親の気持ちを聞きながら生きてきたのに、それは絶対分かってもらえないのだ。それどころか、「この息子のせいで私はいつも悲しいんだ。母親の事を全然考えないし、一度だって私のために何かしてくれた事あるのか」と毎回言われている。私が今回がっかりしたのは、私の母のために日本に行く事が、これほど大変で難しいという事だ。あと1年生きれるか分からない母に会いに1年に2回行かせてもらって感謝しないと行けない自分がちょっと悲しくなったりしたのだ。他の日韓のカップルといえば、2,3ヶ月に1回日本に帰っている人たちもたくさんいるから、余計そう思ったのかもしれない。私の場合、遊びに行くのではないのに、と。私は心の中でひそかに思った。いっそのこと日本に行ってしまい、母に好きなだけ会いに行き、韓国の両親に日本に遊びに来てもらうほうがお互い摩擦がなくいいんじゃないか、と。母の事はさておいて、パパも同じようなことを思っていたらしい。韓国で人の目を気にしながら、両親の気持ちを気にしながら、潔く何もできないくらいなら、誰もいない日本でなんでも試してみよう、とパパが思い始めた。今日ハルモニから又二人とも散々怒られたが、今日はパパも我慢。「そうじゃないですよ~」という話がたくさんあったけど、全てハイハイと聞き流し、パパは冗談でハルモニを笑わせるまでの余裕もあった。こういう時、パパを本気で尊敬する。私が自分の母親にそんな風に言われたら、ケンカが終わったあとでも又文句を言って怒るだろう。だけどパパは一回大きな怒りが去ったら、あとは全部ハルモニの言い分を聞いてあげる。笑って冗談を言いながらハルモニの気分をよくしてあげる。自分の息子が、どんなによく出来た息子か知らないんだ、ハルモニは。でも帰りの車でパパは言った。「でも日本に行くんだ」決心は固いのか・・・・な?
Sep 21, 2004
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以前の私には「日本」という選択はなかった。韓国人の夫と日本人の私、そしてアメリカで生まれた二人の子供たち(名前は韓国名のみ)のこの家族、日本でやっていくのはとても難しいんじゃないかと思っていたのだ。一番の理由は、やっぱり夫のこと。日本にはいろんな人がいる。日本とアジア、という風に分けて考え、「アジア人」を見下したり、日本人であることに優越感を持って「アジア人」と接する人たちも決して少なくない。日本もアジアなのに変な考え方だ。見た目はほとんど変わりない韓国人だけに、同じような姿形をした(見た目は日本人のほうが小さくて細くて劣っているように見えるかも)日本人に、そのような扱いを受けるとしたら、それはとても屈辱的じゃないかと思うのだ。あまりそのような経験をしてほしくない。もっと言ったら、そのような経験をして、今ある日本に対する(決して悪くない)感情を台無しにしたくない、というのが正直な気持ちだ。だけど、最近日本に行ってもいいかなぁなんて思い始めた。アメリカ行きは、来年のビザにはもう間に合わないだろうという事で再来年に延び、もうしばらくここにいる事になった私たち。だけど、ここで何をするんだろう。ビザ的には私も働ける。だけど韓国語をきちんとできない私、しかも看護婦しか能のない私が、この年で自信を持ってできることはない。パパも韓国の会社社会に入りたくないと学院を始めたが、おかげで社会生活がほとんどない。何よりも、私たち二人が「自分たちのの力」ですることができない今の状況がとても嫌なのだ。30台の大人として、二人の子供の親として、しなきゃいけないこと、したいことは、ほとんどハラボジ・ハルモニにされてしまっている。大変でも自分たちでやってみたい。失敗しても、貧しくても、自分たちの力で試し、責任を取りたい。その思いがとうとう頂点まで達してしまった。続く・・・
Sep 20, 2004
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すっごく昔の話になるけど、パパと私が結婚しようとした時の話。ある女の子の日記を読み、書こうと思った。突然その時のことを思い出したのだ。それは、まだ私たちがアメリカにいた時のこと。私たちは94年から付き合い始めた。私は韓国人と付き合うって言う事はとっても負担だった。だってとっても真剣に見えるから。すっかり日本人の若者だった私は、付き合ってみて縁があれば結婚っていう感じで考えてたけど、韓国人って最初から結婚を意識してるように見えた。それ位男女が付き合うことに関して真面目だったのだ。(今は違うらしいですが)だから私がパパと付き合おうと思ったときは結構覚悟して決めた。生半可な気持ちではいけないと思いながら付き合い始めたのだ。パパはとりあえず私の「脚」が気に入って、どうしても彼女にしようと思っただけで、先の事は何も考えてなかったというけど、付き合い始めてからずっと24時間ほとんど一緒にいた私たちは、当たり前のように将来もずっと一緒にいるものだと思っていた。だけど結婚となると少し話は違った(らしい)。私は何の疑いもなく私たちの先には結婚があると思っていたけど、パパはその辺シビアだった。日本人との結婚は難しい、というのが彼の言い分だった。まず親が承知しないだろうという事、たとえ結婚する事になっても日本人が韓国に住むのはまず不可能、住むなら国籍も名前も変えて韓国人にならないといけない、そんなことを言い出した。何も知らない私は、自分が日本人である事を全て消さないと無理なんて・・・!!とかなりショックを受けた。自分を全て否定された気がした。そんな彼を好きになってしまった事を後悔し、そういう事を分かっていながら、私に付き合おうと言ってきた彼の事を恨んだ。最初から付き合わなければ良かったのに。彼にそう文句言ったこともある。彼は言った。「だって仕方ないよ。そんな事考える前にもう好きだったんだから」彼は付き合い始めた頃から、私の母と話したがった。母は最初戸惑いながらも彼のことを認めていた。(留学に行く前には「ブラックと中国人と韓国人は連れてこないで」などと思いっきり人種差別なことを言っていたのだが)母は何となく娘が将来の相手を決めたんだと分かっていたようだったので、何も言わなかった。ところが、彼の両親は私が彼女だという事なんて全然知らなかった。私はあくまで語学学校で知り合った日本人の友達だった。少なからず不満があったけど、韓国の両親を心配かけたくないと言われれば、何もいえなかった。付き合いが長くなればなるほど、彼以外の人と付き合うことも考えられず、かといって私たちが結婚できるという事も自信がなくなってきた。母はだんだん結婚しないの?みたいな話をするようになる。私は「まだよくわかんないよ」と力なく答えた。彼は自分の学校が終わって、しばらく働いて35歳くらいになったら結婚できるかな、なんて言うけど正直言って期待してなかった。私の中では遅くとも30までには結婚して子供を産んで・・・なんて考えてたので、結婚どころか、子供も全部無理かも、なんてかなりブルーだった。でもある時、結婚とかどうでもよくなった。ふてくされてそう思ったんじゃなくて、本当にどうでもよくなったのだ。しなくてもいい、彼といれればなんて思ったのだ。だから彼に言った。「私別に結婚しなくて良いよ。その代わり一緒にずっといてよね」でもちょっと怖かったのは、彼の両親がそろそろ彼に相手を、なんて考え始めた事。何も知らない両親は、彼にお見合い相手を見つけ始めてた。「大丈夫だよ」というけど、韓国でなら本人の意思と関係なく、親の決めた人との結婚もありえる、とその時の私は分かっていた。だんだん両親の結婚に対するプレッシャーが強くなってきた。「誰か決めて結婚しなさい」って感じで、もう逃げようがなかった。ずっと避けてきた難関。彼の中では、私とずっと一緒にいたい、だけど両親を失望させたくないという両方の気持ちで引き裂かれそうだった。日本人との結婚、これは両親にとって人生の中で最大の失望だったかも知れない。両親とも、特にお母さんの方は、嫁に対する夢がたくさんあった。いい大学を出て、いい家庭のお嬢さん。嫁のお父さんが息子の将来の力になってくれる家庭。経済的に豊かである。娘のように一緒に買い物をしておしゃべりができるお嫁さん。私はどれも当てはまらなかった。だから私のことを話したら、どれだけ両親ががっかりするか目に見えてる。しかも賛成してくれるわけもなかった。だけど話さないと、多分他の誰かと結婚する事になる。パパの一大決心だった。まずは、お父さんへの電話。話をその方向に持っていき、「実は結婚を考えている人がいる」と話した。誰だ?という質問に、「日本人のこっちに勉強に来てる人」と答えると、お父さんは気が狂ったのかと言いたげ笑い、それでも「本当なんです」と続けると、黙って切ってしまった。それ以来、しばらくはその話になると切ってしまう、という状態だった。彼の話は一切聞かない、両親ともそうだった。何ヶ月その状態が続いただろうか・・・。ある時彼が私に言った。「アボジがあなたにメール送るって。聞きたい事があるって。」その日にお父さんからメールが来た。英語で書かれたそのメールは質問状のようだった。彼と結婚したいと思っているか。韓国で暮らせる自信はあるか。どのくらいの覚悟をしているか。などなど・・・。私は、できるだけ自分の気持ちに忠実に、誠実に書いた。私の気持ちがこれで充分伝わるとは思わなかったけど、これは自分に与えられた最初で最後のチャンスのような気がしたので、精一杯の気持ちで答えた。数日たって、お父さんから電話が来た。「お前が決めたんだから、そうしなさい。」お父さんはそれから今まで一度も私との結婚のことについて、本当に何も言わない。結婚式で色々意見が食い違ったりした時も、その他私が日本人のために不便なことが生じた時も、何も言わなかった。お母さんはそういうわけにはいかない。お母さんの頭の中では、「私の言う事聞かないで勝手に決めちゃって。」という不満があるし、私のことも「仕方ないから」嫁として認めてくれているのもある。だけど娘のようにかわいがってくれている。私の家族のために心を痛め、私に何か不便な事があったらいつでも一緒に立ち向かってくれる。だけど、いつも「本当は娘のように楽しくおしゃべりできる嫁がほしかったのに」と言う。でも結婚して、あまりにも簡単に家族と認めてもらえたので、結婚前の大反対はなんだったんだろうと思ってしまうこともある。日本人にはちょっと分かりにくい感情。家族という事が何よりも大切な国。一度家族になってしまうと、今まで他人だったのが不思議なくらい近くなる。それを情ととるか、干渉ととるかは本人次第。これから結婚を考えてる日韓カップルの人たちへ。日韓に関わらず、国際結婚って思っているより大変なものです。思っている以上の反対にあう事も、そのために二人の関係まで危うくなる事もあるでしょう。だけど、一つ忘れないでほしいのは、何が大切かという事です。あなたに一番大切なのは何でしょうか。もし、それがあなたの一番大好きな彼であるなら、家族の反対も、その間のお互いの意見の不一致も、実は小さな付属物でしかないんです。結婚をゴールにしないで、一緒にいる事をゴールにしてみてください。今すぐの結論を見ないで、ずっと先の二人を見つめてみてください。多分、あきらめないですむ事もあると思うんです。アジャアジャ ファイティング!!最後はえらそうな日記になってしまいました。気を悪くされたらごめんなさいね^^
Sep 13, 2004
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飛行機に一人で乗ったのは何年ぶりだろう。少なくとも子供ができてからは初めての事だ。子供が一緒だと目に入らないものが、一人でいると良く見える。何にもすることがない2時間ちょっと。仁川空港までは順調だったのに、チェックインでものすごく時間がかかった。大した客数でもないのに、ともかく一人一人に時間がかかる。一向に進まない列にちょっと飽き飽きしながら並んでいると私たちの目の前には女の人が二人、一人は小さな子供を連れいた。二人は韓国語で話してるが、ちょっと妙だった。一人はまぎれもない韓国人。でももう一人は、すごく上手なんだけど、すごく日本人っぽい発音。最初は韓国語の上手な日本人かと思った。でもパスポートは韓国のもの。きっと在日の人かなぁなんて勝手に思いながら眺めてた。その子供がすごい。多分ホパルより何ヶ月かお兄ちゃんかな、という感じ。この子がともかく落ち着かない。もちろん、この年の男の子なんてじっとしてるわけないんだけど、本当にどこでも行ってしまう。お母さんが捕まえると、おお泣きしながらすり抜け、又消えてしまう。かなりの激しさに、隣にいたパパに「この親子同じ飛行機じゃないと良いな」なんて冗談で言っていた。ところが機内に入って「あ~あ」。まさしく隣がその親子だった。その子は相変わらず動き回っている。離陸する時ですら、じっとしてなかった。母親が何とか膝に座らせようとほとんど力ずくで押さえつけるが、ますます逆上し大泣きするだけ。母親は周りをとても気にしてた。あまりうるさくしたら迷惑なんじゃないかと。子供は本当にうるさいんだけど、その母親の気持ちがとっても分かったので、私も隣からあやしてみたり、気をそらしてみたり、色々トライしてみたけど、一瞬しか効果ない。まさに離陸という時は、母親が結局膝に無理やり座らせた。子供は母親の腕をつねった。母親はその子供の腕をつねった。子供が痛くて放すまで。やっとシートベルトのサインが消えて、子供は本格的に動き始めた。おかげで、席にはほとんどいなかったが、食事の時間になって戻ってきた。母親の食べる余裕なんかない。子供は自分に来た離乳食(何で離乳食だったのか分からないけど)には興味なく、隣の私の食事に手を出そうとしてきた。そのたびに母親が恐縮する。そんな中、母親は自分のためにビールを頼んだ。それを後ろの方に隠しながら飲んでいる。そして飲み終わったコップについてる泡を子供が一生懸命吸っていた。あまりにもびっくりして、「おいしいの?」と聞いてしまった。すると母親が「好きなんですよ、ビール。1本くらい飲んじゃうんです。本当はいけないんだけど、飲ませるとおとなしくしてるから、ついあげちゃうんですよね。飲んでもちょっとテンションあがる位かな。」と言った。ビール1本。これには本当にびっくりした。それと同時に、この子の落ち着きのない事、すぐかんしゃくを起こす事が、ビールと少なからず影響してるんじゃないかと思ってしまった。所々びっくりさせられる親子だったけど、まぁ子供が迷惑かけるのはお互い様。ホパルも今度飛行機のる時はどんな迷惑をかけるか分からない。帰りの飛行機では、日本人のダンナさんと韓国人の奥さんカップルや、韓国に留学に行く日本人などを見かけた。韓国に入国する時の入国審査も又時間がかかった。もちろん、外国人用というのは時間がかかると思うんだけど、それにしても流れが悪い。日本の外国人用より窓口はたくさんあるのに、動かないのだ。やっと私の番になって窓口に進むと交代で来たおじさんに「あ~やってられない。全然やる気ないよ、こんなの」と言っていた。そういいながら、パスポートを眺め、コンピューターを眺め、外国人登録証を眺めている。多分全部やる気をもってみれば、2,3分もあれば終わりだろうが、優に5分はかかった。今回はお迎えなし。パパが教えないといけない授業があるので、私が一人で都心ターミナルまで行かないといけなかった。今まで何回も往復してるけど、一人でバスで行くのは初めて。どこでチケットを買うのか分からずウロウロ。外の乗り場横で売っているのをみるが、どこの売り場で買えば良いのか分からずウロウロ。ちょっとやさしそうな顔のおじさんの所に行く。乗り場を聞くと、すぐ横だった。チケットを買って荷物をバスの下に入れてもらおうと待つ。人が何人かいたので、きっと順番だろうと黙って待ってたら、誰も動かないので、恐る恐る前に出てみると「そんなとこでだまーって立ってるから、分からないじゃないか」とニコニコ笑いながらおじさんが私の荷物を持っていった。あ~、韓国に戻ってきたんだな、とその時実感した。都心ターミナルからはパパの車で。運転する事15分くらいなのだが、クラクション鳴らす事数回、文句言う事数え切れない位、そして極め付けにはタクシーの運転手と窓を開けての大喧嘩。ますます韓国に戻ってきた事を実感したのだった。
Sep 12, 2004
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昨日日本から帰ってきた。短いような長いような滞在だった。母と会い、主治医と話し、弟夫婦と話し合ってきた。おかげでものすごい寝不足。おまけに、帰ってくる便は朝一番だったので、もうフラフラだった。母は元気そうだった。前より太ったし、顔色も良かった。だけど、話がほんとうに分かりづらくなった。食べさせると、口の中に食べ物が残るようになった。あんなに嫌がっていたオムツをしないといけなくなってしまった。麻痺が進んでいる。それは本当にそうなんだ、といろんな場面から分かった。まず、口周りや舌の動きが悪くなったため、言葉がうまく話せない。食べても舌が回らないので、食べたものが口の中にくっついてしまう。トイレに行って、座っていられなくなったので、オムツになってしまったと聞いた。先生からの話を伺った。7,8月でむせる事が突然増えたという。むせる事で気管支に入ってしまい、肺炎を起こすと命取りになってしまう。人工呼吸器を使わないといっている母にとっては、一番避けたい事なのだ。だから、先生としては8月中に胃ロウを作りたかったらしい。とりあえず頑なに拒否してる母には、まだしなくていいよといったらしいが、本当だったら今にでもしたい事らしい。そして先生は、そろそろ一度母と「肺の筋力が低下した時。本当にどうするか」再確認をしておいた方がいいと言われた。どんな決断をしても家族はあとで「本当にこれでよかったのだろうか」と思うものだ、だけど本人の意思を確認しできるだけそれに沿った決断をしたときは少なくとも「本人の意思に添えた」と思う事ができる。後悔しないためにも、一度話し合う方がいいと言われた。先生と話したあと、母の所に戻ると「先生何だって?」とすかさず聞いてきた。「胃チューブの話だよ」と答え、これがいい機会かもと母と話す事にした。「多分OO(弟)とは話にならないだろうし、私はあさって帰っちゃうから、今話すんだけどさ」と切り出し、胃ロウのことをまず話してみた。母は茶化してしまい、「その時考えるわ」なんて言う。私は何で今そうしないといけないのか、そうしないとどうなるのか、等など事細かに説明した。母はそんな私を見て、まるで看護婦さんみたいとでも思ったみたいで、又笑ってる。「分かったわ。」と言い、「でも、やだ」とにやっとした。でも最後は真剣な顔で言った。「わたしね、死ぬの怖くないよ。覚悟してる。私の人生、悔いはないのよ。」「最後まで機械を使って生きたいくないの。」私は、思いつく限り母に言ってみたつもりだった。今拒否してもいずれ食べられなくなって結局チューブを入れないといけなくなるかもしれない。それまで待って、肺炎になるリスクを作るより、今してしまえば、未然に防げるんだよ、チューブ入れたからって食べられなくなるんじゃないんだよ・・・言う言葉、言う言葉何だか空回りしているようで、何を言っても「私はこれだけでも自分の力でやりたいの、それで死んじゃっても仕方ないのよ」という母の言葉の前では、何の力もないように見えた。帰ってから、弟夫婦と話した。弟は先生から「これさえ予防できれば、進行自体はとても遅いから、1年、2年長く生きられるかも知れない」と言われてるのに、こんな事で失いたくないという気持ちは変わらなかった。だから、弟にもう一度母を説得してみなさいと言った。もしそれでも母の気持ちが変わらなかったら、その時は「勝手にしろ」とか言わず「分かった」と受け入れてあげないといけないんだよ、と。弟はもう少しで泣きそうだったように見えた。この年で、誰も頼る人もいなくて、こんな事を考え決定しないといけないなんて・・・重過ぎる、そう思った。そのあと、パパとも電話で話した。パパは言った。「あのね、そんな風にお母さんの気持ちばかり気にして自分の気持ちを言わないでいたら、あとで後悔するよ。お母さんは病気でも貴方たちの親なんだよ。子供に責任があるの。それに、貴方たちは、お母さんに子供としての気持ちを伝えたって良いんだよ。言わなかったら絶対後悔するよ。それでもお母さんがいやだって言ったら、それは仕方ないでしょ。」あまりにも淡々と言うパパは、まるで他人事を言ってるようで、つい「パパには分からないよ」と言いそうになった。それっぽい事を言ってしまった。だけど、パパの言う事も分かった。私は母を失いたくない、そう伝える事は悪い事ではないんだと思うようになった。翌日、あまり時間がない中、母に言った。「私さ、これから行かないといけないところあるから、言うんだけどね。胃のチューブのこと、お母さんの気持ちは分かったけど、もう一度考え直してみてよ。お母さんはこんな風に生きてるのもう嫌だって思ってるかもしれないけど、私はお母さんにいつでも会いたいの。もっと長生きしてほしいの」母は声を殺して泣いた。泣かせたくないから言わないでいたけど、でも泣かせてしまった。弟が又あとから母と話すだろう。母がどう思って、どう判断するか、分からない。もう生きることにそれほど執着しなくなってしまった母は、私の理解を超える所に行ってしまった気さえするのだ。「生きていてほしい」これは完全な家族のエゴだ。だけど、やっぱり生きていてほしい。その先に明るいゴールがないのに、こんな事言って苦しめてはいけない、という思いと一緒に、一日でも多く母の顔を見ていたいし、子供たちの成長を見届けてほしいと思うのだ。
Sep 10, 2004
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最後に母に会ってから半年。私の母は今病院にいる。(もう一人のハルモニ)私の中で、母に会わずに頑張れるリミットが半年何だって事がここ1年ほどで分かってきた。といっても、病気がこれほど深刻化してからの話。以前は1年ぶりでも、会わずにいても、電話で話してれば大丈夫だった。でも今は電話で話せない。母は舌が思うように動かず、聞き取るのも大変になってきた。話せなくなってからというもの、母に会いたいという思いが病気のようになってしまった。元気だった頃は、日本に帰るたびに仕事帰りの母と待ち合わせたり、迎えに行って、一緒にご飯と食べたり、ショッピングをしたりしていた。最近この辺を歩いている母娘、まだ結婚してないか、子供がいないくらいの娘とその母親が仲良く歩いてるのを見ると、無性にその時が恋しくなる。もう二度とできない事。そう思うと、涙が出るくらいその時を取り戻したくなる。最後に母に会って半年。やっと日本に行かなくて良いの?という話が持ち上がるようになってきた。そう言われるまでは、なかなか行きたいと言えない。もちろん母に急変があれば別だけど、なるべく義両親から話が出るまで待つ。気持ちよく行かせてもらうために。最初は、子供二人を連れて行って来ようかと思った。パパは仕事で行けない。子供を連れて行けば、1週間くらい入れるかなという考えだった。でも私たちには帰る場所がない。子供二人を連れて行くなら、どこか泊まる場所を確保しないといけないくて、しかも誰も助けてくれる人がいないのに、病院と泊まる場所の往復、必要な買い物などなどやるには、私も大変だけど、子供たちにもかなりの負担になるんじゃないか、とパパが言った。確かにパパの言うとおりだ。今回は母と話す時間が必要だ。麻痺が進んでいる母は、とうとう食事の飲み込みが難しくなってきたそうだ。食べる時にむせる事が多く、これがひどくなると肺炎になってしまい、命取りになる事もある。先生からは胃にチューブを通す事を勧められたらしい。弟にその話が行き、先生と二人、母のところに行って説得した所、母は大泣きしながら、絶対に嫌だ、自分で食べられるとわめいたそうだ。先生はあきらめ顔、弟はそんな母に怒っていた。私は母の気持ちも弟の気持ちも分かる。母は怖いのだ。もうすでに手も足も動けず、首もあまり動かない。表情もこわばったままだ。食べ物を噛んで飲み込むという作業は、数少ない母の「自分でできる事」なのに、それまで諦めてしまうのは、とても怖いのだ。肺炎なんかで母を失いたくない、と弟は思う。それなのに、子供のように泣き喚いて冷静になれない母を見て、どうする事もできない弟は、腹が立って仕方ない。弟は悔しいのだ。今回子供を置いて一人で行く事にしたのは、そんな母と少しの時間でも向き合ってゆっくり話したいからだ。4日間しかないが、できるだけのことをしたい。母は私に心を開いて話してくれるだろうか。私は母の力になる事ができるだろうか。
Sep 4, 2004
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昨日とうとうドラマ「フルハウス」が終わってしまった。これは文句なしのハッピーエンド。このドラマの女の子、この子を見て「韓国の女の人」を連想したわけではないんだけど、でもある部分「これがハングックヨジャ(韓国の女の人)だよなぁ」なんて思ったところもある。韓国の女の人は、ともかく気が強い。そうじゃない人ももちろんいるだろうが、やっぱり気が強いイメージがある。たとえば、旦那さんに何か言われたら、とりあえず文句を言い返す。最初から素直にハイなんてのはない。彼氏や夫じゃなくても、男の人とご飯を食べるんだったら絶対おごり。重い荷物やドアの開け閉めは男の仕事。町を歩いてると、きれいに着飾った女の子の隣やちょっと後ろを、あまりさえない格好してる男の子が一生懸命大きな荷物を抱えて「ついていく」光景をよく見かける。なんだぁ、韓国って女の人の方が強いのね、とそんな様子を見ながら思ってしまいがちだが、でも実はそうでもないのだ。韓国の女の人は気が強い。だから普段は文句も機関銃のように出てくるし、男の人に反抗ばかりしてるように見える。ところが、自分がとんでもない失敗をしてしまったり、相手の男の人を本当に怒らせてしまった時、自分の手に負えないことがおきてしまった時、韓国の女の人は本当に弱い女になってしまう。とにかく泣いて泣いて、すっかり力を失くしてしまう。その人がいなかったら自分は何もできない、そんな女の人になってしまうのだ。日本の女の人は違う。あまり面と向かって男の人に機関銃のようにまくし立てないし、何か言われたらとりあえずはハイって言う人も多いと思う(心の中でどう思っていようと^^)。自分の彼氏とか夫でなかったら、ご飯をご馳走してもらおうなんてそこまで思わないし、重い荷物も自分のものだったら自分が持つのが当たり前なんて思う。そして、何かあった時、日本の女の人は我慢する。自分で解決しようとする。あまり相手に泣いて「何とかしてよぉ」なんて泣きついたりもしない。韓国の女の人が日本の女の人よりずっと強いと思っていたが、実はそうではなかった。日本の女の人の方が断然強い。そして、それは男の人に「怖い」とまで思わせるようだ。特に韓国の男の人には、女は多少わがままでも困った時や大変な時には自分を頼って「あなたしかいないのよ~」と言ってほしいところがある。でも、日本の女の人は、とりあえず我慢して一人で切り抜けようとする。辛いところを見せないようにする。そして、心のどこかでは、こんな風に文句を言わずに我慢してる自分のことを分かってほしいと思う気持ちがあったりもするのだ。韓国の男の人にとって、日本の女の人はどこか「ミステリアス」で「難しい」女の人らしい。韓国の女の人は、ある意味とっても分かりやすい。嬉しい時は大はしゃぎ、悲しい時は泣き喚き、怒るときはものすごい形相でもう二度と会いたくないんじゃないかってくらい怒りを表す。それは多分、相手に自分の気持ちをしっかり分かってほしいから。だから、すごい勢いで怒っていても、それがその関係の終わりってわけではないのだ。(本当に終わる時には意外に静かだったりする)日本人の私は、それができない。大声をもし上げても、相手にさらに大きな声で言い返されたら、もうひるんでしまう。我慢して自分の中で処理しようと思う。最初は、そんな自分を理解してほしいし、してくれるべきだと思ってた。でも最近はそう思わなくなった。そうなったら、なぜか周りが察してくれるようになってきた。私の周りが日本人化してるのかな。それにしても、私も一度は韓国の女の人みたいになってみたいものだ。***もちろん、そうじゃない韓国の女性も日本の女性もいることを前提での日記です。これがすべての韓国の女の人ではないのであしからず***
Sep 3, 2004
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