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やもめのイケメンエリート広告マンが年増のあばすれと恋をする話。
●あらすじ
第一部
レーガン政権時代にミズーリ州セントルイスの27歳のユダヤ系のコピーライターのマックス・バロンは2年前に妻のジェイニーを交通事故で亡くしたことをまだひきずっていて、イケメンなのに恋人がいない。マックスがホラウィッツのバチェラーパーティーに行くと、友人たちがホワイト・パレスで買ったハンバーガーを食べていたものの空の商品があったので、マックスが店に行って愛想が悪い中年の女店員に文句を言う。マックスがバーに行って尻のでかい女に興味を持つと、その女はホワイト・パレスの中年女のノーラで、マックスはノーラと知的な会話ができないことにいらつきながらも一緒に飲んでノーラは息子を白血病で亡くして夫が出て行ったという生い立ちを聞いて、酔ったノーラを家に送っていく途中に事故をおこして仕方なくノーラの家に泊まると、寝ている間にノーラにファックされて、テクニシャンだったので気に入ってしまう。
第二部教師をやめて広告業界に転職したマックスは上司のローズマリーを慕っていたが、彼女はレズビアンだった。マックスが作ったCMにクレームがきたことがきっかけで大口顧客の銀行のCM担当に昇進して、仕事の合間にノーラとファックするものの育ちが違うので話が合わない。ジェイニーの二周忌に墓参りして義母のサラに会い、サラと母親が喧嘩する。マックスはホラウィッツの結婚式でノーラを友人に紹介するのが恥ずかしくてノーラを結婚式に呼ばずに嘘をついたもののノーラにばれ、マックスとノーラはお互いに信用していないので酒を飲みつつ会話して酒びたりになる。
第三部マックスはサラと会ってノーラのことを相談すると、破滅するからすぐ別れろと言われるもののマックスは反発し、マックスはホラウィッツのハネムーン写真を見た際にコカインをやった勢いで付き合っている女性がいると友人に告げ、ノーラがマックスに本を借りて読書を始めたり、ローズマリーが失恋したり、マックスとノーラがスーパーで口論したり、占い師をしているノーラの姉のジュディがやってきてマックスを占ったり、マックスがノーラを母親に紹介して意気投合して、ホラウィッツ家の感謝祭のパーティーでノーラを友人たちに紹介するもののユダヤ人でないノーラは反感を持たれる。マックスはノーラとレストランに行って、ローズマリーと銀行のディラック夫婦と偶然会うものの、ノーラを恥じて紹介しなかったのでノーラは自分がマックスの人生の一部にはなれないのだと悟って、ひとりで帰って仕事もやめて行方をくらましてしまう。
第四部マックスはノーラの件をローズマリーに相談して、銀行のCMの仕事にうちこむ。ノーラをイメージして作ったCMの女優の演技にイヤリングをいじる場面を取り入れて最高のCMを作ったものの、ディラックが駄目だししたので、マックスはぶちきれてディラックを罵ってクビになる。マックスがローズマリーに紹介してもらった仕事でこき使われている間に母親が事故死して、葬式でサラに会って母親が嫌いだったことを打ち明ける。マックスがジュディに電話するとノーラが出たのでニューヨークまで会いに行くと、ノーラは勤めているギリシャ料理店のオーナーのジョージと同棲しているというので、マックスがジョージを紹介してもらって値踏みして、ノーラに結婚を申し込むものの断られる。ニューヨークでの職探しもうまくいかず、マックスは孤独にみじめにすごしているとようやく仕事が決まったのでノーラを食事に誘うと、ノーラがアパートを訪ねてくる。
●感想
主人公のマックス視点の三人称。ウィットや皮肉を交えた文章や会話で物語を展開していくある種の典型的なアメリカの小説の文体。登場人物はユダヤやレズビアンといった特徴づけがぬかりなく、ステレオタイプ的ながらもキャラ立ちしている。長編小説らしくじっくりと描写して、マックスの年齢や容姿や職業などの基本情報をノーラとの会話で自然な流れで小出しにしていて、物語展開と描写のペース配分にむらがなくてよくできている。序盤はセックスで読者の注意を引いておいて、仕事と恋愛の二つをプロットの軸にしてマックスとノーラの教養や金銭感覚などの心理的な障害をひとつずつ対比させながら反発しつつも徐々に仲良くなっていく様子を描いていくという計算された展開で、プロットとしてはマックスやノーラの嘘がばれたり、ノーラの姉に占いをさせたりといった小技的な演出も仕込んでいる。第三部の終わりでマックスとノーラはいったん別れるものの、ノーラの姉の占いでマックスとノーラが結婚する未来が告げられているので、読者は二人が結婚するハッピーエンドの結末を想像できるわけである。しかし予兆やら占いやらで結末を暗示するのは古典小説に使われた古臭い手法で、ノーラの姉が過去も未来も見通せるチート能力者なのはさすがにやりすぎで不自然な感じ。妻が事故死したうえに終盤で母親も事故死するのもあからさまに終盤に話を盛っている感じがでてしまってやりすぎ。
だいぶ書きなれた人の文章だと思ったけれど、著者のプロフィールをみたらこれが処女作だというので、処女作の割りにうまいのかと思ったらアイオワ大学のライターズ・ワークショップで修士号をとったようなのでそこで創作技法を学んでいろいろなテクニックをてんこ盛りにしたのだろう。しかし第一部に気合が入っている反面、第三部からは疲れたのか場面と場面のつなぎの部分の描写を省いて一行あきの場面転換が増えてきて場面が飛び飛びになっていて、文章のユーモアも乏しくなって構成や心理描写が雑になっていて、そのあたりに処女作らしい詰めの甘さが出ている。著者はこれが処女作にして代表作となって映画化されて、2作目を書いたけれど他にめぼしい作品もないまま2003年に49才で心臓病か卒中で早死にしてしまって、伸びしろがありそうなのに残念。小説版よりも映画版のほうが有名になったようで、著者は映画の原作者程度の扱いでWikipediaのページすらない。
さて恋愛小説はたいてい物語の展開がパターン化されているので、プロット自体の面白さには私はあまり期待していない。初恋とか片思いとかの平凡な恋愛を美化するか、禁じられた恋で盛り上がるか、三角関係で恋人の取り合いをするか、失恋の感傷を強調するか、エロスに耽るか、どういう展開であれ、恋愛状態に陥った男女の心理描写の仕方で作品の出来栄えが変わってくる。日本の三流恋愛小説だと男女の二人の仲を書いただけで脇役に存在感がなくて社会性がなくて話が広がらない物語になりがちだけれど、この小説はマックスがノーラと付き合うことが他人にどう思われるかという社会性も常に意識していて、そこにマックスの心理的葛藤が生まれていて感情が複雑になっていてよい。親や友人たちといった脇役たちが主人公に意識されることで直接プロットに関わらないにしても登場人物としての存在感が出る。この辺は社交を重視するアメリカならではの心理状態で、日本の恋愛小説にはあまりない類の面白さである。
所詮は恋愛小説だとあまり期待しないで読んだものの、思いのほか技術的にしっかりしていて、マックスとノーラが始終喧嘩していて物語の緊張感が持続していたので飽きずに読めた。第三部で中だるみしている欠点もあるものの第四部で盛り返しているし、処女作でこれだけ書ければ十分な出来ばえ。この小説は創作理論を学んで人生経験を生かしつつ社会をよく観察して丁寧に小説を書けば処女作でも500ページの長編小説に仕上げることができるという技術水準の指標になりそうなので、1987年のやや古い小説だけれど作家を目指す人は読んでみても損はないかもしれない。
★★★★☆
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