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2025.05.24
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私はあまり音楽の勉強はしていなかったのだけれど、エデュアルト・ハンスリックという19世紀末の音楽批評家がワグナーやリストのオペラとかの歌がついているロマン主義の標題音楽を否定して、器楽曲が純粋な音楽である主張して形式主義(フォルマリズム)を展開して、「音楽は鳴り響きつつ流動する形式である」と定義したというのを小耳にはさんだので、形式について考えることにした。

●形式とは何か

形式とは物事が存在するときに表に現れている形や、物事を行うときの一定のやり方を意味する。
生物は遺伝子という設計図によって形が作られていて、植物の葉や花の形は一定の法則で成長して一定の形になるし、自由意思がない昆虫は光や温度とかの周囲の環境に反応して一定のやり方で行動する。自由意思がある人間が作る様々なものも形式があって、ハンマーやハサミとかの道具は何かの目的があって作られるので目的を達成するのに適した形式になる。工業製品はモデルごとに設計図が違っていて形が違う。家にも〇〇造りとかの形式があって、屋根の形式だけでも切妻屋根や片流れ屋根や方形屋根とかいろいろある。役所の手続きや裁判とかは法律で形式が定められて一定のやり方で行われる。スポーツやゲームはルールが形式になっていて、プレイヤーの裁量がある部分で身体能力や技術力や判断力を競って勝ち負けを決めていて、裁量部分が少なくて運の要素が大きいのはスポーツでなくギャンブルになる。食事の食べ方にはコース、アラカルト、ブッフェ、おまかせ、立ち食いとかの形式があるし、料理にも揚げ、焼き、蒸し、煮込み、鍋、生、ジュース、発酵、漬け、ムース、冷凍とかの調理方法の形式がある。良い形式は共通のマナーとされて、形式を外れると行儀が悪いと批判される。こうした様々なものの形式の違いが総合的な文化の違いになって、国ごとにいろいろな形式がある。

●芸術の形式

音楽、絵画、文学は相互に影響を与え合っていて、どこかでなんとか主義が出てくると他の分野も変化していくけれど、形式の考察に関しては音楽が先に発展したようである。西洋音楽にはソナタや舞曲や行進曲とかの目的に合わせた構成の形式があって、長調や短調や旋律や終止形とかのパターンがあった。それからジャズでアドリブでコードを展開するようになった。シンセサイザーやミキサーやサンプラーとかの電子楽器が作られたら同じリズムパターンを繰り返すハウスやテクノが作られた。リズムパターンに即興のラップを載せる形式のヒップホップが出てきて、高い楽器を買って長時間の練習をやらなくても済むようになったことで貧困層でも音楽を表現できるようになってラッパーが増えて、ポップミュージックにもラップの形式が取り入れられるようになった。EDMではビルドアップして盛り上げてからドロップするという形式をとっていて、ハウスよりもメリハリがあってドラマチックな展開がわかりやすいので人気になった。
西洋絵画は宗教画を中心に発展してきたものの、カトリックが腐敗して人文主義やルネサンスが起きて徐々にキリスト教の影響力が衰えて風景画が描かれるようになって、近代になってリアリズムを否定する抽象画が出てきて絵が色や形に還元されていって、ダリがシュルレアリスムで物の形をぐにゃっと崩したり、ピカソがキュビズムで多面的な人を描いたり、マティスがフォービズムで描写を簡略化して人を抽象化した色と形で描いたりして、絵を構成するモチーフの形が変化していった。美術は二次元から三次元に発展して芸術作品が単に部屋を飾る装飾品でなくなって作家性が強くなって、インスタレーションで観客と相互作用する形で作品を展示したり、芸術家自身がライブペインティングで制作の様子を見せるパフォーマンスをしたりして、絵画とは違う形式で表現するようになった。漫画やアニメは初期はリアル寄りの劇画調だったのが、表情がわかりやすくてかわいく見えるように目が大きくて鼻が小さくデフォルメされた人間が標準的な表現形式になった。
建築ではヨーロッパではレンガが中心で窓が小さい形式だったけれど、建材に鉄筋コンクリートが使われるようになってデザインの自由度が増したらドイツで建築の機能性に美術的な要素を取り入れたバウハウスが出てきて、壁がなくて窓が広くて開放感があるようなシンプルでモダンな感じの形の建物ができた。
映画は初期の無声映画(活動写真)の時は活動弁士が映画の内容を説明する形式をとっていたけれど、音声がつくようになったら活動弁士が不要になって、CG合成ができるようになったらアクション映画で実際にセットを爆発させたり危険なスタントをさせたりする必要がなくなったりして、撮影機材や撮影技術の進歩とともに表現形式も変わっている。演劇だとスーパー歌舞伎が3S(スピード、スペクタクル、ストーリー)を重視して伝統的な歌舞伎よりも派手なストーリーや演出の形式をとってエンタメ性を強めて差別化している。

●文学の形式

文学では詩には形式があったけれど、その形式の良し悪しとかの美学の考察には発展していない。20世紀にシュルレアリスムのアンドレ・ブルトンが自動筆記とかの手法を試したけれど、意味が分からない言葉の羅列では読者は感動しようがないので、文学は標題的にならざるを得ないということで音楽や絵画とは違う道をたどる。そんで波乱万丈のロマン主義小説や格調高い古典の否定として出てきたのが自然主義小説で、人間を誇張したり美化したりせずに書くのが純粋な文学だということで自然主義小説が日本の純文学の主流になった。明治時代の初期の自然主義小説はまだドキュメンタリーみたいに当時の人の生き方や考え方を後世に残す意義があったし、言文一致したばかりの口語体での文章を普及させたという意義もあったけれど、大正時代の自然主義小説は現代でいうインフルエンサーみたいなことをやりだしてカフェやバーで遊びまわってネタ作りしてその様子を描くようになって、思想の深化や技術の洗練や独自性もなんもないので次第に自然主義小説は廃れていった。そんでポストモダン小説でSFやファンタジーっぽい変なことをやったりして迷走して、今では何が「純」なのかという本質が忘れ去られて純文学雑誌に掲載されたら純文学だという大雑把なくくりで芸術性が乏しいエンタメみたいなリアリティがないものも純文学扱いされる有様になってしまって純文学は表現形式の特徴を失って劣化してしまった。
文芸批評ではロシア・フォルマリズムや構造主義とかの文学理論が出てきたけれど、小説を細切れに分析して解体したところで人を感動させる小説を書けるようにはならないよということであまり創作手法には反映されていない。だからといってフォルマリズムに意味がないというわけではなくて、音楽一家出身のミラン・クンデラが小説に音楽的構成を取り入れて構成の美しさを目指したように、形式が創作の要点になりうる。文学理論は創作理論というよりたいてい批評理論で、直接創作に役に立つわけではないけれど、それでも理論を知らないよりは知っておく方がよい。
停滞している純文学を再興するには、かつて音楽や絵画と相互に影響し合ったように、他の分野の形式に目を向けるやり方もあると思う。例えば協奏曲のカデンツァでソリストが即興で演奏するように小説で主人公が長めの自己主張をする場面を入れるとか、ミニマルミュージックで音のパターン反復するように同じフレーズや描写を何度も繰り返して強調するとかの構成の工夫もありうる。音楽のマッシュアップみたいに小説Aの登場人物と小説Bの舞台を組み合わせたセルフパロディーをしたらネタ切れしにくそうである。ビジュアル系純文学として美男美女のグループを主人公にして純文学的なテーマを書くようなやり方も外連味があって面白いかもしれない。スーパー歌舞伎に倣ってスーパー純文学として派手な比喩をわんさか使ってズンドコと畳みかけるように物語を展開したら従来の地味で暗くてもっさりした純文学と差別化できて面白いかもしれない。ライブ創作として掌編小説を書く様子を動画で撮影して公開するような美術的なプロモーション手法もできるだろうし、印象的なセリフを抜き出して詩的な動画にする音楽のMV的なプロモーション手法もできるだろう。文学作品の品質管理に製造業の品質コストの評価形式を取り入れて、出版社側が出版したら後は知らねという態度を取らずに、内部失敗コストとして出版前にフィードバックして一定の水準になるまで書き直させるとか、出版後に作者が聞きたくないような読者の不満や厳しい批評も外部失敗コストとして作者にフィードバックするとかして、出版ビジネス自体の改善をしたら作品の品質も上がるだろう。小説を書くときにカスケード制御のフィードバックループの形式を取り入れて、主人公(マスター)が破天荒な行動をしても脇役(スレーブ)が修正してストーリーの破綻を防ぐようなやり方もできるかもしれないし、そしたらロマン主義的な波乱万丈な展開を昔の作家よりもうまく書けるようになってシン・ロマン主義的な形式ができるかもしれない。
というわけで、世界には様々な形式があるし、どの分野もいろいろ工夫の余地はあると思うので、様々な形式を観察していろいろな形式を試してみるとよいと思う。





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最終更新日  2025.05.24 00:36:53
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Re:形式について考える(05/24)  
四角いハムスター さん
いろいろな小説がちまたにあふれていますが、私は自然主義のながれをくんだ地味な小説よりも、理想の人間像を追求したような、古臭い物語が好きです。今よりも困難な時代を生きる人々を描いた歴史小説、起こりうるかもしれない未来を描いて人間や社会の本質をあぶり出そうとするSF小説なども好きです。よって自分が小説を書くのであれば、リアリズム、ダイナミズム、ヒューマニズムを備えた物語を書きたいと考えておりますが、言うは易く行うは難しということを、日々痛感しております。

Re[1]:形式について考える(05/24)  
三角猫 さん
四角いハムスターさんへ

私は小説でしかできない表現形式にしないと小説にする意味がないと思っているので、人間の実存を描くうえで必須のリアリティがあるうえで、文学的な仕掛けとして非現実的なアンチリアリズムやマジックリアリズム的な純文学の技法を組み込むことで、小説ならではの面白さがある小説を目指しています。いつかプロ作家になったときには恋愛小説も経済小説もホラー小説も歴史小説も推理小説も純文学の技法を駆使して書いたらどうなるか一通り試してみたいです。どの時代を舞台にするにせよ悩みがなくて死なない人はいないし、懸命に生きている人を描けばそれなりに見どころが作れると思うので、時代やジャンルに対するこだわりは特にないです。
今まで誰も読んだことがないような面白い小説を書くだけでなく、読者が小説を読んだときに登場人物の人生を眺めて単に「面白かった」で終わるのでなくて、読者の価値観や物事の認識が変わるような小説を書けたら上出来だと思います。 (2025.05.27 01:08:59)

Re[2]:形式について考える(05/24)  
四角いハムスター さん
三角猫さんへ

 私はもともと映画の脚本を書きたかったのですが、最近は小説を書いています。私にとって小説がもっとも得意とする表現とは、目に見えないものを描写すること、特に人間の感情の機微や、思想などを表現することにかけて、文字に代替するものはないと考えています。漫画や映像とちがって、小説は読者に技術を必要としますが、人生経験をつんで目のこえた大人を満足させるのは、小説の得意とするところかもしれませんね。
 ちまたには「人々の欲するもの」を生み出そうとするクリエーターやプロモーターはたくさんいますが、「人々のまだ知らない、新しい価値をもつもの」を創りだすことこそ、アーティストの役割だと思います。近年では人工知能が飛躍的に発展し、AIをつかって暇つぶし小説を乱造できるようになりました。しかし人々を感動させ、読んだ人間の認識をかえるような力をもつ小説は、まだAIには書けません。
 パクス・アメリカーナが終焉し、人類史上もっとも平和であった時代が過ぎ去った現在、価値のある小説を生み出そうとすることの意義は、ますます高まっていくように思います。
 三角猫さんのブログは小説ではありませんが、私をふくめ読者の認識を変え、価値観に影響を与えつづけています。価値観の変化は行動の変化をひきおこし、ひいては人生をかえていくわけですから、三角猫さんの言葉の強力さを、実感するばかりです。数十万人のイイネがつくインフルエンサーの言葉よりも、数人の人生をかえる言葉のほうに価値があるのだと、改めて気がつきました。
 何やら大仰なことを申しましたが、これからも一読者として応援しております。 (2025.05.28 07:34:14)

Re[3]:形式について考える(05/24)  
三角猫 さん
四角いハムスターさんへ

これからAIが急激に進歩して、小説もイラストも動画も暇つぶし程度のコンテンツは飽和状態になるでしょう。新しいものを作るには単に誰もやっていないことをやるのでなくて、人間にとって何に価値があるのか、何が善いのか、どう生きればいいのかという哲学的な洞察やそれに対する答えが必要になります。その答えを持つ良い芸術作品は人の認識や生き方を変える唯一無二のものとなりえます。物語を描くだけなら漫画でも映像でもできますが、四角いハムスターさんがおっしゃる通り、小説は思想を描くのには一番適しているといえるでしょう。
このブログを書くときにマティスについて調べていたら、マティスは「Creativity takes courage(独創性には、勇気がいるものだ)」と言ったそうで、この勇気はアーティストにだけ必要なものではなくて、これから未知の出来事に対処して新しい未来を作ろうとするあらゆる人に必要なものだと思います。なので価値がある小説を生み出す意義だけでなくて、価値がある小説を読む意義も高まると思います。
私は人生の意義は人類の一員として文明の建設に参加することだといまのところ結論付けていますが、ものを作って文明を豊かにしようとする意思や行為は、誹謗中傷や暴力や殺人などで私利私欲のために人を害して文明を破壊する行為の対極といえます。天才アーティストになれなかった大勢の人たちも、創作や芸術鑑賞を通じて価値を模索することは人格を形成して人生を充実させるうえで無駄にはならないでしょう。私のブログでの模索も私にとってはやる意味があると思うのでやっていますが、他の人にとっても何かしら有意義なものになればよいと思います。 (2025.05.28 16:37:10)

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