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2021.12.23
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最近のコンテンツは何かのアクションをするよりも、何かに対するリアクションのほうが多いような気がするので、アクションとリアクションについて考えることにした。

●アクションとリアクションとは何か

・アクション

アクションとは活動することである。フィクションだと登場人物が行動しないことには物語にならないので何かしらのアクションをしているけれど、格闘や銃撃戦やカーチェイスなどの派手な活動をする映画はアクション映画と呼ばれる。アクション映画は見栄えして盛り上がるのでフィクションの花形で、シュワルツェネッガーやスタローンとかの人気のハリウッドスターがアクション映画から出てきた。しかし派手なアクションには爆薬とかCGとかに金がかかるので製作費が高騰するのが欠点で、日本だとかつては『七人の侍』の三船敏郎みたいに時代劇で人気になったアクション俳優がいたけれど、もうアクションではワイヤーアクションやCGを駆使したハリウッド映画についていけなくなっていて、忠臣蔵のセットを作る金もないそうな。しかし小説や漫画はセットの予算を気にせず派手なアクションを書けるので、異世界転生チート無双するなろう小説やバトル系の漫画が人気になっている。

・リアクション

仕掛け(アクション)自体はたいしたことがなくても、それに対する反応を見せ場にするというコンテンツの作り方があって、テレビでお笑い芸人が熱々のおでんを食べたりドッキリを仕掛けられたりして大袈裟に反応するのがリアクション芸と呼ばれた。バラエティ番組で食レポをして「まいうー」とか「ウマーベラス」とか言ったり、VTRを見る芸能人の顔がワイプで切り抜かれて驚いたり涙ぐんだりする反応が映し出されたりするのもリアクションを見せ場にしたコンテンツである。YouTubeが登場してからは素人が食レポをしたりドッキリをしたりホラーゲームをして叫び声を上げたりしてリアクションをするようになった。YouTubeは企画はテレビの焼き直しと言われるけれど、そもそもリアクション芸は低予算でコンテンツを量産できるところに制作者側の需要があったわけだし、テレビでは素人ができる程度のことしかやっていなかったともいえる。しかしそうしたリアクションに何かオリジナルなものがあるかというとたいしたものがない。YouTuberは激辛のやきそばを食べるとかおにぎりを早食いするとかがバズると皆が同じことをやって、思想や技術での差別化がないのですぐ飽きられている。

●フィクションにはリアクションが必要

フィクションは誰が何をしたというアクションで出来事が作られていって因果関係でつながった一連の出来事が物語になるので、アクションが一番大事には違いないのだけれど、その一方でリアクションの役割はあまり考えられてない。例えばプロップの物語論には何かを禁じるとか騙そうとするとか家を出るとかのアクションの分類はあるけれどリアクションの分類はなくて、口伝の昔話にはリアクションがなかったかもしれない。しかし現代のフィクションでは娯楽として成立させるためにリアクションも重要である。私はリアクションが主体のコンテンツにはたいした価値がないと思っているけれど、かといってリアクションが全くなくてアクションをやりっぱなしでも駄目だと思うので、リアクションの役割を考えた。

・話を盛り上げるためのリアクション

誰が何をしてどうなったという出来事だけ書いて、そのアクションに対する登場人物のリアクションが書かれていないと話が盛り上がらない。例えば剣豪が戦ってやられ役が無言で死んで場面が終わるよりも、悶えながら遺言を残すとか、殺人現場に通りがかった酔っ払いが驚いて悲鳴を上げながら逃げていくとかのリアクションがほしいところである。ラップにはhype manというメインラッパーを補佐する役割の人がいて、ラップに合いの手を入れたりコール&レスポンスをしたりしてメインラッパーのアクションにリアクションして盛り上げ役をしていて、わちゃわちゃすることでノッてるような雰囲気が出る。

・話を進めるためのリアクション

アクションとリアクションの掛け合いをすることで、リアクションを次の展開につなげることでスムーズに物語を進めることができる。例えばミステリなら殺人事件が起きたときにその場にいた人たちが疑心暗鬼になって「あんたあの子に彼氏を寝取られて恨んでたじゃないッ」とか罵ったり怯えたりするようなリアクションをすると、場面を盛り上げるだけでなくてそれが次の殺人事件や推理といった新しいアクションにつながっていく。漫才コンビだと両方が出しゃばってボケると話の収集がつかなくなるので、片方が「なんやそれ、ありえへんわ」とつっこむリアクションをすることで笑いどころはここだよと観客にシグナルを送って、「ほんでどないしたん?」と漫才の進行を調整して次のネタにつなげている。お笑い芸人のツッコミ役が漫才の進行をコントロールしているので、テレビ番組の司会にも向いていて活躍しているのも当然といえる。このようなリアクションは物語を俯瞰して制御するメタ認知の役割をしている。昔話がいきなり川で桃を拾ったりいきなり動物を家来にして鬼退治に行ったりして唐突で意味不明な展開に感じられるのは、話を進めるためのリアクションがなくてアクションと次のアクションがうまくつながっていないからかもしれない。

・読者の共感を促すためのリアクション

人間は歳をとるにつれて無感動になっていく。子供は何をするにしても初めての体験が多くて、近所の公園にお出かけして古びたしょぼい遊具で楽しく遊んで、おやつはしょぼい駄菓子でもキャッキャと喜ぶのでちょろいもんである。ところが大人になるといろいろ経験して刺激に慣れて感動の閾値が高くなって、高級旅館のサービスを値踏みしてささいなことで不満をためて、有名店のスイーツを比較してケチをつけるようになって、感動するほどの体験がなかなかなくなる。しかし人間にはミラーニューロンがあって他人の行動を見るだけで共感できるので、リアクションをしている人に共感することによって無感動な人が感動を取り戻せるかもしれない。それゆえに出来事を書いたら、それに対する反応として登場人物の感情や思考とかの心理描写をするのが大事である。

・販売促進のためのリアクション

テレビの通販番組がいろいろある中でジャパネットたかたが流行ったのは、ハイテンションな商品の紹介がリアクションを兼ねていて、すごい便利でお買い得な商品だという感動や驚きが視聴者に伝わったからだろう。これは文学も見習うべきで、しばしば出版社が本が発売されたとツイートするけれど、これは感情のない単なる情報にすぎなくて販促になっていなくて、著者のファンなら反応するだろうけれどそれ以外の人は興味を持たない。それゆえに文芸評論家や書評家が共感を呼ぶようなリアクションをする必要がある。

●若者のアクション離れ

フィクションの世界では登場人物のアクションで物語が作られていくけれど、現実の世界では若者が自分の物語の主人公であることをやめてしまって、美男美女や金持ちや有名人などの主人公属性を持った人のアクションを眺める村人Aになってしまった。昔はモボ・モガやフォークミュージックや竹の子族やパラパラやヤマンバギャルなどの若者発の文化があって若者が時代の最先端で流行を作っていたけれど、そういうものさえなくなりつつある。TikTokとかの動画配信は若者の間で流行っているけれど、企業が開発したフォーマット頼みという点では若者発の文化とは言えないかもしれない。ではなぜ若者はアクションをしなくなったのか考えてみる。

・金ねンだわ

何かの行動を起こすには金が要るし、逆に金がある人はたいてい何かの行動をする。旅行が典型的で、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」というクラシックの曲があるように第一次世界大戦後に金持ちになったアメリカ人はパリに押しかけたし、バブルの頃に金持ちになった日本人は海外旅行に出かけたし、中国で富裕層が増えたら日本で爆買いして豪遊しだした。あるいは貧乏でもネットがない時代は貧乏なりに自分で行動を起こさないと何も体験できなかったので、団塊の世代は国内旅行や登山や釣りとかのアウトドアを趣味にしていて、ギャンブルをするにしても競馬場まで出かける必要があったので地方競馬場にも需要があったし、バブル世代は恋人を見つけるにはナンパしないといけなかったので車を買ってブランド服を着てデートスポットに出かけて行った。ネットがない時代の人は貧乏でもそれなりに行動的だけれど、現代の貧乏人はネットで動画を見て他人のリアクションに自分を重ねて何でも疑似体験で済ませてしまって行動しなくなって、行動する少数の人と、それを眺める大勢の貧乏な人に分かれてしまった。例えばゲーミングPCを買う金がない人はゲーム実況者が最新のゲームを楽しそうに遊んでいるのを眺めているし、旅行する金がない人はリア充が友人と旅行している様子を投稿したSNSを眺めているし、ペットを飼う金がない人は犬や猫の飼い主がペットと戯れている動画を眺めているし、恋人と付き合う金がない人はリアリティー番組で金持ちが結婚相手を選んだり痴話げんかしたりする様子を眺めているし、ギャンブルをする金がない人はパチスロ系YouTuberとかの動画を見て他人がギャンブルして一喜一憂する様子を眺めている。金がないので代償行為として他人の行動を眺める人が増えたのでSNSが流行したのだろう。金がなくなると無気力になるのは世界で共通していて、就職氷河期世代のサイレントテロ、中国の寝そべり族、韓国のN放世代のどれも金がないのが原因で、本来は活動的な若者が恋愛、結婚、子供、家、車、夢をあきらめて活動を停止している。鈴木みその「ゲーム専門学校から見た風景」という2000年頃の漫画で、ゲーム専門学校の生徒は生きる気力が足りねえと言われていたけれど、そうした就職氷河期世代で大学に進学しなかった一部の生徒だけでなくて、失われた三十年の貧困の中で大勢の若者が生きる気力をなくしているようである。

・他人が気になンだわ

起業家や芸術家はいちいち他人の顔色を窺っていたら行動できないので、たいてい打たれ強くて批判は気にしないでやりたいことをやっている。しかし一人っ子とかで甘やかされて育った豆腐メンタルな人は批判されたくないので自発的に行動をしたがらない。日本だと空気を読んで協調することを強いられる同調圧力があって個人主義で協調しない人は批判されるし、若者はSNSのグループに加わって即レスしないと仲間外れになるので、社会の中で自分のポジションを確保するために他人の反応が気になってしょうがないのかもしれない。メイクも服装も言葉遣いもインフルエンサーの真似をして流行から外れないようにして、群れに順応する量産型女子ができあがる。他人の目を気にして無理に痩せようとして摂食障害になったり、醜形恐怖症で美容整形依存になったり、引きこもったりする人もいる。

・反応してほしいンだわ

自由主義の社会では地域や家族といったコミュニティから分断されて孤独な人だらけである。VTuberはデジタルキャバクラになっていて、現実世界に居場所がないカオナシが投げ銭してコメントを読んでもらって一時的な人間関係を作って満足している。愛情不足の子供がいたずらして親の気を引きたがるように、有名人を中傷したり、掲示板で逆張り炎上コメントをしたりして反応してほしがる人もいて、他人の反応で自分の存在を確かめようとしている。二次創作も原作に対する一種のリアクションで、無名の素人作家でも人気作品の二次創作なら読者がついてコメントとかのリアクションがあるので、読んでもらえることがうれしくて二次創作をやりたがる人が多いけれど、その一方で苦労する割に反応が乏しいオリジナル作品を作ろうとする人が少なくなっている。少年漫画誌だとオリジナル作品を連載したがる人が減ったので編集者は成人向け雑誌の漫画家にまで声をかけて漫画家を確保しているそうな。

・どうすりゃいいかわかんねンだわ

勉強をするにも金がかかるので、金がないと勉強できない。そのうえコミュニティから孤立した人は相談できるメンターもいない。親からあれをやるなこれをやれと過干渉されて自主性が育たなくて指示がないと行動できない人もいる。教養がないと価値判断の基準がなくて何が正解で何をするべきかという確信がもてないので、他人の反応を伺って他人に答えを求めて、群れが大きいほど安心して流れに身を任せるようになってインフルエンサーを妄信するようになる。芸術も見よう見まねのものばかりになって、なろう小説は異世界転生や悪役令嬢転生のテンプレをなぞる似たような物語が大量生産されているし、ニコニコ動画の踊ってみた動画やTikTokの踊りの動画も他人の真似止まりである。

・代わりにやってほしいンだわ

現代は宿題の代行、レポートの代筆、ゲームのレベル上げの代行までネットで他人にやってもらえるようになって、子供の頃から横着して物事を自分でやらなくなっている。しかし自分で行動しなくて他人の行動を眺めているうちに、他人を自分の思い通りに動かしたくていろいろ指図するようになる。特にFPSは民度が低くて、ゲーム実況者はミスしたりするとああしろこうしろ下手くそと罵詈雑言が飛んでくるし、なろう小説だと主人公が苦境になったりしてストレスがある展開だとコメント欄で作者に次の展開を指図する読者がいるそうな。不満があるなら自分でやるか、見るのをやめればいいじゃんという話なのだけれど、そうせずに思い通りにならないことに不満をためこんで他人を自分の思い通りに操ろうとして恫喝や脅迫したりする人がでてくる。うさんくさいビジネス系インフルエンサーが台頭したり巨額の投資詐欺が横行したりするのは、自分の代わりに成功への道筋を考えてもらって自分を成功に導いてほしいという他力本願の甘えた人が多いからだろう。

●自分の人生を生きるンだ

プロスポーツやコンサートやミュージカルなどはファンがいないと興行が成り立たないように、才能がある他人を応援するのは立派な文化活動だし、他人の活躍を眺めて共感するだけでもそれなりに充実感がある。しかし食事や恋愛とかの人生の幸福の根幹にある分野でさえ自分で行動しないでSNSで有名人の生活を眺める傍観者のままなのでは自分の人生を生きているとはいえないし、自由意思の持ち腐れである。仕事で自己実現できないなら、せめて趣味では自分が主体となって行動を起こすべきだろう。趣味で失敗したところで誰かに怒られるわけでもないし、何かをやってみないことには失敗から学ぶこともできないのだから好きにやればいいのである。いちいち他人の反応を気にしなくても、自分の行動に自分が満足したらそれでよいではないか。起業や投資は失敗したらダメージが大きいけれど、リスクが高いことをやらない理由にするのでなくて、勉強して失敗の可能性を低くしたうえでやればいい。高齢者が死ぬ前に後悔することについてのアンケートはいろいろあって記事によって回答が違うけれど、チャレンジしなかったことや他人の目を気にし過ぎたことを後悔している人が多いそうである。歳をとるほど膝が痛いとか環境を変えるのが面倒くさいとかで行動しない理由が増えていくので、若くて元気なうちにいろいろ行動するほうがよい。成功しなくても何かを一生懸命やっていたらドーパミンがどぱどぱ出てそれなりに充実感があるもので、他人を眺めるよりもよっぽど楽しいと思う。






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最終更新日  2021.12.23 10:37:28
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